カテゴリ: JR西日本


日根野の103系HK607編成が網干(明石)へ転属となった模様です。
和田岬線の古い103系を置き換えると見られます。

HK607編成は元・宮原区所属でJR宝塚線用のカナリア色だったが、JR京都線との直通運転が始まり、車両色を本線(JR京都・神戸線)系の青色に統一。その後、日根野に転属し、同じ青色のまま阪和線で最後の活躍を続けました。

今回和田岬線用への転属という形であるが、本線に復帰したことになります。

ちなみに奈良の6連NS618も、今朝の運用を最後に運用離脱しました。



Twitterの情報によると、205系1000番台が奈良に転属となった模様です。

本日、HH404編成が大和路線経由奈良へ回送されました。

噂の通り、いよいよ奈良線の103系を置き換えそうですね。

帯の色が山手線と同じ緑色になるのかも注目ですが、もしかしたら阪和線時代の青色のままという可能性もありそうです。

(2017.10.6追記)
本日、HH401編成が奈良へ回送しました。

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本日午前、大阪環状線から103系営業列車が終了しました。
阪和線からも103系が既に撤退しており(羽衣線を除く)、今後奈良線が103系最後の楽園として注目を浴びそうです。
ほかには播但線(姫路-寺前間)でも103系3500番台が活躍中です。
ちなみに来年、播但線電化20周年を迎えます。

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いよいよ明日10月3日、大阪環状線の103系が運用終了です。
引退を惜しんで2年前の京橋でのツーショット写真をアップします。
内回り電車201系と、奥に天王寺行き103系が映りこんでいます。
103系につづき201系も来年度までに引退予定です。


Twitterではなぜか黄色(イエロー)103系で盛り上がっているみたいですね。

関西でのイエロー103系は福知山線(JR宝塚線)に始まり福知山線で終わりました。
イエローの103系が姿を消したのは2003年ごろで、1981年のデビューからわずか20年余りの短命です。

そのイエローの103系ですが、1994年のごく一時期だけ、奈良・桜井・和歌山線で活躍したことがあります。

奈良・桜井・和歌山線電化以来、113系赤帯(春日色)と105系が使用されてきたが、113系の運用は1994年3月、103系4連口に置き換えられました。奈良線の利用客が急増したことなどが理由だと思われます。実は前年1993年にも朝ラッシュ時に大和路線快速と共通の黄緑色103系4連口が使用されていましたが、新たに加わった103系はJR京都線・神戸線普通(明石区)で使用していたもので、スカイブルーのまま奈良に転入しました。その中には高運転台車も含まれています。

スカイブルーとともに、岡山のマスカット色(大和路線の黄緑とよく似ている)、そして黄色もなぜか奈良に登場しました。結局、転属前の一時的なものに終わりましたが・・・。奈良で使用する分は黄緑色に揃えられました。

1994年9月ダイヤ改正では、奈良線と桜井・和歌山線のダイヤが完全分離、105系は桜井・和歌山線専用となりました。奈良線の普通電車は103系が基本となり、現在に至ります。


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2005~06年ごろに撮影したものを適当に集めてみました。
低運転台車はもう既に引退しています。

来月3日まで残り1本が最後の活躍をする予定ですが、一部の心無い輩の撮影マナーが問題になっています。先日の安治川口や野田の「動物園」と揶揄されるほどの異様な人だかりに駅員さんもさすがに堪忍袋が切れたようです。鉄道ファンの一人として誠に悲しい話です。

近いうちに引退することが予想されるのなら、早めに撮影することですね。
103系は大和路線・おおさか東線・奈良線などにまだ残りますが、引退もそう先のことでないことは想像できます。



豊岡・城崎温泉の駅弁販売業者、たで川さんが撤退して6年ほど経過。

北近畿エリアの駅弁は相次いで撤退しており、牛肉系弁当で有名な和田山駅が残るだけとなっていました。

しかし、この夏より、城崎温泉駅に神戸・淡路屋さんの駅弁が販売されるようになった模様。

近年、淡路屋さんは神戸ばかりか大阪や京都にも進出しており、近鉄難波駅などでも販売されています。「しまかぜ」車内で販売の「しまかぜ弁当」も、大阪・京都発は淡路屋の製造です。

そして、カニと温泉の奥座敷・城崎にも進出。

今や淡路屋さんは関西一円の駅弁業者となりましたね。

いっそのこと、奈良の駅弁も手がけたらどうでしょうか(笑)



1977年より地方都市圏の通勤通学向けローカル列車用に作られた50系客車。
塗装は国鉄規格「赤2号」とされ、「レッドトレイン」とも呼ばれました。
車内は当時製造中のキハ40系気動車と同様、扉付近をロングシートとし、車内の雰囲気はキハ40・48と同じです。

さて、関西圏(近畿)でのレッドトレイン50系客車といえば、まず思い出すのは草津線(京都-草津-柘植)。
1980年3月の電化まで活躍していた旧型客車を置き換え、113系に混じって朝夕ラッシュ時に運用に就きます。
草津線用には亀山客貨車区と向日町運転所に配置。
亀山からの出庫も兼ねて、1984年2月改正まで早朝1便のみ亀山発京都行きもあり、亀山-柘植間という短い区間ながら関西本線亀山以西では唯一の客車列車でもありました。

向日町に配置された50系は、山陰本線京都口(京都-福知山)でも活躍。

50系客車といえば、和歌山線も忘れてはなりませんね。
王寺-五条間は草津線などと同時に電化されるが、電化後も王寺-和歌山・和歌山市間を通す客車列車が1往復だけ残りました。1982年5月改正の頃までは旧型客車を使用、亀山-新宮間を含めた紀勢本線と共通運用でした。その後、50系客車に置き換えられ(竜華機関区配置)、和歌山線専用となるが、1984年10月の全線電化で廃止。奈良県では貴重な客車普通列車だっただけに残念です。

旧型客車の天下だった福知山線にも1984年2月より50系客車が活躍。
大阪-香住間というかなり長距離の列車にも50系が入ったそうです。
しかし、非冷房が災いして福知山線での50系も長くなく、翌年1985年には12系客車に置き換えらるが、その翌年1986年11月には全線電化、客車列車は急行<だいせん>1往復を除いて全廃されました。

紀勢本線亀山-新宮間でも1985年3月~86年10月までの1年半余りだけ50系客車が進出。亀山区配置で草津線と共通でした。おそらく和歌山線で活躍していた分が回されたのでしょう。

このほか播但線・姫新線でも50系が活躍していました。

JR発足後、関西圏の50系客車は全てJR西日本管轄となります。

JR発足当時、近畿地方で50系客車が残る路線は、草津線、山陰本線(京都-福知山、豊岡-鳥取-米子ほか)、播但線、姫新線ぐらいだったかと思います。草津線の分は東海道本線草津-京都間にも乗り入れ、異彩を放っていました。

やはり電化区間の拡大や非冷房ゆえ50系の活躍は長くなく、草津線は1989年3月改正で全て電車に置き換えられ、翌年1990年の山陰本線京都-園部間電化で京都-福知山間の客車列車は全廃(それに先駆け、1988年秋には京都-園部間の50系3往復を残して気動車化)。

播但線は1990年代に入っても客車列車の本数が多く残っていたが、冷房化サービスを目的に12系に置き換えられるも、1992年には全列車気動車化されました。これに合わせて、キハ58・28をオールロングシート化した5500番台を投入したことは有名です。その6年後、姫路-寺前間が電化、103系3500番台に置き換えられます。


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1994年8月訪問しました。
富山港線は北陸地方では珍しく直流電化で、かつては青の直流型旧型国電が活躍していたが、北陸本線と共通の457・475系に置き換えられました。
富山港線は2006年、富山ライトレールに転換されました。


国鉄末期~JR初期の頃、貨物列車の削減で余裕の生まれた線路を活用すべく、地方都市圏でも高頻度・等間隔のいわば「国電型ダイヤ」の導入が盛んに進められました。列車本数を大増発する代わりに、編成そのものは短くし、ただし財政的に新車導入は厳しいので既存の車両を改造で間に合わせる(その究極は583系寝台電車を近郊型化改造するなど)、という手法が流行りました。

大阪市内を中心とする関西圏も例外ではありません。

大阪市内におけるミニ編成の電車といえば、まず福知山線城崎電化に合わせて登場した113系800番台の2両編成を思い出します。福知山線は1981年宝塚まで電化され、黄色の103系が投入されるが、福知山・鳥取・米子方面への長距離列車も残り、宝塚以遠への直通普通列車は客車や気動車(キハ47ほか)で運用されていました。1986年11月の宝塚-福知山-城崎(温泉)間電化により、特急・急行は城崎までの485系<北近畿>に生まれ変わり、鳥取・米子方面直通列車は夜行<だいせん>1往復を除き廃止。普通列車は103系と113系に置き換えられ、113系は初期型を耐雪対応に改造した800番台として登場。しかし、113系は4両または2両という短編成で、客車時代は10両の長編成列車(気動車も最長で9両ぐらい)も多かったのに、本数倍増とはいえ大阪駅で2両編成ではやはり超満員で積み残しも連日発生する始末でした。さすがに国鉄・JRもこれを放置しておくわけにはいかず、113・115系を各地から急遽転用して混雑緩和対応に追われました。普通電車が207・321系の7両で運転される現在では少し信じがたいかもしれません。

大阪でのミニ編成でもう一つ忘れてはならないのは、片町線(学研都市線)の103系3両編成。
JR誕生から2年後の1989年、長尾-木津間の電化が完成、片町・京橋から同志社前・木津への直通電車を終日運転。新駅・松井山手以東への直通電車は主に快速電車で運行(長尾-木津間各駅停車)されるが、気動車時代の2両から一気に7両対応へのホーム拡張は難しく、103系の3両で運用されることになりました。松井山手駅で7両への増解結も一部行われるが、快速電車は3両編成のまま京橋・片町へ乗り入れました。さすがに京橋での3両編成では超満員で、翌年1990年春には4両に増強、そして1992年には新型207系に置き換えられました。1997年JR東西線開通後、JR神戸線や福知山線(JR宝塚線)との直通運転となり、同志社前・木津方面への電車は松井山手駅で増解結作業が必ず行われることになりました。5年後の2002年には7両運転区間は京田辺まで延長されるが、わずか一つ向こうの同志社前発着電車で増解結は常時行われ、これは何とかならんものかと問題になりました。2010年になって木津まで207・321系の7両運転が行われ、途中駅での増解結作業も解消されました(→こうなると207系の中間運転台はあまり意味をなさなくなる)。

関西本線(大和路線)普通電車の103系も1990年代前半までの一時期、3両編成がありました。
もともと6両編成での運転ですが、1986年11月改正で天王寺口にデータイム3両編成の普通電車が登場。これに合わせて103系先頭車の不足を補うべく、101系クハを改造しクハ103-2000番台が登場、1985年まで活躍していた101系を彷彿とさせる顔でした(同様に阪和線でもクハ103-2500番台が登場、101系顔の青色は一時期の京浜東北線を思い出させる姿、のちに天下のJR京都・神戸線普通電車に転用)。しかし、やはり天王寺口での3両では混雑しやすく、1993~94年ごろ6両編成に戻されました。


北陸本線(米原-直江津)は交流電化路線のイメージが強いですが、両末端区間は直流電化となっています。
もともと東側の糸魚川以東(→現・越後トキめき鉄道)が最初から直流電化、西側の米原口は1991年に長浜、2006年に敦賀まで順次直流化され、京阪神から新快速電車が敦賀まで直通運転しています。

さて、ふと気になった北陸本線での115系ですが、直江津側の直流区間に谷浜や能生への海水浴臨時列車で乗り入れた可能性はあるようです。実際、JR東日本管内の長野および新潟地区115系の方向幕で北陸本線の「谷浜」・「能生」コマが入っているのはかなり有名で、山国の信州から直江津経由能生まで海水浴臨が運転されたこともあります。使用車両はもちろん電車ですが、どんな車両が使われたのかが気になります。115系の可能性が濃厚ですが、165・169系の可能性ももちろんあります。

