カテゴリ: 京都京阪バス / 京阪宇治交通懐古


京都市内から宇治方面への道路といえば、国道24号線、または府道7号線がメインルートだろう。
第二京阪(油小路通)経由久御山町から宇治市へ抜けることも可能だ。

しかし、メインルートは渋滞しやすく、あまり走りやすいとは言えない。
特に府道7号の六地蔵付近は大型商業施設が集積しているため、渋滞が発生しやすい。

宇治へは宇治川左岸の築堤を通る府道241号<向島宇治線>が快適な抜け道としておススメ。
観月橋南詰を左折し、そのまま道なりに進むと、宇治橋西詰に至る。
交通量が少ないため、途中信号は1箇所しかなく、心地良い川の風を浴びながらの走行は何よりだ。
JR奈良線の踏切を跨いで宇治橋西詰に到達する。

宇治から城陽市へは、府道15号線<宇治淀線>(→JR新田駅踏切付近で渋滞)よりも、琵琶台・宇治市植物公園・立命館宇治高へ回るほうがよいだろう。

そういえば、宇治川花火大会は2014年の台風で中止になって以来、去年まで河川水没などによる安全確保を理由に中止が続いていたが、今年は3年ぶりに再開する見通しがついたそうだ。開催日程は従来の8月10日よりも早めて8月5日ごろの方向で進んでいるらしい。

折りしも2013年の福知山花火大会では爆発事故で死傷者が出たため無期限休止となり、京都府下の大規模な花火大会が消えて意気消沈としていたが、今年の宇治川の再開に期待したい。


八幡市・八寿園福祉バス廃止で、京阪バスではレアな富士重8Eの特定専用車W-5003の動きが注目されていましたが、京都京阪バスに移籍(→0478)しました。

先月末の新名神(城陽-京田辺八幡間)開通のイベント輸送で元気に活躍していたそうです。

八幡市 八寿園福祉バス廃止
http://katanogawara.blog.jp/archives/16944339.html


今度3月18日のダイヤ改正で大幅減便される京阪バス(旧・京阪宇治交通)八幡田辺線【75C】号経路。

運行経路は

京阪八幡~八幡小学校前~小西~川口~下奈良~上奈良~上津屋流れ橋~岩田南~池嶋~大住浜~中島橋(田辺北IC)~三野~健康村~一休寺道~田辺本町~JR京田辺~近鉄新田辺

で、木津川に沿う形で京都府道22号線をほぼひたすら走行し、川口の梨農園や上津屋の流れ橋へは便利だ。また、八幡市と京田辺市の境界にあたる岩田南~大住浜(田辺北IC)付近には四国乳業や明治乳業の工場が立地しており、工場通勤者の足としての役割を担っている。

今度のダイヤ改正では朝と夕方のみに大幅減便され、昼間時間帯は【76】・<八幡~岩田南>に短縮される。これにより、池嶋・大住浜・中島橋のバス停に発着する便は激減し、昼間時間帯の発着はゼロに。合わせて、岩田・内里循環【73A】【73C】も朝と夜のみの運転に大減便。

八幡と新田辺方面を直通する系統については、基本的に内里・大住経由の【74A】【74B】号経路を利用することになる。【75C】を減便する代わりに【74A】【74B】号経路は現行80分間隔のところを60分間隔に増便される。

八幡市岩田は「岩田帯」で知られる。
岩田帯は安産を願って妊婦がお腹に巻く布のこと。
昔、岩田は綿の産地であり、急に産気づいたお姫様が岩田の綿を敷き詰めて寝かせ、無事に元気な赤ちゃんが生まれた逸話に由来するそうだ。


2月25日の京阪電車ダイヤ改正に合わせ、京都京阪バスのダイヤ改正が実施されました。

公式ホームページに発表されているダイヤ改正の詳細は、以下のpdfファイルの通りです。
http://www.kyotokeihanbus.jp/00news/topics2017/0225kaitei.pdf

今回のダイヤ改正では、宇治田原方面への路線系統の本数が大幅に削減されています。
特に京阪宇治~宇治田原系統(【180】号経路ほか)は昼間時間帯の運転本数が毎時30分→60分に半減。
新田辺~宇治田原系統(【62】【62B】【62C】)も一部の時間帯で減便されています。

他の各路線系統でも一部減便および運行区間の見直しが実施されています。
今回廃止された路線系統は、【22A】号・<久御山団地~京阪宇治>のみですが、全体的に減便の印象が強いのは否めません。

一方、深夜時間帯にイオン久御山→中書島間の直通系統(【25】号)が新設されました。



旧・京阪宇治交通(→現・京都京阪バス)から受け継いだ京阪バス男山営業所。

男山営業所は1974年(昭和49年)、八幡市男山団地内に設置される。

当時、大阪市内側からみて鬼門とされていたため、発展の遅れていた京阪沿線(特に寝屋川・枚方市)の人口が急増、これまで寒村だったくずは(漢字表記は樟葉または楠葉)・男山地区(枚方市と八幡市にまたがる大阪・京都府県境付近)において、京阪電鉄および住宅公団などによる大規模宅地・団地造成(くずはローズタウン、男山団地、ほか)と新しい街づくりの官民プロジェクトが成し遂げられる(千里や泉北NTほどの規模ではないが)。京阪樟葉駅はその表玄関として大規模改築がなされ、急行停車駅となり(→現在は特急が停車)、バスターミナルおよびショッピングセンター(くずはモール)を併設、一つの大きな街に生まれ変わる。

