カテゴリ: JR西日本


新快速運転区間に有料座席車を設定するとのニュースで話題になっているところ、221系使用の臨時急行のことをふと思い出しました。

1991~92年の海水浴シーズンに運転された<マリンしらはま221>(京都-白浜)と<マリン城崎221>(大阪-城崎)です。

当時、221系近郊型電車は増備中の過程にあり、221系車両の広域的セールスも兼ねてのことか、近畿圏を中心に西日本各地(JR四国・東海エリアにも足を伸ばす)への行楽臨時列車に起用されることも多かったです。

本来、新快速・快速を中心に使用される車両ですが、特別料金を要する急行列車に使用されたこともあり、いわゆる「遜色急行」の部類に含まれます。しかも全座席指定だったかと思います。当時の最新型車両で転換クロスシートである分、旧来の急行型車両(165系、475系、キハ58系)に比べてはるかに快適で内装・外観デザインや走行性能も優秀と言えるが、3ドア・デッキ無しで車内広告があるがため優等列車にふさわしくない(中央扉は締め切り扱いしていたが)、また通常は料金不要で乗車できる車両なのに全座席指定とは何事か、といった厳しい意見も多かったようです。

結局、2年ほどしか続かず、以降は旧来の165系が使用されるようになりました。

その後も、221系臨時快速列車は花盛りですが、223系増備などの影響もあり、徐々に減ってゆきます。

ちなみに、3ドア転換クロスシート車使用の定期急行列車として、キハ75系の<かすが>が有名です。キハ75系は主に快速<みえ>で使用中、指定席も設定されています。



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JR西日本が在来線「新快速」運転区間を念頭に、有料座席車導入の検討を始めたと言います。

JR西 「新快速」区間に有料席 22年度までに導入へ(日刊工業)

JR西日本は在来線「新快速」運転区間を念頭に、有料座席車導入の検討を始めた。運行形態や車両などを詰め、2022年度までの実現を目指す。鉄道各社は料金収入増も狙えることから、大都市近郊路線で快適に移動できる有料座席車の導入を加速させている。JR西の新快速は関西エリアの都市間移動に使われ、長距離の乗客も多い。着席移動のニーズに応えて、サービスの向上につなげる。

上の引用記事によると、新快速電車に有料座席車(指定席まはたグリーン車)を連結するのか、あるいは新快速とは別の有料座席列車を走らせるのか、気になるところ。

2022年度までに導入とのことなので、223系もかなり老朽化が進み、新型車両導入に合わせて、グリーン車もしくは京阪プレミアムカーのような座席車を入れるということも考えられます。

以前(1990年代前半ごろ)、新快速電車にグリーン車導入の構想もあったが立ち消えになった経緯があります。関空快速(223系)に指定席を設定したこともあるが、自由席と同じ座席ということもあって利用率が悪く、廃止になりました。


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2005年当時の黄檗駅です。
JR奈良線と京阪宇治線が並んでいます。
JR奈良線京都-長池間複線化工事が進んでおり、ここ黄檗駅の雰囲気もかなり変わりそうです。


C56-160

昨日の<北びわこ号>をもってC56 160号機は本線運行から引退しました。

C56といえば「高原のポニー」で人気者。
1973年夏に小海線でC56が2ヶ月間復活、小型軽快で高原地帯を走る姿が小馬(ポニー)をイメージさせることから、「ポニー」と呼ばれるようになったそうです。

C56 160号機は、国鉄時代末期に小浜線のSLわかさ号、桜井線のSL大和路号などで活躍、JR発足後も西日本を中心に四国から北海道まで全国各地のイベントに引っ張りだこ。近年は北陸本線の北びわこ号を中心に活躍を続けていましたが、C56は小型ゆえ勾配の多い路線での走行は苦手で、足回りなどの老朽化が著しく、パワーのあるD51に交代させ、本線運行から引退することになったようです。

引退後は京都鉄道博物館にて動態保存するとのこと。


JR片町線(学研都市線)は京都府最南端の木津駅が起点です。

片町線は大阪北東部と奈良を最短で結ぶ鉄道路線だが、ほとんど木津で乗り換えることになります。

起点の木津では関西本線(大和路線)と奈良線に接続しています。
奈良線は京都・奈良の2大古都を結ぶ都市間路線ですが、正式区間は京都-木津間であり、奈良県を通らないのに「奈良線」と付いているのはいささか妙な感じもします。木津-奈良間は関西本線に乗り入れる形となっています。

片町線は木津から生駒山系の東麓に沿う形で北上、松井山手付近がちょうど生駒山系の末端部で丘陵地をぶった切り、南西に進路を転じて大阪府北河内の長尾・四条畷などを経て京橋に至ります。京橋で大阪環状線と立体交差で接続。ここから先はJR東西線と名称を改め、地下線で北新地などを通って尼崎で東海道本線(JR神戸線)および福知山線(JR宝塚線)と接続、神戸・宝塚方面へ直通運転を行っています。片町線はかつて京橋から大阪都心へ一歩踏み入れたところ、片町駅が終点だったが、JR東西線開通と同時に片町駅は廃止されました。


さて、ここでは奈良直通の片町線列車についてレポートしてみたいと思います。

昔から片町線も奈良直通列車が運転されているが、奈良線とは違って基本的に木津折り返しとなっています。

国鉄時代、京都府側の木津-長尾間は非電化のままで残され、長尾駅で乗り換えが必要でした。反面、奈良から長尾までの直通列車(気動車)が1日数本設定されていました。ただ、奈良線とは事情が異なり、直通による利便性確保というよりは、奈良運転所への入出庫の意味合いが強いようです。現在も、早朝・深夜に宝塚や西明石方面から奈良への直通電車が2往復だけ設定されているが、これもやはり奈良電車区での停泊が目的です。

国鉄時代末期に片町線の奈良直通列車は削減されることになります。それは、奈良線および関西本線木津-奈良間電化が開業(1984年10月)、奈良線の列車本数が増発されるためのしわ寄せだと考えられます。1985年3月ダイヤ改正では関西本線奈良-湊町(現・JR難波)間の快速電車を一部木津発着に延長、片町線奈良直通分を置き換えたものと見られます。国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正以降、片町線の奈良直通列車は1往復のみに。奈良線電化以降、片町線の気動車は亀山機関区(現・亀山鉄道部)が担当することになり、関西本線亀山-奈良間普通列車の一部は木津で分割併合作業を行い(亀山ー木津間増結という形で)、転線ののち片町線運用に仕立てるものもありました。

1989年3月、片町線全線電化が完成、木津―京橋・片町間を通す電車が終日運転されることになりました。当初は淀川電車区103系の3両(→4両)で、早朝・深夜のみ奈良直通列車が合わせて2往復設定されました。関西本線加茂以西電化(1988)以降、終日加茂から湊町および大阪環状線への快速電車が運転されることになり、奈良線のさらなる増発(→快速の新設)と合わせ木津ー奈良間の列車密度はかなり詰まっているゆえ、片町線の電車まで乗り入れさせる余裕はないという判断でしょう。木津から大阪方面へは関西本線~大阪環状線の快速(<大和路快速>ほか)のほうが距離的には遠回りだが早く、そちらを推奨しているようです(運賃は近郊区間のため経路に関係なく同額。片町線の快速は単線区間の木津ー松井山手間各駅停車)。

1997年JR東西線開通後、片町線の電車はJR東西線経由JR宝塚線およびJR神戸線へ終日直通運転を行うようになります。奈良直通電車も早朝・深夜に合わせて宝塚・新三田方面から2往復設定されます(その後、ダイヤ改正ごとに行先は西明石行きなどに変わったりする)。運用車両は207系に統一、奈良・木津-松井山手間は4両、松井山手で増解結作業が終日行われます。東西線開通当初、記念キャンペーンの一環からか、行楽シーズンに新三田方面から木津折り返しの電車を<万葉レジャー号>として奈良まで臨時延長するものもありました(奈良行きは朝の1本、尼崎・新三田行きは夕方の1本)。奈良線の快速と同様、平城山駅は通過扱いだったと思います。これについて、本来木津でそのまま折り返す列車の車両はどのようにやりくりしたかが気になります。奈良電車区に207系を1本待機させて木津へ回送していたのでしょうか? 2010年ダイヤ改正では、片町線全区間にわたって7両編成(207・321系)運用となり、途中駅での増解結は廃止されました。もちろん奈良直通電車も7両での運用となりました。

