カテゴリ:国鉄・JRグループ > JR西日本(琵琶湖・JR京都・神戸・宝塚・学研都市線ほか)


221系の体質改善工事もほぼ完了となりました。

ここで、更新前の221系の画像を集めてみました。

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JR京都線普通(高槻から快速) 山崎にて(2012年)

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大和路線 高田快速 天王寺にて(2010年)

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大和路快速 新今宮にて(2005年)

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みやこ路快速京都行き 黄檗にて(2005年)

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福知山線の丹波路快速でも使用された
福知山にて(2007年)

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嵯峨野線にも進出 亀岡にて(2010年)

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京都駅でタンゴディスカバリーと並ぶ嵯峨野線快速
(2010年)

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フルカラー化前のLED行先表示機







 


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更新前の221系です。

琵琶湖線普通電車で運用中の姿です(2008年 草津にて)。

琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線の221系は、今後225系100番台に置き換えられる予定で、その第一陣の出場試運転が先日実施されました。221系は大和路線・奈良線・おおさか東線へ転用され、201系を置き換えます。
 


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113系原形・大目玉の画像があったので、アップさせていただきます。

1989年・姫路にて。

姫路駅は地上ホームで、懐かしいですね(^-^)

「えきそば」の美味しそうなだしの匂いが香り、昭和の汽車旅を想像してしまいます(笑)


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この色の113系も、単色色化により過去のものになりましたね。
113系N40工事と同時に、221・223系のイメージに合わせるような洗練された配色を施されたのに、もったいないような・・・。
 


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佐用駅はもともと姫新線の駅だったが、1994年智頭急行が開通。これに合わせ、駅舎は綺麗に整備されました。

何気にキハ181系が映っているが、智頭急行経由の【はくと】でしょう。智頭急行(上郡~智頭間)は、京阪神と鳥取を高速で結ぶことを目的に、国鉄時代から建設。未成線になりかけるが、JR発足後も工事が続き、開業に漕ぎつけました。智頭急行はHOT7000特急型気動車を導入し、【スーパーはくと】の運行を開始。利用状況は好調だったため、JR西日本のキハ181系を使用しての増発まで行われたようです。

智頭急行を走るキハ181系も、貴重な光景となりましたね。


関空特急【はるか】増結用に投入された271系。

近年のインバウンド客増加に合わせ、2020年3月14日ダイヤ改正で【はるか】は全列車9両となりました。しかし、新型コロナ肺炎の世界的大流行に伴い、関空利用客は大幅減。

さっそく、4月1日より6両編成に短縮することになりました。

これにより、せっかくの新造されたばかりの271系が仕事を失うことに・・・

さすがにこのまま廃車というわけにはいかないでしょう。

コロナ肺炎が収束し、旅行客が戻るまでの間、つなぎとして働かせることはできないものでしょうか?

【びわこExpress】【らくらくはりま】【まほろば】で運用することも考えられるが・・・

なお、JR西日本の春の臨時列車は、旅行客の大幅減が見込まれることから、【まほろば】を除いて軒並み運転中止となりました。奈良への【まほろば】だけが予定通りの運行とは、奇跡的でさえあります。果たして利用状況は如何に・・・


JR学研都市線(片町線)の津田駅。

津田駅の配線構造が面白いので、撮り歩いてみました。

津田駅の現駅舎およびホームが竣工したのは、四条畷-長尾間複線化開業の時(1979年)でした。合わせて、関西の国鉄で初めて自動改札機も設置されました。

津田駅の面白いところは、その配線構造。

津田駅の配線は、一見2面4線の島式ホームで通過列車待避が可能な構造のようですが、旅客営業列車に使われる線路は内側の2線。外側待避線は保線用車両留置スペースとなっており、ホームには柵が設置されています。

将来の快速運転を視野に入れ、通過列車待避が可能な2面4線に拡張できるようにスペースが確保されているが、快速運転開始後も外側線が営業列車に使われることはないまま、現在に至ります。


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ホーム上屋根の形から、2面4線のように見えるが

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ホーム外側(下り)にも線路は敷かれているが、柵が張られたまま
(京橋方を向いて撮影)

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下りホーム外側に留置される保線用車両
(木津方を向いて撮影)

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上りホームの外側線(京橋方を向いて撮影)
中間にエレベーターが設置されたため、待避線を設置することは不可能に

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上りホーム外側線(木津方を向いて撮影)

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このアングルで撮ると、2面4線のホームのように見える

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津田駅本屋と京阪バス
竣工から40年経過しており、古めかしく見える

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2019年10月より大阪空港リムジンバスが津田駅に発着
途中、高速京田辺、名神高槻に停車する


JR西日本・大阪近郊区間の大みそか終夜電について、今年は運転区間・本数とも大幅に縮小の予定です。 終夜電が運転される路線は、

JR京都線・神戸線(京都-西明石)
大阪環状線・桜島線
学研都市線・JR東西線(四条畷-尼崎)
大和路線(奈良-JR難波)
奈良線(京都-城陽)
桜井線(奈良-桜井)


であり、今回阪和線と奈良線城陽以南、桜井・和歌山線(桜井-高田-王寺)などでの増発が無しとなっているのが気になりました。

今から30年ほど昔は、バブル経済の頃は、大阪・奈良・京都を循環する

大阪~奈良~京都~大阪(環状線・大和路線・奈良線・JR京都線経由)

とか、伏見稲荷臨でJR神戸線・京都線から奈良線に直通する列車その他、いろいろ面白かったと記憶しています。

やはり、景気低迷に加え、運転士不足などの影響がありそうですね。


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(その2)でも記した通り、国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正で、急行【志摩】は廃止され、草津線の優等列車は消滅しました。

同改正で、草津-貴生川間の列車(電車)本数増発が行われ、貴生川以北では毎時2本の列車が確保されます。これにより、草津線は京都近郊路線としての性格が濃くなります。【志摩】の廃止は、この増発に振り当てるためだったようにも思われます。また、この改正の時点で、客車列車(50系)2往復は残ります(1989年3月改正で電車化)。

以降、草津線から関西本線や紀勢本線へ直通する定期列車はなくなったが、姫路方面から伊勢への修学旅行団体列車は2010年度まで継続します。末期にはキハ181系が運用に就き、同系列最後の定期運用である【はまかぜ】とともに注目を集めました。

1987年4月JR発足以降、さっそく7月に信楽線が信楽高原鉄道に転換されました。「JR西日本」としての信楽線はわずか3ヶ月で、転換直前にはキハ58・28(亀山機関区所属)が運用に入っていました。

草津線では現在も113系が主に活躍中で(昼間の貴生川折り返しは221系)、朝夕ラッシュ時間帯には117系や223・225系などが加わります。113・117系も先は長くないでしょうから、早めに撮影されることをおススメします。

参考までに、JR東海・キハ75系の方向幕に「京都」が入っていますが、草津線経由の【平安】復活を視野に入れたものでしょうか?


振り返れば、1998年は兵庫県内の鉄道が大きく変わった1年間だったと思います。

1998年といえば、明石海峡大橋開通に伴い、関西と四国(徳島)が淡路島縦貫ルートの高速道で短絡的に結ばれたことが、県内最大の交通網の変化だったと言えます。このタイミングに合わせるかのように、山陽電鉄・阪神電車の阪神梅田-姫路間相互直通運転の開始、JR播但線姫路-寺前間電化開業などもありました。

他に変わった点として、

○JR神戸線舞子駅に電車線の快速停車(→明石海峡大橋連絡の利便を図るため)

○同西宮駅に外側快速が全て停車

○阪急・山陽電車相互乗り入れ大幅縮小(阪急の新開地以西、山陽の阪急三宮以東直通運転を廃止)

○阪神本線普通の高速神戸への終日直通

○JR西日本・東海共同開発の寝台電車285系登場、<サンライズ瀬戸>・<サンライズ出雲>運転開始(→山陰本線福知山経由の<出雲>を山陽本線・伯備線経由に変更)

などが挙げられます。

阪急と山陽の相互乗り入れ大幅縮小の理由として、編成ホーム有効長の違い(阪急神戸線:8両、山陽電鉄:6両)による運用の難しさなどが挙げられるが、1984年阪急六甲衝突事故の心理的影響も両者間乗り入れ継続への難色ムードを醸成したと言われています。代わりに、阪急のライバルだった阪神が山陽姫路まで乗り入れを果たすが、のちに阪急・阪神が経営統合されるとは夢にも思いませんでした。新快速増発やJR宝塚線(福知山線)の飛躍などの攻勢をかけるJR西日本への対抗、という意味合いもあるのでしょう。

播但線の寺前-和田山間が非電化で残っているのは、トンネル断面が低く電化工事が困難なためです。播但線を全線直通する列車は、特急<はまかぜ>など阪神間と兵庫県北部(城崎温泉・香住・浜坂方面)を結ぶ優等列車のみとなっています。<はまかぜ>といえば、キハ181系最後の活躍で有名で、現在はキハ189系に置き換えられています。


JR西日本の大阪近郊区間では、以下の路線・列車で女性専用車両が設定されています。

大阪環状線・JRゆめ咲線普通 (201系、323系)

JR京都線・JR神戸線普通  
学研都市線・JR東西線全列車
JR宝塚線普通・快速(一部) (207系、321系)

大和路線・おおさか東線普通  (201系)

阪和線普通(一部)      (225系6両編成のみ)


