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大阪環状線の103系引退でタイムリーな話題になっていますが、JR東海エリアの103系について書いてみました。

JR東海から103系が引退したのは1999年。
JR東海の103系は、名古屋近郊の中央西線用そのものでした。

名古屋都市圏の国鉄は東京や大阪と異なり、汽車型ダイヤが主体でしたが、中央本線(中央西線)沿線は高蔵寺周辺などを中心に大規模団地・ニュータウン開発が進んで人口急増、混雑も激しく普通電車用に首都圏(京浜東北線ほか)から103系が神領電車区に転入しました。車体色は京浜東北線時代と同じ青色で、関西圏で言えば東海道山陽緩行や阪和線と同じでした。ただ、方向幕は使用されず(前面幕は「中央線」と固定表示)、サボ受けが取り付けられ、113系や気動車ほかの列車と同様、サボで行先表示をしていました。

しかし、国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正を機に、名古屋地区の電車・気動車のサボ使用は廃止、103系ももちろん方向幕が使用されるようになります。JR東海発足の2年後、103系は当時量産中の211系と同じイメージの「JR東海カラー」に変更、キハ40系および同時期に登場したキハ11などの全銅製車両は103系と同じ「JR東海カラー」となりました。

さて、その103系ですが、中央西線のほか一時的に関西本線(名古屋-亀山間)の運用に入ったこともあります。

関西本線名古屋口は1982年の電化から年月は浅く、国鉄~JR初期には普通列車に165系3連口が使用されていたが、並行する近鉄名古屋線から少しでも旅客移転を図るべく、軽快な213系5000番台でイメージチェンジ。朝ラッシュ時の混雑は年々激しくなって213系だけでは対応しきれず、165系や103系が助っ人に加わります。

実は私・管理人は、一度だけ関西本線名古屋口の103系に乗車したことがあります。
1995年夏のことだったかと思います。木曽福島の帰り道、名古屋からの関西本線でやって来た電車は、夕方ラッシュ時間帯とあって、なんと103系の3両編成でした。亀山まで1時間強の短い旅で、日が暮れる時間とあって、あまり印象に残っていません。



昔のある旅行記について書きたくなりました。

今回は21年前の9月中旬、「青春18」シーズンが過ぎた頃のもの。

それは、片町線の河内磐船駅から八王子まで、片道きっぷの旅。
目的は八王子近辺の大学の学会を聴きに行くことでしたが、「青春18」も過ぎてしまい、かといって単純に新幹線の往復だけでは面白くない。

そこで、少し変わった経路で学割使って片道きっぷの旅をすることにしました。
経路は、

河内磐船→(片町線)→木津→奈良→加茂→亀山→名古屋→(新幹線)→静岡→熱海→茅ヶ崎→(相模線)→橋本→八王子

河内磐船駅の窓口に「八王子まで」と伝えたら、「新幹線ですね?」。

「木津まで出て関西本線で名古屋、そして東海道本線で茅ヶ崎から相模線で・・・」

駅員さんもさすがにびっくりしたらしく、しかしこの物好きな私に快くきっぷを発行していただいて感謝。当時の河内磐船の駅員さんは面白い人だったように記憶しています。

快速・木津行きに乗り込み、少し時間があったので奈良に寄ってみました。
木津-奈良間は2回通るので、正式には別の乗車券が必要となるところだが、確か折り返し乗車の特例があったように思います(急行<かすが>が木津を通過するため)。
奈良駅の売店で駅弁を1個購入。いわば普通の幕の内だったと思いますが、当時はJR奈良駅に駅弁販売があって有りがたかったですね。加茂発亀山行き普通列車の車内で食べました(キハ120のクロスシート)。

名古屋からは東海道本線普通・快速乗り継ぎを予定していたが、これだとさすがに疲れそうなので、静岡まで新幹線でワープ。普通乗車券使用なので、特急券だけを買えば良いのは助かります。浜名湖あたりの景色が一番印象に残ったかな・・・。

静岡から先の東海道本線についてはあまりよく覚えていません。

茅ヶ崎で電化開業から5年余りの相模線に乗り換えました。少し昔までは神奈川県最後の非電化路線としてキハ35系が活躍していたし、寒川支線なんかもあったようですね。日が暮れる時間に乗ったので、沿線風景はよくわかりません。

八王子駅で夕飯用に駅弁を購入。どんなものだったかは定かではないが、おかずの鶏肉が美味しかったように記憶しています。

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2006年3月17日に廃止された関西本線唯一の優等列車、急行<かすが>。
近郊区間大回り乗車で最終日の<かすが>を追いかけ、柘植で待機しました。
JR東海キハ75系とキハ120、そして草津線113系との顔合わせも、過去のものとなりました。


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「ワイドビュー」で知られるJR東海の特急型気動車キハ85系。
1989~92年にかけてキハ80系「ひだ」「南紀」を置き換え、今日まで好評活躍中ですが、
デビューから30年前後を迎え、さすがに老朽化が目立ち、いよいよ置き換えも視野に入りつつあります。