一方、2008年のおおさか東線部分開通(久宝寺-放出)で、JR東西線~片町線~おおさか東線~王寺経由尼崎-奈良間の直通快速を運転開始(朝夕のみ、朝は尼崎行き、夕方は奈良行き)。当初は福知山線の<丹波路快速>と共通で223系6000番台を使用していたが、北新地駅ホームドア運用開始により2011年以降は4ドア車207・321系の運用に変わりました。

すなわち、深夜の奈良電車区には片町線からの207・321系が2つのルートで数本集結していることになるが、おおさか東線経由直通快速の分と松井山手・木津経由の分では編成の向きが逆となるため、運用は独立しています。


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2018年3月17日開業当日、さっそくJR総持寺駅で下車してみました。
ここから近鉄バス【73】番に阪急茨木まで乗ってみようと思っていたが、JR総持寺駅乗り入れは翌日18日からということで断念。
今度の機会に改めてJR総持寺駅を訪れたいと思います。



九州と本州を結ぶ在来線列車は、山陽新幹線博多開通(1975年)前は東京・名古屋・大阪方面および山陰本線から特急・急行列車が旺盛に運転されていました。しかし、博多開通後、昼間の本州~九州直通列車は大幅に削減、東海道・山陽寝台列車は残るものの、これも2009年までに全廃。

現在、本州と九州を結ぶ、すなわち関門海峡を渡る在来線列車は普通列車のみとなっています。

少し以前までは、九州から415系などが山陽本線~宇部線宇部新川まで直通していたし、山陰本線から関門海峡を渡って小倉まで直通する列車もありました。JR発足当初は米子から博多までの特急<いそかぜ>(ロングラン・大阪<まつかぜ>の残滓、キハ181系)が1往復あったが、運転区間は徐々に短縮、九州内では小倉以西が打ち切られるほか、最終的には益田-小倉間のみの運転となり、かつての長編成<まつかぜ>の見る影もない惨めな状態で2005年に廃止(→山陰本線益田-下関間は優等列車のないローカル線に転落)。

ほかに、国鉄末期~JR発足初期のころ、485系<にちりん>の下関直通もあり、485系の本州乗り入れは山陽新幹線博多開通以来の復活となるが、1992年ごろに廃止。

関門海峡を通る415系の今後も気になります。
交直流境界区間にあたるため、JR九州の交流専用電車で運用することは不可能。かといって短編成の気動車では北九州都市圏だけあって輸送力不足な感じも・・・。


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四国各線が全国とレールがつながったのは、1988年瀬戸大橋開通の時。今年は開通から30周年を迎えます。

四国内の優等列車(特急)は四国島内で完結するものもあるが、新幹線連絡なども兼ねて本州へ渡り岡山発着が多くなっています。また、海を挟んだ岡山・高松都市間連絡の快速<マリンライナー>も多くの本数があり、人々の行き来は活発です。 瀬戸大橋を渡る特急列車は全てJR四国所有、<マリンライナー>もかつてはJR西日本213系を使用していたが、海を渡る瀬戸大橋という特殊条件ゆえ老朽化が早く、JR四国5000系に持ち替わりとなりました(5000系の普通車はJR西日本223系と全く同じスタイル、グリーン車のみハイデッッカーとなった)。岡山から瀬戸大橋を渡って観音寺・琴平へ直通する普通列車も運転されており、JR西日本115系もしくはJR四国6000系が充当されます。

瀬戸大橋開通ブームで賑わう頃は、特急<やくも>が高松に乗り入れたり、また瀬戸大橋を渡って高松
への臨時列車も多く運転されていました(117系、165・167系、221系などを使用)。

四国と東京を結ぶ寝台列車<サンライズ瀬戸>【東京-高松】(285系)もあります。全国的に寝台特急が廃止される中、直流電化区間のみで完結する<出雲><瀬戸>を電車化して生き残りを図り、<サンライズ瀬戸><サンライズ出雲>に生まれ変わります(<出雲>は京都から山陰本線経由だったが、伯備線経由に変更、<サンライズ出雲>となる)。専用の285系電車はJR西日本の設計ですが、車両はJR西日本とJR東海が所有しています。近年、金比羅山が心霊スポットとして人気を集め、<サンライズ瀬戸>は琴平まで延長運転されるようになっています。

このほか、「青春18きっぷ」シーズンには京都-高知間の夜行快速(14系客車)も運転されていました。


JR東海と西日本を跨ぐ在来線列車も昔はかなり多かったが、大幅に減っています。現在残っているのは

<しらさぎ>【名古屋-金沢】(683系)
<ひだ>【名古屋-富山】(高山本線経由)、【大阪-高山】(キハ85系)
<南紀>【名古屋-紀伊勝浦】(キハ85系)
<サンライズ瀬戸・出雲>(285系)

のみであり、会社境界をまたぐ普通・快速列車は皆無となっています。

2年前・2016年ダイヤ改正までは

<しなの>【長野-大阪】(383系)
東海道・山陽本線快速【大垣-姫路・網干方面】(221・223・225系)

がありました。さらに2006年ダイヤ改正では

急行<かすが>【名古屋-奈良】(キハ75系)
寝台特急<出雲>【東京-出雲市】(24系客車)

が廃止、「葬式鉄」が盛り上がったことは記憶に新しいです。 

それ以前にまで遡れば、高山本線普通列車について会社境界の猪谷を越えて高山-富山間直通も多く残っていてキハ120が高山まで乗り入れていたし、大阪~信州方面列車は北陸本線経由中心で設定されるようになる中、細々と中央西線経由の急行<ちくま>が存続、12系客車から383系に置き換えられ先は安泰かと思われたが、臨時化されひっそりと消滅。

さらに面白いものとして、JR発足当初、関西本線奈良・加茂発多気行き普通列車もありました(折り返しの多気→亀山行きも含めJR西日本亀山区の気動車で運用。逆に亀山-加茂・奈良間普通列車の一部はJR東海伊勢区が担当していた模様)。もし、本州がJR東日本・西日本2社折半体制だったら、三重県内は全てJR西日本管内となることは容易に想像され、広大な設備敷地を有する亀山機関区も紀伊半島東部のローカル列車を担当する拠点としてもう少し有効に活用されていたことと思います。なお、2009年紀勢本線全通50周年記念イベントでは、亀山-白浜間直通の臨時列車がキハ85系で1往復、またJR西日本キハ181系を借りて新宮発亀山行き臨時急行を運用するなど、かなり意欲的なものでした。加えて、関西地区(姫路・和歌山方面)から伊勢への修学旅行列車も2010年まで毎年運転されていたが、キハ181系引退とともに事実上廃止。

ほかには、国鉄時代から毎年夏の海水浴シーズンに運転されていた急行<エメラルド>(名古屋-東舞鶴、北陸本線・小浜線経由、キハ58系)があります。こちらも1995年の運転を最後に消滅。キハ75系の方向幕に「東舞鶴」が入っているのも、<エメラルド>運用を想定したものと思われます。それから、北陸本線長浜直流化完成当初、名古屋方面から長浜までの臨時列車(311系など)もありました(それ以前も気動車による臨時列車を設定するというかなり思い切ったものだった)。


JR東日本と西日本を跨ぐ列車について見ましょう(JR東海経由は除く)。

かつてJR東日本と西日本を直接結ぶ在来線列車は北陸・信越地区を中心に多かったが、北陸新幹線開通後は皆無となりました。

JR東日本と西日本の会社境界は、在来線では北陸本線・信越本線直江津駅と大糸線南小谷駅の2つですが、北陸本線金沢以東は第三セクター化されたこともあって、直江津駅にJR西日本の列車は1本も乗り入れなくなりました。 

