カテゴリ: JR東日本


JR東日本と西日本を跨ぐ列車について見ましょう(JR東海経由は除く)。

かつてJR東日本と西日本を直接結ぶ在来線列車は北陸・信越地区を中心に多かったが、北陸新幹線開通後は皆無となりました。

JR東日本と西日本の会社境界は、在来線では北陸本線・信越本線直江津駅と大糸線南小谷駅の2つですが、北陸本線金沢以東は第三セクター化されたこともあって、直江津駅にJR西日本の列車は1本も乗り入れなくなりました。 

JR発足当初、北陸特急<雷鳥><白鳥><北越><白山>、急行<きたぐに><能登>、寝台特急<日本海>ほか、数多くの優等列車が会社境界をまたいで活発に行き来していました。しかし、1997年長野新幹線(→北陸新幹線)開通時に長野経由首都圏-北陸間の列車が廃止(信越本線碓氷峠区間も廃止)。さらに長距離旅客の減少および北陸新幹線金沢開業準備の情勢を反映して、昼間特急として日本最長距離を誇っていた<白鳥>【大阪-青森】は2001年に金沢・新潟で系統分割、新潟<雷鳥>は金沢もしくは富山止め、数少なくなった定期急行<きたぐに><能登>も2012年までに廃止、そして大人気の<トワイライトエクスプレス>【大阪-札幌】なども2015年までに惜しまれながら引退・・・。

JR発足当初のバブル期は、京阪神地区さらには岡山や和歌山方面から信越方面へのスキー臨列車が北陸本線経由で旺盛に運行していました。白馬・栂池方面へは糸魚川からスイッチバック、14系客車<リゾート>からキハ181系やキハ65エーデルなどを総動員してまで大糸線(JR西日本区間のみ非電化)に直通、南小谷を跨いでJR東日本エリアに乗り入れたり、また軽井沢方面へは直江津から信越本線(現・えちごトキメキ鉄道、しなの鉄道)に直通運転するなど、思い切った運行体制が取られていました。国鉄時代なら名古屋から中央西線での運転になると思われるところを、JR東海を敬遠してまでわざわざ北陸回りのルートを取るような格好でした。仮に本州がJR東日本・西日本で折半される形なら、関西から信州へのシュプール列車は中央西線経由のルート中心で設定されることでしょう(これならわざわざ気動車まで用意する必要はないだろう。ただ、キハ181系などを使ってJR難波・天王寺・奈良から関西本線経由のルートで設定される可能性は考えられるし、あるいは長野から飯山線直通もありそうだ)。

国鉄時代は大糸線糸魚川から南小谷を跨いで信濃大町まで気動車が直通(1982年以前は金沢-松本間の急行<白馬>、さらに昔は新宿や名古屋からの急行が糸魚川まで直通)、JR発足当初も残っていたが、JR西日本(非電化)区間のワンマン化とともに南小谷折り返しとなりました。

このほかの面白い列車として、JR東日本「夢空間」を使用した臨時列車もありました。特に上野~出雲市間を信越・北陸・小浜・舞鶴・山陰本線経由で結ぶ「夢空間山陰路」号は最高の傑作列車だったと言えます。


JR東日本とJR東海を跨ぐ列車は、信州地区を中心にかなり多く存在します。

JR発足当時に比べて両社間を跨ぐ列車は相当減りましたが、現在残っているものとして

特急<しなの>【名古屋-長野】(383系)
中央西線普通列車【中津川-松本】(313系、211系)
飯田線【豊橋-上諏訪】(213系、313系)、快速<みすず>【天竜峡-松本-長野】(211系)
東海道本線【東京-沼津】(E231系)
寝台特急<サンライズ瀬戸・出雲>(285系)
臨時快速<ムーンライトながら>【東京-大垣】(185系)

が挙げられます。

かつては、東海道本線東京-静岡間を直通する普通列車および急行<東海>などもありました。<東海>165系引退により373系特急に生まれ変わると同時に、「青春18きっぷ」シーズンに大人気の大垣夜行を座席指定の<ムーンライトながら>に代替して存続するが、その後東京-静岡間直通列車が大幅に削減、<東海>も廃止され、<ムーンライトながら>は臨時化。113系引退に合わせ、会社境界の熱海で基本的に乗り換えることになりました。臨時<ムーンライト>は現在185系(JR東日本所属)で運転されているが、185系の引退も決まっており、その後の存続は厳しいと見られています。

