(その1)
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長尾から乗車した気動車はキハ53+キハ47の2両編成。当時、片町線の非電化区間にはキハ58系(キハ28・58)が多かったが(主にキハ35・キハ47との混結)、今回乗り合わせた列車にはキハ28・58が連結されていないのは残念でした。キハ58形に代わりに、同じDMH17H型2エンジンのキハ53が組まれることもありました。しかし、キハ53形は少数派の国鉄気動車形式(キハ23形の2エンジン版)で、今となっては貴重なので、しっかり乗っておけばよかったです。

片町線を走る気動車は、当時亀山機関区(→亀山鉄道部)の管轄で、関西本線非電化区間(亀山-加茂・奈良)と共通運用でした。2年前までの国鉄時代は、三重県下の紀勢本線(亀山-新宮間)や参宮線などの運用もあったが、亀山駅でJR東海とJR西日本に分割されたため、運用範囲は大幅に縮小され寂しくなったものです。

長尾を発車した気動車は、さっそく新しく付け替えられた(合わせて複線化)線路を徐行。大阪・京都府県境にあった片町線唯一の山岳トンネルは明治期建造の貴重な鉄道遺産だったが、新線切り替えで消失しました。

県境を越えて間もなく、建設中の松井山手駅を通過。松井山手駅は電化と同時に開業。京阪電鉄の新しい街づくり事業(京阪東ローズタウン)を展開することから、建設費は京阪の負担で賄われました。かつては雑木林の中ののどかな里山だった一帯も、街開きで大きく変貌を遂げ、将来ここに北陸新幹線が通る計画です。また第二京阪・新名神の全面開通を前に、高速道の要衝(八幡京田辺JCT)として新たな開発が進行中です。松井山手から先、単線区間となります。

車掌さんが車内検札が来てドキッとしました。片町駅から120円区間の乗車券を提示。案の定、不審がられたようだが、「大回りで大阪城公園まで乗ります」と一言説明してやりすごしました。これも、近郊区間大回り乗車など、あまり一般に理解されていなかった当時ならではのエピソードと言えます。それに、今時のローカル線ではワンマン運転が当たり前で、車掌さんが検札・集札すること自体、貴重な光景ですね。

田辺駅(→京田辺駅)は当時木造駅舎だったが、現代的な郊外駅に生まれ変わり、駅前にはアルプラザ(平和堂)も開業。木津行きのりばホームにはC11 324号機が静態保存されていました。京田辺市の観光名所として、一休和尚の「とんち」で知られる一休寺があります。また、京田辺は高級茶・玉露の産地としても有名ですね。

同志社前駅は同志社大学京田辺キャンパス開校に合わせ、2年前に開業。電化後、ここで折り返す列車が新設されるため、折り返し用ホームの増設工事中でした(そのホームは撤去され、今は棒線一面に戻った)。振り返れば、同志社前駅開業は、片町線全線電化を予感させるニュースだったように思います。

進行方向左側に並行する近鉄京都線も、どちらかといえばローカルな雰囲気が色濃かったけど、けいはんな学術文化研究都市開発などを控え、この年に京都市営地下鉄烏丸線と直通運転(北大路-竹田-新田辺間)が始まり、また1990年代にかけて編成増強や高架化工事、新駅開業なども進みました。

近鉄に比べて列車本数の少ない片町線も、今では7両編成の207・321系4ドア電車が全線を走るようになりました。非電化時代とあまり変わらない雰囲気の無人駅に7両編成の電車が止まる光景は、ミスマッチと言えるでしょう。車両のバラエティに関しては、伊勢志摩ライナー、しまかぜ、汎用特急車、京都市交10系ほかが賑やかに行き交う近鉄のほうが楽しいでしょう。

祝園を発車してしばらくすると、近鉄の下を潜り抜けて分かれ、終着駅・木津に到着。

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関西本線(大和路線)に乗り換え、奈良を経て天王寺に向かいます。奈良までは、おそらく奈良線から直通の電車(105系)だったと思います。木津駅4番ホームには2両編成の気動車(キハ58+キハ47?)が止まっていました。夕方の片町線運用の待機でしょうか。

奈良駅構内の売店で、中華まんじゅうを買って小腹を満たし、快速電車大阪行きに乗り換え。大和路線の快速電車には主に113系赤帯が使用されるが、翌年夏までに早々と221系に置き換えるという快挙を成しました。

天王寺駅で環状線内回りに乗り換え、大阪城公園で下車。公園内を抜けて確か天満橋(もしくはOBPから京阪京橋駅だったかも)まで歩いたと思います。