カテゴリ:国鉄・JRグループなど > JR東海(名古屋・静岡地区在来線)


JRと名古屋市営地下鉄がノーラッチ(改札内)で往来可能かどうか、という問題を考えました。

結論を言うと、それは可能です。カギは以下の2点です。

1)JRと名鉄は豊橋・弥富2駅がノーラッチ
2)名古屋市営地下鉄鶴舞線・上飯田線が名鉄と相互乗り入れ


JRから名古屋市営地下鉄にノーラッチで入る可能なルートの例として、次が挙げられます。

(ルート1)
豊橋(JR東海道本線・飯田線)~(名鉄名古屋本線)~知立~(名鉄三河北線)~豊田市~(名鉄豊田線・地下鉄鶴舞線)~

(ルート2)
弥富(JR関西本線)~(名鉄津島線)~須ヶ口~(名鉄名古屋本線)~西枇杷島~(名鉄犬山線)~上小田井~(地下鉄鶴舞線)~

(ルート3)
弥富(JR関西本線)~(名鉄津島線)~須ヶ口~(名鉄名古屋本線)~西枇杷島~(名鉄犬山線)~犬山~(名鉄小牧線・地下鉄上飯田線)~平安通ほか


名古屋市営地下鉄と東京メトロ、大阪メトロ、京都市営地下鉄、そして福岡市営地下鉄との間をノーラッチで行き来することは、JRほかを介して理論上可能です。大阪・京都の地下鉄はJRとは直接つながっていないので、他の私鉄も利用することになります。



飯田線の旧型国電を置き換える目的で、1983年に登場した国鉄近郊型電車119系。

105系と同様、電化ローカル線用の新性能車で、1M1T方式を採用。駅間距離が短く、カーブや勾配が連続し、200km近くにも及ぶ飯田線に合わせた仕様とされ、3ドア・セミクロスシート車。総数57両を投入。登場時の塗装は飯田線に寄り添う天竜川にちなんで、水色(青22号)に灰色の帯を配したデザインでした。配置は豊橋機関区(静トタ)。119系は新潟地区の越後線・弥彦線電化用にも投入する計画だったようです(結局国鉄財政難により、115系で賄われました。奈良・和歌山線電化開業用にも105系が新造される予定だったが、同様の事情で103系1000番台からの改造で対応)。

119系は全車両JR東海の所属となり、主に飯田線で2013年まで活躍。引退した119系の一部はえちぜん鉄道に譲渡され、MC7000形に改造されました。

国鉄最末期~JR発足初期にかけての一時期、119系の一部が東海道本線に栄転し、「するがシャトル」用に抜擢された時期もありました。国鉄末期の頃、広島をはじめ各地の地方都市圏で利用しやすい「国電型ダイヤ」が導入され、静岡エリアの東海道本線では国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正で「するがシャトル」大増発が行われました。「するがシャトル」は1984年から113系で運用されていたが、増発用に119系2両編成×8本が引き抜かれ、静岡運転所(静シス)に転属。改造対象となる車両には、白と赤の「するがシャトル」新塗装に塗り替えられ、合わせて冷房改造(AU75形)なども行われました。「するがシャトル」に持って行かれた分は、余剰となった165系で補われました。冷房未改造の119系も、JR東海独自仕様のC-AU711D-G3形クーラーが搭載されました。

「するがシャトル」用の119系は、当初興津-島田間を中心とする運用に就いていたが、しばらくして御殿場線にも運用を拡大し、東海道本線内では2両編成×4本の8両編成運用も登場。ただ、119系は加速重視の特性があり、さらに冷房搭載による自重増加も加わって最高速度が90km/hに抑えられるゆえ、駅間距離が長く運転速度の高い東海道本線では運行に多くの支障をきたし問題になっていました。結局2年余で「するがシャトル」は113・115系および新製211系5000番台に置き換えられ、119系は飯田線に里帰りしました。

ちょうど同時期、119系の東海カラーへの塗り替えが始まり、過渡期には飯田線でオリジナル飯田色・するがシャトル色・東海色をつないだ3色3編成の列車も出現しました。



2024年3月JRグループダイヤ改正では、JR東海・中央本線(名古屋-中津川間)がかなり大きく変わります。

同区間を走る快速・普通列車は315系に統一され、最高時速130km/hにスピードアップします。JR東海における特急以外の在来線列車で130km/h運転は、中央西線快速【セントラルライナー】以来とのこと。

合わせて昼間時間帯の「快速」は、停車駅に新守山・神領を加えた「区間快速」に変わります。新たに登場する「区間快速」の通過駅は定光寺・古虎渓の2駅のみとなります。昼間時間帯のダイヤパターンは、名古屋駅を起点に

区間快速・瑞浪行き1本/h、区間快速・中津川行き2本/h、
普通・高蔵寺行き1本/h、普通・多治見行き 2本/h


となります。

中央西線は名古屋エリア屈指の混雑率の高い路線であって、かつ東海道本線のように私鉄との激しい競合路線ではなく、昼間時間帯の快速電車に停車駅を追加して区間快速に変更するというパターンは、京阪神エリア(JR西日本)の学研都市線・JR東西線・JR宝塚線に共通していると言えます。ロングシート車に統一されているのも、JR東西線・学研都市線との共通点ですね。


身延線を走る特急【ふじかわ】。

静岡・富士~甲府間を東海道本線・身延線経由で1日7往復運行中です。使用車両は373系3両編成(普通車のみ)。身延線沿線には、日本三大急流の一つである富士川が北から南に流れており、列車名の「ふじかわ」は富士川に由来するものです。身延線は静岡県と山梨県を直接連絡する唯一の鉄道路線とともに、山梨県内唯一のJR東海管轄路線です。沿線の身延山(標高1153m)には日蓮総本山の久遠寺があり、しだれ桜の名所として知られます。

373系【ふじかわ】のデビューは1995年。従前身延線を走行していた急行【富士川】の165系を置き換えることを目的に373系が製造され、同時に特急列車に格上げされました。

特急【ふじかわ】は、身延線の線形の悪さと停車駅の多さゆえに、「遅い特急」として知られています。身延線内の表定速度は50km/h以下の箇所も多く、身延線全線(富士~甲府)88kmを走破するのに2時間近くかかります。

【ふじかわ】の利用客の流れは、大きく次の3つに分けることができます。

1)静岡駅での東海道新幹線(名古屋・大阪方面)からの連絡
2)富士駅での東海道本線(静岡県東部および京浜地区)からの連絡
3)甲府駅での中央本線【あずさ】【かいじ】(新宿方面)からの連絡


【ふじかわ】の利用状況は、東海道新幹線からの乗り継ぎ客に大きく支えられていると言えます。というのも、新幹線からの乗り継ぎ割引(在来線特急料金が半額)が適用されるため。また、身延線内の特急料金は安く設定されていることから、線内区間利用も意外に多いようです。

373系の登場から30年近く経過し、また中部横断自動車道の全面開通と高速バス新設、さらに2024年春の新幹線乗継割引廃止によって【ふじかわ】の利用客減少が予想され、【ふじかわ】には後継車両もなく廃止されるのでは、との心配もあります。


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JR東海・中央本線から211系5000番台の完全引退も近い模様です。これに伴い、名古屋-中津川間の普通・快速電車は315系8両編成に統一されることになります。なお、中津川-塩尻間ではJR東日本長野区の211系1000・3000番台が引き続き運用中です。

一方、急遽211系5000番台が関西本線へピンチヒッターで入ることになりました。近鉄の運賃大幅値上げの影響で関西本線の利用客が急増しているようです。関西本線といえば、2022年春まで国鉄型211系0番台が最後の活躍をしていたことで知られています。

(訂正)2023年10月5日現在、神領K1・K5・K17・K18の4編成のみがまだ残っているとの情報がありました。不正確な情報を出してしまい、お詫び申し上げます。ソースは↓
https://twitter.com/Matsu_toki1315C/status/1709549821793796280
誤解を招かぬよう、表題を含め訂正しました。

【JR東海】関西線に211系投入へ、10月から(鉄道プレス)
https://207hd.com/post-34017/



高山本線北部(高山-猪谷-富山)を走った、面白い臨時列車を挙げてみたいと思います。

高山本線は猪谷駅がJR東海とJR西日本の会社境界になっています。岐阜県と富山県との境目でもあり、猪谷駅はJR西日本の所属で、所在地は富山県富山市。かつて、猪谷駅から岐阜県神岡(飛騨市)を結ぶローカル線・神岡鉄道(旧・国鉄神岡線)が分岐していました。 

高山本線の優等列車といえば、特急【ひだ】。名古屋・大阪と高山本線を結ぶことが使命で、高山駅以南は本数が多いが、高山-富山間は本数がグッと減り、閑散とした印象を受けます。

しかし、かつて高山本線北部でも、越中八尾のおわら祭りをはじめ、以下のようなユニークな臨時列車が運転されていました。

特急【ユートピア高山】ほか(大阪~高山、北陸本線経由) キハ65系エーデル・ユートピア
特急【おわら】ほか (大阪~越中八尾、北陸本線) キハ181系ほか
急行【高山まつり】(上野~高山、高崎・上越・信越・北陸本線経由) 14系客車


このうち上2つの列車群は、JR発足以降のもの。【おわら】ほか、京阪神エリアと越中八尾を結ぶ臨時列車は、毎年9月・おわら祭りの日に運転、2003~04年ごろまで設定されていました。昼間の北陸本線を走るキハ181系ということで、大糸線直通のシュプール号ともども、ファンに注目の列車でした。

これとは別に、JR発足から数年間、大阪駅と高山を北陸本線経由で結ぶ臨時特急もありました。大阪-富山間は、【ユートピア和倉】と同様、485系電車【雷鳥】との協調運転でした。大阪-高山間には古くから岐阜経由の急行【たかやま】(定期列車)があり、2023年現在なお特急【ひだ】(大阪ひだ)として運行中です。岐阜・富山両経由とも、JR西日本・東海の境界を跨ぐことで共通しています。富山経由は走行距離の大半がJR西日本で京阪神中心のダイヤ設定がしやすい半面、如何せん遠回りで実用的な走行ルートとは言いがたく、わずか数年で自然消滅。

上野発の急行【高山まつり】は、国鉄末期1986年10月のみの運転でした。高崎・上越・信越・北陸・高山本線を走行する列車など、今では考えられません。片道(高山行き)のみの運行だったようです。方向転換(スイッチバック)は長岡駅の1回だけというのも、少し驚きです。14系客車はおそらく尾久客貨車区(北オク)所属と思われるが、返却回送ルートが気になります。