JR発足当初、北陸特急<雷鳥><白鳥><北越><白山>、急行<きたぐに><能登>、寝台特急<日本海>ほか、数多くの優等列車が会社境界をまたいで活発に行き来していました。しかし、1997年長野新幹線(→北陸新幹線)開通時に長野経由首都圏-北陸間の列車が廃止(信越本線碓氷峠区間も廃止)。さらに長距離旅客の減少および北陸新幹線金沢開業準備の情勢を反映して、昼間特急として日本最長距離を誇っていた<白鳥>【大阪-青森】は2001年に金沢・新潟で系統分割、新潟<雷鳥>は金沢もしくは富山止め、数少なくなった定期急行<きたぐに><能登>も2012年までに廃止、そして大人気の<トワイライトエクスプレス>【大阪-札幌】なども2015年までに惜しまれながら引退・・・。

JR発足当初のバブル期は、京阪神地区さらには岡山や和歌山方面から信越方面へのスキー臨列車が北陸本線経由で旺盛に運行していました。白馬・栂池方面へは糸魚川からスイッチバック、14系客車<リゾート>からキハ181系やキハ65エーデルなどを総動員してまで大糸線(JR西日本区間のみ非電化)に直通、南小谷を跨いでJR東日本エリアに乗り入れたり、また軽井沢方面へは直江津から信越本線(現・えちごトキメキ鉄道、しなの鉄道)に直通運転するなど、思い切った運行体制が取られていました。国鉄時代なら名古屋から中央西線での運転になると思われるところを、JR東海を敬遠してまでわざわざ北陸回りのルートを取るような格好でした。仮に本州がJR東日本・西日本で折半される形なら、関西から信州へのシュプール列車は中央西線経由のルート中心で設定されることでしょう(これならわざわざ気動車まで用意する必要はないだろう。ただ、キハ181系などを使ってJR難波・天王寺・奈良から関西本線経由のルートで設定される可能性は考えられるし、あるいは長野から飯山線直通もありそうだ)。

国鉄時代は大糸線糸魚川から南小谷を跨いで信濃大町まで気動車が直通(1982年以前は金沢-松本間の急行<白馬>、さらに昔は新宿や名古屋からの急行が糸魚川まで直通)、JR発足当初も残っていたが、JR西日本(非電化)区間のワンマン化とともに南小谷折り返しとなりました。

このほかの面白い列車として、JR東日本「夢空間」を使用した臨時列車もありました。特に上野~出雲市間を信越・北陸・小浜・舞鶴・山陰本線経由で結ぶ「夢空間山陰路」号は最高の傑作列車だったと言えます。


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JR東日本新潟支社所属485系の<雷鳥>です。それもボンネット型です!

JR東日本新潟の485系はかつてはるばる大阪まで運用をこなしていました。また、JR琵琶湖線・京都線の<ホームライナーびわこ>号も間合いで入り、関西では異色の存在でした。



 


久しぶりに過去の「青春18きっぷ」の旅についてのレポートを書きます。

今回は、2001年8月、所用で名古屋を訪れたときのこと。

乗車経路は、

【高槻】~(東海道本線)~【米原】~(東海道本線)~【名古屋】~(関西本線)~【亀山】~(関西本線)~【加茂】~(関西本線)~【王寺】~(和歌山線)~【和歌山】~(阪和線)~【天王寺】~(大阪環状線)~【京橋】

で、往路は高槻から東海道本線で名古屋、帰りは関西本線・和歌山線を寄り道するというものでした。 

まず、高槻からの快速・米原行き(221系)は朝ラッシュ時間帯にさしかかり、ほとんど立ちっぱなしでした。大阪・京都方面から滋賀県への通勤・通学客も多く、これを甘く見てはいけないということ。

名古屋からの関西本線は313系のワンマン列車となっていてびっくりしました。この313系は確かボックスシートであり、中央西線中津川以北ローカルと共通運用でした。本来、大和路快速で天王寺をめざす予定だったのが、ふと寄り道しようという気になり、王寺から和歌山線に乗ることに。和歌山線の電車はもちろん105系でした。和歌山までかなり時間がかかり、名古屋からの所要時間は5時間を超えたかと思います。そういえば、昔、東京からの急行<大和>がこのルートで和歌山市まで乗り入れていましたね(和歌山線直通は王寺で客車1両だけ切り離し、和歌山線内普通列車として運転)。あと、名古屋と和歌山を結ぶ列車といえば、特急<あすか>(関西本線~阪和貨物~阪和線経由)もありました。

和歌山駅で途中下車、晩飯を食べるお店を探したが安くて良さそうなところがなく断念。紀州路快速で天王寺へ。


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昨日で阪和線の205系が運用終了となりました。
本日より奈良線で205系(1000番台)の運用開始となる見込みです。
これを記念して、JR京都線・神戸線7連姿の写真をアップしてみました。



国鉄時代は廃止されても不思議ではないローカル線だったのが、JR発足前後になって電化・本数増発などの輸送大幅改善が行われ都市鉄道として急成長を遂げた路線。片町線(学研都市線)、福知山線、奈良線、筑肥線、川越線、札沼線、・・・。このうち、奈良線については、同じ大阪近郊の片町線や福知山線などと比べると、やや独特の意味での急進を成してきたのではないかと思いました。

奈良線は二大観光都市の京都・奈良を結ぶ路線(正式な区間は京都-木津間、京都府内のみで完結しているが、列車は全て京都-奈良間を通して運転)。にもかかわらず、国鉄時代は並行する近鉄京都線や京阪宇治線とは競争相手にもならない単線非電化のローカル線。新幹線から奈良大和路へは京都駅で近鉄乗り換えというのが昔からの定番ルートとなっています。

その奈良線も1984年10月にようやく電化され、キハ35系などの気動車から105系・113系電車に代わりました。ただ、依然として単線だったこともあって近鉄などから旅客の流れを変えるには至らず、普通電車オンリーでローカル線のムードが残ったままでした。それでも、京都-宇治・城陽付近までは沿線の住宅地開発が進んで列車本数を大増発、利用客は徐々に増加。1991年より快速電車の運転も始まります(当初は117系)。その後新駅の設置も進み、少しずつ都市鉄道への脱皮を図ります。普通電車は基本的に103系に統一されます(105系は桜井・和歌山線用、113系は廃止)。複線化工事も始まり、2001年には東福寺-JR藤森間と宇治-新田間の複線化が完成。快速電車も増発され<みやこ路快速>になると同時に221系を投入。1990年代半ばの一時期、奈良線に短距離の特急を走らせる構想もあったが、快速電車の増発に落ち着いたようです。

近年のインバウンドで奈良線には外国人観光客も多くなり、特に伏見稲荷大社は大繁盛で京都-稲荷間は大混雑が常態化。気動車がのんびり行き来していた国鉄時代から大飛躍を成し遂げたものです。まだ単線区間が残るとはいえ、少なくとも京阪宇治線を追い抜いたようです(ただ、奈良大和路方面へは依然として近鉄が優勢のようだ)。京都駅の奈良線のりばは国鉄時代は1本しかなかったのが、列車本数に合わせて3本に増設され、以前よりも柔軟にダイヤを組みやすくなりました。京都-長池間の完全複線化工事も本格的に始まり、2022年ごろまでに完成する予定です。また、平成初期に開業した六地蔵駅には京都市営地下鉄東西線と接続、JR六地蔵駅前は嵯峨野線の二条駅とともに交通の便利な地点として人気急上昇のようです(反対に京阪宇治線の六地蔵駅は寂れているように見える)。

