中央西線(中央本線名古屋-塩尻間)の電車急行は意外に地味な印象を受けます。

というのも、 全区間電化が1973年とやや遅めで、カーブの多い山岳路線ゆえに、振り子式381系を投入してL特急【しなの】が大増発となったため。電化前の【しなの】はキハ181系で運用でした。急行列車も、本数は少ないながら名古屋発着【きそ】【つがいけ】が165系電車(神領電車区)に置き換えられました。一方、1往復だけのロングラン【赤倉】(名古屋-新潟間、中央西線・篠ノ井線・信越本線経由)は、全区間直流電化にもかかわらず車両の需給関係から気動車(キハ58系、新潟機関区)のままで存置。また、大阪から直通の【ちくま】も1往復は気動車、夜行1往復は寝台車連結の客車で運転されていました。

1978年10月ダイヤ改正では、気動車【ちくま】は165・167系電車化(宮原電車区)と同時に、季節列車化されました(→【ちくま2・3号】)。合わせて大糸線直通の【くろよん】と併結運転となります。電車急行【ちくま】【くろよん】は普通車(クハ・モハ)のみの編成でした。宮原の急行形電車(153・165系)といえば、当時新快速をはじめ、大阪では数少ない電車急行【比叡】【鷲羽】の運用もありましたね。167系は団体・波動輸送用(先頭車クハは165系という混編成もあった)だったが、季節・臨時の【ちくま】【くろよん】にも使用されました。

同改正で気動車【赤倉】は健在でした。

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中央西線の電車急行も1982年11月ダイヤ改正で転機が訪れます。

昼間急行【きそ】【つがいけ】は中津川発着の1往復を除いて特急【しなの】に格上げと同時に、【しなの】用381系は長野から神領に移管。鉄道管理局ごとの管轄変更(長野→名古屋)となり、そのままJR東海の所属となります。

残った中津川発着【きそ】は松本電車区に移管されました。もともと中津川発着【きそ】はグリーン車連結無しの4両編成でローカル色が濃いが、松本-長野間では上諏訪・天竜峡発着【天竜】の2本、合わせて3層列車12両編成として運転されました(ただしサロ無しなのが)。なお、改正前は【天竜】ともども神領区所属で、飯田線北部までかなりの広域運用をこなし興味深いです。

気動車のままだった【赤倉】はようやく晴れて165系電車化されました。新潟所属で上野発着高崎・上越線経由の【佐渡】【よねやま】と共通運用だったようで、変則的編成の多い名古屋局管内の165系とは組成の見栄えが異なり、3両ユニットを3本つなぎあわせてサロを挟む標準的で美しい編成でした。新潟の165系も名古屋では異彩を放っていたことでしょう。

1985年3月ダイヤ改正で、中央西線の定期急行列車は【ちくま】を除いて廃止。せっかく165系化された【赤倉】も短命に終わりました(→長野で系統分割。長野以南は特急【しなの】、以北は急行【南越後】として残る。のちのJR誕生後、再び【赤倉】を名乗るようになるが、1997年廃止)。

季節列車の【ちくま2・3号】【くろよん】のみが電車急行として残ります。国鉄最後の1986年11月改正では臨時列車に格下げとなるが、JR以降も2000年まで運行を継続します。関西~信州方面への臨時列車やスキー列車はJR西日本所属の気動車や客車を総動員して北陸本線~大糸北線・信越本線経由がメインルートとなり、伝統的でせっかく需要の大きいはずの名古屋経由は先細りの観がありました。臨時【ちくま】【くろよん】用の車両もJR西日本所属となり、晩年は宮原の165・167系に代わって紀勢本線ローカル用の日根野車に白羽の矢が立ちました。興味深いことに日根野の165系は松本からの転属であり、国鉄時代末期まで主に中央東線の【アルプス】に使用されていました。

JR発足後、中津川ー塩尻・松本間ローカルは急行形電車の独壇場だった時期もありました。JR東海神領区の国鉄急行色165系に混じって、JR東日本松本区の169系も運用に加わりました。現在、同区間におけるJR東日本担当分には211系が充当され、ロングシートの確率が高くなっています。