1963~84年の21年間にわたり、3,447両製造された国鉄103系通勤型電車。

103系は山手線・京浜東北線・大阪環状線をはじめ、首都圏・関西圏のいわゆる「国電」区間各線(一部は名古屋・仙台などにも)に大量投入され、昭和の「国電」の象徴でした。国鉄からJRに変わり、103系の大半はJR東日本またはJR西日本に継承されました。

さて、103系の1両である「クモハ103-48」。JR西日本の所属となりましたが、この1両は波乱に満ちた遍歴でした。

1966年(昭和41年)川崎重工で産声を上げ、浦和電車区に配属。京浜東北線で活躍開始しました。その後、横浜線の蒲田電車区を経て、1978年には首都圏を離れ、阪和線の鳳電車区(→日根野電車区)に転属。

以降、1988年までの10年間、阪和線で活躍を続け、そのままJR西日本に継承。国鉄時代は非冷房車のままで存置されました。その後、奈良に転じて関西本線(大和路線)の運用をこなすも、1年後には片町線(学研都市線)全線電化用に電気連結器取り付け&冷房化(WAU102形分散クーラー)の改造が施され、車番も「クモハ103-5001」に変更。淀川電車区に転属となり、青色からオレンジに塗装変更されました(京浜東北線~阪和線~大和路線時代まで一貫して青色だった。大和路線用は本来黄緑色だが、阪和線時代の塗装のまま存置)。

しかし、片町線での活躍も長くはなく、新型車両207系の投入に伴い、玉突きとなって1993年広島へ流転。電気連結器取り外しと同時に、車番も元の「クモハ103-48」に戻されました。

広島地区の山陽本線・呉線などでは1992年より学研都市線で余剰となった103系の運用開始となり、当地の115系と同じ「瀬戸内色」に変更。広島地区の103系は115系に混じって長距離列車に入ることも珍しくなかったが、やはりトイレ無し・ロングシートは不評のようでした。

末期は

[クハ103-86] ー[モハ102-145]ー[クモハ103-48]

の編成を組み、呉線快速のワンマン運転に対応してワンマン化改造が施されました。

その後、地域単色カラー化に伴い、2012年には新・「瀬戸内色」である黄色(「末期色」とも呼ばれる)に塗装変更(総武・中央線各駅停車や南武線を彷彿とさせる姿だが)。3年後の2015年、227系の登場により、ついに引退。49年間にわたる波瀾万丈の生涯を閉じました。

クモハ103-48は103系初期タイプにもかかわらず、側面窓がユニットサッシ化されており、異端づくめでしたね。本来の用途である首都圏・関西圏各線での活躍も意外に短く、一度改番を受けながら元の番号に戻され、最終の広島時代が一番長く、またWAU102形冷房車にしてかなり生きながらるなど、ネタ要素の詰まった興味深い車両と言えます。