カテゴリ:国鉄・JRグループ > JR東海


JRの大阪近郊区間ですが、在来線に並行する新幹線も一部含まれています。

該当区間は、

米原~京都~新大阪間(東海道新幹線)
西明石~姫路間(山陽新幹線)


米原~新大阪間と西明石~姫路間は、それぞれ東海道本線・山陽本線の「別線」と見なされ、これはわかりやすいと思います。

ここで一つ注意ですが、新大阪~西明石間は含まれていません

なぜ、こんなややこしいルールなのかといえば、新大阪~西明石間に新幹線単独の「新神戸」駅が存在するため、だと考えられます。

すなわち、新神戸駅は大阪近郊区間内の駅とは見なされない、ということ。

例えば、大阪駅から加古川線~福知山線を大回りして塚口まで乗車するとき、山陽新幹線の新大阪~西明石間を利用すると「大回り乗車」が成立しなくなります。

もう一つ注意しないといけないのは、琵琶湖一周する場合。京都駅から東海道新幹線→北陸本線→湖西線経由の乗車ルートを取るとき、山科まで乗ってしまうと「大回り乗車」が不成立になるので注意です。山科駅は東海道本線京都~米原間の駅であり、東海道新幹線で通過していると見なされるので。

これの逆回りのとき、すなわち京都→山科→湖西線→北陸本線回りのとき、米原駅で新幹線に乗車した時点で、「大回り乗車」は不成立になりますね。



JR東海発足当初(1987年4月)の旧・伊勢車両区(伊勢運転所)に在籍していた気動車をリストアップしてみました。


(キハ28)
 2080 2100 2126 2130 2175 2303 2323 2345 2398 2407(10両)

(キハ58)
102 126 173 181 234 249 257 572 573 597
599 600 642 653 672 685 737 738 1025 1101(20両)

(キハ65)
72 73 83 84(4両)

(キハ30)
44 51 52 74 75 81(6両)

(キハ40)
2030 2031 2032 2057 2058 2059 2111 2112 2113(8両)

(キハ47)
3 4 1027 1109 1110(5両)



国鉄時代より、三重県内の紀勢本線(亀山-新宮)・参宮線・名松線のローカル運用をこなし、JR東海に継承されました。JR発足の時点で既に定期急行列車の運用はなかったものの、急行列車の廃止で余剰となったキハ58・28・65形が伊勢区に在籍、普通列車オンリーの運用に就きました。

国鉄時代末期まで、同じ三重県内の亀山機関区(→亀山鉄道部)の気動車も紀勢本線・参宮線・名松線の運用に混じっていたが、同区はJR西日本に継承(→関西本線亀山-奈良間、信楽線、片町線を中心に運用)されることが決まり、紀勢本線系統の分はほぼ伊勢区に集約される形に。伊勢運転区は亀山機関区と統合する話もあったそうだが、亀山駅を境にJR東海とJR西日本に分割されるため、存続という経緯です。

亀山・伊勢の両区は、国鉄時代は天王寺鉄道管理局管内だったが、JR発足を前に紀勢本線・参宮線・名松線は名古屋鉄道管理局に移管。また、JR誕生間際まで、伊勢線(→伊勢鉄道に転換)の運用も担当し、キハ30またはキハ40の単行運転でした。

JR発足当初、亀山-多気間には奈良から直通の列車が1本だけ残り、多気折り返しの亀山行きとペアで、JR西日本亀山区の気動車による運用でした。当時の亀山区に所属する気動車は、やはりキハ58系が主力だけど、関西本線では縁深いキハ35形もあり、キハ40・47形、そしてキハ53形(キハ45系の両運転台&2エンジン)もいました。

一方、伊勢区の気動車も亀山からJR西日本管内に乗り入れ、関西本線奈良(or 加茂)までの運用もあったようです。

伊勢にキハ47形が配属されたのは、国鉄末期1986年11月~1991年3月までのわずか4年余りでした。しかもこれがJR東海所属キハ47形の全てであり、少数派ゆえに後年注目度が高まりましたね。転属前は全て福知山鉄道管理局管内(福知山、豊岡)所属で、伊勢を去った後は名古屋に転属して武豊線で活躍したり、その後美濃太田に配転、2015年の引退まで終生の棲家としました。

キハ28形およびキハ58形200番台以前について、JR発足当初は山陰地区(福知山・米子管理局)からの転属組が大半の一方、キハ58形500番台以降は天王寺局管内和歌山・奈良などからの転入車が多数を占めました。と思えば、キハ58 1025号については、広島生え抜きで亀山を経て伊勢に転属というユニークな遍歴です。

キハ30は44号のみが県内の亀山・伊勢生え抜き、50・51は加古川から亀山を経て伊勢、74・75は1982年に米子から奈良へ転属ののち亀山を経て伊勢、81は米子から直接伊勢へ転入という経歴です。1989年までに最新悦キハ11に置き換えられました。そのうち51号だけ保留車として美濃太田へ転属、2008年まで車籍が残りました。


JR東海に唯一残る国鉄時代の車両となった近郊型電車211系0番台。

211系0番台は国鉄時代末期1986年、首都圏の東海道本線に初めて投入されました。同年11月のダイヤ改正では、名古屋地区に4両編成×2本を導入、そのままJR東海の所属となります。

211系0番台の特徴といえば、113系と同様のセミクロスシート車であることでしょう。 その後、JR東海独自で量産される211系5000番台はロングシート車なので、211系0番台は貴重なセミクロスシートです。211系0番台の編成は

(←東京方)クモハ211-モハ210-サハ211-クハ210(大阪方→)

ですが、クモハ211の0番台はJR東海所属のみの希少形式です。

名古屋地区に投入された211系0番台は、当初、東海地区独自の青帯に白のピンストライプを入れた独自カラーで、神領電車区(→車両区)配置でした。主に東海道本線の快速などで第一線の活躍をされていましたが、転換クロスシートの117系に比べて接客設備が劣ることもあり、ほどなく普通列車中心の運用に回ることに。カラーデザインも211系5000番台などに合わせ、湘南色(→JR東海カラーに位置づけ)に変更、首都圏の211系と同じ姿に。211系と同じイメージのカラーは、103・119系やキハ11、およびキハ40系にも採用されました。211系0番台は1989年、大垣車両区へ転属。

211系0番台は、その後、1999年に最高速度120km/hに対応への改造工事を受けます。東海道本線への313系の大量増備と高速ダイヤに移行することが理由です。合わせて台車へのヨーダンバ設置やブレーキの増圧対応工事も施されました。また、211系5000番台や311系、313系などとの併結も可能です。

一時期、最高速度120km/h性能を生かして東海道本線の新快速などに抜擢されることもありました。2011年以降、再び神領車両区所属となり、主に関西本線の朝・夕ラッシュ時の列車で使用され、現在に至ります。

211系0番台は同5000番台や213系5000番台、311系ともども、来年以降315系に置き換えられる予定です。

なお、中央本線・篠ノ井線中津川~松本間ローカルおよび飯田線北部には、JR東日本長野総合車両センター所属の211系(1000・2000・3000番台)も使用されます。外観・基本仕様は0番台と共通ですが、1000番台はセミクロス車、2000・3000番台はロングシート車であり、ロングシート編成の比率が高いです。長野センターには0番台も配属されているが、6両編成で立川~松本~長野間のみの運用をこなし、JR東海区間に乗り入れることはありません。


185系の余命宣言が出され、臨時快速【ムーンライトながら】(東京-大垣)も昨年末限りではと思われていましたが、今春も運転すると発表されました。

3月下旬に計18本運転、運転日は

●下り(大垣行き)
3月20日~28日

●上り(東京行き)
3月21日~29日

(運転日は始発駅基準)

の予定です。

今春より、 特急【踊り子】には豪華仕様の新型車両E261系(全グリーン車)を導入すると同時に、レギュラークラスの列車にE257系を改造転用し、185系などを置き換えることが決まっています。車両代替に伴い、JR東海区間(熱海-三島間)に跨る修善寺【踊り子】の存廃が心配されていたが、修善寺直通にも対応した仕様に改造されているようで、ひとまず安堵というところでしょう。

問題は、【ムーンライトながら】。185系が引退すれば、そのまま自然消滅になってしまうのでは、との見方が有力ですね。臨時列車化以降、年々運転日数は縮小傾向にあり、「青春18きっぷ」以外の利用者が減少しているとのことで、先細るばかり。JR東海区間乗り入れE257系が後任にとの期待もあるが、如何に・・・

臨時夜行快速「ムーンライトながら」今春は計18本運転(乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/93019




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JR東海在来線に久しぶりの新形式電車が登場することになりました。
315系です。中央西線などに投入予定とされています。

これにより、国鉄末期~JR初期に投入された211・213・311系が引退する模様です。国鉄の面影を伝えるものが完全に消えることになりますね。制御方式も313系以降のVVVFに統一されます。

また、【ひだ】【南紀】で活躍中のキハ85系特急型気動車も、2022年度までに発電機搭載電車HC85系に置き換えられる予定です。
 


1996~97年頃、紀勢本線や山陰本線のキハ58系とともに、中央西線の165系国鉄急行色を熱心に追いかけていました。中央西線木曽路ローカル(中津川-塩尻・松本)で活躍する165系に乗りたくて、「青春18きっぷ」で松本日帰り旅行に何度か出かけたものです。 

京阪神から松本までの「青春18きっぷ」での日帰りは、かなりハードなスケジュールとなります。一番のネックは、中津川での接続。中津川ー塩尻・松本間は普通列車の本数が少なく、うまい具合にプランを立てる必要があります。木曽路ローカルには、JR東海神領区165系に加え、JR東日本松本区の169系(長野色)も2往復運用に入っていました。名古屋-中津川間の快速電車は基本的にロングシートの211系5000番台だが、さほど苦痛ではありませんでしたね。

松本では、確か松本城まで一度歩いたこともあるし、松本電鉄バスには京阪バス中古の三菱ブルドック(K-MP118)が大量にいて、乗車したこともあります。ちなみに、大垣の名阪近鉄バスには京阪中古の日野RCがいました。松本の駅弁「安曇野釜めし」「月見の五味めし」をはじめ、中津川の釜飯駅弁、名古屋駅ホームのきしめんなど、満足なB級グルメの旅でもありました。

帰りのルートは、名古屋から関西本線ルートを選ぶことも多く、つい調子に乗って、加茂から天王寺まで区間快速大阪行きに乗り通す遠回りをすることも(木津で学研都市線に乗り換えることもあるが)。素直に東海道本線経由を選んだ場合、高槻から枚方行きのバスに乗ろうと思ったら、最終便が行ったあとなので、仕方なく大阪・京橋を回るということもありました。

当時、中央西線では、木曽路ローカルの定期列車以外にも、長野五輪(1998年)を控えたこともあり、JR東海はもとより、JR西日本の165系も臨時列車などに総動員され、最後の花道を飾ったものです。五輪期間中に名古屋-長野間に臨時急行【安曇野】が神領区3連口×3本の9両編成で運用され、【きそ】【赤倉】など往年の電車急行の姿を髣髴とさせるものでした。また、長年の伝統として、大阪発着で運転されてきた臨時急行【ちくま】【くろよん】には日根野区の3連口が充当され、普段は紀勢本線ローカルに使用されるが、国鉄時代末期に松本から渡ってきたものであり、信州への里帰りを果たしたことになります。