女性専用車両の設定されている車両の大半はロングシート車ですが、阪和線の225系のみ転換クロスシートで異彩を放っています。

JR西日本の女性専用車両は、平日・土休日の全日にわたる設定となっています。他の関西私鉄や地下鉄では平日のラッシュ時のみというところが多いが、JRで土曜・休日も女性専用車両が設定されているとは知りませんでした。実は、ある休日、JR京都線の普通で、女性専用車両の設定される号車に乗車してしまい、面食らいました。休日なので女性専用車両の設定は解除されているものかと思っていましたが、その車両には男性は他に誰も乗っていなくて戸惑いました。今後、気をつけるようにしましょう。


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少し見づらいかもしれませんが、近鉄側の留置線にJR京都線201系(ブルー)と奈良線103系(ウグイス)が並んでいます。一時期、JR京都線~宝塚線直通用の黄色103系が止まっていたこともあります。


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JR西日本の大阪近郊区間における駅弁事情について考えてみました。

まず、駅改札内・ホーム上で駅弁の購入できる駅は、

新大阪、 京都、米原、姫路

ぐらいでしょうか。駅弁を売っている駅は、上に加えて、

三ノ宮、神戸、西明石、草津、吉野口、和歌山、園部

もあるが、改札を一度出ないと購入できないはずなので、近郊区間大回り乗車の時には不自由すると思います。特に吉野口駅では、駅構内での販売はなくなり、近くの店舗まで買いに走らなければなりません。また、園部駅(淡路屋)では、「栗めし」「鮎すし」が有名ですが、前日までの予約が必要。

駅弁そのものは駅構内・売店のほかに、阪神百貨店梅田本店、そごう神戸店などのデパ地下で購入することも可能です。もちろん百貨店やスーパーの催事で購入するのもありでしょう。このほか、私鉄の駅でも、近鉄大阪難波駅や京都駅の売店、京阪三条・出町柳駅のアンスリーで買うことも可能です(三条・出町柳のアンスリーでは、かつての京都駅弁「萩乃家」の幕の内弁当が買える!)。


駅弁を楽しめる列車・車両についても考察する必要があります。

まず、混雑しやすい新快速電車(223・225系)では駅弁を広げられる雰囲気ではありません。かつての153系や117系の時代は長距離列車の雰囲気もあって、ゆったり弁当を広げることもできたんだが。大和路快速、関空・紀州路快速、みやこ路快速、嵯峨野線の電車なども同様ですね。

ただ、新快速も京阪神の都市部から離れた末端区間などでは空いているので、その辺りで弁当を広げるのはありだと思います。

東海道・山陽本線快速(221・223・225系)、
湖西線・草津線(113・117系ほか)、
嵯峨野線・山陰本線(亀岡以北、221・223系)
丹波路快速・福知山線(新三田以北、223・225系)
大和路線高田快速(221系)、
阪和線普通(223・225系)、
関西本線(亀山-加茂、キハ120クロスシート)、
加古川線(125系)

などで、何とか駅弁を食べれそうです。

駅弁を食べるのなら、特急列車の中のほうが相応しいですね。近郊区間大回りで特急を利用することは可能なので、特急に乗ることも一つの選択肢でしょう。


JR西日本283系・オーシャンアロー。

283系は、1996年、紀勢本線(きのくに線)の特急<くろしお>用(京都・新大阪-白浜・新宮)に登場。1978年新宮電化と同時に投入された381系以来、18年ぶりの新車でした。283系は同時期の特急車両281系や681系とは異なって、リゾート地をイメージする独特のスタイルとなっており、同じ時期の近鉄特急・伊勢志摩ライナーと雰囲気が似ています。平成初期のバブルの余韻がまだ残っていた頃を思わせるデザインですね。

283系を使用する列車については、<オーシャンアロー>を名乗り、<くろしお>とは別格扱いでした。

283系は381系と同じ振り子式車両で、カーブの多い伯備線等への投入も期待されていたが、製造両数は18両の少数派にとどまりました。さらに故障が発生しやすいようで、近年では運転区間が短縮され、白浜以南への運転はなくなりました。結局、<くろしお>後継車両には、非・振り子式の287系および289系(683系を直流化改造)が充てられることになり、283系はますます肩身の狭い存在に。


国鉄・JRの旅客列車番号について。

列車番号の末尾に付いているアルファベットは、国鉄時代は原則として、

M         :電車
D         :気動車
他のアルファベット :東京・大阪の国電
アルファベット無し :客車

を表していました。大阪の国電区間では、

C :東海道・山陽線(JR京都線・神戸線)緩行
T :東海道・山陽線快速
K :関西線(大和路線)
H :阪和線
無し:大阪環状線(普通電車)

という感じです。

しかし、JR発足後、この原則も崩れるようになります。JR誕生から2年後、JR東海管内の気動車列車に「C」の付くものが現われます。時刻表の紀勢本線・参宮線・名松線・高山本線などのページで初めてこの表記を見て、「あれっ、これどういうこと?」と思いましたが、新型一般型気動車キハ11形が登場してワンマン運転を開始するので、ワンマン運転の対象となる列車に「C」が付くものと判明。

列車番号「C」といえば、京阪神地区の東海道山陽緩行(普通)の青い電車(103・201・205系)をイメージされる方も多く、俗に「C電」とも呼ばれています。現在の207・321系にも受け継がれており、JR京都線~JR宝塚線(福知山線)および学研都市線(片町線)~JR東西線~JR神戸線直通の普通電車も「C電」となっています。


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天王寺駅阪和線ホームに停車中の103系普通|鳳行き。この当時は大阪圏でもまだまだ103系が多かったが、阪和線から103系は姿を消し、大阪環状線・大和路線からも103系は撤退、残りは奈良線・和田岬線・加古川線・播但線となりました。本日、奈良に残る103系の団体列車が桜井線・和歌山線経由で橋本まで運転されたそうですね。

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京阪旧3000系特急。新3000系の登場により1編成だけ残った旧3000系は8000系8531編成に形式変更されるが、翌年春の引退が発表され、3000系時代の車両番号を復刻表示するなど1971年登場時の姿を再現、有終の美を飾りました。

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2012年春に登場した13000系。宇治線の運用に入っていた13005Fです。当初は支線用4連のみだったのが、2年後には本線用7連の13020番台も登場します。

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京阪バス山科営業所の方向幕。山科特別仕様の青地幕ですが、赤い車体には不似合いのようです。

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2011年春竣工の京阪香里園駅前新バスロータリー。当初、駅前広場に併設される「かほりまちテラス」にマクドナルドなどが入っていたが、相次ぐ不祥事による業績悪化で閉店してしまいましたね。

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山崎を通過する183系<こうのとり>回送。暮れに山崎のサントリーカーブで初めて撮り鉄しましたが、485系<雷鳥>やキハ181系<はまかぜ>もなくなり、ここを通る国鉄型車両はもはやこの183系(旧・485系)ぐらいでした。

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くずはモールリニュアル工事のため閉鎖された旧・西館。松坂屋(2004年閉店)の入っていた建物で、建替えられてハナノモールとなり、ミドリノモール(本館)と一体化されています。

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京阪2600系2826号。旧2000系1次車の車体を流用したもので、翌年2013年ごろに廃車されました。

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2012年春に開通した京阪バス直Q京都号京都交野なんば線。京阪交野市駅・河内磐船駅からなんば(OCAT)および京都駅まで1本のバスで直通するとは、まさに夢のようでした。


国鉄時代の旧型客車列車について、国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正までに、和田岬線(山陽本線兵庫-和田岬)を除いて定期列車から引退したことは、ご存知の通りです。

さて、国鉄末期の旧型客車列車について思いつくままに書いてみたいと思いました。


旧型客車の整理は1984年2月ダイヤ改正から本格的に始まったものと思われます。

このダイヤ改正で、まず福知山線の旧型客車使用の普通列車は一部50系化されました。小浜線・舞鶴線にも1980年代前半まで客車列車が残っていましたが、廃止(→気動車化)時期は1984年2月ダイヤ改正だったと思います。

紀勢本線でも1984年2月ダイヤ改正で紀伊半島一周の夜行<はやたま>(天王寺・和歌山市ー亀山間、天王寺-新宮間は寝台車を連結)は12系化されると引き換えに、新宮以東の直通は廃止されました。合わせて新宮以西(紀勢西線)は12系化(→2年後1986年11月改正で紀勢本線の客車列車は全廃)。

なお、この改正の2年前、1982年5月ダイヤ改正で和歌山線に1往復だけ残っていた客車列車は50系化されました(1984年10月全線電化と同時に廃止)。


1985年3月ダイヤ改正では東北地方に多く残っていた旧型客車列車は、東北本線一ノ関以南および常磐線では電車化(455系ほか)、他は12系・50系に置き換えられ、旧客は全廃。

北陸本線でも客車普通列車は支線区直通を除いて全廃されます(→電車化)。

山陰本線については、京都口で50系化と同時に福知山で系統分割され、京都発着福知山以西への直通普通列車は廃止。福知山線は一部を除いて12系に置き換えられ、冷房化サービスの実現となります(50系の運用はわずか1年で廃止)。

紀勢本線新宮-亀山間も50系化され、亀山機関区所属で草津線と共通使用となります。


1985年3月ダイヤ改正以降、旧型客車列車が残るのは山陰本線福知山-米子・出雲市間、福知山線篠山口-福知山間、函館本線、および和田岬線のみとなります。私個人的に1986年夏、福知山-和田山間のみで旧型客車に乗りました。旧型客車のデッキ外客用扉は常に開きっぱなし(または手動式)で、安全性の問題が指摘されていました。


