カテゴリ:国鉄・JRグループなど > JR西日本(京阪神地区・滋賀・兵庫南部エリア)


225系の追加投入に伴い、東海道・山陽本線(琵琶湖線、JR京都線、JR神戸線)から221系が撤退した模様です。

同線(本線)に221系が登場したのは1989年。221系は新生・JR西日本の近郊型電車スタイルを確立したパイオニアです。軽快なスピード感と柔らかさを両立させた丸みのある白色の車体デザイン、3ドア転換クロスシートの快適な車内空間というスペックで製造され、国鉄以来の113系などとは一線を画するインパクトが強烈で、私鉄王国関西の勢力図を塗り替える存在でした。当初、「アメニティライナー」という名前が付けられたが、定着しなったようです。

本線では当初、快速(普通)用113系を置き換える計画だったようですが、221系はたちまち好評を博し、1990~91年までに新快速は国鉄型117系(2ドア転換クロスシート)を置き換え、以降およそ10年間にわたり京阪神の花形列車・新快速を中心に活躍。新快速の221系への置き換えに合わせ、最高速度120km/hに引き上げるともに、高槻・芦屋に停車するようになりました。快速もおよそ3~4割程度、221系で運用されるようになりました。221系は1990年、ローレル賞を受賞しました。

阪神淡路大震災の1995年以降、後継223系の登場、そして新快速の最高速度130km/hへの引き上げに伴い、221系は早くも新快速運用から撤退。その後も本線ではおよそ25年にわたり引き続き快速で活躍。しかし、223系そして225系の大量増備が続き、221系は順次他線区(大和路線・奈良線・おおさか東線・嵯峨野線・湖西線・草津線)に転属し、2024年3月ついに本線から引退となったようです。221系は一時期、福知山線や阪和線などにも活躍の場を広げましたが、223・225系に置き換えられました。

なお、草津-山科ー京都間では草津線または湖西線直通列車のみ221系が残ります。

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更新工事前の姿 草津にて

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高架工事完成後の姫路にて

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山崎にて

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網干車庫を出庫する未更新編成

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更新後の姿 普通・米原行き 山崎のサントリーカーブにて

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同じく山崎にて 下り普通



国鉄201系通勤型電車の全廃へ、いよいよカウントダウンの時を迎えました。

JR東日本から201系が引退して13年経過し、JR西日本でも廃車が相当進み、残りが大和路線(関西本線)で最後の活躍をしています。ここでは、JR西日本所属の201系のみについて書くことにします。

JR西日本管内では、国鉄時代末期の1983~84年にかけて東海道・山陽線(JR京都線・神戸線、草津-京都-西明石-加古川間)普通用に投入。車体塗装色はスカイブルー(青22号)、7両編成(4M3T)×32編成で合計224両が納車されました。所属は国鉄最後の1986年末までに明石電車区に集約。これら224両は全てJR西日本に継承され、1987年から2006年ごろまでまでにかけて、引き続き東海道・山陽線普通で活躍。JR東西線開通(1997年)以降、JR京都・神戸線普通の列車運行体系が大きく変わり、JR京都線~福知山線(JR宝塚線)直通が誕生したため、一時期福知山線新三田・篠山口まで足を伸ばすようになりました。また、朝ラッシュ時のみ湖西線堅田まで乗り入れる運用も存在しました。

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JR京都線・神戸線時代

321系通勤型電車登場(2005~08年)により、JR西日本の201系に転機を迎えました。まず大阪環状線(森ノ宮区)に転属することとなり、関西で初めてオレンジ色の201系が登場。環状線は8両編成で、転属の過渡期に4両編成×2本という変則編成も出現するが、最終的に8両貫通編成(4M4T)に落ち着きました。

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大阪環状線に転属直後の頃

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大阪環状線転属から10年後

ほどなくして、関西本線(大和路線)(奈良区)にも転属することになり、国鉄時代を含めこれまで幻の存在でしかなかったウグイス色(黄緑6号)の201系が初めてデビューしました。大和路線用は6両編成(4M2T)。大和路線に加え、2008年第一期開業のおおさか東線(久宝寺-放出)にも投入。そして朝ラッシュ時間帯に限り桜井線・和歌山線(奈良-高田-王寺)の運用も設定。

201系は環状線・大和路線転属までに、全車N40改造を施工済みです。

その後数年間、行先表示器LED化以外に大きな動きもなく経過するが、大阪環状線に新型車両323系の投入が決まり、2016年以降順次103・201系を置き換え、2019年までに環状線から消滅。

一方、奈良区のほうでは、おおさか東線新大阪延伸開業(2019年)に伴い、201系の運用本数が増加し、環状線から一部転属。最終的に201系は奈良に結集するが、東海道・山陽本線への225系大量追加計画が明らかになって、余命宣告を受けることに。2022年春、おおさか東線では221系に置き換えられる形で撤退。新大阪直通の201系はわずか3年で終了しました。残る201系も東海道・山陽本線への225系投入→221系転属という形で、2024年までに引退が決まっています。

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おおさか東線・新大阪で283系オーシャンアローと並ぶ

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関西本線 王寺-三郷にて




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山陰本線園部-綾部(福知山)間電化開業間近の頃です。福知山行き普通列車(キハ47ほか)が停車中。ホーム左に停車中の電車(113系)は折り返し京都行きです。京都-園部間電化以前は、客車列車(12系、50系ほか)が多く走っていました。

園部駅(京都府南丹市園部町)にはJRバス2路線が発着していました。園福線(丹波運動公園・兎原方面福知山行き)と園篠線(丹波篠山方面)。園福線は、JRと大きく離れる国道9号線沿線(旧・丹波町、瑞穂町、三和町)を小まめに結んでいますが、2024年春に廃止の予定です(廃止後、沿線各市町が代行バスを運行する予定)。園篠線は、京阪京都交通【44】系統に受け継がれ、現在も福住まで運行されています。

園部駅といえば、知る人ぞ知る幻の駅弁・「栗めし」が人気。地元・丹波産の栗が味わえます。駅構内での販売はなくなり、今も駅近くのお店で弁当の予約販売があるそうですが(かつては鮎姿すしや松茸めしもあったが)。


(その1)
http://katanogawara.blog.jp/archives/43689582.html
の続きです。

JR西日本のキハ35系で注目すべき動きは、和田岬線(正式には山陽本線和田岬支線)への転用でしょう。

和田岬線は神戸市街地の兵庫-和田岬間1駅だけを結ぶローカル線(全長2.7km)。JR発足後も、旧型客車(牽引機はDE10)が営業列車として走っていた唯一の路線です。和田岬線の旅客輸送は港湾エリアの工場通勤客専用と化しており、列車は朝夕通勤時間帯のみに運行されるため、JR西日本有数の黒字路線のようです(このほか、鉄道車両工場からの車両搬出輸送などにも活用されている)。和田岬線用の旧型客車は、短い所要時間で大勢の通勤客を輸送することを目的に、ロングシート化、あるいは座席を撤去した特別仕様でした。

しかし、和田岬線にも運用効率化の波が押し寄せ、1990年10月よりキハ35形気動車に置き換えられることになりました。和田岬線の輸送実態に合わせ、8両をキハ35形300番台に改造。主な改造内容は、

1)客用扉を片側のみとする
2)2両ワンペアとし、片側はエンジン無しの付随車「キクハ」とする


和田岬線の停車駅は、兵庫・和田岬の2駅で、いずれも西側にホームがあるため、東側の扉は非常用の1枚を除いて鉄板で塞がれました。また、和田岬線は距離の短い平坦路線ゆえ、いくらDMH17型の旧式エンジンでも、全車両エンジン付きはさすがにスペック過剰という判断だったようで、2両ワンペアで片側はエンジン無しとし、燃費ほか経費節約が図られました。冷房改造は無し。改造車と対応する種車は以下の通りです。

キハ35 301(元 キハ35 123)
キハ35 302(元 キハ35 137)
キハ35 303(元 キハ35 189)
キハ35 304(元 キハ35 207)

キクハ35 301(元 キハ35 156)
キクハ35 302(元 キハ35 157)
キクハ35 303(元 キハ35 181)
キクハ35 304(元 キハ35 194)


実際の運用は、キハ35+キクハ35を3本つないだ6両編成でした。所属は鷹取区→網干区。キハ35系の長編成運用は、関西本線奈良電化前の頃を彷彿とさせるものでした。

21世紀に入り、2001年7月、和田岬線もついに電化されることになりました。JRグループでのキハ35系も既に風前の灯で、和田岬線が全国で最後の営業運転した。電化後、和田岬線では103系スカイブルー6両編成を使用。キハ35・キクハ35-300番台は2002~04年にかけて廃車されました。電化から22年経過した2023年、103系は引退し207系に置き換えられました。和田岬線の103系は原形に近い姿での最後の活躍でした。


JR西日本に継承されたキハ35系の動きについて調べてみました。

1987年4月JR発足の時点でのキハ35系の配置状況は以下の通りでした。

(1)1987年4月1日現在
【姫路運転区加古川支区(近ヒメ)】
(キハ30)63 69 70 71 72 73
(キハ35)123 137 156 157 167 
 
【亀山運転区(近カメ)】
(キハ35)181 189 194 206 207

【富山運転区(金トヤ)】
(キハ30)27 
(キハ35)116 117 147 175 195 196 202 204

【小郡運転区(広コリ)】
(キハ30)82 83 84


(出典:きはゆに資料室)