東京から西日本・九州各方面への寝台特急(ブルートレイン)もJR発足当時はかなり多く運転されていたが、客車の老朽化などを理由に相次いで廃止、需要が旺盛と思われていた急行<銀河>【東京-大阪】すらもまさかの廃止とは驚かされたものです。現在残っているのは、<サンライズ瀬戸・出雲>(285系)のみとなっています。ただ、近年、出雲大社が心霊スポットとして大人気で<サンライズ出雲>の利用客が多く、GW・帰省ラッシュ時などを中心に臨時便も設定されたり、また<サンライズ瀬戸>は金比羅山への観光利用を見込んで土讃線琴平まで延長運転されています。

<ワイドビューしなの>(383系)も2016年まで1往復だけ大阪直通があったが、これも廃止。俗に言う「大阪しなの」であり、JR東日本・東海・西日本3社を跨ぐ唯一のロングラン特急として注目でした。


JR発足から31年が経過しました。

かつては国鉄として全国各地を広域に結ぶ列車も数多く運転されていたが、1987年の分割民営化以降、 新幹線を除きJR会社境界を跨ぐ列車は減少傾向にあります。現在、JR会社を越境する在来線の列車がどれだけ存在するのか、ここで挙げてみたいと思います。

まず、JR北海道とJR他社を結ぶ列車。
JR発足1周年の1988年に青函トンネルが貫通、瀬戸大橋開通とともに北海道から四国・九州までレールがつながる記念すべき年でした。さっそく青函トンネル経由青森と函館を結ぶ快速<海峡>(50系客車+電気機関車牽引)の新設、東北本線<はつかり>の函館直通、上野~札幌間の寝台特急<北斗星>および札幌~青森間の急行<はまなす>登場、そして大阪からの寝台特急<日本海>函館直通など、バブル経済の最盛期もあって華々しい内容でした。その後、JR西日本が不定期で<トワイライトエクスプレス>を大阪-札幌間に運行、なかなか予約の取れない人気列車として有名でした。

その後、2002年東北新幹線新八戸延伸に伴うダイヤ改正で快速<海峡>は特急に格上げとなり、本州・北海道連絡列車は全て特別料金が必要となります。

さらに、青函トンネルには東北新幹線を新青森から延長する形で北海道新幹線が通ることに決まります。2016年の新幹線新函館開通以降、本州と北海道を在来線で結ぶことは困難となりました。これに先行して、2006年に函館<日本海>廃止、人気の<トワイライトエクスプレス><北斗星>は2015年春のダイヤ改正で廃止。そして2016年春には最後の定期急行<はまなす>が廃止されました。よって、本州・北海道間の在来線直通列車は皆無となりました。

一時期、JR東日本が今流行りの豪華寝台特急の走りとも言うべき「夢空間」を作り、上野から北海道各地へのスキー列車(トマム方面へ石勝線・根室本線にまで直通)などに使用されました。なお「夢空間」は上野から上越・北陸本線経由関西や西日本へも遠征しており、山陰の出雲市まで営業運転したこともあります(小浜・舞鶴・山陰本線経由)。


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JR東日本新潟支社所属485系の<雷鳥>です。それもボンネット型です!

JR東日本新潟の485系はかつてはるばる大阪まで運用をこなしていました。また、JR琵琶湖線・京都線の<ホームライナーびわこ>号も間合いで入り、関西では異色の存在でした。



 


1995年9月、東京から大阪までの「青春18きっぷ」の旅についてふと書いてみたくなりました。

経路は中央本線~関西本線とかなりありきたりなものですが、まず中央線では2階建て車両215系使用の臨時快速列車<ホリデー快速ビューやまなし>に乗車したことが一つのポイント。新宿から小淵沢まで<ホリデー快速>1本で乗り通せるので快適でした。普段は八王子あたりで乗り継ぐことになるので、この直通列車は本当に有り難かったです。ただ、車内はやや窮屈だったかと思います。ダブルデッカー車は車体構造上どうしても狭苦しくなるようです。そういえばこの年は京阪特急にダブルデッカー車登場で話題になりましたね(旧3000系中間車を改造したもの、座席は9000系などで採用されたものと同じ固定式クロスシートゆえあまり快適とは言えなかった。その後に登場する8000系8800形は転換クロスとなり乗り心地も大幅改善)。京阪の特急はダブルデッカーも含めて無料で人気が高いのは有名(昨年から有料のプレミアムカーが連結されるようになったが)。

