1988年11月某日の午後、暇ができたので、全線電化直前の片町線(学研都市線)の小旅行をしました。

出発駅は今はなき片町駅から。120円の片道切符を買い、自動改札機を通過(当時、関西の国鉄・JRの自動改札機は片町線片町-長尾間各駅のみに設置)。片町駅は片町線の終点であり、 京橋から大阪都心部へ一歩進んだ(0.5kmほどの)場所にありました。京阪電車天満橋-京橋間の中間地点にあり、かつて京阪にも片町駅がありましたね。

片町駅は市内中心部、特に天満橋の官庁街や大阪城に近いのに、京橋とは対照的に昼間は閑散としたターミナルでした。片町駅は地下線のJR東西線(京橋-尼崎)開通(1997年)と同時に廃止されました。片町駅の機能はJR東西線の大阪城北詰駅に代わりました。

片町駅からは長尾行きの普通電車(たぶん103系)に乗車しました。

京橋駅は大阪環状線および京阪電車との乗換駅で大阪市東部のターミナルとして賑わいを見せています。駅前ではダイエー京橋店(→イオン→閉店)や京阪モールなどのショッピングセンターを核に、周辺の商店街と連なって繁華街を形成。さらに2年後の1990年には、鶴見緑地で開催される花博開幕に合わせて地下鉄長堀鶴見緑地線(7号線)の部分開通と合わせ、吹き抜けの地下飲食店街「コムズ・ガーデン」がオープン、ターミナルとしての求心力が高まりました。

京橋を発車後、放出を過ぎたあたりで大阪市から抜け出ます。近畿車輛のある徳庵、江戸時代の河内平野一帯の新田開発の歴史を刻んだ鴻池新田を経て、高架工事完成前後の住道駅、そして「野崎まいり」で有名な野崎を通り、四条畷に。

四条畷までの区間は関西の国鉄で最も早く戦前に電化され、下町を走る私鉄のような雰囲気が感じられます(この先、長尾まで戦後1950年に電化)。1977年ごろまで走っていた旧型国電は、この沿線風景に見事溶け込んでいたようですね。また、1970年代初頭までは蒸気機関車C11に牽引された貨物列車も片町線を走り、旧型国電と並ぶ渋い光景も楽しめたことでしょう。

1970年代末から片町線の新性能化(101・103系投入)、四条畷-長尾間複線化と同時に片町-長尾間各駅への自動改札機の実験的導入、合わせて編成増強と冷房化が国鉄末期の数年間で一気呵成に進められ、前進飛躍を遂げました。今度の長尾-木津間電化、および片町線と福知山線を結ぶ計画に始まったJR東西線の開通も、その成長路線の軌道に乗ったものと言えるでしょう。

四条畷駅前といえば、パチンコ屋さんの賑やかな音が聞こえてきて香里園や瓢箪山と何となく雰囲気が似ているが、気のせいでしょうか?(実際、ここと瓢箪山を結ぶ近鉄バスがあった)。駅の北西側は商店街(楠公通り)で賑わいを見せます。

四条畷-長尾間は1979年に複線化工事が完成したため、線路や駅ホームは新しく(東寝屋川→寝屋川公園と藤阪の2駅も同時開業)、また一部は高架線に付け替えられたこともあり、特急【雷鳥】が高速で翔る湖西線と雰囲気は似ています。そういえば、長尾付近から京都山科への連絡線を作って湖西線と接続させ、片町線に北陸筋の特急を走らせる構想もあったみたいで、これが北陸新幹線の京都~松井山手~新大阪ルートとして現実のものになろうとは偶然でしょうか?

電化区間の終点・長尾駅に到着。長尾駅は大阪府最東端(枚方市)の鉄道駅で、ここから先は京都府内の非電化区間でした。地下道を通って気動車用ホームに移ります。