まず、この時点で加古川(1987年時点では姫路の支所扱い)と富山にキハ35系がまとまった数だけ在籍していたのは驚きです。加古川線および鍛冶屋線(廃止)はキハ35系が比較的多かったが、支線区の第三セクター化などに伴い、国鉄末期までに相当数廃車されています。加古川線・鍛冶屋線ではキハ20・23・40・47との混結で使用されていました。さっそく加古川のキハたちは、エメラルドグリーンを基調とする地域カラーに順次塗装変更されました。加古川のキハ35系は鍛冶屋線廃止および加古川線ワンマン運転開始(1990年)の時点で、運用離脱(キハ20・23も同時期に撤退)。加古川線ワンマン列車はキハ40・47に統一されました。

雪国の富山にキハ35系がいたのは意外と思われるかもしれません。富山のキハ30系は、主に平坦線区の氷見線・城端線で運用されていました。富山には国鉄末期に名古屋から転入した車両(キハ35-175号)もいました。ちなみに名古屋所属のキハ35系は、武豊線で運用されていたが、国鉄末期までに一掃。

亀山所属車は主に関西本線(亀山-奈良)と片町線(木津ー長尾)において、キハ58系などとの混結で運用(JR東海の紀勢本線亀山-多気間にも乗り入れていた)。関西本線といえばキハ35系発祥の地として有名だが、国鉄時代の最盛期に比べて大幅に数を減らし、JR西日本に継承されたのはわずか5両のみでした。片町線全線電化(1989年)を経て関西本線亀山-加茂間ワンマン運転開始(1990年)までに、関西本線からキハ35系が引退しました(一時的に加古川線色のキハ35が転属したこともある)。ワンマン列車はキハ28・58に統一されるが、早くも3年後にはキハ120に置き換えられました。

小郡区のキハ30は、主に山陰本線仙崎支線と美祢線大嶺支線で使用。


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京都鉄道博物館の仲間に117系が新たに加わりました。クハ117-1が常設展示されます。

https://www.westjr.co.jp/press/article/items/230728_00_press_kyotomuseum117.pdf

117系は1979~80年、京阪神地区の新快速に投入された国鉄近郊型電車。私鉄王国関西における国鉄の競争力を高め153系を置き換えるべくして、大阪鉄道管理局の意地をかけて設計開発されました。117系は料金不要の「近郊型」でありながら、2ドア・転換クロスシートという破格の仕様とし、スピード感ある流線型スタイルの車両デザイン、落ち着いた塗装デザインとインテリアが「売り」で、旧来の急行型車両を凌駕し、私鉄(京阪、阪急)特急車両と遜色のない出来でした。その後、名古屋地区快速にも117系が投入されました。

117系はJR西日本・JR東海の2社に継承されました。しかし、新型車両(221・223系、311・313系)の登場に伴い、ほどなくして新快速から撤退。JR西日本では、各地のローカル用に転用されました。JR東海では11年前の2012年に引退。117系は2ドアが災いして、せっかくの乗り得車両なのに、どこでも「使いにくい車両」で運用現場では厄介者扱いされていたようです。

JR西日本では今春京都地区(湖西線・草津線)から撤退。続いて岡山地区でも今月227系運用開始に伴い定期運用は終了しました。営業列車では「West銀河」だけが残っています。


福知山線快速用117系です。白地に緑の帯を配した塗装デザインで、JR東日本185系【踊り子】を髣髴とさせる印象でした。1990~2007年ごろまで存在しました。

一時期、山陰本線福知山-城崎温泉間の運用にも入り、早朝の大阪発城崎温泉行き普通電車に使用されていた記憶があります。また、福知山色が奈良線の運用に入ることもありました。

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今から20年ほど昔だったと思います。山陽本線福山から赤穂線播州赤穂まで103系の普通電車に乗車したことが一度だけありました。

当時、岡山電車区には103系4両編成(H編成)が5本在籍していました。塗装は岡山の「マスカット色」で、大和路線・奈良線用(奈良区)の黄緑色に白帯を配した塗装とよく似ていました。

岡山に103系が配置されたのは1994年~2010年。115系非冷房車を置き換える目的で、JR京都線・神戸線(明石区)への207系投入で余剰となった103系が転入したのが始まりで、編成番号はH01~H05編成。ただ、これら5編成は2005~2006年までに広島へ転属、または廃車されました(H03のモハユニットは奈良に転属)。

その直後に日根野・奈良・広島から新たに103系が転属または借入分が加わるが(H11~H21編成)、塗装はマスカット色とはならず元の配置区時代(青・黄緑・瀬戸内色)のままでした。H11~H21編成は高々3年の短命に終わり、2010年までに廃車。

さて、実際に乗車した山陽本線・赤穂線の103系ですが、トイレなしは別として、意外に苦痛ではなかったと思います。赤穂線を走る103系もなかなか面白かったです。岡山のH01~05編成は、ユニット窓・豚鼻の中期タイプで、JR京都線・神戸線(京阪神緩行線)や大阪環状線に集中的に投入された仲間でした。

現在、最後の現役103系が兵庫県の加古川線・播但線に残っているが、岡山の103系が山陽本線・赤穂線経由で兵庫県に乗り入れたことも、地味に驚きです。岡山に初配置当初、姫路まで103系が乗り入れていたが、ほどなくして中止になったようです(以降、岡山方面から兵庫県への103系乗り入れは赤穂線・播州赤穂以西に限られる)。



昨日(2023年4月1日)をもって、湖西線・草津線の113・117系が引退しました。これに伴い、定期列車で京都駅に乗り入れていた国鉄型車両は、奈良線205系(0番台)を除いて過去のものに。今後、205系と臨時列車の117系West銀河を除き、 京都駅に出入りする国鉄型車両は皆無ということになります。

この機会に、京都駅を行き交う国鉄型車両のギャラリーを作ってみました。

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JR京都線・神戸線普通電車用201系(2005年)

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近鉄側留置線で休む黄緑色103系と青色201系(2004年)

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117系抹茶色(京都色)と「スーパーはくと」のツーショット(2017年)

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117系・113系抹茶色 手前には奈良線103系が留置中(2017年)

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奈良線103系 クハ103-167(2017年)

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113系「忍トレイン」ラッピング編成(2019年)

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特急【きのさき】他で使用されていた183系800番台(2009年)

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嵯峨野線(山陰本線)113系は2010年に撤退(2009年)

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湖西線普通電車の運用に入る117系新快速色(2009年)

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奈良線ホームに停車中の色違い103系たち(2015年)
奥のほうに抹茶色113系が

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近鉄ホームより 右側に117系抹茶色が停車中(2017年)

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嵯峨野線ホームにて キハ58系急行【丹後】と113系のツーショット(1996年)

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国鉄時代末期~JR初期の奈良線の主力だった105系
左側の113系はごくありふれた車両だった

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一昔前の北陸本線のエース 485系【雷鳥】(北陸本線武生にて)

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洗練されたカフェオレ色の113系(草津線柘植にて)

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駅舎改装工事中の留置線で休む165・167系回送(1996年)




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JR東海の特急型気動車キハ85系およびハイブリッド式特急型HC85系が、京都鉄道博物館に展示されることになりました。

展示期間は2023年2月23日~3月5日。

JR東海の車両がJR西日本運営の京都鉄道博物館にデビューするというニュースは、新鮮で驚きでした。

キハ85系はJR東海発足後の数年間にわたって製造。最後のキハ80系【ひだ】【南紀】を置き換え、イメージ一新。前面展望を重視した流線型スタイルが人気で、「ワイドビュー」という愛称が付いています。しかし、登場から既に30年以上経過し老朽化が進んでいることから、HC85系への置き換えが決まっており、2023年3月ダイヤ改正で【ひだ】は全列車HC85系化される予定です。大阪に直通する「大阪ひだ」もHC85系に置き換えられ、JR西日本のダイヤ改正リリーフにもささやかながら宣伝の文言が入っています。

2023年3月以降、【南紀】はキハ85系で残るが、HC85系への置き換えは時間の問題でしょう。この件について、一つ気になるのは、【南紀】の紀伊勝浦直通廃止の噂。HC85系への置き換えのタイミングで、JR西日本区間である新宮-紀伊勝浦間への乗り入れがなくなるかも、ということです。ただ、HC85系はJR西日本管内の富山そして大阪に乗り入れることが決まっており、杞憂に終わればよいのですが。


JR西日本からいすみ鉄道に譲渡されたキハ28が引退すると、ニュースになっています。これに伴い、国鉄の急行型気動車キハ58系の歴史にピリオドを打つことは、ほぼ確実でしょう。 

キハ58系(キハ27・28・56・57・58・65形ほか)は北海道から九州までの全国で、電化・非電化を問わず主要幹線からローカル線まで、大半の国鉄在来線に至って、急行から普通列車まで幅広く運用をこなし、国鉄時代黄金期を陰で支える縁の力持ち的存在でした。キハ58系についての評価はいろいろあるが、多くの鉄道ファンに人気のある車両グループの一つでしょう。

さっそくですが、大阪府内各線におけるキハ58系の足あとをまとめてみました。定期旅客列車では、

東海道本線(外側線)、関西本線(大和路線)、阪和線(羽衣支線を除く)、片町線(長尾-木津)

での運用実績を残しました。


【東海道本線(外側線)】
定期列車は専ら本来の用途である急行列車のみでしょう。基本的に大阪または新大阪駅発着でした。大阪発東行きは北陸・中央・高山本線直通の【ゆのくに】【越後】【たかやま】【ちくま】ほか、新大阪・大阪発西行きは、福知山・山陰・播但・姫新線直通の【だいせん】【丹波】【但馬】【みささ】【みまさか】などが挙げられます。所属区は向日町(大ムコ)・宮原(大ミハ)・福知山(福フチ)・豊岡(福トカ)・岡山(岡オカ)・西鳥取(米トリ)・米子(米ヨナ)・美濃太田(名ミオ)・長野(長ナノ)ほか。