小淵沢駅で確か名物駅弁「高原野菜とカツの弁当」を買ったかと記憶。八ヶ岳近辺の新鮮野菜たっぷりの駅弁ということで人気がありロングセラーを誇っています。カツのソースは付いてなくて当時の私にはやや物足りなかったような・・・。でも今食べたら十分満足感があると思います。日本で平均寿命の一番長い都道府県は実は長野県であり、その理由の一つに高地の厳しい自然環境で育った野菜は良質の栄養素が多く含まれ美味しいことが挙げられています。

塩尻から中津川までは国鉄急行色165系で初秋の木曽路を堪能。もしかしたら、JR東日本所属169系長野色だったかもしれません。今ではこの区間に長野色211系が乗り入れるようになり、中津川駅ではJR東海仕様の211系とのツーショットも。


国鉄一般型気動車キハ40系。
キハ40・47・48の3形式で総数888両、北海道から九州まで全国各地にばら撒かれたのは周知の通りです。ただし、都道府県によってはばらつきがあります。

まずキハ40系定期運用のなかった都道府県は、

千葉県、神奈川県、山梨県、静岡県

の4県が挙げられます。キハ40系が登場する頃、千葉県内は支線の久留里線・木原線を除いて電化済み、両線ではキハ35系が活躍していました(キハ40系製造終了後、少数のみ製造のキハ37が配置)。神奈川県も非電化区間は相模線のみであり、こちらもキハ35系が主力。山梨県は小海線だけが非電化ですが、標高日本一の野辺山駅を抱えるだけあって急勾配対応にキハ52・55・58の2エンジン車を専ら使用。あと、静岡県は二俣線(→天竜浜名湖鉄道)のみが非電化で、キハ20の独壇場でした。


キハ40系の運用がなさそうで過去に定期運用の存在した都道府県は、

東京都、埼玉県、群馬県、茨城県、長野県、滋賀県、福井県、大阪府、奈良県、和歌山県

が挙げられます。

まず、東京~埼玉~群馬3都県に及ぶ八高線では例によってキハ35系が主力でしたが、キハ45やキハ40も時折組み込まれていました(その後、八王子-高麗川間電化直前にはキハ35系およびキハ38オンリーとなり、1996年同区間電化以降、非電化区間はキハ110系に置き換え)。群馬県については足尾線の運用もありました。茨城県については水郡線があり、東日本では珍しくキハ47(0・1000番台)も投入。水郡線ではキハ40系のほかキハ45やキハ35、そしてキハ58系など雑多な形式が見られました。長野県は標高の高い山岳地帯ゆえキハ52やキハ58など2エンジン車が多い印象を受けるが、飯山線には豪雪地帯ゆえかキハ40-500番台・キハ48も投入されました。

滋賀・福井両県にまたがる北陸本線彦根・米原-敦賀間と湖西線近江今津以北では、交直流セクションを控えるため、普通列車では気動車運用(敦賀機関区)もあり、主にキハ40・48が使用されました。雪の多い地域にもかかわらずキハ40は暖地向け2000番台が投入される一方、キハ48は準寒冷地仕様の0番台・1000番台のみを配置(キハ48-0・1000番台の両数はごくわずか)。また、福井県若狭湾沿いの小浜線には敦賀区のキハ58系やキハ48のほか福知山区のキハ47も乗り入れていました。このほか、滋賀県内では三重県と結ぶ草津線でも1980年電化までのわずかな間だったが、キハ40系(亀山機関区)の運用が存在していました(草津線についてはキハ35系が主体。一方、信楽線は急勾配路線ゆえ2エンジン車のキハ58・55・53などを中心にキハ35も連結)。