東京23区内~大阪市内間を、新幹線を使わない、かつ特急縛りの乗り継ぎルート(2023年8月現在可能なもの)を挙げてみたいと思います。

まず、次が一番容易でしょう。

【ルート1】
新宿   ~ 塩尻  【あずさ】
塩尻    ~ 名古屋 【しなの】
名古屋  ~ 大阪難波 近鉄特急【ひのとり】、ほか


東京~名古屋間では、中央本線【あずさ】【しなの】は外せないでしょう。名阪間での近鉄特急利用は、かなり王道でしょう。2016年以前なら、塩尻~大阪間【しなの】に乗り通すことも可能でした。

【ルート2】
新宿   ~ 塩尻  【あずさ】
塩尻    ~ 名古屋 【しなの】
名古屋  ~ 新宮 または 紀伊勝浦 【南紀】
新宮   ~ 大阪 または 新大阪 【くろしお】


余裕があれば、紀伊半島大回りルートで風光明媚な旅も良いでしょう。

【ルート3】
新宿   ~ 塩尻  【あずさ】
塩尻    ~ 名古屋 【しなの】
名古屋  ~ 岐阜   【ひだ】
岐阜   ~ 大阪   【ひだ】


名古屋から東海道本線経由の特急乗り継ぎも、やろうと思えば可能です。ちなみに、北陸新幹線金沢開業(2015年)前は、名古屋→【ひだ】→富山→【サンダーバード】→大阪という北陸回りも可能でした。

【ルート4】(東行きのみ)
大阪   → 東京   【サンライズ出雲・瀬戸】


東海道本線唯一の夜行列車【サンライズ出雲・瀬戸】を利用する手もあります。ただし、東行きのみが可能(西行きは浜松~姫路間ノンストップ)。西行きは、せっかくだから、例えば次のような大回りにしてもよいかもしれません。

【ルート4a】(西行き)
東京   → 姫路   【サンライズ出雲・瀬戸】
姫路   → 和田山  【はまかぜ】
和田山  → 大阪   【こうのとり】

【ルート4b】(西行き)
東京   → 米子   【サンライズ出雲】
米子   → 鳥取   【スーパーまつかぜ】
鳥取   → 大阪   【スーパーはくと】 または 【はまかぜ】

【ルート4c】(西行き)
東京   → 高松   【サンライズ瀬戸】
高松   → 徳島   【うずしお】
徳島   → 大阪市内 (高速バス)


やや「反則」技ですが、四国に寄って、高速バスで大阪に入るルートも面白いでしょう。



国鉄近郊型電車の代名詞と言うべき存在、113系。今春の湖西線・草津線での113系運用終了をもって、いよいよ113系は絶滅機種となりました。

113系は、両先頭車クハ111、中間モハユニット2両(モハ113-モハ112)を基本とし、必要に応じてサハ・サロ、あるいはクハを挿し込んで、4両以上の長編成組成が標準的です(最大編成長は東海道本線東京口の15両編成ですね)。もともと、113系にクモハという形式はありませんでした(ローカル線での活躍の多い115系には、3両以下での運用が可能なように、クモハが新造された)。

しかし、国鉄末期(1986年)以降、各地で短編成化改造が行われ、福知山線全線電化に合わせて2両編成の113系(800番台)が登場。113系の自力走行のためには、モハユニット2両が必要不可欠な構成なので、モハユニットを両方先頭車に改造、クモハ113-クモハ112という形式が生まれました。クモハ113-クモハ112編成は全てJR西日本の所属となり、その後も同社管内の山陰本線・舞鶴線電化や紀勢本線御坊-紀伊田辺ワンマン化に伴い、同様の2連改造車が相次いで登場しました。特に、福知山線~山陰本線城崎ローカル用の3800番台こと「サンパチ」は、いかにも旧型国電に先祖返りした顔が印象的でしたね。なお、紀勢本線ワンマン編成は、元・春日色(元祖・大和路快速)2000番台が種車でした(顔は103系に似た「食パン」)。

* * * *

113系のクモハ改造車は、JR東海にも存在しました。

さっそく、1988~1989年にかけて、大垣区・神領区113系2000番台6両編成8本(クハ111-モハ113-モハ112-モハ113-モハ112-クハ111)を3両に短編成化&本数倍増化(8本→16本)に対応した改造工事を実施。改造後は、

クモハ113(2000)-モハ112(2000)-クハ111(2100 または 2200)

という組成でした。結果、クモハ113という形式は、JR西日本とJR東海に在籍することになったが、クモハ112はJR西日本のみの専売特許でしたね。JR東海のクモハ113は2000番台とし、車両番号は改造時間順に2001から振られました。同改造に伴い、クハ111が不足するため、奇数(東京)向きクハ111形(2100番台)8両を対象に方向転換改造が施され、クハ111形2200番台とされました。

113系3両編成は、主に東海道本線名古屋地区普通電車で活躍するが、後に一部静岡地区に転用されました。

先述のJR西日本・紀勢本線ワンマン用クモハ113・112(2002年改造→2020年廃車)も2000番台を名乗っていますが、モハ時代の原番号2058・2060(→110km/h対応改造で5000を加えて7058・7060に改番の経歴がある)そのままなので、JR東海との番号重複はありません。

JR東海の113系は2007年までに引退しています。


かねがね噂されていましたが、JR東海の特急型気動車キハ85系が京都丹後鉄道に譲渡されました。

該当車両はキハ85-3+キハ85-12の2両。先月下旬から京都鉄道博物館に後継のHC85系と並んで展示されていました。展示終了後、宮原からそのまま西舞鶴まで、まさかの自力回送というサプライズ劇を展開。回送経路は、福知山線(JR宝塚線)~山陰本線~舞鶴線。深夜時間帯の運行ではあるが、福知山線へのキハ85系入線は「最初で最後だろう」ということで注目の的でした。Youtubeで回送シーンの動画がいっぱい上がっていますね。

2023年度中にキハ85系がさらに2両、京都丹後鉄道に譲渡される予定です。

代替対象車両は「タンゴエクスプローラー」KTR001形(3両編成×2本)。製造時期はキハ85系とほぼ同じ(今回送られた2両はKTR001形よりも少し古いです)。KTR001形は以前、JR西日本に乗り入れ、京都や新大阪に足を伸ばしていたが、バリアフリー基準を満たしていないなどの理由で、10年前に定期運用を失いました。その後、予備車として運用されるものの年々稼働率が下がり、痛々しい姿で西舞鶴運転区に留置されています。

譲渡後も外観・内装には手を加えずに運用するらしいが、実際どの列車に使用されるのか気になるところ。これから乗務員訓練・試運転などを経て、2023年度中に営業運転を開始する見込みです。


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JR東海の特急型気動車キハ85系およびハイブリッド式特急型HC85系が、京都鉄道博物館に展示されることになりました。

展示期間は2023年2月23日~3月5日。

JR東海の車両がJR西日本運営の京都鉄道博物館にデビューするというニュースは、新鮮で驚きでした。

キハ85系はJR東海発足後の数年間にわたって製造。最後のキハ80系【ひだ】【南紀】を置き換え、イメージ一新。前面展望を重視した流線型スタイルが人気で、「ワイドビュー」という愛称が付いています。しかし、登場から既に30年以上経過し老朽化が進んでいることから、HC85系への置き換えが決まっており、2023年3月ダイヤ改正で【ひだ】は全列車HC85系化される予定です。大阪に直通する「大阪ひだ」もHC85系に置き換えられ、JR西日本のダイヤ改正リリーフにもささやかながら宣伝の文言が入っています。

2023年3月以降、【南紀】はキハ85系で残るが、HC85系への置き換えは時間の問題でしょう。この件について、一つ気になるのは、【南紀】の紀伊勝浦直通廃止の噂。HC85系への置き換えのタイミングで、JR西日本区間である新宮-紀伊勝浦間への乗り入れがなくなるかも、ということです。ただ、HC85系はJR西日本管内の富山そして大阪に乗り入れることが決まっており、杞憂に終わればよいのですが。


JR飯田線の秘境駅の一つ小和田(こわだ)

小和田駅は飯田線豊橋方から北へ向かって静岡県最後の駅。静岡・愛知・長野3県境近くにあります。駅前周辺は人里離れた深い山の中で、 道路が通じていないため自動車では訪問できない場所にあることから、鉄道ファンの間で秘境駅の一つとして知られています。1日乗車平均人員は1桁台。もちろん無人駅で特急・快速列車は通過だが、臨時列車【飯田線秘境駅号】はその名前にふさわしく、停車します。

さて、小和田駅の所属する市町村は浜松市天竜区。秘境駅なのに政令都市の中とは驚かれるかもしれません(政令都市の中の秘境といえば、身近なところでは京都市左京区・右京区の山間部がある)。まぁ、これも平成の大合併ゆえの産物ですが。

浜松市の中心市街地、浜松駅から鉄道でどのようにしてたどりつけるのか、調べてみました。最短ルートは、

浜松 → (東海道本線 または 新幹線)→ 豊橋 → (飯田線) → 小和田 120.3km

です。浜松市内の駅どうしなのに、鉄道で120kmも離れており(直線距離だと100km以下のはずだが)、所要時間は3時間を超え、片道運賃2,310円。「青春18きっぷ」を使えば、片道分だけでもほぼモトが取れてしまいます。3時間あれば新幹線で東京・大阪へ十分余裕で行けますね。

さらに困ったことに、県境を跨がないと鉄道ではたどりつけません(車・バイクだと、国道152号線をほぼそのまま北上すればよいですが)。

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315系やHC85系登場に伴うJR東海在来線車両の動きを簡単にレポートします。

JR東海では本年3月より、中央本線名古屋-中津川間の普通・快速列車が315系8両編成に統一されました。 これに伴い、同線の旧【セントラルライナー】で使用していた313系8000番台が静岡に転属。トイレ無し211系の一部を置き換えました。315系は3ドアロングシート車であり、外観カラーデザインも含め大阪環状線(JR西日本)の323系との共通点が多く見いだせます(編成長も323系と同じ8両)。