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思えば1990年代後半、紀勢本線亀山-新宮間に残るキハ58系の追いかけに夢中でした。

快速【みえ】はキハ75系に置き換えられ、伊勢車両区(廃止)所属のキハ28・58が紀勢本線・参宮線ローカル運用で余生を過ごしていました。 基本的に国鉄急行色だが、余剰となった快速【みえ】色(=JR東海カラー)も混じってました。国鉄時代も遠い昔になりつつある頃、国鉄と変わらぬ姿で活躍を続けるキハ58系には魅力と感動すら覚えたものです。外観はもとより、車内も国鉄時代の原形のまま、すなわち青モケットのボックスシートが並び、国鉄の汽車旅を満喫するには最高でした。

1996~97年のころ、紀勢本線のキハ58系に乗りたくて、「青春18きっぷ」で紀伊半島一周の旅に何度か出かけたものです。JR西日本区間(和歌山-新宮)では165系急行型電車が普通列車で活躍、風光明媚な南紀の海を堪能するには絶好のコンディションでした。新宮駅には駅弁販売もあり、紀南の名物料理(さんま寿し、めはり寿し、まぐろ料理ほか)を手軽に味わえました。新宮から先は、キハ58系の亀山行きに乗り継ぎ、終点・亀山までDMH17H型エンジンの唸る走行音を味わいながら5時間前後ののんびり旅。途中、紀伊長島や多気などで20分以上のバカ停があり、汽車旅さながらでした。亀山からは再びJR西日本エリアに入り、関西本線のキハ120加茂行きに乗り換え、大阪行き区間快速に乗り継いで木津まで一駅足を進めます。学研都市線ホーム(1番ホーム)にJR東西線経由宝塚方面行きの207系が来た瞬間、現実世界に引き戻された気分で、憂鬱ですらありました(いわば「サザエさん症候群」のような感じ)。国鉄時代だったら、同じホームに長尾行き気動車(キハ58系ほか)が止まってて、汽車旅の最後を締めくくることもできたんだが・・・。

鉄道利用のほか、バイク(スクーター)でもよく東紀州へ「現実逃避」の旅に出たものです。R168(十津川街道)を南下、十津川・本宮を経て新宮で一服ののち、R42で熊野市や尾鷲方面へ北上するというコースにやたらこだわっていましたね。熊野市~尾鷲市間の海岸風景を楽しむなら、R311を選ぶべきだが、当時分断区間が残存するため、R42大又TN~三重r70を迂回して賀田港に回るルートを辿らざるを得ず、悔しい思いでした。紀勢本線全通以前、紀勢西線(新鹿)と紀勢東線(三木里)の間を、バスが大又峠・矢ノ川峠の難所を越えて結んでいましたね。それだけ、東紀州・熊野路のリアス式海岸の地形がいかに険しいものかを物語っていると言えます。


JR東海の在来線では、国鉄型車両は211系0番台を除いて全て引退しました。

1990年代のJR東海管内においては、165系国鉄色の急行【東海】【富士川】や中央西線ローカル、 紀勢本線のキハ58系国鉄急行色などが現役で、国鉄スタイルが鉄道ファンから注目を集めていました。2001年までに165系とキハ58系は全廃。同時期に中央西線名古屋口普通電車用103系なども廃車されました。特急【しなの】用381系も、まださほど古くはないが、383系に置き換えられ、一足お先に引退しています。

その後も残った国鉄型車両も、113・115系電車は2007年までに、そして117・119系も2013年までに全廃されます。気動車については、キハ58系なきあと、キハ40系(キハ40・47・48)が高山本線や紀勢本線などで活躍を続けるが、2016年までにキハ25系に置き換えられ、退役。

JR東海における国鉄型車両は、国鉄末期1986年に名古屋地区に投入された211系0番台4連口×2本のみとなっています。登場当初、青帯を配するカラーデザインの姿で、JR誕生を前に国鉄スタイルから脱却した新鮮な印象を与えました。当初は主に東海道本線の快速電車に使用されるが(一時期、新快速の運用に充当されたこともある)、オール転換クロスシートの117系に比べて接客設備は劣り、その後の311・313系登場に伴い、脇役に降りることに。カラーデザインも、JR発足初期に量産された211系5000番台と同じ湘南色(首都圏に投入された211系と同じもの)に変更され、0番台との外観スタイルでの見分けがつきにくくなりました。211系0番台は、現在神領車両区の配属で、中央西線名古屋口と朝夕の関西本線の運用に入っています。


主に紀勢本線(きのくに線)紀南ローカルで活躍していた165系急行型電車。

もともと南近畿に急行型電車は馴染みが薄く、1978年紀勢本線電化後も急行【きのくに】は気動車のままで残りました。1985年3月ダイヤ改正で紀勢本線の定期急行列車は全廃、和歌山-新宮間は特急【くろしお】に一本化されました。しかし、国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正で、紀勢本線に165系が登場。中央東線【アルプス】(松本運転所)から日根野に転属、主に紀伊田辺-新宮間の普通列車、および天王寺→新宮間の夜行列車(新宮夜行、1990年より新大阪発に延長)で余生を過ごすことになります。165系と引き換えに、客車(12系)普通列車は新宮夜行も含めて全廃。紀南ローカルの主役だった113系(青帯)4連口は、福知山線電化用として800番台に改造、改正前の一時期、福知山色の800番台が紀勢本線にて暫定運用をこなしました。 

日根野電車区所属の165系はモノクラスの標準的な3連×11本の陣容、JR西日本に継承されました。紀勢本線の普通列車中心に活躍するが、急行型であることから、近畿南部の臨時・団体列車に使用されることもしばしば。

1997年~2000年にかけて、日根野の165系は紀州路を離れ、中央西線経由の臨時急行【ちくま】【くろよん】として、JR東海・東日本エリアの長野や南小谷まで遠征を果たすことになります。臨時【ちくま】【くろよん】には、もともと宮原区の165・167系4連口×2本が使用されていたが、老朽化により日根野の165系が使用されることになりました。日根野165系にとっては、信州への「里帰り」を果たしたことになります。

中央西線中津川-塩尻・松本間ローカルでは、当時主に国鉄急行色165系3連(JR東海神領車両区)が使用されており、JR西日本の同じ国鉄色165系との顔合わせシーンには感慨深いものだったことでしょう。ちなみに、神領の165系は天理臨で奈良線・桜井線に乗り入れたこともあります。

同時に165系の老朽化も目立ち、代替車両の検討が問題になっていました。紀南ローカルは桜井・和歌山線で使用中の105系に置き換えられることに。急行型ボックスシートからいきなりロングシートにダウングレードし、「青春18きっぷ」での紀勢本線の旅を敬遠する人も増えたことでしょう。新宮夜行も2000年に廃止され、紀南ローカルから撤退。165系は和歌山-紀伊田辺間の普通列車で最後の仕事をこなします。2002年春、165系は117系に置き換えられ引退。引退を前に、山陽新幹線岡山開通30周年記念として、山陽急行【鷲羽】リバイバル運転(新大阪-宇野)で最後の花道を飾りました。

なお、JR東海の165系は2001年までに引退しています。


今日7月15日は、紀勢本線(亀山-和歌山市間、384.2km)全通60周年です。
これを記念して、紀勢本線と関連性のある写真をアップさせていただきました。


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国鉄時代末期の381系<くろしお> 天王寺駅にて

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紀勢本線電化後、和歌山口ローカルの主役として2012年まで活躍した113系


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三重県側・非電化区間(東線)の普通列車で活躍していたキハ58系(1997年)

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国鉄末期~2000年まで紀南ローカルの主として活躍した165系

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和歌山駅に停車中の和歌山線105系(左)と紀勢本線117系普通(右)(2007年)

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紀勢東線のクイーン、キハ85系特急<ワイドビュー南紀>
2022年ごろ新型車両に置き換えられる予定

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キハ58系引退後、東線ローカルに携わったキハ40系
キハ25系1000番台に置き換えられ引退

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JR発足後、いち早く東線ローカルに投入されたキハ11
これも300番台を除いて引退

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周参見駅を出発した105系新宮行き普通列車(2005年)

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御坊から分岐する紀州鉄道キハ600(2004年)

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湯浅駅(2005年)
湯浅は醤油の生産が盛んだ

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九鬼に停車中のキハ25系普通列車


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関西本線と紀勢本線が分岐する要衝・亀山駅
亀山は紀勢本線の正式の「起点」であり
JR東海・西日本の境界である
亀山-津間は優等列車のないローカル区間だ

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和歌山駅前(2007年)
今や南海和歌山市駅よりもJR和歌山駅前のほうが賑やかだ
左は和歌山県唯一の百貨店、近鉄百貨店(和歌山店)

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建て替え前の南海和歌山市駅ビル(2005年)
和歌山市駅にはJR紀勢本線も乗り入れており、ここが正式の「終点」
かつては南海から急行<きのくに>が乗り入れ、
和歌山市駅から亀山・名古屋方面への長距離客車列車も発着
現在、和歌山-和歌山市間は普通列車(227系1000番台)が行き来するだけのローカル区間


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289系の特急<くろしお>(2019年)
北陸新幹線開通で余剰となった683系を直流化改造したもの



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JR発足初期に製造されたローカル用気動車キハ11。
キハ11も大半はキハ25系に置き換えられ、引退しました。
しかし、キハ11 300番台のみ、JR東海に残存しています。

キハ11 300番台は、長距離の紀勢本線で運用することを前提に、既存の0・100番台をマイナーチェンジしたもので、トイレが設置されたことは大きな改善点だと言えます。車体外観は0・100番台の普通銅製とは異なり、ステンレス銅製で、JR東海のコーポレーションカラーであるオレンジ帯を配しています。実際には、0・100番台と連結して運用されることが多かったようです。 キハ11 0・100番台なき後、300番台は名松線専用となっています。所属は当初、伊勢車両区だったが、キハ40系引退とともに同車両区が廃止され、名古屋車両区所属となっています。


年々運転日が減らされる臨時夜行快速<ムーンライトながら>。

<ムーンライトながら>は東海道本線東京-大垣間にて運行される夜行快速列車。もとは、定期普通列車のいわゆる「大垣夜行」であり、 急行<東海>(153系→165系)の編成を使用。大垣夜行は「青春18きっぷ」だけで乗車できることから、シーズンには人気のある列車でした。しかし、運用区間がJR東日本とJR東海に分割、165系の老朽化も目立ち、急行<東海>とともに前途が気になるところだったところ、1996年新型車両373系(JR東海所属)に置き換えられることに。急行<東海>は373系の特急<東海>、大垣夜行は座席全指定の快速<ムーンライトながら>にそれぞれ生まれ変わりました。ただ、165系時代はグリーン車(サロ)2両連結されていたのが、373系は普通車のみに。せっかく新車に置き換えられたのだから、<ムーンライトながら>は安泰かと思いきや、2007年には<東海>廃止、<ムーンライトながら>も2009年より臨時列車に格下げに。JR発足当初は、JR東日本とJR東海が調整して大垣夜行続行便まで出していましたが・・・。