このほど、次世代のハイブリッド式特急車両の新造がJR東海から公式に発表されました。

http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000034155.pdf

2019年に試作車を投入して各種試験を重ね、得られた実績データをもとに、2022年を目標に量産車を製造する予定とのことです。





気動車急行のグリーン車連結は2003年の<つやま>が最後だった。

電車急行では、純正な急行型車両については名門<東海>(165系)が最後(1996年廃止)だったことは有名だ。特急型車両使用の列車を含めば、寝台電車583系<きたぐに>が2012年まで存続した。


さて、本記事では、主に1980年代以降の急行型電車のグリーン車(サロ)の動きについて、解説レポートする。


電車急行については、東北・上越新幹線上野開業の1985年3月14日ダイヤ改正が大きなターニングポイントだったと言える。同ダイヤ改正で交直両用車両(455・457・475系ほか)による急行運用が完全消滅したほか、上越・信越線系統を中心に直流急行電車もかなり数を減らす。


2年少し前の新幹線大宮暫定開通1982年11月15日改正で、交直両用急行型電車の運用に大きな変化が生じる。

まず、東北・奥羽本線の電車急行(<まつしま><ざおう>)は、大宮暫定開業ということもあって上野発着がかなり多く残り、乗り換えを嫌う旅客に一定の配慮がなされていた。

支線区の仙山線では、短距離ながらグリーン車連結の<仙山>が快速格下げと同時にグリーン車連結もなくなる。

新幹線の影響が小さかった常磐線でも、仙台以北直通のロングラン<もりおか>は廃止されるが、大所帯の<ひたち>は改正前とほぼ同じ本数が維持され(一部水郡線直通の気動車もあり)、特急<ひたち>と張り合う。

北陸本線では大阪発着<立山><ゆのくに>は特急<雷鳥>に格上げ、米原発着の<くずりゅう>は1往復を残して特急<加越>に格上げされる。<くずりゅう>はもともと普通車のみのモノクラス編成が使用され、この改正の時点で北陸筋において急行型電車のサロ営業は消滅。京都・大阪で交直両用急行型電車の姿が見られなくなる。

全国に先駆けて総特急化の動きが進められた九州では、1980年10月ダイヤ改正の時点で既に電車急行は大幅整理され(大阪から山陽本線経由夜行の客車急行も廃止、九州内は電車特急化)、82年11月改正で全廃。
山陽新幹線博多開通前は天下の山陽本線に乗り入れ、はるばる大阪・名古屋までロングラン<玄海>などが遠征(名古屋口では中央西線普通列車の間合い運用もこなしていたという)していたが、新幹線博多開通からわずか7年余りで九州の電車急行が陥落したことになる。
九州の急行列車は支線区直通の気動車と夜行の客車列車が残るのみとなる。


直流急行型電車(153・165・169系ほか)にもかなり大きな動きが見られた。

千葉の房総半島では高々150kmの短距離にもかかわらず特急一本化が進められ、153・165系の定期運用は廃止される。かつて気動車王国だった房総地方では、1970年代前半の電化の時点でさっそく183系特急電車が主役となり、電車急行は最初から脇役に甘んじるゆえ存在感が薄かったようだ(ただし観光列車ゆえサロは連結)。ちなみに房総半島では、海水浴シーズンには全国各地から気動車を集めて臨時の「遜色急行」も多く運転され、ロングシートのキハ35系も連結されていたとか・・・。

新幹線と並行する上越線の<佐渡>系統、そして東北本線上野口・高崎線の<なすの><あかぎ><草津>などは、かなり本数は残る。

また、架線下気動車急行で知られる名古屋-新潟間(中央・篠ノ井・信越本線経由)のロングラン<赤倉>も165系に置き換え、<佐渡>と共通運用が組まれる。もちろんサロは連結され、長距離の優等列車に相応しい姿はとどめていた。

中央西線の<きそ>(夜行など一部を除く)と<つがいけ>は特急<しなの>に格上げ、<赤倉>が唯一のグリーン車連結電車急行となる。中央西線は電化が比較的遅く、電化後は381系<しなの>に優先的に投資されたため、電車急行はあまり多く設定されなかった。


1984年2月ダイヤ改正では、名門の東海道<比叡>(名古屋-大阪)が廃止される。<比叡>は1980年10月改正で1往復に削減と同時にサロ連結が廃止され(共通運用を組んでいた宇野<鷲羽>も廃止)、普通車のみのモノクラス編成が使用され、東の<東海>などと同じ大垣電車区の所属だった。<比叡>は朝の大阪行きは岐阜・大垣から京都観光にも使いやすく利用状況は好調だったが、折り返し名古屋行きは時間帯が悪さして閑古鳥が鳴く状態だったという。