従来、京都府南部の宇治市~宇治田原方面地域輸送を担ってきた京阪宇治交通バスはローカル色が強かったが、新たにドル箱路線が見込まれる枚方市くずは地区への進出を果たす。くずは~男山団地~八幡市内および八幡田辺線輸送の拠点として、男山営業所が設置される(くずは地区路線設定の当初、宇治営業所が担当)。その後、宇治市にあった京阪宇治交通本社は枚方市楠葉朝日に移転する(1980年)。

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京阪宇治交通男山営業所に配置された初期冷房車(画像は拝借)

男山営業所の運用範囲も、1980年代までは樟葉を中心とする枚方市北部(くずは・船橋・家具団地)および男山団地・八幡市・京田辺市のほか、山城大橋以東の城陽市や宇治田原方面をもカバーしていた。特徴的な路線系統として、【17】・<くずは~宇治車庫>などがあり、久御山町・宇治市への長距離路線だった。【17】号はもともと宇治営業所からくずは地区路線への送り込みを兼ねて設定されたものと思われるが(ほかにくずは・男山団地から久御山町の工場通勤利用なども見込まれた)、のちにくずはの本社から宇治営業所に社内書類等を送り込むための便として活用されるようになる(京阪バスへの合併の翌年、2007年に廃止)。

田辺営業所(現・京阪バス京田辺営業所)設置(1989年)以前、近鉄新田辺を拠点とする京田辺方面の路線系統の大半は男山営業所が受け持っていた。新田辺から東へ山城大橋を渡って城陽市および宇治田原方面、国道307号西方向へ枚方市(尊延寺→大阪府最東端にあたる)との府県境手前の河内峠、さらに近鉄大久保(宇治市)から城陽・宇治田原方面路線などの運用もこなす。

1980年代後半から90年代以降になって、京田辺市北西部の松井地区に大規模住宅開発(京阪東ローズタウン)・街開きプロジェクトが進行する。1989年春、JR学研都市線(片町線)全線電化と松井山手駅が開業する(松井山手駅の設置費用は京阪が全額負担)。これに合わせ、京田辺市内のバス路線再編を見越し、さらに老舗の宇治営業所(2015年廃止→京都京阪バス八幡営業所に移転)が手狭になったこともあって、京田辺市草内(山城大橋手前)に前述の田辺営業所が開設される。営業所開設以前から、草内はバス転回場として活用されていたようだ。

その後、松井山手の街開きに合わせてメインストリート・「山手幹線」が部分開通する(将来的に八幡市橋本・男山と精華町の学研都市を一本で結ぶ計画で、半分以上完成しているが・・・)。1992年9月、山手幹線の部分開通などを機に路線再編とダイヤ改正が実施され、【67D】号・<くずは~松井山手駅~新田辺>系統などを新設すると同時に、新田辺・大久保~城陽・宇治田原方面路線は田辺営業所に移管された(現在、京都京阪バスが運用担当)。同改正で、京阪バスも出屋敷線の枚方市駅北口~長尾駅~松井山手系統を新設(枚方営業所)、初めて松井山手への進出を果たす(→現在、松井山手からのバスは全て京阪バス)。


香川県のコトデンバスに移籍した京阪宇治交通の三菱ブルドック(K-MP118N)。

1998年、高松市内で見かけた記憶がある。後の窓と方向幕の部分が特徴的(京阪バスも同様)で、後の扉が折戸であることから、これは京阪宇治交通から移籍したものと判別できた。
宇治交に在籍していたブルドックは、長尺(MP118N)と標準尺(MP118M)があり、長尺は男山営業所の単区間車(くずは・男山地区均一運賃専用)として使用されていた。宇治交ブルドックはコトデンバスのほか、長野県の川中島バスにも移籍した。コトデンに移籍した分は確か2003年ごろまで現役だったような・・・。

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(「バスフォトコレクション」さまより画像拝借)


ちなみに、同じ香川県内の琴参バスには京阪バスの三菱MP-117(呉羽車体)が移籍してきたようだ。琴参バスは確か近鉄資本のつながりが強く、日野車というイメージが強いが、なぜか京阪中古の三菱ふそうが転入。






京阪バス寝屋川営業所管内のダイヤ改正に関する記事で盛り上がっていたが、久しぶりにくずは・男山地区の路線についてレポートする。さっそく、山手線【16】号経路について書いてみる。

樟葉駅から松井山手方面へは【31】【67D】号経路が主幹系統扱いとなっているが、かつては【16】号経路(および派生の【16A】~【16C】)のほうが多かった。この【16】号経路の運行経路が少し面白く、

樟葉駅~中央センター~大芝~水柏~金右衛門口~美濃山口~松井~大住~大住ヶ丘北~大住ヶ丘~虚空蔵谷(ごくぞうだに)~松井山手駅

で、松井山手駅へは【31】【67D】よりも遠回りの経路となっている。松井山手駅から【16】号経路くずは行きに乗車するとき、【31】【67D】とのりばが異なるので注意(全く方向のちがう新田辺行きと同じのりばなので、乗り間違いが起こりやすい)。松井山手からきんめい台・本郷を回って(【67D】号と同じ経路で)樟葉駅へ戻る循環【16B】、および逆回りの【16C】もあるので、ややこしい。なお、【16A】は樟葉駅~松井山手間の運転だが、【16】とは異なって本郷経由なので(すなわち【67D】の区間系統)、これまた注意が必要だ。

運行ダイヤは昼間時間帯は2時間に1本の運転であり、朝と夕方など一部の時間帯では循環【16B】【16C】も運転される。対キロ区間運賃にまたがるため、整理券番号はどんどん膨れ上がり、循環系統では終点・樟葉駅までに券番号20を超える(車内の運賃表示機でその様子を観察してみるのも面白い)。