1986年11月ダイヤ改正では福知山線・山陰本線(宝塚ー城崎間)電化開業により、夜行<だいせん>1往復を除き電車化され、山陰から旧型客車は全廃。京都-福知山間と豊岡以西に残る客車列車は12系または50系化されます。

函館本線については函館-札幌間直通の夜行普通列車などもあったが、旧型客車全廃と同時に、優等列車(特急)は全て室蘭本線・千歳線経由となり、長万部-小樽間(通称・山線)は本線とは名ばかりのローカル線となってしまいました。


JR発足後も唯一旧型客車の残った和田岬線。和田岬線は港町の工場通勤者のための路線と化していて、列車は通勤時間帯に合わせ朝夕のみの運転となっています。さすがの和田岬線も1990年10月にはキハ35×6連に置き換えられ、さらに2001年には電化、103系で運用され今日に至ります。


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京阪神地区ではすっかり減ってしまった113系。
しかし滋賀県の湖西線・草津線ではまだ113系が活躍中。
京都駅では終日湖西線の113系を見ることができます。
原型ボックスシートのものも残っています。


2011年3月11日東日本大震災の翌日に実施されたJRグループダイヤ改正について、少し書いてみようと思います。

このダイヤ改正の目玉といえば、九州新幹線博多-鹿児島中央間の全面開通でしょう。同じ卯年の1975年山陽新幹線博多開通を連想させるものだったようにも思われます。
山陽新幹線新大阪から九州新幹線の直通運転開始と引き換えに、鹿児島本線特急列車の大幅削減など九州内在来線の列車体系はもちろん大きく変わりました。

このダイヤ改正で消えた2つの大きなもの。

一つは485系<雷鳥>。
関西と北陸を結ぶ特急列車は681・683系<サンダーバード>に一本化。
JR西日本管内における485系の営業運転は<北越>を除いて事実上終了となりました(北近畿地区で活躍する485系からの改造183系は健在だったが、381系に置き換えられた後、287・289系に)。

もう一つはキハ58系。
高山本線富山口のワンマン普通列車で最後の活躍をしていたが、これをもってキハ58系の営業運転も一つのピリオドを打ちました(その後、イベント用改造車が残るのみとなる)。

このダイヤ改正は4年後の北陸新幹線金沢開通を控えて、重大な段階を迎えたものだったようにも思います。485系やキハ58系のほか、大糸線のキハ52も引退、583系から近郊型改造を受けた419系もかなりの長寿を保っていたが521系に置き換えられるなど、北陸地区の国鉄型車両一掃が加速します。翌年2012年ダイヤ改正では583系急行<きたぐに>および寝台特急<日本海>の定期運転が終了、また一つ国鉄の遺産が消えます。


近畿圏では、大阪駅ビル開業を控え、大阪駅への集中が進み、大阪環状線・阪和線・大和路線を含め、京阪神地区主要各線で15分ヘッドダイヤが共通採用されます。ダイヤ改正に先行して前年2010年の年末に225系近郊型電車がJR京都・神戸線と阪和線に登場(翌年までにJR宝塚線にも投入)。JR東西線北新地駅ホームドア化のため、おおさか東線経由の直通快速を3ドア223系から4ドアロングシートの207・321系に置き換え。また、これに合わせた車両需給の関係上、阪和線からJR京都線普通電車に205系0番台がカムバック(車体帯は207・321系風のデザインに変更)。JR宝塚線大阪駅直通列車増発と引き換えに、学研都市線・JR東西線の昼間の快速はJR宝塚線塚口駅で折り返し。大和路線の381系<やまとじライナー>は廃止、北近畿地区特急に転用。大阪環状線では阪和線・大和路線からの快速電車停車駅を増やす代わりに、全体的に減便となり、大阪市内にもかかわらず、西半分の快速通過駅では15分に1本しか電車が来ないという問題も生まれました。


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JR西日本が在来線「新快速」運転区間を念頭に、有料座席車導入の検討を始めたと言います。

JR西 「新快速」区間に有料席 22年度までに導入へ(日刊工業)

JR西日本は在来線「新快速」運転区間を念頭に、有料座席車導入の検討を始めた。運行形態や車両などを詰め、2022年度までの実現を目指す。鉄道各社は料金収入増も狙えることから、大都市近郊路線で快適に移動できる有料座席車の導入を加速させている。JR西の新快速は関西エリアの都市間移動に使われ、長距離の乗客も多い。着席移動のニーズに応えて、サービスの向上につなげる。

上の引用記事によると、新快速電車に有料座席車(指定席まはたグリーン車)を連結するのか、あるいは新快速とは別の有料座席列車を走らせるのか、気になるところ。

2022年度までに導入とのことなので、223系もかなり老朽化が進み、新型車両導入に合わせて、グリーン車もしくは京阪プレミアムカーのような座席車を入れるということも考えられます。

以前(1990年代前半ごろ)、新快速電車にグリーン車導入の構想もあったが立ち消えになった経緯があります。関空快速(223系)に指定席を設定したこともあるが、自由席と同じ座席ということもあって利用率が悪く、廃止になりました。


C56-160

昨日の<北びわこ号>をもってC56 160号機は本線運行から引退しました。

C56といえば「高原のポニー」で人気者。
1973年夏に小海線でC56が2ヶ月間復活、小型軽快で高原地帯を走る姿が小馬(ポニー)をイメージさせることから、「ポニー」と呼ばれるようになったそうです。

C56 160号機は、国鉄時代末期に小浜線のSLわかさ号、桜井線のSL大和路号などで活躍、JR発足後も西日本を中心に四国から北海道まで全国各地のイベントに引っ張りだこ。近年は北陸本線の北びわこ号を中心に活躍を続けていましたが、C56は小型ゆえ勾配の多い路線での走行は苦手で、足回りなどの老朽化が著しく、パワーのあるD51に交代させ、本線運行から引退することになったようです。

引退後は京都鉄道博物館にて動態保存するとのこと。


JR片町線(学研都市線)は京都府最南端の木津駅が起点です。

片町線は大阪北東部と奈良を最短で結ぶ鉄道路線だが、ほとんど木津で乗り換えることになります。

起点の木津では関西本線(大和路線)と奈良線に接続しています。
奈良線は京都・奈良の2大古都を結ぶ都市間路線ですが、正式区間は京都-木津間であり、奈良県を通らないのに「奈良線」と付いているのはいささか妙な感じもします。木津-奈良間は関西本線に乗り入れる形となっています。

片町線は木津から生駒山系の東麓に沿う形で北上、松井山手付近がちょうど生駒山系の末端部で丘陵地をぶった切り、南西に進路を転じて大阪府北河内の長尾・四条畷などを経て京橋に至ります。京橋で大阪環状線と立体交差で接続。ここから先はJR東西線と名称を改め、地下線で北新地などを通って尼崎で東海道本線(JR神戸線)および福知山線(JR宝塚線)と接続、神戸・宝塚方面へ直通運転を行っています。片町線はかつて京橋から大阪都心へ一歩踏み入れたところ、片町駅が終点だったが、JR東西線開通と同時に片町駅は廃止されました。


さて、ここでは奈良直通の片町線列車についてレポートしてみたいと思います。

昔から片町線も奈良直通列車が運転されているが、奈良線とは違って基本的に木津折り返しとなっています。

国鉄時代、京都府側の木津-長尾間は非電化のままで残され、長尾駅で乗り換えが必要でした。反面、奈良から長尾までの直通列車(気動車)が1日数本設定されていました。ただ、奈良線とは事情が異なり、直通による利便性確保というよりは、奈良運転所への入出庫の意味合いが強いようです。現在も、早朝・深夜に宝塚や西明石方面から奈良への直通電車が2往復だけ設定されているが、これもやはり奈良電車区での停泊が目的です。

国鉄時代末期に片町線の奈良直通列車は削減されることになります。それは、奈良線および関西本線木津-奈良間電化が開業(1984年10月)、奈良線の列車本数が増発されるためのしわ寄せだと考えられます。1985年3月ダイヤ改正では関西本線奈良-湊町(現・JR難波)間の快速電車を一部木津発着に延長、片町線奈良直通分を置き換えたものと見られます。国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正以降、片町線の奈良直通列車は1往復のみに。奈良線電化以降、片町線の気動車は亀山機関区(現・亀山鉄道部)が担当することになり、関西本線亀山-奈良間普通列車の一部は木津で分割併合作業を行い(亀山ー木津間増結という形で)、転線ののち片町線運用に仕立てるものもありました。

1989年3月、片町線全線電化が完成、木津―京橋・片町間を通す電車が終日運転されることになりました。当初は淀川電車区103系の3両(→4両)で、早朝・深夜のみ奈良直通列車が合わせて2往復設定されました。関西本線加茂以西電化(1988)以降、終日加茂から湊町および大阪環状線への快速電車が運転されることになり、奈良線のさらなる増発(→快速の新設)と合わせ木津ー奈良間の列車密度はかなり詰まっているゆえ、片町線の電車まで乗り入れさせる余裕はないという判断でしょう。木津から大阪方面へは関西本線~大阪環状線の快速(<大和路快速>ほか)のほうが距離的には遠回りだが早く、そちらを推奨しているようです(運賃は近郊区間のため経路に関係なく同額。片町線の快速は単線区間の木津ー松井山手間各駅停車)。