ちなみに、米原口でも1990年代の一時期、長浜まで115系が乗り入れたことがあります。米原口での115系は京阪神快速電車の113系チームの一員として岡山から転入したもので、113系と共通運用でした。


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2006年3月17日に廃止された関西本線唯一の優等列車、急行<かすが>。
近郊区間大回り乗車で最終日の<かすが>を追いかけ、柘植で待機しました。
JR東海キハ75系とキハ120、そして草津線113系との顔合わせも、過去のものとなりました。


複線化工事の進むJR奈良線の六地蔵駅駅舎が、2024年3月末までに移転することになりました。

JR六地蔵駅、24年3月移転 京都、地下鉄の駅に近く
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20170825000117

「六地蔵駅」は京阪(宇治線)、JR、地下鉄(東西線)の3駅が存在、JRと地下鉄は地下通路で結ばれているが、JRの駅舎が地下鉄の出入り口側に移して距離を近くするとのことです。

京阪の六地蔵駅はJR・地下鉄と少し離れています。

ちょうど京都市と宇治市との境界にあたり、京阪六地蔵駅は京都市伏見区、JR・地下鉄は宇治市に所在しています。京都市営地下鉄なのに駅が京都市外にあるのは少し奇妙な感じもします。

六地蔵地区から四条河原町・烏丸へは京阪バスが一番便利です。
地下鉄東西線は四条通ではなく御池通へ行くので少し不便だし、JR奈良線利用だと東福寺で京阪、もしくは京都駅からバスに乗り継ぐ必要があり、あまり便利ではありません。
その点、京阪バスは四条河原町~烏丸まで直通しており、所要時間はかかるが乗り換えがない分、ラクです。


滋賀県内の1日平均乗車人員数の第1位は、東海道本線(琵琶湖線)の南草津駅。

南草津駅は草津-瀬田間に1994年9月新設。
もともと、草津市南部の新都心開発構想の一環として計画が進んでいたが、立命館大学びわこ・くさつキャンパスの開校(理工学部など一部が京都市北区の衣笠から移転)に合わせ開業しました。

開業当初、駅前周辺は何もない小さな一つの駅だったが、バスロータリー新設や商業施設が出店して街開きが進み、マンションや住宅も増え続け、学生たちで終日賑わうようになりました。列車本数増発などを目的に新快速の南草津停車の要望も強まり、2011年より新快速停車が実現しています。そして、2014年度には、一日の平均乗降客数は草津駅を上回って、滋賀県内トップに躍り出ます。さらに南草津駅には首都圏と結ぶ高速バスも乗り入れています。

滋賀県の代表駅といえば、県庁所在地に一番近い大津駅だと思われるでしょう。しかし、大津駅前周辺は大きなバスロータリーも持て余すほど寂れています(バスの発着本数もさほど多くありません)。京都市とは目と鼻の先、京都駅まで電車で10分のところゆえ、かえって埋没しがちですね。草津駅はおろか、大津市内の膳所や石山にも負けていると実感します。

滋賀県の商工業の中心地域といえば、草津・栗東・湖南・近江八幡・彦根などの湖東地域でしょう。
滋賀県には日本三大商人の一つ、「売り手よし、買い手よし、世間よし」を基本思想と近江商人を生んだ誇るべき歴史があります。近江商人の流れを受け継いでいる日本企業は数多く、大丸・高島屋・山形屋・西武グループ・ヤンマー・ワコール・西川産業・トヨタ自動車・日本生命・ニチレイなどが有名です。ちなみに、高島屋は湖西の高島市が由来となっています(高島郡出身の商人が創業)。

翻って大津市は、京都・大阪のベッドタウンの色合いが濃いようです。



JR京都線(東海道本線)摂津富田~茨木間に来春開業予定の新駅名が「JR総持寺」に決定しました。

https://www.westjr.co.jp/press/article/2017/08/page_10927.html

「JR」と冠する駅名ですが、第1号は関西本線(大和路線)の終点・JR難波(旧・湊町)で、1994年9月の関空開業のダイヤ改正に合わせて改称されたことは周知の通り。

以降、大阪近郊区間では私鉄駅の近隣地区において、「JR」+私鉄既存駅名の新駅設置あるいは改称する例が相次いで生まれます。現時点で「JR」を冠する駅名は、

JR難波(旧・湊町) <関西本線>
JR藤森(新設)、JR小倉(新設) <奈良線>
JR三山木(旧・上田辺) <片町線>
JR河内永和、JR俊徳道、JR長瀬 <おおさか東線>(2008年開業)
JR五位堂(新設) <和歌山線>

です。

東海道・山陽本線(琵琶湖線、JR京都線、JR神戸線)でも新駅が相次いで誕生しているが、今回の「JR総持寺」は東海道本線では初めて「JR」を冠する駅名となる予定です。

ちなみに2019年開業予定の山陰本線(嵯峨野線)新駅は「JR七条」との予想が有力ですが・・・。


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阪和線の103系営業運用が終わったようです。
羽衣支線の3連はまだ残っているが、こちらも今年中には終了となる見込みです。
およそ半世紀にわたる阪和線103系の歴史に幕が下りようとしています。
長年の活躍お疲れ様でした!


今ふと気づいたんだが、兵庫県但馬地方(豊岡、城崎ほか)と京阪神を直通する列車は、同じ県内の神戸市よりも、大阪市および京都市発着列車のほうが多い。

豊岡・城崎温泉からは大阪・新大阪へ福知山線経由の特急<こうのとり>、京都へは山陰本線経由<きのさき>がそれぞれ発着している。<こうのとり>は7往復、<きのさき>は4往復で、287・289系電車で運転されている。

神戸市(神戸、三ノ宮)へは、<はまかぜ>が播但線経由大阪行きが1日3往復発着している。播但線の一部は非電化のためキハ189系使用だが、気動車の利点を生かし山陰本線城崎温泉以西の非電化区間へ進んで香住・浜坂そして鳥取まで乗り入れる。

すなわち、大阪へは福知山線経由と播但線経由の2ルートが存在、播但線経由のほうが距離が長い。ただし、和田山以西~大阪間を乗り通すとき、特急券の料金は距離の短い福知山線経由で計算することになっている。

福知山線経由<こうのとり>のほうが早いのに播但線経由の<はまかぜ>が存在する理由は、姫路や神戸への利便性確保のためで、兵庫県内優等列車としての使命を担っている。実際、<はまかぜ>は大阪駅発着の時点では空気輸送のことが多く、三ノ宮・神戸から客の出入りが見られる。<はまかぜ>の新大阪発着は無く、代わりに<こうのとり>が全て新大阪まで乗り入れている。

<はまかぜ>の魅力の一つは車窓から海の景色を楽しめることだろう。JR神戸線須磨-明石間付近で明石海峡と淡路島、城崎温泉以西の山陰本線では山陰海岸(日本海)の絶景が堪能できる。

福知山線経由の<こうのとり>も、実は少しだけ神戸市を掠る(道場駅付近)が、神戸市街地とは遠く離れた山あいのところにある。神戸市内へは三田で神戸電鉄、宝塚で阪急今津線・神戸線、もしくは尼崎でJR神戸線に乗り換える必要がある。尼崎は昔、基本的に各駅停車しか止まらなかったが、JR東西線開通後、新快速や<こうのとり>なども停車し、各方面への乗り換えの利便を図っている(<はまかぜ>は尼崎通過)。

このほか、豊岡-京都間には宮津線(京都丹後鉄道)経由の特急列車(豊岡-久美浜間各駅停車)も2往復運転されている。宮津線経由だと大半の区間が京都府内であり、丹後地域~京都市内を直通する役目を担っている。


梅雨明け発表ももうすぐ、いよいよ夏本番を迎えます。

海水浴で賑わっていた頃の小浜線の面白い列車について、思いつくままに書いてみたいと思いました。

せっかく電化されたにもかかわらず、現在の小浜線はあまり元気がありませんね。
舞鶴線綾部・福知山方面へ直通する列車さえなく、寂しい限りです。

しかし、国鉄時代~JR初期の頃は、京阪神・名古屋から若狭湾への海水浴臨時列車がいろいろ運転され、賑わっていました。列車名があまりに多すぎてとても覚え切れませんが、列車は大体以下の経路で運転されていました。

1)大阪・京都~(山陰本線・舞鶴線経由)~若狭高浜・小浜・敦賀
2)大阪~(福知山線・舞鶴線経由)~若狭高浜・小浜・敦賀
3)神戸・大阪・京都~(湖西線・敦賀経由)~小浜・若狭高浜
4)名古屋~(米原・敦賀経由)~東舞鶴

大阪・京都方面からは経路が3通りもあってかなり複雑でした。しかも1)3)と2)は大阪駅基準では進行方向は正反対。京都発着列車は基本的に2)のルートですが、大阪から発着することもありました(途中、新大阪・高槻に停車)。3)の湖西線・敦賀経由について、かなり古い時代の湖西線開通前は草津・米原経由で運転されたこともあります。神戸・阪神間地域からは、福知山線経由よりもむしろ湖西線経由のほうが早くて便利なようです(現在は新快速で敦賀まで一本)。列車種別・使用車両もさまざま、キハ58系・キハ181系・キハ65系「エーデル」・12系客車・20系客車ほか、より取り見取りです。

名古屋方面からは急行<エメラルド>でお馴染みでしょう。1982年までは山陰の出雲市までロングランの<大社>(宮津線経由)がありました。


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このたびの九州北部の集中豪雨により被災・避難された皆様にお見舞い申し上げます。

久大本線の橋梁が流出し、昨年の熊本地震で寸断されている豊肥本線とともに、九州内陸部を横断する交通網が麻痺状態です。一日も早い復旧そして復興をお祈り申し上げます。


さて、JR九州の415系について簡単にレポートしてみたいと思いました。

九州島内JR線の電化区間は、福岡市営地下鉄と直通している筑肥線を除いて、交流電化です。

かつて山陽新幹線開通前は、関門トンネルを潜り抜けて本州の山陽本線への直通運転が活発で、交直流両用の457系や485系、583系などが行き来していましたが、新幹線博多開通後、九州の優等列車は夜行・寝台および(主に山陰方面への)気動車を除いて、本州乗り入れがなくなったため、基本的に交流専用の電車で用が足りるようになりました。実際、485系は交直流切り替えスイッチを使用停止にし、実質的に交流専用として使用されるようになりましたが、国鉄末期~JR初期の一時期、「にちりん」の下関乗り入れが設定され、久しぶりに直流区間乗り入れを果たしたこともありました(運転開始当初、交直流切り替えスイッチをめぐってハプニングが起こったエピソードがある)。

福岡・北九州・熊本・大分などの都市圏近郊輸送向けには交直両用の近郊型電車421系や415系などが使用されてきました。彼らも10年ほど前まで、関門トンネルを抜けて下関から山陽本線新山口まで直通していました。

しかし、JR会社境界をまたぐ在来線列車が年々減らされ、九州と本州をまたぐ列車も例外ではありません。東京・大阪方面からの寝台特急は2009年全廃となりました。

JR九州の新型電車は既に700もしくは800代の形式を名乗り、九州島内の交流電化区間専用を前提としています。485系や475系は老朽化で引退しており、交直流両用の電車は415系のみが残っています。近年、JR東日本の常磐線にE531系の大量投入で玉突きとなった415系が新たに加わりました。

しかし、415系も製造から40年以上経過しており、今後の予断は許せません。
415系は現在、日豊本線および交直流切り替えの関門トンネル区間などで運用中ですが、気になるのは関門区間の今後。
415系の老朽化による引退後、関門区間に充てる車両としては気動車もしくは蓄電池電車あたりが考えられそうです。コストの高い交直両用電車を新規で製造することはちょっと考えにくいですね。



先月、阪和線用225系5100番台の増備(122両)が完了したようです。

既に普通電車も含め、阪和線の大半の列車は223系もしくは225系に置き換えられていますが、
残り少なくなった103系・205系に大きな動きがありそうです。
羽衣支線も223・225系の4連に置き換えられそうですね(ホーム延伸工事中)。