主に男山営業所の担当だが、一部の便は京田辺営業所も担当している。



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2009年撮影。
新エアロスター投入前でした。

高槻市営バスの三菱エアロスターといえば、1997年、それまで西工(いすゞ、日野)ばかりだったところに突如デビューして驚いたことを記憶しています。
デビュー当初は方向幕でしたが、行先表示機はのちにLED化改造されました。
先代エアロスターは2011年までに引退し、一部は京都京阪バスに移籍しました。


かつて、枚方市駅から新田辺まで直通する長距離のバス(枚方尊延寺線【12】号経路)があった。
運行経路は、

枚方市駅南口~池之宮~四辻~津田(現・津田西町)~津田病院前~杉~尊延寺~穂谷口~穂谷~穂谷口~天王~馬廻~河内峠~茂ヶ谷~田辺本町~新田辺

で、国道307号をほぼひたすら走行(現在、バイパス開通で国道指定から外れた区間も多い)、1日3往復だったが1992年廃止された。途中、穂谷と天王には必ず立ち寄り、加えて津田駅を経由する便もあった。枚方市駅~新田辺の全区間を通して乗車する客はもちろん少なかったが、1984年穂谷に関西外大キャンパスが開校して以来、新田辺~穂谷外大間の学生利用客が増え、新田辺からの直行バスを運行開始する。1992年の枚方新田辺系統廃止後、新たに【16】号・<穂谷~新田辺>(現【79】【80】【81】)が毎時1本運行されるようになる。本数は増えたものの長距離直通系統がなくなったのはやはり不便だ。

枚方市駅~津田間のバスは、国道307号ではなく、並行するもう1本の道路を走行する。R307号は、かつて戦時中に片町線津田駅から中宮にある禁野火薬庫へ延びていた引込み線の跡である。戦後、二度と戦争の過ちを犯さない誓いを込めて、火薬庫跡に公団中宮住宅を建設、また中宮本町~中宮西之町までの軍用鉄道跡の一部を「中宮平和ロード」として整備される。一部の便は津田駅にも立ち寄る。津田中学校前から国道307号を走行する。杉を通ると山あいの風景に変わる。尊延寺から先、対キロ運賃区間に入るので、整理券番号が大幅に増えるようになる。穂谷口から穂谷に立ち寄る。枚方市駅から40分程度だ。その後一旦京田辺市に越境して、隠れ里の天王にも寄る。R307に戻り、馬廻(うままわり)は枚方市最東端のバス停で、ちょうどこのあたりが大阪府の最東端でもある。ちなみに、大阪府の最北端は能勢町の天王峠であるが、今ここで書くと先ほど通った京田辺市の「天王」と間違いやすいかもしれない。府県境を越えたところにある河内峠は、かつて京阪宇治交通も新田辺から乗り入れていた。この付近に甘南備山(221.0m)がある。「神南備」「神無火」などとも呼ばれる。この山を南の基点として、北の船岡山と結ぶ直線を中心軸にして、平安京が建設されたと言われている。

1970年代ごろまでは、八幡田辺線も京阪バス枚方営業所が担当、枚方尊延寺線と共通運用だったようだ(新田辺で八幡行きに変わる)。八幡田辺線はその後、京阪宇治交通に譲渡されるが、2006年の京阪バスとの合併で再び京阪バスの路線となる(ただし京田辺・男山営業所が担当)。


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伏見区の「西大手筋」バス停。
大手筋商店街西入口の前で賑わっている。商店街を真っ直ぐ東へ歩けば、京阪伏見桃山・近鉄桃山御陵前駅、御香宮へ。

「西大手筋」バス停には、京都市バス、京阪バスのほか、京都京阪バス【25】(イオンモール久御山経由近鉄大久保行き)も発着している。写真は元・高槻市営バスだった京都京阪バス8344号。京阪バスは醍醐バスTN行き【6】号と京阪淀駅・竹田駅西口行きの【24A】号が発着。かつては、ここから樟葉駅への【52】号が来ていた。


京阪バス男山営業所に配置されている緑色ブルーリボンシティ(旧・京阪宇治交通から編入)が、ここのところの新車投入で少しずつ数を減らしています。ここで、今まで撮影した緑ブルーリボンシティたちの写真をアップしてみることにしました。


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U3239(元U-2010) KL-HU2PMEE 除籍済

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U3238(元U-2009) KL-HU2PMEE 除籍済

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U3243(元U-5028) KL-HU2PMEE

P7250004
U3240(元U-2011) KL-HU2PMEE

()内の旧社番U-yxxx表記ですが、京阪宇治交通グループ時代に付与されたもので、上1桁yは年式(例・2なら2002年式)を表しています。メーカー・サイズによる区別はなく、単純に納車順に付与されていたようです。


京都市伏見区最南端の向島ニュータウン付近のバス事情について。
伏見区向島は宇治川の左岸(南側)にあたる。かつては大きな巨椋池(おぐらいけ)のあったところだが、昭和初期に干拓事業が進められ、現在は近郊農地が一面に広がる。近鉄京都線の前身・奈良電気鉄道が開通したのも、干拓事業の始まった昭和初期と比較的新しい。それまで、京都と奈良を結ぶ鉄道は、東よりへ迂回する国鉄奈良線しかなかった。