315系登場に伴い、JR東海唯一の国鉄型211系0番台、そして311系C8・C12編成は廃車。JR初期に登場した電車の廃車が本格的に始まりました。

HC85系はキハ85系特急型気動車の後継車両でハイブリッド式。【ひだ】【南紀】はHC85系に置き換えられる予定で、本年7月より一部の【ひだ】にHC85系の営業運転を開始すると発表。キハ85系は全面展望が魅力の「ワイドビュー」として親しまれてきましたが、HC85系の外観スタイルはいたって地味な印象を受けます。キハ85系の引退に伴い、大阪【ひだ】の廃止観測が取りざたされています。


JR東海の三河安城駅(愛知県安城市)。

当駅には東海道新幹線と在来線の東海道本線が乗り入れているが、そのネタが実に面白いと思いました。

三河安城駅は1988年開業の比較的新しい駅で、新幹線・在来線とも同時に設置されました。もともと「三河」駅になる予定だったようだが、地元有力団体の要望で「三河安城」に決定したとのこと。 

この駅は、新幹線ホームと在来線ホームが約150m離れており、乗り換える時はいったん改札口を出る必要があります。両者間は連絡通路デッキで結ばれています。

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新幹線は【こだま】のみしか止まりません。そのため、東京方面から三河安城へ行くとき、【のぞみ】【ひかり】で名古屋まで乗車し、在来線(東海道本線)でUターンするほうが早く着くことが多いようです。

一方、在来線のりばのほうは無人駅となっています。新幹線乗換駅なのに駅員無配置というのは、珍しいのではないでしょうか。

さらに、東海道本線上りの隣駅は旧国名なしの「安城」で、これまた紛らわしいですね。


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来年春のダイヤ改正で中央西線(名古屋-中津川間)に315系新型車両が投入されます。

10両編成が廃止される代わりに、全列車8両編成に統一され、合わせて列車増発も行われます。全国的に減便のニュースが多い中、JR東海は列車本数・両数を維持し、鉄道の公共インフラとしての任務を全うする努力を感じます。

211系は0番台・5000番台を含め全廃の予定です。
 


飛騨山脈を南北に縦断し、岐阜と富山を結ぶ高山本線。総延長225.8kmに及び全線単線非電化ではあるが、名古屋と北陸(主に富山県)を結ぶ幹線で、沿線は下呂温泉、高山、乗鞍岳、白川郷ほか飛騨路や北アルプスの風光明媚な観光資源に恵まれ、名古屋・大阪から特急【ひだ】が運行されています。高山祭やおわら風の盆(越中八尾)は全国各地から遠路はるばる訪れる客も多く、数々の臨時列車が運行されてきました。

ここでは、主に高山本線北部(主に高山-猪谷-富山間)の普通列車について、レポートを書いてみました。

高山本線は岐阜県区間(岐阜-猪谷)はJR東海、富山県区間(猪谷-富山)はJR西日本が管轄しており、路線総延長のおよそ85%が岐阜県(=JR東海区間)を占めています。

高山本線の普通列車は、岐阜口の岐阜-美濃太田間は名古屋近郊区間という位置づけから本数もそれなりにあるが、美濃太田以北は本数が激減し、特急列車の比重が大きくなっています。接続も良いとは言えず、「青春18きっぷ」の旅行プランを立てる際に頭を悩ませるポイント箇所でしょう。

高山-富山間の北部区間は、地形的には富山湾に注ぐ神通川水系に属すこともあり、岐阜県ではありながら富山との結びつきが強く、かつてJR会社境界を跨いで高山-富山間を直通する普通列車が設定されていました(国鉄時代は岐阜・美濃太田-富山間直通の普通列車もあった)。JR東海(美濃太田車両区)のキハ40系やキハ58系が富山まで足を伸ばしたり、逆にJR西日本富山車両センターのキハ120(キハ120導入前は高山線カラーのキハ52・58ほかを使用)が高山まで乗り入れたこともありました。

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高山カラーのキハ58系(JR西日本所属) 
山深い高山本線沿線をイメージする深緑色だった

しかし、2003年ごろに普通列車は会社境界の猪谷で分断されてしまいます。キハ120の猪谷以南への直通もなくなり、猪谷-富山間の普通列車はキハ120のみに。富山まで越境するJR東海車はキハ85系【ひだ】だけとなります。

2006~2011年までの間、越中八尾-富山間で列車増発社会実験が実施されることになり、絶滅危機種となったキハ58系国鉄急行色2両(キハ28 2360+キハ58 477、ワンマン改造車)がその任務に抜擢され、「JR最後のキハ58系」ということで注目の的になりました。キハ28 2360は引退後、千葉県のいすみ鉄道に譲渡され、2021年現在も現役で活躍中です。

かつて、毎年おわら風の盆のときには、京阪神と越中八尾を富山経由で直通する臨時列車が運転され、キハ58系やキハ181系などが白昼の北陸本線を翔けました。

猪谷以南のJR東海区間では、キハ40系ほか国鉄型車両は引退、キハ25系が主体的に使用され、その多くはロングシート車です。


かつて、岐阜県中津川市と長野県飯田市を中央道(恵那山トンネル)経由で結んだ高速バス「いいなかライナー」。1998年から2004年までの6年間運行されていました。

* * * *

飯田市をはじめ長野県南部の伊那谷地方は、愛知県や静岡県にも隣接していて伝統的に名古屋(中京都市圏)との結びつきが強いです。しかし、中部山地の地形の険しさから、両地域間の鉄道はJR東海道本線+飯田線(豊橋経由)、または中央本線(中央西線)+飯田線(塩尻・辰野経由)という迂回ルートしかありません。

伊那谷地方と名古屋を短絡させるべく、中央本線の中津川と飯田線の飯田を結ぶ鉄道開通が熱望され、国鉄中津川線として実現させる計画が上がり、建設工事も進められました。しかし、整備新幹線の法制化に伴い、地元は中津川線よりも中央新幹線の誘致を重視するようになり、加えて中央自動車道の開通(1975年)を受けて、計画は頓挫。

中央自動車道は長野県最初の高速道路で、諏訪湖付近から天竜川や飯田線に寄り添って伊那谷を南下したのち、飯田市付近で西に進路を転じ、中津川線の計画ルートに並行して恵那山トンネルを突き抜けて岐阜県の恵那峡に入り、中央本線や木曽川に沿って標高を下げ、小牧ICで名神・東名道と合流。恵那山トンネルの長さは、上り線8649m、下り線8489mで、道路トンネルとしては当時日本最長でした。

中央道開通後、名古屋と伊那谷地方を結ぶ高速バスが頻発運行されるようになり、もとから線形の悪い飯田線では太刀打ちできず、優等列車(急行【伊那】【こまがね】ほか)は軒並み廃止。

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中津川線は未成線に終わるが、恵那や中津川など岐阜県東濃地方と伊那谷地方との間の往来需要は一定程度存在しているようで、1998年よりJR東海バスと信南交通との共同運行で高速バス「いいなかライナー」を運行開始。特急【(ワイドビュー)しなの】とのリレー(中津川駅で乗り継ぎ)で、名古屋発着の直通高速バスとスピード面では健闘だったと思うが、やはり乗り換えが嫌われたのか利用状況は思わしくなかったらしく、わずか6年で廃止されました。

現在、中津川駅と飯田方面を結ぶバスは直接運行されていないが、馬篭(神坂PA)から高速バス名古屋飯田線に乗車することが可能です。


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失敗作ですが、165系急行【東海】のグリーン車連結面を撮ってみました(1991年、静岡にて)。

急行【東海】は東海道本線東京口(東京-静岡)を代表する昼間の優等列車。新幹線開通前は東京-名古屋・大垣間に多く設定されていたが、開通後は徐々に本数が減らされ、国鉄末期には東京-静岡間に2往復残るのみに。それでも、グリーン車(サロ)2両連結の長大編成姿を保ち、1996年の廃止まで継続。「青春18」ユーザーに人気の大垣夜行と共通運用でした(というより、むしろ大垣夜行のために残ったと言うほうが的確かもしれない)。

廃止後、373系の特急【東海】に「格上げ」され、大垣夜行は全座席指定の快速【ムーンライトながら】に変更されるも、グリーン車の連結は廃止。これも長くはなく、【東海】は2007年廃止。【ムーンライトながら】も2009年以降は「青春18」シーズンのみの臨時列車に格下げられました(→その後、373系から国鉄特急型電車183・185系に変更され、2020年年末の運転を最後に廃止)。


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213系5000番台が関西本線名古屋口で活躍していた頃です。

JR発足から2年後、並行する近鉄名古屋線と競合すべく、老朽化した165系を置き換えるために2ドア転換クロスシートの213系が投入され、好評を博しました。ただ、せっかく快適な213系も、トイレ無しなのは泣き所。

関西本線での213系の活躍は長くありませんでした。2000年ごろより関西線ワンマン運転に合わせて313系が主体的となり、213系は2ドアゆえ使い勝手の悪さから持て余し気味に。本来、距離の長い飯田線こそ相応しい活躍の場だが、トイレ無しが災いして適切な転用先が見つからず(ステンレス車体ゆえにトイレ設置工事も困難だったらしい)、宙に浮いた存在でした。

しかし、2011年に大阪の近畿車輛にてトイレ設置改造が行われ、ようやく飯田線で晴れて余生を過ごすことになります。


(その2)
http://katanogawara.blog.jp/archives/38136587.html

中軽井沢で折り返して小諸まで戻りました。

今回の旅行の最大目的は、ここから小海線に乗車すること。

小海線の列車までしばし時間があるので、小諸駅前を散策しました。 

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小諸駅ホーム

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C56 144号機?
「高原のポニー」で親しまれ、小海線などで活躍していた

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小海線のキハ52

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小海線キハ58 このカラーの車両は東北からの転属と思われる

小諸といえば島崎藤村ゆかりの城下町。中学校の国語の時間に、確か藤村の「小諸なる古城のほとり」という詩を覚えました。「小諸」という地名を初めて知ったのも、たぶんこの国語の時間だったと記憶しています。

小諸駅近くに小諸城跡・懐古園があり、日本さくら名所100選にも選ばれています。

小諸駅で釜めしの駅弁を買い、小海線の車内でいただきました。確か「藤村の一膳めし」という名前だったかな・・・。

* * * *

小海線の列車はキハ58形の2連または4連だったと思います。標高1000m以上の高所を走り、最急勾配33%を控えるため、冷房電源付きの1エンジン・キハ28形ではとても出力不足だったようです。したがって、冷房付きキハ58形とはいえども、キハ28形が連結されないため、小海線での冷房サービスは不可能でした。小海線の気動車は、翌年からキハ110系に置き換えられました。