これらの大半は、北陸・中央・福知山線などの電化区間拡大や特急格上げ政策に伴い国鉄時代末期までに廃止、最後まで残ったのは【たかやま】。【たかやま】にはキロ28を連結、末期は車両更新&塗装変更の専用編成が仕立てられ、短い4両編成ながらも急行最盛期の面影をとどめていました。1999年ダイヤ改正で特急【ひだ】(キハ85系)に格上げされ、今も残る「大阪ひだ」ですね。

JR発足後もしばらく残った西行きの【但馬】【みささ】【みまさか】は、1989年ダイヤ改正にて新快速増発と引き換えに全廃(【但馬】は臨時を除き、姫路発着に短縮)。

JR発足初期には、大阪・神戸方面から山陰本線京都口(嵯峨野線)や北陸本線長浜方面への臨時直通列車でキハ58系が引っ張りだこでした。山陰本線は非電化であるばかりか、北陸本線長浜付近も当時交流電化だったため、113・117系などの直通運用はできず、気動車に白羽の矢が立ちました。これらの臨時列車は内側線(旧・電車線)を走行することもあったそうです。普段通勤・近郊型電車(103・113・201・205系)のみしか走らない線路上を気動車が走る光景は、違和感があったことでしょう。

JR西日本に継承されたキハ65形は前面展望式の「エーデル」などに改造され、JR西日本管内の各種臨時列車に引っ張りだこでした。大阪周辺では、福知山線から北近畿地区非電化各線へ乗り入れる特急【エーデル丹後】【エーデル北近畿】、北陸本線~七尾線直通の【ゆぅトピア和倉】(金沢まで485系【雷鳥】と併結、1991年七尾線電化で廃止)をはじめ、京阪神から北陸回り大糸線直通のシュプール・リゾート列車、草津線経由参宮線直通の伊勢初詣列車ほか、多くの臨時列車に起用されました。

【関西本線(大和路線)】
大阪府内区間は1973年奈良-湊町間電化開業後、定期列車の気動車列車は廃止。電化前は名古屋-湊町間直通の急行【かすが】や奈良-湊町間の快速列車などでキハ58系が使用されました。所属区は奈良気動車区(天ナラ)と名古屋機関区(名ナコ)。奈良所属の快速列車運用は【きのくに】臨時の送り込みも兼ねていたようです。

電化から10年ほど経過し国鉄末期になると、行楽シーズンに湊町から笠置・伊賀上野方面柘植まで直通の臨時列車(【伊賀ハイキング号】【伊賀忍者号】ほか)が運転されるようになります。キハ58系が優先的に抜擢されるが、キハ35系ほかが連結されることも珍しくなかったようです。JR発足間もない頃まで続くが、加茂電化(1988年)以降自然消滅。

【阪和線】
南紀(紀勢本線)直通の急行【きのくに】【紀州】が有名でしょう。【紀州】は紀伊半島一周して天王寺-名古屋間のロングランでした。かつて、南紀観光の需要が高く、特に【きのくに】は気動車急行の中でもトップクラスの列車本数を誇っていました。

紀勢本線新宮電化(1978年)で【紀州】の天王寺直通は廃止(名古屋-紀伊勝浦間に短縮)。【きのくに】は気動車のままで残りました。一部列車を除き、電化区間内のみ運転の架線下DCでした。1985年ダイヤ改正で特急【くろしお】(485系)に置き換えられて消滅。これをもって阪和線の定期気動車列車は廃止されました。所属区は和歌山機関区(天ワカ)を中心に、名古屋から直通の【紀州】で美濃太田区(名ミオ)などもはるばる阪和線まで足を伸ばしていました。

【きのくに】には、南海電鉄なんば駅から白浜・新宮直通の列車(キハ5500形)も仕立てられ、和歌山以南の紀勢本線内では天王寺発着編成と併結運転が行われていました。

このほか、阪和線快速8両化工事に伴う天王寺付近運休時に、南田辺-鳳間にキハ58系の臨時普通列車が仕立てられたこともあるようです(情報源はTwitterの画像を探してください)。

【片町線(学研都市線)】
国鉄時代非電化のままだった長尾-木津間での運用実績があります。片町線にキハ58系が入線したのは比較的新しく、1984年ごろから長尾-木津間普通列車で使用されるようになりました。所属区は亀山機関区(天カメ→本カメ)で、関西本線(亀山-奈良)ほか三重エリアの各線ローカルと共通使用。キハ58とキハ35・キハ47ほかとのペアを組んで2両のことが多く、せっかくクーラーを搭載していても(冷房電源車キハ28が不在のため)非冷房は当たり前でした。ただ、JR誕生前後あたりから、キハ28と組む機会も増え、時々冷房車に当たるようになりました。1989年の全線電化開業で、片町線から一夜にして気動車が撤退。これをもって、大阪府内旅客鉄道線の電化率100%を達成。

キハ58系の6両編成が天理臨団体列車で片町線を走行した実績もあるようです。長尾以西の電化区間に入線した可能性も考えられます(始発駅は四条畷あたりか?)。

* * * *

片町線全線電化と同日のダイヤ改正で、奇しくも前述の急行【但馬】大阪乗り入れ廃止、【みささ】【みまさか】が廃止され、大阪駅発着の気動車急行(定期列車)は【たかやま】のみに(このほか、ほぼ毎日運転の福知山線~宮福線経由の臨時列車【みやづ】があった)。一方、「エーデル」使用の福知山線特急を増発、城崎以西鳥取・倉吉への直通が復活しました。

1999年12月【たかやま】廃止をもって、大阪府内におけるキハ58系の定期列車は全廃に近い状況に。

同年秋のダイヤ改正で、福知山線経由の急行【だいせん】(大阪-出雲市)が、12系客車・寝台車連結の貫禄ある姿から「エーデル」に置き換えられ、わずか2両の寂しい姿に成り果てました。「エーデル」はキハ58系のイメージと異なる姿ですが、出自はキハ65形(一部キハ28・58も種車)ということで、キハ58系の仲間と見なせるでしょう。【だいせん】は2004年に廃止されました。

キハ58系の引退間近を控え、2003~04年にかけてリバイバル【きのくに】【但馬】などが運転されました。リバイバル【きのくに】には山陰本線鳥取地区快速から引退したばかりの車両を使用、梅田貨物線~大阪環状線経由で天王寺駅(もしくは日根野電車区?)まで送り込まれました。

このほか、姫路・和歌山方面からの修学旅行団体列車(奈良・伊勢方面)に、向日町(→京都総合車両所)のキハ58系が使用されてきたが、2002年度よりキハ181系に交代。和歌山方面からの分は阪和貨物線(杉本町-久宝寺)を走行するところも見どころだったが、阪和貨物線そのものも2004年に廃止されてしまいました。姫路発の分は山陽・東海道本線経由、京都から奈良線に入り、奈良を見物したあと、関西本線~紀勢本線~参宮線経由で伊勢・鳥羽へ向かうルートでした(帰りは草津線経由)。


JR学研都市線(片町線)・東西線の「区間快速」 について書いてみました。

両路線に「区間快速」が設定されたのは、比較的新しいこと。停車駅は、

奈良・木津~四条畷間各駅停車、住道、放出、京橋~尼崎間各駅停車、尼崎以遠(西明石、新三田方面)各駅停車

で、通過運転する区間は四条畷ー京橋間のわずか12.8kmのみ。

もともと朝と夜のみの運転だったと思うが、2015年より昼間時間帯(10時~14時台)の「快速」を木津~四条畷間各駅停車、塚口折り返しの「区間快速」に格下げ。したがって、昼間時間帯の学研都市線・東西線の優等列車は「区間快速」のみとなります。さらに、2022年ダイヤ改正より、昼間時間帯の木津-同志社前間が「1時間に1本」に減便され、非電化時代とあまり変わらない本数に戻ってしまいました。

学研都市線・東西線の「区間快速」は、尼崎以西のJR神戸線(東海道・山陽本線)およびJR宝塚線(福知山線)区間が少し面白いです。両路線ではいずれも各駅停車、JR神戸線においては、事実上の普通電車(4ドア車207・321系)で、快速や新快速(3ドア車)と乗り間違えることはそう起きないでしょう。そして、JR神戸線に直通する「区間快速」の本数自体少ないです。

一方、JR宝塚線直通については、少し話がややこしくなります。JR宝塚線には、学研都市線・東西線直通のほか、大阪駅発着の「区間快速」も運転されるようになりました。大阪駅発着の「区間快速」は学研都市線・東西線直通とは停車駅が異なるのです。すなわち、

大阪、尼崎、伊丹、川西池田、中山寺、宝塚~篠山口間各駅停車

で、学研都市・東西線直通の「区間快速」が折り返す塚口駅は通過します。

ただ、大阪駅発着の「区間快速」が運転されるのは、現在のところ昼間時間帯のみ。他の時間帯におけるJR宝塚線の「区間快速」は学研都市・東西線直通のみとなります。

両者の「区間快速」の混同を避けるために、別の列車種別名の導入が必要かもしれません。

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【図1】学研都市・東西・宝塚線 区間快速運転系統図



湖西線・草津線に残る113・117系にも、いよいよ全廃フラグが立っているようです。本年3月ダイヤ改正の減便で223・225系の余剰が発生しており、阪和線(日根野所)から京都所への転属も確認されています。国鉄型113・117系の運用も既に減らしており、いつ完全引退になっても不思議ではありません。