ここ35年ほどのJR奈良線の急進は、同じ木津から発着する片町線(学研都市線)とはその内容がかなり異なるように思います。片町線は京都府内区間にあたる長尾-木津間が長年非電化で1・2両の気動車が行き来するローカル線だったが、奈良線に5年遅れて1989年全線電化。その後、JR東西線(京橋-尼崎間)開通を前に207系電車を投入、1997年の開通以降は片町線からJR東西線経由宝塚・三田・神戸方面への直通電車が終日運転。京都府南山城地域(および大阪府北河内)と兵庫県阪神間が一本の電車で結ばれるようになるのは夢のようでした。これも同志社大学京田辺キャンパスの恩恵と言えるでしょう。そして2010年には木津まで7両編成の207・321系が入線。ただ、片町線の快速電車も京都府内区間(単線区間)は各駅停車となり、奈良線に比べるとさほど賑わっていないように見えます。近年、片町線ではダイヤ改正ごとに列車本数の削減(昼間時間帯快速の塚口打ち切り、四条畷以東各駅停車の「区間快速」化、ほか)が続き、合わせて片町線各駅に乗り入れるバスの本数も減便され、特に津田駅はかなりひどいものです。枚方市東部・交野市や片町線沿線が寂れるのも、やはり2005年の福知山線尼崎事故と無関係ではないでしょう。ただ、奈良線ほど観光資源に恵まれているわけでなく、平成初期ごろまでに街開きとなった沿線の新しい住宅街(星田・妙見坂、ポエムノール北山、ほか)も少子高齢化が進み、大学キャンパス撤退の動きもあることなどの要因は大きいと思われます。

ついでに言うと、片町線の京都府内区間は近鉄京都線と並行しており、やはり近鉄のほうが最大6両編成でありながら列車本数は多くて車両の顔ぶれもバラエティに富み(伊勢志摩ライナー、しまかぜ、汎用特急車、京都市営地下鉄烏丸線10系、ほか)、賑やかですね。


3月17日ダイヤ改正より、奈良線で205系1000番台の運用開始が確実となりました。

奈良線のポケット時刻表に「103または205系で運用」と記されており、103系もまだしばらくは残る見込みです。

ただ、阪和線に残る205系0番台(6連)の運用が終了となり、 こちらも奈良線に転用されると見られています。なので、奈良線からの103系引退は今年中となりそうですね。



JR和歌山線と桜井線に新型車両227系が来春、導入されることになりました。

和歌山線・桜井線では105系が活躍しています。
105系という形式は1981年、中国地方の福塩線向けに新造されたときに登場。3年後1984年の奈良線・和歌山線電化に合わせて常磐線~地下鉄千代田線用103系を改造、こちらも105系とされ、現在も主に和歌山線・桜井線で活躍を続けています。奈良・和歌山地区用105系は種車103系が4ドアであり、福塩線用3ドア車と大きく異なります(3ドア105系の一部は紀勢本線新宮ローカルに転用)。和歌山・桜井線用103系は新造から50年近く、105系として生まれ変わってからも35年近く経過して老朽化が目立ち、新型車両が望まれるところでした。

今回、和歌山線・桜井線への227系導入のニュースはサプライズでした。古い車両のたまり場と化している奈良大和路のJRのイメージチェンジに期待です。
ただ、車内設備はロングシートとされるようで少々がっかりです。せっかく観光資源に恵まれた地域なのでクロスシートにするほうが集客が望めるかと思いますが・・・。
それでも、最新の空調設備および半自動ドア設置による車内保温サービスは大幅に改善され、トイレも設置予定で快適性アップは望めると思います(現行の105系は大半が簡易冷房車ゆえ冷房の効きが悪い。あとになってトイレ設置工事は行われたが)。

https://www.westjr.co.jp/press/article/2018/03/page_12012.html



JR学研都市線の東寝屋川駅を「寝屋川公園駅」に改称するよう寝屋川市が動いています。

東寝屋川駅前周辺の再開発事業と道路整備に合わせ、近くの府営寝屋川公園のある周辺地域のイメージアップを図ってのこと。2019年のおおさか東線新大阪開業を目処に実現させようということのようです。

東寝屋川駅は1979年10月、四条畷-長尾間複線化完成に合わせて開業。来年2019年でちょうど40周年を迎えることになります。

東寝屋川~星田地区のバス路線にももちろん影響はあるでしょう。

http://www.neyagawa-np.jp/higashi-neyagawa-station/20180306.html



先日、近鉄バス【70】【72】番<JR・阪急茨木~花園東和苑>系統についてのレポート
http://katanogawara.blog.jp/archives/24461898.html
を書いたばかりですが、今月JR京都線茨木-摂津富田間に「JR総持寺」駅開業に合わせ、18日よりこの路線系統のダイヤが変更される予定です。

主な変更内容は、

○JR総持寺駅に乗り入れ(【73】番)
○JR茨木駅発着(【72】番)を廃止、阪急茨木市駅発着に変更

JR総持寺駅乗り入れは昼間時間帯のみのようです。JR茨木直通便廃止は、「JR総持寺」駅をご利用ください、ということでしょう。



国鉄時代、通勤型電車以外は長距離客を考慮して基本的に禁煙車は設定されておらず、車内に灰皿が備え付けられていました。「近郊型電車」に区分される113系や115系および415系なども例外ではなく、大都市部付近を除き基本的に禁煙ではありませんでした。JR・私鉄を問わず有料特急以外の列車がほぼ禁煙である現在では信じられないかもしれません。

国鉄末期~JR発足前後になって、一般列車での禁煙化の波が広がるようになります。関西圏の113系にももちろん禁煙車が設定されるようになり、東海道・山陽本線快速電車や湖西線・草津線系統(湘南色)、阪和線・紀勢本線(青帯)では、先頭車クハを禁煙車に設定、客用扉の上に「禁煙車」シールが貼付されるようになります(灰皿も撤去)。なお、大阪都心部に近い京都-西明石間や阪和線など、いわば「電車特定区間」に当たる区間ではもとから全車禁煙とされていたかと記憶しています。

ここで面白いのは、関西本線(大和路線)系統で使用する赤帯113系。もともと阪和線の青帯と同じ日根野電車区に配置、一部の編成は阪和線・紀勢本線系統と共通運用とされていました。日根野の113系は紀勢本線和歌山以南を除いて全て禁煙でした(桜井線、和歌山線なども)。赤帯113系については、阪和・紀勢本線共通運用を持つ編成を除き、全運用区間が禁煙ということになり、灰皿は備え付けられていませんでした。1980年に新製投入された赤帯2000番台3本は確か阪和運用には入らなかったはずで、最初から灰皿は設置されず、車内にプラスチックの「禁煙」パネル(京阪などの私鉄と同じものだった)が固定掲示されました。1985年3月、奈良電車区を開設、関西本線・奈良線・桜井線・和歌山線で運用する車両が所属することとなり、赤帯113系も阪和・紀勢本線共通運用編成を除いて奈良電車区に転属。したがって、奈良区113系は全車両禁煙ということで、(禁煙車が設定されるようになる時代とはいえ)113系がこれだけ徹底的に禁煙であるのは当時としては珍しかったわけです。


日根野から網干(明石)に転属した103系HK607。
http://katanogawara.blog.jp/archives/21294838.html

和田岬線の運用に入るものと期待されていたが、どういうわけか一度も運用に入ることなく吹田へ廃車回送されました。明石に行ったのは結局何だったのでしょうか? 単なる疎開留置だったみたいですね。

ところで、奈良に転属した205系1000番台5本は新たに編成番号NE405~409が付与されており、奈良線の103系を置き換えるのはほぼ確実となりました。405から始まっていることから、来月阪和線運用終了予定の0番台4本も(6→4連化して)加わると見られます。


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JR西日本とJR東海との境界駅を表す点景写真です。
JR西日本スタイルの駅名標とJR東海313系のコラボが見れるのは米原駅ならでは。


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阪和線鳳にて。
205系も羽衣線103系も本年3月ダイヤ改正で消える予定です。
225系の普通電車も当たり前となりました。


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JR西日本岡山気動車区所属のキハ120は運用範囲がかなり広い。

