1990年前後、こと平成初期の頃の京都駅前から発車するバスについて、京阪バス・近鉄バス(近畿日本鉄道自動車部)を中心に思いつくままに書いてみました。
当時、京都駅烏丸口に乗り入れるバスのうち、JRを除く民営路線バスは西側の京都中央郵便局前からの発車でした。のりばは大きく
1)京都交通(桂・洛西・亀岡方面)、丹海バス(丹後・間人行き)
2)京都バス(嵯峨野・嵐山方面 / 岩倉・大原・比叡山方面)
3)京阪バス・京阪宇治交通・近鉄バス・奈良交通(向島・宇治・奈良方面 / 浜大津・比叡山方面)
に分けられていたと思います。
京都交通は、京阪バスグループの京阪京都交通に生まれ変わり現在に至ります。近鉄バスや奈良交通が京都駅前から軒並み撤退して20年以上経過し、京都駅に乗り入れる民営バス一般路線は西日本JRバスと丹海を除き、全て京阪グループになるとは思いもよりませんでした。
京都駅での京阪バスといえば、定期観光バスや高速バス(北陸方面)のほうが存在感があり、一般路線は本数は少なかったです。
京都駅発着の面白い長距離路線といえば、京都奈良線でしょう。当時、京都駅と奈良を結ぶ路線が京阪・近鉄・奈良交の3社共同で運行されていました。近鉄が一番本数が多く、奈良交も大和八木行きのロングランが1往復だけありました。奈良側の折り返し場所は京阪と近鉄で異なっており、後者は近鉄バス奈良営業所前(大安寺)でした(「大安」といえば京つけもの店を連想してしまうが)。近鉄バスについては、向島や大久保までの区間便も設定されていました。運用車両は京阪(【2】号経路、山科営業所管轄)は三菱エアロミディ、近鉄・奈良交は日野(RE・RC・RJほか)。京阪便の1985年以前は洛南営業所の管轄で、朝夕は大久保経由で久御山団地や京阪淀駅発着系統もありました。
奈良交・大和八木行きは1993年ごろ、奈良(大安寺)行きに短縮。京都奈良線は縮小の一途であり、1996年京阪・奈良交は廃止、近鉄も確か月1日のみに減便され、1998年運行休止に(近鉄バス奈良営業所も廃止)。京都駅~奈良間を通しての所要時間2時間近く、運賃は1,400円だったようで、これなら近鉄特急に乗るほうが早くてお得でしょう。
京都駅前には京阪宇治交通も宇治方面から乗り入れていました(確か冬季を除く休日のみ運行だった)。方向は京都奈良線と基本的に同じですが、運行経路は異なり、国道24号線(竹田街道)~六地蔵経由、途中まで市バス【81】系統とほぼ同じルートを走りました(京都奈良線は稲荷・藤ノ森を経て、墨染付近から国道24号線に入る)。宇治交の京都乗り入れは1997年ごろまでに廃止されたようです。
京阪バスは、ほかに【46】浜大津行き、【57】比叡山行きもありました。比叡山線は現在も運行中です。浜大津行きは大津営業所、比叡山線は山科営業所の管轄でした。比叡山線には当時、三菱大型Bタイプ車(路線・観光兼用車)が専属で使用されていました(現在はJ-Bus・日野KV290のBタイプを使用中)。浜大津行きは京都駅と山科区を結ぶ唯一の路線系統であるほか、四条河原町や三条京阪への穴場的路線でもありました(市バスとは対照的に空気輸送だった)。
コメント
コメント一覧 (6)
しかも大和八木からのロングランです。
あと昔近鉄奈良駅前で京阪バスを見たことがありますね。
一瞬びっくりしました。
京都~奈良を通して乗ったら1400円もかかったとは…。
奈良交の京都八木線ですが、一度だけ京都市内区間のみ乗車したことあります。とにかく古いバスが来て違和感満開でしたが(滋賀県でいえば滋賀交通のような感覚だったな)、実際乗車すると運転士さんに「どこまで行きますか」ときかれてびっくり。運転士さんもびっくりされたことでしょう。宇治川を渡って一つ目「向島」で下車しました。
あと、JR奈良駅前で京阪バスを見たことあるが、改めてびっくりしましたね。
京阪バスの奈良行きは、一度は近鉄奈良駅まで、二度目は大久保まで乗りました。書いておられる通り、山科営業所のエアロミディMK116Jでした。中学生だった1994年夏に初めて乗った時は、車内の運賃表は幕式でなく電光表示式のものに交換されていましたが、車内放送は音声合成装置ではなく、まだテープが使われていました。京都駅の烏丸口を出ると塩小路通を東進、師団街道を南下して24号線に出て、後は淡々と奈良へ向かいました。ただし、狭隘区間の藤ノ森〜最上町間は南行きと北行きとで経路が異なっていました。
乗車した二回とも乗客はゼロで、運転手から「どこまで乗るの?「と聞かれたのが記憶に残っています。
私自身は見た事がないですが、書いておられるように、昔は京都駅〜大久保〜京阪淀駅という1号経路があったようです。古い京阪時刻表によると、平日のみ、京阪淀駅発午前7時40分発と同8時20分発があったようです。
京都駅を出ると竹田街道と24号線を南下、観月橋で外環状線に入り、京阪宇治線に並走して奈良街道を宇治へ向かいました。京都駅発の場合、クローズドドア制が導入されていたこともあってか、停留所を出る度に、町並まで降車できません、というアナウンスがありました。
以下は全くの推測ですが、この41系統は宇治川ラインと共通運用を組んでいた様に思います。すなわち、宇治車庫→京都駅→太陽が丘→宇治車庫→宇治川ライン経由石山駅→宇治川ライン経由宇治車庫→太陽が丘→京都駅→宇治車庫、です。
山瀬 学さま
京阪宇治交通の京都駅乗り入れルートは、京都奈良線(京阪・近鉄・奈良交通)とは異なってて、これまた興味深いですね。やはり京都市内ではクローズドドア制が取られていたんですね。京都駅前の京阪宇治交通の正式停留所名は「国鉄京都駅前」→「JR京都」だったようです。京都駅系統と宇治川ラインで共通運用を組んでいたというのも、面白いですね。
当時の詳しい記憶のコメントありがとうございました。とても興味深く読ませていただきました。
実は私も奈良交通の大和八木行きに一度だけ乗車したことあります。奈良交通の路線バスが京都駅まで乗り入れていたこと自体、びっくりでした。実際に乗ったのは京都市内区間のみでしたが、例によって運転士に「どこまで乗るのですか?」と聞かれました。奈良交通・近鉄バスは京都市内(宇治川以北)は片方向のみの利用しかできなかったです(南行きは乗車、北行きは降車のみ)。
京阪バスの【1】京阪淀駅~大久保~京都駅系統は、私も残念ながら見たことはありません。京都奈良線の経路番号が【2】なのは、淀~大久保~京都駅があった関係と推察できます。