1985年3月ダイヤ改正は、急行列車全体にとって大きなターニングポイントだった。

交直両用急行型電車は全て本来の急行運用を失い、短編成でローカル運用に転職することになる。
地方都市に多く残る長距離客車列車を置き換え、広島シティ電車に始まる国電型ダイヤ(短編成、高頻度)の拡大導入に貢献する(→それだけでは足りないので、余剰となった583系を近郊型化改造、いわば「食パン」電車419・715系も追加)。
もちろんグリーン車は全廃だが、短編成化で不足する先頭車を補うため、165系クハからの改造のほか、サロの一部を先頭車化、クハに形式変更される。元サロのクハは座席はグリーン車時代のままだが、固定4人掛け化の簡易改造を受ける。それでも、座ってしまえば「乗り得」列車であることにはちがいなかっただろう。その点、「食パン電車」は元・寝台電車ゆえ、座席ピッチはゆったりしていて、なお「乗り得」だったことだろう(ただし、車内は窮屈感があり、ラッシュ時の乗り降りは不便だった)。

直流急行型電車についても、東北本線上野口・高崎・上越・信越本線系統は特急<あさま><白山>や185系「新特急」などに生まれ変わり、夜行<信州>1往復(モノクラス編成)を残して全廃。

せっかく晴れて電車化された<赤倉>も、<南越後>に改め長野-新潟間に短縮、サロ連結も廃止、モノクラス6連の身軽な姿に変わり、ローカル色が濃くなる(→その後列車名だけ<赤倉>に戻り、1997年まで存続)。中央西線からは電車急行が消滅する。

余剰となった165系は3連ユニットで関西本線名古屋口ローカルなどに使用される。

1985年3月の時点でサロ連結が残った電車急行は、中央東線<アルプス>系統と東海道本線<東海>のみになる。


国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正では<アルプス>は夜行1往復(→183系化)を残して全廃される。<アルプス>と併結運転して飯田線北部に乗り入れていた<こまがね>も廃止。
余剰となった松本の165系が遠く離れた紀勢本線ローカルなどに転用(日根野電車区)して客車列車を置き換え、新宮夜行(旧・<はやたま>)も165系で運用されるようになる。


JR発足後も残る電車急行(急行型使用)は、<東海><富士川><赤倉>などごくわずか、いずれも直流型165・169系。JR東海静岡エリアを拠点とする<東海><富士川>は、往年の電車急行の姿を保ち、中でも<東海>はサロ2両連結の堂々たる長編成で注目を浴びた。<東海>編成は大垣夜行(普通)にも使用され、むしろ「青春18きっぷ」で乗れて人気の高い大垣夜行(シーズン中には臨時続行便も運転)のために<東海>が存続していたようなものだ。

1990年代に入って老朽化の進む165系の置き換えがJR各社で検討されるようになり、<東海><富士川>は373系特急型電車に置き換えられることに決まる。373系化後の<東海>は特急列車に生まれ変わったものの、モノクラス6または9連のみでグリーン車無し、15両前後でグリーン車連結の普通列車に比べて身軽な姿で、さらに373系は普通列車との共通運用を前提とした設計ゆえ出入り口の仕切り(デッキ)もなく、サービスダウンの感は否めなかった。大垣夜行は全座席指定の快速<ムーンライトながら>となる。

しかし、「青春18」シーズン以外の<ながら>は閑散としているらしく、特急<東海>は2007年で廃止、<ムーンライトながら>も2009年以降臨時列車化、車両も373系からJR東日本所属の国鉄型特急車両(183系→185系)に変わる。かなり古い車両とはいえ、デッキ付きである分には373系より快適と言える。毎年「青春18」シーズンのみに運転されるゆえ、<ながら>の運転予定発表は廃止の噂が絶えない「青春18」が販売されるかどうかの踏み絵となっている。

急行<東海>廃止後、165・167・169系の引退が各地で相次ぐ。
紀勢本線では165系からロングシート105系に代わり、新宮夜行も廃止、紀伊半島一周の旅の楽しさが台無しとなってしまう(JR東海区間の新型気動車キハ25系もロングシート)。
中央西線木曽ローカルはJR東海担当分は313系、JR東日本担当分は115系(→211系)にそれぞれ代わる。


交直流急行型電車のほうはどうか?
1985年3月の時点で来の急行運用を失って30年近く経過するが、なんと165・169系の引退が進む中でも、東北・北陸・九州各地の普通列車でまだ現役活躍中だった。九州では元サロのクハ先頭車も残っていたようだ。
しかし、2010年ごろになって、さすがに老朽化は隠せなくなり、急ピッチで車両代替が進む。一番最後まで残ったのは北陸筋で、2015年北陸新幹線開業&金沢以東第三セクター化を機に完全引退する(413系に組み込まれている一部のクハ457のみ残っているが)。



大阪と飛騨高山を東海道本線・高山本線で結んでいた気動車急行「たかやま」。

いわば「大阪ひだ」の前身であり、現在はJR東海のキハ85系で運転されています。
東海道本線米原を越える定期列車は、去年まで「大阪しなの」や姫路方面~大垣直通の普通電車もあったが、現在「サンライズ出雲・瀬戸」とこの「ひだ」の2往復のみです。