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草津線で運用中の113系 草津にて

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柘植で関西本線キハ120と顔合わせ

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京都駅近鉄ホームより
留置中の奈良線103系の向こうに113・117系京都色が並ぶ

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同じく京都にて 117系と「スーパーはくと」が並ぶ
手前に写る103系屋根もこれまた貴重な記録

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113系 忍ラッピング編成 湖西線運用中 京都にて

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湖西線から山科に到着する京都行き117系

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原型姿を保っていた頃



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かつて、嵯峨野線(山陰本線)にて201系の営業運用があったようです。

該当列車は、神戸・大阪方面から直通の臨時行楽列車。1990年京都-園部間電化開業から間もない頃でした。

201系は当時、JR京都線・神戸線普通電車の主力(スカイブルー7両編成)でした。それが電化されたばかりの山陰本線に姿を現し、はるばる亀岡や園部まで乗り入れたとは、驚きです。面白いことに、梅小路短絡線(廃止)経由だったはず。

珍しい列車にもかかわらず、当時あまり話題にならなかったようです。そもそも山陰本線での201系通勤型電車など見向きもされず、どちらかといえば気動車急行【丹後】や廃止された客車列車のほうに人気が集まったことでしょう。201系引退カウントダウンの今だったら、ネットで盛り上がり大ニュースになっていたかもしれません。

ちなみに電化開業当初、普通列車には113系4両編成が投入されました。初めは各地からかき集められた非冷房車(福知山線の800番台も一部転用)が使用されるが、数ヶ月後には新しい2000番台(→110km/h改造で7000番台に)に置き換えられました。

嵯峨野線京都-園部間は現在、京都駅構内を除いて複線化も完了。嵯峨野線の113系ほか国鉄型車両も過去のものに。ただ、新型コロナの影響に伴う減便施策のあおりを受け、亀岡-園部間の昼間の普通列車は毎時1本に減便されています。


いよいよ117系も引退カウントダウンを迎えたようです。新快速で活躍していた頃の117系の姿をアップしてみました。

117系といえば、やはりクリーム色&茶帯の塗装が輝いて見えます。「117」の語呂合わせも「いいな」で縁起の良い数ですね。

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JR西日本の207系に廃車が発生しました。

それは、量産先行車F1編成。207系として、福知山線事故(2005年)を除いた初めての廃車です。 

F1編成は1991年にデビュー。221系近郊型電車の増備が続く中、JR西日本にもようやく通勤型電車(4ドア・ロングシート)の新車ということで嬉しかったです。JR東西線開通(1997年)を見据え、学研都市線(片町線)に投入されました。その後の量産車は当時の学研都市線松井山手-木津間ホーム有効長に対応して3両+4両に分割可能な仕様となるが、F1編成は初めから7両貫通編成として投入。

JR東西線開通後、学研都市線は東西線を介してJR京都線・神戸線・宝塚線(福知山線)とつながり、JR京都線・神戸線の普通電車(C電)などと共通使用となり、207系は全て網干総合車両所明石支所の所属に。ただ、F1編成は7両貫通編成のため、松井山手-木津-奈良間の運用には入ることはできないこともあって、使い勝手は良くなかったようです。

その後、松井山手-木津間の7両対応が完了(2010年)したため、207・321系は基本的に7両固定編成として共通運用することになります(321系は初めから7両貫通編成として投入)。ただ、F1編成はあまり見ることができず、影の薄い存在でした。


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姫路に停車中の221系(更新工事前)です。

琵琶湖線・JR京都線・神戸線(網干所属)の221系は225系に置き換えられ、奈良へ転属する予定です。来春、おおさか東線の201系は221系に置き換えると発表されましたね。

高架化後の姫路での221系も何気に貴重な記録だと思います。


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2004年加古川線電化で登場した103系3550番台。同時に新型車両125形電車も4両投入されました。

加古川線用の103系は、40N工事済みの中間モハユニットから先頭車改造したもので、

クモハ102+クモハ103

の2両単位(ワンマン対応)×8両を投入。播但線電化開業時(1998年)に投入された103系3500番台と基本性能・形式は同様ですが、3500番台はクモハ103‐2500番台を含む2Mユニットが種車(→40N改造済み)なのに対して、加古川線用の3550番台の種車は中間モハユニットが種車である点が異なります。

そのため、先頭車の顔は原型103系とは異なり、貫通扉が新設されています。

加古川線用の103系の塗装は青緑1号(エメラルドグリーン)で、常磐線用と同じカラーなんですね。

残り少ない103系の現役路線として地味に注目ですが、これも近々新型車両(227系?)に置き換えられるでしょう。


大阪と三重県を直通する列車といえば、まず近鉄が思い浮かぶことでしょう。

しかし、JRにもそんな列車が1本だけ存在します。

それは、柘植発草津線・東海道本線経由大阪行き。該当列車は、

5327M~727M 柘植 06:34発 → 大阪 08:34着(京都から快速)

です。運用車両は223系または225系。

柘植は関西本線と草津線の接続する拠点駅で、所在地は三重県伊賀市。草津線は柘植から関西本線と分かれ、およそ1kmほどで滋賀県に入り、甲賀市・湖南市などを経て、終点・草津で東海道本線(琵琶湖線)に接続。途中、貴生川駅で信楽高原鉄道(旧・国鉄信楽線)・近江鉄道と接続します。路線全長の9.5割以上は滋賀県を通る(草津線の駅も1つを除いて滋賀県)ため、京都近郊の通勤路線という性格が強く、柘植駅も感覚的に三重県というより滋賀県に近いですね。

その柘植駅から大阪(梅田)への直通列車が設定されていることは、地味に凄いことだと思います。

かつて関西本線奈良経由で大阪ミナミの天王寺・湊町(→JR難波)まで直通列車が多く運転されていたが、大阪口(主に奈良以西)電化などに伴い廃止。現在は奈良の一歩手前の加茂(京都府木津川市)までキハ120が細々と走るだけのローカル線です。

対照的に草津線は電化されているため、京都・大阪方面への直通電車の運行が可能です。伝統的に朝夕の通勤時間帯には京都(そして大阪)直通の列車が数本設定されています。以前、夕方時間帯に網干(兵庫県姫路市)から柘植行きのロングラン列車もありました。兵庫県内で「柘植」という行先を見ると、一般の利用客はどんな反応をされたことでしょうか?

草津線は三重県の国鉄・JRで最初に電化(1980年)された路線です。電化以来投入された113系が現在も活躍中です。

(追記)柘植発大阪行きは平日のみの運転です。なお草津線内8両編成、草津で4両増結の12両編成に仕立てられ、大阪まで内側線を走ります。


平成の一時期、東海道・山陽本線(琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線)快速で113系に混じって活躍したことのある115系。 

もともと関西(京阪神)エリアにおいて、115系は基本的に姫路以西の山陽本線・赤穂線でしか見られず、馴染みの薄い車両形式でした(1往復だけ姫路を跨いで西明石発着もあったが)。国鉄時代最末期の1987年(昭和62年)、福知山線(福知山区)に115系が登場するが(全線電化開業に伴う利用客急増で車両不足を補うため、岡山から115系を転属。113系800番台と同じ福知山色に塗装変更される)、関西でマイナーな車両形式だったことには変わりません。

ただ、その数年後、1992年(平成4年)に新快速の221系化に伴う余剰117系モハユニット(宮原)が岡山地区用115系3500番台に転用改造されることになり、トレードで115系の一部が岡山から網干に転属、京阪神地区の快速電車で使用開始しました。113系と同じ湘南色でした(岡山の115系も湘南色)。

そもそも基本的に2~4両編成単位のJR西日本管内にはサハ115が在籍せず(サハ111-2000→7000番台から改造のサハ115-7000番台が少数だけ登場するが、数年で廃車)、編成の長い京阪神地区ではどんな組成内容だったのか興味津々で調べてみました。

大前提として網干の113・115系は共通運用であること。実際、113系との混結も含め、以下の組成がありました。

←大垣・米原                        →姫路・網干
             (基本K編成)
クモハ115-モハ114-モハ115-モハ114-モハ115-モハ114-クハ115
クモハ115-モハ114-サハ111-サハ111-モハ113-モハ112-クハ115

             (付属F編成)
クハ115-モハ115-モハ114-クハ115
クモハ115-モハ114-サハ111-クハ115


網干の115系組成は非常にユニークなものでしたね。

基本K編成(7両)は、米原(東京)方先頭車がクモハの6M1Tという強力編成があるかと思えば、同じく米原方はクモハ+モハの115系ユニット、中間は113系のサハ111×2両とモハユニット(2両)を挟んで、姫路(下関)方先頭車はクハ115の4M3Tも存在しました。その後、一部の115系は岡山などに里帰り、4M3T編成は1995年ごろに解消しました。

付属F編成(4両)は、先頭車は両方ともクハ115の標準的な編成と、クモハ+モハのユニットとクハ115の間にサハ111を挟んだ混結編成があり、いずれも2M2T。

網干の113・115系には110km/h運転対応改造が施され、原車番+5000に改番されています。

1999年舞鶴線電化に合わせ、クモハ115を含むモハユニットが福知山に転属改造(クモハ115+クモハ114、ワンマン対応)されました。クモハ114の顔は、JR西日本お得意の「食パン」ですね。網干に残されたモハユニット(モハ115-モハ114)は113系のクハとサハを組み込み、