臨時列車化後は「青春18きっぷ」シーズンのみの運転となるが、年々運転日は減らされています。この夏の運転日は8月中のうちの17日間に決まりました。使用車両も373系から、のちにJR東日本の183系そして185系に替わるが、185系の引退も決まり、<ムーンライトながら>の存続が危ぶまれています。185系の後継にE257系が改造転用される予定ですが、JR東海管内への乗り入れはどうなるのか微妙なところ。わずかな区間ながらJR東海管内に乗り入れる修善寺<踊り子>も、廃止の可能性が取り沙汰されています。


篠ノ井線はJR東日本管内ですが、JR東海の313系電車が乗り入れています。

篠ノ井線に直通する313系の運用ルートは、2通り存在して面白いです。

まず、一つは中央西線の普通列車(中津川~塩尻~松本)。基本的に篠ノ井線の塩尻~松本間に直通しており、長野県木曽地方と「副県都」(というべきか)の松本市を結ぶローカル輸送を担っています。 中央西線の普通列車は基本的にJR東海313系の2両編成(ワンマン)使用ですが、2往復はJR東日本長野区の211系が担当しています。211系はロングシートとクロスシートが混用されており、ロングシート編成は景色の良い木曽路の旅を楽しむのには残念な車両です。平成初期の頃は、JR東海担当は国鉄色165系、JR東日本担当は長野色169系を使用、急行型電車に乗ることのできる「天国」でした。

篠ノ井線に乗り入れる313系のもう一つのルートは、中央東線~飯田線。経路は少々複雑で、中央東線旧線の小野経由ではなく、塩尻~(中央東線・みどり湖経由)~岡谷~(中央東線・旧線)~辰野~(飯田線)の大回りです。飯田線は全線JR東海の管内となっています。面白いことに、JR東海・東日本境界の塩尻駅と辰野駅が、目と鼻の先にあります。

該当する列車は、以前は快速<みすず>として、長野まで直通することにより、伊那地方と県都を結んでいました。国鉄時代は急行<天竜>(→<かもしか>)でした。現在は、松本以南の列車名称無しの普通列車として運行されています。線形が悪くて私鉄並みに駅数の多い飯田線では、スピードアップは望むべくもなく、県内広域移動の交通手段としては、並行する中央自動車道を走行する高速バスに完敗です。

篠ノ井線~飯田線直通列車は、JR東日本とJR東海が共同担当しており、JR東海担当分は313系、JR東日本担当分は例によって211系をそれぞれ充当。中央西線ともども、長野地区では貴重な転換クロスシート車となっています。かつては、長野駅まで足を伸ばしていましたが(313系置き換え前は湘南色115系が長野に顔を見せていた)、松本以南の運用に後退。

飯田線直通の313系は、3両編成を使用、中央西線ローカルとは独立運用となっています。JR東日本の中央東線に、JR東海の車両が乗り入れていることは、意外な感じもします。昨年、長野ディスティネーションで383系使用の臨時特急が名古屋-上諏訪間にて運行されたことは、記憶に新しいです。


2007年までに引退したJR東海の113系。

JR東海の113系は国鉄時代の湘南色(かぼちゃ色)そのままで、JR西日本N40のような大規模な改造を受けずに原形姿を保ち、国鉄を味わうことのできる車両の一つでした。

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車内です。
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 座席背もたれ上部に白カバーが掛かっている以外は、国鉄時代のままでした。




特急<南紀4号>(キハ85系)の紀伊勝浦から名古屋までの全区間にわたる前面展望の上動画を拝聴させていただきました。所要時間は3時間47分。昨年お盆のころに収録されたそうです。

一つ気になったのは、同じ紀勢本線でありながら、JR西日本とJR東海区間では保線状況が違うと感じました。新宮までのJR西日本区間はせっかく電化されているにもかかわらず、線路際は草ボウボウの箇所も所々あり、まるで廃線寸前のような雰囲気。何とかならんものだろうかと思いました。スピードもさほど出ていません。新宮を境目にJR東海の非電化区間に入ると、逆に保線が行き届いているようで、キハ85系はガンガン飛ばすようになります。

熊野市-尾鷲間は長いトンネルが何個も続くが、リアス式海岸の険しい地形ゆえ、紀勢本線で最後に開通した難工事の跡が伺えます。そういえば、今年は紀勢本線全通60周年ですね。

伊勢鉄道および関西本線に入ると複線区間も存在し、キハ85系はエンジンフル回転でぶっ飛ばします。

特急<南紀>の乗務員は、以前は紀伊勝浦までの全区間でJR東海が担当していたが、現在は新宮で交代することになっています。


ふと、所用で神奈川県秦野市へ日帰りで往復したことを思い出しました。

正直、あまり印象に残ったことは思いつかないが、早朝の新大阪から東京行きの<ひかり>?に乗り込み、小田原で下車。小田原にはあまり馴染みがなく、 ここで降りたのも初めてだったはず。在来線(東海道本線)ホームの売店で駅弁を買って食べたことは覚えています。小田原の駅弁といえば、横浜と並んでしゅうまい弁当もかなり名物だそうで、せっかくなのでしゅうまい弁当を買っても良かったかな。

ここで小田急に乗り換え。急行・新宿行きに秦野か東海大学前まで乗車したかと思います。

用事が終わって、来た道をそのまま引き返しました。
小田急の踏切の警笛音は独特な音色で、これを聞くと首都圏にいると感じてしまいます。

小田原からは、<こだま>で新大阪まで爆睡したように記憶しています。


国鉄・JRの旅客列車番号について。

列車番号の末尾に付いているアルファベットは、国鉄時代は原則として、

M         :電車
D         :気動車
他のアルファベット :東京・大阪の国電
アルファベット無し :客車

を表していました。大阪の国電区間では、

C :東海道・山陽線(JR京都線・神戸線)緩行
T :東海道・山陽線快速
K :関西線(大和路線)
H :阪和線
無し:大阪環状線(普通電車)

という感じです。

しかし、JR発足後、この原則も崩れるようになります。JR誕生から2年後、JR東海管内の気動車列車に「C」の付くものが現われます。時刻表の紀勢本線・参宮線・名松線・高山本線などのページで初めてこの表記を見て、「あれっ、これどういうこと?」と思いましたが、新型一般型気動車キハ11形が登場してワンマン運転を開始するので、ワンマン運転の対象となる列車に「C」が付くものと判明。

列車番号「C」といえば、京阪神地区の東海道山陽緩行(普通)の青い電車(103・201・205系)をイメージされる方も多く、俗に「C電」とも呼ばれています。現在の207・321系にも受け継がれており、JR京都線~JR宝塚線(福知山線)および学研都市線(片町線)~JR東西線~JR神戸線直通の普通電車も「C電」となっています。


1995年8月、「青春18きっぷ」で木曽福島まで日帰りの旅に出ました。

早朝の京都駅から東海道本線で米原・大垣乗継で名古屋。名古屋から中央本線(中央西線)に乗るわけですが、中津川以東の普通列車の本数が概ね2時間に1本と少なく、 正午ごろの中津川発松本行きまでかなり余裕があったので、名古屋駅で少しぶらり。おそらく駅ホームスタンドのきしめんで腹ごしらえしたかと思います。

その後、快速・中津川行き(211系)に乗り、中津川駅で乗り継ぎ時間を利用して駅弁「木曽路釜めし」を購入しました。松本行き普通列車は国鉄色165系で、夏の木曽路の景色を眺めながら釜飯を味わいました。とても美味しく、信濃国木曽路の入口にふさわく「西の横川」ともいうべき名物駅弁だったが、数年前に中津川の駅弁は廃業されたそうです。

木曽福島で次の折り返し中津川行き普通列車の時間に合わせ、町並みを少し散策。お茶屋さんで名物・五平餅を味わいました。とても美味しく、お土産にも買って帰りました。木曽福島駅前は御岳山方面の登山客で賑わっていました。

名古屋からの帰りは関西本線経由亀山・加茂・天王寺を大回り。途中、どういう風の吹き回しなのか桑名で途中下車し、次の亀山行き普通はなんと103系! 中央西線普通電車用の103系ですが、1990年代の一時期、ラッシュ時の関西本線の運用にも入っていました。加茂からの区間快速・大阪行きも確か環状線用オレンジの103系だったと思います。



 
JR東海の車両のドア開閉チャイムですが、私は京都市バスの降車チャイムを思い出しました。
最近リニュアル工事を受けたJR西日本キハ120のドア開閉音も、なぜかこれと同じになっています。


2003年9月初旬、「青春18きっぷ」の残り1日分を使って名古屋をぶらりと訪れてみました。

乗車経路は、

高槻または京都→(東海道本線)→米原→(東海道本線)→大垣→(東海道本線)→名古屋
大曽根?→(中央本線)→名古屋→(関西本線)→亀山→(関西本線)→加茂→(関西本線)→天王寺?

だったかな・・・。 

2005年愛知万博開催および中部国際空港開港を前を控え、巷で「名古屋ブーム」が沸き起こっていた頃でした。みそかつ・エビフライ・きしめんほか、名古屋グルメが全国的にクローズアップされつつありました。2009年に初当選した河村たかし・名古屋市長はとても個性的なカリスマ性のある方で、私個人的に期待しています(今は微妙なところだが)。

確か名古屋駅からか名古屋市営バスに乗りました。名古屋市内を見物したくて、とにかくバスに乗ったんだと思います。実は名古屋市営バスの乗降方法には慣れていなくて、運転手にどうやって乗るのか尋ねてみたところ、その対応が少し冷たかった、というエピソードは今も記憶に残っています。確か前乗りだったはずですが・・・。後年、このネタをmixiの日記に書いたこともあるが、表現の仕方にいろいろ問題があって、かなりきついコメントをいただいたように記憶しています。

乗車した系統番号や経路は定かではないが、とにかく鶴舞公園までバスに乗り、そこから大曽根駅までだったかな、もう1本バスに乗って中央西線で名古屋駅に戻ったことは確か。

帰りの関西本線は、もしかしたら木津から学研都市線経由だったかもしれません。


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岐阜県西端の駅、JR東海道本線関ヶ原。

関ヶ原といえば、西日本と東日本の分界点とされることが多く、天下分け目の関ヶ原合戦などで知られる歴史ゆかりの町です。
町の北側には古くから霊峰とされる日本百名山・伊吹山(標高1377m)が鎮座しており、山頂には日本武尊(ヤマトタケル)の石像が立っています。伊吹山ドライブウェイも整備されており、琵琶湖および濃尾平野のパノラマが楽しめます。

JR関ヶ原駅には主に大垣-米原間の普通が毎時2本発着しているが、朝夕には名古屋・豊橋方面直通の快速が来ます。青春18シーズンには東海道本線にして列車本数が少なくて混雑しやすい区間であり、一つの関所として有名です。

関ヶ原駅から発着するバスは名阪近鉄バスです。
関ヶ原多良線(牧田行き)と季節運行の伊吹山行きが発着しています。

関ヶ原多良線は関ヶ原駅から南方向、大垣市(旧・上石津町)牧田をR365経由で結ぶ短距離の路線ですが、牧田バス停で多良・時方面(三重県境付近)、もしくは高田方面大垣駅前行きバスと接続するダイヤとなっています。運行本数は平日8本、土・休日4本。