大阪府内でも過去にキハ40系の定期運用列車は存在しており、片町線長尾-木津間(大阪府区間は京都府境までのわずか1kmほど)と福知山線普通列車(大阪府内区間は東海道本線大阪-尼崎間のみ)が該当します。さすがに大阪駅にキハ40系(キハ47)が定期列車で乗り入れていたとは驚きでしょう。臨時列車も含めば、関西本線湊町(現・JR難波)発着伊賀方面ハイキング号にキハ40系が連結されることもあったらしく(キハ58系とキハ35が主体だが)、したがって天王寺駅にキハ40系が乗り入れていた可能性もあります。

奈良県についてはキハ35系という印象が強く、キハ40系は馴染み薄いようです。実際、キハ40系が製造される頃は県内の桜井線・和歌山線も電化開業(1980年)、非電化で残った奈良駅以北の関西本線・奈良線・片町線(主に京都府南部)でキハ40系の運用がありました。奈良県内からキハ40系が姿を消したのは関西本線亀山-加茂・奈良間普通列車が全てキハ120系に置き換えられたとき(1994年)。奈良線・片町線はもちろん電化されています。

和歌山県内の一般型気動車はやはり和歌山線キハ35系のイメージが強いが、紀勢本線新宮以東・三重県内区間普通列車ではキハ40系がキハ35系やキハ58系ほかと混結で運用されていました。2016年春に紀勢本線からキハ40系が引退、キハ25系に置き換えられたことは記憶に新しいですね。


仙台地区近郊輸送向けに製造された交直両用417系近郊型電車。

仙台地区の東北本線など交流電化幹線は当時、電車特急・急行が賑やかに行き交う一方、普通列車については長距離客車列車もしくは気動車で運転されることが多く、地方都市圏の旅客ニーズを反映した輸送体系とは言いがたいものがありました。常磐線や北九州地区で活躍する415系などの3ドア近郊型電車を地方都市圏で使えばよかったのではと思われるかもしれませんが、寒冷地・山岳路線での運用やドアステップ、そして3扉などの混雑対応設備が過剰といった問題点がありました。417系近郊型電車は、仙台近郊輸送改善を目的に設計され、1978年に3両編成×5本が製造、2ドア・セミクロスシート仕様となりました。しかし、その後の本形式の追加製造はなく、わずか15両のみにとどまっています。

417系電車は既に製造の始まっていたキハ47形と類似するスタイルでした(出入り口ステップ付きもキハ47と同じ)。
実は、豪雪地帯の新潟や羽越本線よりも都市規模が大きく雪の少ない仙台地区にキハ47形を入れるべきだったのでは、とのコメントをいただきました。実際、仙台地区には2ドア両開き近郊型スタイルのキハ45やキハ23が活躍しており、その後継と位置づけられるキハ47が本来投入されてしかるべきと思われますが、実際には片開き・デッキ付きのキハ48形およびキハ40-500番台が仙台地区に投入され、キハ48とキハ45系などとの混結も日常的に見られました。

さて、417系電車ですが、直流区間において営業運転に入った実績はなく、交流50Hz区間のみで運用され続けています。417系は全てJR東日本に継承され、近年阿武隈急行が417系を購入しています(→A417系)。

1985年ダイヤ改正で東北本線長距離客車が軒並み廃止、急行廃止で余剰となった455・457系電車が仙台地区ローカルに転用されることで、電車化が進みました。

将来的には秋田・金沢地区への417系投入が計画されていましたが、秋田地区については1993年にロングシートの701系に置き換えられ、大幅な旅客サービスダウンで不評を買うことに。金沢地区については、国鉄時代末期~JR初期にかけて417系とほぼ同じ車体構造の413系電車を製造(改造)することで対応しました。




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よく考えたら、北近畿地区のJR線(JR西日本福知山支社)と房総各線(JR東日本千葉支社)は意外な類似点がかなりあるように思われます。

国鉄時代はともかく、近年の北近畿地区のJRは電車特急が幅を利かせていて運転系統がやや複雑で種類も多く(<こうのとり><きのさき><まいづる>)、その割に高々150km程度の短距離という点で、房総各線の優等列車との類似点が見いだせます。しかも最近まで(国鉄特急色)183系を使用していた点でも共通しています。ただし、福知山の183系は485系を直流化改造したものであり、東日本地区の純正183系とは異なります。かつては北近畿といえば京都・大阪と山陰を結ぶ長距離気動車特急<まつかぜ>、急行<だいせん>、東京からの寝台特急<出雲>や長距離客車鈍行の表舞台だったところですが、電化区間延伸と引き換えに長距離列車は廃止、短距離特急ばかりとなって面白くなくなりました。

