飯田線の旧型国電を置き換える目的で、1983年に登場した国鉄近郊型電車119系。
105系と同様、電化ローカル線用の新性能車で、1M1T方式を採用。駅間距離が短く、カーブや勾配が連続し、200km近くにも及ぶ飯田線に合わせた仕様とされ、3ドア・セミクロスシート車。総数57両を投入。登場時の塗装は飯田線に寄り添う天竜川にちなんで、水色(青22号)に灰色の帯を配したデザインでした。配置は豊橋機関区(静トタ)。119系は新潟地区の越後線・弥彦線電化用にも投入する計画だったようです(結局国鉄財政難により、115系で賄われました。奈良・和歌山線電化開業用にも105系が新造される予定だったが、同様の事情で103系1000番台からの改造で対応)。
119系は全車両JR東海の所属となり、主に飯田線で2013年まで活躍。引退した119系の一部はえちぜん鉄道に譲渡され、MC7000形に改造されました。
国鉄最末期~JR発足初期にかけての一時期、119系の一部が東海道本線に栄転し、「するがシャトル」用に抜擢された時期もありました。国鉄末期の頃、広島をはじめ各地の地方都市圏で利用しやすい「国電型ダイヤ」が導入され、静岡エリアの東海道本線では国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正で「するがシャトル」大増発が行われました。「するがシャトル」は1984年から113系で運用されていたが、増発用に119系2両編成×8本が引き抜かれ、静岡運転所(静シス)に転属。改造対象となる車両には、白と赤の「するがシャトル」新塗装に塗り替えられ、合わせて冷房改造(AU75形)なども行われました。「するがシャトル」に持って行かれた分は、余剰となった165系で補われました。冷房未改造の119系も、JR東海独自仕様のC-AU711D-G3形クーラーが搭載されました。
「するがシャトル」用の119系は、当初興津-島田間を中心とする運用に就いていたが、しばらくして御殿場線にも運用を拡大し、東海道本線内では2両編成×4本の8両編成運用も登場。ただ、119系は加速重視の特性があり、さらに冷房搭載による自重増加も加わって最高速度が90km/hに抑えられるゆえ、駅間距離が長く運転速度の高い東海道本線では運行に多くの支障をきたし問題になっていました。結局2年余で「するがシャトル」は113・115系および新製211系5000番台に置き換えられ、119系は飯田線に里帰りしました。
ちょうど同時期、119系の東海カラーへの塗り替えが始まり、過渡期には飯田線でオリジナル飯田色・するがシャトル色・東海色をつないだ3色3編成の列車も出現しました。