クハ111-モハ115-モハ114-サハ111-モハ115-モハ114-クハ111

という、113系基本編成と同様の組成が登場しました。網干の115系先頭車はこの時点で消滅したことになります。

京阪神快速での113・115系は、2004年(平成16年)に引退しました。網干の113・115系は、JR東海管内の大垣まで定期列車で乗り入れていました。

なお、阪神淡路大震災(1995年)特別輸送に伴う車両需給の関係で、山陰本線京都口(嵯峨野線)に115系(瀬戸内色)が広島から一時的に貸し出されたこともあります(瀬戸内色4両+赤帯113系4両という異色の8両編成もあったとか)。その後、嵯峨野線では福知山から前述の舞鶴線用2両ワンマンが113系4両編成と連結運用で、京都まで乗り入れています。


(参考資料)
神戸鉄道資料館 113系・115系

https://www.rail.ac/jr/car/113/index.html


国鉄115系電車(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84115%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A



京阪神緩行線(東海道・山陽線京都-西明石)ことJR京都線・神戸線普通電車103系スカイブルーの末期の頃について、思いつくままに書いてみました。

京阪神緩行線では、国鉄時代末期1983~1985年にかけて201系が続々投入され、捻出された103系は片町線(学研都市線)および関西線(大和路線)の非冷房101系を置き換えました。1985年3月ダイヤ改正より、昼間の普通電車は201系に統一、運用区間も草津-加古川間に拡大されました(ただし、昼間時間帯は快速電車を高槻以東各駅停車化、同時間帯の103・201系運用は高槻以西のみに)。そして1986年には205系が山手線に次いで7両×4本投入され、捻出される103系は阪和線などに転属。

京阪神緩行線の103系はその後も相当数残り、1994年3月まで活躍を続けました。

この間の面白い動きとしては、阪和線用クハ103-2050番台(101系クハからの改造)が転属してきたことが挙げられます。101系顔のスカイブルーは一時期の京浜東北線を彷彿とさせる姿で、まさかこれがJR京都線・神戸線で余生を過ごすことになるとは驚きでした。冷房改造されることもなく、1992年廃車。

1993年から94年までの1年ほどだけ高運転台車も見られるようになりました。福知山線(JR宝塚線)への207系導入で捻出されたもの、宮原からの転属です(クハ103-841・843・848・850)。

しかし、JR京都線・神戸線にも207系が投入されることになり、103系は奈良・岡山などへ転属。奈良・岡山配置分とも4両編成化(2M2T)されました。

奈良転属分は奈良線105・113系を置き換え、高運転台車も奈良線に入りました。奈良への103系大量転属は、1983~84年以来10年ぶり(当時関西線用103系は日根野所属だったが1985年より奈良所属となる)。転属当初、大半はスカイブルーのままで、113系運用をそのまま置き換え、桜井線・和歌山線の運用にも入り、和歌山駅まで足を伸ばしていました(1994年9月以降、奈良線は103系、桜井・和歌山線は105系にそれぞれ運用分離)。

そして岡山にも初めて103系が転属されることになりました。岡山の103系は「マスカット色」で奈良のウグイス色に近い感じの塗装で、岡山への正式配置前に奈良へ仮転属、奈良線を中心とする運用に入っていました。岡山への転属後は山陽本線(姫路-三原)や赤穂線などで活躍しました。

余剰となったモハユニット(2M)は、福知山線用(イエロー)6両化に充当されたと推定するのが自然でしょう。同じく余剰のサハは、関西線(大和路線)用3両編成の4両化に活用され、Mc-M-T-Tcという変則的な2M2T編成が登場、主に奈良線で使用されました。



京阪神緩行(JR京都線・JR神戸線)で活躍してた頃の201系画像を集めてみました。

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新大阪にて

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上と同じ編成 原型姿を保っていた頃

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N40改造後のサイドビュー 新大阪にて

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現在、おおさか東線の列車で新大阪に顔を見せている
もちろんN40改造済み

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「京都」幕も懐かしい

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京都駅留置線で休む原型姿編成 クハ201-124ほか7連

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京都駅留置線で休むクハ201-143ほか7連
隣の283系【オーシャンアロー】も地味に注目

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大阪環状線に転属して間もない頃 スカイブルーのままだった
 


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福知山線で活躍していた117系です。

もともと新快速で活躍していましたが、221系登場に伴い福知山線の快速用に転用され、独自の新カラー(緑帯)が配されました。福知山線では1990年から2005年まで活躍していました。福知山線のほか、山陰本線福知山-城崎間ローカルにも間合いで使用されていました。1986年の電化開業当初、初期型113系を改造した800番台が投入されるが、113系よりも117系のほうが断然快適でした。

117系は福知山線のほか、奈良線の快速用(原色のまま)にも転用されるが、所属は同じ宮原総合車両所でした。


国鉄末期の117系・新快速の姿です。

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117系も京阪神の新快速運用から退いて20年以上経過しました。各地方で単色カラーに塗り替えてローカル運用で活躍中です。関西では「抹茶色」の塗装で湖西線・草津線普通電車の運用に入ります。117系はやはり新快速時代の姿が一番耀いて見えますね。

新型車両の投入で一部廃車も発生しているようだが、寝台電車「West銀河」に生まれ変わった編成もいます。West銀河は昨年秋から山陰・山陽へ運行されて好評を博しており、今夏には紀州路にも足を伸ばし、新宮まで運行される予定です。


JR西日本207・321系電車の京都以東、琵琶湖線(東海道本線)・湖西線への運用について調べてみました。

2021年3月ダイヤ改正現在、該当する列車は

112C  西明石 06:02 → 草津 08:41(平日ダイヤ)

のみのようです。

同改正前では、琵琶湖線京都発最終列車の野洲行きもあったが、終電繰上げに伴い廃止されたようですね。

朝ラッシュ時の各駅停車(C電)草津行きは、201系時代から長年設定されていました。

さらに2016年以前だと、湖西線の近江舞子・近江今津までの運用も存在。一時期、JR宝塚線の新三田から近江今津まで驚愕のロングラン普通電車もあったと記憶しています。

草津行き112Cの後運用は、野洲派出所で昼間留置され、夕ラッシュ時に京都まで回送という運用です。

草津-京都間の普通列車(各駅停車)は、京都または高槻-西明石間快速(221・223・225系)が基本的ですが、草津線直通列車や上記112C各駅停車(207・321系)も加わります。草津線直通は国鉄型113・117系が多く、今や東海道本線では貴重な存在です。そういえば、東海道本線最後の客車普通列車も草津線直通の50系でしたね。


JR福知山線(JR宝塚線)の駅名について、ネタと思ったことを挙げてみました。

1)「広野」「草野」は福島県の同じJR常磐線にも存在
2)「古市」「柏原」は大阪府内の近鉄にも存在
3)「寺」のつく駅名が複数ある(「猪名寺」「中山寺」)


1)「広野」「草野」(それぞれ兵庫県三田市、丹波篠山市)について、両駅間の距離は9.8km、その間は2駅です。常磐線のほうは、「広野」「草野」(福島県広野町、いわき市)の位置関係が福知山線と逆ですが、両駅間は17.6km、途中3駅で、距離・駅数ともに驚くほど近接しています。

2)近鉄の「古市」駅は南大阪線・長野線との分岐駅、「柏原」は道明寺線の終点でJR関西本線(大和路線)と接続です。さらに道明寺線が「古市」の隣「道明寺」から分岐する支線であることは、何かの不思議な由縁を感じさせます。

「柏原」の読み方は福知山線は「かいばら」、近鉄・関西本線は「かしわら」であり、後者は市の名前にもなっています。福知山線の「柏原」は旧・氷上郡柏原町の名前そのものだったが、平成の市町村合併に伴い丹波市に変わりました。

福知山線の柏原駅といえば、大阪・花博会場で使用された「山の駅」駅舎で有名で、レストランもあり、駅弁「豚めし」が販売されています。

3)「寺」のつく駅といえば、JRでは古代史の舞台(奈良・大阪南東部)を走る関西本線などに多く、特に大和路快速の停車駅は「寺」のつく駅名が連続することでかなり有名ですが、兵庫県の福知山線にも何気に2つ存在するのは意外です。

中山寺(兵庫県宝塚市)といえば、聖武天皇が建立した日本最初の観音霊場とされており、西国三十三箇所観音霊場第24番札所です。並走する阪急宝塚線に「中山観音」駅があります。なお、猪名寺(尼崎市)は廃寺跡のみが残っています。

* * * *

福知山線は尼崎と福知山を縦に結ぶ全長106.5kmの路線で、大半は兵庫県を通るが終点・福知山駅のみ京都府です。その事情もあってか、福知山市が兵庫県と誤解されやすいようですね。なお、尼崎-篠山口間は大阪近郊の通勤路線という位置づけのため、「JR宝塚線」という愛称が付いています。



JR西日本のレア列車を一つ紹介したいと思います。

平日1日1往復だけ運転される区間快速【西明石-奈良】(4754C~5854C)&(5733C~4533C)。 

運転経路は

JR神戸線(山陽・東海道本線)~JR東西線~学研都市線(片町線)~大和路線(関西本線)

で、

西明石21:01発→奈良23:41着
奈良05:39発→西明石08:15着


この列車の面白い見どころは、

○学研都市線松井山手・木津経由
○JR神戸線内は普通電車として運転
○神戸三宮(三ノ宮)と奈良を結ぶJR唯一の定期列車


でしょう。

兵庫県と奈良県を結ぶJRの列車といえば、2019年おおさか東線新大阪開通前に運転されていた直通快速・【尼崎-奈良】(JR東西線・学研都市線・おおさか東線久宝寺・大和路線経由)を連想されることでしょう。この直通快速が設定される以前から、JR東西線~学研都市線(松井山手・木津)経由の奈良発着列車が早朝・深夜に都合2往復設定されています。兵庫県側の発着駅(宝塚・新三田・西明石・加古川・・・)は数年のダイヤ改正ごとに変わっているようですが。