さて、急行「たかやま」ですが、もちろんキハ58系で運転。
1987年の国鉄分割民営化以降もJR西日本・JR東海両エリアを跨いで運転される数少ない列車でした。
高山本線の特急「ひだ」および急行「のりくら」は1989~90年に新型キハ85系に全て置き換えられて「ひだ」に一本化、以降大阪からの「たかやま」が高山本線唯一の急行列車となります。

さすがに85系「ひだ」に比べて見劣りは隠せず、1991年に専用の編成を用意してリニュアル工事を受け、独自の車体カラーに改めるとともに車内は普通車も含めてリクライニング座席、優等列車として恥ずかしくない接客設備となります。観光利用が多いこともあってグリーン車(キロ28)も連結され、往年の気動車急行のラインナップをとどめます。

1996年の山陰本線京都口「丹後」廃止後、キロ連結の急行列車はこの「たかやま」と津山・因美線の「砂丘」(→「つやま」)のみに。「たかやま」もリニュアルを受けたとはいえ、さすがに老朽化は隠せず、1999年12月には特急「ひだ」に代替されました。

私も実は、急行「たかやま」に何度か乗車したことがあります。
ただし、全区間乗り通したというわけではなく、大阪行きで石山→京都間のみの短距離利用でした。

担当乗務員もJR東海の高山運輸区(車両はJR西日本京都総合車両所所属)で、いつも乗る電車(113・221・223系ほか)と違うヨソユキな雰囲気を感じました。古いDMH17H型気動車ということもあって加速が悪く、隣の内側線を併走する普通(→高槻から快速)・新快速電車に追い抜かれそうになったりで、これで急行料金を払うのはもちろん馬鹿馬鹿しいと言えるが、旅行気分を満喫する分には急行料金(520円~)は高くないと思う人もいたかもしれませんね。しかし、何よりも普通・新快速電車とはちがって、自由席も含めほぼ確実に座れるのは魅力でした(それだけ通常の利用客は多くないということだが)。

琵琶湖線(米原-京都間)を走る気動車急行といえば、「たかやま」のほか、1986年以前は草津線に入る「志摩」や「平安」もありましたが、確か石山には停車しなかったはず。

急行「たかやま」は、関西から飛騨路への観光客はもちろん、新幹線では不便な大阪・京都方面~大垣・岐阜間のビジネスや用務にも重宝されていたそうです。「大阪しなの」も廃止された今、「大阪ひだ」が関西と大垣・岐阜方面を結ぶ唯一の列車となりましたが、これもいつ廃止されるかわかりません。


1992年春、「青春18きっぷ」で名松線の旅をする。

名松線(松阪-伊勢奥津間)は行き止まりローカル線だ。

もともと松阪と名張、さらには奈良県の桜井を結ぶことを目的に建設されたことから、「名松線」という路線名が付けられた。しかし、関西急行電鉄が大阪-伊勢間の路線(=近鉄大阪線)を開通させ、さっそく高速運転を始めたことから、国鉄名松線の名張延伸は実現せず、奈良県境手前の伊勢奥津(津市美杉町)で行き止まりとなった。

未成線区間の伊勢奥津-名張間は三重交通バスで結ばれてきたが、年々本数は減らされ、現在同区間のバスは1日1往復のみだ。

さて、名松線に乗ったのは1992年春の1度きりだった。
伊勢奥津駅で確か、名張行きのバスを2~3時間近く待った。
学生時代の当時、山の中の小駅で長時間待つのは、正直退屈以外のなにものでもなかった。
さらに、この日は天気もあまり良くなく、夕方から雨が降り出した。

しかし、今だったら、むしろ無人駅で途中下車して、1時間ほど景色を眺めたり周りをぶらりと散策するのも楽しいと思う。


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伊勢奥津駅前(2015年、バイクで訪問)


2015年秋、バイクで伊勢奥津駅前を訪れたときは、名松線は不通だったが、
駅舎は綺麗に改装され豪華になって観光センターを併設、観光客で賑わっていた。
ただし、駅構内の線路は棒線化され、往時に比べて寂しくなったようにも思う。

せっかくなので、SL時代の面影が残っていた当時の伊勢奥津駅構内をもっと味わっておけばよかった。

伊勢奥津駅前からのバスは、概ね名張川の流れに沿って国道368号線を走行し、一旦奈良県(御杖村)を掠りながら、名張市に踏み入れる。名張川はこの先、奈良県の月ヶ瀬村を経て京都府南山城村で木津川に合流する。伊賀盆地を源流とする木津川は八幡市付近で宇治川・桂川と合流して淀川となり、大阪湾に注ぐ。意外にも名張川は淀川水系であり、三重県の伊賀地方は関西圏だ。