このほか、113系が近年まで残っていたことでも北近畿と房総地区は共通していると言えます。ただし、北近畿地区の113系はワンマン・短編成改造を受けたものがほとんど。


昔のある旅行記について書きたくなりました。

今回は21年前の9月中旬、「青春18」シーズンが過ぎた頃のもの。

それは、片町線の河内磐船駅から八王子まで、片道きっぷの旅。
目的は八王子近辺の大学の学会を聴きに行くことでしたが、「青春18」も過ぎてしまい、かといって単純に新幹線の往復だけでは面白くない。

そこで、少し変わった経路で学割使って片道きっぷの旅をすることにしました。
経路は、

河内磐船→(片町線)→木津→奈良→加茂→亀山→名古屋→(新幹線)→静岡→熱海→茅ヶ崎→(相模線)→橋本→八王子

河内磐船駅の窓口に「八王子まで」と伝えたら、「新幹線ですね?」。

「木津まで出て関西本線で名古屋、そして東海道本線で茅ヶ崎から相模線で・・・」

駅員さんもさすがにびっくりしたらしく、しかしこの物好きな私に快くきっぷを発行していただいて感謝。当時の河内磐船の駅員さんは面白い人だったように記憶しています。

快速・木津行きに乗り込み、少し時間があったので奈良に寄ってみました。
木津-奈良間は2回通るので、正式には別の乗車券が必要となるところだが、確か折り返し乗車の特例があったように思います(急行<かすが>が木津を通過するため)。
奈良駅の売店で駅弁を1個購入。いわば普通の幕の内だったと思いますが、当時はJR奈良駅に駅弁販売があって有りがたかったですね。加茂発亀山行き普通列車の車内で食べました(キハ120のクロスシート)。

名古屋からは東海道本線普通・快速乗り継ぎを予定していたが、これだとさすがに疲れそうなので、静岡まで新幹線でワープ。普通乗車券使用なので、特急券だけを買えば良いのは助かります。浜名湖あたりの景色が一番印象に残ったかな・・・。

静岡から先の東海道本線についてはあまりよく覚えていません。

茅ヶ崎で電化開業から5年余りの相模線に乗り換えました。少し昔までは神奈川県最後の非電化路線としてキハ35系が活躍していたし、寒川支線なんかもあったようですね。日が暮れる時間に乗ったので、沿線風景はよくわかりません。

八王子駅で夕飯用に駅弁を購入。どんなものだったかは定かではないが、おかずの鶏肉が美味しかったように記憶しています。

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1992年9月、東北のある駅での撮影です。
どこの駅だったかは忘れました。
701系電車が登場する1年前のこと、東北地方の本線系普通列車は客車列車の天下でした。


北陸本線(米原-直江津)は交流電化路線のイメージが強いですが、両末端区間は直流電化となっています。
もともと東側の糸魚川以東(→現・越後トキめき鉄道)が最初から直流電化、西側の米原口は1991年に長浜、2006年に敦賀まで順次直流化され、京阪神から新快速電車が敦賀まで直通運転しています。

さて、ふと気になった北陸本線での115系ですが、直江津側の直流区間に谷浜や能生への海水浴臨時列車で乗り入れた可能性はあるようです。実際、JR東日本管内の長野および新潟地区115系の方向幕で北陸本線の「谷浜」・「能生」コマが入っているのはかなり有名で、山国の信州から直江津経由能生まで海水浴臨が運転されたこともあります。使用車両はもちろん電車ですが、どんな車両が使われたのかが気になります。115系の可能性が濃厚ですが、165・169系の可能性ももちろんあります。

ちなみに、米原口でも1990年代の一時期、長浜まで115系が乗り入れたことがあります。米原口での115系は京阪神快速電車の113系チームの一員として岡山から転入したもので、113系と共通運用でした。


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常磐線と運用のつながっている成田線(成田-我孫子)にもE233系が入っています。
成田駅にて2005年3月撮影。