1997年JR東西線開通後、片町線の電車はJR東西線経由JR宝塚線およびJR神戸線へ終日直通運転を行うようになります。奈良直通電車も早朝・深夜に合わせて宝塚・新三田方面から2往復設定されます(その後、ダイヤ改正ごとに行先は西明石行きなどに変わったりする)。運用車両は207系に統一、奈良・木津-松井山手間は4両、松井山手で増解結作業が終日行われます。東西線開通当初、記念キャンペーンの一環からか、行楽シーズンに新三田方面から木津折り返しの電車を<万葉レジャー号>として奈良まで臨時延長するものもありました(奈良行きは朝の1本、尼崎・新三田行きは夕方の1本)。奈良線の快速と同様、平城山駅は通過扱いだったと思います。これについて、本来木津でそのまま折り返す列車の車両はどのようにやりくりしたかが気になります。奈良電車区に207系を1本待機させて木津へ回送していたのでしょうか? 2010年ダイヤ改正では、片町線全区間にわたって7両編成(207・321系)運用となり、途中駅での増解結は廃止されました。もちろん奈良直通電車も7両での運用となりました。

一方、2008年のおおさか東線部分開通(久宝寺-放出)で、JR東西線~片町線~おおさか東線~王寺経由尼崎-奈良間の直通快速を運転開始(朝夕のみ、朝は尼崎行き、夕方は奈良行き)。当初は福知山線の<丹波路快速>と共通で223系6000番台を使用していたが、北新地駅ホームドア運用開始により2011年以降は4ドア車207・321系の運用に変わりました。

すなわち、深夜の奈良電車区には片町線からの207・321系が2つのルートで数本集結していることになるが、おおさか東線経由直通快速の分と松井山手・木津経由の分では編成の向きが逆となるため、運用は独立しています。


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2018年3月17日開業当日、さっそくJR総持寺駅で下車してみました。
ここから近鉄バス【73】番に阪急茨木まで乗ってみようと思っていたが、JR総持寺駅乗り入れは翌日18日からということで断念。
今度の機会に改めてJR総持寺駅を訪れたいと思います。



JR東海と西日本を跨ぐ在来線列車も昔はかなり多かったが、大幅に減っています。現在残っているのは

<しらさぎ>【名古屋-金沢】(683系)
<ひだ>【名古屋-富山】(高山本線経由)、【大阪-高山】(キハ85系)
<南紀>【名古屋-紀伊勝浦】(キハ85系)
<サンライズ瀬戸・出雲>(285系)

のみであり、会社境界をまたぐ普通・快速列車は皆無となっています。

2年前・2016年ダイヤ改正までは

<しなの>【長野-大阪】(383系)
東海道・山陽本線快速【大垣-姫路・網干方面】(221・223・225系)

がありました。さらに2006年ダイヤ改正では

急行<かすが>【名古屋-奈良】(キハ75系)
寝台特急<出雲>【東京-出雲市】(24系客車)

が廃止、「葬式鉄」が盛り上がったことは記憶に新しいです。 

それ以前にまで遡れば、高山本線普通列車について会社境界の猪谷を越えて高山-富山間直通も多く残っていてキハ120が高山まで乗り入れていたし、大阪~信州方面列車は北陸本線経由中心で設定されるようになる中、細々と中央西線経由の急行<ちくま>が存続、12系客車から383系に置き換えられ先は安泰かと思われたが、臨時化されひっそりと消滅。

さらに面白いものとして、JR発足当初、関西本線奈良・加茂発多気行き普通列車もありました(折り返しの多気→亀山行きも含めJR西日本亀山区の気動車で運用。逆に亀山-加茂・奈良間普通列車の一部はJR東海伊勢区が担当していた模様)。もし、本州がJR東日本・西日本2社折半体制だったら、三重県内は全てJR西日本管内となることは容易に想像され、広大な設備敷地を有する亀山機関区も紀伊半島東部のローカル列車を担当する拠点としてもう少し有効に活用されていたことと思います。なお、2009年紀勢本線全通50周年記念イベントでは、亀山-白浜間直通の臨時列車がキハ85系で1往復、またJR西日本キハ181系を借りて新宮発亀山行き臨時急行を運用するなど、かなり意欲的なものでした。加えて、関西地区(姫路・和歌山方面)から伊勢への修学旅行列車も2010年まで毎年運転されていたが、キハ181系引退とともに事実上廃止。

ほかには、国鉄時代から毎年夏の海水浴シーズンに運転されていた急行<エメラルド>(名古屋-東舞鶴、北陸本線・小浜線経由、キハ58系)があります。こちらも1995年の運転を最後に消滅。キハ75系の方向幕に「東舞鶴」が入っているのも、<エメラルド>運用を想定したものと思われます。それから、北陸本線長浜直流化完成当初、名古屋方面から長浜までの臨時列車(311系など)もありました(それ以前も気動車による臨時列車を設定するというかなり思い切ったものだった)。


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昨日で阪和線の205系が運用終了となりました。
本日より奈良線で205系(1000番台)の運用開始となる見込みです。
これを記念して、JR京都線・神戸線7連姿の写真をアップしてみました。



JR学研都市線の東寝屋川駅を「寝屋川公園駅」に改称するよう寝屋川市が動いています。

東寝屋川駅前周辺の再開発事業と道路整備に合わせ、近くの府営寝屋川公園のある周辺地域のイメージアップを図ってのこと。2019年のおおさか東線新大阪開業を目処に実現させようということのようです。

東寝屋川駅は1979年10月、四条畷-長尾間複線化完成に合わせて開業。来年2019年でちょうど40周年を迎えることになります。

東寝屋川~星田地区のバス路線にももちろん影響はあるでしょう。

http://www.neyagawa-np.jp/higashi-neyagawa-station/20180306.html



先日、近鉄バス【70】【72】番<JR・阪急茨木~花園東和苑>系統についてのレポート
http://katanogawara.blog.jp/archives/24461898.html
を書いたばかりですが、今月JR京都線茨木-摂津富田間に「JR総持寺」駅開業に合わせ、18日よりこの路線系統のダイヤが変更される予定です。

主な変更内容は、

○JR総持寺駅に乗り入れ(【73】番)
○JR茨木駅発着(【72】番)を廃止、阪急茨木市駅発着に変更

JR総持寺駅乗り入れは昼間時間帯のみのようです。JR茨木直通便廃止は、「JR総持寺」駅をご利用ください、ということでしょう。



国鉄時代、通勤型電車以外は長距離客を考慮して基本的に禁煙車は設定されておらず、車内に灰皿が備え付けられていました。「近郊型電車」に区分される113系や115系および415系なども例外ではなく、大都市部付近を除き基本的に禁煙ではありませんでした。JR・私鉄を問わず有料特急以外の列車がほぼ禁煙である現在では信じられないかもしれません。

国鉄末期~JR発足前後になって、一般列車での禁煙化の波が広がるようになります。関西圏の113系にももちろん禁煙車が設定されるようになり、東海道・山陽本線快速電車や湖西線・草津線系統(湘南色)、阪和線・紀勢本線(青帯)では、先頭車クハを禁煙車に設定、客用扉の上に「禁煙車」シールが貼付されるようになります(灰皿も撤去)。なお、大阪都心部に近い京都-西明石間や阪和線など、いわば「電車特定区間」に当たる区間ではもとから全車禁煙とされていたかと記憶しています。

ここで面白いのは、関西本線(大和路線)系統で使用する赤帯113系。もともと阪和線の青帯と同じ日根野電車区に配置、一部の編成は阪和線・紀勢本線系統と共通運用とされていました。日根野の113系は紀勢本線和歌山以南を除いて全て禁煙でした(桜井線、和歌山線なども)。赤帯113系については、阪和・紀勢本線共通運用を持つ編成を除き、全運用区間が禁煙ということになり、灰皿は備え付けられていませんでした。1980年に新製投入された赤帯2000番台3本は確か阪和運用には入らなかったはずで、最初から灰皿は設置されず、車内にプラスチックの「禁煙」パネル(京阪などの私鉄と同じものだった)が固定掲示されました。1985年3月、奈良電車区を開設、関西本線・奈良線・桜井線・和歌山線で運用する車両が所属することとなり、赤帯113系も阪和・紀勢本線共通運用編成を除いて奈良電車区に転属。したがって、奈良区113系は全車両禁煙ということで、(禁煙車が設定されるようになる時代とはいえ)113系がこれだけ徹底的に禁煙であるのは当時としては珍しかったわけです。


日根野から網干(明石)に転属した103系HK607。
http://katanogawara.blog.jp/archives/21294838.html

和田岬線の運用に入るものと期待されていたが、どういうわけか一度も運用に入ることなく吹田へ廃車回送されました。明石に行ったのは結局何だったのでしょうか? 単なる疎開留置だったみたいですね。

ところで、奈良に転属した205系1000番台5本は新たに編成番号NE405~409が付与されており、奈良線の103系を置き換えるのはほぼ確実となりました。405から始まっていることから、来月阪和線運用終了予定の0番台4本も(6→4連化して)加わると見られます。


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JR西日本とJR東海との境界駅を表す点景写真です。
JR西日本スタイルの駅名標とJR東海313系のコラボが見れるのは米原駅ならでは。


関西本線(大和路線)快速や奈良・桜井・和歌山線などで活躍していた113系赤帯車。
奈良・春日大社の鳥居をイメージするとされるカラーデザインということで、「春日色」とも呼ばれています。