伊吹山行きのバスは、主に夏休み期間中(7~9月)のみの運行(7月21~8月31日の毎日および7月14~9月17日の土曜・休日)で、1日4本です。

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JR東海発足当初、紀勢本線・参宮線・名松線でキハ30形(キハ35系の両運転台)が主にキハ58系との混結で活躍していましたが、ワンマン化を目的にキハ11の投入後、キハ30は営業運用から撤退。その後もキハ30 51号のみ車籍を残したまま美濃太田区に動態保存されるが、2008年に廃車手続きが取られました。

ここでは、JR東海に継承されたキハ30形たちについて、国鉄時代末期の動きをレポートしてみたいと思います。

JR東海に継承されたキハ30形は、

44、51、52、74、75、81

の6両だったと思います。

もともとキハ35系(キハ30・35・36形)グループの多かった関西・紀勢本線系統(天王寺鉄道管理局管内)ですが、両運転台のキハ30形は、もともと旅客需要の低い三重県の亀山と伊勢の2車両区に配置、草津線・紀勢本線・伊勢線・参宮線・名松線を中心に活躍していました。国鉄時代末期までに天王寺局管内キハ35系の大半は廃車もしくは関東鉄道などへ譲渡、キハ36形(片運転台・便所無し)は1両もJRに継承されず、キハ35形は5両だけがJR西日本亀山運転区、キハ30形は6両が上記の通りJR東海伊勢運転区の所属となりました。

JR東海に生き残ったキハ30形のうち、キハ30 44号は亀山区生え抜きののち、1979年に伊勢へ転属、そのままJR東海へ。

キハ30 51・52号の2両は加古川気動車区の所属で、1984年2月ダイヤ改正で伊勢線(→伊勢鉄道)普通列車1両運転に合わせ亀山へ転属、キハ40形ともども片町線(長尾-木津)などと共通運用をこなしていました。1986年3月片町線の単行運転解消後、伊勢へ転属。伊勢区の伊勢線運用が復活するが、JR発足直前の1987年3月に伊勢線は伊勢鉄道に転換。キハ30 51号が動態保存とはいえ2008年まで車籍があったことは特筆に値します。

キハ30 74・75・81形の3両は山陰の米子に配属、主に境線で活躍していたが、伯備線電化に合わせた1982年7月ダイヤ改正で米子を離れ、74・75号は奈良、81号は伊勢へそれぞれ転属。74・75が転入した奈良区はキハ35系の大所帯で、キハ35系たちは関西本線および周辺の各線(一時期紀勢本線和歌山市-新宮間も)で広範囲の運用をこなしていたが、両運転台のキハ30形が奈良に配属されるのは初めてのことでした。奈良周辺各線の電化も進み、非電化で残っていた奈良線・片町線(長尾-木津)を中心とする運用に入っていました。キハ30形2両の玉突きで奈良に残っていたキハ20形(470・471号)は二俣・志布志へ転属。奈良線では朝ラッシュ時、急行<紀ノ川>編成に増結する運用もありました。1984年10月奈良線電化後、奈良の気動車配置は廃止、亀山区へ転属。亀山時代は、51・52号ともども片町線・伊勢線の単行運転、あるいはキハ58系などと混結で関西本線(亀山-奈良)・紀勢本線(亀山-新宮)・参宮線の運用をこなしていたが、1986年3月に伊勢へ再転属ののちJR東海の所属に。


JR参宮線の臨時駅、「池の浦シーサイド」駅(三重県伊勢市)ですが、今年は営業しないとのことです。

池の浦シーサイド駅は、1989年7月に松下-鳥羽間に臨時駅として設置されました。
駅ホームがすぐ海の前で景色が良く、海水浴場へは徒歩15分。
潮干狩りの利用も見込み、3月から営業した時期もあったが、利用客は1992年(1599人)をピークに減少が続き、駅の営業日も年々縮小(近年は年に4日のみの営業)。昨年2017年は30人程度にまで落ち込んだと言います。

最盛期には海水浴場で客を待つタクシーの列ができ、関西からのカップルや家族連れも多かったそうですが、阪神大震災のあった1995年ごろを境に、客足はみるみる減ったとのこと。

駅の存廃については未定です。




 

JR東海の快速<みえ>などで使用されるキハ75系。その方向幕ですが、JR東海在来線主要駅のほか、いささか謎と思われる「京都」「天理」「東舞鶴」なども入っています。

「天理」は急行<かすが>の天理延長、「東舞鶴」は夏の臨時急行<エメラルド>運用を想定してのことと思われます。問題は「京都」ですが、柘植から草津線経由の<平安>を想定したものでしょうか?


JR東海と西日本を跨ぐ在来線列車も昔はかなり多かったが、大幅に減っています。現在残っているのは

<しらさぎ>【名古屋-金沢】(683系)
<ひだ>【名古屋-富山】(高山本線経由)、【大阪-高山】(キハ85系)
<南紀>【名古屋-紀伊勝浦】(キハ85系)
<サンライズ瀬戸・出雲>(285系)

のみであり、会社境界をまたぐ普通・快速列車は皆無となっています。

2年前・2016年ダイヤ改正までは

<しなの>【長野-大阪】(383系)
東海道・山陽本線快速【大垣-姫路・網干方面】(221・223・225系)

がありました。さらに2006年ダイヤ改正では

急行<かすが>【名古屋-奈良】(キハ75系)
寝台特急<出雲>【東京-出雲市】(24系客車)

が廃止、「葬式鉄」が盛り上がったことは記憶に新しいです。 

それ以前にまで遡れば、高山本線普通列車について会社境界の猪谷を越えて高山-富山間直通も多く残っていてキハ120が高山まで乗り入れていたし、大阪~信州方面列車は北陸本線経由中心で設定されるようになる中、細々と中央西線経由の急行<ちくま>が存続、12系客車から383系に置き換えられ先は安泰かと思われたが、臨時化されひっそりと消滅。

さらに面白いものとして、JR発足当初、関西本線奈良・加茂発多気行き普通列車もありました(折り返しの多気→亀山行きも含めJR西日本亀山区の気動車で運用。逆に亀山-加茂・奈良間普通列車の一部はJR東海伊勢区が担当していた模様)。もし、本州がJR東日本・西日本2社折半体制だったら、三重県内は全てJR西日本管内となることは容易に想像され、広大な設備敷地を有する亀山機関区も紀伊半島東部のローカル列車を担当する拠点としてもう少し有効に活用されていたことと思います。なお、2009年紀勢本線全通50周年記念イベントでは、亀山-白浜間直通の臨時列車がキハ85系で1往復、またJR西日本キハ181系を借りて新宮発亀山行き臨時急行を運用するなど、かなり意欲的なものでした。加えて、関西地区(姫路・和歌山方面)から伊勢への修学旅行列車も2010年まで毎年運転されていたが、キハ181系引退とともに事実上廃止。

ほかには、国鉄時代から毎年夏の海水浴シーズンに運転されていた急行<エメラルド>(名古屋-東舞鶴、北陸本線・小浜線経由、キハ58系)があります。こちらも1995年の運転を最後に消滅。キハ75系の方向幕に「東舞鶴」が入っているのも、<エメラルド>運用を想定したものと思われます。それから、北陸本線長浜直流化完成当初、名古屋方面から長浜までの臨時列車(311系など)もありました(それ以前も気動車による臨時列車を設定するというかなり思い切ったものだった)。


JR東日本とJR東海を跨ぐ列車は、信州地区を中心にかなり多く存在します。

JR発足当時に比べて両社間を跨ぐ列車は相当減りましたが、現在残っているものとして

特急<しなの>【名古屋-長野】(383系)
中央西線普通列車【中津川-松本】(313系、211系)
飯田線【豊橋-上諏訪】(213系、313系)、快速<みすず>【天竜峡-松本-長野】(211系)
東海道本線【東京-沼津】(E231系)
寝台特急<サンライズ瀬戸・出雲>(285系)
臨時快速<ムーンライトながら>【東京-大垣】(185系)

が挙げられます。

かつては、東海道本線東京-静岡間を直通する普通列車および急行<東海>などもありました。<東海>165系引退により373系特急に生まれ変わると同時に、「青春18きっぷ」シーズンに大人気の大垣夜行を座席指定の<ムーンライトながら>に代替して存続するが、その後東京-静岡間直通列車が大幅に削減、<東海>も廃止され、<ムーンライトながら>は臨時化。113系引退に合わせ、会社境界の熱海で基本的に乗り換えることになりました。臨時<ムーンライト>は現在185系(JR東日本所属)で運転されているが、185系の引退も決まっており、その後の存続は厳しいと見られています。

東京から西日本・九州各方面への寝台特急(ブルートレイン)もJR発足当時はかなり多く運転されていたが、客車の老朽化などを理由に相次いで廃止、需要が旺盛と思われていた急行<銀河>【東京-大阪】すらもまさかの廃止とは驚かされたものです。現在残っているのは、<サンライズ瀬戸・出雲>(285系)のみとなっています。ただ、近年、出雲大社が心霊スポットとして大人気で<サンライズ出雲>の利用客が多く、GW・帰省ラッシュ時などを中心に臨時便も設定されたり、また<サンライズ瀬戸>は金比羅山への観光利用を見込んで土讃線琴平まで延長運転されています。

<ワイドビューしなの>(383系)も2016年まで1往復だけ大阪直通があったが、これも廃止。俗に言う「大阪しなの」であり、JR東日本・東海・西日本3社を跨ぐ唯一のロングラン特急として注目でした。


久しぶりに過去の「青春18きっぷ」の旅についてのレポートを書きます。

今回は、2001年8月、所用で名古屋を訪れたときのこと。

乗車経路は、

【高槻】~(東海道本線)~【米原】~(東海道本線)~【名古屋】~(関西本線)~【亀山】~(関西本線)~【加茂】~(関西本線)~【王寺】~(和歌山線)~【和歌山】~(阪和線)~【天王寺】~(大阪環状線)~【京橋】

で、往路は高槻から東海道本線で名古屋、帰りは関西本線・和歌山線を寄り道するというものでした。 

まず、高槻からの快速・米原行き(221系)は朝ラッシュ時間帯にさしかかり、ほとんど立ちっぱなしでした。大阪・京都方面から滋賀県への通勤・通学客も多く、これを甘く見てはいけないということ。

名古屋からの関西本線は313系のワンマン列車となっていてびっくりしました。この313系は確かボックスシートであり、中央西線中津川以北ローカルと共通運用でした。本来、大和路快速で天王寺をめざす予定だったのが、ふと寄り道しようという気になり、王寺から和歌山線に乗ることに。和歌山線の電車はもちろん105系でした。和歌山までかなり時間がかかり、名古屋からの所要時間は5時間を超えたかと思います。そういえば、昔、東京からの急行<大和>がこのルートで和歌山市まで乗り入れていましたね(和歌山線直通は王寺で客車1両だけ切り離し、和歌山線内普通列車として運転)。あと、名古屋と和歌山を結ぶ列車といえば、特急<あすか>(関西本線~阪和貨物~阪和線経由)もありました。