(追記)
この写真の車両はE231系のようですね。
最近の首都圏の車両の移り変わりにはついていけません・・・

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JR東日本・信州色115系です(上・甲府、下・松本にて、2008年)。
115系王国だった信州も211系に置き換えられました。
現在、しなの鉄道に譲渡された115系で、山スカ色と信州色が復活しています。


JR東日本仙台支社で本年10月にダイヤ改正が実施すると発表されました。

http://jr-sendai.com/upload-images/2017/07/20170707.pdf

主な内容は、黒磯駅電力設備改良工事に伴う、東北本線黒磯-新白河-郡山間の輸送体系の変更。
すなわち、新白河駅で普通列車の運転系統を分割、黒磯-新白河間列車に使用する車両を
E531系とキハ110系に変更する予定です。
新白河以南への交流電車(701系ほか)の運用は廃止されるようです。

E531系は常磐線や水戸線で運用中(勝田電車区所属)のものを使うと予想されますが、
気動車も使用するとはサプライズですね。

従来の701系よりもE531系のほうが編成が長いゆえ、座席数が増えるのは改善と言えるでしょう。

ただし、県境に当たるため、輸送量の少ない区間ということで、一部減便されるようです。


JR東日本新潟地区に残る115系の引退も、時間の問題となったようだ。

このほど、注目の「懐かしの新潟色」115系が大宮工場を出場した。
https://twitter.com/i/moments/821954166801068033

塗装デザインはおなじみの湘南色と同じで、赤と黄色のツートンカラー。
ただし、115系でのこのカラーは「ありそうで実現しなかった」ものであり、115系以前の旧型国電80形をイメージしたもの。新潟に115系がデビューしたときは、湘南色だった。

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新潟地区で活躍した旧型国電80形
(画像:「線路配線図とともに」さまより拝借)

今回、デビューした115系の「懐かしの新潟色」について、Twitterの写真などを見たところ、私個人的に修学旅行色の155・167系などと似ているように感じた(光線の加減にもよるが)。

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167系修学旅行色モックアップ
(Wikipediaより拝借)

ただし、修学旅行色の「赤」の部分は、濃いオレンジ色に近く、新潟旧国電色とは異なるようだ。

せっかくなので、修学旅行色155・167系たちのことも思い出してあげてください(笑)。



平成初期の頃、JR東日本では、「夢空間」という、今流行りの豪華寝台車・クルージングトレインの走りというべき車両が作られた。

この「夢空間」を使用して、東北・北海道など東日本各地へ数多くの臨時寝台特急が運行される。北海道においては、トマム方面へのスキー客向けに石勝線・根室本線にも足を伸ばしたそうだ。

東日本だけでなく、(JR東海を避けて)日本海・北陸経由で関西や西日本へも運転されていたようだ。その一つに、1992年4月に運行された「夢空間TAP山陰路」(上野~出雲市間)がある。運行経路が非常に面白く、

上野-(高崎線、上越線)-長岡-(信越本線、北陸本線)-敦賀-(小浜線、舞鶴線)-福知山-(山陰本線)-出雲市

というルートだったという。当日、実際に乗車された方によるレポート記事があるので、ここで紹介する。

http://ameblo.jp/twilight-express80018002/entry-12073220431.html

「夢空間山陰路」の情報について、私は鉄道雑誌立ち読みで知ったように記憶している。時刻表1992年4月号あたりに、この列車の時刻が記載されているようなので、興味のある方は調べていただければ幸いだ。

これと似たようなルートで、かつて名古屋から出雲市まで気動車急行「大社」が運転されていた。宮津線(現・京都丹後鉄道)経由だったので、途中米原・敦賀・豊岡で3度もスイッチバックしていた。「夢空間山陰路」は長岡駅1回のみのスイッチバックで済ませている。

また、国鉄末期の1986年秋、日本三大美祭として知られる高山祭の臨時として、上野-高山間の寝台急行列車が上越・信越・北陸本線を経て、富山から高山本線に入るという、これまたユニークな経路で運行された。