205系は現在、0番台6連口のみが営業運用に入り、1000番台4連口はなぜか鳳と日根野を往復しているみたいです。

気になる転用先ですが、やはり大和路線・おおさか東線と奈良線ぐらいしか思いつきませんね。

しかし、大阪環状線・阪和線が3ドアに統一化される流れの中、運用のつながっている大和路線(普通)だけがいつまでも4ドア車ということも考えづらいです。おおさか東線新大阪延長も控えており、また奈良線の複線化工事延長が完了する頃(2022年)には、奈良の103・201系にも大きな動きが生じるでしょう。

好評を博している221系もデビューから30年を迎え、リニュアル工事はほぼ完了しているが、
やはりそろそろ大和路線や奈良線の新しい顔を期待したいところです。

桜井・和歌山線105系、湖西線・草津線の113系、播但線の103系3500番台、そして岡山地区115系の置き換えもそう遠くはないでしょう。



関西本線(大和路線)加茂・奈良から大阪環状線に直通する快速電車、「大和路快速」。

「大和路快速」の運転開始は1973年の関西本線奈良-湊町間電化開業のときだった。
したがって、本年で44周年を迎え、かなり年季の入った老舗列車だ。

大和路快速の走行経路は、

加茂・奈良-(大和路線)-天王寺-新今宮-(大阪環状線外回り)-大阪-京橋-天王寺

という、ユニークな「の」の字運転をしている。

時刻表上では「大阪行き」と記載されるが、実際には大阪駅から環状線をもう半周して京橋・鶴橋経由天王寺まで行くわけだ。ただし、大阪-京橋-天王寺間は各駅停車。
天王寺駅の環状線ホームで折り返し、今度は環状線内回りで一周してから大和路線に入り奈良方面へ戻る。

なぜこのような運転形態を取るのかといえば、大阪駅での折り返しが物理的に難しいためだ。
かつては環状線の電車も大阪駅折り返しがあったが、大和路快速に加え、関空・紀州路快速も乗り入れるようになった現在、大阪駅での折り返し列車は存在しない。

「大和路快速」運転開始の当初、113系赤帯が使用され、「快速・奈良-大阪」特製ヘッドマークを掲げ、大阪駅直通を大々的にPRしていた。
新設1年目は土曜・休日のみの運転だったが、翌年1974年7月より毎日運転(ただしデータイムのみ)となる。

国鉄からJRに変わり、1989年にはさっそく新型221系に置き換えられるとともに、列車種別も正式に「大和路快速」と命名されるようになる。

さらに、朝と夕方以降の時間帯には大和路線から環状線直通の「区間快速」(環状線内各駅停車)も設定、緑色103系のほか環状線用オレンジ色103・201系も使用される(→323系デビュー以降は221系に統一)。環状線用8両編成の電車がローカル色の濃い木津・加茂まで直通し、亀山行き気動車と接続するのはミスマッチだろう。

221系登場から28年が経過し、車両リニュアル工事が進められているが、そろそろ大和路快速の新しい顔を期待したいところだ。


今日、久しぶりに大阪環状線に乗った。

京橋から天王寺まで大和路快速(221系)に乗車する。
本日は大和路線車両故障のため、環状線のダイヤが少し遅れていた。
雨ということもあって車内は少し混雑気味だったが、森ノ宮で空いた席に座れて一息つく。

さて、問題は寺田町から終点・天王寺までのこと。
寺田町から乗ってきた一人の青年がいて、私の隣(通路側)に座る。 次の天王寺まで2~3分程度、天王寺到着後、折り返し環状線内回りを一周して奈良方面へ向かう。
 しかし、天王寺駅に着いても、隣の彼はなかなか降りようとしない。
仕方ないので、「すみません」と一声かけて通してもらうが、そのあと彼はそこに座るのだ。

 いわば「折り返し乗車」というもの。 座席確保のためなのか知らないが、これはマナーとしてはいかがなものなんだろうか? 折り返し乗車の場合、普通往復分の運賃が請求されることになる。
仮に折り返し駅までの定期を持っていたとしても、座りっぱなしではなく、一旦電車を降りるのが礼儀だろう。

それから天王寺到着直前、なんと阪和線の205系鳳行きが発車したばかり。
もし止まっていたら写真を撮りたいところなんだけど・・・。

(6月26日追記)
もしかしたら、あの大和路快速は天王寺が終点とは気づかず、そのまま新今宮・弁天町方面へ向かうものと思っていたのかもしれません。



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昭和の急行全盛期をもたらし、幹線からローカル線の末端部分まで隅々に急行列車網を築いた気動車急行。

キハ58系に代表される急行型気動車は、東京・大阪の国電区間および電化ローカル線など一部例外を除き、電化・非電化を問わず北海道から九州まで全国各地の国鉄線をほぼ隈なく駆け巡り、「レールさえあればどこでも行ける」万能選手の象徴、各地のふるさとの風景にも見事にマッチしていた。

かつては、山陽本線経由九州直通や、「しらゆき」「大社」「赤倉」など長距離・長編成(10両以上)のユニークな気動車急行も多かったが、1970年代以降、特急列車の大衆化と優等列車の特急一本化の方針が確立、加えて道路整備に伴って自家用車の普及や高速バス台頭の波に飲まれて、足が遅く旧態依然の気動車急行は徐々に数を減らしてゆくことになる。幹線系統の電化進展とともに気動車急行の活躍舞台は専ら非電化のローカル線中心に移行、2~3両の短い編成が多くなる。


さて、ここでは、1980年代以降の気動車急行グリーン車(キロ28ほか)の動きについて解説レポートしてみたい。

全国的に気動車急行を軒並み減らしたのは、東北・上越新幹線大宮開業の1982年11月15日ダイヤ改正だったと言える。

それに先立って、1982年5月南近畿地区では関西本線<かすが>(名古屋-奈良)の2往復への減便とともにキロ連結は廃止、7月伯備線電化で細々と残っていた伯備線内<伯耆>が全廃となる。

11月15日大改正では、東北地方(常磐線系統を除く)の気動車急行が軒並みリストラされる(在来線優等列車全体的に大幅削減)。

新幹線利用への誘導を図るべく、東北の気動車急行は名物の多層建て運転やグリーン車連結が無くなり、東北本線経由上野直通(<おが><出羽><ざおう><いいで>)は全廃、基本的に支線区中心の短編成に様変わり、ローカル色が濃くなる。特に日本海縦貫ロングラン<しらゆき>(金沢-青森)の廃止はかなり象徴的だったと言えよう(併結相手の大糸線直通<白馬>も廃止。<しらゆき>は福井-青森間の電車特急<白鳥2・3号>に変わる。ちなみに大阪と青森を結ぶロングラン客車急行<きたぐに>も新潟以北廃止される)。
東京都内に乗り入れる気動車急行は常磐線の<ひたち><奥久慈>のみとなる(キロ連結はそのまま→東日本唯一のグリーン車連結気動車急行に)。

名古屋-新潟間を中央・篠ノ井・信越本線経由で結ぶ<赤倉>は全区間直流電化下にもかかわらず気動車のままだったが、この改正で165系電車に代替、<佐渡>と共通運用となった(2年半後の1985年3月で廃止)。
同じく名古屋から北陸本線・小浜・宮津線経由山陰の出雲市を結ぶロングラン<大社>も廃止(先立って7月伯備線電化の時点で天橋立折り返しに短縮。福井編成のみ<はしだて>に改めて残存)。
名古屋から高山本線富山経由七尾線に乗り入れる急行もなくなり、共通運用を組んでいた<能登路>のグリーン車連結は廃止。


1984年2月ダイヤ改正では、広島発着芸備・木次線経由陰陽連絡<ちどり>のグリーン車連結が廃止。
<ちどり>はかつて夜行便もあり利用客は多かったそうだが、バス路線整備により利用客は激減、1980年10月改正で夜行便廃止、以降凋落の一途となる。1985年改正では1往復に減便、その後1990年には木次線直通も廃止され、2002年広島口の<みよし>に吸収される形で消滅(→2007年、芸備線の急行は全廃)。


同年10月の奈良・和歌山線電化で、唯一の優等列車、急行<紀ノ川>(京都-和歌山)が廃止。
<紀ノ川>はローカル色の濃い列車で閑散としているにもかかわらず、同じ京都発着草津線経由の<志摩>と共通運用を組んでいることもあって5連・キロ込みの贅沢な編成だった。<紀ノ川>は京都と南紀を結ぶ観光急行<しらはま>の成れの果てだった。


1985年3月のダイヤ改正では、全国的に急行の特急一本化への動きが凄まじい勢いで進み、グリーン車連結の気動車急行は軒並み減らす。
紀勢本線の<きのくに><紀州><はまゆう>は全廃、<志摩>は2往復に増強されるものの(実際には<平安>の運転区間変更)グリーン車連結は無くなる(→翌年11月改正で廃止)。
常磐線の急行列車は特急<ひたち>に一本化され、東日本からグリーン車連結の気動車急行は消滅する。
北海道や九州でも急行のグリーン車連結は廃止、山陰本線西部の<さんべ>なども本数削減とともにグリーン車連結廃止、いずれもローカル色の濃い姿となる。

キロ連結が残る急行列車は、高山本線系統<のりくら><たかやま>、山陰本線京都口<丹後><白兎>、福知山線<丹波><だいせん>、播但線<但馬>、姫新線・因美線<みささ>、津山線・因美線<砂丘>のみで、主に名古屋・関西発着列車に限られる。

なお、<砂丘>のグリーン車はJR発足前後に半室普通車化され、形式も改めてキロハ28となる。


国鉄解体・分割民営化を前に実施された1986年11月ダイヤ改正では、福知山線電化で気動車<まつかぜ><丹波><だいせん>は全て電車特急<北近畿>(485系→183系化)に生まれ変わる。ほかに<白兎>(京都-米子)は特急<あさしお>に格上げとなる。


JR発足から2年目の1989年3月ダイヤ改正では、JR神戸線(東海道・山陽本線)新快速増発と引き換えに姫新線直通<みささ><みまさか>は廃止、同じく大阪から播但線経由<但馬>も姫路発着に短縮、合わせてキロ連結は廃止される。

1990年3月改正で高山本線の<のりくら>は、JR東海自慢のキハ85系特急<ひだ>に置き換えられる。
高山本線の急行は大阪発着<たかやま>1往復のみとなるが、観光需要が高いためグリーン車は残り、翌年には専用編成のリニュアル改装(塗装変更、普通車のリクライニング座席化ほか)を受けグレードアップが図られる。

1996年3月、山陰本線京都口電化で、往年の気動車急行の姿形をとどめていた<丹後>が廃止され、485系改造の183系特急に全て置き換えられる。
奇しくも同日、電車急行最盛期の面影を伝える名門の165系<東海>(東京-静岡)も373系特急に代わり、急行列車の終焉を象徴するダイヤ改正となった。

その後も細々と残った<たかやま><砂丘>はグリーン車連結が維持されるものの、1997年11月には<砂丘>は智頭急行経由の特急<スーパーいなば>に代わる。本来なら津山・因美線の急行は全廃されるところ、津山市の商工会関係の反対が強かったらしく、名称を<つやま>に改め、津山線内(岡山-津山)に辛うじて1往復だけ残った。<つやま>には<砂丘>編成がそのまま使用され、キロハ28連結も残る。

2年後の1999年12月には、<たかやま>はキハ85系<ひだ>の一員に生まれ変わる。
大阪<ひだ>は現在、関西から東海地方へ直通するJR在来線唯一の昼間列車となっている。

最後のグリーン車連結の昼間急行となった<つやま>も、2003年にはキハ48×2連に置き換えられるが、もともと一般型ゆえ一部ロングシートがあり、なおかつ同じ津山線の快速<ことぶき>と所要時間・停車駅もほとんど変わらず、「ぼったくり急行」で不評を買うことになる。鉄道ファンには興味深い対象であっても、一般利用客の不満の声は絶えず、2009年に廃止される。この結果、JRの昼間急行は消滅する。


気動車王国・四国島内の急行列車は、1980年10月改正の時点でグリーン車を普通車指定席扱いとし、キロ28からキハ28 5000番台に形式変更する(座席はそのままなので乗り得だったと言える)。その後、四国の急行列車は徐々に減らしながらもJR発足後まで辛うじて存続するが、やはり総特急化の流れの中、1999年の<よしの川>を最後に消滅する。