さて、春日色113系の方向幕について興味深いものを挙げてみたいと思います。

例によって天王寺鉄道管理局仕様の書式・書体が特徴的ですが、国鉄時代には幕は少なくとも1回取り替えられていると思われます。1973年奈良-湊町間電化以降、奈良~大阪環状線直通快速(→元祖・大和路快速)にこの113系が使用され、特製ヘッドマーク「快速 奈良-大阪環状線」を掲げ、「奈良-大阪」の部分を大きく強調表示することで大阪駅へ直通することをPR。並行する近鉄奈良線をかなり意識したものと見られます。方向幕は赤文字の「快速」と表示。

1980年3月桜井線・和歌山線(王寺-五条)電化の時に、方向幕が新しいものに交換されたようです。まず、「快速」の文字はなぜか赤色から水色に変更(阪和線用青帯113系も同様)。桜井線・和歌山線の運用に入るため、関西本線との乗り間違いを防ぐことを目的に、湊町~桜井線経由奈良行き快速の字幕は赤地、湊町~五条行き快速は緑地とされます。

また、この電化を目的に2000番台6連×3本も新たに投下、側面電動式方向幕もきちんと使われます。2000番台についても先頭幕は手動式で例によって天鉄局仕様のものですが、側面幕は行先のみの表示で英文字も入り、国鉄標準仕様でした(天鉄局管内でも103系冷房車や381系の電動幕、そして12系客車については国鉄標準仕様だった)。ただ、「快速」表示部分は水色で、大阪環状線直通については「快速|大阪環状線」なる字幕が使用されました。桜井線・和歌山線直通についてはそれぞれ赤地緑地としていました。

今気づきましたが、「快速」を水色に変更したのは、桜井線直通用に赤表示を充てたので混同を避けるためだと考えられます。

それから環状線直通快速の先頭幕について、国鉄末期~JR誕生直後の頃、「奈良-大阪」ヘッドマークの代わりに「天王寺博」や「ならシルクロード博」PRヘッドマークなどを掲示するときには、2段表示の

   快速
奈良-大阪環状線

が使用されました。


片町線で活躍していた101系および103系非冷房車の先頭方向幕についての興味。

片町線は大阪鉄道管理局管内で、電化区間の片町-長尾間は旧型国電の巣窟だったのが1977年より101系を投入、2年後の1979年より103系も加わりました。103系は当初高運転台車の新車のみだったが、1983年より非冷房車の101系を置き換えるため、東海道山陽線普通(緩行)用103系を転用。その中には一部非冷房車も含まれていました。

さて、101系および103系非冷房車で使用された方向幕ですが、天鉄局の方向幕と同様、

片町-長尾
片町-四条畷

のように運転区間を表示ものだったが、下に英文字が入っていたのが特徴でした(書体も天鉄局仕様とはかなり異なる)。当時、片町線の電車は桜島線・大阪環状線と共通運用を持ち、桜島線については、大阪環状線と同様、路線名「桜島線」だけを表示するものでした。「片町線」も字幕に入っていて、なぜか1986年11月ダイヤ改正前後よりこれが使われるようになりました。103系冷房車ではちゃんと行先を表示しているのに、101系だけが「片町線」では(側面幕がないので)行先がわからず不親切でしたね。

JR発足1周年を迎えた1988年ダイヤ改正では、103系と同様、「片町」「長尾」のように行先のみの表示に改められました。

片町線の101系は1989年の長尾-木津間電化直後まで残り(7両固定編成のため松井山手以西のみの運転)、桜島線へ転用ののち1991年に引退しました。



阪急神戸線春日野道駅にて。
JR東海道本線(神戸線)との並行区間で、阪急とJRの撮り鉄が楽しめるスポットです。カーブもいい感じです。

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8000系8001F 普通|神戸三宮

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223系新快速野洲行き

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323系下り普通

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7000系7003F 特急|新開地



日根野の103系HK607編成が網干(明石)へ転属となった模様です。
和田岬線の古い103系を置き換えると見られます。

HK607編成は元・宮原区所属でJR宝塚線用のカナリア色だったが、JR京都線との直通運転が始まり、車両色を本線(JR京都・神戸線)系の青色に統一。その後、日根野に転属し、同じ青色のまま阪和線で最後の活躍を続けました。

今回和田岬線用への転属という形であるが、本線に復帰したことになります。

ちなみに奈良の6連NS618も、今朝の運用を最後に運用離脱しました。


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本日午前、大阪環状線から103系営業列車が終了しました。
阪和線からも103系が既に撤退しており(羽衣線を除く)、今後奈良線が103系最後の楽園として注目を浴びそうです。
ほかには播但線(姫路-寺前間)でも103系3500番台が活躍中です。
ちなみに来年、播但線電化20周年を迎えます。


1977年より地方都市圏の通勤通学向けローカル列車用に作られた50系客車。
塗装は国鉄規格「赤2号」とされ、「レッドトレイン」とも呼ばれました。
車内は当時製造中のキハ40系気動車と同様、扉付近をロングシートとし、車内の雰囲気はキハ40・48と同じです。

さて、関西圏(近畿)でのレッドトレイン50系客車といえば、まず思い出すのは草津線(京都-草津-柘植)。
1980年3月の電化まで活躍していた旧型客車を置き換え、113系に混じって朝夕ラッシュ時に運用に就きます。
草津線用には亀山客貨車区と向日町運転所に配置。
亀山からの出庫も兼ねて、1984年2月改正まで早朝1便のみ亀山発京都行きもあり、亀山-柘植間という短い区間ながら関西本線亀山以西では唯一の客車列車でもありました。

向日町に配置された50系は、山陰本線京都口(京都-福知山)でも活躍。

50系客車といえば、和歌山線も忘れてはなりませんね。
王寺-五条間は草津線などと同時に電化されるが、電化後も王寺-和歌山・和歌山市間を通す客車列車が1往復だけ残りました。1982年5月改正の頃までは旧型客車を使用、亀山-新宮間を含めた紀勢本線と共通運用でした。その後、50系客車に置き換えられ(竜華機関区配置)、和歌山線専用となるが、1984年10月の全線電化で廃止。奈良県では貴重な客車普通列車だっただけに残念です。

旧型客車の天下だった福知山線にも1984年2月より50系客車が活躍。
大阪-香住間というかなり長距離の列車にも50系が入ったそうです。
しかし、非冷房が災いして福知山線での50系も長くなく、翌年1985年には12系客車に置き換えらるが、その翌年1986年11月には全線電化、客車列車は急行<だいせん>1往復を除いて全廃されました。

紀勢本線亀山-新宮間でも1985年3月~86年10月までの1年半余りだけ50系客車が進出。亀山区配置で草津線と共通でした。おそらく和歌山線で活躍していた分が回されたのでしょう。

このほか播但線・姫新線でも50系が活躍していました。

JR発足後、関西圏の50系客車は全てJR西日本管轄となります。

JR発足当時、近畿地方で50系客車が残る路線は、草津線、山陰本線(京都-福知山、豊岡-鳥取-米子ほか)、播但線、姫新線ぐらいだったかと思います。草津線の分は東海道本線草津-京都間にも乗り入れ、異彩を放っていました。

やはり電化区間の拡大や非冷房ゆえ50系の活躍は長くなく、草津線は1989年3月改正で全て電車に置き換えられ、翌年1990年の山陰本線京都-園部間電化で京都-福知山間の客車列車は全廃(それに先駆け、1988年秋には京都-園部間の50系3往復を残して気動車化)。

播但線は1990年代に入っても客車列車の本数が多く残っていたが、冷房化サービスを目的に12系に置き換えられるも、1992年には全列車気動車化されました。これに合わせて、キハ58・28をオールロングシート化した5500番台を投入したことは有名です。その6年後、姫路-寺前間が電化、103系3500番台に置き換えられます。



滋賀県内の1日平均乗車人員数の第1位は、東海道本線(琵琶湖線)の南草津駅。

南草津駅は草津-瀬田間に1994年9月新設。
もともと、草津市南部の新都心開発構想の一環として計画が進んでいたが、立命館大学びわこ・くさつキャンパスの開校(理工学部など一部が京都市北区の衣笠から移転)に合わせ開業しました。

開業当初、駅前周辺は何もない小さな一つの駅だったが、バスロータリー新設や商業施設が出店して街開きが進み、マンションや住宅も増え続け、学生たちで終日賑わうようになりました。列車本数増発などを目的に新快速の南草津停車の要望も強まり、2011年より新快速停車が実現しています。そして、2014年度には、一日の平均乗降客数は草津駅を上回って、滋賀県内トップに躍り出ます。さらに南草津駅には首都圏と結ぶ高速バスも乗り入れています。

滋賀県の代表駅といえば、県庁所在地に一番近い大津駅だと思われるでしょう。しかし、大津駅前周辺は大きなバスロータリーも持て余すほど寂れています(バスの発着本数もさほど多くありません)。京都市とは目と鼻の先、京都駅まで電車で10分のところゆえ、かえって埋没しがちですね。草津駅はおろか、大津市内の膳所や石山にも負けていると実感します。