1996年3月、東京からの帰りに「青春18きっぷ」で、大阪(天王寺)までやや遠回りの旅に出た。
乗車経路は、確か

上野→小山(東北本線)
小山→前橋(両毛線)
前橋→長野(信越本線)
長野→松本(篠ノ井線)
松本→中津川(中央本線)
中津川→名古屋(中央本線・快速)
名古屋→亀山(関西本線)
亀山→加茂(関西本線)
加茂→天王寺(関西本線・区間快速)
天王寺→京橋(大阪環状線内回り)

だったと記憶している。

長野(北陸)新幹線開業を翌年に控えて廃止された碓氷峠(横川-軽井沢間)を列車で通ったわけだが、実はこれ一度のみだった(もっとも、ここを訪れた一番の目的は、「乗りつぶし」だった)。残念なことに、確か碓氷峠辺りでは車内で爆睡していたかと思う。「峠の釜めし」で有名な横川といい、非常にもったいないことをしてしまった。長野新幹線開通後、信越本線の軽井沢-篠ノ井間は「しなの鉄道」に転換される。その後、北陸新幹線開通と同時に長野-直江津間もしなの鉄道・えちごときめき鉄道に転換され(北陸本線金沢以東も同様)、長野から北陸方面へJR在来線のみで移動するのは困難となった。

一番の目当ては、中央西線木曽ローカル(松本-中津川間)の165系だった。国鉄急行色で最後のがんばりを見せ、1990年代後半ごろ、時々大阪から無理矢理日帰りで松本への旅に出ることがあった。山深い木曽路の景色が何よりだった。一度、中津川駅で釜飯の駅弁を買ったこともあるが、中津川の駅弁販売はなくなったようだ。ちなみに中津川といえば「栗きんとん」でも有名だ。

名古屋からは関西本線に乗る。東海道本線米原経由のほうが早くて便利だが、やはり少し変わった経路を取りたいこともあって、確実に座れる関西本線を選んだ。

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1996年12月、「青春18きっぷ」で関東・南東北へ2泊3日の旅に出た。
水郡線全線を乗り通す(上菅谷-常陸太田間の支線は未乗車)。
途中の常陸大子駅では、キハ110系のほかキハ40も休んでいた。
現在、キハ110系に代わりキハE130系が水郡線で活躍している。

郡山駅で途中下車し、市街地のパチンコ店で豚汁を振舞っていたのを思い出した。
郡山からは磐越東線~(いわき)~常磐線経由で都内へ戻ったと記憶している。
いわきからの常磐線は415系電車で113系とスタイルは全く同じ、車窓から太平洋を眺め、はるか遠くの米大陸へ思いを寄せながら、ひたすら考え事をする。


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中央線で活躍していた201系です。
2006年3月のときのもので、E333系への置き換えが始まると同時に、西の大阪環状線に201系が転用されオレンジ色に塗り替えられ始めた頃でした。ただし、大阪の201系は、N30改造工事を受けてかなり印象が変わったため、原型201系のオレンジ色を見ることはありませんでした。
国鉄時代に環状線に201系が投入されるという話もあったような記憶がありますが、実現したのは20年以上も後のことですね。その後、首都圏では実現しなかった黄緑色の201系が大和路線(関西本線)に登場したりと、大阪圏の国電は20年以上前の首都圏をいくような感じでした。
今年12月から環状線で323系の営業運転が始まり、201系が追われる予定です。


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10年前、2006年の上野駅でのツーショットです。
常磐線415系銅製車と宇都宮線211系で、国鉄末期~JR誕生初期のおなじみの顔ぶれですが、415系を見ることはできません。211系は信州および前橋ローカルに転用されています。

1991年12月下旬、生まれて初めて東京旅行をする。
大きな目的は、東京圏のJR各線をできるだけ多く乗りつぶすこと。関西の青年鉄道ファンなら、一度東京を訪れ、複雑な首都圏の各路線を乗り回ってみたいと思うことだろう。

大掃除や正月準備で忙しい時候にもかかわらず、学生だった私はこの慌しさから逃れようと、親や家族に嫌味を言われながらあえて旅行に出た。周りの空気を読まずに行動してしまったが、少なくとも正月を迎えて落ち着いてから旅行すれば、周りの人たちもそれほど角が立たなくて済んだのではないか。いかに当時の私自身が非常に幼稚だったのかを思い出すと情けなくなる。

