紀勢本線東部(主にJR東海の亀山-新宮間)の国鉄時代末期の急行列車について。

紀勢本線では電化区間も含め、気動車急行が運行されていましたが、1985年3月ダイヤ改正で【志摩】を除いて全廃。同改正まで東側の区間では【紀州】(名古屋-紀伊勝浦:亀山経由)2往復と【はまゆう】(鳥羽-紀伊勝浦)1往復があったが、特急【南紀】(キハ80系)に統合される形で廃止されました。 【紀州】には名古屋機関区(名ナコ)のキハ58系が使用されるが、信越本線碓氷峠のアプト式区間対応に製造された特殊仕様のキハ57形、そしてキハ65形も連結され、何気に異彩を放っていました。【はまゆう】は西側の【きのくに】と共通の和歌山機関区(天ワカ)が担当、キハ58・28にキロ28を組み込む4両のオーソドックスな気動車急行の編成スタイルでした。

同改正で【紀州】【はまゆう】がなくなり、寂しくなった感じがします。京都と伊勢市・鳥羽を草津線経由で結ぶ【志摩】が奇跡的に2往復に増強され辛うじて華やいだ雰囲気を保つものの、グリーン車(キロ)の連結は廃止。これも長く続かず、国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正で全廃されました。よって、紀勢本線の定期急行列車は消滅。紀勢本線東部はJR東海の管轄となります。

その後、名古屋-紀伊勝浦間には臨時の急行列車が設定され、時にユーロライナーの客車なども使用されるが、【南紀】へのキハ85系投入後(1992年)は臨時急行の運行もあまり見られなくなったようです。

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比較的最近の面白い急行列車として、2009年紀勢本線全通50周年イベントで新宮発亀山行き1本が挙げられます。引退間近のキハ181系をJR西日本から貸し出しで運用されました。折りしも姫路方面から伊勢への修学旅行列車としてキハ181系が毎年紀勢本線・参宮線(亀山-鳥羽間)に乗り入れていた時代で、特に多気→亀山間は走り慣れたルートでしたね(紀勢本線多気以南でのキハ181系は初めてだったのでは)。

もう一つ気になる列車として、奈良発着の臨時【紀州】。1985年3月定期【紀州】廃止後、86年5月ごろまでなぜか奈良-紀伊勝浦間にて臨時の【紀州】を運行。そもそも奈良市周辺から三重県東紀州への旅客流動があるとはあまり考えにくく(かつて奈良交通の特急バスが吉野・大台ケ原経由で熊野市・新宮まで運行されていたが)、これまた謎な列車でした(国鉄時代末期はとにかく行先が迷要素の列車が多かったですね)。松阪以南への近鉄からの乗り継ぎを想定したものなのでしょうか(名古屋-松阪間は近鉄と完全並行するため、早くて便利な近鉄特急に乗り換えるケースも多かった)。奈良-亀山間はもちろん関西本線を走行。【かすが】(名古屋-奈良)が1往復に減便される中、臨時【紀州】こそが【志摩】とともに辛うじて関西本線の最後の輝きを保っていたと言っても過言ではないでしょう。