冷涼な気候の高原とはいえ、観光客の多い夏場だけに車内は混雑してて暑苦しく、疲れました。

小海線といえば、「高原のポニー」で親しまれたC56形蒸気機関車の活躍で有名です。

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野辺山駅 JR線で標高最高駅(1345m)

小海線のハイライトは、やはりJR線最高標高の野辺山~清里(ちょうど長野・山梨県境)あたりではないでしょうか。清里はかつてバブルの頃、軽井沢に負けじと言わんばかりに高原リゾート地として脚光を浴び、ファンシーショップなどで賑わったようですが・・・。野辺山-小淵沢間は東京近郊区間に含まれます。

* * * *

小淵沢から先の乗車ルートは、

小淵沢→【中央本線】→甲府→【身延線】→富士→【東海道本線】→高槻

でした。

身延線については、半分ぐらい眠っていたようで、あまり印象に残っていません。

静岡では、ちょうど急行【東海4号】東京行き(165系)に立ち会うことができました。この先、高槻までひたすら東海道本線を下る修行の長旅でした。

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中央本線115系山スカ色

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甲府駅(身延線ホーム)

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身延線の急行【富士川】

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静岡駅



(その1)
http://katanogawara.blog.jp/archives/38134436.html

名古屋から乗車する【ちくま】ですが、唯一の不安は「座れるか」でした。【ちくま】は当時12系(座席車)+14系(寝台車)使用、夏休みなど繁忙期になると床に新聞紙を敷いて寝る人もいるほどでしたが、何とかボックス席に座ることができました。【ちくま】の客車はJR西日本宮原区所属でした。

列車は名古屋近郊都市部を淡々と走り抜け、山あいに差し掛かり多治見を過ぎたあたり、中央道のライトとしばし並行する頃、修学旅行やスキー講習で信州に行ったときの思い出に浸りながら、眠りにつきました。中央道とは中津川付近で右手に分かれ、【ちくま】は深夜の木曽谷を縫っていきます。

篠ノ井線に入り松本に到着する頃、目が覚めました。4時台の早い時間だったと思いますが、松本駅で大半の客は下車。きっと上高地や穂高岳、北アルプス方面への登山ハイカーたちでしょう。この先、終点長野まで空気輸送で、少しひんやりし、爽やかな高原の朝を実感。篠ノ井線といえば、スイッチバックのある姨捨の絶景が見どころですね。

篠ノ井から信越本線に合流し、朝6時ごろ長野に到着。

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長野駅にて 新幹線開通前は寺院風の駅舎だった

さっそく長野駅で下車しました。北陸新幹線開通(1997年)前の長野駅は善光寺をイメージする寺院風の駅舎で味わい深かったと思います。1998年長野五輪開催決定の広告PRも目立っていましたね。長野でたぶん朝食を買ったと思います。なんばの「南海そば」で早めの夕食をとって以来、ほとんど食わずだったはずで、空腹だったのでしょう(もしかしたら名古屋駅ホームできしめん食べたかもしれません)。何を食べたのか覚えていないが、信州の郷土食・おやきを買って食べたのかもしれません。おやきの中身は特に野沢菜が好きです。

当時、長野駅に乗り入れる川中島バスには、京阪バスなどから中古車が大量に流れ込んでいたようです。初期冷房車の三菱ふそう(MR470・Bタイプ、MP117)が多かったようですね(他に京阪宇治交通・東京都営・京王などからも)。翌年以降、長野電鉄に同じく京阪バスから日野RCが続々転入してきたようです。この情報を早く知っていたら、長野のバスを楽しむこともできたでしょう。

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長野駅に停車中の115系長野色(1代目)

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快速「モーニングライナー」も走っていた

長野から折り返し信越本線を南下し、上田・小諸を経て中軽井沢まで乗車しました。信越本線軽井沢-篠ノ井間は北陸新幹線開通後、並行在来線ということで第3セクターの「しなの鉄道」に転換されました。合わせて碓氷峠区間の難所ある横川-軽井沢間は廃止。

中軽井沢駅で降りてみたものの、駅前は特別賑わっているわけでもなく、リゾート高原の代名詞「軽井沢」という名前に騙された気分でした。もう一つ先の軽井沢駅まで乗るべきだったかも(笑)。ただし、軽井沢町役場は中軽井沢駅が最寄です。

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中軽井沢駅



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身延線で活躍していた115系です(1991年、甲府にて)。

身延線はかつて、飯田線とともに旧型国電の巣窟でした。身延線に115系が投入されたのは1981年。身延線用には暖地用の2000・2600番台が投入されました。広島地区用の2000番台と基本仕様は共通ですが、身延線の低断面トンネルに対応してモハ114-2600番台が作られました。塗装は、国鉄としては珍しい地域色「ぶどう色」が配され、ぶどうの盛んな甲州地方をイメージしたものでした。

しかし、JR東海に移管後、在来の国鉄型車両はJR東海カラーに統一される方針となり、113・115系については国鉄標準色である「湘南色」に統一されました。身延線用の115系ももちろんこの湘南色に塗り替えられ、早くも「ぶどう色」が姿を消すことになりました。

身延線用115系は1981年製造にもかかわらず非冷房で登場(冷房搭載準備はなされていたが)。JR東海に移行されて冷房改造が行われ、クーラーの形は国鉄タイプの集中型AU75ではなく、JR東海独自の分散型クーラーが搭載されました。


JRと名鉄とのノーラッチの駅はどれだけ存在するのか調べてみました。

2021年5月現在、以下の2駅が該当します。

豊橋(名鉄名古屋本線、JR東海道本線・飯田線・新幹線)
弥富(名鉄尾西線、JR関西本線)


もっとあるかと思っていましたが、意外にこの2駅だけのようですね。

一番ネタ要素が強いのは豊橋駅でしょう。

豊橋駅の在来線・名鉄線ホームは、1・2番線は飯田線、3番線は名鉄、4~8番線は東海道本線の列車が発着します。名鉄ホームが飯田線と東海道本線に挟まれるポジションですね。

さらに飯田線の豊橋ー平井信号場間3.9kmは名鉄との共用区間となっています。この間の船町・下地の2駅には飯田線の列車は停車するが名鉄(快速特急・特急・急行)は全列車通過扱いです。

関西本線の弥富駅が名鉄と接続しているのも意外に思いました。並走する近鉄名古屋線にも弥富駅があるが、100m離れており、改札内での乗り換えは不可能です。

三重県の津・松阪・伊勢市駅では改札内で近鉄・JR(紀勢本線、参宮線、名松線)の乗り換えが可能であり、近鉄からJR・伊勢鉄道線を介して間接的に名鉄へのノーラッチもやろうと思えばできます。2020年9月までは桑名駅でも近鉄・JRの改札内乗り換えが可能だったが、駅舎改築工事完成に伴い不可となりました。

なお、近鉄名古屋駅と名鉄名古屋駅の間には連絡改札口が設置され、乗り換えはとても便利です。かつて近鉄と名鉄の相互乗り入れもあったようですが(現在は軌間が異なることもあって不可能)。

そういえば、かつて名鉄神宮前を起点に鵜沼からJR高山本線に直通する気動車特急【北アルプス】がありましたね。最盛期には富山まで運転され、さらに富山地方鉄道に直通する壮大なルートでした。地下駅(名鉄名古屋)に気動車が乗り入れていたのも珍しいですね。


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JR東日本長野車両センター(長ナノ)115系(廃車)の運用範囲は地味に広いと改めて感じました。

115系の後継として現在運行中の211系も含め、JR東日本長野支社所属の車内掲示用路線案内図がその全てを物語っており、

中央東線(立川~塩尻)
小海線(小淵沢~小諸)
北陸新幹線(前橋~糸魚川)
篠ノ井線(塩尻~篠ノ井
大糸線(松本~南小谷~糸魚川)
しなの鉄道(軽井沢~篠ノ井、豊野~妙高高原)
えちごトキメキ鉄道(妙高高原~直江津~糸魚川)
飯山線(豊野~越後川口)
飯田線(岡谷~飯田)
中央西線(塩尻~中津川)


の各駅が表記されているはずで、JR東日本のほかJR東海(中央西線・飯田線)、JR西日本(大糸線南小谷-糸魚川間)、しなの鉄道、えちごトキメキ鉄道までご丁寧に掲載しているとは壮観ものですね。都道府県では東京・神奈川・山梨・群馬・長野・岐阜・新潟の7つに及び、他ではなかなか見ることのないものと思われます。東京近郊区間(新宿~立川~松本間ほか)とキハ120の走るJR西日本の非電化路線が1枚の路線図に描かれているのも、興味深いですね。

長野支社115系の方向幕には、新宿・立川・八王子・前橋・飯田・天竜峡・中津川・妙高高原・直江津、そして旧・北陸本線(→えちごトキメキ鉄道)の能生までが入っていました。廃止された信越本線横川-軽井沢間を含め、東京都内の駅名から岐阜県のJR東海、さらにJR西日本北陸エリアの駅名までが含まれ、運用範囲がいかに広いのかを実感させます(そもそも長野県自体、南北に長く面積の大きい全国屈指の県)。

中央東線・篠ノ井線(塩尻~松本間)には、長野支社(長野色)のほか、八王子支社所属の山スカ色115系も走っていました。 かつて新宿発の夜行普通列車にもこの山スカ色115系が使用され、八ヶ岳・駒ヶ岳や上高地などへの登山客が多いことから「山男列車」して親しまれていました。

長野(信州)エリアには、このほかJR東海静岡区の湘南色115系が飯田線から快速【みすず】として、中央東線・篠ノ井線経由ではるばる長野駅まで乗り入れていました。国鉄時代の信州では、湘南色115系もごくありふれた存在だったが、JR東日本車が長野色に塗装変更したため、希少な存在になってしまいました。


SNSで「青春18きっぷ静岡問題」がさりげなく盛り上がっているようです。

「青春18きっぷ静岡問題」とは、青春18シーズンにおける東海道本線静岡県区間(熱海-浜松-豊橋間189km)のこと。すなわち、 この区間を走る列車は普通列車(各駅停車)ばかりで大半はロングシート車(さらにトイレ無しの列車もあり)、なおかつ列車自体3~4両の短編成ゆえ混雑しやすく、「青春18」利用者にとっては長い「苦行」を強いられる区間(最悪の場合、長時間の立ちんぼすら覚悟しないといけない)であるという問題です。