さて、この旅行は確か3泊4日の行程だったのかな。
初日は京阪高速バス枚方新宿線で車中泊。枚方市駅までのバスで運転手と少し談話になって、「東京へ行くんやったら新幹線が一番ですわ」と運転手がおっしゃってた。

翌朝、定刻より早めに新宿バスターミナルに到着したのち、さっそく「青春18きっぷ」1日目を使用。
具体的にどういう経路を巡ったのか、どんな食事をしたのかは覚えていないが、秋葉原駅から総武緩行線103系に乗り込んで、さっそく首都圏の通勤地獄を体験。首都圏の通勤ラッシュは大阪の比ではないということを知る。

その後、山手線、埼京線、京葉線、東金線、川越線、横浜線は乗車したように記憶している。千葉は113系が多く(非冷房車も残っていた)、八高線は当時全線非電化でキハ35系がまだ活躍していた。

宿泊は学生の身分なので、ユースホステスに泊まる。宿泊地はなぜか交通の不便な山梨県富士吉田を選び、大月から富士急行に乗ったと思う。富士吉田は雪が積もっていた。1991~92年冬は1980年代後半から続く暖冬傾向だったが、91年年末は厳しい寒波が訪れた。観光シーズンは終わって年末の忙しい頃なので宿泊客は私一人だけで寂しかった。

翌朝、中央線の電車で再び東京都心へ向かうが、とにかく時間がかかる。東京都市圏は広いと実感(近年、「東京近郊区間」が福島県や長野県にまで及んで巨大化)。


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京葉線205系

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埼京線205系

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川越線103系と八高線キハ35系との顔合わせ
(高麗川駅)


最終日前日の晩は横浜→上野(京浜東北線?)と回り御徒町近辺を徒歩で散策したかと思うが定かではない。その後、「大垣夜行」続行便を待つために東京駅ホームに座って並ぶ。来た電車は167系アコモ改造車(リクライニング)だったような記憶がある。明朝名古屋到着後、さっそく武豊線の気動車に乗り込む。朝の通勤ラッシュに備え、急行「かすが」用キハ58+65にキハ47などを連結した長い編成だった。

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武豊線の気動車(キハ47が先頭)

武豊駅からそのまま同じ車両で折り返す(名古屋到着後、「かすが」編成は切り離され、8時40分ごろ発の奈良行き「かすが」となる)。
その後、名古屋市街地を少しバスで回ったあと、太多線に乗るために、名古屋→多治見→美濃太田→岐阜→名古屋と回り、昼時を迎える。武豊線も太多線も、風光明媚な観光路線というわけではなく、景色を楽しむというよりは列車に乗るということが目的だった。

午後からいよいよ大阪への帰路につく。関西本線経由で湊町(現・JR難波)に寄り道することにした。

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キハ11と奈良行きキハ58とのツーショット(亀山にて)

亀山-加茂間は既にワンマン運転が始まっていたが、キハ58系がまだ残っていた。しかも数少なくなった奈良直通列車に乗れた。加茂到着前までほぼ爆睡していたように記憶している。奈良で乗り継いで終点・湊町到着後、なんばウォークを通って御堂筋線→京阪で枚方へ戻る。

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国鉄時代末期の1986年に1編成だけ試作製造されたVVVF制御車の207系900番台。
常磐快速~地下鉄千代田線に配置されました(→JR東日本に継承)。
サイドビューは当時量産中の205系と同じ、顔は四国向けの近郊型電車121系(→7200系に改造中)と似たようなスタイルです。

その後、JR発足から5年経過して、JR西日本において片福連絡地下線(=JR東西線)開通を前後して207系を名乗る新型通勤型電車が量産投入されるようになりました。国鉄→JR東日本に1編成だけ在籍している900番台とは形式番号は同じで、地下線乗り入れ用であることと制御方式もVVVFという点では共通しているが、車体デザイン・インテリアなどは全然違うスタイルで、まるで別物です。

この207系900番台は既に廃車され、E233系に置き換えられました。

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JR京都・神戸線(京阪神緩行)で活躍していた頃


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大阪環状線転属後、しばらくはJR京都・神戸線時代の青色だった 方向幕も懐かしい


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見づらいが京葉線東京駅地下ホーム


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