滋賀県の商工業の中心地域といえば、草津・栗東・湖南・近江八幡・彦根などの湖東地域でしょう。
滋賀県には日本三大商人の一つ、「売り手よし、買い手よし、世間よし」を基本思想と近江商人を生んだ誇るべき歴史があります。近江商人の流れを受け継いでいる日本企業は数多く、大丸・高島屋・山形屋・西武グループ・ヤンマー・ワコール・西川産業・トヨタ自動車・日本生命・ニチレイなどが有名です。ちなみに、高島屋は湖西の高島市が由来となっています(高島郡出身の商人が創業)。

翻って大津市は、京都・大阪のベッドタウンの色合いが濃いようです。



JR京都線(東海道本線)摂津富田~茨木間に来春開業予定の新駅名が「JR総持寺」に決定しました。

https://www.westjr.co.jp/press/article/2017/08/page_10927.html

「JR」と冠する駅名ですが、第1号は関西本線(大和路線)の終点・JR難波(旧・湊町)で、1994年9月の関空開業のダイヤ改正に合わせて改称されたことは周知の通り。

以降、大阪近郊区間では私鉄駅の近隣地区において、「JR」+私鉄既存駅名の新駅設置あるいは改称する例が相次いで生まれます。現時点で「JR」を冠する駅名は、

JR難波(旧・湊町) <関西本線>
JR藤森(新設)、JR小倉(新設) <奈良線>
JR三山木(旧・上田辺) <片町線>
JR河内永和、JR俊徳道、JR長瀬 <おおさか東線>(2008年開業)
JR五位堂(新設) <和歌山線>

です。

東海道・山陽本線(琵琶湖線、JR京都線、JR神戸線)でも新駅が相次いで誕生しているが、今回の「JR総持寺」は東海道本線では初めて「JR」を冠する駅名となる予定です。

ちなみに2019年開業予定の山陰本線(嵯峨野線)新駅は「JR七条」との予想が有力ですが・・・。


大阪と飛騨高山を東海道本線・高山本線で結んでいた気動車急行「たかやま」。

いわば「大阪ひだ」の前身であり、現在はJR東海のキハ85系で運転されています。
東海道本線米原を越える定期列車は、去年まで「大阪しなの」や姫路方面~大垣直通の普通電車もあったが、現在「サンライズ出雲・瀬戸」とこの「ひだ」の2往復のみです。

さて、急行「たかやま」ですが、もちろんキハ58系で運転。
1987年の国鉄分割民営化以降もJR西日本・JR東海両エリアを跨いで運転される数少ない列車でした。
高山本線の特急「ひだ」および急行「のりくら」は1989~90年に新型キハ85系に全て置き換えられて「ひだ」に一本化、以降大阪からの「たかやま」が高山本線唯一の急行列車となります。

さすがに85系「ひだ」に比べて見劣りは隠せず、1991年に専用の編成を用意してリニュアル工事を受け、独自の車体カラーに改めるとともに車内は普通車も含めてリクライニング座席、優等列車として恥ずかしくない接客設備となります。観光利用が多いこともあってグリーン車(キロ28)も連結され、往年の気動車急行のラインナップをとどめます。

1996年の山陰本線京都口「丹後」廃止後、キロ連結の急行列車はこの「たかやま」と津山・因美線の「砂丘」(→「つやま」)のみに。「たかやま」もリニュアルを受けたとはいえ、さすがに老朽化は隠せず、1999年12月には特急「ひだ」に代替されました。

私も実は、急行「たかやま」に何度か乗車したことがあります。
ただし、全区間乗り通したというわけではなく、大阪行きで石山→京都間のみの短距離利用でした。

担当乗務員もJR東海の高山運輸区(車両はJR西日本京都総合車両所所属)で、いつも乗る電車(113・221・223系ほか)と違うヨソユキな雰囲気を感じました。古いDMH17H型気動車ということもあって加速が悪く、隣の内側線を併走する普通(→高槻から快速)・新快速電車に追い抜かれそうになったりで、これで急行料金を払うのはもちろん馬鹿馬鹿しいと言えるが、旅行気分を満喫する分には急行料金(520円~)は高くないと思う人もいたかもしれませんね。しかし、何よりも普通・新快速電車とはちがって、自由席も含めほぼ確実に座れるのは魅力でした(それだけ通常の利用客は多くないということだが)。

琵琶湖線(米原-京都間)を走る気動車急行といえば、「たかやま」のほか、1986年以前は草津線に入る「志摩」や「平安」もありましたが、確か石山には停車しなかったはず。

急行「たかやま」は、関西から飛騨路への観光客はもちろん、新幹線では不便な大阪・京都方面~大垣・岐阜間のビジネスや用務にも重宝されていたそうです。「大阪しなの」も廃止された今、「大阪ひだ」が関西と大垣・岐阜方面を結ぶ唯一の列車となりましたが、これもいつ廃止されるかわかりません。


今ふと気づいたが、片町線(学研都市線)と福知山線(JR宝塚線)、そしてJR東西線に関して、不思議なことに8年周期で大きなニュースになる習性があるようだ。

1981年(昭和56年)以降を振り返ると、

1981年4月 福知山線尼崎-宝塚間電化

1989年3月 片町線長尾-木津間電化

1997年3月 JR東西線(京橋-尼崎)開通、および片町線片町駅廃止

2005年4月 福知山線尼崎脱線事故


2005年の尼崎脱線事故は悲しい出来事だが、他3つについては、電化&新線開業といった前向きのニュースだ。

片町線と福知山線を地下で結ぶ片福連絡線は1970年代末ごろから計画され、これがJR東西線として完成する。

もともと、この新線は、福知山線の複線電化による利用客増加が見込まれ、宝塚・三田方面からの列車増発分を回して大阪都心部(北新地)と直結させることが目的だったとされる。すなわち、大阪-尼崎間は東海道本線の外側線を走行するが、福知山線の列車本数が増えてパンクすることが予想されたため、一部を片福連絡線に回すというもの。

ただ、北新地は大阪駅・梅田から少し離れていて場所はあまり良くなく、また快速電車はJR東西線内各駅停車で遅いということもあって、JR東西線の利用客は予想ほど伸びていない。福知山線の利用客としては北新地よりも大阪駅が好まれやすく(北新地以西は空いている)、片町線から梅田方面へ向かう場合も、東西線開通前と同様、京橋で環状線に乗り換える利用客も多い。

片町線は全線電化そしてJR東西線開通の数年後まではイケイケドンドンだったが、2005年の尼崎脱線事故で大きな転換点を迎えたようだ。その後、おおさか東線部分開通でJR東西線・東線経由の直通快速奈良行き運転開始(2008年)、および2010年に片町線全線で7両運転が実施されるものの、2011年の大阪駅ビル完成以降、片町線の列車本数削減の流れが続いている。現在、昼間時間帯を中心に片町線・JR東西線の(区間)快速電車は尼崎もしくは塚口で折り返すダイヤとなっている。



兵庫県は近畿で一番面積が広く、瀬戸内海・日本海両方に跨っているため、本州を縦断するためには必ず通らなければならない県だ。

兵庫県内の鉄道電化率は、実は近畿で一番低い。
神戸市街地および阪神間の都市間鉄道(JR、阪急、阪神)、地下鉄などは当然電化されているが、県の西部および北部のローカル線は大半が非電化のままだ。過疎化の進む奈良県や和歌山県で100%に近い電化率だが(奈良県南部の山間部は鉄道空白地帯ということもある)、兵庫県においても西部の中国山地や北部の日本海側(但馬)で過疎化が進んでいる。

東海道本線に比べて山陽本線西明石以西の電化は遅れていて、1960年までに兵庫県内区間の電化が完成する。県内の国鉄では山陽本線の次に赤穂線が電化される。そして1972年に山陽新幹線新大阪-岡山間が開通。

山陽本線・新幹線と赤穂線以外の県内国鉄線は1970年代まで全て非電化だった。

1980年代に入って少しずつ電化区間が拡大してゆく。その皮切りは、1981年4月の福知山線尼崎-宝塚間。阪神間の都市部にありながら、列車本数は非常に少なく、客車列車や気動車がのんびり行き交うローカル線で、阪急平野と呼ばれる地域ではミスマッチな光景だっただろう。電化後、関西で初めての黄色103系が投入されるが、阪急とは勝負にならず利用客は伸び悩んだ。その代わり、福知山線は大阪と北近畿・山陰を結ぶ陰陽連絡幹線としての役割を担っていた。

5年後の1986年11月、福知山線宝塚以北および山陰本線福知山-城崎間が一気に電化され、福知山線の客車普通列車は廃止される。大阪と鳥取・米子方面を結ぶ長距離列車は夜行「だいせん」を残して全廃され、大阪-城崎間の485系「北近畿」(のちに183系化改造を受ける)に生まれ変わる。普通電車は113系800番台が投入されるが、初期車からの改造で非冷房車も多くて老朽化が目立ち、しかも4両とか2両編成の短編成ゆえ積み残しが発生しやすく、不評だった。また、宝塚電化当初から活躍してきた103系は新三田まで運用されるようになる。JR発足後、西宮名塩や三田の住宅地開発が進み、福知山線の利用客が少しずつ増えて列車本数の大幅増、快速電車運転(117系を転用)、さらに207系通勤型電車を投入するなど、旅客サービスも徐々に改善されてゆく。1995年の阪神大震災以降、JR神戸線(東海道・山陽本線)とともに阪急からJRへの旅客移転が顕著化する。さらに1997年のJR東西線開通後、大阪北東部の片町線から福知山線宝塚・三田方面へ直通電車が終日運転され、福知山線(篠山口以南)は都市鉄道に大きく脱皮する。

