少し昔のバス乗り継ぎの旅について書き綴ってみたくなった。
今日は1996年秋の江坂から交野までバス乗り継ぎについて書くことにする。

ある夕方、江坂での用が済んでバスに乗り継いで帰ってみようと思い立った。
このときに乗車した路線系統の多くは、その後廃止されてしまっている。

まず、阪急バスのJR吹田行きに乗る。当時、江坂界隈を走る阪急バスといえば、吹田営業所のみに配置されていた狭隘路線用の日野ブルーリボン短尺車(P-RK172B)を思い出す。当時の阪急バスは西工58MC+三菱ふそうが標準スタイルだったゆえ、この日野車は異色の存在だった。途中、垂水、豊野を経由し、吹田市役所前(阪急吹田駅)からJR吹田に至る。

吹田から守口方面へ京阪バスに乗り換えるわけだが、今回は吹田八尾線の【52】号経路(廃止)に乗る。吹田から守口へは上新庄・土居経由の【9A】号経路が今も40分間隔で運転されている。【52】号経路は【9A】号とは経路が大きく異なり、摂津市役所を回って中央環状線に入り、鳥飼大橋を渡って大日交差点を右折、パナソニック前を経て守口市駅に到着する。【52】号経路は阪急バスとの共同運行だった。つまり、阪急バスも京阪守口市駅まで乗り入れていたわけだ。かつては国鉄・京阪・阪急・近鉄4社の共同運行だった吹田八尾線だが、渋滞の影響を受けやすくて利用客は減り続け、大阪モノレール門真市開業の時に完全休止(全廃)される。

守口市駅からの経路はどうしようか少し迷ったが、【24】号・清滝団地行きが止まっていたので、それに乗る。西三荘駅前、京阪門真市駅、京阪大和田駅から巣本、四条畷小学校前などを経て、生駒山系麓の清滝団地までの少し長距離な路線系統だが、2008年秋に京阪大和田駅以西への直通が廃止される。平日ダイヤの朝夕のみの運転で、主にパナソニック工場への通勤客を意識して設定されていたものだろう。パナソニック城下町の守口・門真は三洋電機とともに栄えてきたが、パナソニックの完全子会社となってしまい、往年に比べて活気がなくなっているように思う。また、京阪大和田駅からは清滝峠を越えて田原台、磐船街道を大回りして京阪交野市駅までの【18】号経路も発着していたが、これも1997年8月の地下鉄門真南開業に合わせたダイヤ改正で廃止される(以降、交野~田原台1丁目間に短縮)。

終点・清滝団地で下車して、大阪平野の夜景を眺めながら麓の坂道を降り、忍ヶ丘駅前まで徒歩。
忍ヶ丘駅は四條畷市唯一の鉄道駅であり、「四条畷」駅は大東市に所在していることは有名だ。
忍ヶ丘駅で少し時間をつぶし、【45】号・京阪交野市駅行きを待つ。【45】号経路(当時)は、星田線【43】号<枚方市駅~四条畷駅>の区間系統で、いずれも廃止された。

【52】・【24】号経路は門真営業所、【45】号経路は交野営業所の担当だった。