向島ニュータウンの街開きは1979年ごろであり、これに合わせて近鉄向島駅が開業する。ニュータウン内には近鉄グループのスーパー・「近商ストア」があり、バス路線は近鉄バスで、京都市バスの参入を許さず、近鉄グループの縄張りで囲い込まれる。かつて、向島NT内には、京都駅と奈良を結ぶ長距離バス(近鉄・奈良交・京阪)も乗り入れていたが、1998年までに全廃される(京阪・奈良交は1996年に廃止、1998年には近鉄バス奈良営業所も閉鎖)。向島をはじめ京都地区の路線を管轄する近鉄バス京都営業所は、以前伏見区竹田(地下鉄くいな橋駅付近)にあったが、向島に移転する。現在、向島からの近鉄バスは、ニュータウン内循環路線と<向島駅~竹田駅東口>(国道24号経由)のみで、運用車両も中型車がほとんど、往時に比べて寂しいものとなっている。かつて近鉄バスは、大阪・奈良・京都3府県で路線網が広範囲でつながっていたが、奈良県からはほぼ完全撤退、京都地区(向島)も大幅に縮小され、向島界隈の路線のみが細々と残る離れ孤島状態だ。

近鉄バスは現在、京都市バス洛西営業所の運用を委託しており、向島NTのノウハウを生かして同じ京都市内のニュータウン輸送を担っている。

向島の近く、宇治市大川原に奈良交通の京都営業所がある。奈良交通京都営業所は主に京田辺市南部および加茂駅~和束方面の路線を担当しているが、向島駅から大川原(営業所前)までの免許維持路線(毎月第二日曜日1本だけ)もある。かつては、車両送り込み目的で大川原から新田辺駅までの系統(国道24号・山城大橋経由)もあったようだが、廃止された。

近鉄バス・奈良交通のほか、京都京阪バス(旧・京阪宇治交通→京阪宇治バス)も乗り入れている。少し前まで近鉄向島から宇治市中心部(JR・京阪宇治など)へのバスが運転されていたが、現在【10】【10A】【10B】号系統・<近鉄向島~徳州会病院~近鉄小倉>が毎時1本発着するのみとなっている。イオンモール久御山、もしくは中書島・西大手筋への路線バスが欲しいところだ。例えば、

まちの駅イオンモール久御山~<府道81号>~近鉄小倉~徳州会病院~大川原~京都文教前~近鉄向島~観月橋~京阪中書島~中書島~西大手筋


なんかはどうだろうか?

<参考記事>
近鉄京都線向島駅の誕生
http://www.asahi-net.or.jp/~uk9o-tkzw/hsmukai.html

God Deer in Kasuga 向島線(→向島に乗り入れる奈良交通・近鉄バスの写真があります!)
http://www.geocities.jp/shinroku572/nako/rosen-kyoto-mukaizima.html





2年前の話になるが、久御山町にあるコカコーラ京都工場へ知人と社会科見学をしてきた。

京阪中書島駅に集合、京都京阪バス【25】号経路・近鉄大久保行きに乗車。第二京阪副道を疾走し、「まちの駅イオン久御山前」を経由、「新タマキ」で下車する。枚方・寝屋川方面からは国道1号線(枚方バイパス)でほぼ一直線のところだが、電車・バスだと遠回りとなる。少し昔なら、樟葉駅から【17】【52】号経路で久御山町まで出ていた。

久御山町は鉄道の通らない町だが、高速道のジャンクションがあり、多くの工場が立地する町ゆえ税収が多いと聞く。昭和初期まで、伏見区向島~久御山町北部にわたって広大な巨椋(おぐら)池があったが(「湖」と呼ぶほうがふさわしい規模だった)、干拓事業が進められ、近郊農業地帯が広がる。京都と奈良を結ぶJR奈良線が桃山~新田間で東寄りに大きく迂回しているのも、観光都市・宇治への利便を図ることもあろうが、巨椋池があったのが最大の理由だ。今の近鉄京都線にあたる奈良電気鉄道の開通は昭和初期と古くはない。奈良電は元々京阪資本下であり、現在の第二京阪に沿う形で伏見~東大阪~大阪を結ぶ路線を作る構想もあったようだ。

さて、コカコーラ工場の件だが、一番印象に残ったのは1960年代のCMかな・・・。「世界のお飲み物 コカコーラ」を宣伝、BGMは当時の「うたごえ喫茶」を連想させる音楽だ。



ペットボトルよりも瓶入りコーラのほうが高級感があって、氷で冷やした瓶は清涼感をいっそう引き立たせる。ペットボトルが普及したのは輸送コストを引き下げるためだが、瓶よりも安っぽく見えてしまう。そういえば、当時の国鉄の車両(165・455系電車、キハ58系、ほか)には窓のテーブルの下に「センヌキ」があった。今年岡山で登場したキハ47の観光列車「ノスタルジー」は、昭和のローカル用気動車の雰囲気に改造され、テーブルとセンヌキも特別に取り付けられ、津山線を中心に運用されている。これに合わせて岡山駅・津山駅ホームには瓶ジュースの自販機も特設されている。


樟葉駅と近鉄新田辺を結ぶ路線系統が設定されたのは、それほど古い時代ではない。

現在、本郷・山手幹線経由の【31】【67D】号経路が合わせて毎時4本運転されているが、初めて設定されたのは、

【18】 樟葉駅(くずは)~中央センター~水珀~南八幡高校(現・京都八幡高校南学舎)~美濃山口~大住~三野~田辺本町~新田辺

だった。1980年代前半ごろの運行開始、京阪宇治交通男山営業所の担当で、主に京都府立南八幡高校(現・京都八幡高校南キャンパス)通学生のために設定されたようだ。1996年4月のダイヤ改正で、樟葉駅~南八幡高校間は廃止、南八幡高校~新田辺間のみが残るが、主に近鉄京都線を利用する通学生のために残ったものだと考えられる。しかし、京都府公立高校の統廃合が進めらた影響もあって、2007年11月改正で廃止。京阪バスへの合併後も1年少しだけ運行されていたことになる。