1989年夏、「青春18きっぷ」で少し無理して徳島までの日帰り旅行に出た。
私が初めて四国に踏み入れたのもこのときで、瀬戸大橋開通から1年経過したばかり。
第一の目的は、高徳線と徳島線を完乗すること。

乗車行程は、

大阪→姫路→岡山→高松→徳島→阿波池田→琴平→坂出→岡山→姫路→大阪

だが、実は四国内の一部区間にて特急列車でワープする。

確か早朝6時ごろだったかな、大阪発網干行き快速電車に乗った。
姫路までおよそ1時間30分、岡山行きの電車にすぐの接続だった。
姫路での乗り換えダッシュのとき、災難に遭う。
人にぶつかってホームで転倒する。
幸い腕のケガ程度で済み、何とか岡山行きに乗り込む。
ただ、夏場で半袖を着ているゆえ、腕の傷が目立ち、傷が露出したままの無様な格好で旅を続けることになる。
それはともかく、無事に乗り継ぎできたのだから良しとする。
しかし、このハードスケジュールゆえに起こったアクシデントであり、もう少し余裕のあるプランを練るほうがよいだろうと反省。何しろ岡山行きの列車編成が短いので、そのことを考慮に入れて行動すべきだった(熱海・大垣・敦賀での乗り継ぎも同様)。

岡山から「マリンライナー」で瀬戸大橋を渡って、初めての四国入りにワクワク。
瀬戸大橋および明石・鳴門海峡大橋の開通で、関西から四国への日帰り旅行も容易になった。
讃岐うどんのブームが全国に広まったのも、本州・四国連絡橋の恩恵だろう。

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高松からの高徳線(旧・高徳本線)だが、香川・徳島県境付近(三本松-阿波川端あたり)で特急ワープを使う。
高松・徳島間の距離は70kmほどでさほど遠いわけではないが、県境を跨いで直通する普通列車は多くなく、途中で特急を待避するため所要時間はかなりかかる。
池谷で鳴門線、佐古で徳島線と合流し、徳島に到着。

徳島県の鉄道は電化率ゼロだ。
もともと四国内の国鉄線は全て非電化だった。JR化後、四国内の電化区間は瀬戸内海側の予讃線を中心に愛媛県まで拡大する。愛媛県には伊予鉄道もある。高知県もJR線は非電化だが路面電車の土佐電鉄がある。
しかし、徳島県に至っては地方私鉄もなく、非電化のJR線および第三セクター線のみで県内鉄道ネットワークを構築しているわけだ。

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徳島で駅弁を購入。
確か幕の内弁当を買ったと思うが、徳島の幕の内といえば、大きいエビフライがご飯の部分にまではみ出してデーンと目立つことで有名だろう。

徳島県の特産品には、すだち、半田そうめん、鳴門金時いも、阿波和三盆(砂糖菓子)などがある。

徳島線はキハ58・65の快速だったかと思う。
徳島線は吉野川に沿って四国山地に分け入り、土讃線の阿波池田に至る(正式には一つ手前の佃まで)。
国鉄時代は「徳島本線」が正式名称だった(JR発足後、四国内の本線は全て「本線」でなくなる)。
徳島市の南東、小松島港に和歌山からの南海フェリーが発着していて、徳島線と合わせて関西から四国各地の一つの主要ルートを形成、かつて徳島線経由高知方面の優等列車が盛んに設定されていた(小松島港線は廃止)。しかし、瀬戸大橋や明石・鳴門海峡大橋の開通と高速道路延伸の影響で、徳島線経由の優等列車は大幅に減らされ、事実上県内ローカル線となる。一時期は急行「よしの川」1往復のみとなるが、現在徳島線内のみのミニ特急「剣山」が6往復設定され、優等列車の本数そのものは盛り返している。

阿波池田からの土讃線上りでは、琴平まで再び特急ワープを使う。
香川・徳島県境付近にあたり、やはり普通列車の本数は少ない。
しかも急峻な峠を通るため、スイッチバックがあり(坪尻駅)、鉄道ファンの一つの見所だ。
視界が開け、讃岐平野に入ったあたり、琴平からは高松近郊の電化区間だ。
土讃線を走る電車は琴平折り返しの普通列車のみだが、最近東京からの寝台電車・サンライズ瀬戸(285系)が臨時で琴平まで乗り入れる日もある。

坂出から先、行きと同じルートで本州へ戻る。
できれば、違う経路で帰りたいところで、例えば高松や徳島から高速バスで鳴門海峡を渡って神戸・大阪方面へ抜けるのは、瀬戸大橋を回り岡山で乗り継ぐよりもはるかに早いだろう。
あるいは徳島からフェリーで和歌山へ抜けるのも所要時間はかかるが楽しそうだ。


大阪と飛騨高山を東海道本線・高山本線で結んでいた気動車急行「たかやま」。

いわば「大阪ひだ」の前身であり、現在はJR東海のキハ85系で運転されています。
東海道本線米原を越える定期列車は、去年まで「大阪しなの」や姫路方面~大垣直通の普通電車もあったが、現在「サンライズ出雲・瀬戸」とこの「ひだ」の2往復のみです。

さて、急行「たかやま」ですが、もちろんキハ58系で運転。
1987年の国鉄分割民営化以降もJR西日本・JR東海両エリアを跨いで運転される数少ない列車でした。
高山本線の特急「ひだ」および急行「のりくら」は1989~90年に新型キハ85系に全て置き換えられて「ひだ」に一本化、以降大阪からの「たかやま」が高山本線唯一の急行列車となります。

さすがに85系「ひだ」に比べて見劣りは隠せず、1991年に専用の編成を用意してリニュアル工事を受け、独自の車体カラーに改めるとともに車内は普通車も含めてリクライニング座席、優等列車として恥ずかしくない接客設備となります。観光利用が多いこともあってグリーン車(キロ28)も連結され、往年の気動車急行のラインナップをとどめます。

1996年の山陰本線京都口「丹後」廃止後、キロ連結の急行列車はこの「たかやま」と津山・因美線の「砂丘」(→「つやま」)のみに。「たかやま」もリニュアルを受けたとはいえ、さすがに老朽化は隠せず、1999年12月には特急「ひだ」に代替されました。

私も実は、急行「たかやま」に何度か乗車したことがあります。
ただし、全区間乗り通したというわけではなく、大阪行きで石山→京都間のみの短距離利用でした。

担当乗務員もJR東海の高山運輸区(車両はJR西日本京都総合車両所所属)で、いつも乗る電車(113・221・223系ほか)と違うヨソユキな雰囲気を感じました。古いDMH17H型気動車ということもあって加速が悪く、隣の内側線を併走する普通(→高槻から快速)・新快速電車に追い抜かれそうになったりで、これで急行料金を払うのはもちろん馬鹿馬鹿しいと言えるが、旅行気分を満喫する分には急行料金(520円~)は高くないと思う人もいたかもしれませんね。しかし、何よりも普通・新快速電車とはちがって、自由席も含めほぼ確実に座れるのは魅力でした(それだけ通常の利用客は多くないということだが)。

琵琶湖線(米原-京都間)を走る気動車急行といえば、「たかやま」のほか、1986年以前は草津線に入る「志摩」や「平安」もありましたが、確か石山には停車しなかったはず。

急行「たかやま」は、関西から飛騨路への観光客はもちろん、新幹線では不便な大阪・京都方面~大垣・岐阜間のビジネスや用務にも重宝されていたそうです。「大阪しなの」も廃止された今、「大阪ひだ」が関西と大垣・岐阜方面を結ぶ唯一の列車となりましたが、これもいつ廃止されるかわかりません。


今ふと気づいたが、片町線(学研都市線)と福知山線(JR宝塚線)、そしてJR東西線に関して、不思議なことに8年周期で大きなニュースになる習性があるようだ。

1981年(昭和56年)以降を振り返ると、

1981年4月 福知山線尼崎-宝塚間電化

1989年3月 片町線長尾-木津間電化

1997年3月 JR東西線(京橋-尼崎)開通、および片町線片町駅廃止

2005年4月 福知山線尼崎脱線事故


2005年の尼崎脱線事故は悲しい出来事だが、他3つについては、電化&新線開業といった前向きのニュースだ。

片町線と福知山線を地下で結ぶ片福連絡線は1970年代末ごろから計画され、これがJR東西線として完成する。

もともと、この新線は、福知山線の複線電化による利用客増加が見込まれ、宝塚・三田方面からの列車増発分を回して大阪都心部(北新地)と直結させることが目的だったとされる。すなわち、大阪-尼崎間は東海道本線の外側線を走行するが、福知山線の列車本数が増えてパンクすることが予想されたため、一部を片福連絡線に回すというもの。

ただ、北新地は大阪駅・梅田から少し離れていて場所はあまり良くなく、また快速電車はJR東西線内各駅停車で遅いということもあって、JR東西線の利用客は予想ほど伸びていない。福知山線の利用客としては北新地よりも大阪駅が好まれやすく(北新地以西は空いている)、片町線から梅田方面へ向かう場合も、東西線開通前と同様、京橋で環状線に乗り換える利用客も多い。

片町線は全線電化そしてJR東西線開通の数年後まではイケイケドンドンだったが、2005年の尼崎脱線事故で大きな転換点を迎えたようだ。その後、おおさか東線部分開通でJR東西線・東線経由の直通快速奈良行き運転開始(2008年)、および2010年に片町線全線で7両運転が実施されるものの、2011年の大阪駅ビル完成以降、片町線の列車本数削減の流れが続いている。現在、昼間時間帯を中心に片町線・JR東西線の(区間)快速電車は尼崎もしくは塚口で折り返すダイヤとなっている。



久しぶりに大和路線(関西本線)の終点、JR難波駅を訪れた。

JR難波駅は旧「湊町」駅で、大阪ミナミの繁華街・なんばの西の外れにあり、大阪市内のターミナルという割には寂れ気味で、「忘れられたターミナル」。それでもSL時代は、関西本線経由名古屋への急行「かすが」、そして東京への寝台急行「大和」が発着するなど、それなりに賑わっていたらしいが、電化後、快速電車は湊町よりも環状線に乗り入れて大阪駅(梅田)方面行きが多くなり、湊町駅は通勤時間帯を除いて閑散としていたようだ。

その湊町駅が「JR難波」に改称されたのは、1994年9月関西空港開業に合わせてのこと。
湊町周辺再開発事業により、将来の「なにわ筋線」も視野に入れて、1996年にJR難波駅付近は地下化される。JR難波の地上にはOCATビルがあり、高速バスターミナルが併設されている。一時期、JR難波から関西空港への快速電車も発着していたが、やはり場所が良くないのか、取り止めとなった(なんばからだったら、南海のほうが便利だろう)。

このほど、環状線の新車321系を見たくて、京橋から天王寺経由JR難波まで乗った。
新今宮で大和路線普通電車201系に乗り換えたが、休日の昼間にもかかわらず意外にも車内はかなり混み合っていた。旧・湊町駅のイメージからJR難波行きの電車は空いていると思っていたが・・・。

それでも、やはり南海なんば駅の賑わいには負ける。



今から28年前の1989年3月11日、片町線(学研都市線)長尾-木津間の電化が完成する。

前日まで大阪府最東端の長尾駅(枚方市)で気動車に乗り換えなければならなかったが、全線電化により片町(廃止)・京橋から同志社前・木津への直通電車が終日運転されるようになった。電化開業当初、オレンジ色の103系が使用された。非電化だった京都府内区間は気動車(キハ35、58・28、47など)2両編成だったため、一気にホーム編成長を7両まで拡大することは難しく、103系の改造で間に合わせて3両編成(大阪口は超満員だったため翌年1990年以降は4両に増強)で運用することになった。電化と同時に長尾-大住間に新駅・松井山手駅が開業、合わせて長尾-松井山手間の新線付け替えと複線化も行われた。