東京~大阪間を格安で移動するとき、「青春18きっぷ」は一つの有力な選択肢でしょう。新幹線の【のぞみ】に乗れば2時間半で到達可能ですが、普通・快速列車のみしか使えない「青春18きっぷ」だとその3~4倍の所要時間はかかり、少なくとも「半日間の修行」は覚悟しなければなりません。東京近郊区間ではグリーン車を利用したり(「青春18」+グリーン料金で利用可能)、また豊橋以西の名古屋・大阪近郊区間では転換クロスシートの新快速などで快適に距離・スピードを稼ぐことができるが、両者の谷間にあたる静岡県区間は修羅場ですね。

この苦痛な静岡県区間も少し工夫すれば、快適で楽しい旅に変えてしまうこともできます。

「最速の乗り継ぎ」にこだわるからこそ疲れるのであり、余裕を持たせて静岡県内の駅で途中下車して、観光やグルメを楽しむのです。沼津のアジ、焼津のマグロ、浜松のウナギや餃子など、美味しいものがいっぱいあるし、富士山・由比海岸・浜名湖などの景色を楽しむもよし、大井川鉄道や天竜浜名湖鉄道ほか魅力的な私鉄に寄り道するのもよし。

先を急ぎたい場合も、乗り継ぎ列車を1本見送るとか、「次に乗り継ぐ列車の始発駅」(沼津・興津・島田など)で乗り換えるなどの工夫で、長時間座ることができます(もちろんロングシートですが)。東海道本線は列車本数が多く、比較的沿線人口の少ない静岡県区間でも毎時3~4本の列車が確保されているので、列車1本乗り遅れたとしても、そんなに遅くなるわけではないでしょう。

もちろん、新幹線でワープするのも一つの賢い手段。新幹線に乗るのなら、静岡県区間を目一杯乗り通し、空いている【こだま】でゆったりビールと駅弁で行きたいところですね。満員のロングシートだとそうはいかないでしょう。

中央本線経由のルートももちろんありですが、特に塩尻-中津川間は列車本数が少なく所要時間もかかるので、やはりそれなりの修羅場には変わらないでしょう(下手すれば東京~名古屋間を通してロングシート車乗り継ぎの旅となる覚悟もいる)。反面、山や高原の景色は魅力的でしょう。塩尻-中津川間の木曽谷区間はせっかく景色がすばらしいので、混雑する普通列車(基本的に2両編成)を避けて特急【しなの】でワープしてしまうのもありですね。


JR東海の新型通勤型車両315系の製造計画が決定しました。

2021年1月29日、日本車輌が315系352両(65編成)を一括受注したと発表。 納入予定時期は以下の通りです。

2022年3月期 56両(7編成)
2023年3月期 56両(8編成)
2024年3月期 120両(20編成)
2025年3月期 64両(16編成)
2026年3月期 56両(14編成)

最高速度130km/h、JR東海の在来線車両としては初めて非常走行用蓄電池が搭載されます。

315系投入に伴い、211系・213系(5000番台)・311系は全て置き換えられ、JR東海から国鉄型車両が姿を消すことになります。以降、通勤・近郊型電車は313・315系で統一されることになりますね。

編成長は4両または8両編成のようです。短編成の多いJR東海在来線において8両は驚きですが、おそらく混雑率の高い中央本線で運用するのでしょう。飯田線で使用中の213系(2両編成)の代替車も気になりますね。


日本車両、JR東海の新型「315系」352両を一括受注(鉄道チャンネル)
https://tetsudo-ch.com/11147038.html



昔、20歳前後の頃、ある虚無感のようなものに嵌り、うつ状態に陥ったこともありました。

私は中学・高校時代より国鉄・JRの「乗り鉄」にこだわり続け、なるべく多くの路線・区間に乗ることが第一でした。 学校の春・夏・冬休みには「青春18きっぷ」を使って日帰り可能な近畿・東海・北陸地方を中心に乗り回ってきました。大学生になると夜行列車や周遊券なども使い、首都圏・信州・九州・東北へと行動範囲を広げました。

ただ、3回生になって、あれこれ何かと忙しくなったこともあり、旅行もあまり行かなくなりました。「青春18きっぷ」を使おうにも、日帰り可能な近畿・東海・北陸エリアの路線は大部分乗ってしまったがゆえ、虚無感のようなものに襲われることさえあり、あまり気が乗りません。

「乗り鉄」と並行して自転車旅行もやってきたが、同様に日帰り可能なエリアは(一応)ほぼ一通り回り尽し、急激に遠征意欲も減退。その途端、風邪を引きやすくなって、運動不足や体力低下を嘆くようになります。サイクリングに代わるスポーツ(草野球でもテニスでもサッカーでも)を何か手軽に楽しみたいと思ったりもするが、なかなか時間・場所・相手が見当たらないと愚痴る始末でした(→中学・高校の体育の先生から「君、体育も部活もちゃんとやらんかったからやろ、今更泣き言並べても遅い」と説教されそうで、ある意味自業自得)。

今から思えば、大学時代(特に2~3回生の頃)の自分は、かなり滅茶苦茶だったようです。旅の限界虚無感もその一環でしょう。

* * * *

しかし、この虚無感は1年ほどで解消。「乗り鉄」の新たなテーマを一つ見つけました。

国鉄急行型車両(165系、475系、キハ58系ほか)に乗ること

JRになってから、国鉄型車両は各地域ごとの独自カラーに塗り替えられる中、旧来の国鉄時代の塗装のままの姿が新鮮に映るようになりました。国鉄時代の急行全盛期の姿を保っていた【東海】【丹後】も終焉を迎え、急行型車両は一つのブームでしたね。

近畿・東海周辺には、山陰本線・紀勢本線・北陸本線・中央西線などの普通列車で急行型車両が多く残っており、「青春18きっぷ」でリピート訪問するようになります。特に風光明媚な紀勢本線や中央西線の国鉄色をよく追いかけていたものですね。そのうち、深みにはまって現実逃避に傾くようにもなるが・・・。

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日常の通勤・通学で利用する近郊型電車についても、221系や223系が台頭しつつある中、113系や115系が来ると、国鉄時代の汽車旅気分が味わえて嬉しく思うようになったものです。

* * * *

国鉄急行型車両も完全引退へのカウントダウンが始まり、国鉄時代も遠くなりにけりと感じた頃からか、「昭和の町並み風景」が私の旅の新たな追求テーマになったと思います。

単純な「乗り鉄」一辺倒だった少年時代の頃に比べ、自分自身成長したつもりでいましたが・・・。これもなかなか難しいもので、拒絶の壁にぶち当たって自信喪失に陥り、自暴自棄になったこともあります。しかし、結局のところ、やはり私自身の不徳でしょう。何年も思い悩んだ末、突破口への近道は

趣味人である前に、大人になること

だと思いました。



東海道本線は天下の大動脈とあって全線電化も早く、東京を主な拠点として80系湘南電車や153系急行型電車(「東海型」とも呼ばれる)、181系特急【こだま】、そして113系近郊型電車など、中・長距離電車発祥の地で知られます。一方、大阪口では大阪鉄道管理局の意地で都市間連絡速達列車のポジションである新快速用として117系近郊型電車を導入。117系はその後名古屋近郊区間の輸送改善と合わせ同地区の快速用にも投入されました。

一方、分岐する支線等へ直通する関係上、一部区間で気動車の出入りも多く、現在も名古屋以西では定期の気動車列車が運行されています。

該当する列車は、

特急【ひだ】      名古屋-岐阜-高山・飛騨古川・富山、
            大阪-岐阜-高山(キハ85系)
特急【スーパーはくと】 京都-鳥取・倉吉(智頭急行経由)(HOT7000系)
特急【はまかぜ】    大阪-浜坂・鳥取(播但線経由)(キハ189系)
特急【びわこエクスプレス】 大阪→草津(キハ189系)


2015年以前は武豊線が非電化のため、大府-名古屋間には武豊線直通の普通・快速列車が気動車(キハ75系、キハ25系)で設定されていました。

国鉄時代~JR初期まで、北陸本線からの気動車普通列車が米原-彦根間の1駅だけ直通していました(北陸本線米原口では交直流セクションの関係上、一部の普通列車は気動車だった)。

福知山線との重複区間である新大阪・大阪-尼崎間でも、一部の特急・急行列車は気動車でした(国鉄時代は全て気動車または客車だった)。2004年の急行【だいせん】(キハ65「エーデル」)廃止を最後に、福知山線の優等列車はほぼ全て電車化されましたね。

大阪【ひだ】(急行【たかやま】の生まれ変わり)が現在も存続しているのは奇跡的ですが、キハ85系の後継車登場後、どうなるんでしょうか?

東海道本線最後の客車普通列車は草津線からの直通(50系+DD51)で、 JR発足後も2年間存続しました。


ICカード(Suica)の普及に伴い、JRの東京近郊区間はここ10年ほどの間、超大型に拡大しました。千葉県の房総各線(安房鴨川・銚子まで)、中央東線・篠ノ井線(松本まで)、常磐線のいわき浪江、水郡線の一部も近郊区間に含まれ、福島県いわき市浪江町から長野県松本市までの広範囲に及びます。

さすがに東京近郊区間のこれ以上の拡大余地は殆どないでしょう。

仮に拡大するとすれば、実現可能性は低いがJR東海エリアの静岡県ぐらいでしょう。

東海道本線(熱海-静岡)、御殿場線、身延線

あたりは、東京駅から150km圏内なので、本来は含まれていても不思議ではないですが、会社境界を挟むので、難しいでしょう(ちなみに伊東線は近郊区間に入っています)。

ほかには、

東北本線(黒磯-郡山)、水郡線(全線) 、小海線(全線)

が入っていてもおかしくはないが、東北本線の矢吹-郡山間は仙台近郊区間と被りますね。



1998年1月の週末、岐阜県中津川市のイベントに参加するため、「青春18きっぷ」で寄り道の旅をしました。当日、京都府綾部市に寄るため、やや変わった乗車ルートを取りました。

まず、京都駅から綾部まで少し急ぎたかったので、特急【きのさき】(183系)に乗車。綾部で所用(というほとでもないが)を済ませたあと、舞鶴線・小浜線・北陸本線経由で名古屋から中津川をめざします。舞鶴線・小浜線は非電化で、キハ58系がワンマン普通列車として最後の活躍中でした。実を言うと、このキハ58系に乗ることも一つの目的でしたね。舞鶴線はキハ47だったかもしれません。舞鶴線は翌年秋に電化されました。