1989年の学研都市線電化および松井山手駅開業に合わせて、今度は

【67B】 樟葉駅~中央センター~水珀~南八幡高校~美濃山口~松井山手駅~JR大住駅~田辺本町~新田辺

が新たに設定される。こちらも上記【18】号経路と半分以上は共通していて、やはり南八幡高校通学生を意識したものとなっている。現在も1往復だけ運行されているが、朝の樟葉駅行きは京田辺営業所、午後の新田辺行きは男山営業所がそれぞれ担当。特に府道736号線・交野久御山線の美濃山口~きんめい台西間を通るバスはこの【67B】号経路1往復だけだ。京阪宇治交通田辺営業所(現・京阪バス京田辺営業所)が設置されたのは1989年のことであり、【67B】号経路は当初から田辺営業所が担当していた(2007年11月より片道のみ男山営業所が担当)。

67Bくずは行き


1990年代以降、松井山手周辺(京阪東ローズタウン)の街開き・開発に合わせ、八幡市と学研都市を結ぶ「山手幹線」の整備が始まる。1992年9月11日ダイヤ改正では、「山手幹線」の部分開通に合わせた路線再編が行われ、上記【67D】号経路が新たに設定された。大部分は【67B】号経路と共通しているが、旧集落地帯を通る【67B】とは異なり、【67D】号はくずはと松井山手方面を山手幹線経由で短絡することを目的に設定されたものだろう。このダイヤ改正では、京阪バス出屋敷線旧・【21】号(現【26】)の松井山手乗り入れも始まり、枚方市駅方面とも結ばれることになる。一方、山城大橋より東、宇治田原方面への路線をも受け持っていた男山営業所は、1992年9月のダイヤ改正以降田辺営業所に移管。


かつて、大津市石山から宇治川(瀬田川)に沿って宇治までを結ぶ路線バスがあった。

石山駅から京阪石山寺、南郷洗堰、曽束、天ヶ瀬ダムを経て京阪宇治に至る、宇治川渓谷の観光ドライブのための路線だった。かつて石山~宇治間に宇治川汽船の遊覧船があったが、天ヶ瀬ダム完成および道路の整備に伴い、風景も大きく変わって利用客は減少、1977年ごろに廃止され、路線バスに転換される。京阪宇治交通と京阪バス(大津営業所)との共同運行。系統番号は京阪宇治交通担当便は【90】号系統、京阪バスは【10】号経路(快速)だった。宇治川ライン線についての詳しい歴史などは、「青いバス停」ブログに興味深い記事が沢山掲載されている。

http://contrapunctus.blog103.fc2.com/blog-category-16.html


私は実際に宇治川ライン線を全区間乗り通したわけでもないのでよくわからないが、1984年のGWに家族で天ヶ瀬ダムへ遠足に行ったときに京阪宇治~天ヶ瀬ダム間だけ乗車したことがある。当時天ヶ瀬ダムにアスレチック公園があり、そこで遊んだ。帰りはなんと石山からやってきた【90】号系統で、行楽客で混雑していたように記憶している。

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天ヶ瀬ダム

しかし、1980年代後半より、宇治~石山直通系統は太陽ヶ丘・宇治田原・小田原経由に変更され(京阪宇治交通のみ)、天ヶ瀬ダムから宇治川ラインを経由する便は年々減らされるようになる。京阪バス【10】号経路も、1980年代前半まではBタイプ大型車(三菱MR470)が使用されていたようだが、需要低下により中型車(三菱P-MK116J)で運用されるようになる。そして、1993年6月の大津営業所移転に伴うダイヤ改正で、【10】号経路は廃止。その後も京阪宇治交通担当便は残るが、確か冬季を除く休日のみの運転となり、1998年ごろまでに消滅する。

一方、1997年には、京阪宇治交通グループが天ヶ瀬ダムに地ビール「ガーデンズ天ヶ瀬」をオープン、樟葉駅・松井山手など宇治交通エリア各所からガーデンズ天ヶ瀬までの直通バスを運行する。しかし、利用客は伸び悩み、2005年ごろまでに閉鎖されてしまった。

現在、天ヶ瀬ダムへの路線バスさえもなくなってしまった。


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「京阪時刻表1982」より 宇治川ライン遊覧バスの時刻表と路線イラスト


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天ヶ瀬ダムへの路線バス廃止後、貸切バスが来ていた(2010年5月)



かつて京田辺市大住にあった宿泊施設・中心山荘。

最寄り駅はJR学研都市線(片町線)の大住駅(徒歩)、バス停でいえば「松井ヶ丘」。
当時、片町線は長尾から先、非電化のローカル線で松井山手駅も開業しておらず、京阪沿線からほんのすぐのところにありながら、のどかな里山の中の旅館だった。とはいえ、大住ヶ丘・松井ヶ丘界隈は1970年代ごろから宅地開発も既に進んでいて、やがて片町線の全線電化、そして松井山手周辺に大規模な街開きの波が押し寄せる。

私も小学校の時、夏休みに家族連れで中心山荘に宿泊したことがある。
樟葉駅から旅館の無料送迎バスに乗った。路線バスなら京阪宇治交通(当時)の【16】・松井ヶ丘行きに乗ることになるが、私個人的には京阪宇治交通バスのほうが面白かった。京阪宇治交通(そして京阪バス)に冷房車が大量に投入される過渡期の頃だが、松井ヶ丘方面へのバスには未だ非冷房・バス窓の古い車両が使われていたように記憶している。ちなみに、中心山荘の送迎バスは富士重3Eの非冷房車だった。

