katamati56

国鉄末期の頃の関西本線非電化区間(主に亀山-奈良間)の気動車について、思いつくままに書いてみました。主に名古屋-亀山間電化開業の1982年前後以降の話に絞ります。 

関西本線といえば、やはり通勤型気動車キハ35系のイメージが強いでしょう。キハ35系はもともと奈良-湊町(→JR難波)間の大増発に対応して投入されるが、1973年の電化後、奈良・和歌山・三重周辺の非電化路線に幅を利かせるようになり、関西本線非電化区間も例外ではありませんでした。

関西本線(名古屋-)亀山-奈良間普通列車では、依然としてロングシートのキハ35系が主役だったが、一般型のキハ10・20系やキハ45、準急型キハ55、そして急行列車間合いでキハ58系も混用され、車両形式はバラエティに富み、賑やかで面白かったです。1979年より新系列キハ40系(キハ40-2000番台、キハ47形)が投入され、キハ10系などを置き換えます。

関西本線当該区間の気動車は、主に奈良運転所(天ナラ)と亀山機関区(天カメ)が担当。

奈良区はキハ35系の大所帯であり、キハ35系(キハ35・36形)またはキハ45形の間で基本的に2両単位を組んで、4両編成というパターンが多かったようで、奈良線・片町線と共通でした(片町線は1~2両編成)。キハ45形はキハ47形と似たスタイルで、セミクロスシートという点ではキハ35系よりマシだけど、今一つ「乗り得」な車両ではなかった印象ですね。奈良にはキハ20形も少数配置され、片町線での運用が主体的だったようだが、奈良線の【紀ノ川】間合い編成の増結にも使用されました。1981年にキハ40形が3両配置され、キハ20形は1982年までに二俣線などへ転出。今の私だったら、キハ20形を選んで乗るでしょう。 キハ35系もなかなか悪くないかも(笑)。

亀山区の分については、やはりキハ35系は比較的多数だったものの、信楽線や名松線など急勾配路線に対応して2エンジン車のキハ55形も1983年ごろまで残り、関西本線の普通列車でも時折使用されていたようです。キハ55形は1980年よりキハ58形初期車に順次置き換えられました。このほか、もともと信楽線向けに投入された2エンジン・両運転台車のキハ53形やキハ52形も少数配置(キハ53形はキハ45系の1形式、キハ52形はキハ20形の2エンジン車)。一方、1979年よりキハ40系が比較的まとまった数だけ配置され、天鉄局管内では希少のキハ47形も4両配備。気動車の顔ぶれとしては、亀山区のほうがバラエティに富んでいましたね。紀勢本線・参宮線などと共通運用でした。

このほか、急行【かすが】【紀州】の間合い運用として、和歌山機関区(天ワカ)のほか名古屋・美濃太田(名ナコ、名ミオ)のキハ58系が使用されました。和歌山区担当分は1980年3月(草津・桜井・和歌山線電化)より奈良区に移管。これに伴い奈良に初めてキロ28形も配置されるが、1982年亀山電化時に【かすが】のグリーン車連結は廃止(グリーン車連結の【かすが】は【紀州】と共通運用だった)。以降奈良区の急行運用は普通車3連を基本として【かすが】【平安】を担当することになるが、本数も減らされローカル色が濃厚に。

そして、1984年10月の奈良線電化に伴い、奈良区の気動車配置は廃止、亀山区に統合されました。急行【かすが】【平安】、および片町線の気動車は亀山区に移管。亀山区の気動車・機関車・客車は紀伊半島東部のローカル運用を広域的にカバーし、さらに参宮線の伊勢運転区を亀山に統合する計画も浮上したようです。

しかし、1987年国鉄分割民営化に伴い、亀山駅がJR東海とJR西日本の境界で分け隔てられることに決まり、亀山の車両基地はJR西日本の所管に(伊勢区はJR東海の所属となる。また亀山駅構内はJR東海の管轄)。キハ35系は国鉄の終焉とともに大半が淘汰され、急行列車廃止で余剰となるキハ58系が主体的に使用されることに。

JR発足当初、亀山区の気動車は関西本線(亀山-奈良)・信楽線・片町線を中心とする運用が組まれるが、信楽線の転換、片町線全線電化等に伴い、その後は非電化で残る亀山-加茂(-奈良)間のみの運用に限定され、ワンマン運転開始に合わせ亀山鉄道部に改組。しばらくキハ58系の2連がワンマン列車に使用されるが、ほどなくキハ120形に置き換えられ、現在に至ります。

急行列車のほうは、関西本線関連では1985年3月ダイヤ改正で【かすが】1往復と【志摩】2往復を残して廃止。【志摩】は国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正で全廃され、【かすが】1往復だけが名古屋-奈良間に細々と残るが、2006年3月に終焉を迎えました。【かすが】用の車両はJR東海(名古屋区)の所属となり、専用編成(キハ58+65)の内装グレードアップ(新幹線の回転シートを転用)も施されます。さらに1999年より快速【みえ】と同じキハ75系を導入したり、上り名古屋行きの奈良発車時刻を繰り下げるなど、思い切った改善が施されたかと思いきや、利用増には結びつかなかったようです。