名張駅前に到着後、近鉄電車の区間快速で桜井までワープし、桜井線に乗り換えて帰路につく。


京阪沿線から新幹線で東京方面へ向かう場合、京都もしくは新大阪から乗るのが一般的だろう。特に、寝屋川市以北の沿線住民には、丹波橋経由近鉄で京都駅まで出るという経路が定着しており、JR学研都市線沿線においても、交野市の星田以東からは河内磐船もしくは松井山手で直Q京都号のバスに乗り継いで京都駅へ直行するほうが便利だ(→おおさか東線新大阪延伸後は、放出経由新大阪へ回るほうが便利になるだろう)。

しかし、新大阪から始発列車に乗れば確実に座れるメリットがある。京阪沿線からの場合、

→淀屋橋→(地下鉄御堂筋線)→新大阪
枚方市駅→(京阪バス)→JR高槻→(JR京都線)→新大阪

が一番行きやすいだろう(京橋から環状線大阪駅経由ももちろん可能だが、乗り換えが多いのが難点。ただし、「大阪市内」発のJR乗車券が買えるので、運賃は少し安くなる)。かつて、半年間ほど守口市駅から新大阪までの「新幹線シャトルバス」が試験的に運行されたこともあるが、利用状況が思わしくなかったのか、短命に終わった。

東京からの帰りは、京都・新大阪どちらで降りても特に問題はないだろう。
唯一の問題は、東京発最終「のぞみ」新大阪行きに乗る場合だ。新大阪から御堂筋線で淀屋橋へ回って、最終の深夜急行・樟葉行き(24:20発)に乗ることになるが、香里園以北の急行通過駅(光善寺、枚方公園、御殿山、牧野)および交野線への接続列車はなく、最終列車だけに混雑しやすい(特に週末は避けたいところ)。京都駅で下車して丹波橋回りのほうが確実に帰れるだろう。



1996年3月、東京からの帰りに「青春18きっぷ」で、大阪(天王寺)までやや遠回りの旅に出た。
乗車経路は、確か

上野→小山(東北本線)
小山→前橋(両毛線)
前橋→長野(信越本線)
長野→松本(篠ノ井線)
松本→中津川(中央本線)
中津川→名古屋(中央本線・快速)
名古屋→亀山(関西本線)
亀山→加茂(関西本線)
加茂→天王寺(関西本線・区間快速)
天王寺→京橋(大阪環状線内回り)

だったと記憶している。

長野(北陸)新幹線開業を翌年に控えて廃止された碓氷峠(横川-軽井沢間)を列車で通ったわけだが、実はこれ一度のみだった(もっとも、ここを訪れた一番の目的は、「乗りつぶし」だった)。残念なことに、確か碓氷峠辺りでは車内で爆睡していたかと思う。「峠の釜めし」で有名な横川といい、非常にもったいないことをしてしまった。長野新幹線開通後、信越本線の軽井沢-篠ノ井間は「しなの鉄道」に転換される。その後、北陸新幹線開通と同時に長野-直江津間もしなの鉄道・えちごときめき鉄道に転換され(北陸本線金沢以東も同様)、長野から北陸方面へJR在来線のみで移動するのは困難となった。

一番の目当ては、中央西線木曽ローカル(松本-中津川間)の165系だった。国鉄急行色で最後のがんばりを見せ、1990年代後半ごろ、時々大阪から無理矢理日帰りで松本への旅に出ることがあった。山深い木曽路の景色が何よりだった。一度、中津川駅で釜飯の駅弁を買ったこともあるが、中津川の駅弁販売はなくなったようだ。ちなみに中津川といえば「栗きんとん」でも有名だ。

名古屋からは関西本線に乗る。東海道本線米原経由のほうが早くて便利だが、やはり少し変わった経路を取りたいこともあって、確実に座れる関西本線を選んだ。


久しぶりに近畿圏を離れ、他地方に関する記事をエントリーする。
今日はJR東海の213系についてレポートを書く。

213系という形式は、1987年の国鉄→JR移行前後に、1988年開通の瀬戸大橋線向けに登場。117系と同じ2ドア・転換クロスシートだが、車体は首都圏および東海地区に投入されたステンレス車211系をベースとしている。213系は岡山電車区に配置され、さっそくJR西日本の所属となる。

これとは別に、JR東海でも213系5000番台が作られた。
213系5000番台は、関西本線(名古屋-亀山)の活性化とイメージチェンジが目的だった。関西本線名古屋口は1982年に電化され、普通列車に113系が使用されるが、輸送状況による見直しで1985年より165系3連口によって運用される。電化後の利用客増で列車本数は大増発されるが、並行する近鉄名古屋線に比べて劣勢は変わらなかった。しかも165系は急行型車両ゆえ2ドア・デッキ付きであり、乗り降りが不便で、車両そのものも老朽化は隠せず、新車への取替えが望まれていた。