運用路線は

津山線(岡山-津山)
姫新線(佐用-津山-新見)
因美線(東津山-智頭)
芸備線(備中神代-備後落合)
伯備線(新見-伯耆大山-米子)

であり、岡山県北部山間部のローカル線を中心に東は兵庫県佐用町、北は鳥取県智頭町・米子市、西は広島県庄原市に及んでいます。木次線と接続する備後落合駅では、岡山色に加え芸備線三次方面(三次色)および木次線用と三色のキハ120を見ることができます。伯備線は電化区間で381系<やくも>と普通列車に115系電車が活躍しているが、2014年より閑散区間の新見以北ローカルにキハ120も運用されるようになっています。したがって米子駅では浜田鉄道部色のキハ120と顔を合わすことになります。なお、新見-備中神代間には以前から芸備線列車としてキハ120が乗り入れており、途中の布原駅は伯備線列車は普通列車も含め全て通過、わずかな本数の芸備線直通列車だけが停車するという秘境駅で知られます。

伯備線運用の前後運用がどうなっているのか前から気になっています。


JR四国に在籍する近郊型電車6000系。

6000系は3ドア・転換クロスシートで1996年に登場、岡山-観音寺間普通列車で使用されていた111系を置き換えます。外観スタイルは顔が211・213系と同じスタイル、側面は2連窓主体の窓配置でJR東海311系と似ており、JR西日本221・223系などよりも古めかしい国鉄末期テイストな印象を受けます。実際、6000系は日本車輌製造であり、JR東海311系の図面を流用したものと言われてます。編成はMc6000-T6200-Tc6100の3両編成、編成両端部の客用扉のみ片開きで他は両開き、そして中間T車(6200形)には車掌コーナーも設けられる(1両を締め切って2両のみのドア開閉が可能なように切り替えスイッチを装備)という、無人駅の多いJR四国の利用実態に合わせた特徴的なレイアウトとなっています。

現在の運用路線は、

瀬戸大橋線、予讃線(高松-伊予西条)、土讃線(多度津-琴平)

であり、2000年にJR東日本から113系を譲渡した後、一旦瀬戸大橋線での運用はなくなるが、2016年3月より同線での本州入り運用が復活しました。

私・管理人も何度かこの電車に乗車したことがあります。もちろん普通列車ですが、同じ瀬戸大橋線の快速<マリンライナー>213系よりもむしろ快適でさえあると感じました。ただ、3両×2編成の6両のみにとどまったのはもったいないような気がします。ちなみに扉開閉時のチャイムは京浜東北線209系などと同じメロディで、首都圏のJRに乗っているような感じにもなりました。



国鉄時代末期~JR発足当初にかけて関西本線電化・非電化区間を跨いで運転されていた臨時列車ハイキング号。

1973年奈良-湊町(現・JR難波)間電化以降、関西本線(名古屋-湊町間)の列車は奈良駅で分断され、急行<かすが>ももちろん奈良駅折り返しとなりました。

湊町電化から9年後の1982年春、電化・非電化区間を跨ぐ臨時列車が登場します。
「ハイキング号」の付く列車名で、柘植-湊町間に1往復運転。沿線の伊賀・笠置・柳生方面へのハイキング客を意識して設定され、主にキハ58系などの気動車を使用。1982年春は急行<かすが>用グリーン車(キロ28)連結編成が使用されたみたいですが(グリーン車は解放されていたかな)、5月の名古屋-亀山間電化完成に伴いダイヤ改正で<かすが>のグリーン車連結は廃止。したがって、グリーン車連結は1982年春限りでした。その後も1988年春までハイキング号が運転されるが(シーズンによっては亀山まで足を伸ばすこともあった)、必ずしもキハ58系ばかりというわけではなくキハ35系が連結されることもありました。キハ35系といえば、かつて発祥の地だった奈良-湊町間の主力として活躍した車両で、おそらくあの青春時代を思い出しながら全力疾走したことでしょう。

ただ、実際に湊町・天王寺から伊賀上野・柘植まで乗り通す客は少なく、大半は奈良で入れ替わっていたようです。1988年春の加茂電化直後まで運転されるが、気動車では加茂・奈良-湊町間快速電車大増発の足かせという事情もあるのか、秋以降は運転されなくなったようです。

なお、1986年夏のダイヤでなぜか湊町-松阪間(亀山経由)の臨時列車が設定されたようです(当時の時刻表を見た記憶がある)。


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大和路線(関西本線)・おおさか東線から103系が撤退したようです。
大和路線・奈良の103系は1983年、東海道山陽線普通から転入したのが始まり。
普通電車を中心にJR発足前後より快速・区間快速にも運用されるようになり、大阪環状線に乗り入れたり奈良線にも進出するなど、かなり幅広い活躍ぶりを見せました。
首都圏では既に引退した103系も関西では大阪環状線・阪和線・大和路線・奈良線などでまだまだ活躍を続けてきましたが、ここ2年ほどの間大阪環状線・阪和線から103系が相次いで撤退。大和路線・おおさか東線も大部分は既に201系に置き換えられ、6連口3本が残っていましたが、これも今月全て引退。大和路線103系の35年間の歴史にピリオドを打ちました。
奈良線の4連口は9本が引き続き現役ですが、近いうちに阪和線から転じた205系1000番台に置き換えられるとの見方が有力で予断は許せません。


関西本線(大和路線)快速や奈良・桜井・和歌山線などで活躍していた113系赤帯車。
奈良・春日大社の鳥居をイメージするとされるカラーデザインということで、「春日色」とも呼ばれています。

さて、春日色113系の方向幕について興味深いものを挙げてみたいと思います。

例によって天王寺鉄道管理局仕様の書式・書体が特徴的ですが、国鉄時代には幕は少なくとも1回取り替えられていると思われます。1973年奈良-湊町間電化以降、奈良~大阪環状線直通快速(→元祖・大和路快速)にこの113系が使用され、特製ヘッドマーク「快速 奈良-大阪環状線」を掲げ、「奈良-大阪」の部分を大きく強調表示することで大阪駅へ直通することをPR。並行する近鉄奈良線をかなり意識したものと見られます。方向幕は赤文字の「快速」と表示。

1980年3月桜井線・和歌山線(王寺-五条)電化の時に、方向幕が新しいものに交換されたようです。まず、「快速」の文字はなぜか赤色から水色に変更(阪和線用青帯113系も同様)。桜井線・和歌山線の運用に入るため、関西本線との乗り間違いを防ぐことを目的に、湊町~桜井線経由奈良行き快速の字幕は赤地、湊町~五条行き快速は緑地とされます。

また、この電化を目的に2000番台6連×3本も新たに投下、側面電動式方向幕もきちんと使われます。2000番台についても先頭幕は手動式で例によって天鉄局仕様のものですが、側面幕は行先のみの表示で英文字も入り、国鉄標準仕様でした(天鉄局管内でも103系冷房車や381系の電動幕、そして12系客車については国鉄標準仕様だった)。ただ、「快速」表示部分は水色で、大阪環状線直通については「快速|大阪環状線」なる字幕が使用されました。桜井線・和歌山線直通についてはそれぞれ赤地緑地としていました。

今気づきましたが、「快速」を水色に変更したのは、桜井線直通用に赤表示を充てたので混同を避けるためだと考えられます。

それから環状線直通快速の先頭幕について、国鉄末期~JR誕生直後の頃、「奈良-大阪」ヘッドマークの代わりに「天王寺博」や「ならシルクロード博」PRヘッドマークなどを掲示するときには、2段表示の

   快速
奈良-大阪環状線

が使用されました。


片町線で活躍していた101系および103系非冷房車の先頭方向幕についての興味。

片町線は大阪鉄道管理局管内で、電化区間の片町-長尾間は旧型国電の巣窟だったのが1977年より101系を投入、2年後の1979年より103系も加わりました。103系は当初高運転台車の新車のみだったが、1983年より非冷房車の101系を置き換えるため、東海道山陽線普通(緩行)用103系を転用。その中には一部非冷房車も含まれていました。