今回紹介する区間快速は、そのうちの1往復。

列車種別は「区間快速」ですがJR神戸線内は各駅停車、いわゆる「C電」の仲間です。運用車両は207・321系(網干総合車両所明石支所所属)。上り奈良行きの前運用は普通【京都→西明石】というのも興味深いです。207・321系はおおさか東線経由の直通快速【新大阪-奈良】にも使用され、したがって奈良には学研都市線木津経由とおおさか東線久宝寺経由の2ルートで乗り入れることになります。いずれのルートも吹田総合車両所奈良支所で1泊するが、編成の向きが逆になるため当日と翌日の両者間の運用は切り離されています。

神戸三宮と奈良を結ぶ列車といえば、阪神・近鉄相互乗り入れの快速急行が終日運転されるが、JRもこの区間快速1往復だけが地味に設定されています。この区間快速は学研都市線の京田辺-祝園間にて近鉄京都線と並走します。

神戸と奈良を結ぶJRの列車としては、かつて臨時「ホリデー号」(JR神戸線・京都線・奈良線経由)が運転されていた時期もあり、最長で桜井線の桜井まで足を伸ばしていました。


JR発足初期まで設定されていた大阪発岡山行き普通電車(大阪~西明石間快速)。

夕方の17~18時台に大阪駅を発車するというもので、国鉄末期は下り片道1本のみの運行でした。使用車両は113系で、1980年10月ダイヤ改正までグリーン車(サロ)連結でした。

東海道・山陽本線普通(快速)列車のダイヤは、少なくとも山陽新幹線開通後、基本的に姫路付近で系統分割されており、一昔前まで姫路以東(米原・京都・大阪方面)は113系、以西(岡山・広島方面)は115系がそれぞれ受け持ってきました。姫路以西では1978年ごろまで旧型国電80系が残っていましたね。

ただ、京阪神地区で運用されるサロ込み113系は、宇野線(岡山-宇野間)の快速電車と共通運用のため、岡山へ送り込む必要があったのです。大阪~岡山間直通の普通電車はその回送を兼ねたもので、1往復設定されていました。

瀬戸大橋未開通当時、宇野線および宇高航路は本州と四国を連絡する重要幹線であり、山陽新幹線のリレー列車としてグリーン車連結の快速電車を頻発していました。今でいえば岡山-高松間の快速【マリンライナー】に相当する列車ですね。

宇野線快速は1978年10月ダイヤ改正以降、サロ連結を廃止、岡山電車区所属の115系で運用されるようになります。

京阪神地区の113系は、新快速用117系登場などもあって、1980年10月改正でサロは外され、首都圏へ転属。サロ無し後の基本編成は7両(付属編成4両連結で11両)という半端な奇数の両数でした。その後も、なぜか大阪発岡山行きの下りだけが残りましたが、JR発足1周年の1988年ダイヤ改正で廃止されたようです。同地区の113系は、東は岐阜県の大垣まで乗り入れ、「大垣夜行」こと【ムーンライトながら】に接続していましたね(→後輩の221・223・225系に継承されるが、2016年廃止)。

岡山方面からの普通電車(115系)も、明石電車区で1泊するため、姫路を跨いで西明石発着の便が1往復設定されていました。



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「高田快速」折り返しJR難波行き

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出庫後、網干駅ホームに入線中

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大和路快速 外回り・天王寺行き(京橋にて)

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山崎の大カーブを走る下り普通電車
 
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初夏の宇治川を渡る「みやこ路快速」




205系の日なので205系の写真を数枚アップしました。

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JR京都線・神戸線時代の0番台7連


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阪和線で活躍した1000番台


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4連化され奈良線に転属した0番台 

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1000番台も奈良線で第二の活躍中


113系の日に因んで・・・

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113系といえば、やはりこのカラーでしょう

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カフェオーレ色も過去のものに(草津線・柘植にて)

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近畿圏では、この「抹茶色」に統一されましたね(草津線)

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「忍」トレインラッピング編成です 草津線・湖西線で運用中

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福知山には3800番台こと「サンパチ君」と呼ばれるゲテモノが有名ですね

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福知山には湘南色の5300番台もいました



東海道本線は天下の大動脈とあって全線電化も早く、東京を主な拠点として80系湘南電車や153系急行型電車(「東海型」とも呼ばれる)、181系特急【こだま】、そして113系近郊型電車など、中・長距離電車発祥の地で知られます。一方、大阪口では大阪鉄道管理局の意地で都市間連絡速達列車のポジションである新快速用として117系近郊型電車を導入。117系はその後名古屋近郊区間の輸送改善と合わせ同地区の快速用にも投入されました。

一方、分岐する支線等へ直通する関係上、一部区間で気動車の出入りも多く、現在も名古屋以西では定期の気動車列車が運行されています。

該当する列車は、

特急【ひだ】      名古屋-岐阜-高山・飛騨古川・富山、
            大阪-岐阜-高山(キハ85系)
特急【スーパーはくと】 京都-鳥取・倉吉(智頭急行経由)(HOT7000系)
特急【はまかぜ】    大阪-浜坂・鳥取(播但線経由)(キハ189系)
特急【びわこエクスプレス】 大阪→草津(キハ189系)


2015年以前は武豊線が非電化のため、大府-名古屋間には武豊線直通の普通・快速列車が気動車(キハ75系、キハ25系)で設定されていました。

国鉄時代~JR初期まで、北陸本線からの気動車普通列車が米原-彦根間の1駅だけ直通していました(北陸本線米原口では交直流セクションの関係上、一部の普通列車は気動車だった)。

福知山線との重複区間である新大阪・大阪-尼崎間でも、一部の特急・急行列車は気動車でした(国鉄時代は全て気動車または客車だった)。2004年の急行【だいせん】(キハ65「エーデル」)廃止を最後に、福知山線の優等列車はほぼ全て電車化されましたね。

大阪【ひだ】(急行【たかやま】の生まれ変わり)が現在も存続しているのは奇跡的ですが、キハ85系の後継車登場後、どうなるんでしょうか?

東海道本線最後の客車普通列車は草津線からの直通(50系+DD51)で、 JR発足後も2年間存続しました。


今話題の「ムカつく行き先」ですが、国鉄時代末期~JR誕生当初の滋賀県のことを思い出しました。

それは、

1)新快速・彦根行き
2)湖西線・永原行き


でしょう。


1)新快速・彦根行き。国鉄時代末期まで、新快速は複々線区間の「電車線」(快速・普通電車と同じ)しか走行できなかったため、ラッシュ時間帯の増発が難しい状況でした。国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正で、国鉄本社管轄だった特急・急行・貨物列車用の「列車線」も大阪鉄道管理局が自由に使えることになったため、新快速の列車線走行が可能になり、増発と運転区間拡大が実施されました。運転区間は従来、基本的に草津-姫路間だったのが、彦根まで延長されました。

ここで、なぜ米原の一つ手前の彦根折り返しだったのか、との疑問もあると思います。 せっかく米原では新幹線・東海道本線名古屋方面・北陸本線が接続しているのに、との不満も多かったようですね。

これも、国鉄時代の米原駅構内は名古屋鉄道管理局管内だった事情によるもののようです。米原駅は名古屋・大阪・金沢3局の境界でした。現在もこの構図は基本的に変わっていないが、米原駅の在来線ホームはJR西日本管轄となるため、JR発足直前に大阪局に移管されました。JR発足後、東海道本線米原以西と北陸本線がJR西日本、新幹線と東海道本線米原以東がJR東海の管轄に。

彦根折り返しの新快速も、JR発足から2年後の1989年には、米原発着に延長され、乗り継ぎの不便は解消されました。新快速はその後、北陸本線長浜そして敦賀まで(交流→直流電化への変更により)順次運転区間を拡大していきます。


2)湖西線の永原は、北陸本線との接点・近江塩津まであと一つのところですが、もともとこの間に交直流ジャンクションが設置されていたため、京都発着の113系ほか直流電車は永原折り返しにせざるを得ませんでした。

永原-近江塩津を跨ぐ普通列車には気動車が使用され、1日数本近江今津-近江塩津-敦賀間を結んでいました。その後、北陸本線長浜電化時には、気動車に代わって交直流両用の電車(475・413・419系ほか)が湖西線の近江今津まで直通するようになるが、依然として列車本数も少なく不便でした。

2006年の敦賀直流化後、新快速が湖西線経由敦賀まで毎時1本運転されるようになり(敦賀行きは基本的に湖西線経由)、現在に至ります。


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京阪神の「新快速」電車開始から今年で50周年。

新快速が誕生したのは1970年大阪万博開催の年。京阪神間の東海道・山陽本線における快速列車の種別の一つであり、私鉄王国関西における都市間輸送を担う「料金不要の最速達列車」として、「新快速」が設定されました。当初は京都-西明石間の運転だったが、現在では敦賀・米原-姫路・播州赤穂までの広範囲にわたって終日運転され、転換クロスシート車223・225系を使用。通勤・通学・観光・旅行に快適便利で、多くの利用客に支持されています(さらに2019年より試行的に有料座席車両「Aシート」を一部の編成に導入)。

さっそくですが、2020年秋の京都鉄道博物館では、新快速50周年記念をテーマとしたイベントが開催される予定です。
https://www.westjr.co.jp/press/article/items/200817_00_50.pdf