中心山荘には温泉や川の流れる食事処のほか、テニスコートやプールなどのレクリエーション施設が充実していたが、小学生の私にとっては、枚方市からあまりに近すぎることもあって遠出したような気分になれなかったこともあって、物足りなさを感じた。翌日、午前中にチェックアウトが終わって送迎バスで樟葉駅へ、お昼ごろまでに家に帰り着いてしまった(笑)。

なお、送迎バスは樟葉駅のほか、長尾駅からも運行されていたようだ。最寄り駅は長尾の次の大住だが、長尾から先、非電化のため乗り換えないといけなかったし、列車本数も少なくてあまりに不便なので・・・。せっかくなので、近鉄新田辺駅からも送迎バスがあってもよさそうだったが(新田辺からは宇治交【65】・松井ヶ丘行きに乗車)・・・

中心山荘のことはその後、すっかり忘れていたが、2002年ごろに倒産したようだ。

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「京阪時刻表1982」に掲示されていた中心山荘のCM
5桁の市外局番と送迎バスがのどかな時代を表しているようだ




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2006年の京阪宇治交通と京阪バスとの合併時に、田辺営業所から京阪バスに移籍譲渡した富士重7E(日産ディーゼル)。

京阪バスにおいて富士重ボディは希少な存在であり、旧・宇治交カラーの車両だとなお物珍しい。
しかも樟葉地区ではもともと男山営業所の車両が主力であり、田辺営業所が樟葉駅まで運用する機会は少なかった。しかし、2003年の【31】・<樟葉駅~新田辺>系統(松里経由)新設後、田辺営業所の樟葉駅への運用が大幅に増える。ゆえに田辺営業所に配属されている富士重7Eも樟葉界隈で見かける機会も多くなる。

ただ、2009年からの大阪府流入規制を前に、京阪バス京田辺営業所に在籍していた旧・宇治交カラーの7Eは除籍される(7Eの一部は2007年11月の路線再編時に京阪宇治バスへ移籍、宇治田原方面の路線で活躍を続ける)。


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京都京阪バス(旧・京阪宇治バス)維中前バス停(宇治田原町)と周りの風景写真をアップしてみました。
バス回転場と待合室が完備していて小さなバスターミナルのような感じになっています。
ここから京阪宇治、近鉄新田辺、宇治田原工業団地、緑苑坂各方面へのバスが発着します。
かつては宇治田原町のかなり奥のほうの茶屋村とか、府県境を越えて大石小学校~石山駅へのバスもあったが、廃止されてしまいました。なお、茶屋村へは町営バスの運行となっており、町営バスもここ維中前バス停から発着しています。

旧・京阪宇治交通の長距離路線の一つだった【17】号経路・<樟葉駅~宇治車庫>。
この路線系統は、京阪宇治交通(株)の歴史を象徴する路線と言えるだろう。

まず、【17】号経路の運行経路は、

樟葉駅(くずは)~中央センター~久保田~御幸谷~<国道1号>~新あらみ~久御山団地~日産車体前~近鉄大久保~城南高校~京阪宇治~宇治車庫

で、1972年3月に新設される。廃止は京阪バス合併後の2007年11月。全区間の運賃は廃止直前当時560円。

京阪宇治交通はもともと宇治市・城陽市・宇治田原町などを中心とするローカルなバス事業者だった。しかし、1970年代までに枚方市樟葉~八幡市男山丘陵一帯にくずはローズタウンや男山団地などの大規模住宅地が造成されて人口急増、これにより大きな輸送需要が見込まれる樟葉・男山地区へ京阪宇治交通が進出する。従来、京阪宇治交通の車庫は本社のある宇治車庫のみだったが、樟葉・男山地区の新しい路線の拠点として、1971年樟葉駅付近に仮設の車庫が設置される。男山団地の造成・入居がかなり進んだ1974年に男山営業所が開設される運びとなる。

宇治と樟葉を結ぶ【17】号経路は1972年に開設され、当初は仮設のくずは車庫が運用担当していたが、1974年より男山営業所の担当となる。もっとも、樟葉・宇治間は京阪電車(中書島乗り換え)のほうが早くて安く、全区間通しの旅客需要を見込んだわけではなかっただろうが(距離的にはバスのほうが短絡しているが)、京阪宇治交通本社のある宇治市から樟葉駅や男山車庫への書類搬送を主な目的として設定されたものと言われる。1980年の枚方市楠葉朝日への本社移転後は、本社から宇治営業所への書類搬送のための便として活用される。ほかに、樟葉・男山団地方面から久御山町の工業団地への通勤客なども意識したものとも考えられるが、もともと本数はごくわずかで大半はマイカー通勤、バス利用は少なかっただろう。

京阪宇治交通は1999年より分社化され、宇治営業所は子会社の京阪宇治交サービスの管轄となる。その後2003年には「京阪宇治バス」と社名を変更。京阪宇治交通直属だった男山・田辺営業所は、2006年4月、京阪バスに吸収合併され、「京阪宇治交通」という社名は消失する。一方、京阪宇治バスは2014年春、宇治営業所・車庫閉鎖とともに「京都京阪バス」に社名を改め、八幡市上奈良に八幡営業所を開設(京阪バス管轄となった八幡田辺線の経路上に所在)。