和歌山駅で途中下車、晩飯を食べるお店を探したが安くて良さそうなところがなく断念。紀州路快速で天王寺へ。


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これも過去のものとなりました。



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JR西日本とJR東海との境界駅を表す点景写真です。
JR西日本スタイルの駅名標とJR東海313系のコラボが見れるのは米原駅ならでは。


1995年9月、東京から大阪までの「青春18きっぷ」の旅についてふと書いてみたくなりました。

経路は中央本線~関西本線とかなりありきたりなものですが、まず中央線では2階建て車両215系使用の臨時快速列車<ホリデー快速ビューやまなし>に乗車したことが一つのポイント。新宿から小淵沢まで<ホリデー快速>1本で乗り通せるので快適でした。普段は八王子あたりで乗り継ぐことになるので、この直通列車は本当に有り難かったです。ただ、車内はやや窮屈だったかと思います。ダブルデッカー車は車体構造上どうしても狭苦しくなるようです。そういえばこの年は京阪特急にダブルデッカー車登場で話題になりましたね(旧3000系中間車を改造したもの、座席は9000系などで採用されたものと同じ固定式クロスシートゆえあまり快適とは言えなかった。その後に登場する8000系8800形は転換クロスとなり乗り心地も大幅改善)。京阪の特急はダブルデッカーも含めて無料で人気が高いのは有名(昨年から有料のプレミアムカーが連結されるようになったが)。

小淵沢駅で確か名物駅弁「高原野菜とカツの弁当」を買ったかと記憶。八ヶ岳近辺の新鮮野菜たっぷりの駅弁ということで人気がありロングセラーを誇っています。カツのソースは付いてなくて当時の私にはやや物足りなかったような・・・。でも今食べたら十分満足感があると思います。日本で平均寿命の一番長い都道府県は実は長野県であり、その理由の一つに高地の厳しい自然環境で育った野菜は良質の栄養素が多く含まれ美味しいことが挙げられています。

塩尻から中津川までは国鉄急行色165系で初秋の木曽路を堪能。もしかしたら、JR東日本所属169系長野色だったかもしれません。今ではこの区間に長野色211系が乗り入れるようになり、中津川駅ではJR東海仕様の211系とのツーショットも。


来年3月ダイヤ改正で、国鉄時代から使われていた「L特急」の呼称が廃止されることになりました。

https://trafficnews.jp/post/79287

「L特急」は1972年10月に登場した国鉄特急の愛称。
「L特急」は、赤字に苦しむ当時の国鉄が「特別な列車」としての特急(=特別急行)から特急大衆化を目指すべく、自由席連結、毎時00分・30分など定時間隔に運行される特急の愛称として付けられたもの。L特急の増発と引き換えに急行列車は減らされてゆきます。

もっとも、長距離で本数の少ない日本海縦貫<白鳥>や山陰本線周りの<まつかぜ>などは「L特急」とはならず、主に電化区間(でさほど長距離ではない)かつ本数の多い特急を対象に、「L特急」の呼称が与えられました。したがって、「L特急」といえば、381系、485系や183系などの電車特急といったイメージの強い方もおられるかと思います。

しかし、気動車の「L特急」もあります。国鉄時代当時は伯備線経由のキハ181系<やくも>のみで珍しかったが、国鉄末期~JR初期には「L特急」と呼ばれる気動車特急が花盛り。四国の<しおかぜ><うずしお>、高山本線<(ワイドビュー)ひだ>、北海道の<すずらん>、・・・。

ただ、短距離の特急も珍しくなくなった2000年以降、「L特急」の呼称を廃止する動きが全国的に広がります。現在、「L特急」の愛称が残っているのはJR東海の<ひだ><しなの><しらさぎ>の3つのみ。


国鉄時代の列車について、特に地方では行先表示は優等列車を除いて方向幕は「普通」などと固定的表示、側面サボを使用することが典型的でした。例外として天王寺鉄道管理局管内(ほか京阪神地区113系、長野地区115系、福岡地区401・415系などは方向幕に行先表示)などが挙げられます。

現在、JR東海管内となっている名古屋・静岡鉄道管理局管内も基本的にサボ使用、中央西線用103系の前面幕には「中央線」の固定板で塞いでサボを使用、といった状況でした。名古屋駅に乗り入れる関西本線の気動車(天王寺管理局所属分)のみが例外的に方向幕で「名古屋」「亀山」「奈良」などと行先表示をしていて、まるで国電的のようでした。

ただ、1982年の広島シティ電車を皮切りに地方都市圏に国電型ダイヤ導入(等間隔ダイヤ、高頻度、短編成)の動きが広がり、名古屋都市圏においても117系シティライナー投入、関西本線亀山電化など、都市型鉄道への脱皮をめざす動きが活発化します。脱・汽車型ダイヤを意識したものか、国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正より、名古屋・静岡両鉄道管理局管内では急行列車および東京(JR東日本管内)直通用113系など一部を除いてサボ使用を廃止、方向幕の使用開始となります。対象車両は、113・115・119系近郊型電車(119系は登場時から行先表示幕使用)、103系通勤型電車、165系急行型電車、そして気動車(キハ40系、キハ58系)。このエリアでは既に客車普通列車は廃止されていたこともあって、サボ廃止を実施しやすかったのでしょう。

旧・天王寺鉄道管理局管内の一部である三重県内の紀勢本線・参宮線・名松線もJR東海に継承されることに決まり、JR発足直前には名古屋鉄道管理局へ移管されました。伊勢運転区の気動車は当面そのまま天鉄局書式の方向幕を使用しましたが、1990年ごろよりJR東海書式の英文字入りゴシック体に取り替えられました。

急行「東海」「富士川」(165系)、「かすが」(キハ58系)についても、1990年ごろより「急行|東京」「急行|静岡」「急行|奈良」などの方向幕コマが設定されました(その後も急行列車はサボを使用)。


大阪環状線の103系引退でタイムリーな話題になっていますが、JR東海エリアの103系について書いてみました。

JR東海から103系が引退したのは1999年。
JR東海の103系は、名古屋近郊の中央西線用そのものでした。

名古屋都市圏の国鉄は東京や大阪と異なり、汽車型ダイヤが主体でしたが、中央本線(中央西線)沿線は高蔵寺周辺などを中心に大規模団地・ニュータウン開発が進んで人口急増、混雑も激しく普通電車用に首都圏(京浜東北線ほか)から103系が神領電車区に転入しました。車体色は京浜東北線時代と同じ青色で、関西圏で言えば東海道山陽緩行や阪和線と同じでした。ただ、方向幕は使用されず(前面幕は「中央線」と固定表示)、サボ受けが取り付けられ、113系や気動車ほかの列車と同様、サボで行先表示をしていました。

しかし、国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正を機に、名古屋地区の電車・気動車のサボ使用は廃止、103系ももちろん方向幕が使用されるようになります。JR東海発足の2年後、103系は当時量産中の211系と同じイメージの「JR東海カラー」に変更、キハ40系および同時期に登場したキハ11などの全銅製車両は103系と同じ「JR東海カラー」となりました。

さて、その103系ですが、中央西線のほか一時的に関西本線(名古屋-亀山間)の運用に入ったこともあります。

関西本線名古屋口は1982年の電化から年月は浅く、国鉄~JR初期には普通列車に165系3連口が使用されていたが、並行する近鉄名古屋線から少しでも旅客移転を図るべく、軽快な213系5000番台でイメージチェンジ。朝ラッシュ時の混雑は年々激しくなって213系だけでは対応しきれず、165系や103系が助っ人に加わります。

実は私・管理人は、一度だけ関西本線名古屋口の103系に乗車したことがあります。
1995年夏のことだったかと思います。木曽福島の帰り道、名古屋からの関西本線でやって来た電車は、夕方ラッシュ時間帯とあって、なんと103系の3両編成でした。亀山まで1時間強の短い旅で、日が暮れる時間とあって、あまり印象に残っていません。



昔のある旅行記について書きたくなりました。

今回は21年前の9月中旬、「青春18」シーズンが過ぎた頃のもの。

それは、片町線の河内磐船駅から八王子まで、片道きっぷの旅。
目的は八王子近辺の大学の学会を聴きに行くことでしたが、「青春18」も過ぎてしまい、かといって単純に新幹線の往復だけでは面白くない。

そこで、少し変わった経路で学割使って片道きっぷの旅をすることにしました。
経路は、

河内磐船→(片町線)→木津→奈良→加茂→亀山→名古屋→(新幹線)→静岡→熱海→茅ヶ崎→(相模線)→橋本→八王子

河内磐船駅の窓口に「八王子まで」と伝えたら、「新幹線ですね?」。

「木津まで出て関西本線で名古屋、そして東海道本線で茅ヶ崎から相模線で・・・」

駅員さんもさすがにびっくりしたらしく、しかしこの物好きな私に快くきっぷを発行していただいて感謝。当時の河内磐船の駅員さんは面白い人だったように記憶しています。

快速・木津行きに乗り込み、少し時間があったので奈良に寄ってみました。
木津-奈良間は2回通るので、正式には別の乗車券が必要となるところだが、確か折り返し乗車の特例があったように思います(急行<かすが>が木津を通過するため)。
奈良駅の売店で駅弁を1個購入。いわば普通の幕の内だったと思いますが、当時はJR奈良駅に駅弁販売があって有りがたかったですね。加茂発亀山行き普通列車の車内で食べました(キハ120のクロスシート)。

名古屋からは東海道本線普通・快速乗り継ぎを予定していたが、これだとさすがに疲れそうなので、静岡まで新幹線でワープ。普通乗車券使用なので、特急券だけを買えば良いのは助かります。浜名湖あたりの景色が一番印象に残ったかな・・・。

静岡から先の東海道本線についてはあまりよく覚えていません。

茅ヶ崎で電化開業から5年余りの相模線に乗り換えました。少し昔までは神奈川県最後の非電化路線としてキハ35系が活躍していたし、寒川支線なんかもあったようですね。日が暮れる時間に乗ったので、沿線風景はよくわかりません。

八王子駅で夕飯用に駅弁を購入。どんなものだったかは定かではないが、おかずの鶏肉が美味しかったように記憶しています。

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2006年3月17日に廃止された関西本線唯一の優等列車、急行<かすが>。
近郊区間大回り乗車で最終日の<かすが>を追いかけ、柘植で待機しました。
JR東海キハ75系とキハ120、そして草津線113系との顔合わせも、過去のものとなりました。


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「ワイドビュー」で知られるJR東海の特急型気動車キハ85系。
1989~92年にかけてキハ80系「ひだ」「南紀」を置き換え、今日まで好評活躍中ですが、
デビューから30年前後を迎え、さすがに老朽化が目立ち、いよいよ置き換えも視野に入りつつあります。

このほど、次世代のハイブリッド式特急車両の新造がJR東海から公式に発表されました。

http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000034155.pdf

2019年に試作車を投入して各種試験を重ね、得られた実績データをもとに、2022年を目標に量産車を製造する予定とのことです。





気動車急行のグリーン車連結は2003年の<つやま>が最後だった。

電車急行では、純正な急行型車両については名門<東海>(165系)が最後(1996年廃止)だったことは有名だ。特急型車両使用の列車を含めば、寝台電車583系<きたぐに>が2012年まで存続した。


