カテゴリ: JR東日本 / JR北海道


JR東日本仙台支社で本年10月にダイヤ改正が実施すると発表されました。

http://jr-sendai.com/upload-images/2017/07/20170707.pdf

主な内容は、黒磯駅電力設備改良工事に伴う、東北本線黒磯-新白河-郡山間の輸送体系の変更。
すなわち、新白河駅で普通列車の運転系統を分割、黒磯-新白河間列車に使用する車両を
E531系とキハ110系に変更する予定です。
新白河以南への交流電車(701系ほか)の運用は廃止されるようです。

E531系は常磐線や水戸線で運用中(勝田電車区所属)のものを使うと予想されますが、
気動車も使用するとはサプライズですね。

従来の701系よりもE531系のほうが編成が長いゆえ、座席数が増えるのは改善と言えるでしょう。

ただし、県境に当たるため、輸送量の少ない区間ということで、一部減便されるようです。


JR東日本新潟地区に残る115系の引退も、時間の問題となったようだ。

このほど、注目の「懐かしの新潟色」115系が大宮工場を出場した。
https://twitter.com/i/moments/821954166801068033

塗装デザインはおなじみの湘南色と同じで、赤と黄色のツートンカラー。
ただし、115系でのこのカラーは「ありそうで実現しなかった」ものであり、115系以前の旧型国電80形をイメージしたもの。新潟に115系がデビューしたときは、湘南色だった。

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新潟地区で活躍した旧型国電80形
(画像:「線路配線図とともに」さまより拝借)

今回、デビューした115系の「懐かしの新潟色」について、Twitterの写真などを見たところ、私個人的に修学旅行色の155・167系などと似ているように感じた(光線の加減にもよるが)。

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167系修学旅行色モックアップ
(Wikipediaより拝借)

ただし、修学旅行色の「赤」の部分は、濃いオレンジ色に近く、新潟旧国電色とは異なるようだ。

せっかくなので、修学旅行色155・167系たちのことも思い出してあげてください(笑)。



平成初期の頃、JR東日本では、「夢空間」という、今流行りの豪華寝台車・クルージングトレインの走りというべき車両が作られた。

この「夢空間」を使用して、東北・北海道など東日本各地へ数多くの臨時寝台特急が運行される。北海道においては、トマム方面へのスキー客向けに石勝線・根室本線にも足を伸ばしたそうだ。

東日本だけでなく、(JR東海を避けて)日本海・北陸経由で関西や西日本へも運転されていたようだ。その一つに、1992年4月に運行された「夢空間TAP山陰路」(上野~出雲市間)がある。運行経路が非常に面白く、

上野-(高崎線、上越線)-長岡-(信越本線、北陸本線)-敦賀-(小浜線、舞鶴線)-福知山-(山陰本線)-出雲市

というルートだったという。当日、実際に乗車された方によるレポート記事があるので、ここで紹介する。

http://ameblo.jp/twilight-express80018002/entry-12073220431.html

「夢空間山陰路」の情報について、私は鉄道雑誌立ち読みで知ったように記憶している。時刻表1992年4月号あたりに、この列車の時刻が記載されているようなので、興味のある方は調べていただければ幸いだ。

これと似たようなルートで、かつて名古屋から出雲市まで気動車急行「大社」が運転されていた。宮津線(現・京都丹後鉄道)経由だったので、途中米原・敦賀・豊岡で3度もスイッチバックしていた。「夢空間山陰路」は長岡駅1回のみのスイッチバックで済ませている。

また、国鉄末期の1986年秋、日本三大美祭として知られる高山祭の臨時として、上野-高山間の寝台急行列車が上越・信越・北陸本線を経て、富山から高山本線に入るという、これまたユニークな経路で運行された。









1996年3月、東京からの帰りに「青春18きっぷ」で、大阪(天王寺)までやや遠回りの旅に出た。
乗車経路は、確か

上野→小山(東北本線)
小山→前橋(両毛線)
前橋→長野(信越本線)
長野→松本(篠ノ井線)
松本→中津川(中央本線)
中津川→名古屋(中央本線・快速)
名古屋→亀山(関西本線)
亀山→加茂(関西本線)
加茂→天王寺(関西本線・区間快速)
天王寺→京橋(大阪環状線内回り)