* * * *

さて、1970年誕生当時の新快速に使用された車両といえば、なんとスカ色の113系も使用されていたそうです! もともと首都圏の横須賀線で使用されていたものが転属したわけですね。

ただ、1972年には山陽新幹線岡山開業で余剰となる急行形電車153系が関西の新快速に転用されます。塗装はいわゆる関西オリジナルの斬新な白灰色に青帯を配する「ブルーライナー」とされました(阪和線の113系も新快速運転に合わせ同じ塗装となる。阪和線の新快速はわずか6年の短命に終わるが、113系のこのカラーデザインは2012年の引退まで受け継がれる)。元々優等列車で使用されていた分、113系より高速・快適に違いないが、やはり老朽化が目立ち、阪急・京阪などの私鉄特急に苦戦する状況。

そこで大阪鉄道管理局が新快速専用車両の設計開発を特別に手がけ、ちょうど新快速誕生10周年に合わせるように、1979~80年、117系近郊型電車を登場させます。私鉄特急との競争力をつけるべく2ドア・転換クロスシートとし(ただし近郊型ゆえ「デッキ無し」とする)、スピード感のある外観デザインと落ち着いた快適な車内に仕上げ(ここは阪急電車を意識したものだろう)、従前の急行・特急列車をも上回る破格の接客サービスを実現したもので、好評を博しました。

その後、国鉄がJRに生まれ変わり、新快速車両は221系→223・225系へと代々受け継がれ、現在に至ります。221系以降は3ドア車となり、停車駅増加とともに年々混雑が慢性化し、快適性の確保が課題となっています(そのため、試行的に「Aシート」が取り入れられているが)。


221系の体質改善工事もほぼ完了となりました。

ここで、更新前の221系の画像を集めてみました。

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JR京都線普通(高槻から快速) 山崎にて(2012年)

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大和路線 高田快速 天王寺にて(2010年)

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大和路快速 新今宮にて(2005年)

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みやこ路快速京都行き 黄檗にて(2005年)

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福知山線の丹波路快速でも使用された
福知山にて(2007年)

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嵯峨野線にも進出 亀岡にて(2010年)

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京都駅でタンゴディスカバリーと並ぶ嵯峨野線快速
(2010年)

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フルカラー化前のLED行先表示機







 


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更新前の221系です。

琵琶湖線普通電車で運用中の姿です(2008年 草津にて)。

琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線の221系は、今後225系100番台に置き換えられる予定で、その第一陣の出場試運転が先日実施されました。221系は大和路線・奈良線・おおさか東線へ転用され、201系を置き換えます。
 


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113系原形・大目玉の画像があったので、アップさせていただきます。

1989年・姫路にて。

姫路駅は地上ホームで、懐かしいですね(^-^)

「えきそば」の美味しそうなだしの匂いが香り、昭和の汽車旅を想像してしまいます(笑)


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この色の113系も、単色色化により過去のものになりましたね。
113系N40工事と同時に、221・223系のイメージに合わせるような洗練された配色を施されたのに、もったいないような・・・。
 


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佐用駅はもともと姫新線の駅だったが、1994年智頭急行が開通。これに合わせ、駅舎は綺麗に整備されました。

何気にキハ181系が映っているが、智頭急行経由の【はくと】でしょう。智頭急行(上郡~智頭間)は、京阪神と鳥取を高速で結ぶことを目的に、国鉄時代から建設。未成線になりかけるが、JR発足後も工事が続き、開業に漕ぎつけました。智頭急行はHOT7000特急型気動車を導入し、【スーパーはくと】の運行を開始。利用状況は好調だったため、JR西日本のキハ181系を使用しての増発まで行われたようです。

智頭急行を走るキハ181系も、貴重な光景となりましたね。


関空特急【はるか】増結用に投入された271系。

近年のインバウンド客増加に合わせ、2020年3月14日ダイヤ改正で【はるか】は全列車9両となりました。しかし、新型コロナ肺炎の世界的大流行に伴い、関空利用客は大幅減。

さっそく、4月1日より6両編成に短縮することになりました。

これにより、せっかくの新造されたばかりの271系が仕事を失うことに・・・

さすがにこのまま廃車というわけにはいかないでしょう。

コロナ肺炎が収束し、旅行客が戻るまでの間、つなぎとして働かせることはできないものでしょうか?

【びわこExpress】【らくらくはりま】【まほろば】で運用することも考えられるが・・・

なお、JR西日本の春の臨時列車は、旅行客の大幅減が見込まれることから、【まほろば】を除いて軒並み運転中止となりました。奈良への【まほろば】だけが予定通りの運行とは、奇跡的でさえあります。果たして利用状況は如何に・・・


JR学研都市線(片町線)の津田駅。

津田駅の配線構造が面白いので、撮り歩いてみました。

津田駅の現駅舎およびホームが竣工したのは、四条畷-長尾間複線化開業の時(1979年)でした。合わせて、関西の国鉄で初めて自動改札機も設置されました。

津田駅の面白いところは、その配線構造。

津田駅の配線は、一見2面4線の島式ホームで通過列車待避が可能な構造のようですが、旅客営業列車に使われる線路は内側の2線。外側待避線は保線用車両留置スペースとなっており、ホームには柵が設置されています。

将来の快速運転を視野に入れ、通過列車待避が可能な2面4線に拡張できるようにスペースが確保されているが、快速運転開始後も外側線が営業列車に使われることはないまま、現在に至ります。


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ホーム上屋根の形から、2面4線のように見えるが

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ホーム外側(下り)にも線路は敷かれているが、柵が張られたまま
(京橋方を向いて撮影)

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下りホーム外側に留置される保線用車両
(木津方を向いて撮影)

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上りホームの外側線(京橋方を向いて撮影)
中間にエレベーターが設置されたため、待避線を設置することは不可能に

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上りホーム外側線(木津方を向いて撮影)

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このアングルで撮ると、2面4線のホームのように見える

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津田駅本屋と京阪バス
竣工から40年経過しており、古めかしく見える

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2019年10月より大阪空港リムジンバスが津田駅に発着
途中、高速京田辺、名神高槻に停車する


JR西日本・大阪近郊区間の大みそか終夜電について、今年は運転区間・本数とも大幅に縮小の予定です。 終夜電が運転される路線は、

JR京都線・神戸線(京都-西明石)
大阪環状線・桜島線
学研都市線・JR東西線(四条畷-尼崎)
大和路線(奈良-JR難波)
奈良線(京都-城陽)
桜井線(奈良-桜井)


であり、今回阪和線と奈良線城陽以南、桜井・和歌山線(桜井-高田-王寺)などでの増発が無しとなっているのが気になりました。

今から30年ほど昔は、バブル経済の頃は、大阪・奈良・京都を循環する

大阪~奈良~京都~大阪(環状線・大和路線・奈良線・JR京都線経由)

とか、伏見稲荷臨でJR神戸線・京都線から奈良線に直通する列車その他、いろいろ面白かったと記憶しています。

やはり、景気低迷に加え、運転士不足などの影響がありそうですね。


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(その2)でも記した通り、国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正で、急行【志摩】は廃止され、草津線の優等列車は消滅しました。

同改正で、草津-貴生川間の列車(電車)本数増発が行われ、貴生川以北では毎時2本の列車が確保されます。これにより、草津線は京都近郊路線としての性格が濃くなります。【志摩】の廃止は、この増発に振り当てるためだったようにも思われます。また、この改正の時点で、客車列車(50系)2往復は残ります(1989年3月改正で電車化)。

以降、草津線から関西本線や紀勢本線へ直通する定期列車はなくなったが、姫路方面から伊勢への修学旅行団体列車は2010年度まで継続します。末期にはキハ181系が運用に就き、同系列最後の定期運用である【はまかぜ】とともに注目を集めました。

1987年4月JR発足以降、さっそく7月に信楽線が信楽高原鉄道に転換されました。「JR西日本」としての信楽線はわずか3ヶ月で、転換直前にはキハ58・28(亀山機関区所属)が運用に入っていました。

草津線では現在も113系が主に活躍中で(昼間の貴生川折り返しは221系)、朝夕ラッシュ時間帯には117系や223・225系などが加わります。113・117系も先は長くないでしょうから、早めに撮影されることをおススメします。

参考までに、JR東海・キハ75系の方向幕に「京都」が入っていますが、草津線経由の【平安】復活を視野に入れたものでしょうか?