そこで、関西本線の輸送状況に合わせて、1989年、2ドア転換クロスシート(一部ロングシート)の2両編成仕様とする213系5000番台を特別に作ることになった。213系5000番台は、当時JR東海管内で113系非冷房車を置き換えるために量産中の211系5000番台(3ドア・ロングシート)をベースに設計されたもので、211系をはじめ、JR東海独自の近郊型電車各形式(311・313系)との連結も可能となっている。JR東海独自の転換クロスシート車は、この213系5000番台が初めてであり、その少し後に東海道本線新快速用の311系も作られた。

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213系5000番台の外観
鉄道写真倉庫より拝借)

213系5000番台は、距離の短い関西本線で運用することを前提としていたため、トイレは設置されず、せっかくの転換クロス車も長距離運用には使えないのが泣き所だった。さらに、利用客のさらなる増加で2ドアでは混雑しやすくなったため、関西本線の主役として演じていた時期も意外に短かった(1990年代半ばには、ラッシュ時の助っ人として165系が復活したり、さらに103系3連口も応援に入る時期があった)。新快速用に作られた117系と同じ運命だ。

2000年より、関西本線ローカルには313系ワンマン仕様車が投入され、ワンマン運転が始まる。213系は朝夕ラッシュ時のみの運用で持て余し気味となり、トイレも付いていないので長距離の飯田線では使えず、転用先に困ることになる。213系の車体がステンレスゆえトイレの設置改造も難しい。しかし、登場からまだ20年前後なのでこのまま廃車するのももったいない。

そこで、2011年、213系を大阪・徳庵の近畿車輛でトイレ設置の改造を受けるという、JR東海異例の措置を取る。近畿車輛までJR貨物の電気機関車で牽引して搬送された。学研都市線(片町線)207・321系とJR東海213系との珍しい顔合わせが実現できたことだろう。トイレ設置改造後は、飯田線で313系とともに活躍している。

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JR東海伊勢車両区は本年3月で閉鎖され、紀勢本線・参宮線・名松線の気動車(キハ25系など)は名古屋車両区が管轄することになった。

そういえば、2007年、赤福の社長が「参宮線を廃止して、伊勢車両区跡地を駐車場にする」と発言して大ニュースになった。あの当時はまさか伊勢車両区が廃止されることはないだろうと思っていたが、武豊線電化で名古屋車両区の気動車配置に余裕が生まれたため、伊勢車両区の廃止が現実のこととなる。

本来、国鉄時代末期に伊勢運転区(当時)が亀山機関区と統合されるはずだった。しかし、亀山駅にJR東海とJR西日本の境界が置かれるため、JR東海管内となる紀勢本線や参宮線の気動車車庫が必要となったことから存続が決まる。

仮に三重県内の国鉄線が全てJR西日本管内となるのなら話は簡単だったはず。亀山機関区が関西・紀勢本線などを運用する気動車を一括管理し、今もなおそれなりの数の車両数が必要なことから、広大な車両基地を有効活用していたことだろう(2016年の時点では、希望的観測だが、姫新線に投入されたキハ122・127を標準仕様として、東海・北陸・紀伊半島から山陰・広島・山口までの広範囲にわたって大量配置され、キハ40系を置き換えることだろう)。早い話、名古屋近郊付近までの在来線と東海道新幹線全線をJR西日本が所有すれば、財務状況はもっと良かっただろう。

先日の記事でJR東海においてキハ47は5両だけの少数派ということについてコメントした。

http://katanogawara.blog.jp/archives/6951529.html

国鉄時代、キハ40系の1形式であるキハ47は近畿以西の西日本各地に配置され、東海地方には配置されなかった(JR西日本管内の北陸地方にも国鉄時代はキハ47が配置されなかった。一方、東日本でも水戸・新潟に少数だけ配置)。しかし、実は国鉄時代にも名古屋駅まで定期列車としてキハ47が乗り入れていたことはある。それは亀山機関区(天カメ)配属分の4両(80、81、1053、1054)で、関西本線電化前(1982年5月)のことだ。名古屋-奈良間直通の普通列車などで運用されることが多かったようだ。

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名古屋駅で発車を待つ奈良行き普通列車キハ47ほか
(「’80年代鉄道写真館」より拝借)


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名古屋駅ホームに停車中の普通奈良行きキハ47 所属表記「天カメ」が見える
(DEJI@気動車ファンのページより拝借)

関西本線名古屋-亀山間の気動車普通列車は奈良・亀山区のほか、美濃太田(名ミオ)もアルバイトに入り、このあたりでは見慣れなかったキハ48も姿を見せていた(1980年以前は、殿様「紀州」の間合いで天ワカの58系もあったが、天ナラに移管)。

キハ35系およびキハ45のイメージの強い天王寺鉄道管理局管内だけあって、キハ47が配置されたことは少し意外な感じもする(両運転台のキハ40 2000番台は亀山・伊勢にかなりの数が配置されたが)。ただ、国鉄末期を迎えた1985年、豊岡・米子からキハ47が新たに6両亀山に転入してきた。豊岡からの分の4両(3、4、1109、1110)は翌年伊勢に転属しJR東海所属となる(このほか1両1027号が福知山から伊勢に転入)。他はJR西日本に継承、1989年の学研都市線(片町線)電化までは亀山区で引き続き活躍したが、その後山陰・中国山地など各地へ散らばって行った。