東舞鶴で舞鶴線から小浜線に乗り換え。舞鶴線のキハ58系(福フチ)は国鉄急行色なのに対して、小浜線(金ハマ)は派手な青の小浜線カラーでした。かつて、東舞鶴と名古屋を直通する臨時急行【エメラルド】が海水浴シーズンに運行されていましたね(さらに昔は名古屋と山陰を結ぶロングラン【大社】もあった)。山陰本線園部-綾部(福知山)間電化後、小浜線の優等列車は急行【わかさ】が細々1往復だけ残るが、これも舞鶴線電化で廃止。舞鶴線に4年遅れて小浜線も電化されました。

敦賀-長浜・米原間は475系または419系交直流電車でした。米原-大垣・名古屋間は117系だったかもしれません。JR東海の117系は2013年までに引退しました。

名古屋からの中央西線は211系快速だったと思います。中津川から先、165系に乗って木曽路を楽しみたいところですが・・・。駅前のホテルに1泊しました。風呂は屋上の大浴場だったのは良かったです。ホテル宿泊時の入浴といえば個室のシャワーが一般的だけど、できれば大浴場なり近くの銭湯に入りたいところ。

翌日の帰りは、駅前の食堂で名物釜めしを食べたあと、単純に中津川~名古屋~(東海道本線経由)~京都の乗車ルートでした。大垣で途中下車し、名阪近鉄バスの京阪移籍車を見てみたが、RCは姿を消してしまったようで、P代のHTに入れ替わっていました。


185系引退とともに注目の臨時夜行快速【ムーンライトながら】(東京-大垣間)。

「青春18きっぷ」で乗車できることから根強い人気を保っているが、年々運転日数は減らされ、185系の引退とともに消滅するのではとの見方が有力でした。

今年の夏は、新型コロナ感染拡大もあり、運転されないようです。

「大垣夜行」以来の長年の伝統列車も、このままなし崩し的になくなってしまいそうですね。

「青春18きっぷ」ユーザーには好評であっても、近年の格安高速バスやホテルの台頭で、夜行快速列車以外の「安い選択肢」が増えているのは事実と受け止めざるを得ないでしょう。そこを、JR西日本の「West Express 銀河」(117系を改造した夜行特急。今年5月運行開始の予定だったがコロナ感染拡大により延期)のように、「鉄道で移動することそのものを楽しむ」をコンセプトにした新しい夜行列車設定が望まれるところですが、運行区間がJR東日本とJR東海に分断されていては、実現は難しいみたいですね。


東海道本線の夜行列車「ムーンライトながら」2020年夏は設定見送り
https://news.yahoo.co.jp/articles/134cd93d5c1de9805613809223131133d250a2aa



 


JR東海に唯一残る国鉄時代の車両となった近郊型電車211系0番台。

211系0番台は国鉄時代末期1986年、首都圏の東海道本線に初めて投入されました。同年11月のダイヤ改正では、名古屋地区に4両編成×2本を導入、そのままJR東海の所属となります。

211系0番台の特徴といえば、113系と同様のセミクロスシート車であることでしょう。 その後、JR東海独自で量産される211系5000番台はロングシート車なので、211系0番台は貴重なセミクロスシートです。211系0番台の編成は

(←東京方)クモハ211-モハ210-サハ211-クハ210(大阪方→)

ですが、クモハ211の0番台はJR東海所属のみの希少形式です。

名古屋地区に投入された211系0番台は、当初、東海地区独自の青帯に白のピンストライプを入れた独自カラーで、神領電車区(→車両区)配置でした。主に東海道本線の快速などで第一線の活躍をされていましたが、転換クロスシートの117系に比べて接客設備が劣ることもあり、ほどなく普通列車中心の運用に回ることに。カラーデザインも211系5000番台などに合わせ、湘南色(→JR東海カラーに位置づけ)に変更、首都圏の211系と同じ姿に。211系と同じイメージのカラーは、103・119系やキハ11、およびキハ40系にも採用されました。211系0番台は1989年、大垣車両区へ転属。

211系0番台は、その後、1999年に最高速度120km/hに対応への改造工事を受けます。東海道本線への313系の大量増備と高速ダイヤに移行することが理由です。合わせて台車へのヨーダンバ設置やブレーキの増圧対応工事も施されました。また、211系5000番台や311系、313系などとの併結も可能です。

一時期、最高速度120km/h性能を生かして東海道本線の新快速などに抜擢されることもありました。2011年以降、再び神領車両区所属となり、主に関西本線の朝・夕ラッシュ時の列車で使用され、現在に至ります。

211系0番台は同5000番台や213系5000番台、311系ともども、来年以降315系に置き換えられる予定です。

なお、中央本線・篠ノ井線中津川~松本間ローカルおよび飯田線北部には、JR東日本長野総合車両センター所属の211系(1000・2000・3000番台)も使用されます。外観・基本仕様は0番台と共通ですが、1000番台はセミクロス車、2000・3000番台はロングシート車であり、ロングシート編成の比率が高いです。長野センターには0番台も配属されているが、6両編成で立川~松本~長野間のみの運用をこなし、JR東海区間に乗り入れることはありません。


185系の余命宣言が出され、臨時快速【ムーンライトながら】(東京-大垣)も昨年末限りではと思われていましたが、今春も運転すると発表されました。

3月下旬に計18本運転、運転日は

●下り(大垣行き)
3月20日~28日

●上り(東京行き)
3月21日~29日

(運転日は始発駅基準)

の予定です。

今春より、 特急【踊り子】には豪華仕様の新型車両E261系(全グリーン車)を導入すると同時に、レギュラークラスの列車にE257系を改造転用し、185系などを置き換えることが決まっています。車両代替に伴い、JR東海区間(熱海-三島間)に跨る修善寺【踊り子】の存廃が心配されていたが、修善寺直通にも対応した仕様に改造されているようで、ひとまず安堵というところでしょう。

問題は、【ムーンライトながら】。185系が引退すれば、そのまま自然消滅になってしまうのでは、との見方が有力ですね。臨時列車化以降、年々運転日数は縮小傾向にあり、「青春18きっぷ」以外の利用者が減少しているとのことで、先細るばかり。JR東海区間乗り入れE257系が後任にとの期待もあるが、如何に・・・

臨時夜行快速「ムーンライトながら」今春は計18本運転(乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/93019




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JR東海在来線に久しぶりの新形式電車が登場することになりました。
315系です。中央西線などに投入予定とされています。

これにより、国鉄末期~JR初期に投入された211・213・311系が引退する模様です。国鉄の面影を伝えるものが完全に消えることになりますね。制御方式も313系以降のVVVFに統一されます。

また、【ひだ】【南紀】で活躍中のキハ85系特急型気動車も、2022年度までに発電機搭載電車HC85系に置き換えられる予定です。
 


1996~97年頃、紀勢本線や山陰本線のキハ58系とともに、中央西線の165系国鉄急行色を熱心に追いかけていました。中央西線木曽路ローカル(中津川-塩尻・松本)で活躍する165系に乗りたくて、「青春18きっぷ」で松本日帰り旅行に何度か出かけたものです。 

京阪神から松本までの「青春18きっぷ」での日帰りは、かなりハードなスケジュールとなります。一番のネックは、中津川での接続。中津川ー塩尻・松本間は普通列車の本数が少なく、うまい具合にプランを立てる必要があります。木曽路ローカルには、JR東海神領区165系に加え、JR東日本松本区の169系(長野色)も2往復運用に入っていました。名古屋-中津川間の快速電車は基本的にロングシートの211系5000番台だが、さほど苦痛ではありませんでしたね。

松本では、確か松本城まで一度歩いたこともあるし、松本電鉄バスには京阪バス中古の三菱ブルドック(K-MP118)が大量にいて、乗車したこともあります。ちなみに、大垣の名阪近鉄バスには京阪中古の日野RCがいました。松本の駅弁「安曇野釜めし」「月見の五味めし」をはじめ、中津川の釜飯駅弁、名古屋駅ホームのきしめんなど、満足なB級グルメの旅でもありました。

帰りのルートは、名古屋から関西本線ルートを選ぶことも多く、つい調子に乗って、加茂から天王寺まで区間快速大阪行きに乗り通す遠回りをすることも(木津で学研都市線に乗り換えることもあるが)。素直に東海道本線経由を選んだ場合、高槻から枚方行きのバスに乗ろうと思ったら、最終便が行ったあとなので、仕方なく大阪・京橋を回るということもありました。

当時、中央西線では、木曽路ローカルの定期列車以外にも、長野五輪(1998年)を控えたこともあり、JR東海はもとより、JR西日本の165系も臨時列車などに総動員され、最後の花道を飾ったものです。五輪期間中に名古屋-長野間に臨時急行【安曇野】が神領区3連口×3本の9両編成で運用され、【きそ】【赤倉】など往年の電車急行の姿を髣髴とさせるものでした。また、長年の伝統として、大阪発着で運転されてきた臨時急行【ちくま】【くろよん】には日根野区の3連口が充当され、普段は紀勢本線ローカルに使用されるが、国鉄時代末期に松本から渡ってきたものであり、信州への里帰りを果たしたことになります。


JR東海の在来線では、国鉄型車両は211系0番台を除いて全て引退しました。

1990年代のJR東海管内においては、165系国鉄色の急行【東海】【富士川】や中央西線ローカル、 紀勢本線のキハ58系国鉄急行色などが現役で、国鉄スタイルが鉄道ファンから注目を集めていました。2001年までに165系とキハ58系は全廃。同時期に中央西線名古屋口普通電車用103系なども廃車されました。特急【しなの】用381系も、まださほど古くはないが、383系に置き換えられ、一足お先に引退しています。

その後も残った国鉄型車両も、113・115系電車は2007年までに、そして117・119系も2013年までに全廃されます。気動車については、キハ58系なきあと、キハ40系(キハ40・47・48)が高山本線や紀勢本線などで活躍を続けるが、2016年までにキハ25系に置き換えられ、退役。