振り返れば、1998年は兵庫県内の鉄道が大きく変わった1年間だったと思います。

1998年といえば、明石海峡大橋開通に伴い、関西と四国(徳島)が淡路島縦貫ルートの高速道で短絡的に結ばれたことが、県内最大の交通網の変化だったと言えます。このタイミングに合わせるかのように、山陽電鉄・阪神電車の阪神梅田-姫路間相互直通運転の開始、JR播但線姫路-寺前間電化開業などもありました。

他に変わった点として、

○JR神戸線舞子駅に電車線の快速停車(→明石海峡大橋連絡の利便を図るため)

○同西宮駅に外側快速が全て停車

○阪急・山陽電車相互乗り入れ大幅縮小(阪急の新開地以西、山陽の阪急三宮以東直通運転を廃止)

○阪神本線普通の高速神戸への終日直通

○JR西日本・東海共同開発の寝台電車285系登場、<サンライズ瀬戸>・<サンライズ出雲>運転開始(→山陰本線福知山経由の<出雲>を山陽本線・伯備線経由に変更)

などが挙げられます。

阪急と山陽の相互乗り入れ大幅縮小の理由として、編成ホーム有効長の違い(阪急神戸線:8両、山陽電鉄:6両)による運用の難しさなどが挙げられるが、1984年阪急六甲衝突事故の心理的影響も両者間乗り入れ継続への難色ムードを醸成したと言われています。代わりに、阪急のライバルだった阪神が山陽姫路まで乗り入れを果たすが、のちに阪急・阪神が経営統合されるとは夢にも思いませんでした。新快速増発やJR宝塚線(福知山線)の飛躍などの攻勢をかけるJR西日本への対抗、という意味合いもあるのでしょう。

播但線の寺前-和田山間が非電化で残っているのは、トンネル断面が低く電化工事が困難なためです。播但線を全線直通する列車は、特急<はまかぜ>など阪神間と兵庫県北部(城崎温泉・香住・浜坂方面)を結ぶ優等列車のみとなっています。<はまかぜ>といえば、キハ181系最後の活躍で有名で、現在はキハ189系に置き換えられています。


JR西日本の大阪近郊区間では、以下の路線・列車で女性専用車両が設定されています。

大阪環状線・JRゆめ咲線普通 (201系、323系)

JR京都線・JR神戸線普通  
学研都市線・JR東西線全列車
JR宝塚線普通・快速(一部) (207系、321系)

大和路線・おおさか東線普通  (201系)

阪和線普通(一部)      (225系6両編成のみ)


女性専用車両の設定されている車両の大半はロングシート車ですが、阪和線の225系のみ転換クロスシートで異彩を放っています。

JR西日本の女性専用車両は、平日・土休日の全日にわたる設定となっています。他の関西私鉄や地下鉄では平日のラッシュ時のみというところが多いが、JRで土曜・休日も女性専用車両が設定されているとは知りませんでした。実は、ある休日、JR京都線の普通で、女性専用車両の設定される号車に乗車してしまい、面食らいました。休日なので女性専用車両の設定は解除されているものかと思っていましたが、その車両には男性は他に誰も乗っていなくて戸惑いました。今後、気をつけるようにしましょう。


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少し見づらいかもしれませんが、近鉄側の留置線にJR京都線201系(ブルー)と奈良線103系(ウグイス)が並んでいます。一時期、JR京都線~宝塚線直通用の黄色103系が止まっていたこともあります。


JR西日本283系・オーシャンアロー。

283系は、1996年、紀勢本線(きのくに線)の特急<くろしお>用(京都・新大阪-白浜・新宮)に登場。1978年新宮電化と同時に投入された381系以来、18年ぶりの新車でした。283系は同時期の特急車両281系や681系とは異なって、リゾート地をイメージする独特のスタイルとなっており、同じ時期の近鉄特急・伊勢志摩ライナーと雰囲気が似ています。平成初期のバブルの余韻がまだ残っていた頃を思わせるデザインですね。

283系を使用する列車については、<オーシャンアロー>を名乗り、<くろしお>とは別格扱いでした。

283系は381系と同じ振り子式車両で、カーブの多い伯備線等への投入も期待されていたが、製造両数は18両の少数派にとどまりました。さらに故障が発生しやすいようで、近年では運転区間が短縮され、白浜以南への運転はなくなりました。結局、<くろしお>後継車両には、非・振り子式の287系および289系(683系を直流化改造)が充てられることになり、283系はますます肩身の狭い存在に。


国鉄・JRの旅客列車番号について。

列車番号の末尾に付いているアルファベットは、国鉄時代は原則として、

M         :電車
D         :気動車
他のアルファベット :東京・大阪の国電
アルファベット無し :客車

を表していました。大阪の国電区間では、

C :東海道・山陽線(JR京都線・神戸線)緩行
T :東海道・山陽線快速
K :関西線(大和路線)
H :阪和線
無し:大阪環状線(普通電車)

という感じです。

しかし、JR発足後、この原則も崩れるようになります。JR誕生から2年後、JR東海管内の気動車列車に「C」の付くものが現われます。時刻表の紀勢本線・参宮線・名松線・高山本線などのページで初めてこの表記を見て、「あれっ、これどういうこと?」と思いましたが、新型一般型気動車キハ11形が登場してワンマン運転を開始するので、ワンマン運転の対象となる列車に「C」が付くものと判明。

列車番号「C」といえば、京阪神地区の東海道山陽緩行(普通)の青い電車(103・201・205系)をイメージされる方も多く、俗に「C電」とも呼ばれています。現在の207・321系にも受け継がれており、JR京都線~JR宝塚線(福知山線)および学研都市線(片町線)~JR東西線~JR神戸線直通の普通電車も「C電」となっています。


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天王寺駅阪和線ホームに停車中の103系普通|鳳行き。この当時は大阪圏でもまだまだ103系が多かったが、阪和線から103系は姿を消し、大阪環状線・大和路線からも103系は撤退、残りは奈良線・和田岬線・加古川線・播但線となりました。本日、奈良に残る103系の団体列車が桜井線・和歌山線経由で橋本まで運転されたそうですね。

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京阪旧3000系特急。新3000系の登場により1編成だけ残った旧3000系は8000系8531編成に形式変更されるが、翌年春の引退が発表され、3000系時代の車両番号を復刻表示するなど1971年登場時の姿を再現、有終の美を飾りました。

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2012年春に登場した13000系。宇治線の運用に入っていた13005Fです。当初は支線用4連のみだったのが、2年後には本線用7連の13020番台も登場します。

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京阪バス山科営業所の方向幕。山科特別仕様の青地幕ですが、赤い車体には不似合いのようです。

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2011年春竣工の京阪香里園駅前新バスロータリー。当初、駅前広場に併設される「かほりまちテラス」にマクドナルドなどが入っていたが、相次ぐ不祥事による業績悪化で閉店してしまいましたね。

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山崎を通過する183系<こうのとり>回送。暮れに山崎のサントリーカーブで初めて撮り鉄しましたが、485系<雷鳥>やキハ181系<はまかぜ>もなくなり、ここを通る国鉄型車両はもはやこの183系(旧・485系)ぐらいでした。

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くずはモールリニュアル工事のため閉鎖された旧・西館。松坂屋(2004年閉店)の入っていた建物で、建替えられてハナノモールとなり、ミドリノモール(本館)と一体化されています。

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京阪2600系2826号。旧2000系1次車の車体を流用したもので、翌年2013年ごろに廃車されました。

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2012年春に開通した京阪バス直Q京都号京都交野なんば線。京阪交野市駅・河内磐船駅からなんば(OCAT)および京都駅まで1本のバスで直通するとは、まさに夢のようでした。


国鉄時代の旧型客車列車について、国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正までに、和田岬線(山陽本線兵庫-和田岬)を除いて定期列車から引退したことは、ご存知の通りです。

さて、国鉄末期の旧型客車列車について思いつくままに書いてみたいと思いました。


旧型客車の整理は1984年2月ダイヤ改正から本格的に始まったものと思われます。

このダイヤ改正で、まず福知山線の旧型客車使用の普通列車は一部50系化されました。小浜線・舞鶴線にも1980年代前半まで客車列車が残っていましたが、廃止(→気動車化)時期は1984年2月ダイヤ改正だったと思います。

紀勢本線でも1984年2月ダイヤ改正で紀伊半島一周の夜行<はやたま>(天王寺・和歌山市ー亀山間、天王寺-新宮間は寝台車を連結)は12系化されると引き換えに、新宮以東の直通は廃止されました。合わせて新宮以西(紀勢西線)は12系化(→2年後1986年11月改正で紀勢本線の客車列車は全廃)。

なお、この改正の2年前、1982年5月ダイヤ改正で和歌山線に1往復だけ残っていた客車列車は50系化されました(1984年10月全線電化と同時に廃止)。


1985年3月ダイヤ改正では東北地方に多く残っていた旧型客車列車は、東北本線一ノ関以南および常磐線では電車化(455系ほか)、他は12系・50系に置き換えられ、旧客は全廃。

北陸本線でも客車普通列車は支線区直通を除いて全廃されます(→電車化)。

山陰本線については、京都口で50系化と同時に福知山で系統分割され、京都発着福知山以西への直通普通列車は廃止。福知山線は一部を除いて12系に置き換えられ、冷房化サービスの実現となります(50系の運用はわずか1年で廃止)。

紀勢本線新宮-亀山間も50系化され、亀山機関区所属で草津線と共通使用となります。


1985年3月ダイヤ改正以降、旧型客車列車が残るのは山陰本線福知山-米子・出雲市間、福知山線篠山口-福知山間、函館本線、および和田岬線のみとなります。私個人的に1986年夏、福知山-和田山間のみで旧型客車に乗りました。旧型客車のデッキ外客用扉は常に開きっぱなし(または手動式)で、安全性の問題が指摘されていました。


1986年11月ダイヤ改正では福知山線・山陰本線(宝塚ー城崎間)電化開業により、夜行<だいせん>1往復を除き電車化され、山陰から旧型客車は全廃。京都-福知山間と豊岡以西に残る客車列車は12系または50系化されます。

函館本線については函館-札幌間直通の夜行普通列車などもあったが、旧型客車全廃と同時に、優等列車(特急)は全て室蘭本線・千歳線経由となり、長万部-小樽間(通称・山線)は本線とは名ばかりのローカル線となってしまいました。


JR発足後も唯一旧型客車の残った和田岬線。和田岬線は港町の工場通勤者のための路線と化していて、列車は通勤時間帯に合わせ朝夕のみの運転となっています。さすがの和田岬線も1990年10月にはキハ35×6連に置き換えられ、さらに2001年には電化、103系で運用され今日に至ります。

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