さて、本記事では、主に1980年代以降の急行型電車のグリーン車(サロ)の動きについて、解説レポートする。


電車急行については、東北・上越新幹線上野開業の1985年3月14日ダイヤ改正が大きなターニングポイントだったと言える。同ダイヤ改正で交直両用車両(455・457・475系ほか)による急行運用が完全消滅したほか、上越・信越線系統を中心に直流急行電車もかなり数を減らす。


2年少し前の新幹線大宮暫定開通1982年11月15日改正で、交直両用急行型電車の運用に大きな変化が生じる。

まず、東北・奥羽本線の電車急行(<まつしま><ざおう>)は、大宮暫定開業ということもあって上野発着がかなり多く残り、乗り換えを嫌う旅客に一定の配慮がなされていた。

支線区の仙山線では、短距離ながらグリーン車連結の<仙山>が快速格下げと同時にグリーン車連結もなくなる。

新幹線の影響が小さかった常磐線でも、仙台以北直通のロングラン<もりおか>は廃止されるが、大所帯の<ひたち>は改正前とほぼ同じ本数が維持され(一部水郡線直通の気動車もあり)、特急<ひたち>と張り合う。

北陸本線では大阪発着<立山><ゆのくに>は特急<雷鳥>に格上げ、米原発着の<くずりゅう>は1往復を残して特急<加越>に格上げされる。<くずりゅう>はもともと普通車のみのモノクラス編成が使用され、この改正の時点で北陸筋において急行型電車のサロ営業は消滅。京都・大阪で交直両用急行型電車の姿が見られなくなる。

全国に先駆けて総特急化の動きが進められた九州では、1980年10月ダイヤ改正の時点で既に電車急行は大幅整理され(大阪から山陽本線経由夜行の客車急行も廃止、九州内は電車特急化)、82年11月改正で全廃。
山陽新幹線博多開通前は天下の山陽本線に乗り入れ、はるばる大阪・名古屋までロングラン<玄海>などが遠征(名古屋口では中央西線普通列車の間合い運用もこなしていたという)していたが、新幹線博多開通からわずか7年余りで九州の電車急行が陥落したことになる。
九州の急行列車は支線区直通の気動車と夜行の客車列車が残るのみとなる。


直流急行型電車(153・165・169系ほか)にもかなり大きな動きが見られた。

千葉の房総半島では高々150kmの短距離にもかかわらず特急一本化が進められ、153・165系の定期運用は廃止される。かつて気動車王国だった房総地方では、1970年代前半の電化の時点でさっそく183系特急電車が主役となり、電車急行は最初から脇役に甘んじるゆえ存在感が薄かったようだ(ただし観光列車ゆえサロは連結)。ちなみに房総半島では、海水浴シーズンには全国各地から気動車を集めて臨時の「遜色急行」も多く運転され、ロングシートのキハ35系も連結されていたとか・・・。

新幹線と並行する上越線の<佐渡>系統、そして東北本線上野口・高崎線の<なすの><あかぎ><草津>などは、かなり本数は残る。

また、架線下気動車急行で知られる名古屋-新潟間(中央・篠ノ井・信越本線経由)のロングラン<赤倉>も165系に置き換え、<佐渡>と共通運用が組まれる。もちろんサロは連結され、長距離の優等列車に相応しい姿はとどめていた。

中央西線の<きそ>(夜行など一部を除く)と<つがいけ>は特急<しなの>に格上げ、<赤倉>が唯一のグリーン車連結電車急行となる。中央西線は電化が比較的遅く、電化後は381系<しなの>に優先的に投資されたため、電車急行はあまり多く設定されなかった。


1984年2月ダイヤ改正では、名門の東海道<比叡>(名古屋-大阪)が廃止される。<比叡>は1980年10月改正で1往復に削減と同時にサロ連結が廃止され(共通運用を組んでいた宇野<鷲羽>も廃止)、普通車のみのモノクラス編成が使用され、東の<東海>などと同じ大垣電車区の所属だった。<比叡>は朝の大阪行きは岐阜・大垣から京都観光にも使いやすく利用状況は好調だったが、折り返し名古屋行きは時間帯が悪さして閑古鳥が鳴く状態だったという。


1985年3月ダイヤ改正は、急行列車全体にとって大きなターニングポイントだった。

交直両用急行型電車は全て本来の急行運用を失い、短編成でローカル運用に転職することになる。
地方都市に多く残る長距離客車列車を置き換え、広島シティ電車に始まる国電型ダイヤ(短編成、高頻度)の拡大導入に貢献する(→それだけでは足りないので、余剰となった583系を近郊型化改造、いわば「食パン」電車419・715系も追加)。
もちろんグリーン車は全廃だが、短編成化で不足する先頭車を補うため、165系クハからの改造のほか、サロの一部を先頭車化、クハに形式変更される。元サロのクハは座席はグリーン車時代のままだが、固定4人掛け化の簡易改造を受ける。それでも、座ってしまえば「乗り得」列車であることにはちがいなかっただろう。その点、「食パン電車」は元・寝台電車ゆえ、座席ピッチはゆったりしていて、なお「乗り得」だったことだろう(ただし、車内は窮屈感があり、ラッシュ時の乗り降りは不便だった)。

直流急行型電車についても、東北本線上野口・高崎・上越・信越本線系統は特急<あさま><白山>や185系「新特急」などに生まれ変わり、夜行<信州>1往復(モノクラス編成)を残して全廃。

せっかく晴れて電車化された<赤倉>も、<南越後>に改め長野-新潟間に短縮、サロ連結も廃止、モノクラス6連の身軽な姿に変わり、ローカル色が濃くなる(→その後列車名だけ<赤倉>に戻り、1997年まで存続)。中央西線からは電車急行が消滅する。

余剰となった165系は3連ユニットで関西本線名古屋口ローカルなどに使用される。

1985年3月の時点でサロ連結が残った電車急行は、中央東線<アルプス>系統と東海道本線<東海>のみになる。


国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正では<アルプス>は夜行1往復(→183系化)を残して全廃される。<アルプス>と併結運転して飯田線北部に乗り入れていた<こまがね>も廃止。
余剰となった松本の165系が遠く離れた紀勢本線ローカルなどに転用(日根野電車区)して客車列車を置き換え、新宮夜行(旧・<はやたま>)も165系で運用されるようになる。


JR発足後も残る電車急行(急行型使用)は、<東海><富士川><赤倉>などごくわずか、いずれも直流型165・169系。JR東海静岡エリアを拠点とする<東海><富士川>は、往年の電車急行の姿を保ち、中でも<東海>はサロ2両連結の堂々たる長編成で注目を浴びた。<東海>編成は大垣夜行(普通)にも使用され、むしろ「青春18きっぷ」で乗れて人気の高い大垣夜行(シーズン中には臨時続行便も運転)のために<東海>が存続していたようなものだ。

1990年代に入って老朽化の進む165系の置き換えがJR各社で検討されるようになり、<東海><富士川>は373系特急型電車に置き換えられることに決まる。373系化後の<東海>は特急列車に生まれ変わったものの、モノクラス6または9連のみでグリーン車無し、15両前後でグリーン車連結の普通列車に比べて身軽な姿で、さらに373系は普通列車との共通運用を前提とした設計ゆえ出入り口の仕切り(デッキ)もなく、サービスダウンの感は否めなかった。大垣夜行は全座席指定の快速<ムーンライトながら>となる。

しかし、「青春18」シーズン以外の<ながら>は閑散としているらしく、特急<東海>は2007年で廃止、<ムーンライトながら>も2009年以降臨時列車化、車両も373系からJR東日本所属の国鉄型特急車両(183系→185系)に変わる。かなり古い車両とはいえ、デッキ付きである分には373系より快適と言える。毎年「青春18」シーズンのみに運転されるゆえ、<ながら>の運転予定発表は廃止の噂が絶えない「青春18」が販売されるかどうかの踏み絵となっている。

急行<東海>廃止後、165・167・169系の引退が各地で相次ぐ。
紀勢本線では165系からロングシート105系に代わり、新宮夜行も廃止、紀伊半島一周の旅の楽しさが台無しとなってしまう(JR東海区間の新型気動車キハ25系もロングシート)。
中央西線木曽ローカルはJR東海担当分は313系、JR東日本担当分は115系(→211系)にそれぞれ代わる。


交直流急行型電車のほうはどうか?
1985年3月の時点で来の急行運用を失って30年近く経過するが、なんと165・169系の引退が進む中でも、東北・北陸・九州各地の普通列車でまだ現役活躍中だった。九州では元サロのクハ先頭車も残っていたようだ。
しかし、2010年ごろになって、さすがに老朽化は隠せなくなり、急ピッチで車両代替が進む。一番最後まで残ったのは北陸筋で、2015年北陸新幹線開業&金沢以東第三セクター化を機に完全引退する(413系に組み込まれている一部のクハ457のみ残っているが)。



大阪と飛騨高山を東海道本線・高山本線で結んでいた気動車急行「たかやま」。

いわば「大阪ひだ」の前身であり、現在はJR東海のキハ85系で運転されています。
東海道本線米原を越える定期列車は、去年まで「大阪しなの」や姫路方面~大垣直通の普通電車もあったが、現在「サンライズ出雲・瀬戸」とこの「ひだ」の2往復のみです。

さて、急行「たかやま」ですが、もちろんキハ58系で運転。
1987年の国鉄分割民営化以降もJR西日本・JR東海両エリアを跨いで運転される数少ない列車でした。
高山本線の特急「ひだ」および急行「のりくら」は1989~90年に新型キハ85系に全て置き換えられて「ひだ」に一本化、以降大阪からの「たかやま」が高山本線唯一の急行列車となります。

さすがに85系「ひだ」に比べて見劣りは隠せず、1991年に専用の編成を用意してリニュアル工事を受け、独自の車体カラーに改めるとともに車内は普通車も含めてリクライニング座席、優等列車として恥ずかしくない接客設備となります。観光利用が多いこともあってグリーン車(キロ28)も連結され、往年の気動車急行のラインナップをとどめます。

1996年の山陰本線京都口「丹後」廃止後、キロ連結の急行列車はこの「たかやま」と津山・因美線の「砂丘」(→「つやま」)のみに。「たかやま」もリニュアルを受けたとはいえ、さすがに老朽化は隠せず、1999年12月には特急「ひだ」に代替されました。

私も実は、急行「たかやま」に何度か乗車したことがあります。
ただし、全区間乗り通したというわけではなく、大阪行きで石山→京都間のみの短距離利用でした。

担当乗務員もJR東海の高山運輸区(車両はJR西日本京都総合車両所所属)で、いつも乗る電車(113・221・223系ほか)と違うヨソユキな雰囲気を感じました。古いDMH17H型気動車ということもあって加速が悪く、隣の内側線を併走する普通(→高槻から快速)・新快速電車に追い抜かれそうになったりで、これで急行料金を払うのはもちろん馬鹿馬鹿しいと言えるが、旅行気分を満喫する分には急行料金(520円~)は高くないと思う人もいたかもしれませんね。しかし、何よりも普通・新快速電車とはちがって、自由席も含めほぼ確実に座れるのは魅力でした(それだけ通常の利用客は多くないということだが)。