さっそく、当日、近郊区間大回りの小旅行に出た。

河内磐船駅から快速|木津行き(103系3両編成)に乗る。快速は長尾から先、各駅停車だ。長尾の次の松井山手駅では、たまたまこの電車の発着に合わせて電化開業記念式典が盛大に行われる。その後関係者たちが一斉に乗り込み、同志社前で下車(→おそらく田辺町の職員の方々だったと思われる)。地元の電化に対する期待は大きかったことだと思う。

同志社大学京田辺キャンパスの開校は全線電化へのきっかけだったと言える。既に3年前の1986年、田辺-上田辺(現・JR三山木)間に同志社前駅が開業しており、全線電化への動きを予感させるものだった。

電化開業後、今度はJR東西線(片福連絡線)開業(1997年)に合わせて、先行的に207系電車が投入され、片町線と沿線のイメージチェンジを図る。少し前まで気動車がのんびり行き交っていた時代から大きな変化を遂げることになるが、それでも沿線のローカルムードは色濃く残っている。東西線開通後は、神戸・明石・宝塚・三田各方面から東西線経由片町線へ直通する電車が終日運転されるようになり、阪神間から同志社大学への通学も便利になった。

しかし、2005年4月福知山線尼崎脱線事故の大惨事で、片町線および沿線の発展が天井を打ったように思われる。同志社大学の京都市内回帰(主に文系学部)などの動きも、福知山線事故と無関係とは言えないだろう(実際、この事故で亡くなられた同志社大学学生もいる)。片町線の電車も2010年には木津までの全区間にわたって7両編成で運用されるようになるものの、その後列車本数は減少傾向、昼間時間帯は宝塚・三田方面直通を間引いたり(尼崎・塚口折り返し)、さらに四条畷以東は各駅停車(区間快速)が発着するのみとなっている。

さて木津から先、奈良線の105系で京都へ向かう。
奈良線も電化されてから年月は浅く、当時は105系または113系の普通電車のみでローカル線の雰囲気が濃かった。
しかし、快速電車運転開始と利用客大幅増加、新駅設置および一部区間複線化が行われ(近い将来、複線区間がさらに拡大する予定)、奈良線は都市間連絡鉄道に脱皮しつつある。さらに近年、外国人観光客の姿も目立つようだ。

京都駅でJR京都線(東海道本線)大阪方面行きに乗り換える。
すると、このダイヤ改正の目玉、新車221系の快速電車がやってきた(^-^) 大阪へは新快速が先着だが、この快速(高槻まで各駅停車)に乗って快適な221系を堪能する。
221系は3ドア・転換クロスシートで、やはり従来の113系などとは比較にならないほどすばらしいデザインスタイルと乗り心地、そのインパクトは強烈だった。221系が関西私鉄に与えた影響は大きく、私鉄からJRへの旅客奪還を果たすことになる(→1995年阪神大震災後は、いち早くJRが復旧を果たし、新快速に223系を大量投入、ますますJRの一人勝ちを強める)。

221系電車は前年にデビューした近鉄5200系のデザインをモデルとし、系列の近畿車輛がJR西日本に売り込んだと言われている。

221系は東海道・山陽本線のほか、関西本線(大和路線)~大阪環状線快速にも投入され、同年夏までに赤帯113系を置き換えた。その後も東海道・山陽の113系はまだまだ残り、221系は新快速に優先的に使用されるようになる。それまで新快速で使用してきた117系は福知山線および奈良線の快速電車で運用されるようになる。さらに1995年以降の223系投入により、2000年までに221系は新快速運用から撤退し、福知山線、阪和線、奈良線の快速に転用される。



北陸新幹線の京都-新大阪間延伸ルートが「南回り」に決まり、中間地点の松井山手付近に新駅を設置することで大筋合意となりそうだ。松井山手は首都代替機能を持つ関西学研都市の最寄であり、京都府南部への経済波及効果が高いとされている。京都府側は第二京阪とほぼ並行した形となりそうだが、大阪府側は枚方→寝屋川→守口→淀川というルートだろうか?

北陸新幹線の京都・新大阪延伸は、米原経由のほうが建設費が一番安くて実現可能性が高いと思うんだが、東海道新幹線がJR東海、北陸新幹線がJR西日本で折り合いがつかず、これも国鉄分割民営化の弊害だろう。しかし何よりも、小浜~京都間は丹波高地を突き通して京都市街地に入るわけで、京都北山や丹波の豊かな自然環境・景観への影響が心配だ。

JR発足から30周年。
国鉄分割民営化がもたらした弊害を洗い出し、反省する必要がありそうだ。
近い将来、これまでの自民党政治と本質的に違う、新しい政権への変化が迫られることになろう。
北陸新幹線の京都・新大阪延伸の実現はまだ40年も先のことなので、この機に国鉄の復活なども視野に入れて計画を変更しても遅くない。



兵庫県は近畿で一番面積が広く、瀬戸内海・日本海両方に跨っているため、本州を縦断するためには必ず通らなければならない県だ。

兵庫県内の鉄道電化率は、実は近畿で一番低い。
神戸市街地および阪神間の都市間鉄道(JR、阪急、阪神)、地下鉄などは当然電化されているが、県の西部および北部のローカル線は大半が非電化のままだ。過疎化の進む奈良県や和歌山県で100%に近い電化率だが(奈良県南部の山間部は鉄道空白地帯ということもある)、兵庫県においても西部の中国山地や北部の日本海側(但馬)で過疎化が進んでいる。

東海道本線に比べて山陽本線西明石以西の電化は遅れていて、1960年までに兵庫県内区間の電化が完成する。県内の国鉄では山陽本線の次に赤穂線が電化される。そして1972年に山陽新幹線新大阪-岡山間が開通。

山陽本線・新幹線と赤穂線以外の県内国鉄線は1970年代まで全て非電化だった。

1980年代に入って少しずつ電化区間が拡大してゆく。その皮切りは、1981年4月の福知山線尼崎-宝塚間。阪神間の都市部にありながら、列車本数は非常に少なく、客車列車や気動車がのんびり行き交うローカル線で、阪急平野と呼ばれる地域ではミスマッチな光景だっただろう。電化後、関西で初めての黄色103系が投入されるが、阪急とは勝負にならず利用客は伸び悩んだ。その代わり、福知山線は大阪と北近畿・山陰を結ぶ陰陽連絡幹線としての役割を担っていた。

5年後の1986年11月、福知山線宝塚以北および山陰本線福知山-城崎間が一気に電化され、福知山線の客車普通列車は廃止される。大阪と鳥取・米子方面を結ぶ長距離列車は夜行「だいせん」を残して全廃され、大阪-城崎間の485系「北近畿」(のちに183系化改造を受ける)に生まれ変わる。普通電車は113系800番台が投入されるが、初期車からの改造で非冷房車も多くて老朽化が目立ち、しかも4両とか2両編成の短編成ゆえ積み残しが発生しやすく、不評だった。また、宝塚電化当初から活躍してきた103系は新三田まで運用されるようになる。JR発足後、西宮名塩や三田の住宅地開発が進み、福知山線の利用客が少しずつ増えて列車本数の大幅増、快速電車運転(117系を転用)、さらに207系通勤型電車を投入するなど、旅客サービスも徐々に改善されてゆく。1995年の阪神大震災以降、JR神戸線(東海道・山陽本線)とともに阪急からJRへの旅客移転が顕著化する。さらに1997年のJR東西線開通後、大阪北東部の片町線から福知山線宝塚・三田方面へ直通電車が終日運転され、福知山線(篠山口以南)は都市鉄道に大きく脱皮する。

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福知山線快速で活躍する223系6000番台

1998年には播但線の姫路-寺前間が電化。寺前-和田山間はトンネルの高さの都合から電化工事が困難ゆえ、非電化のままで残される。播但線の電化区間には103系3500番台が投入される。国鉄時代末期の105系などとはちがってN40改造を受けるなど、気合いの入った車両改造だった。寺前電化後も、気動車特急「はまかぜ」は残り、姫路・神戸と但馬地方(香住・浜坂・鳥取)を結ぶ県内優等列車として重宝されている。普段は閑散としているが、かにシーズンの時は混雑しやすく、近年は竹田城への観光客も結構乗っているようだ。

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播但線の103系

京阪神と鳥取を高速で結ぶことを目的に国鉄時代から建設され未成線となりかけた智頭線(上郡-佐用-智頭間)は、1994年に智頭急行として開通する。非電化だが高規格の地上設備を有し、特急「スーパーはくと」が好評だ。これに引き換え、京都から山陰本線経由鳥取・米子方面直通の優等列車は、1996年3月の電化を機に、東京からの寝台特急「出雲」(2往復、内1往復は1998年「サンライズ」となって伯備線経由に変更、残りの1往復は2006年廃止)を残して全廃される。

阪神大震災で不通となったJR神戸線の迂回ルートとして俄かに賑わった加古川線(加古川-谷川)も電化されることになる。かつては加古川線から三木線や北条線、鍛冶屋線、そして高砂線が枝分かれしていたが、第三セクター化あるいは廃止され、北条鉄道(旧・北条線)のみが残っている。2004年12月に加古川線の電化が完成し、103系3500番台と125系が投入される。ただし、加古川線北部の西脇市-谷川間は列車本数の非常に少ない閑散区間だ(加古川線西脇市以北よりは廃止された鍛冶屋線のほうが西脇市街地を通るため利用客は多かった)。谷川駅での福知山線との直通運転や接続改善も望まれるが・・・。

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加古川線の125系と103系

このほか、神戸市街地のローカル線、山陽本線和田岬支線(兵庫-和田岬)も2001年に電化。和田岬支線は、港湾地区の工場通勤者専用の路線となっていて、旅客列車は朝夕のみの運転。1990年まで旧型客車が残っていたが、合理化を目的に気動車に置き換えられる(キハ35をラッシュ輸送向けに改造)。しかし、キハ35も老朽化が進み、さらなる合理化を図って電化が決まり、103系6連(青色)で運用されることになった。地下鉄湾岸線の開通と引き換えに和田岬線廃止も取り沙汰されたが、JR西日本有数の黒字路線(通勤時間帯のみしか旅客列車が運転されないため)ということもあって、急ピッチで電化工事して生き残った。


京都府内の鉄道電化は近畿の他府県に比べて遅れていたほうだ。
大動脈・東海道本線は1950年代までに全線電化完成するが、他の国鉄線はどこも非電化路線ばかりだった。それでも1970年代から少しずつ電化路線が広がる。

まず、1964年の東海道新幹線が開業(新幹線は別か?)。
10年後の1974年には、関西と北陸・日本海縦貫の短絡線として湖西線(山科-近江塩津)が開通。湖西線はその名の通り、琵琶湖湖岸に西側に伸びて大半が滋賀県だが、起点・山科駅からわずかな区間だけが京都府(京都市山科区)だ。同じ滋賀県内の東海道本線や草津線沿線の湖東・湖南方面から湖西線沿線へJRのみで移動する場合、一旦トンネルを抜けて京都市に越境することになる。同様に、滋賀県西部から新幹線で東京方面へ向かう場合、京都駅に出向いて乗り換える人が多い(県内に米原駅があるが、停車本数が少なく不便なので)。

京都府内で電化路線が本格的に広がるのは1980年代半ば以降だ。

既に1970年代後半から山陰本線京都-園部間の電化工事が始まり、1980年代前半に完成する予定だったが、保津峡付近の複線化と新線付け替え工事が遅れていたため、電化開業はずれ込んだようだ。

山陰本線よりも先に、府南部の奈良線(京都-木津)が1984年10月に電化された。合わせて関西本線木津-奈良間も電化される。JR奈良線の正式区間は京都府内の京都-木津間で奈良県に至っていないことで有名だ(ただし電車は全て奈良駅まで乗り入れる)。

その後、1988年3月には関西本線加茂-木津間、翌年1989年には片町線木津-長尾間(→全線)が電化され、府南部の電化が進捗する。ただ、その後も関西本線加茂以東は非電化のままだ。

1984年奈良線電化の時点で奈良県、1989年片町線全線電化で大阪府内の鉄道電化率100%をそれぞれ達成する(大阪府内については旅客線のみ)。

電化の遅れていた府北部(日本海側)も、1980年代後半以降、少しずつ電化工事が進む。まず1986年11月の福知山線~山陰本線(宝塚-福知山-城崎間)が電化される。京都-園部間よりも福知山以西の電化が先だったのは意外だ。なお、福知山線は大部分が兵庫県内で福知山駅の手前付近のみ京都府だ。