だったと記憶している。

長野(北陸)新幹線開業を翌年に控えて廃止された碓氷峠(横川-軽井沢間)を列車で通ったわけだが、実はこれ一度のみだった(もっとも、ここを訪れた一番の目的は、「乗りつぶし」だった)。残念なことに、確か碓氷峠辺りでは車内で爆睡していたかと思う。「峠の釜めし」で有名な横川といい、非常にもったいないことをしてしまった。長野新幹線開通後、信越本線の軽井沢-篠ノ井間は「しなの鉄道」に転換される。その後、北陸新幹線開通と同時に長野-直江津間もしなの鉄道・えちごときめき鉄道に転換され(北陸本線金沢以東も同様)、長野から北陸方面へJR在来線のみで移動するのは困難となった。

一番の目当ては、中央西線木曽ローカル(松本-中津川間)の165系だった。国鉄急行色で最後のがんばりを見せ、1990年代後半ごろ、時々大阪から無理矢理日帰りで松本への旅に出ることがあった。山深い木曽路の景色が何よりだった。一度、中津川駅で釜飯の駅弁を買ったこともあるが、中津川の駅弁販売はなくなったようだ。ちなみに中津川といえば「栗きんとん」でも有名だ。

名古屋からは関西本線に乗る。東海道本線米原経由のほうが早くて便利だが、やはり少し変わった経路を取りたいこともあって、確実に座れる関西本線を選んだ。

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1996年12月、「青春18きっぷ」で関東・南東北へ2泊3日の旅に出た。
水郡線全線を乗り通す(上菅谷-常陸太田間の支線は未乗車)。
途中の常陸大子駅では、キハ110系のほかキハ40も休んでいた。
現在、キハ110系に代わりキハE130系が水郡線で活躍している。

郡山駅で途中下車し、市街地のパチンコ店で豚汁を振舞っていたのを思い出した。
郡山からは磐越東線~(いわき)~常磐線経由で都内へ戻ったと記憶している。
いわきからの常磐線は415系電車で113系とスタイルは全く同じ、車窓から太平洋を眺め、はるか遠くの米大陸へ思いを寄せながら、ひたすら考え事をする。


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中央線で活躍していた201系です。
2006年3月のときのもので、E333系への置き換えが始まると同時に、西の大阪環状線に201系が転用されオレンジ色に塗り替えられ始めた頃でした。ただし、大阪の201系は、N30改造工事を受けてかなり印象が変わったため、原型201系のオレンジ色を見ることはありませんでした。
国鉄時代に環状線に201系が投入されるという話もあったような記憶がありますが、実現したのは20年以上も後のことですね。その後、首都圏では実現しなかった黄緑色の201系が大和路線(関西本線)に登場したりと、大阪圏の国電は20年以上前の首都圏をいくような感じでした。
今年12月から環状線で323系の営業運転が始まり、201系が追われる予定です。


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10年前、2006年の上野駅でのツーショットです。
常磐線415系銅製車と宇都宮線211系で、国鉄末期~JR誕生初期のおなじみの顔ぶれですが、415系を見ることはできません。211系は信州および前橋ローカルに転用されています。

1991年12月下旬、生まれて初めて東京旅行をする。
大きな目的は、東京圏のJR各線をできるだけ多く乗りつぶすこと。関西の青年鉄道ファンなら、一度東京を訪れ、複雑な首都圏の各路線を乗り回ってみたいと思うことだろう。

大掃除や正月準備で忙しい時候にもかかわらず、学生だった私はこの慌しさから逃れようと、親や家族に嫌味を言われながらあえて旅行に出た。周りの空気を読まずに行動してしまったが、少なくとも正月を迎えて落ち着いてから旅行すれば、周りの人たちもそれほど角が立たなくて済んだのではないか。いかに当時の私自身が非常に幼稚だったのかを思い出すと情けなくなる。