京阪バスへの合併後、【17】号経路は京阪バス男山営業所が担当することになるが、合併後初の2007年11月大幅ダイヤ改正では案の定、この不採算路線が廃止される。末期は登場したばかりの京阪バスカラーのブルーリボンIIなども【17】号経路の運用に入り、京阪宇治・宇治車庫まで足を伸ばしていたが、これもすぐ過去のものとなる。当時、この男山【17】号経路が京阪宇治および宇治車庫に乗り入れる唯一の京阪バス担当路線だった。かつては、京阪バス洛南営業所担当(一時期、枚方営業所に移管)だった淀宇治線【11】号経路(京阪宇治交通と共同運行、現在京都京阪バス【21】系統に統一。洛南営業所は子会社の「京阪シティバス」となるが、2014年解散)や大津営業所担当の宇治川ライン【10】号経路などが京阪宇治まで乗り入れ、宇治車庫まで回送して折り返していた。男山【17】号経路は、京阪バス路線として、唯一の宇治車庫発着だった路線という点でも面白い。


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1990年代~末期の京阪宇治交通男山のシンボルだったエアロスターM
【17】号経路にもこのスタイルの車両がほぼ必ず入っていた

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2002年以降にカラー刷新で登場した緑のブルーリボンシティ・ノンステップ車
これが【17】号経路に入る機会も多かった


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末期にはこのブルーリボンIIも【17】宇治行きに入ることがあった
写真は2007年当時のN-3874(現・京田辺営業所所属)

私自身、2・3回ほど宇治から樟葉まで【17】号経路で寄り道乗車したことがある。
近鉄大久保、久御山団地あたりまではそれなりに乗っていたが、国道1号線(枚方バイパス)を疾走して久保田・大芝まではほぼ空気輸送だったと記憶している。ごく稀に久御山工業団地方面から男山団地・樟葉へ向かう旅客もいただろう。樟葉駅到着後は家具団地・ポエムノール北山方面系統として折り返していたように思う。

今も男山の方向幕(W-1987、1988)には【17】宇治行きのコマが残っているので、幕回しの時に見る機会はあるだろう。



京阪バス京田辺(旧・田辺)営業所に最後まで残った幕車、ブルーリボンW-3787。

W-3787は、1998年に製造、交野営業所に初のワンステップ車として配置される。
その後、2006年ごろ枚方営業所に転属したのち、旧・京阪宇治交通の田辺営業所(当時)に初めての京阪バス本体の車両として登場する。田辺営業所にこのほか、枚方・高槻営業所から数台転入する。

しかし、大阪府流入規制の関係から、2008年12月までにW-3787を残して、京田辺営業所の幕車は宇治交からの譲渡車も含めて全廃となる。その後、W-3787は京阪バス京田辺営業所唯一の幕車として貴重な存在となり、最後の活躍を見せるが、2012年年初にブルーリボンII・ノンステップN-3224に置き換えられ、幕車は消滅する。


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休日の午後、[31]号経路・樟葉駅行きに入る

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末期は樟葉長尾線の運用もこなす [97]号・藤阪ハイツ行き


京阪バス京田辺営業所は2006~07年当初、新田辺~城陽・宇治田原方面系統も管轄していたが、2007年11月以降、新田辺から山城大橋以東への路線は京阪宇治バス(→現・京都京阪バス)に移管される。その後、京阪バス京田辺営業所の一般路線(直Q京都号、空港リムジンを除く)は、従来枚方営業所管内の枚方尊延寺線や樟葉長尾線などを受け持つようになり、2013年の津田サイエンスヒルズ線の河内磐船乗り入れ以降は交野営業所のエリアにも進出する。さらに、新路線の淀長岡京線(阪急バスと共同)のほか、従来京阪シティバス(元・京阪バス洛南営業所)が担当していた京都南部線・淀山崎線も京阪バス京田辺の管轄となる。



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大津市大石地区最南端集落にある京阪バス終点、小田原バス停。
宇治田原と大石地区を結ぶ府県道782号線なりにある。
この先徒歩30分~1時間程度で京都府宇治田原町にたどりつくことは可能だ。

もともと、京阪宇治交通(→京阪宇治バス)の宇治・宇治田原~石山駅系統の途中にあったところだが、府県境を越えての利用客が少なく、宇治市街地への乗り入れを取りやめ、宇治田原(維中前)~石山駅間に短縮、そして2008年京阪宇治バス(当時)の滋賀県への乗り入れを撤退する。
その代替手段として、大石小学校~小田原間のみを京阪バス大津営業所(【4G】号経路)が新たに引き継ぐ。
ゆえに小田原の京阪バスのバス停としての歴史は浅い。

実は一度だけ、「3Dayチケット」を使って、大石小学校~宇治田原間のバスを乗車したことがある。この日、石山駅から樟葉までひたすらバス乗り継ぎの旅をした。乗車経路は、

石山駅~大石小学校~維中前~近鉄新田辺~樟葉駅

だった。もちろん今ではこのような乗り継ぎは不可能。

新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。

京都京阪バス(旧・京阪宇治バス)【10】【10A】【10B】(近鉄向島~京都文教前~大川原~徳州会病院~近鉄小倉)は、 御蔵山線とともに他の京都京阪バス路線とは離れ孤島状態となっている。かつて京阪宇治交通・京阪宇治バスの時代は近鉄向島から宇治市街地への路線系統が発 着していたが、現在は近鉄小倉までの【10】【10A】【10B】が毎時1本のみ、しかも小型車での運用となっている。