JR東海における国鉄型車両は、国鉄末期1986年に名古屋地区に投入された211系0番台4連口×2本のみとなっています。登場当初、青帯を配するカラーデザインの姿で、JR誕生を前に国鉄スタイルから脱却した新鮮な印象を与えました。当初は主に東海道本線の快速電車に使用されるが(一時期、新快速の運用に充当されたこともある)、オール転換クロスシートの117系に比べて接客設備は劣り、その後の311・313系登場に伴い、脇役に降りることに。カラーデザインも、JR発足初期に量産された211系5000番台と同じ湘南色(首都圏に投入された211系と同じもの)に変更され、0番台との外観スタイルでの見分けがつきにくくなりました。211系0番台は、現在神領車両区の配属で、中央西線名古屋口と朝夕の関西本線の運用に入っています。


主に紀勢本線(きのくに線)紀南ローカルで活躍していた165系急行型電車。

もともと南近畿に急行型電車は馴染みが薄く、1978年紀勢本線電化後も急行【きのくに】は気動車のままで残りました。1985年3月ダイヤ改正で紀勢本線の定期急行列車は全廃、和歌山-新宮間は特急【くろしお】に一本化されました。しかし、国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正で、紀勢本線に165系が登場。中央東線【アルプス】(松本運転所)から日根野に転属、主に紀伊田辺-新宮間の普通列車、および天王寺→新宮間の夜行列車(新宮夜行、1990年より新大阪発に延長)で余生を過ごすことになります。165系と引き換えに、客車(12系)普通列車は新宮夜行も含めて全廃。紀南ローカルの主役だった113系(青帯)4連口は、福知山線電化用として800番台に改造、改正前の一時期、福知山色の800番台が紀勢本線にて暫定運用をこなしました。 

日根野電車区所属の165系はモノクラスの標準的な3連×11本の陣容、JR西日本に継承されました。紀勢本線の普通列車中心に活躍するが、急行型であることから、近畿南部の臨時・団体列車に使用されることもしばしば。

1997年~2000年にかけて、日根野の165系は紀州路を離れ、中央西線経由の臨時急行【ちくま】【くろよん】として、JR東海・東日本エリアの長野や南小谷まで遠征を果たすことになります。臨時【ちくま】【くろよん】には、もともと宮原区の165・167系4連口×2本が使用されていたが、老朽化により日根野の165系が使用されることになりました。日根野165系にとっては、信州への「里帰り」を果たしたことになります。

中央西線中津川-塩尻・松本間ローカルでは、当時主に国鉄急行色165系3連(JR東海神領車両区)が使用されており、JR西日本の同じ国鉄色165系との顔合わせシーンには感慨深いものだったことでしょう。ちなみに、神領の165系は天理臨で奈良線・桜井線に乗り入れたこともあります。

同時に165系の老朽化も目立ち、代替車両の検討が問題になっていました。紀南ローカルは桜井・和歌山線で使用中の105系に置き換えられることに。急行型ボックスシートからいきなりロングシートにダウングレードし、「青春18きっぷ」での紀勢本線の旅を敬遠する人も増えたことでしょう。新宮夜行も2000年に廃止され、紀南ローカルから撤退。165系は和歌山-紀伊田辺間の普通列車で最後の仕事をこなします。2002年春、165系は117系に置き換えられ引退。引退を前に、山陽新幹線岡山開通30周年記念として、山陽急行【鷲羽】リバイバル運転(新大阪-宇野)で最後の花道を飾りました。

なお、JR東海の165系は2001年までに引退しています。


年々運転日が減らされる臨時夜行快速<ムーンライトながら>。

<ムーンライトながら>は東海道本線東京-大垣間にて運行される夜行快速列車。もとは、定期普通列車のいわゆる「大垣夜行」であり、 急行<東海>(153系→165系)の編成を使用。大垣夜行は「青春18きっぷ」だけで乗車できることから、シーズンには人気のある列車でした。しかし、運用区間がJR東日本とJR東海に分割、165系の老朽化も目立ち、急行<東海>とともに前途が気になるところだったところ、1996年新型車両373系(JR東海所属)に置き換えられることに。急行<東海>は373系の特急<東海>、大垣夜行は座席全指定の快速<ムーンライトながら>にそれぞれ生まれ変わりました。ただ、165系時代はグリーン車(サロ)2両連結されていたのが、373系は普通車のみに。せっかく新車に置き換えられたのだから、<ムーンライトながら>は安泰かと思いきや、2007年には<東海>廃止、<ムーンライトながら>も2009年より臨時列車に格下げに。JR発足当初は、JR東日本とJR東海が調整して大垣夜行続行便まで出していましたが・・・。

臨時列車化後は「青春18きっぷ」シーズンのみの運転となるが、年々運転日は減らされています。この夏の運転日は8月中のうちの17日間に決まりました。使用車両も373系から、のちにJR東日本の183系そして185系に替わるが、185系の引退も決まり、<ムーンライトながら>の存続が危ぶまれています。185系の後継にE257系が改造転用される予定ですが、JR東海管内への乗り入れはどうなるのか微妙なところ。わずかな区間ながらJR東海管内に乗り入れる修善寺<踊り子>も、廃止の可能性が取り沙汰されています。


篠ノ井線はJR東日本管内ですが、JR東海の313系電車が乗り入れています。

篠ノ井線に直通する313系の運用ルートは、2通り存在して面白いです。

まず、一つは中央西線の普通列車(中津川~塩尻~松本)。基本的に篠ノ井線の塩尻~松本間に直通しており、長野県木曽地方と「副県都」(というべきか)の松本市を結ぶローカル輸送を担っています。 中央西線の普通列車は基本的にJR東海313系の2両編成(ワンマン)使用ですが、2往復はJR東日本長野区の211系が担当しています。211系はロングシートとクロスシートが混用されており、ロングシート編成は景色の良い木曽路の旅を楽しむのには残念な車両です。平成初期の頃は、JR東海担当は国鉄色165系、JR東日本担当は長野色169系を使用、急行型電車に乗ることのできる「天国」でした。

篠ノ井線に乗り入れる313系のもう一つのルートは、中央東線~飯田線。経路は少々複雑で、中央東線旧線の小野経由ではなく、塩尻~(中央東線・みどり湖経由)~岡谷~(中央東線・旧線)~辰野~(飯田線)の大回りです。飯田線は全線JR東海の管内となっています。面白いことに、JR東海・東日本境界の塩尻駅と辰野駅が、目と鼻の先にあります。

該当する列車は、以前は快速<みすず>として、長野まで直通することにより、伊那地方と県都を結んでいました。国鉄時代は急行<天竜>(→<かもしか>)でした。現在は、松本以南の列車名称無しの普通列車として運行されています。線形が悪くて私鉄並みに駅数の多い飯田線では、スピードアップは望むべくもなく、県内広域移動の交通手段としては、並行する中央自動車道を走行する高速バスに完敗です。

篠ノ井線~飯田線直通列車は、JR東日本とJR東海が共同担当しており、JR東海担当分は313系、JR東日本担当分は例によって211系をそれぞれ充当。中央西線ともども、長野地区では貴重な転換クロスシート車となっています。かつては、長野駅まで足を伸ばしていましたが(313系置き換え前は湘南色115系が長野に顔を見せていた)、松本以南の運用に後退。

飯田線直通の313系は、3両編成を使用、中央西線ローカルとは独立運用となっています。JR東日本の中央東線に、JR東海の車両が乗り入れていることは、意外な感じもします。昨年、長野ディスティネーションで383系使用の臨時特急が名古屋-上諏訪間にて運行されたことは、記憶に新しいです。


2007年までに引退したJR東海の113系。

JR東海の113系は国鉄時代の湘南色(かぼちゃ色)そのままで、JR西日本N40のような大規模な改造を受けずに原形姿を保ち、国鉄を味わうことのできる車両の一つでした。

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車内です。
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 座席背もたれ上部に白カバーが掛かっている以外は、国鉄時代のままでした。


国鉄・JRの旅客列車番号について。

列車番号の末尾に付いているアルファベットは、国鉄時代は原則として、

M         :電車
D         :気動車
他のアルファベット :東京・大阪の国電
アルファベット無し :客車

を表していました。大阪の国電区間では、

C :東海道・山陽線(JR京都線・神戸線)緩行
T :東海道・山陽線快速
K :関西線(大和路線)
H :阪和線
無し:大阪環状線(普通電車)

という感じです。

しかし、JR発足後、この原則も崩れるようになります。JR誕生から2年後、JR東海管内の気動車列車に「C」の付くものが現われます。時刻表の紀勢本線・参宮線・名松線・高山本線などのページで初めてこの表記を見て、「あれっ、これどういうこと?」と思いましたが、新型一般型気動車キハ11形が登場してワンマン運転を開始するので、ワンマン運転の対象となる列車に「C」が付くものと判明。

列車番号「C」といえば、京阪神地区の東海道山陽緩行(普通)の青い電車(103・201・205系)をイメージされる方も多く、俗に「C電」とも呼ばれています。現在の207・321系にも受け継がれており、JR京都線~JR宝塚線(福知山線)および学研都市線(片町線)~JR東西線~JR神戸線直通の普通電車も「C電」となっています。


1995年8月、「青春18きっぷ」で木曽福島まで日帰りの旅に出ました。

早朝の京都駅から東海道本線で米原・大垣乗継で名古屋。名古屋から中央本線(中央西線)に乗るわけですが、中津川以東の普通列車の本数が概ね2時間に1本と少なく、 正午ごろの中津川発松本行きまでかなり余裕があったので、名古屋駅で少しぶらり。おそらく駅ホームスタンドのきしめんで腹ごしらえしたかと思います。

その後、快速・中津川行き(211系)に乗り、中津川駅で乗り継ぎ時間を利用して駅弁「木曽路釜めし」を購入しました。松本行き普通列車は国鉄色165系で、夏の木曽路の景色を眺めながら釜飯を味わいました。とても美味しく、信濃国木曽路の入口にふさわく「西の横川」ともいうべき名物駅弁だったが、数年前に中津川の駅弁は廃業されたそうです。

木曽福島で次の折り返し中津川行き普通列車の時間に合わせ、町並みを少し散策。お茶屋さんで名物・五平餅を味わいました。とても美味しく、お土産にも買って帰りました。木曽福島駅前は御岳山方面の登山客で賑わっていました。

名古屋からの帰りは関西本線経由亀山・加茂・天王寺を大回り。途中、どういう風の吹き回しなのか桑名で途中下車し、次の亀山行き普通はなんと103系! 中央西線普通電車用の103系ですが、1990年代の一時期、ラッシュ時の関西本線の運用にも入っていました。加茂からの区間快速・大阪行きも確か環状線用オレンジの103系だったと思います。



 
JR東海の車両のドア開閉チャイムですが、私は京都市バスの降車チャイムを思い出しました。
最近リニュアル工事を受けたJR西日本キハ120のドア開閉音も、なぜかこれと同じになっています。


2003年9月初旬、「青春18きっぷ」の残り1日分を使って名古屋をぶらりと訪れてみました。

乗車経路は、

高槻または京都→(東海道本線)→米原→(東海道本線)→大垣→(東海道本線)→名古屋
大曽根?→(中央本線)→名古屋→(関西本線)→亀山→(関西本線)→加茂→(関西本線)→天王寺?