琵琶湖線(米原-京都間)を走る気動車急行といえば、「たかやま」のほか、1986年以前は草津線に入る「志摩」や「平安」もありましたが、確か石山には停車しなかったはず。

急行「たかやま」は、関西から飛騨路への観光客はもちろん、新幹線では不便な大阪・京都方面~大垣・岐阜間のビジネスや用務にも重宝されていたそうです。「大阪しなの」も廃止された今、「大阪ひだ」が関西と大垣・岐阜方面を結ぶ唯一の列車となりましたが、これもいつ廃止されるかわかりません。


1992年春、「青春18きっぷ」で名松線の旅をする。

名松線(松阪-伊勢奥津間)は行き止まりローカル線だ。

もともと松阪と名張、さらには奈良県の桜井を結ぶことを目的に建設されたことから、「名松線」という路線名が付けられた。しかし、関西急行電鉄が大阪-伊勢間の路線(=近鉄大阪線)を開通させ、さっそく高速運転を始めたことから、国鉄名松線の名張延伸は実現せず、奈良県境手前の伊勢奥津(津市美杉町)で行き止まりとなった。

未成線区間の伊勢奥津-名張間は三重交通バスで結ばれてきたが、年々本数は減らされ、現在同区間のバスは1日1往復のみだ。

さて、名松線に乗ったのは1992年春の1度きりだった。
伊勢奥津駅で確か、名張行きのバスを2~3時間近く待った。
学生時代の当時、山の中の小駅で長時間待つのは、正直退屈以外のなにものでもなかった。
さらに、この日は天気もあまり良くなく、夕方から雨が降り出した。

しかし、今だったら、むしろ無人駅で途中下車して、1時間ほど景色を眺めたり周りをぶらりと散策するのも楽しいと思う。


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伊勢奥津駅前(2015年、バイクで訪問)


2015年秋、バイクで伊勢奥津駅前を訪れたときは、名松線は不通だったが、
駅舎は綺麗に改装され豪華になって観光センターを併設、観光客で賑わっていた。
ただし、駅構内の線路は棒線化され、往時に比べて寂しくなったようにも思う。

せっかくなので、SL時代の面影が残っていた当時の伊勢奥津駅構内をもっと味わっておけばよかった。

伊勢奥津駅前からのバスは、概ね名張川の流れに沿って国道368号線を走行し、一旦奈良県(御杖村)を掠りながら、名張市に踏み入れる。名張川はこの先、奈良県の月ヶ瀬村を経て京都府南山城村で木津川に合流する。伊賀盆地を源流とする木津川は八幡市付近で宇治川・桂川と合流して淀川となり、大阪湾に注ぐ。意外にも名張川は淀川水系であり、三重県の伊賀地方は関西圏だ。

名張駅前に到着後、近鉄電車の区間快速で桜井までワープし、桜井線に乗り換えて帰路につく。


京阪沿線から新幹線で東京方面へ向かう場合、京都もしくは新大阪から乗るのが一般的だろう。特に、寝屋川市以北の沿線住民には、丹波橋経由近鉄で京都駅まで出るという経路が定着しており、JR学研都市線沿線においても、交野市の星田以東からは河内磐船もしくは松井山手で直Q京都号のバスに乗り継いで京都駅へ直行するほうが便利だ(→おおさか東線新大阪延伸後は、放出経由新大阪へ回るほうが便利になるだろう)。

しかし、新大阪から始発列車に乗れば確実に座れるメリットがある。京阪沿線からの場合、

→淀屋橋→(地下鉄御堂筋線)→新大阪
枚方市駅→(京阪バス)→JR高槻→(JR京都線)→新大阪

が一番行きやすいだろう(京橋から環状線大阪駅経由ももちろん可能だが、乗り換えが多いのが難点。ただし、「大阪市内」発のJR乗車券が買えるので、運賃は少し安くなる)。かつて、半年間ほど守口市駅から新大阪までの「新幹線シャトルバス」が試験的に運行されたこともあるが、利用状況が思わしくなかったのか、短命に終わった。

東京からの帰りは、京都・新大阪どちらで降りても特に問題はないだろう。
唯一の問題は、東京発最終「のぞみ」新大阪行きに乗る場合だ。新大阪から御堂筋線で淀屋橋へ回って、最終の深夜急行・樟葉行き(24:20発)に乗ることになるが、香里園以北の急行通過駅(光善寺、枚方公園、御殿山、牧野)および交野線への接続列車はなく、最終列車だけに混雑しやすい(特に週末は避けたいところ)。京都駅で下車して丹波橋回りのほうが確実に帰れるだろう。



1996年3月、東京からの帰りに「青春18きっぷ」で、大阪(天王寺)までやや遠回りの旅に出た。
乗車経路は、確か

上野→小山(東北本線)
小山→前橋(両毛線)
前橋→長野(信越本線)
長野→松本(篠ノ井線)
松本→中津川(中央本線)
中津川→名古屋(中央本線・快速)
名古屋→亀山(関西本線)
亀山→加茂(関西本線)
加茂→天王寺(関西本線・区間快速)
天王寺→京橋(大阪環状線内回り)

だったと記憶している。

長野(北陸)新幹線開業を翌年に控えて廃止された碓氷峠(横川-軽井沢間)を列車で通ったわけだが、実はこれ一度のみだった(もっとも、ここを訪れた一番の目的は、「乗りつぶし」だった)。残念なことに、確か碓氷峠辺りでは車内で爆睡していたかと思う。「峠の釜めし」で有名な横川といい、非常にもったいないことをしてしまった。長野新幹線開通後、信越本線の軽井沢-篠ノ井間は「しなの鉄道」に転換される。その後、北陸新幹線開通と同時に長野-直江津間もしなの鉄道・えちごときめき鉄道に転換され(北陸本線金沢以東も同様)、長野から北陸方面へJR在来線のみで移動するのは困難となった。

一番の目当ては、中央西線木曽ローカル(松本-中津川間)の165系だった。国鉄急行色で最後のがんばりを見せ、1990年代後半ごろ、時々大阪から無理矢理日帰りで松本への旅に出ることがあった。山深い木曽路の景色が何よりだった。一度、中津川駅で釜飯の駅弁を買ったこともあるが、中津川の駅弁販売はなくなったようだ。ちなみに中津川といえば「栗きんとん」でも有名だ。

名古屋からは関西本線に乗る。東海道本線米原経由のほうが早くて便利だが、やはり少し変わった経路を取りたいこともあって、確実に座れる関西本線を選んだ。


久しぶりに近畿圏を離れ、他地方に関する記事をエントリーする。
今日はJR東海の213系についてレポートを書く。

213系という形式は、1987年の国鉄→JR移行前後に、1988年開通の瀬戸大橋線向けに登場。117系と同じ2ドア・転換クロスシートだが、車体は首都圏および東海地区に投入されたステンレス車211系をベースとしている。213系は岡山電車区に配置され、さっそくJR西日本の所属となる。

これとは別に、JR東海でも213系5000番台が作られた。
213系5000番台は、関西本線(名古屋-亀山)の活性化とイメージチェンジが目的だった。関西本線名古屋口は1982年に電化され、普通列車に113系が使用されるが、輸送状況による見直しで1985年より165系3連口によって運用される。電化後の利用客増で列車本数は大増発されるが、並行する近鉄名古屋線に比べて劣勢は変わらなかった。しかも165系は急行型車両ゆえ2ドア・デッキ付きであり、乗り降りが不便で、車両そのものも老朽化は隠せず、新車への取替えが望まれていた。

そこで、関西本線の輸送状況に合わせて、1989年、2ドア転換クロスシート(一部ロングシート)の2両編成仕様とする213系5000番台を特別に作ることになった。213系5000番台は、当時JR東海管内で113系非冷房車を置き換えるために量産中の211系5000番台(3ドア・ロングシート)をベースに設計されたもので、211系をはじめ、JR東海独自の近郊型電車各形式(311・313系)との連結も可能となっている。JR東海独自の転換クロスシート車は、この213系5000番台が初めてであり、その少し後に東海道本線新快速用の311系も作られた。

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213系5000番台の外観
鉄道写真倉庫より拝借)

213系5000番台は、距離の短い関西本線で運用することを前提としていたため、トイレは設置されず、せっかくの転換クロス車も長距離運用には使えないのが泣き所だった。さらに、利用客のさらなる増加で2ドアでは混雑しやすくなったため、関西本線の主役として演じていた時期も意外に短かった(1990年代半ばには、ラッシュ時の助っ人として165系が復活したり、さらに103系3連口も応援に入る時期があった)。新快速用に作られた117系と同じ運命だ。

2000年より、関西本線ローカルには313系ワンマン仕様車が投入され、ワンマン運転が始まる。213系は朝夕ラッシュ時のみの運用で持て余し気味となり、トイレも付いていないので長距離の飯田線では使えず、転用先に困ることになる。213系の車体がステンレスゆえトイレの設置改造も難しい。しかし、登場からまだ20年前後なのでこのまま廃車するのももったいない。

そこで、2011年、213系を大阪・徳庵の近畿車輛でトイレ設置の改造を受けるという、JR東海異例の措置を取る。近畿車輛までJR貨物の電気機関車で牽引して搬送された。学研都市線(片町線)207・321系とJR東海213系との珍しい顔合わせが実現できたことだろう。トイレ設置改造後は、飯田線で313系とともに活躍している。

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JR東海伊勢車両区は本年3月で閉鎖され、紀勢本線・参宮線・名松線の気動車(キハ25系など)は名古屋車両区が管轄することになった。

そういえば、2007年、赤福の社長が「参宮線を廃止して、伊勢車両区跡地を駐車場にする」と発言して大ニュースになった。あの当時はまさか伊勢車両区が廃止されることはないだろうと思っていたが、武豊線電化で名古屋車両区の気動車配置に余裕が生まれたため、伊勢車両区の廃止が現実のこととなる。

本来、国鉄時代末期に伊勢運転区(当時)が亀山機関区と統合されるはずだった。しかし、亀山駅にJR東海とJR西日本の境界が置かれるため、JR東海管内となる紀勢本線や参宮線の気動車車庫が必要となったことから存続が決まる。

仮に三重県内の国鉄線が全てJR西日本管内となるのなら話は簡単だったはず。亀山機関区が関西・紀勢本線などを運用する気動車を一括管理し、今もなおそれなりの数の車両数が必要なことから、広大な車両基地を有効活用していたことだろう(2016年の時点では、希望的観測だが、姫新線に投入されたキハ122・127を標準仕様として、東海・北陸・紀伊半島から山陰・広島・山口までの広範囲にわたって大量配置され、キハ40系を置き換えることだろう)。早い話、名古屋近郊付近までの在来線と東海道新幹線全線をJR西日本が所有すれば、財務状況はもっと良かっただろう。

先日の記事でJR東海においてキハ47は5両だけの少数派ということについてコメントした。

http://katanogawara.blog.jp/archives/6951529.html

国鉄時代、キハ40系の1形式であるキハ47は近畿以西の西日本各地に配置され、東海地方には配置されなかった(JR西日本管内の北陸地方にも国鉄時代はキハ47が配置されなかった。一方、東日本でも水戸・新潟に少数だけ配置)。しかし、実は国鉄時代にも名古屋駅まで定期列車としてキハ47が乗り入れていたことはある。それは亀山機関区(天カメ)配属分の4両(80、81、1053、1054)で、関西本線電化前(1982年5月)のことだ。名古屋-奈良間直通の普通列車などで運用されることが多かったようだ。