さて、101系および103系非冷房車で使用された方向幕ですが、天鉄局の方向幕と同様、

片町-長尾
片町-四条畷

のように運転区間を表示ものだったが、下に英文字が入っていたのが特徴でした(書体も天鉄局仕様とはかなり異なる)。当時、片町線の電車は桜島線・大阪環状線と共通運用を持ち、桜島線については、大阪環状線と同様、路線名「桜島線」だけを表示するものでした。「片町線」も字幕に入っていて、なぜか1986年11月ダイヤ改正前後よりこれが使われるようになりました。103系冷房車ではちゃんと行先を表示しているのに、101系だけが「片町線」では(側面幕がないので)行先がわからず不親切でしたね。

JR発足1周年を迎えた1988年ダイヤ改正では、103系と同様、「片町」「長尾」のように行先のみの表示に改められました。

片町線の101系は1989年の長尾-木津間電化直後まで残り(7両固定編成のため松井山手以西のみの運転)、桜島線へ転用ののち1991年に引退しました。


京都と大阪ミナミ(なんば・天王寺)を直結する列車といえば、古くは近鉄の阪京特急(大和西大寺経由)や阪急京都線の堺筋急行などが思い浮かぶでしょう。国鉄でも、関西本線湊町電化前は奈良・桜井線経由京都~天王寺間の列車(キハ35系ほか)が運転されていました。

さて、現在はどうか。

JRでは京都駅から梅田貨物線経由阪和線方面への特急<くろしお>と関空特急<はるか>が運転。ただ、来年3月ダイヤ改正で京都直通<くろしお>は1往復のみになる予定です。天王寺から京都への直通列車は現在、特急料金の必要な列車ばかりですが、早朝のみ大和路線(関西本線)~奈良線経由京都行きの普通電車が3本あります(奈良線内は快速運転、平日ダイヤのみ)。ただし、これは時刻表で表記されているものであり、時刻表には記載されていなくても、奈良駅でそのまま行先がが変わるため事実上の直通列車というものもあるようです。

阪急京都線~地下鉄堺筋線経由の河原町直通列車は長年、朝夕の堺筋急行(→快速急行)のみでしたが、2011年より土曜・休日ダイヤのみ、天下茶屋~河原町間に終日準急が運転されるようになりました。この列車の狙いは、南海沿線や関空から京都への観光客を誘致するためだとされているが、準急はロングシート車で、なおかつ高槻市以東各駅停車となるため所要時間が1時間を超えるのは問題かもしれません。堺筋線に特急車9300系を乗り入れるのも難しいようですが、どうでしょうか?

なお、日本橋~四条烏丸間は、堺筋線~阪急京都線と近鉄奈良・京都線~地下鉄烏丸線の2つのルートが選択可能です。



阪急神戸線春日野道駅にて。
JR東海道本線(神戸線)との並行区間で、阪急とJRの撮り鉄が楽しめるスポットです。カーブもいい感じです。

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8000系8001F 普通|神戸三宮

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223系新快速野洲行き

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323系下り普通

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7000系7003F 特急|新開地



来年度までに大阪環状線の201系が引退予定です。
今まで撮影した201系の写真を適当にアップしてみました。

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JR京都・神戸線から転入したばかりのころ(2006年)


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LED化された行先表示機 京橋にて


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玉造にて

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京橋で関空・紀州路快速225系と並ぶ

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大阪にて(2017年)





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よく考えたら、北近畿地区のJR線(JR西日本福知山支社)と房総各線(JR東日本千葉支社)は意外な類似点がかなりあるように思われます。

国鉄時代はともかく、近年の北近畿地区のJRは電車特急が幅を利かせていて運転系統がやや複雑で種類も多く(<こうのとり><きのさき><まいづる>)、その割に高々150km程度の短距離という点で、房総各線の優等列車との類似点が見いだせます。しかも最近まで(国鉄特急色)183系を使用していた点でも共通しています。ただし、福知山の183系は485系を直流化改造したものであり、東日本地区の純正183系とは異なります。かつては北近畿といえば京都・大阪と山陰を結ぶ長距離気動車特急<まつかぜ>、急行<だいせん>、東京からの寝台特急<出雲>や長距離客車鈍行の表舞台だったところですが、電化区間延伸と引き換えに長距離列車は廃止、短距離特急ばかりとなって面白くなくなりました。

このほか、113系が近年まで残っていたことでも北近畿と房総地区は共通していると言えます。ただし、北近畿地区の113系はワンマン・短編成改造を受けたものがほとんど。


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既にご存知の方もおられると思いますが、来年春のダイヤ改正でJR紀勢本線白浜-新宮間の特急<くろしお>を1便減らし、また老朽化を理由に283系「オーシャンアロー」白浜以南の運転を取り止める計画があるようです。

和歌山県庁メールマガジン「わかやま通信」10月17日付けでそのことが報じられています。

http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/000200/mailmagaform/backnumber/h291017.html



久しぶりに過去の旅行記を書くことにしました。

今回は1993年春の福井旅行。

目的は越美北線完乗。

例によって「青春18きっぷ」使用ですが、往路はちょっと贅沢気分を味わおうと、京都から福井まで特急<雷鳥>に乗車。福井には確か朝9時台に到着したかと思うが、越美北線の列車は昼の13時ごろまでなく、あまりに時間を持て余したので、適当に福井市街地をぶらり。京福電鉄バスの元・京阪バスと思しき日野K-RE121を見かけたので、これに乗って福井市街地の小旅行を楽しんでみました。京福電鉄はグループの京都バスと塗装は同じ、京阪バス中古車もそれなりに導入していたようです。昼食は確か鯛の寿司の駅弁を味わったかと思います。

午後は越美北線で九頭竜湖までの単純な往復をしました。少し前まではキハ52が活躍していたが、既にキハ120に置き換えられていました。越美北線は、越前と美濃(岐阜県)を結ぶことを目的に建設され、岐阜県側の越美南線(→長良川鉄道)と結ぶ計画でした。越美南線の終点・北濃と九頭竜湖を結ぶバスが長い間運行されていたが、現在は廃止となったようです。

福井からの帰りは、敦賀から小浜線~舞鶴線~山陰本線を寄り道しました。小浜線の普通列車はキハ58系のワンマンカーが基本だったが、今回乗車したのは確か福知山行き、急行<わかさ>などに使用されるオリジナル急行塗装編成で、得した気分でした。小腹が空いたので敦賀で夕食用に駅弁「角鹿弁当」を購入して車内で味わい、最高に美味かったように記憶しています。やはりキハ58系は急行色が最高ですね。


日根野の103系HK607編成が網干(明石)へ転属となった模様です。
和田岬線の古い103系を置き換えると見られます。

HK607編成は元・宮原区所属でJR宝塚線用のカナリア色だったが、JR京都線との直通運転が始まり、車両色を本線(JR京都・神戸線)系の青色に統一。その後、日根野に転属し、同じ青色のまま阪和線で最後の活躍を続けました。

今回和田岬線用への転属という形であるが、本線に復帰したことになります。

ちなみに奈良の6連NS618も、今朝の運用を最後に運用離脱しました。



Twitterの情報によると、205系1000番台が奈良に転属となった模様です。

本日、HH404編成が大和路線経由奈良へ回送されました。

噂の通り、いよいよ奈良線の103系を置き換えそうですね。

帯の色が山手線と同じ緑色になるのかも注目ですが、もしかしたら阪和線時代の青色のままという可能性もありそうです。

(2017.10.6追記)
本日、HH401編成が奈良へ回送しました。

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本日午前、大阪環状線から103系営業列車が終了しました。
阪和線からも103系が既に撤退しており(羽衣線を除く)、今後奈良線が103系最後の楽園として注目を浴びそうです。
ほかには播但線(姫路-寺前間)でも103系3500番台が活躍中です。
ちなみに来年、播但線電化20周年を迎えます。