1991年12月下旬、生まれて初めて東京旅行をする。
大きな目的は、東京圏のJR各線をできるだけ多く乗りつぶすこと。関西の青年鉄道ファンなら、一度東京を訪れ、複雑な首都圏の各路線を乗り回ってみたいと思うことだろう。

大掃除や正月準備で忙しい時候にもかかわらず、学生だった私はこの慌しさから逃れようと、親や家族に嫌味を言われながらあえて旅行に出た。周りの空気を読まずに行動してしまったが、少なくとも正月を迎えて落ち着いてから旅行すれば、周りの人たちもそれほど角が立たなくて済んだのではないか。いかに当時の私自身が非常に幼稚だったのかを思い出すと情けなくなる。

さて、この旅行は確か3泊4日の行程だったのかな。
初日は京阪高速バス枚方新宿線で車中泊。枚方市駅までのバスで運転手と少し談話になって、「東京へ行くんやったら新幹線が一番ですわ」と運転手がおっしゃってた。

翌朝、定刻より早めに新宿バスターミナルに到着したのち、さっそく「青春18きっぷ」1日目を使用。
具体的にどういう経路を巡ったのか、どんな食事をしたのかは覚えていないが、秋葉原駅から総武緩行線103系に乗り込んで、さっそく首都圏の通勤地獄を体験。首都圏の通勤ラッシュは大阪の比ではないということを知る。

その後、山手線、埼京線、京葉線、東金線、川越線、横浜線は乗車したように記憶している。千葉は113系が多く(非冷房車も残っていた)、八高線は当時全線非電化でキハ35系がまだ活躍していた。

宿泊は学生の身分なので、ユースホステスに泊まる。宿泊地はなぜか交通の不便な山梨県富士吉田を選び、大月から富士急行に乗ったと思う。富士吉田は雪が積もっていた。1991~92年冬は1980年代後半から続く暖冬傾向だったが、91年年末は厳しい寒波が訪れた。観光シーズンは終わって年末の忙しい頃なので宿泊客は私一人だけで寂しかった。

翌朝、中央線の電車で再び東京都心へ向かうが、とにかく時間がかかる。東京都市圏は広いと実感(近年、「東京近郊区間」が福島県や長野県にまで及んで巨大化)。


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京葉線205系

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埼京線205系

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川越線103系と八高線キハ35系との顔合わせ
(高麗川駅)


最終日前日の晩は横浜→上野(京浜東北線?)と回り御徒町近辺を徒歩で散策したかと思うが定かではない。その後、「大垣夜行」続行便を待つために東京駅ホームに座って並ぶ。来た電車は167系アコモ改造車(リクライニング)だったような記憶がある。明朝名古屋到着後、さっそく武豊線の気動車に乗り込む。朝の通勤ラッシュに備え、急行「かすが」用キハ58+65にキハ47などを連結した長い編成だった。

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武豊線の気動車(キハ47が先頭)

武豊駅からそのまま同じ車両で折り返す(名古屋到着後、「かすが」編成は切り離され、8時40分ごろ発の奈良行き「かすが」となる)。
その後、名古屋市街地を少しバスで回ったあと、太多線に乗るために、名古屋→多治見→美濃太田→岐阜→名古屋と回り、昼時を迎える。武豊線も太多線も、風光明媚な観光路線というわけではなく、景色を楽しむというよりは列車に乗るということが目的だった。

午後からいよいよ大阪への帰路につく。関西本線経由で湊町(現・JR難波)に寄り道することにした。

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キハ11と奈良行きキハ58とのツーショット(亀山にて)

亀山-加茂間は既にワンマン運転が始まっていたが、キハ58系がまだ残っていた。しかも数少なくなった奈良直通列車に乗れた。加茂到着前までほぼ爆睡していたように記憶している。奈良で乗り継いで終点・湊町到着後、なんばウォークを通って御堂筋線→京阪で枚方へ戻る。

JR東海に在籍する在来線用のマイナーな車両形式を考えてみた。

廃車されたものも含めて、次のものが挙げられる。

1)211系0番台
2)キハ47(廃車)
3)103系通勤型電車(廃車)
4)キハ30(廃車)

JR東海における国鉄時代の車両は、本年3月までに211系0番台を残して全廃された。

211系近郊型電車は1985年、首都圏の東海道線(0番台)および東北・高崎線(2000番台)に初めて登場、翌年1986年11月国鉄最後のダイヤ改正で名古屋にも0番台が4両編成×2本だけ投入された。初めは中京快速など花形運用に就いていたが、JR発足後311・313系の登場により、各駅停車中心の運用となる。211系そのものはJR東海発足後、5000番台という新番台を起こして老朽化した113系を置き換えるために大量に投入されるが、0番台とはちがってロングシート。211系0番台と5000番台の外観上のちがいは、先頭車貫通扉の窓で判別できる(ほかにクーラーユニットの形状のちがいなどもある)。211系5000番台は「青春18」ユーザーにとっての一つの「関所」、静岡地区ローカルなどを中心に運用されている。