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福知山線快速で活躍する223系6000番台

1998年には播但線の姫路-寺前間が電化。寺前-和田山間はトンネルの高さの都合から電化工事が困難ゆえ、非電化のままで残される。播但線の電化区間には103系3500番台が投入される。国鉄時代末期の105系などとはちがってN40改造を受けるなど、気合いの入った車両改造だった。寺前電化後も、気動車特急「はまかぜ」は残り、姫路・神戸と但馬地方(香住・浜坂・鳥取)を結ぶ県内優等列車として重宝されている。普段は閑散としているが、かにシーズンの時は混雑しやすく、近年は竹田城への観光客も結構乗っているようだ。

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播但線の103系

京阪神と鳥取を高速で結ぶことを目的に国鉄時代から建設され未成線となりかけた智頭線(上郡-佐用-智頭間)は、1994年に智頭急行として開通する。非電化だが高規格の地上設備を有し、特急「スーパーはくと」が好評だ。これに引き換え、京都から山陰本線経由鳥取・米子方面直通の優等列車は、1996年3月の電化を機に、東京からの寝台特急「出雲」(2往復、内1往復は1998年「サンライズ」となって伯備線経由に変更、残りの1往復は2006年廃止)を残して全廃される。

阪神大震災で不通となったJR神戸線の迂回ルートとして俄かに賑わった加古川線(加古川-谷川)も電化されることになる。かつては加古川線から三木線や北条線、鍛冶屋線、そして高砂線が枝分かれしていたが、第三セクター化あるいは廃止され、北条鉄道(旧・北条線)のみが残っている。2004年12月に加古川線の電化が完成し、103系3500番台と125系が投入される。ただし、加古川線北部の西脇市-谷川間は列車本数の非常に少ない閑散区間だ(加古川線西脇市以北よりは廃止された鍛冶屋線のほうが西脇市街地を通るため利用客は多かった)。谷川駅での福知山線との直通運転や接続改善も望まれるが・・・。

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加古川線の125系と103系

このほか、神戸市街地のローカル線、山陽本線和田岬支線(兵庫-和田岬)も2001年に電化。和田岬支線は、港湾地区の工場通勤者専用の路線となっていて、旅客列車は朝夕のみの運転。1990年まで旧型客車が残っていたが、合理化を目的に気動車に置き換えられる(キハ35をラッシュ輸送向けに改造)。しかし、キハ35も老朽化が進み、さらなる合理化を図って電化が決まり、103系6連(青色)で運用されることになった。地下鉄湾岸線の開通と引き換えに和田岬線廃止も取り沙汰されたが、JR西日本有数の黒字路線(通勤時間帯のみしか旅客列車が運転されないため)ということもあって、急ピッチで電化工事して生き残った。


京都駅に発着していた国鉄型車両の写真(ここ10年ほどの間に撮影したもの)を集めてみました。

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JR京都線・神戸線各駅停車用201系

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485系「雷鳥」(新大阪にて)

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嵯峨野線(山陰本線)113系


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特急「きのさき」「まいづる」183系(旧・485系)

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湖西線・草津線113系(草津にて)

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琵琶湖線普通列車の運用に入った117系(瀬田にて)


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奈良線103系


もう少し昔に遡れば、琵琶湖線・JR京都線・神戸線快速電車の113系、JR京都線・神戸線各駅停車用の青い103系、キハ58系「丹後」「たかやま」、381系「くろしお」「しなの」、ブルートレイン(寝台特急)24系、奈良線117系快速電車・113系春日色・105系などもありました。

今では残り少なくなった113・117系はほとんど「お抹茶色」の単色ばかりだし、奈良線の103系も黄緑色で、統一感はあるが何だか寂しいですね。


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昨日、近鉄京都駅を訪れたとき、国鉄型車両が3本止まっているのに驚いた。
奈良線103系、抹茶色113系、そして117系。

大阪駅では見られなくなった車両たちだが、京都駅では今もまだ見ることができる。
しかし、JR京都線・琵琶湖線の電車および北陸本線「サンダーバード」はもちろんのこと、嵯峨野線(山陰本線)からは国鉄型車両が撤退し、残るは湖西線・草津線の113・117系、および奈良線の103系だけとなった。
首都圏やJR東海に比べて新車の投入が遅れていたJR西日本の近畿圏も、ここ数年の間で急速に変わりつつある。

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谷川駅に停車中のキハ40。
電化された今も、西脇市-谷川間は1日数本の列車しか来ない閑散路線となっている。
それにもかかわらず、「大阪近郊区間」の範囲に含まれており、大回り乗車の通り道としての利用価値はあろう(笑)

もともと加古川線が電化されたのは、阪神大震災など非常時の東海道・山陽の迂回路線を確保するためだった。実際、阪神大震災の時、東海道・山陽本線は寸断され、福知山線・加古川線・播但線は迂回経路として賑わっていた。加古川線ではJR西日本管内ばかりか、はるばるJR東日本の秋田からも気動車(キハ58系)を借りて特別輸送をしていたようだ。また、関西~九州間の寝台特急(ブルートレイン)は福知山~山陰~播但線を迂回していた。福知山線を走行するブルートレインは、かつて陰陽連絡幹線として賑わっていた頃を彷彿とさせる光景だったことだろう。せっかくなので、山陰本線をひたすら走行してもよかったのでは・・・。


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阪和線・大阪環状線の103系もいよいよ終わりを迎える。大阪環状線に残る103系の先頭車は高運転台車だけとなっている。
先日、天王寺駅へ阪和線103系の最後を見物に行ったとき、和歌山方先頭車は高運転台車クハ103-800で、片町線(学研都市線)で活躍していた103系のことがふと気になった。

片町線の103系は、1979~80年に淀川電車区に新製配置された高運転台車に始まる。数年前まで旧型国電の巣窟だった片町線だが、1977年より101系が大阪環状線から転用される。しかし、1979年10月、四条畷-長尾間の複線化完成および東寝屋川・藤阪両駅の開業に合わせ、前述の103系高運転台車も加わる。当時、101系は非冷房車ばかりだっただけに、103系が来たら新車と思って歓迎されたことだろう。

その後1983~85年にかけて、東海道・山陽線普通電車への201系投入で余剰となった103系が大量に片町線に転用される。東海道・山陽普通の103系は1972年に配置された低運転台・豚鼻ライトが多く、これが片町線にも増殖する。

国鉄末期に片町線の7両編成への増強、そしてJR発足後に長尾-木津間電化を控え、103系の編成替・短編成化改造が大規模に進められる。全線電化完成後、103系は木津・奈良まで運用されるようになる。しかし、JR東西線開業を前に、207系新型電車が先行的に片町線に配置され、103系は1996年までに引退する。片町線生え抜きの高運転台車は、1992年に関西本線(大和路線)に転用され、黄緑色への塗装変更を受ける。黄緑色の高運転台車は首都圏の山手線・横浜線・埼京線のイメージが強く、大阪では1992年に初めて実現。黄緑色の103系は大阪環状線の運用にも入り、環状線内での黄緑色高運転台車はまさに山手線を彷彿とさせる姿だった。

103系高運転台車は一時期、奈良・明石・宮原・広島にも配置されていたが、現在森ノ宮と日根野に集約され、余生を過ごしている。


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2012年度から続く221系の更新工事も75%ほど進んだようです。
間もなく見られなくなるだろう原型221系の写真をアップしてみました。
2010年、大和路線天王寺駅にて撮影。

221系大和路快速が登場して来年で28年となります。
そろそろ大和路線にも新しい顔を期待したいところですね。
環状線内の関空・紀州路快速223・225系、そして今年12月営業運転開始予定の普通323系に比べて、やはり大和路快速221系の老朽化が気になりますね。ただし、225系の初期車の顔が安っぽく見えるのは残念です(100・5100番台で随分イケメンになりましたが)。


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いよいよ103系引退へのカウントダウンが迫る大阪環状線。
今年12月24日より323系の営業運転が開始するとのことらしい。
103系は廃車予定だが、201系は他線に転用されるとのこと。おそらく大和路線・おおさか東線あたりで使用されるだろう。


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先日、阪急京都線の近年の優等列車種別名および停車駅が目まぐるしく変わってわかりにくいという記事を書いた。
http://katanogawara.blog.jp/archives/8040735.html

京都線に負けず、宝塚線も優等列車の種別・停車駅がかなり変わっている。

まず、現行の列車種別名を挙げると、

特急日生エクスプレス、通勤特急急行準急普通

があるが、少し前は種別名がもっとあって停車駅もバラバラだったように記憶している(宝塚線全駅が「優等列車停車駅」と言われたことさえある)。また、もともと宝塚線には定期ダイヤの「特急」がなく(臨時特急はある)、最上位の種別は「急行」だった。上記の通り、現行ダイヤでも「特急」と名の付く列車はあるが、朝夕ラッシュ時のみで、事実上の最上位種別は「急行」だ。ただし、宝塚線の急行は、途中から各駅停車で、「普通」は雲雀丘花屋敷以東のみの区間運転が基本的だ。急行は以前は石橋以西各駅停車だったが、現在は豊中から先、各駅停車だ。