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いよいよ明日10月3日、大阪環状線の103系が運用終了です。
引退を惜しんで2年前の京橋でのツーショット写真をアップします。
内回り電車201系と、奥に天王寺行き103系が映りこんでいます。
103系につづき201系も来年度までに引退予定です。


Twitterではなぜか黄色(イエロー)103系で盛り上がっているみたいですね。

関西でのイエロー103系は福知山線(JR宝塚線)に始まり福知山線で終わりました。
イエローの103系が姿を消したのは2003年ごろで、1981年のデビューからわずか20年余りの短命です。

そのイエローの103系ですが、1994年のごく一時期だけ、奈良・桜井・和歌山線で活躍したことがあります。

奈良・桜井・和歌山線電化以来、113系赤帯(春日色)と105系が使用されてきたが、113系の運用は1994年3月、103系4連口に置き換えられました。奈良線の利用客が急増したことなどが理由だと思われます。実は前年1993年にも朝ラッシュ時に大和路線快速と共通の黄緑色103系4連口が使用されていましたが、新たに加わった103系はJR京都線・神戸線普通(明石区)で使用していたもので、スカイブルーのまま奈良に転入しました。その中には高運転台車も含まれています。

スカイブルーとともに、岡山のマスカット色(大和路線の黄緑とよく似ている)、そして黄色もなぜか奈良に登場しました。結局、転属前の一時的なものに終わりましたが・・・。奈良で使用する分は黄緑色に揃えられました。

1994年9月ダイヤ改正では、奈良線と桜井・和歌山線のダイヤが完全分離、105系は桜井・和歌山線専用となりました。奈良線の普通電車は103系が基本となり、現在に至ります。


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2005~06年ごろに撮影したものを適当に集めてみました。
低運転台車はもう既に引退しています。

来月3日まで残り1本が最後の活躍をする予定ですが、一部の心無い輩の撮影マナーが問題になっています。先日の安治川口や野田の「動物園」と揶揄されるほどの異様な人だかりに駅員さんもさすがに堪忍袋が切れたようです。鉄道ファンの一人として誠に悲しい話です。

近いうちに引退することが予想されるのなら、早めに撮影することですね。
103系は大和路線・おおさか東線・奈良線などにまだ残りますが、引退もそう先のことでないことは想像できます。



豊岡・城崎温泉の駅弁販売業者、たで川さんが撤退して6年ほど経過。

北近畿エリアの駅弁は相次いで撤退しており、牛肉系弁当で有名な和田山駅が残るだけとなっていました。

しかし、この夏より、城崎温泉駅に神戸・淡路屋さんの駅弁が販売されるようになった模様。

近年、淡路屋さんは神戸ばかりか大阪や京都にも進出しており、近鉄難波駅などでも販売されています。「しまかぜ」車内で販売の「しまかぜ弁当」も、大阪・京都発は淡路屋の製造です。

そして、カニと温泉の奥座敷・城崎にも進出。

今や淡路屋さんは関西一円の駅弁業者となりましたね。

いっそのこと、奈良の駅弁も手がけたらどうでしょうか(笑)



1977年より地方都市圏の通勤通学向けローカル列車用に作られた50系客車。
塗装は国鉄規格「赤2号」とされ、「レッドトレイン」とも呼ばれました。
車内は当時製造中のキハ40系気動車と同様、扉付近をロングシートとし、車内の雰囲気はキハ40・48と同じです。

さて、関西圏(近畿)でのレッドトレイン50系客車といえば、まず思い出すのは草津線(京都-草津-柘植)。
1980年3月の電化まで活躍していた旧型客車を置き換え、113系に混じって朝夕ラッシュ時に運用に就きます。
草津線用には亀山客貨車区と向日町運転所に配置。
亀山からの出庫も兼ねて、1984年2月改正まで早朝1便のみ亀山発京都行きもあり、亀山-柘植間という短い区間ながら関西本線亀山以西では唯一の客車列車でもありました。

向日町に配置された50系は、山陰本線京都口(京都-福知山)でも活躍。

50系客車といえば、和歌山線も忘れてはなりませんね。
王寺-五条間は草津線などと同時に電化されるが、電化後も王寺-和歌山・和歌山市間を通す客車列車が1往復だけ残りました。1982年5月改正の頃までは旧型客車を使用、亀山-新宮間を含めた紀勢本線と共通運用でした。その後、50系客車に置き換えられ(竜華機関区配置)、和歌山線専用となるが、1984年10月の全線電化で廃止。奈良県では貴重な客車普通列車だっただけに残念です。

旧型客車の天下だった福知山線にも1984年2月より50系客車が活躍。
大阪-香住間というかなり長距離の列車にも50系が入ったそうです。
しかし、非冷房が災いして福知山線での50系も長くなく、翌年1985年には12系客車に置き換えらるが、その翌年1986年11月には全線電化、客車列車は急行<だいせん>1往復を除いて全廃されました。

紀勢本線亀山-新宮間でも1985年3月~86年10月までの1年半余りだけ50系客車が進出。亀山区配置で草津線と共通でした。おそらく和歌山線で活躍していた分が回されたのでしょう。

このほか播但線・姫新線でも50系が活躍していました。

JR発足後、関西圏の50系客車は全てJR西日本管轄となります。

JR発足当時、近畿地方で50系客車が残る路線は、草津線、山陰本線(京都-福知山、豊岡-鳥取-米子ほか)、播但線、姫新線ぐらいだったかと思います。草津線の分は東海道本線草津-京都間にも乗り入れ、異彩を放っていました。

やはり電化区間の拡大や非冷房ゆえ50系の活躍は長くなく、草津線は1989年3月改正で全て電車に置き換えられ、翌年1990年の山陰本線京都-園部間電化で京都-福知山間の客車列車は全廃(それに先駆け、1988年秋には京都-園部間の50系3往復を残して気動車化)。

播但線は1990年代に入っても客車列車の本数が多く残っていたが、冷房化サービスを目的に12系に置き換えられるも、1992年には全列車気動車化されました。これに合わせて、キハ58・28をオールロングシート化した5500番台を投入したことは有名です。その6年後、姫路-寺前間が電化、103系3500番台に置き換えられます。


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1994年8月訪問しました。
富山港線は北陸地方では珍しく直流電化で、かつては青の直流型旧型国電が活躍していたが、北陸本線と共通の457・475系に置き換えられました。
富山港線は2006年、富山ライトレールに転換されました。


国鉄末期~JR初期の頃、貨物列車の削減で余裕の生まれた線路を活用すべく、地方都市圏でも高頻度・等間隔のいわば「国電型ダイヤ」の導入が盛んに進められました。列車本数を大増発する代わりに、編成そのものは短くし、ただし財政的に新車導入は厳しいので既存の車両を改造で間に合わせる(その究極は583系寝台電車を近郊型化改造するなど)、という手法が流行りました。

大阪市内を中心とする関西圏も例外ではありません。

大阪市内におけるミニ編成の電車といえば、まず福知山線城崎電化に合わせて登場した113系800番台の2両編成を思い出します。福知山線は1981年宝塚まで電化され、黄色の103系が投入されるが、福知山・鳥取・米子方面への長距離列車も残り、宝塚以遠への直通普通列車は客車や気動車(キハ47ほか)で運用されていました。1986年11月の宝塚-福知山-城崎(温泉)間電化により、特急・急行は城崎までの485系<北近畿>に生まれ変わり、鳥取・米子方面直通列車は夜行<だいせん>1往復を除き廃止。普通列車は103系と113系に置き換えられ、113系は初期型を耐雪対応に改造した800番台として登場。しかし、113系は4両または2両という短編成で、客車時代は10両の長編成列車(気動車も最長で9両ぐらい)も多かったのに、本数倍増とはいえ大阪駅で2両編成ではやはり超満員で積み残しも連日発生する始末でした。さすがに国鉄・JRもこれを放置しておくわけにはいかず、113・115系を各地から急遽転用して混雑緩和対応に追われました。普通電車が207・321系の7両で運転される現在では少し信じがたいかもしれません。

