1992年ごろの京都市内のバスについて、思いつくままに書いてみました。

当時、私は京都市バス【81】系統(伏見線)に乗車することが多かったです。【81】系統は京都市電伏見線を受け継いだもので、伏見区有数のドル箱路線です。丹波橋での京阪・近鉄乗り換えの煩わしさを避けるべく、中書島から京都駅前まで乗ってみたり、あるいは八条口のアバンティ6階大型書店に寄った帰り、【81】系統で中書島までワープということも(アバンティは近鉄・JR京都駅からかなり距離がある)。【81】系統の車両は西工+三菱ふそう(MP)が多く、53MC(通称・ハンペン)もまだまだ沢山残っていました。京阪中書島駅の市電ホーム跡はバスのりばとして活用され、奥のターンテーブルで方向転換していました(京阪バス樟葉中書島線【52】号経路もここから発着。現在ここは自転車駐輪場になっている)。

【206】系統(東山~北大路~千本通循環)にもよく乗りました。ある目的で基本的に京都駅前から東山通を経て百万遍までの利用だったが、暇つぶしに一周してしまうこともあったと思います。【206】系統は西工+日産ディーゼルという癖のある車両が多かったです。京都駅前~百万遍間では河原町通経由の【17】系統を利用することもありました(【17】系統のほうが早いです)。一度だけ、京阪バス比叡山線【7】号経路に乗ったこともあります(ブルドックBタイプ車で、混雑しやすい市バスと違う特別感があった)。

このほか、京都駅八条口(アバンティ前)から【71】系統(九条通経由)で四条大宮へ抜けてみたり、北大路BTから京都国際会館まで【北ブロック】系統(番号は忘れた。当時地下鉄国際会館駅は未開業)、京都駅前から大宮五条までのわずかな区間だけ洛西【73】系統、・・・。

民営バスについて、京阪バス京都奈良線【2】号経路に乗りそびれる痛い思い出があります。ある日の夕方、向島NTから京都駅まで乗ろうと待ったものの、渋滞ゆえなのかなかなか来る気配がなくて苛立ち、諦めました。長距離路線ゆえ渋滞による遅延は日常茶飯事なので、それで怒っていては大人じゃないですね(苦笑)。ただバスに乗ってしまえば、渋滞遅延はむしろ睡眠時間に利用できるので有難いのですが(どうしても急いでいるときは困りますが)・・・。

1992年当時の京都周辺のバスの見どころとしては、

JR長岡京駅のターンテーブル(阪急バス)
JRバス高雄京北線の【富士重3E+三菱】【日野車体+いすゞ】
京都駅発能勢妙見山行き、祇園ターミナル(京都交通)
大和八木行き(奈良交通)
三条京阪発信楽行き(帝産湖南交通)

などが挙げられます。

当時、京都駅前の近鉄百貨店(旧・丸物)にもよくふらふら立ち寄ることもありました。確かレストランフロアのカレー店で遅い昼食をとった記憶があります。そこの女性店員の接客はどうも冷たかったようで、残念ながらあまり良い印象は持てませんでした。しかし、これも私自身の不徳ゆえでしょう。今更ながら反省しています。