一方211系0番台のほうは、最近ラッシュ時の関西本線(名古屋-亀山間)にも入ることが多いようだ。また、同じJR東海管内において、中央西線中津川-塩尻間ローカルにもJR東日本長野色の211系0番台?が足を伸ばすようになった。


JR東海に在籍したキハ40系について、キハ40・48が大半、キハ47は5両だけだった。
キハ47は両運転台・両開き2ドアで、いわば近郊型電車417・717系などと同じスタイル。国鉄時代、近畿以西の西日本各地に配置される。もともと東海地区にはキハ47の配置はなかった。JR東海のキハ47は、旧天王寺鉄道管理局管内の伊勢運転区から引き継いだものによる。伊勢にいたキハ47は、当初福知山に配置され、豊岡→亀山→伊勢の順に転属。JR発足後、しばらく伊勢所属でキハ58などと混結編成を組んで紀勢本線・参宮線などで活躍ののち、名古屋に転属して武豊線、そして最終的には美濃太田に転じて高山本線・太多線で最後の活躍をし、2015年に廃車。

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高山本線で活躍していたキハ47×4連
(「姫ココの気ままに撮り鉄ブログ」さまより拝借)

キハ30も同じく天鉄局の伊勢区から引き継がれた。ロングシート・3ドア車・キハ35系の両運転台で、同系列は未だ非電化だった関西本線奈良-湊町間の混雑緩和を目的に製造されたため、天鉄局管内では大所帯を誇っていた。しかし、電化路線の広がりおよび老朽化のため国鉄時代末期までにかなり廃車されたこともあり、JR東海では異色の存在だった。しかし皮肉なことに、2015年よりキハ25系1000番台という3ドア・ロングシート車が登場、特に紀勢本線においては、キハ35系が活躍してた頃を彷彿とさせるものだろう。1989年ごろまでキハ30も紀勢本線・参宮線・名松線で活躍するが、キハ11の登場により大半が廃車、キハ30 51号のみ保存目的で美濃太田に2008年まで在籍していた。

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JR東海に6両受け継がれたキハ30
(「絶対!乗り物中心主義」さまより拝借)



103系通勤型電車は東京・大阪都市圏の通勤型電車でお馴染みだが、名古屋でも通勤客の急増する中央西線用に一定数投入され、JR東海に受け継がれた。中央西線では大阪でも実現しなかった最大10両編成で運用されていた。国鉄時代は京浜東北線や京阪神緩行などと同じ青色だったが、JR東海誕生から2年ほど経過してJR東海オリジナルカラーに塗り替えられると同時に、当時増備中の211系5000番台に準じた内装アコモデーションにリニュアルされた。その後、一時期関西本線ローカルにも進出したこともあるが、1999年から313系の大量製造が始まり、103系は早くも全廃に追い込まれた。




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2003年9月の残暑の折、「青春18きっぷ」で名古屋へ小旅行してきたときに撮影した、211系(5000番台)の写真をアップしてみました。

JR東海の211系は国鉄時代末期に登場した0番台4両×2本のほかは、全てJR時代に製造された5000番台でロングシート車です。中央西線名古屋近郊区間と東海道本線静岡界隈を中心に活躍中です。

2003年は、1993年以来10年ぶりの「大冷夏」だったが、8月下旬より太平洋高気圧の勢力を盛り返し、一転厳しい残暑だったと記憶しています。また、阪神タイガースが18年ぶりにセ・リーグ優勝した年でした。

2005年の愛知万博を控え、自動車工業を土台とする名古屋経済、および食文化(みそかつ、きしめん、みそ煮込みうどん、えびふりゃー)も全国的に注目されるようになり、いわば「名古屋バブル」の前座のような時期だったようです。また、2004年より三重・亀山にはシャープの液晶モニタ新工場が稼動開始、これも名古屋経済の牽引役となり、「世界の亀山」と言われるようになります。

そういえば、中央西線中津川-塩尻間にもJR東日本長野色の211系0番台が乗り入れるようになったが、JR東海所属のそれとの顔合わせが実現したら面白いでしょうね(笑)


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今年3月で全廃となったJR東海のキハ40系(キハ40・47・48)。

高山本線・太多線を担当する美濃太田車両区では、昨年3月の武豊線電化で余剰となったキハ25系(0番台)およびキハ75系が転用され、キハ40系を全て置き換えた。

その後も紀勢本線・参宮線(伊勢車両区→本年3月に廃止)にはキハ40系が残るが、こちらもキハ25系1000・1500番台に置き換えられる。困ったことにキハ25系1000・1500番台はロングシートで、紀勢本線新宮-多気間といった長距離運用では高山本線と同じようにキハ75系を回してほしいものだ。

2007年6月に松阪を訪れたときのキハ40・48の写真を何枚かUPする。

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