大阪でのミニ編成でもう一つ忘れてはならないのは、片町線(学研都市線)の103系3両編成。
JR誕生から2年後の1989年、長尾-木津間の電化が完成、片町・京橋から同志社前・木津への直通電車を終日運転。新駅・松井山手以東への直通電車は主に快速電車で運行(長尾-木津間各駅停車)されるが、気動車時代の2両から一気に7両対応へのホーム拡張は難しく、103系の3両で運用されることになりました。松井山手駅で7両への増解結も一部行われるが、快速電車は3両編成のまま京橋・片町へ乗り入れました。さすがに京橋での3両編成では超満員で、翌年1990年春には4両に増強、そして1992年には新型207系に置き換えられました。1997年JR東西線開通後、JR神戸線や福知山線(JR宝塚線)との直通運転となり、同志社前・木津方面への電車は松井山手駅で増解結作業が必ず行われることになりました。5年後の2002年には7両運転区間は京田辺まで延長されるが、わずか一つ向こうの同志社前発着電車で増解結は常時行われ、これは何とかならんものかと問題になりました。2010年になって木津まで207・321系の7両運転が行われ、途中駅での増解結作業も解消されました(→こうなると207系の中間運転台はあまり意味をなさなくなる)。

関西本線(大和路線)普通電車の103系も1990年代前半までの一時期、3両編成がありました。
もともと6両編成での運転ですが、1986年11月改正で天王寺口にデータイム3両編成の普通電車が登場。これに合わせて103系先頭車の不足を補うべく、101系クハを改造しクハ103-2000番台が登場、1985年まで活躍していた101系を彷彿とさせる顔でした(同様に阪和線でもクハ103-2500番台が登場、101系顔の青色は一時期の京浜東北線を思い出させる姿、のちに天下のJR京都・神戸線普通電車に転用)。しかし、やはり天王寺口での3両では混雑しやすく、1993~94年ごろ6両編成に戻されました。


北陸本線(米原-直江津)は交流電化路線のイメージが強いですが、両末端区間は直流電化となっています。
もともと東側の糸魚川以東(→現・越後トキめき鉄道)が最初から直流電化、西側の米原口は1991年に長浜、2006年に敦賀まで順次直流化され、京阪神から新快速電車が敦賀まで直通運転しています。

さて、ふと気になった北陸本線での115系ですが、直江津側の直流区間に谷浜や能生への海水浴臨時列車で乗り入れた可能性はあるようです。実際、JR東日本管内の長野および新潟地区115系の方向幕で北陸本線の「谷浜」・「能生」コマが入っているのはかなり有名で、山国の信州から直江津経由能生まで海水浴臨が運転されたこともあります。使用車両はもちろん電車ですが、どんな車両が使われたのかが気になります。115系の可能性が濃厚ですが、165・169系の可能性ももちろんあります。

ちなみに、米原口でも1990年代の一時期、長浜まで115系が乗り入れたことがあります。米原口での115系は京阪神快速電車の113系チームの一員として岡山から転入したもので、113系と共通運用でした。


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2006年3月17日に廃止された関西本線唯一の優等列車、急行<かすが>。
近郊区間大回り乗車で最終日の<かすが>を追いかけ、柘植で待機しました。
JR東海キハ75系とキハ120、そして草津線113系との顔合わせも、過去のものとなりました。


複線化工事の進むJR奈良線の六地蔵駅駅舎が、2024年3月末までに移転することになりました。

JR六地蔵駅、24年3月移転 京都、地下鉄の駅に近く
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20170825000117

「六地蔵駅」は京阪(宇治線)、JR、地下鉄(東西線)の3駅が存在、JRと地下鉄は地下通路で結ばれているが、JRの駅舎が地下鉄の出入り口側に移して距離を近くするとのことです。

京阪の六地蔵駅はJR・地下鉄と少し離れています。

ちょうど京都市と宇治市との境界にあたり、京阪六地蔵駅は京都市伏見区、JR・地下鉄は宇治市に所在しています。京都市営地下鉄なのに駅が京都市外にあるのは少し奇妙な感じもします。

六地蔵地区から四条河原町・烏丸へは京阪バスが一番便利です。
地下鉄東西線は四条通ではなく御池通へ行くので少し不便だし、JR奈良線利用だと東福寺で京阪、もしくは京都駅からバスに乗り継ぐ必要があり、あまり便利ではありません。
その点、京阪バスは四条河原町~烏丸まで直通しており、所要時間はかかるが乗り換えがない分、ラクです。


滋賀県内の1日平均乗車人員数の第1位は、東海道本線(琵琶湖線)の南草津駅。

南草津駅は草津-瀬田間に1994年9月新設。
もともと、草津市南部の新都心開発構想の一環として計画が進んでいたが、立命館大学びわこ・くさつキャンパスの開校(理工学部など一部が京都市北区の衣笠から移転)に合わせ開業しました。

開業当初、駅前周辺は何もない小さな一つの駅だったが、バスロータリー新設や商業施設が出店して街開きが進み、マンションや住宅も増え続け、学生たちで終日賑わうようになりました。列車本数増発などを目的に新快速の南草津停車の要望も強まり、2011年より新快速停車が実現しています。そして、2014年度には、一日の平均乗降客数は草津駅を上回って、滋賀県内トップに躍り出ます。さらに南草津駅には首都圏と結ぶ高速バスも乗り入れています。

滋賀県の代表駅といえば、県庁所在地に一番近い大津駅だと思われるでしょう。しかし、大津駅前周辺は大きなバスロータリーも持て余すほど寂れています(バスの発着本数もさほど多くありません)。京都市とは目と鼻の先、京都駅まで電車で10分のところゆえ、かえって埋没しがちですね。草津駅はおろか、大津市内の膳所や石山にも負けていると実感します。

滋賀県の商工業の中心地域といえば、草津・栗東・湖南・近江八幡・彦根などの湖東地域でしょう。
滋賀県には日本三大商人の一つ、「売り手よし、買い手よし、世間よし」を基本思想と近江商人を生んだ誇るべき歴史があります。近江商人の流れを受け継いでいる日本企業は数多く、大丸・高島屋・山形屋・西武グループ・ヤンマー・ワコール・西川産業・トヨタ自動車・日本生命・ニチレイなどが有名です。ちなみに、高島屋は湖西の高島市が由来となっています(高島郡出身の商人が創業)。

翻って大津市は、京都・大阪のベッドタウンの色合いが濃いようです。



JR京都線(東海道本線)摂津富田~茨木間に来春開業予定の新駅名が「JR総持寺」に決定しました。

https://www.westjr.co.jp/press/article/2017/08/page_10927.html

「JR」と冠する駅名ですが、第1号は関西本線(大和路線)の終点・JR難波(旧・湊町)で、1994年9月の関空開業のダイヤ改正に合わせて改称されたことは周知の通り。

以降、大阪近郊区間では私鉄駅の近隣地区において、「JR」+私鉄既存駅名の新駅設置あるいは改称する例が相次いで生まれます。現時点で「JR」を冠する駅名は、

JR難波(旧・湊町) <関西本線>
JR藤森(新設)、JR小倉(新設) <奈良線>
JR三山木(旧・上田辺) <片町線>
JR河内永和、JR俊徳道、JR長瀬 <おおさか東線>(2008年開業)
JR五位堂(新設) <和歌山線>

です。

東海道・山陽本線(琵琶湖線、JR京都線、JR神戸線)でも新駅が相次いで誕生しているが、今回の「JR総持寺」は東海道本線では初めて「JR」を冠する駅名となる予定です。

ちなみに2019年開業予定の山陰本線(嵯峨野線)新駅は「JR七条」との予想が有力ですが・・・。


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阪和線の103系営業運用が終わったようです。
羽衣支線の3連はまだ残っているが、こちらも今年中には終了となる見込みです。
およそ半世紀にわたる阪和線103系の歴史に幕が下りようとしています。
長年の活躍お疲れ様でした!

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