国鉄時代、関西圏の電車急行は首都圏や中京圏に比べて少なかったという印象があります。

ただ、東海道新幹線開通(1964年)および山陽新幹線全通(1975年)以前は、東海道・山陽本線にさまざまな電車急行が行き交っていました。また、大阪発着・北陸本線への電車急行もありました。

ここでは、国鉄末期(主に1980年以降)の関西圏の電車急行について書いてみたいと思います。

山陽新幹線岡山開通(1972年)の時、山陽筋の急行で使用された153・165系は余剰となり、京阪神地区(東海道・山陽本線)の新快速に転用され、専用の新しいカラー(「ブルーライナー」)が配されました。このカラーは阪和線の113系にも採用されました。料金不要の新快速に急行型電車が使用されるのは破格のサービスと言えるが、競合する私鉄の無料特急(京阪・阪急)に比べてサービス水準は見劣りし、私鉄並みのサービス水準を満たす専用車両が求められていました。そこで登場したのは2ドア・転換クロスシートの117系。「近郊型」電車でありながら、急行ばかりか特急並みのスピード感と快適な車内空間が好評を博しました。新快速電車は1980年夏までに117系に置き換えられ、153・165系は名古屋地区へ転属となりました。

1980年10月ダイヤ改正前の関西圏の電車急行は、

【比叡】(名古屋-大阪)            2往復 (153・165系)
【鷲羽】(新大阪-宇野)            1往復 (153・165系)
【ちくま】(大阪-長野)(季節列車)      1往復 (165・167系)
【立山】(大阪-富山・糸魚川ほか、湖西線経由) 3往復 (455・475系)
【ゆのくに】(大阪-金沢、米原経由)      1往復 (455・475系)


がありました。

1980年10月ダイヤ改正で【鷲羽】は廃止、【比叡】は1往復に減便。改正前は【比叡】【鷲羽】は宮原区の車両で共通運用だったが、改正後、【比叡】は大垣区に移管と同時にグリーン車(サロ)連結は廃止。【ちくま】は夜行の定期列車(客車)に加え、季節列車が電車で運行されていました。なお、季節【ちくま】には大糸線直通の臨時列車【くろよん】と併結される日もありました。

宮原に所属していた新快速用の153・165系が置き換えらるタイミングで、同区の急行型電車は大幅に整理縮小された格好でした。

1982年11月ダイヤ改正(上越新幹線開通)では、大阪~北陸筋の電車急行は夜行【立山】1往復を残して全廃。夜行【立山】は583系寝台電車に置き換えられ、交直流両用急行型電車が京阪神地区から姿を消すことになりました(→大半は北陸本線ローカル用に転用)。北陸本線米原口で辛うじて【くずりゅう】1往復だけが残りましたが、1985年3月ダイヤ改正で廃止。

そして、1984年2月ダイヤ改正で、【比叡】も廃止され、京阪神地区から定期の正真正銘の電車急行が消滅しました。末期の【比叡】は、朝の名古屋発は、新幹線の通らない岐阜や大垣をカバーし、京都への観光利用もあって利用状況は堅調だった反面、折り返し昼前の大阪発は時間帯が悪いためか空気輸送のようでした。関西本線・草津線経由の気動車急行【平安】(名古屋-京都)よりも先に廃止されたのは意外でした。【平安】は復路・名古屋行きの時間帯も悪くなく、京都発夕方16時台の発車で観光・行楽帰りには利用しやすかったのでしょう。名古屋-京都間は関西本線・草津線経由のほうが距離が短い分、運賃も安いです。

以降、大阪発急行型車両使用の電車急行としては、臨時・季節の【ちくま】【くろよん】のみとなります。

1985年3月ダイヤ改正では、客車使用の夜行急行【きたぐに】(大阪-新潟、米原から北陸本線経由)が583系電車に置き換えられ、2012年までそのまま継続します。

1986年夏、阪和線・紀勢本線の臨時【きのくに】に初めて急行型電車が使用されます。【きのくに】はほぼ架線下の気動車急行として1985年3月まで運行され、廃止後は客車(EL牽引)の臨時便が細々と設定されてきました。電車【きのくに】用には宮原区165・167系が日根野に貸し出されました。国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正で、中央東線【アルプス】の廃止で余剰となる165系が紀勢本線ローカルに転用されることが決まり、その「慣らし」を兼ねたものとも言えるでしょう。