国鉄時代末期~JR初期、相模線電化前の気動車について。
相模線は神奈川県の茅ヶ崎と橋本(相模原市緑区)を結ぶ路線。東京都心から50km圏内に含まれ、東海道本線と横浜線を結ぶ路線にもかかわらず、八高線と並んで東京近郊区間の外縁部ということもあり、国鉄時代は非電化のままでした。
相模線の気動車といえば、1970年代まではキハ10系が多かったと思いますが、80年代以降は草津・桜井・和歌山線電化等で余剰となるキハ35系に置き換えられました。もともと茅ヶ崎気動車区(南チサ)が運用担当していたが、80年代の一時期、東京西局の八王子機関区(西ハチ)に移管。
八王子区の気動車は、もともと北側の八高線・川越線用だったようですが、なぜか相模線用に転用されたそうです。相模線へは横浜線経由で橋本まで回送運転で送り込まれました。八高線・川越線用の気動車は群馬県の高崎区(高タカ)に移管され、こちらもキハ35系が主力だったものの、足尾線(→わたらせ渓谷鉄道)と共通運用を組むため、時折キハ40も東京都内の八王子に姿を見せていたようです。
しかし、1985年川越線の電化開業となり、国鉄からJRへの移行に対応した合理化のため、相模線の気動車は東京南局の茅ヶ崎区に再移管。合わせて、首都圏色(タラコ色)から白と青を基調とする相模線カラーに塗装を変更。以降、1991年の電化までそのまま推移します。
電化後は205系500番台を新製投入。山手線など他の路線用の205系と仕様が異なり、車体断面は一回り小さくなっています。首都圏各線から205系が消滅寸前の今もなお、相模線の205系は健在です。
コメント
コメント一覧 (3)
ほぼ全線で神奈川r46茅ヶ崎相模原線と並走しています
(神奈川県道の40番台・400番台は大和市・海老名市辺りに集中している。藤沢市・茅ヶ崎市は30番台・300番台、座間市・相模原市は50番台・500番台、厚木市・平塚市等は60番台・60
0番台の傾向)。
相模線は寒川神社への参拝輸送として設立された相鉄の創業路線で1917(大正6)年に茅ヶ崎~寒川を開業しました。徐々に北へ伸ばしました。
現在の相鉄線は昭和~平成開業なのに2017年に相鉄が創立100周年を迎えたのは、ガミ線の名残です。
1944年に神中鉄道(現在の相鉄本線)を合併したもののすぐに創業路線の相模線が国有化されました。
相模線は厚木市を通らないのに厚木駅(小田急連絡駅。海老名市)があるのは有名です。
厚木基地も厚木市にはなく(大和市と綾瀬市に跨がる)、
アパレルメーカーのアツギ株式会社は海老名市にあります。
海老名市は市制したのが1971年と比較的遅かったのもあるようです(隣の座間市も1971年市制)。
相模線は1984年まで西寒川支線がありましたが、廃止されました。
1987年に相模線海老名駅が開業しましたが、博多駅同様にそれぞれ異なる3社のホームにJRの車両が乗り入れる珍現象が生じています。
小田急海老名駅は2016年から常磐線各停E233系2000番台が小田急では急行・準急として乗り入れており
(2018年3月から昼間の乗り入れが向ヶ丘遊園止まりとなり、海老名は朝と夕方以降に限られる)、
2019年11月30日から相鉄海老名駅に埼京線E233系7000番台が新宿駅から武蔵小杉経由で乗り入れています。
橋本は1990年3月の京王相模原線全通で発展しました。相模原市は今や徳島県を上回る73万人です
本当はキハ30が欲しいのに、手ごろな車両が無かったのでキハ20に白羽の矢が立ったんださうな。
当時私は東京在住でしたから乗りに行きましたよ。
当時はネットで運用を調べるなんて時代ぢゃおまへんから出たとこ勝負でんな。
橋本で何本かやり過ごして乗った記憶が。
キハ2056は、1957年東急車両製、梅小路機関区に配属、のちに向日町に転属、79年に木更津区へ転属、82年に八王子へ転属、82年に廃車でっか。
意外にも関西に縁のある車両でんな。
梅小路だと山陰線か奈良線かいな。
79年に転属・・キハ47の増備で玉突き転属ですかね。
この種の一時しのぎは昔は良く有りましたな。
只、気動車に関しては84年に白糠線の廃止を皮切りに廃線が相次いだ結果、気動車は大量に余る為簡単に手ごろな車両が手に入るのですが。
白糠線廃止は1983年ですよ(生まれた年なので)。
1972年の全通からわずか11年で廃止されてしまいました
(白糠線と全通年月日が1日違いだった鹿児島県の大隅線も1987年の国鉄分割民営化直前に廃止されている)。
皮肉にも赤字83線廃止計画の先行16廃止路線(札沼北線、篠山線、中舞鶴線等)の廃止が終わった頃に開業した路線が10数年で廃止でした