先日の記事でJR東海においてキハ47は5両だけの少数派ということについてコメントした。

http://katanogawara.blog.jp/archives/6951529.html

国鉄時代、キハ40系の1形式であるキハ47は近畿以西の西日本各地に配置され、東海地方には配置されなかった(JR西日本管内の北陸地方にも国鉄時代はキハ47が配置されなかった。一方、東日本でも水戸・新潟に少数だけ配置)。しかし、実は国鉄時代にも名古屋駅まで定期列車としてキハ47が乗り入れていたことはある。それは亀山機関区(天カメ)配属分の4両(80、81、1053、1054)で、関西本線電化前(1982年5月)のことだ。名古屋-奈良間直通の普通列車などで運用されることが多かったようだ。

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名古屋駅で発車を待つ奈良行き普通列車キハ47ほか
(「’80年代鉄道写真館」より拝借)


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名古屋駅ホームに停車中の普通奈良行きキハ47 所属表記「天カメ」が見える
(DEJI@気動車ファンのページより拝借)

関西本線名古屋-亀山間の気動車普通列車は奈良・亀山区のほか、美濃太田(名ミオ)もアルバイトに入り、このあたりでは見慣れなかったキハ48も姿を見せていた(1980年以前は、殿様「紀州」の間合いで天ワカの58系もあったが、天ナラに移管)。

キハ35系およびキハ45のイメージの強い天王寺鉄道管理局管内だけあって、キハ47が配置されたことは少し意外な感じもする(両運転台のキハ40 2000番台は亀山・伊勢にかなりの数が配置されたが)。ただ、国鉄末期を迎えた1985年、豊岡・米子からキハ47が新たに6両亀山に転入してきた。豊岡からの分の4両(3、4、1109、1110)は翌年伊勢に転属しJR東海所属となる(このほか1両1027号が福知山から伊勢に転入)。他はJR西日本に継承、1989年の学研都市線(片町線)電化までは亀山区で引き続き活躍したが、その後山陰・中国山地など各地へ散らばって行った。