だったかな・・・。 

2005年愛知万博開催および中部国際空港開港を前を控え、巷で「名古屋ブーム」が沸き起こっていた頃でした。みそかつ・エビフライ・きしめんほか、名古屋グルメが全国的にクローズアップされつつありました。2009年に初当選した河村たかし・名古屋市長はとても個性的なカリスマ性のある方で、私個人的に期待しています(今は微妙なところだが)。

確か名古屋駅からか名古屋市営バスに乗りました。名古屋市内を見物したくて、とにかくバスに乗ったんだと思います。実は名古屋市営バスの乗降方法には慣れていなくて、運転手にどうやって乗るのか尋ねてみたところ、その対応が少し冷たかった、というエピソードは今も記憶に残っています。確か前乗りだったはずですが・・・。後年、このネタをmixiの日記に書いたこともあるが、表現の仕方にいろいろ問題があって、かなりきついコメントをいただいたように記憶しています。

乗車した系統番号や経路は定かではないが、とにかく鶴舞公園までバスに乗り、そこから大曽根駅までだったかな、もう1本バスに乗って中央西線で名古屋駅に戻ったことは確か。

帰りの関西本線は、もしかしたら木津から学研都市線経由だったかもしれません。


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岐阜県西端の駅、JR東海道本線関ヶ原。

関ヶ原といえば、西日本と東日本の分界点とされることが多く、天下分け目の関ヶ原合戦などで知られる歴史ゆかりの町です。
町の北側には古くから霊峰とされる日本百名山・伊吹山(標高1377m)が鎮座しており、山頂には日本武尊(ヤマトタケル)の石像が立っています。伊吹山ドライブウェイも整備されており、琵琶湖および濃尾平野のパノラマが楽しめます。

JR関ヶ原駅には主に大垣-米原間の普通が毎時2本発着しているが、朝夕には名古屋・豊橋方面直通の快速が来ます。青春18シーズンには東海道本線にして列車本数が少なくて混雑しやすい区間であり、一つの関所として有名です。

関ヶ原駅から発着するバスは名阪近鉄バスです。
関ヶ原多良線(牧田行き)と季節運行の伊吹山行きが発着しています。

関ヶ原多良線は関ヶ原駅から南方向、大垣市(旧・上石津町)牧田をR365経由で結ぶ短距離の路線ですが、牧田バス停で多良・時方面(三重県境付近)、もしくは高田方面大垣駅前行きバスと接続するダイヤとなっています。運行本数は平日8本、土・休日4本。

伊吹山行きのバスは、主に夏休み期間中(7~9月)のみの運行(7月21~8月31日の毎日および7月14~9月17日の土曜・休日)で、1日4本です。

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JR東海の快速<みえ>などで使用されるキハ75系。その方向幕ですが、JR東海在来線主要駅のほか、いささか謎と思われる「京都」「天理」「東舞鶴」なども入っています。

「天理」は急行<かすが>の天理延長、「東舞鶴」は夏の臨時急行<エメラルド>運用を想定してのことと思われます。問題は「京都」ですが、柘植から草津線経由の<平安>を想定したものでしょうか?


JR東海と西日本を跨ぐ在来線列車も昔はかなり多かったが、大幅に減っています。現在残っているのは

<しらさぎ>【名古屋-金沢】(683系)
<ひだ>【名古屋-富山】(高山本線経由)、【大阪-高山】(キハ85系)
<南紀>【名古屋-紀伊勝浦】(キハ85系)
<サンライズ瀬戸・出雲>(285系)

のみであり、会社境界をまたぐ普通・快速列車は皆無となっています。

2年前・2016年ダイヤ改正までは

<しなの>【長野-大阪】(383系)
東海道・山陽本線快速【大垣-姫路・網干方面】(221・223・225系)

がありました。さらに2006年ダイヤ改正では

急行<かすが>【名古屋-奈良】(キハ75系)
寝台特急<出雲>【東京-出雲市】(24系客車)

が廃止、「葬式鉄」が盛り上がったことは記憶に新しいです。 

それ以前にまで遡れば、高山本線普通列車について会社境界の猪谷を越えて高山-富山間直通も多く残っていてキハ120が高山まで乗り入れていたし、大阪~信州方面列車は北陸本線経由中心で設定されるようになる中、細々と中央西線経由の急行<ちくま>が存続、12系客車から383系に置き換えられ先は安泰かと思われたが、臨時化されひっそりと消滅。

さらに面白いものとして、JR発足当初、関西本線奈良・加茂発多気行き普通列車もありました(折り返しの多気→亀山行きも含めJR西日本亀山区の気動車で運用。逆に亀山-加茂・奈良間普通列車の一部はJR東海伊勢区が担当していた模様)。もし、本州がJR東日本・西日本2社折半体制だったら、三重県内は全てJR西日本管内となることは容易に想像され、広大な設備敷地を有する亀山機関区も紀伊半島東部のローカル列車を担当する拠点としてもう少し有効に活用されていたことと思います。なお、2009年紀勢本線全通50周年記念イベントでは、亀山-白浜間直通の臨時列車がキハ85系で1往復、またJR西日本キハ181系を借りて新宮発亀山行き臨時急行を運用するなど、かなり意欲的なものでした。加えて、関西地区(姫路・和歌山方面)から伊勢への修学旅行列車も2010年まで毎年運転されていたが、キハ181系引退とともに事実上廃止。

ほかには、国鉄時代から毎年夏の海水浴シーズンに運転されていた急行<エメラルド>(名古屋-東舞鶴、北陸本線・小浜線経由、キハ58系)があります。こちらも1995年の運転を最後に消滅。キハ75系の方向幕に「東舞鶴」が入っているのも、<エメラルド>運用を想定したものと思われます。それから、北陸本線長浜直流化完成当初、名古屋方面から長浜までの臨時列車(311系など)もありました(それ以前も気動車による臨時列車を設定するというかなり思い切ったものだった)。


JR東日本とJR東海を跨ぐ列車は、信州地区を中心にかなり多く存在します。

JR発足当時に比べて両社間を跨ぐ列車は相当減りましたが、現在残っているものとして

特急<しなの>【名古屋-長野】(383系)
中央西線普通列車【中津川-松本】(313系、211系)
飯田線【豊橋-上諏訪】(213系、313系)、快速<みすず>【天竜峡-松本-長野】(211系)
東海道本線【東京-沼津】(E231系)
寝台特急<サンライズ瀬戸・出雲>(285系)
臨時快速<ムーンライトながら>【東京-大垣】(185系)

が挙げられます。

かつては、東海道本線東京-静岡間を直通する普通列車および急行<東海>などもありました。<東海>165系引退により373系特急に生まれ変わると同時に、「青春18きっぷ」シーズンに大人気の大垣夜行を座席指定の<ムーンライトながら>に代替して存続するが、その後東京-静岡間直通列車が大幅に削減、<東海>も廃止され、<ムーンライトながら>は臨時化。113系引退に合わせ、会社境界の熱海で基本的に乗り換えることになりました。臨時<ムーンライト>は現在185系(JR東日本所属)で運転されているが、185系の引退も決まっており、その後の存続は厳しいと見られています。

東京から西日本・九州各方面への寝台特急(ブルートレイン)もJR発足当時はかなり多く運転されていたが、客車の老朽化などを理由に相次いで廃止、需要が旺盛と思われていた急行<銀河>【東京-大阪】すらもまさかの廃止とは驚かされたものです。現在残っているのは、<サンライズ瀬戸・出雲>(285系)のみとなっています。ただ、近年、出雲大社が心霊スポットとして大人気で<サンライズ出雲>の利用客が多く、GW・帰省ラッシュ時などを中心に臨時便も設定されたり、また<サンライズ瀬戸>は金比羅山への観光利用を見込んで土讃線琴平まで延長運転されています。

<ワイドビューしなの>(383系)も2016年まで1往復だけ大阪直通があったが、これも廃止。俗に言う「大阪しなの」であり、JR東日本・東海・西日本3社を跨ぐ唯一のロングラン特急として注目でした。


久しぶりに過去の「青春18きっぷ」の旅についてのレポートを書きます。

今回は、2001年8月、所用で名古屋を訪れたときのこと。

乗車経路は、

【高槻】~(東海道本線)~【米原】~(東海道本線)~【名古屋】~(関西本線)~【亀山】~(関西本線)~【加茂】~(関西本線)~【王寺】~(和歌山線)~【和歌山】~(阪和線)~【天王寺】~(大阪環状線)~【京橋】

で、往路は高槻から東海道本線で名古屋、帰りは関西本線・和歌山線を寄り道するというものでした。 

まず、高槻からの快速・米原行き(221系)は朝ラッシュ時間帯にさしかかり、ほとんど立ちっぱなしでした。大阪・京都方面から滋賀県への通勤・通学客も多く、これを甘く見てはいけないということ。

名古屋からの関西本線は313系のワンマン列車となっていてびっくりしました。この313系は確かボックスシートであり、中央西線中津川以北ローカルと共通運用でした。本来、大和路快速で天王寺をめざす予定だったのが、ふと寄り道しようという気になり、王寺から和歌山線に乗ることに。和歌山線の電車はもちろん105系でした。和歌山までかなり時間がかかり、名古屋からの所要時間は5時間を超えたかと思います。そういえば、昔、東京からの急行<大和>がこのルートで和歌山市まで乗り入れていましたね(和歌山線直通は王寺で客車1両だけ切り離し、和歌山線内普通列車として運転)。あと、名古屋と和歌山を結ぶ列車といえば、特急<あすか>(関西本線~阪和貨物~阪和線経由)もありました。

和歌山駅で途中下車、晩飯を食べるお店を探したが安くて良さそうなところがなく断念。紀州路快速で天王寺へ。


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これも過去のものとなりました。



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JR西日本とJR東海との境界駅を表す点景写真です。
JR西日本スタイルの駅名標とJR東海313系のコラボが見れるのは米原駅ならでは。

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