JR学研都市線(片町線)の京都府内は、周辺の他の鉄道線に比べてある意味贅沢なローカル線だと言える。
京都府下の学研都市線(長尾-木津間)は1989年までは非電化で気動車2両が1~2時間に1本行き来していた。電化後、片町(廃止)・京橋方面からの直通電車が終日運用されるようになる。基本的に快速電車だが、長尾以東は各駅停車。初めは103系を改造して3~4両運転をすることで対応していたが、JR東西線(尼崎-京橋)開業を前に207系が作られて学研都市線の103系を全て置き換えてしまう。1997年のJR東西線開通後、学研都市線の電車は終日宝塚・神戸方面へ直通するようになり列車本数も大幅に増えるが、松井山手以東は7両から4両に切り離されて運用する。その後、2002年には京田辺駅まで7両編成の電車が乗り入れるようになる(ただし松井山手以東は単線のまま)。
このとき、次の同志社前まで行く電車が一つ手前の京田辺駅での増解結のために所要時間がかかる、という非効率性が問題視されるようになる。せめて同志社前までは7両運転が望まれていたが、2010年に木津駅まで7両編成で運用されることになった(207・321系が共通で運用)。
京都府下の学研都市線は、周辺の他路線に比べて電車の編成だけは長い7両編成となる。
一方、並行する近鉄京都線はもともと学研都市線には本数・スピードで圧勝しているが、電車は6両編成が最高だ。それでも、近鉄のほうは奈良・橿原神宮前・賢島への特急があり、伊勢志摩ライナーやしまかぜも来るし、京都市営地下鉄烏丸線も乗り入れてくる、そして時には5200系やあおぞらなどの団体臨時列車も姿を見せ、やはり賑やかだ。大和西大寺まで行けば、阪神電車も終日やってくるので、さらに活気がある。
木津駅で接続する奈良線、大和路線(関西本線)はどうか。
奈良線(京都-奈良)も電車の編成は最高6両(221系、103系)だが、「みやこ路快速」および普通電車が毎時2本ずつ運転されており、近年外国人観光客も多く見られ、学研都市線よりも賑わっているように感じる。さらに複線化工事も進む。
大和路線(加茂-JR難波)のほうは、快速電車は最大8両編成(221系、103・201系)で運転されるが、加茂-木津間は毎時2本で少ない。しかし、行楽シーズンの休日は、加茂以東の非電化区間へ乗り継ぐ行楽客(笠置、伊賀上野方面)も多く、1~2両の気動車は満員となる。
こう見ていくと、207・321系で統一された学研都市線は、近未来都市のイメージを与えながら、ローカル線の雰囲気が随所に垣間見られるという、違和感いっぱいの空間と言うか・・・。近年、四条畷以東の列車本数が減らされ、昼間時間帯は宝塚方面への直通がなくなったりして、学研都市線は再び寂れてきているようにも感じる。
京都府下の学研都市線(長尾-木津間)は1989年までは非電化で気動車2両が1~2時間に1本行き来していた。電化後、片町(廃止)・京橋方面からの直通電車が終日運用されるようになる。基本的に快速電車だが、長尾以東は各駅停車。初めは103系を改造して3~4両運転をすることで対応していたが、JR東西線(尼崎-京橋)開業を前に207系が作られて学研都市線の103系を全て置き換えてしまう。1997年のJR東西線開通後、学研都市線の電車は終日宝塚・神戸方面へ直通するようになり列車本数も大幅に増えるが、松井山手以東は7両から4両に切り離されて運用する。その後、2002年には京田辺駅まで7両編成の電車が乗り入れるようになる(ただし松井山手以東は単線のまま)。
このとき、次の同志社前まで行く電車が一つ手前の京田辺駅での増解結のために所要時間がかかる、という非効率性が問題視されるようになる。せめて同志社前までは7両運転が望まれていたが、2010年に木津駅まで7両編成で運用されることになった(207・321系が共通で運用)。
京都府下の学研都市線は、周辺の他路線に比べて電車の編成だけは長い7両編成となる。
一方、並行する近鉄京都線はもともと学研都市線には本数・スピードで圧勝しているが、電車は6両編成が最高だ。それでも、近鉄のほうは奈良・橿原神宮前・賢島への特急があり、伊勢志摩ライナーやしまかぜも来るし、京都市営地下鉄烏丸線も乗り入れてくる、そして時には5200系やあおぞらなどの団体臨時列車も姿を見せ、やはり賑やかだ。大和西大寺まで行けば、阪神電車も終日やってくるので、さらに活気がある。
木津駅で接続する奈良線、大和路線(関西本線)はどうか。
奈良線(京都-奈良)も電車の編成は最高6両(221系、103系)だが、「みやこ路快速」および普通電車が毎時2本ずつ運転されており、近年外国人観光客も多く見られ、学研都市線よりも賑わっているように感じる。さらに複線化工事も進む。
大和路線(加茂-JR難波)のほうは、快速電車は最大8両編成(221系、103・201系)で運転されるが、加茂-木津間は毎時2本で少ない。しかし、行楽シーズンの休日は、加茂以東の非電化区間へ乗り継ぐ行楽客(笠置、伊賀上野方面)も多く、1~2両の気動車は満員となる。
こう見ていくと、207・321系で統一された学研都市線は、近未来都市のイメージを与えながら、ローカル線の雰囲気が随所に垣間見られるという、違和感いっぱいの空間と言うか・・・。近年、四条畷以東の列車本数が減らされ、昼間時間帯は宝塚方面への直通がなくなったりして、学研都市線は再び寂れてきているようにも感じる。
コメント
コメント一覧 (4)
お店もどんどんできていますね。(ちょっと離れていますがコストコもありますし)。
第2京阪が出来てから、枚方側の津田、藤阪、長尾近辺の人の買い物はまず、松井山手に行く感じですよ。電車本数が減りましたが、実質的には何も変わっていませんね。松井山手や長尾から普通に乗って京橋方面に向かっても、快速乗り継ぎが必要ですので、普通に乗る選択肢は無かったです。(実質15分間隔と思っていました。)よって適正な本数削減に見えます。もちろん、星田‐四条畷間の普通のみ停車駅近隣の方は不便になったのは理解していますが、止むを得ないかなーと感じてしまいます。
松井山手は京田辺市の中心というよりも、枚方市のような感じですね。長尾の辺りもかなり風景が変わってきています。
学研都市線の昼間の本数半減についてですが、確かに適正化したとは言えますが、本数が減らされる→沿線の活性化が止まる、というイメージダウンが心配です。駅前に乗り入れるバスの本数も減らされるし、大学キャンパスの撤退も取り沙汰されるし、これは枚方市東部だけに限ったことではなく、都心回帰と郊外の衰退につながる話でしょう。
それから、車でイオンモール久御山や四條畷へ行く枚方市東部の住民も少なくないと思います。奥のほうの氷室台・尊延寺・穂谷になると、京田辺市や学研都市(イオンモール高の原)へ買い物に行くのが一般的のようです。
開業の遅れの原因となった海老江の出水もなく予定通り1994年度末開業となっていただろう(開業直前に阪神淡路大震災が)。
東西線は西側の遠回りに加え剛体架線も失敗です。
剛体架線は90km/hが限界であり(横須賀総武快速線地下区間・京葉線地下区間・小田急下北沢トンネルは特急でさえ90km/h制限、阪神なんば線新線区間は臨時で神戸三宮へ乗り入れた近鉄特急も90km/hに制限された)、
シンプルカナデリーにすべきだったと思います。