京都市最南端の向島ニュータウン界隈は、宇治川に隔てられて「陸の孤島」と言われる地域で、もとから京都市バスの路線は無く、ニュータウン内路線は近鉄バ スによって運行されている。近鉄バス以外では、上記京都京阪バス【10】系統シリーズが乗り入れているほか、奈良交通【75】【76】が月1回のみ運行さ れている(免許維持路線)。この【75】【76】系統は向島~大川原間(奈良交通京都営業所前)のみの路線で、京都京阪バス【10】系統と重複している。 かつては近鉄・奈良交・京阪バス3社共通運行の京都奈良線も向島ニュータウン内に乗り入れていた。

さて、京都京阪【10】系統シリーズについてだが、近鉄小倉から「まちの駅イオン久御山店」へ延長することはできないものか、と思った。小倉から先、府道 81号を西へ進めばイオンモール久御山にたどり着く。かつて、この道路に淀方面へのバスが通っていたらしいが、近年宇治市内路線の大幅縮小が進んでいるの は残念だ。ただ、向島ニュータウン方面からイオンモール久御山への需要はあると思うので、再検討の価値はありそうだ。

http://naohiko.exblog.jp/24821730/

今春、京都京阪バス発足を前に廃止された、旧・京阪シティバス【6】号経路(久御山団地~太陽ヶ丘)。

この【6】号経路は、1982年、宇治市に京都府立山城総合運動公園(通称・「太陽ヶ丘」)が開園したことに合わせて、京阪バスの一般路線として新設されました。運行経路は、

久御山団地~日産車体~近鉄大久保~城南荘~宇治市役所~宇治文化センター~太陽ヶ丘ゲート前~太陽ヶ丘

で、京阪宇治交通(→京阪宇治バス→京都京阪バス)【47】号系統と共同運行の形でスタートしました。

運用担当は当初洛南営業所で、宇治淀線とともに宇治市~久御山町内では、地味ながらも京阪バス一般路線網を形成していました。

当初、太陽ヶ丘へは、京阪宇治交通のみの乗り入れが想定されていたが、京都府企業局は京阪バスにも運行を要請、京阪バスも路線免許を取得し、路線新設に至ったという経緯のようです。

1985年12月に、京阪バス淀・宇治地区路線再編に伴い、【6】号経路は宇治淀線【4】【11】号経路などととともに、枚方営業所に移管。以降、大阪ナ ンバーの京阪バスが宇治市・久御山町にて営業運用をすることになるわけですが、1996年2月には洛南営業所担当に復帰。その後、1999年より子会社の 「京阪シティバス」が担当。

やはり利用客が少なかったのか、2012年11月の大久保駅前ロータリー完成に合わせたダイヤ改正で、土曜・休日ダイヤのみの運行となりました。
また、運動公園閉園時は、太陽ヶ丘ゲート前で折り返し。

残念ながら一度も乗ることなく、2014年3月31日、「京阪シティバス」「京阪宇治バス」を統合して「京都京阪バス」発足の前日に、廃止されました。

京阪バス【6】号経路のほか、近鉄大久保からは京阪宇治交通(→京阪宇治バス)がいろんな路線系統を持っていたが、現在は大久保駅前からの直通系統とし て、京都京阪バス【240】【240A】【250】【250A】が宇治友が丘(立命館宇治高校)経由で運行されています(ただし、「太陽ヶ丘ゲート西」下 車。「太陽ヶ丘」への直接の乗り入れなし)。

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1981年末~82年現在の京阪六地蔵バス発車時刻表の写真です(京阪時刻表 1982より)。

京阪バスと京阪宇治交通(現・京阪宇治バス)が発着。

京阪バスは山科営業所担当(1982年当時は「京都営業所」)で、山科・三条京阪方面へのバスが発着。
特に[12]系統・醍醐三宝院・三条通経由三条京阪行きは15分間隔の運行で、地下鉄東西線開業前の山科営業所管内では収益性の高い路線系統だったようです。

また、[31]系統・阪急東向日駅行き(五条通経由)が六地蔵発着だったことは驚きです。
確か1995~96年ごろに廃止されましたが、廃止直前は小栗栖団地折り返しでした。

現在、六地蔵から四条河原町・三条京阪へは五条通経由のみです。


京阪宇治交通は、御蔵山方面だけでなく宇治車庫・京阪宇治から近鉄大久保方面などへの路線がありました。
現在、六地蔵~御蔵山系統の京阪宇治バスは、同社の他の路線網から完全に切り離され「陸の孤島」と化しています。
回送の経済性なども考えて、京阪バス山科営業所に移管した上で、[8]系統・日野誕生院線などと共に路線再編・見直しをしたほうがよいかもしれません(宇治車庫からの出庫だと府道7号線が渋滞しやすいので)。

なお、京阪六地蔵の手前では、京都駅前から府道7号線を経て宇治へ向かう長距離路線もありました。
ただ、京都駅からの京阪宇治交通は、京阪バス・近鉄などの京都奈良線(稲荷、藤ノ森経由)とは異なり、国道24号(竹田街道)経由でした。

http://naohiko.exblog.jp/20313614/


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2006年9月の「バスまつり」、京阪宇治バスの展示コーナーの資料から。
1970(昭和45)年の写真です。
2枚とも宇治車庫で、くずは・男山方面へ進出する前でした。

当時は、車掌が乗務する「ツーマン」運行も結構あったようですね。
京阪宇治交通では、1985年ごろと比較的遅くまでツーマン運行が残っていたようです。

京阪宇治交通は、2006年京阪バスに吸収合併され、会社自体がなくなりました(これにより、男山・京田辺営業所は京阪バスに継承。宇治営業所は2002年ごろより京阪宇治交通の子会社「京阪宇治バス」となり、現在は京阪バスの子会社となっている)。

http://naohiko.exblog.jp/13699610/

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