その後、1990年3月にようやく山陰本線京都-園部間電化が完成する。前年の1989年に保津峡付近の新線に切り替わり同区間のみ複線化となるが、京都-園部間複線化を達成するのは20年後の2010年。この電化により、山陰本線京都口から客車普通列車が姿を消す。

1990年代になって府北部の電化も進捗する。
まず、1995年4月に山陰本線綾部-福知山間。園部-綾部間は電化工事中だったが、複線区間の綾部-福知山間の電化を先行開業させた。翌年1996年3月に園部-綾部間が電化され、山陰本線の京都-城崎(現・城崎温泉)間は電化区間で一本につながる。合わせて、北近畿タンゴ鉄道(→京都丹後鉄道)の福知山から宮福線経由天橋立まで電化され、大阪・京都駅から特急電車が乗り入れるようになる。
この電化により、急行「丹後」(キハ58系)と特急「あさしお」(キハ181系)がファンに惜しまれながら廃止される。

その後、京都府北部を代表する都市、舞鶴市が非電化のままでは、ということで、舞鶴線電化の要望が高まる。実際、園部-福知山間電化後、京都駅と舞鶴市を直通する定期列車が廃止され、舞鶴市の求心力低下が心配された。3年後の1999年、舞鶴線がようやく電化され、京都駅から特急「まいづる」が終日運転されるようになる。

そして小浜線(敦賀-東舞鶴)も2003年に電化。
これにより、京都府内のJRは関西本線加茂以東を除いて電化されたことになる。
なお、北近畿タンゴ鉄道→京都丹後鉄道に転換された宮津線は宮津-天橋立間を除いて非電化のままだ。

昭和の頃に比べて鉄道の電化区間は大きく広がったが、鉄道全体往時に比べて華がなく、むしろ非電化時代のほうが賑やかだったようだ。


関西・紀勢本線を主軸とする近畿南部、こと紀伊半島の国鉄・JRは、電化が遅れていた。
さらに、この地域(特に奈良・三重県)には日本最大の私鉄・近畿日本鉄道が縦横に路線網を張り巡らして名阪ノンストップおよび奈良・伊勢志摩方面への特急の高速運転が行われ、大部分が単線非電化の国鉄は軒並み惨敗する。
初めから電化されていたのは、阪和電鉄という私鉄として開業した阪和線(天王寺-和歌山)のみで、他の国鉄線はもともと非電化だった。

しかし、1970~80年代にかけて、大阪近郊区間周辺を中心に紀伊半島の西半分は電化工事が急速に進んだ。

その皮切りは、1973年の関西本線奈良-湊町(現・JR難波)間。
沿線人口急増により大阪への通勤客で混雑するにもかかわらず、木津以西は既に複線化されていたものの電化は意外に遅く、1960年代はキハ35系通勤型(3ドア・ロングシート)気動車を大量に投入して毎時3~4本以上のパターン化した等時間隔運転を断行するなど、気動車では異例の「国電型ダイヤ」を導入、通勤輸送に対応していた。「国電型ダイヤ」は1980年代に入って広島シティ電車をはじめ地方都市圏にも広まるが、非電化区間での国電型ダイヤは珍しい。キハ35系は奈良-湊町間を中心にして運用されていたが、亀山や名古屋までのロングラン列車に使用されることも多く、長距離利用者には明らかにサービスダウンだった。さすがに気動車では本数増発・スピードアップに限界があり、1972年秋ごろ急遽電化が決まる。
地上設備状況の良好な平坦区間ということもあって電化工事は急ピッチで進み、翌年1973年9月に完成。普通電車用101系(黄緑色)と快速電車用113系(赤帯)が各地から転用される。電車の所属は阪和線の鳳電車区だった。この電化により、関西本線を全線直通する列車は奈良で打ち切られ廃止される。
仮に電化が10年早かったら、阪和線や片町線と同様、旧型国電の巣窟となっていたのではないか。

湊町電化後、キハ35系は周辺支線区の奈良・桜井・和歌山・紀勢本線などに転用される。特に紀勢本線においては、和歌山-新宮間200km余りのロングラン普通列車でキハ35系オンリーすらあったようだ(これは関西本線全区間名古屋-湊町間よりも長い)。当時の紀勢本線は大阪方面から南紀への優等列車(キハ80系「くろしお」、キハ58系「きのくに」ほか)について利用状況が好調で、スピードアップが望まれ、西側の和歌山-新宮間の電化工事が始まる(一方、東の三重県側、亀山-新宮間は名古屋からの優等列車はあるが近鉄と並行していることもあって本数は非常に少ない)。

1978年10月には和歌山-新宮間が電化完成。この電化に合わせて阪和線の日根野電車区が開設(鳳電車区からの移設)、関西・阪和・紀勢本線など近畿南部で活躍する電車を一手に引き受けた。特急「くろしお」には381系が新製投入された。普通電車用に113系(ブルーライナー)非冷房車4連口が各地から転用されるが、2000番台も6連口1本だけ(主に阪和線快速で使用)新車で納入される。ただし急行「きのくに」などは気動車のまま存置されたほか、客車列車も数本残る(竜華機関区に電化路線用牽引機としてEF58が転属)。

続いて1980年3月、支線区の桜井・和歌山(王寺-五条間)・草津線が電化。
桜井線・和歌山線には赤帯113系(日根野電車区所属)が充当される。この電化名目で2000番台が6連×3本新製されるものの主に関西本線快速で使用され(ただし朝・夕ラッシュ時間帯には和歌山・桜井線への直通運転を実施)、線内ローカル用に非冷房車4連を転用。赤帯4連口は紀勢本線ローカルと共通運用だった。

一方、草津線(柘植-草津)は三重県伊賀市と滋賀県南部を結ぶローカル線で、三重県内の国鉄では最初の電化路線となったが(県内区間はわずか1km程度だが)、他の天王寺鉄道管理局管内の電化路線とは離れ孤島状態であり、普通電車には湖西線と共通の113系700・2700番台(高槻電車区所属)が投入される。桜井・和歌山線用113系とはちがって、草津線使用の113系は新しくて全編成冷房付き、天鉄局管内としては車両面では優遇されていたほうだ。ただ、線路状態など地上設備は良くなく、電車はガタガタ揺れて乗り心地は意外に悪いようだ(草津線は直線区間の多い平坦路線で、特急電車がやってきてもおかしくないような風景なんだが・・・)。

1982年5月には、関西本線の東側、名古屋-亀山間が電化される。これにより、三重県内国鉄線の電化率はアップするが、それっきりのままだ。名古屋鉄道管理局管内で、電化当初は神領電車区の113系(湘南色)が使用されるが、1985年3月改正では急行列車の廃止で余剰となった165系3両編成(大垣電車区所属)が充当されるようになる。

1982年夏に台風10号が直撃して、近畿~東海地方に大きな被害をもたらしたのは記憶に新しい。王寺駅電留線に大和川から溢れ出した水が流れ込んで浸水し、関西本線・和歌山・桜井線で活躍する電車の多くが被災する。車両不足の非常事態となり、浸水被害を受けた101系は廃車され、首都圏で廃車予定だった101系が急遽応援に回り、関西では見慣れない黄色がデビューしたり混色編成が現われて、ファンの目を楽しませた。113系は吹田・鷹取・名古屋工場に分担して修理を受け(ディーゼル機関車牽引で非電化区間の奈良線や関西本線経由で搬送された)、その間東海道山陽から113系湘南色が応援に入ったり、阪和線用青帯も使用されたりと、賑やかな顔ぶれだった。

翌年1983年には、東海道山陽緩行線に201系が投入されることにより、関西本線普通電車の103系への置き換えが始まり、1985年までに101系は引退する。電化以来、101系は非冷房車ばかりだったが、転入してきた103系は冷房車も多く、サービスアップする。また、阪和線では1983年10月より快速電車の8両運転を開始する(103系使用)。

1984年10月には奈良・和歌山線(五条-和歌山間)が電化される。これに合わせて、関西本線木津-奈良間と紀勢本線末端区間の和歌山-和歌山市間も電化。従来の路線でいけば113系が投入されるかと思いきや、財政状況の厳しい国鉄末期を反映して常磐線~地下鉄千代田線直通用103系1500番台を改造した105系2連口が使用されることになる(中国地方ローカル線向けに作られた105系とは扉数など相違点が多い)。しかし、これだけでは足りないので赤帯113系も奈良・桜井・和歌山線で混用する。

これにより、奈良県内の電化率は全国でも数少ない100%という名誉を獲得する。隣の和歌山県も国鉄線に限ればほぼ100%に近いが、新宮から東側のわずかな区間だけが非電化だ。一方、京都府内については、山陰本線など中・北部地域は全て非電化のままだった。大阪府内でさえ、電化率100%達成は片町線全線電化の1989年だ(ただし旅客線のみ)。また、滋賀県については、信楽線の第三セクター転換後、JR線に限って100%の電化率を達成している。そういえば、1990年代の京都府知事選で府内のJR線電化率が周辺他府県に比べて低く、1978年の府政転換後山陰本線の電化工事が予定より遅れている、と共産党系陣営が批判していたような記憶がある。

キハ35系などが大量配置された馴染みの奈良運転所は奈良線電化をもって廃止となる。代わって翌年3月平城山駅隣に奈良電車区が新たに設置され、関西本線・奈良・桜井・和歌山線用の103・105・113系が配属となる。奈良・和歌山に所属していた気動車(キハ35系、キハ58系ほか)は亀山機関区に集約される。

1985年3月ダイヤ改正で急行「きのくに」は全廃、紀勢本線西部の優等列車は電車特急「くろしお」に一本化される。381系だけでは足りないので、東北・上越新幹線開通で余剰となった485系が一時的に転用された(翌年1986年11月には福知山線電化で新たにデビューの「北近畿」に転用)。和歌山機関区も廃止され、和歌山県内における気動車列車は紀勢本線紀伊勝浦以東のみとなる。
また、関西本線では木津-湊町間直通の快速も登場する。

1987年の国鉄分割・民営化では紀伊半島エリアはJR西日本とJR東海に二分され、三重県内の大半はJR東海(関西本線亀山以西を除く)、残りはJR西日本がそれぞれ管轄することに決まる。

JR西日本管内における非電化区間は、1987年当時の時点で関西本線亀山-木津間と信楽線(そして片町線木津-長尾間)のみ、残りは全て電化済みだった。翌年1988年3月には加茂-木津間が新たに電化され、天王寺・湊町・大阪から直通電車(103系、113系)が終日運転されるようになる。1年後の1989年にはJR西日本初の新型近郊型電車221系が晴れ晴れデビュー、東海道・山陽本線のほか関西本線快速(「大和路快速」ほか)にも投入される。特に大和路快速は3ヶ月余りで全て221系に置き換えられ、113系赤帯は阪和線や東海道・山陽へ転属。


仮に三重県内および名古屋までが全部JR西日本のエリアだったらどうなるか?