さて、この旅行は確か3泊4日の行程だったのかな。
初日は京阪高速バス枚方新宿線で車中泊。枚方市駅までのバスで運転手と少し談話になって、「東京へ行くんやったら新幹線が一番ですわ」と運転手がおっしゃってた。

翌朝、定刻より早めに新宿バスターミナルに到着したのち、さっそく「青春18きっぷ」1日目を使用。
具体的にどういう経路を巡ったのか、どんな食事をしたのかは覚えていないが、秋葉原駅から総武緩行線103系に乗り込んで、さっそく首都圏の通勤地獄を体験。首都圏の通勤ラッシュは大阪の比ではないということを知る。

その後、山手線、埼京線、京葉線、東金線、川越線、横浜線は乗車したように記憶している。千葉は113系が多く(非冷房車も残っていた)、八高線は当時全線非電化でキハ35系がまだ活躍していた。

宿泊は学生の身分なので、ユースホステスに泊まる。宿泊地はなぜか交通の不便な山梨県富士吉田を選び、大月から富士急行に乗ったと思う。富士吉田は雪が積もっていた。1991~92年冬は1980年代後半から続く暖冬傾向だったが、91年年末は厳しい寒波が訪れた。観光シーズンは終わって年末の忙しい頃なので宿泊客は私一人だけで寂しかった。

翌朝、中央線の電車で再び東京都心へ向かうが、とにかく時間がかかる。東京都市圏は広いと実感(近年、「東京近郊区間」が福島県や長野県にまで及んで巨大化)。


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京葉線205系

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埼京線205系

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川越線103系と八高線キハ35系との顔合わせ
(高麗川駅)


最終日前日の晩は横浜→上野(京浜東北線?)と回り御徒町近辺を徒歩で散策したかと思うが定かではない。その後、「大垣夜行」続行便を待つために東京駅ホームに座って並ぶ。来た電車は167系アコモ改造車(リクライニング)だったような記憶がある。明朝名古屋到着後、さっそく武豊線の気動車に乗り込む。朝の通勤ラッシュに備え、急行「かすが」用キハ58+65にキハ47などを連結した長い編成だった。

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武豊線の気動車(キハ47が先頭)

武豊駅からそのまま同じ車両で折り返す(名古屋到着後、「かすが」編成は切り離され、8時40分ごろ発の奈良行き「かすが」となる)。
その後、名古屋市街地を少しバスで回ったあと、太多線に乗るために、名古屋→多治見→美濃太田→岐阜→名古屋と回り、昼時を迎える。武豊線も太多線も、風光明媚な観光路線というわけではなく、景色を楽しむというよりは列車に乗るということが目的だった。

午後からいよいよ大阪への帰路につく。関西本線経由で湊町(現・JR難波)に寄り道することにした。

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キハ11と奈良行きキハ58とのツーショット(亀山にて)

亀山-加茂間は既にワンマン運転が始まっていたが、キハ58系がまだ残っていた。しかも数少なくなった奈良直通列車に乗れた。加茂到着前までほぼ爆睡していたように記憶している。奈良で乗り継いで終点・湊町到着後、なんばウォークを通って御堂筋線→京阪で枚方へ戻る。

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国鉄時代末期の1986年に1編成だけ試作製造されたVVVF制御車の207系900番台。
常磐快速~地下鉄千代田線に配置されました(→JR東日本に継承)。
サイドビューは当時量産中の205系と同じ、顔は四国向けの近郊型電車121系(→7200系に改造中)と似たようなスタイルです。

その後、JR発足から5年経過して、JR西日本において片福連絡地下線(=JR東西線)開通を前後して207系を名乗る新型通勤型電車が量産投入されるようになりました。国鉄→JR東日本に1編成だけ在籍している900番台とは形式番号は同じで、地下線乗り入れ用であることと制御方式もVVVFという点では共通しているが、車体デザイン・インテリアなどは全然違うスタイルで、まるで別物です。

この207系900番台は既に廃車され、E233系に置き換えられました。

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