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名古屋駅で発車を待つ奈良行き普通列車キハ47ほか
(「’80年代鉄道写真館」より拝借)


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名古屋駅ホームに停車中の普通奈良行きキハ47 所属表記「天カメ」が見える
(DEJI@気動車ファンのページより拝借)

関西本線名古屋-亀山間の気動車普通列車は奈良・亀山区のほか、美濃太田(名ミオ)もアルバイトに入り、このあたりでは見慣れなかったキハ48も姿を見せていた(1980年以前は、殿様「紀州」の間合いで天ワカの58系もあったが、天ナラに移管)。

キハ35系およびキハ45のイメージの強い天王寺鉄道管理局管内だけあって、キハ47が配置されたことは少し意外な感じもする(両運転台のキハ40 2000番台は亀山・伊勢にかなりの数が配置されたが)。ただ、国鉄末期を迎えた1985年、豊岡・米子からキハ47が新たに6両亀山に転入してきた。豊岡からの分の4両(3、4、1109、1110)は翌年伊勢に転属しJR東海所属となる(このほか1両1027号が福知山から伊勢に転入)。他はJR西日本に継承、1989年の学研都市線(片町線)電化までは亀山区で引き続き活躍したが、その後山陰・中国山地など各地へ散らばって行った。

1991年12月下旬、生まれて初めて東京旅行をする。
大きな目的は、東京圏のJR各線をできるだけ多く乗りつぶすこと。関西の青年鉄道ファンなら、一度東京を訪れ、複雑な首都圏の各路線を乗り回ってみたいと思うことだろう。

大掃除や正月準備で忙しい時候にもかかわらず、学生だった私はこの慌しさから逃れようと、親や家族に嫌味を言われながらあえて旅行に出た。周りの空気を読まずに行動してしまったが、少なくとも正月を迎えて落ち着いてから旅行すれば、周りの人たちもそれほど角が立たなくて済んだのではないか。いかに当時の私自身が非常に幼稚だったのかを思い出すと情けなくなる。

さて、この旅行は確か3泊4日の行程だったのかな。
初日は京阪高速バス枚方新宿線で車中泊。枚方市駅までのバスで運転手と少し談話になって、「東京へ行くんやったら新幹線が一番ですわ」と運転手がおっしゃってた。

翌朝、定刻より早めに新宿バスターミナルに到着したのち、さっそく「青春18きっぷ」1日目を使用。
具体的にどういう経路を巡ったのか、どんな食事をしたのかは覚えていないが、秋葉原駅から総武緩行線103系に乗り込んで、さっそく首都圏の通勤地獄を体験。首都圏の通勤ラッシュは大阪の比ではないということを知る。

その後、山手線、埼京線、京葉線、東金線、川越線、横浜線は乗車したように記憶している。千葉は113系が多く(非冷房車も残っていた)、八高線は当時全線非電化でキハ35系がまだ活躍していた。

宿泊は学生の身分なので、ユースホステスに泊まる。宿泊地はなぜか交通の不便な山梨県富士吉田を選び、大月から富士急行に乗ったと思う。富士吉田は雪が積もっていた。1991~92年冬は1980年代後半から続く暖冬傾向だったが、91年年末は厳しい寒波が訪れた。観光シーズンは終わって年末の忙しい頃なので宿泊客は私一人だけで寂しかった。

翌朝、中央線の電車で再び東京都心へ向かうが、とにかく時間がかかる。東京都市圏は広いと実感(近年、「東京近郊区間」が福島県や長野県にまで及んで巨大化)。


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京葉線205系

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埼京線205系

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川越線103系と八高線キハ35系との顔合わせ
(高麗川駅)


最終日前日の晩は横浜→上野(京浜東北線?)と回り御徒町近辺を徒歩で散策したかと思うが定かではない。その後、「大垣夜行」続行便を待つために東京駅ホームに座って並ぶ。来た電車は167系アコモ改造車(リクライニング)だったような記憶がある。明朝名古屋到着後、さっそく武豊線の気動車に乗り込む。朝の通勤ラッシュに備え、急行「かすが」用キハ58+65にキハ47などを連結した長い編成だった。

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武豊線の気動車(キハ47が先頭)

武豊駅からそのまま同じ車両で折り返す(名古屋到着後、「かすが」編成は切り離され、8時40分ごろ発の奈良行き「かすが」となる)。
その後、名古屋市街地を少しバスで回ったあと、太多線に乗るために、名古屋→多治見→美濃太田→岐阜→名古屋と回り、昼時を迎える。武豊線も太多線も、風光明媚な観光路線というわけではなく、景色を楽しむというよりは列車に乗るということが目的だった。

午後からいよいよ大阪への帰路につく。関西本線経由で湊町(現・JR難波)に寄り道することにした。

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キハ11と奈良行きキハ58とのツーショット(亀山にて)

亀山-加茂間は既にワンマン運転が始まっていたが、キハ58系がまだ残っていた。しかも数少なくなった奈良直通列車に乗れた。加茂到着前までほぼ爆睡していたように記憶している。奈良で乗り継いで終点・湊町到着後、なんばウォークを通って御堂筋線→京阪で枚方へ戻る。

JR東海に在籍する在来線用のマイナーな車両形式を考えてみた。

廃車されたものも含めて、次のものが挙げられる。

1)211系0番台
2)キハ47(廃車)
3)103系通勤型電車(廃車)
4)キハ30(廃車)

JR東海における国鉄時代の車両は、本年3月までに211系0番台を残して全廃された。

211系近郊型電車は1985年、首都圏の東海道線(0番台)および東北・高崎線(2000番台)に初めて登場、翌年1986年11月国鉄最後のダイヤ改正で名古屋にも0番台が4両編成×2本だけ投入された。初めは中京快速など花形運用に就いていたが、JR発足後311・313系の登場により、各駅停車中心の運用となる。211系そのものはJR東海発足後、5000番台という新番台を起こして老朽化した113系を置き換えるために大量に投入されるが、0番台とはちがってロングシート。211系0番台と5000番台の外観上のちがいは、先頭車貫通扉の窓で判別できる(ほかにクーラーユニットの形状のちがいなどもある)。211系5000番台は「青春18」ユーザーにとっての一つの「関所」、静岡地区ローカルなどを中心に運用されている。

一方211系0番台のほうは、最近ラッシュ時の関西本線(名古屋-亀山間)にも入ることが多いようだ。また、同じJR東海管内において、中央西線中津川-塩尻間ローカルにもJR東日本長野色の211系0番台?が足を伸ばすようになった。


JR東海に在籍したキハ40系について、キハ40・48が大半、キハ47は5両だけだった。
キハ47は両運転台・両開き2ドアで、いわば近郊型電車417・717系などと同じスタイル。国鉄時代、近畿以西の西日本各地に配置される。もともと東海地区にはキハ47の配置はなかった。JR東海のキハ47は、旧天王寺鉄道管理局管内の伊勢運転区から引き継いだものによる。伊勢にいたキハ47は、当初福知山に配置され、豊岡→亀山→伊勢の順に転属。JR発足後、しばらく伊勢所属でキハ58などと混結編成を組んで紀勢本線・参宮線などで活躍ののち、名古屋に転属して武豊線、そして最終的には美濃太田に転じて高山本線・太多線で最後の活躍をし、2015年に廃車。

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高山本線で活躍していたキハ47×4連
(「姫ココの気ままに撮り鉄ブログ」さまより拝借)

キハ30も同じく天鉄局の伊勢区から引き継がれた。ロングシート・3ドア車・キハ35系の両運転台で、同系列は未だ非電化だった関西本線奈良-湊町間の混雑緩和を目的に製造されたため、天鉄局管内では大所帯を誇っていた。しかし、電化路線の広がりおよび老朽化のため国鉄時代末期までにかなり廃車されたこともあり、JR東海では異色の存在だった。しかし皮肉なことに、2015年よりキハ25系1000番台という3ドア・ロングシート車が登場、特に紀勢本線においては、キハ35系が活躍してた頃を彷彿とさせるものだろう。1989年ごろまでキハ30も紀勢本線・参宮線・名松線で活躍するが、キハ11の登場により大半が廃車、キハ30 51号のみ保存目的で美濃太田に2008年まで在籍していた。

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JR東海に6両受け継がれたキハ30
(「絶対!乗り物中心主義」さまより拝借)



103系通勤型電車は東京・大阪都市圏の通勤型電車でお馴染みだが、名古屋でも通勤客の急増する中央西線用に一定数投入され、JR東海に受け継がれた。中央西線では大阪でも実現しなかった最大10両編成で運用されていた。国鉄時代は京浜東北線や京阪神緩行などと同じ青色だったが、JR東海誕生から2年ほど経過してJR東海オリジナルカラーに塗り替えられると同時に、当時増備中の211系5000番台に準じた内装アコモデーションにリニュアルされた。その後、一時期関西本線ローカルにも進出したこともあるが、1999年から313系の大量製造が始まり、103系は早くも全廃に追い込まれた。




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2003年9月の残暑の折、「青春18きっぷ」で名古屋へ小旅行してきたときに撮影した、211系(5000番台)の写真をアップしてみました。

JR東海の211系は国鉄時代末期に登場した0番台4両×2本のほかは、全てJR時代に製造された5000番台でロングシート車です。中央西線名古屋近郊区間と東海道本線静岡界隈を中心に活躍中です。

2003年は、1993年以来10年ぶりの「大冷夏」だったが、8月下旬より太平洋高気圧の勢力を盛り返し、一転厳しい残暑だったと記憶しています。また、阪神タイガースが18年ぶりにセ・リーグ優勝した年でした。

2005年の愛知万博を控え、自動車工業を土台とする名古屋経済、および食文化(みそかつ、きしめん、みそ煮込みうどん、えびふりゃー)も全国的に注目されるようになり、いわば「名古屋バブル」の前座のような時期だったようです。また、2004年より三重・亀山にはシャープの液晶モニタ新工場が稼動開始、これも名古屋経済の牽引役となり、「世界の亀山」と言われるようになります。

そういえば、中央西線中津川-塩尻間にもJR東日本長野色の211系0番台が乗り入れるようになったが、JR東海所属のそれとの顔合わせが実現したら面白いでしょうね(笑)


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今年3月で全廃となったJR東海のキハ40系(キハ40・47・48)。

高山本線・太多線を担当する美濃太田車両区では、昨年3月の武豊線電化で余剰となったキハ25系(0番台)およびキハ75系が転用され、キハ40系を全て置き換えた。

その後も紀勢本線・参宮線(伊勢車両区→本年3月に廃止)にはキハ40系が残るが、こちらもキハ25系1000・1500番台に置き換えられる。困ったことにキハ25系1000・1500番台はロングシートで、紀勢本線新宮-多気間といった長距離運用では高山本線と同じようにキハ75系を回してほしいものだ。

2007年6月に松阪を訪れたときのキハ40・48の写真を何枚かUPする。

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