三重県内の電化についてはたぶん現状維持だろうが(紀勢本線新宮-熊野市間は可能性がありそう→和歌山県内のJR線電化率は100%に)、少なくとも名古屋-四日市間の複線化工事は進捗していただろう(名古屋近郊においては武豊線の電化は早く実現しただろう、ほかに高山本線岐阜口~太多線電化も)。関西本線唯一の優等列車、急行「かすが」は意外に早く廃止されていたかもしれない(特に東海道新幹線をJR西日本が管轄するのなら、京都駅経由奈良線利用のルートに誘致するだろう)。その代わり、亀山・加茂での列車系統分断はもう少し緩やかなものとなり、木津での奈良線・片町線との乗り継ぎを考慮して一部の気動車列車は奈良までの直通運転を継続するなどの柔軟な運営体制は期待できるのではないか。

伊勢運転区(→JR東海伊勢車両区、2016年廃止)は国鉄時代末期の時点で亀山機関区に統合、紀伊半島東部のローカル列車運用の拠点として気動車を一括管理することは容易に想像できよう。また、キハ58系およびキハ40系など国鉄型気動車の後継車両としては、キハ120とか(JR東海の)キハ25系ロングシートではなく、セミクロスシートのキハ122・127あたりを期待したいところだ。

紀勢本線紀伊田辺-新宮間のローカル列車にしても、105系は論外で、223系5500番台もしくは227系タイプの車両に早く置き換えていただろう。合理化を図りたいのなら、亀山の気動車を回す手も有りだ(→紀伊田辺~多気・松阪直通といった長距離普通列車の実現可能性もあり)。




丹波橋駅が京阪沿線から東日本各方面・近鉄沿線および滋賀県方面へのハブとしての意味を持っている、いう記事を書いた。
http://katanogawara.blog.jp/archives/12011475.html

大阪側で同様の意味を持つ駅といえば、京橋だろう。京橋は大阪市北東側のターミナルであり、京阪電車、JR環状線・学研都市線・東西線、そして地下鉄長堀鶴見緑地線が乗り入れている。京阪電車トップの乗降客数を誇り、JR(西日本)のほうも上位にランクインしている。京阪の大阪側の主要ターミナルと位置づけられ、京阪モールなどを核とするショッピングセンターが併設されている。

京橋駅は、JRで関西空港にも直結しているため、北海道から沖縄までの全国各地、さらには世界各国へのハブとしての役割を持っている。京阪京橋駅でJRに乗り換える主な旅客の流れとしては、

1)JR環状線経由大阪駅・梅田・USJ方面
2)JR環状線または東西線経由西宮・芦屋・神戸・宝塚方面
3)関西空港経由(JR関空快速利用)航空機で日本全国および世界各国
4)大阪駅から特急「サンダーバード」で北陸方面
5)大阪駅から特急「こうのとり」・「はまかぜ」で北近畿(福知山・丹後半島・城崎方面)
6)大阪駅から特急「はくと」で鳥取・倉吉方面
7)関空快速・紀州路快速で堺・泉州・和歌山方面(阪和線)
8)鶴橋から近鉄沿線各地(伊勢志摩ほか三重県各地および名古屋方面、生駒・奈良方面)
9)天王寺駅から特急「くろしお」で南紀
10)阿部野橋(天王寺駅)から近鉄(南大阪線藤井寺・富田林・吉野方面)
11)新今宮から南海(堺・泉州・和歌山・河内長野・高野山方面)
12)JR大和路快速で王寺・奈良・五条方面
13)JR学研都市線住道・四条畷方面

鉄道で全国規模の移動をする場合(東京・東北・新潟・岡山・広島・島根・四国・九州方面)、新大阪駅から新幹線を利用することになる。新大阪へは京橋で乗り換えるよりも、淀屋橋から地下鉄御堂筋線経由のほうが楽だろう(ただし、京橋からJRに乗ると、大阪駅での乗り換えの手間はかかるが運賃は少し安くなる)。

枚方・交野・寝屋川方面からわざわざ京橋まで出てJR学研都市線四条畷付近以東へ電車で移動することは、迂回的ルートで実用上考えにくい。しかし、学研都市線(主に四条畷以西)から京都市内への通学・レジャー等を目的に、京橋へ出て京阪特急に乗車する人は珍しくないだろう。京阪京橋駅は、日本および世界各地から京都伏見・東山・洛北・比叡山方面への玄関でもあるのだ。

近鉄沿線および奈良方面へは、寝屋川市以東からの場合だと、丹波橋乗り換えが一般的だが、大阪府内の東大阪・八尾・藤井寺・富田林市方面へは京橋・鶴橋(または天王寺)乗り換えが早い。名古屋や伊勢志摩へ向かう場合も、鶴橋から特急に乗るほうが本数も多くて便利だろう(丹波橋からの場合は基本的に大和八木で別の特急に乗り換えることになる)。

大阪駅・梅田へは淀屋橋で地下鉄御堂筋線乗り換えも可能だ。特に阪急電車方面、および阪急梅田駅周辺・ヨドバシ方面へは、御堂筋線梅田駅下車が便利だ。阪急電車を利用する場合、枚方市駅からバスで高槻・茨木に出るほうが安い。

関西から「青春18きっぷ」で北海道旅行する場合、JR関空快速+航空機で新千歳到着後、新千歳空港駅から「青春18」で道内各地を回る、というプランも人気だ(大阪近郊区間においても出発地によっては関空までの片道だけで青春18きっぷ一日分のモトがとれる)。関西の駅スタンプの押されたきっぷをJR北海道の駅員・車掌に呈示する瞬間を一度経験してみたいものだ。


先日、京阪沿線から新幹線東京方面行きを利用するとき、京都駅または新大阪駅のどちらから乗るか、ということについて記事をエントリーした。
http://katanogawara.blog.jp/archives/11636260.html

今回は、京阪沿線からJRで北近畿・山陰方面へ旅行するときの経路について、考察を加えてみたい。
この場合も、京都駅・大阪駅両方からのスタートが可能だが、実用的な目的(「青春18きっぷ」での鉄道旅行とかではなく)での場合についてのみを検討する。

実用的な場合、すなわちビジネス・出張・その他用務、あるいはグループ・団体での旅行の場合、もちろん特急利用中心のプランを立てることになるだろう。その場合、次の経路が現実的に可能だ。

(1)福知山・舞鶴・丹後半島・豊岡・城崎方面
A)京都駅から山陰本線「きのさき」「まいづる」「はしだて」
B)大阪・尼崎駅から福知山線経由「こうのとり」
C)大阪駅から播但線経由「はまかぜ」

(2)鳥取・倉吉周辺
D)京都・大阪駅から智頭急行経由「はくと」

(3)米子・松江・出雲
E)新幹線~(岡山)~伯備線経由「やくも」

舞鶴市を訪れる場合、京都駅から山陰本線経由のほうが早い。福知山線経由だと、福知山駅で普通列車に乗り換える必要があり、やや不便だろう(かつては大阪-舞鶴直通の優等列車もあったが)。高槻・茨木方面からの場合、また大阪市内からJRに乗車する場合も、JR京都線に乗って京都駅経由山陰本線に入るほうが、距離が短く、早くて安い。

天橋立および丹後半島の峰山・網野・久美浜方面(京都丹後鉄道)へも、どちらかといえば京都駅から直通の「はしだて」に乗るほうが便利だろう(福知山線経由の場合も、福知山駅でうまく接続するダイヤとなっているが)。

京阪電車各駅から山陰本線京都口へは、三条京阪・地下鉄東西線経由二条で乗り換えることも可能だが、三条京阪での地下鉄への乗り換えの手間は煩わしい。(丹波橋または東福寺乗り換えで)始発の京都駅から乗るほうが無難だろう。

JR学研都市線沿線から北近畿へは、JR東西線経由尼崎で福知山線に乗り換えるルートが一般的だろう。尼崎には「こうのとり」など福知山線の特急列車が全て停車する。直Q京都号+(京都駅)+山陰本線経由も可能で、特に舞鶴方面へは京都駅経由のほうが早い。

神戸・姫路から播但線経由の「はまかぜ」は、本数が少ない上に所要時間もかかるが(尼崎は通過)、ちょっと寄り道してみたいときにはおススメだ。気動車で運転のため、城崎から先、香住・浜坂そして鳥取まで足を伸ばす。普段は閑散としているようだが、カニシーズンやGW・お盆・正月のときなどは混みやすい。最近では、竹田城への観光利用も目立つようだ。学研都市線方面から「はまかぜ」を利用する場合、三ノ宮から乗車すればよい(三ノ宮へは普通電車1本で到達可能だが、尼崎で快速・新快速に乗り換えるほうが早い)。

鳥取・倉吉方面へは、かつては京都駅から山陰本線、大阪駅から福知山線または播但線経由の優等列車が多く運転されていたが、智頭急行開通後、京阪神と鳥取が高速で結ばれるようになり、智頭急行経由「はくと」利用が一般的だ。「青春18きっぷ」使用の場合も、智頭急行をワープに重宝することが多い。



平成初期の頃、JR東日本では、「夢空間」という、今流行りの豪華寝台車・クルージングトレインの走りというべき車両が作られた。

この「夢空間」を使用して、東北・北海道など東日本各地へ数多くの臨時寝台特急が運行される。北海道においては、トマム方面へのスキー客向けに石勝線・根室本線にも足を伸ばしたそうだ。

東日本だけでなく、(JR東海を避けて)日本海・北陸経由で関西や西日本へも運転されていたようだ。その一つに、1992年4月に運行された「夢空間TAP山陰路」(上野~出雲市間)がある。運行経路が非常に面白く、

上野-(高崎線、上越線)-長岡-(信越本線、北陸本線)-敦賀-(小浜線、舞鶴線)-福知山-(山陰本線)-出雲市

というルートだったという。当日、実際に乗車された方によるレポート記事があるので、ここで紹介する。

http://ameblo.jp/twilight-express80018002/entry-12073220431.html

「夢空間山陰路」の情報について、私は鉄道雑誌立ち読みで知ったように記憶している。時刻表1992年4月号あたりに、この列車の時刻が記載されているようなので、興味のある方は調べていただければ幸いだ。

これと似たようなルートで、かつて名古屋から出雲市まで気動車急行「大社」が運転されていた。宮津線(現・京都丹後鉄道)経由だったので、途中米原・敦賀・豊岡で3度もスイッチバックしていた。「夢空間山陰路」は長岡駅1回のみのスイッチバックで済ませている。

また、国鉄末期の1986年秋、日本三大美祭として知られる高山祭の臨時として、上野-高山間の寝台急行列車が上越・信越・北陸本線を経て、富山から高山本線に入るという、これまたユニークな経路で運行された。









京都駅に発着していた国鉄型車両の写真(ここ10年ほどの間に撮影したもの)を集めてみました。

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JR京都線・神戸線各駅停車用201系

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485系「雷鳥」(新大阪にて)

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嵯峨野線(山陰本線)113系


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特急「きのさき」「まいづる」183系(旧・485系)

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湖西線・草津線113系(草津にて)

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琵琶湖線普通列車の運用に入った117系(瀬田にて)


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奈良線103系


もう少し昔に遡れば、琵琶湖線・JR京都線・神戸線快速電車の113系、JR京都線・神戸線各駅停車用の青い103系、キハ58系「丹後」「たかやま」、381系「くろしお」「しなの」、ブルートレイン(寝台特急)24系、奈良線117系快速電車・113系春日色・105系などもありました。

今では残り少なくなった113・117系はほとんど「お抹茶色」の単色ばかりだし、奈良線の103系も黄緑色で、統一感はあるが何だか寂しいですね。


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昨日、近鉄京都駅を訪れたとき、国鉄型車両が3本止まっているのに驚いた。
奈良線103系、抹茶色113系、そして117系。

大阪駅では見られなくなった車両たちだが、京都駅では今もまだ見ることができる。
しかし、JR京都線・琵琶湖線の電車および北陸本線「サンダーバード」はもちろんのこと、嵯峨野線(山陰本線)からは国鉄型車両が撤退し、残るは湖西線・草津線の113・117系、および奈良線の103系だけとなった。
首都圏やJR東海に比べて新車の投入が遅れていたJR西日本の近畿圏も、ここ数年の間で急速に変わりつつある。

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12月24日の運用修正で阪和線の4ドア車4連口の運用がなくなったようだ。
すなわち、205系1000番台の営業運用が消えたということ。
既に一部は向日町へ疎開しているが、果たして次の転属場所はあるのだろうか??