1995年から一時期、定期ダイヤで「特急」が運転されたことがある。競合するJR福知山線(宝塚線)は長い間、単線非電化のローカル線だったが、1980年代の国鉄末期に複線電化などの改良が進み、列車本数も大幅増加し、さらに大阪-宝塚間の所要時間(だけ)はもともとJRが優位で、さすがの阪急ものんびり構えていられなくなり、宝塚線に特急が運転されることとなった。さらに、1997年には能勢電鉄との直通運転も始まり、朝夕ラッシュ時に特急「日生エクスプレス」が運転される。しかし、カーブの多い阪急宝塚線ではさほどスピードアップが実現できず、2003年には特急の運転を休止(日生エクスプレスを除く)して「快速急行」に格下げるも、やはり速達効果が薄くて、2006年ダイヤ改正では1995年以前の運転パターンに戻る。梅田-宝塚間は宝塚線よりも神戸線~今津線経由のほうが早い。

JR宝塚線のほうも、207系を投入して中山寺に快速を停車させるなど阪急への攻勢を強めてきたが、2005年の尼崎脱線事故以後、スピードダウンせざるを得なくなり、学研都市線からの快速電車は昼間時間帯尼崎・塚口打ち切り、さらに四条畷以東各駅停車の「区間快速」に格下げされ、共食い状態のようだ。

JR学研都市線(片町線)の京都府内は、周辺の他の鉄道線に比べてある意味贅沢なローカル線だと言える。

京都府下の学研都市線(長尾-木津間)は1989年までは非電化で気動車2両が1~2時間に1本行き来していた。電化後、片町(廃止)・京橋方面からの直通電車が終日運用されるようになる。基本的に快速電車だが、長尾以東は各駅停車。初めは103系を改造して3~4両運転をすることで対応していたが、JR東西線(尼崎-京橋)開業を前に207系が作られて学研都市線の103系を全て置き換えてしまう。1997年のJR東西線開通後、学研都市線の電車は終日宝塚・神戸方面へ直通するようになり列車本数も大幅に増えるが、松井山手以東は7両から4両に切り離されて運用する。その後、2002年には京田辺駅まで7両編成の電車が乗り入れるようになる(ただし松井山手以東は単線のまま)。

このとき、次の同志社前まで行く電車が一つ手前の京田辺駅での増解結のために所要時間がかかる、という非効率性が問題視されるようになる。せめて同志社前までは7両運転が望まれていたが、2010年に木津駅まで7両編成で運用されることになった(207・321系が共通で運用)。

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7両対応が完了した祝園駅ホーム
7両編成の電車が留置されている

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非電化時代の祝園駅
キハ10・20系の2両が停車中


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同志社前駅ホーム
以前は折り返し用ホームもあったが撤去された


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同志社前到着前の207系
このあたりは随所にローカル線の雰囲気が垣間見られる

京都府下の学研都市線は、周辺の他路線に比べて電車の編成だけは長い7両編成となる。

一方、並行する近鉄京都線はもともと学研都市線には本数・スピードで圧勝しているが、電車は6両編成が最高だ。それでも、近鉄のほうは奈良・橿原神宮前・賢島への特急があり、伊勢志摩ライナーやしまかぜも来るし、京都市営地下鉄烏丸線も乗り入れてくる、そして時には5200系やあおぞらなどの団体臨時列車も姿を見せ、やはり賑やかだ。大和西大寺まで行けば、阪神電車も終日やってくるので、さらに活気がある。

木津駅で接続する奈良線、大和路線(関西本線)はどうか。
奈良線(京都-奈良)も電車の編成は最高6両(221系、103系)だが、「みやこ路快速」および普通電車が毎時2本ずつ運転されており、近年外国人観光客も多く見られ、学研都市線よりも賑わっているように感じる。さらに複線化工事も進む。
大和路線(加茂-JR難波)のほうは、快速電車は最大8両編成(221系、103・201系)で運転されるが、加茂-木津間は毎時2本で少ない。しかし、行楽シーズンの休日は、加茂以東の非電化区間へ乗り継ぐ行楽客(笠置、伊賀上野方面)も多く、1~2両の気動車は満員となる。

こう見ていくと、207・321系で統一された学研都市線は、近未来都市のイメージを与えながら、ローカル線の雰囲気が随所に垣間見られるという、違和感いっぱいの空間と言うか・・・。近年、四条畷以東の列車本数が減らされ、昼間時間帯は宝塚方面への直通がなくなったりして、学研都市線は再び寂れてきているようにも感じる。

JR西日本の少数派形式の車両といえば、

1)205系通勤型電車
2)キハ48
3)101系通勤型電車(廃車済)
4)キハ53(廃車済)

などが挙げられる。

1)205系通勤型電車

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JR西日本に在籍している205系は、国鉄時代末期にJR京都線・神戸線普通電車用に投入された0番台(7両×4本)と、JR発足1年後に阪和線用に作られた1000番台(4両×5本)の2タイプがある。現在、205系は全て阪和線にまとめられているが、225系5100番台に置き換えられる予定で、今後の動きが注目されている。上の写真はJR神戸線で活躍していたときのもの。下の写真は、阪和線用に作られた1000番台。0番台とはフロントの窓の形が異なっている。

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2)キハ48
高山本線および東北地方など寒冷地向けに作られたキハ40系の仲間で、出入り口デッキ(仕切り)付きが大きな特徴だ。JR西日本には5両のみが受け継がれた。敦賀機関区に投入されたもので、小浜線および交直セッションを控える北陸本線米原口・湖西線ローカルで活躍していた。

しかし、京阪神からの新快速の北陸本線長浜までの直通運転を可能にすべく長浜以南直流化工事完了後、敦賀のキハ48は、遠く離れた山陰本線西部のローカル運用に活躍場所を移す。そして、2003年より津山線内に1往復だけ残った急行「つやま」専用編成にも仕立てられる。急行列車にふさわしくデッキ付きではあるものの、所詮一般型気動車ゆえ車両の両端部はロングシートであり、しかも快速「ことぶき」と停車駅・スピードもほぼ同じ、これで急行料金が取られるのは納得いかないということで、2009年「つやま」が廃止される。キハ48に置き換えられる前は「砂丘」に使用していたキハ58系が使われ、グリーン車も付いていて、急行らしさがあった。


3)101系電車(廃車)
国鉄時代、大阪環状線で101系が活躍していたが、103系に置き換えられ、関西本線(大和路線)普通および片町線(学研都市線)、桜島線に転用される。しかし、101系は老朽化が進んでいて、国鉄時代末期までに大和路線から引退、学研都市線でもJR京都・神戸線普通で使用していた103系が大量転入してくるものの、冷房改造を受けた101系7両×2本(中間車1両だけが非冷房車もあった)だけが残ったまま、JR発足を迎える(首都圏でも101系は相当廃車が進み、中央・総武緩行線および南武・鶴見・武蔵野線に残っていた)。

大阪では貴重な存在となった101系だが、1989年の学研都市線全線電化後、6両化されて再び桜島線で活躍する(全線電化後もごく一時期だけ松井山手駅まで営業運転していた)。しかし、2年後の1991年、大阪環状線全通30周年記念で最後の華舞台を見せたあと、ファンに惜しまれて引退する。

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JR発足後も2年余り学研都市線で活躍を続けた101系
(「J鉄局の鉄道管理局さま」より拝借)

4)キハ53(廃車)
キハ53は一般型気動車キハ45系の一員であり、両運転台車キハ23を2エンジンにしたものだ。これとは別に、国鉄時代末期、北海道・東北で急行型キハ58またはキハ56を両運転台化したものとして「キハ53」を名乗るようになる(オリジナルのキハ53とは番台で区別)。JR発足後、JR西日本管内でも北陸地方ローカル用にキハ58を両運転台化した「キハ53」が登場する。

キハ45系はキハ20系とキハ40系の間の過渡期に製造されたものであり、大都市近郊のローカル線での使用を意識して113系近郊型電車などと類似のレイアウトとされたが、少数派にとどまった。両運転台のキハ23はそれなりの数が作られ、JR西日本管内でも結構見られたが、キハ53は全国的にも少数派であり、急勾配路線のローカル線向けに亀山・米子などに少しだけ配置されるにとどまる。亀山は主に信楽線、米子は木次線でそれぞれ運用されるが、JR発足から数年経過して、キハ53は小浜線や津山線・因美線などに活躍場所を移す。その後、ほどなくしてキハ120などに置き換えられた線区も多いが、小浜線のキハ53は2003年の電化まで奇跡的に生き残り、21世紀になっても残った貴重な「非冷房車」だった(キハ53よりも古いキハ52でさえ冷房化工事を受けた)。

JR発足当初、亀山のキハ53はキハ35・47などと連結して、学研都市線(長尾-木津間)でも使用された。

なお、国鉄時代末期、木次線のキハ53の1両が事故廃車となり、はるばる遠い東北からキハ52(キハ20系の仲間)のオリジナルツートンカラー、キハ52 128号がやってきて、1999年の廃車までツートンカラーの姿を保ったまま、米子地区で活躍を続けたことは有名だ。128号がツートンカラーで残った理由は、只見線直通の急行「いなわしろ」に使用するためだった(1982年11月改正で廃止)が、米子に転属した後も後藤工場のご好意なのか、ツートンカラーの姿がそのまま保たれた。

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21世紀まで活躍を続けた小浜線カラーのキハ53
キハ23と姿かたちは同じ
(ITRENI.NETさまより拝借)


上記のほか、JR西日本の少数派形式は

123系電車
167系急行型電車
キハ41(キハ47を両運転台に改造)
キハ33(50系客車を気動車に改造)
キハ37

などが挙げられる。

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