205系1000番台はJR西日本発足後の翌年1988年、阪和線に4両×5本だけ投入された。
国鉄型車両から221系以降のJR西日本オリジナルモデルへ移行する過渡期のものだった。
国鉄時代末期に東海道・山陽線に配置された0番台とはフロントガラスのレイアウトなどが異なる。
私個人的に、フロントの顔は0番台のほうが、バランスが整い安定感があって好感が持てる。

0番台も阪和線に転用され、その後一時期JR京都線に復帰するが、再び阪和線へ戻る。
現在、6両編成4本が残っており(中間サハは余剰のため廃車)、12月24日以降も活躍中だが、
引退は時間の問題だろう。

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2002年12月某日、たぶん「スルットKANSAI 3Dayチケット」を使って、南海の小さな支線、高師浜支線(羽衣-高師浜間)に乗ってみた。南海羽衣駅の東側にはJR阪和線の東羽衣支線(鳳-東羽衣間)が乗り入れている。面白いことに、競合関係にある南海線・JR阪和線とその支線群で形成される路線網との間には、奇しくも相似の関係が見られる。それはすなわち、

南海線 vs 阪和線
高師浜支線 vs 東羽衣支線
空港線 vs 関西空港線
和歌山港線 vs 和歌山市内線(紀勢本線和歌山-和歌山市間)

なる平行関係があるということ。しかも、上記JRの支線全てが南海に接続しているばかりか、さらに平行関係にある南海の支線(例:鳳→東羽衣/羽衣→高師浜)にも接続しているのだ。

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大阪環状線・阪和線の103系の動きに注目が集まっているが、関西ではすっかり影の薄くなった113系のことも思い出していただければと思って、今まで撮った113系の写真を探してみた。意外にも近畿圏での113系の写真は少ないんだなぁ・・・。できるだけ原型に近い姿をということで、山陰本線豊岡で撮った湘南色の写真をアップする。ワンマン2連口に改造された5300番台だが、山陰本線京都口(嵯峨野線)に乗り入れていたため、福知山支社オリジナルではなく、国鉄時代からお馴染みの原色・湘南色を装った。

福知山電車区に223系5500番台が投入されて8年経過した今も、113系が抹茶色(→「青ガエル」)1本だけ残っているようだ。


とあることから、兵庫県北部の但馬地方の郵便番号について興味深いことを知った。

兵庫県内の郵便番号は、上3桁が

650台 神戸市・芦屋市、淡路島
660台 阪神
670台 姫路・播磨地域

と大別できるが、日本海側の但馬地方は、姫路ナンバーの地域にもかかわらず、意外にも大半の市町村が南東部の阪神と同じ660台(667、668、669)なのだ。例外は、播但線沿線の朝来市の旧生野町・朝来町。

ついでに丹波地方も調べてみたら、篠山市・丹波市も669であり、三田市などと同じだ。

660台は大阪市に隣接する尼崎の地域区分局を表しており、尼崎市を拠点にJR福知山線および山陰本線に沿った地域全体をカバーしていることになる。但馬地方から県都・神戸市への交通はとにかく不便であり(むしろ大阪市や京都市へ行くほうがまだ便利)、それをカバーする目的も兼ねて播但線経由の特急「はまかぜ」(キハ189系)が現在も運行中である。また、浜坂・新温泉町方面から神戸三宮への長距離バス(全但バス)も1日数本運行されている。

なお、JR福知山線は終点・福知山駅だけ京都府であるが、福知山市の位置が大阪・京都よりもかなり西へ寄ってるだけに兵庫県と思われやすい。大阪・尼崎方面から但馬へは、JR福知山線経由だと福知山付近で一旦京都府に踏み入れるも、山陰本線を西へ進んで再び兵庫県に入る経路をたどることになる。

ちなみに、衆議院小選挙区の兵庫5区について、但馬・丹波地域全体に加えて、大阪のベッドタウンである三田市・猪名川町まで広範囲に及ぶことに、違和感や不満を持つ住民も多いだろう。せいぜい三田市・猪名川町・篠山市・丹波市だけで一つの選挙区を作り、但馬地域は独立した一つの選挙区にするのが自然だろう。あるいは、尼崎・伊丹・川西・猪名川の4市町は大阪府に編入するほうが、より合理的だと思われる(実際、市外局番は大阪府扱いなので)。


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谷川駅に停車中のキハ40。
電化された今も、西脇市-谷川間は1日数本の列車しか来ない閑散路線となっている。
それにもかかわらず、「大阪近郊区間」の範囲に含まれており、大回り乗車の通り道としての利用価値はあろう(笑)

もともと加古川線が電化されたのは、阪神大震災など非常時の東海道・山陽の迂回路線を確保するためだった。実際、阪神大震災の時、東海道・山陽本線は寸断され、福知山線・加古川線・播但線は迂回経路として賑わっていた。加古川線ではJR西日本管内ばかりか、はるばるJR東日本の秋田からも気動車(キハ58系)を借りて特別輸送をしていたようだ。また、関西~九州間の寝台特急(ブルートレイン)は福知山~山陰~播但線を迂回していた。福知山線を走行するブルートレインは、かつて陰陽連絡幹線として賑わっていた頃を彷彿とさせる光景だったことだろう。せっかくなので、山陰本線をひたすら走行してもよかったのでは・・・。



JR初期の頃の阪和線・きのくに線の動画を見つけました。
205系1000番台はデビューしたばかりで、113系(阪和色)6連、一つ目玉103系、そして101系クハからの改造車(クハ103-2500番台)、そして和歌山線の113系赤帯もあり、国鉄時代の面影がまだ色濃く残っていた頃です。あの頃の阪和線はとにかく103系尽くしでしたね。阪和線103系の引退がカウントダウンを迎える今、当時の阪和線を思い出すのはいかがでしょうか?

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阪和線・大阪環状線の103系が引退予定ですが、奈良線も先は長くないようなので・・・


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阪和線・大阪環状線の103系もいよいよ終わりを迎える。大阪環状線に残る103系の先頭車は高運転台車だけとなっている。
先日、天王寺駅へ阪和線103系の最後を見物に行ったとき、和歌山方先頭車は高運転台車クハ103-800で、片町線(学研都市線)で活躍していた103系のことがふと気になった。

片町線の103系は、1979~80年に淀川電車区に新製配置された高運転台車に始まる。数年前まで旧型国電の巣窟だった片町線だが、1977年より101系が大阪環状線から転用される。しかし、1979年10月、四条畷-長尾間の複線化完成および東寝屋川・藤阪両駅の開業に合わせ、前述の103系高運転台車も加わる。当時、101系は非冷房車ばかりだっただけに、103系が来たら新車と思って歓迎されたことだろう。

その後1983~85年にかけて、東海道・山陽線普通電車への201系投入で余剰となった103系が大量に片町線に転用される。東海道・山陽普通の103系は1972年に配置された低運転台・豚鼻ライトが多く、これが片町線にも増殖する。

国鉄末期に片町線の7両編成への増強、そしてJR発足後に長尾-木津間電化を控え、103系の編成替・短編成化改造が大規模に進められる。全線電化完成後、103系は木津・奈良まで運用されるようになる。しかし、JR東西線開業を前に、207系新型電車が先行的に片町線に配置され、103系は1996年までに引退する。片町線生え抜きの高運転台車は、1992年に関西本線(大和路線)に転用され、黄緑色への塗装変更を受ける。黄緑色の高運転台車は首都圏の山手線・横浜線・埼京線のイメージが強く、大阪では1992年に初めて実現。黄緑色の103系は大阪環状線の運用にも入り、環状線内での黄緑色高運転台車はまさに山手線を彷彿とさせる姿だった。

103系高運転台車は一時期、奈良・明石・宮原・広島にも配置されていたが、現在森ノ宮と日根野に集約され、余生を過ごしている。

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201系転入前で103系ばかりだった頃です。
今、環状線に残っている103系は高運転台車ばかりなので、何気に過去のものとなってしまいました。




来月下旬で引退予定の阪和線103系(羽衣支線は来年3月)。
一世を風靡した103系も225系(5100番台)に置き換えられ、急速に減らしている。来月下旬以降、阪和線は関空・紀州路快速、区間快速、普通とも223・225系ばかりとなる。103系尽くしだった20~30年ごろ前の思い出を少し書いてみたい。

国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正で、阪和線のダイヤは大幅に変更された。従来、快速電車は基本的に113系だったところ、紀勢本線直通の削減、および増発と合わせて103系の運用が増えたように記憶している。これにより、阪和線の電車は快速から普通まで「103系尽くし」となった。103系の編成長も従来6両編成だったところ、一部4両編成に短縮され、4連口を2本連結した8両の快速も登場する。

翌年1987年のJR発足後、さっそく6月に103系と165系を混結した珍編成の団体列車が運転され、話題を呼んだ。

JR最初の1988年ダイヤ改正で205系1000番台が阪和線に新製配置されるが、4両×5本のみで、やはり103系が主役だった。1989年改正では、御坊直通快速の増発と引き換えに、113系が6連から4連に短縮され、ラッシュ時には4連口×2の8連運用も実現する。これを生かして、和歌山で分割併合の天王寺~五条・紀伊田辺快速も登場する。

関西空港開港の1994年、五条・紀伊田辺直通快速がなんと103系に変わった。天王寺-紀伊田辺間は150km近い長距離でロングシートの103系では、さすがに不評を買うことになり、103系の紀勢本線・和歌山線直通は5年ほどで解消しった。関空開業に合わせて223系が登場するが、振り替えれば、これは阪和線103系の終わりの始まりでもあったと言えよう。

関空快速につづき、環状線直通の紀州路快速の登場により、103系の快速電車はかなり減った。しかし、普通電車は依然として103系天国だった。ただ、阪和線用に225系5000番台が大量投入される2011年のダイヤ改正で、区間快速の増発、および紀州路快速の日根野以南各駅停車化により、103系の運用は大幅に減らされ、昼間時間帯は天王寺-鳳間の普通のみで運用されるようになる。これで阪和線103系の終焉が事実上保証された。そして2014年に、普通電車を新車に置き換えると発表された瞬間、103系の引退は確定する。

なお、1999年から2010年までの間、阪和線の快速電車に221系(奈良電車区所属)も使用されたが、2010年12月の225系営業運用開始を前に、阪和線から撤退した。

225系は阪和線103系ばかりか、紀勢本線の113系も置き換え、さらに特急「くろしお」の381系も287・289系化され、国鉄型車両の天国だった和歌山地区も、105系を除いて過去のものとなる。


久しぶりに天王寺・阿部野橋界隈を訪れた。

目的の一つは、来月引退予定の阪和線103系を撮影すること。
京橋駅の環状線外回りホームに着いたら、関空・紀州路快速がやってきた。これは225系5100番台に乗れるかな・・・。 と期待していたら、後4両は5100番台だった。天王寺まで各駅停車、わずか15分余りの旅を楽しんだ。天王寺に着いたら、階段を上って、阪和線専用ホームを覗くと、8・9番線に青の103系が止まっていた。普通・鳳行きだが、このありふれた光景も来月下旬から見られなくなるという。普通電車の多くも、既に225系5100番台に置き換えられている。

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この見慣れた光景も来月まで

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普通電車も225系となる

阪和線専用ホームは、櫛形の行き止まり式ターミナルで私鉄の雰囲気があり(元・阪和電鉄だった)、特に1番ホームは、かつて南紀直通の特急・急行列車が発着していて、紀州路への旅情を誘い込む華やかムードを醸し出していたが、「くろしお」が新大阪・京都発着となった今、このホームから発車する列車は少なくなり、閑散としている。

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阪和線ホームは私鉄ターミナルのような雰囲気がある

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それから、名物の駅うどんだった「天王寺うどん」もなくなって、別の店に変わっている(京橋などと同じうどん店)。

ちょうど20年ほど前、紀勢本線の165系やキハ58系国鉄色を追いかけるため、ここ天王寺から「青春18きっぷ」で紀伊半島一周の旅に出たことを思い出す。それも一度ではなかった。数年後にこれらが消えてなくなり、去年は381系「くろしお」も引退、阪和線に残る国鉄型車両は103系だけとなった。

その後、近鉄百貨店(あべのハスカル)に入って、紳士服フロアでコートを見て回る。やはり百貨店で売ってるコートは6~8万円以上と高いが、売り場面積が広い分品揃えは良く、試着するだけでもよいので行ってみる価値はある。大阪で大人のキレイ目休日着を探すのなら、梅田・心斎橋・なんばに加え、阿倍野近鉄もぜひ候補に入れたい。かつて、一時期阿倍野近鉄に寄る機会も多かったが、ここ最近全然行かなくなった。今回、あべのハスカルがオープンして以来、初めて入った。

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近鉄阿部野橋駅 シリーズ21(6820系)が停車中

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見づらいが「青の交響曲」


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