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JR九州の近郊型電車813系が全車両 (82編成、計246両)をロングシート化すると発表されました。2023年12月より運用開始します。全車両のロングシート化改造は2028年度までに完了予定とのこと。

813系は1990年代以降に導入され、福岡・北九州地区の鹿児島本線・日豊本線をはじめ、新規電化開業の筑豊本線・篠栗線(2001年)にも投入。813系の座席は転換クロスシートを採用されていたが、近年混雑緩和を目的に一部座席を撤去する車両も発生しています。

今後、813系全車両をロングシートにリニュアルする予定です。ロングシート化によって混雑率緩和が期待されており、1編成(3両)あたり定員90名増加するといいます。改造後の座席内訳は、1編成(3両)あたりロングシート120席、ボックスシート(クロスシート)28席とのこと。車端部のクロスシートは残ります。

813系の運用区間は、鹿児島本線(門司港-荒尾)、長崎本線(鳥栖~江北)、日豊本線(小倉~佐伯)、筑豊本線・篠栗線(直方~博多)です。

813系電車ロングシート化します(JR九州)
https://www.jrkyushu.co.jp/news/__icsFiles/afieldfile/2023/11/30/231130_813_long-seat.pdf



福岡市の南郊外に位置する福岡県春日市。

春日市は福岡市街地からおよそ10kmの距離にあって、面積14平方キロメートルの小さい市ですが、同市内を通過する鉄道には興味深いものがあります。

春日市を通過する鉄道は、東の端に西鉄天神大牟田線とJR鹿児島本線、西の端に九州新幹線とJR博多南線。

春日市役所は市の東側にあって、JR鹿児島本線・春日駅が最寄り駅。春日駅から東およそ500mのところに西鉄春日原(かすがばる)駅があり、大野城市との境界に囲まれています。春日原駅には急行が停車します。近隣のJR南福岡駅(福岡市博多区)と大野城駅(大野城市)でも、春日市民の利用は多いです。博多へはJR、天神へは西鉄という使い分けができます。

南福岡駅構内の西側(春日市との境界手前)には、JR九州・南福岡車両区があり、近郊型・特急型電車合わせて500両以上が在籍。国鉄時代からの名門電車区で、かつて山陽新幹線博多開業まで583系寝台電車が所属し、九州・西日本を中心に大阪・名古屋、そして間合いで北陸本線特急まで広域運用をこなしていました。

一方、博多南線はJR西日本管轄路線ですが、山陽新幹線の博多車両基地と隣接していて、博多駅から車庫まで南に伸びる回送線を旅客線化したもの(したがって、線路規格は新幹線そのまま)。九州新幹線は博多南線と並走します。博多南線は「青春18きっぷ」で乗車することは不可能。

なお、春日市を通過する一般国道は存在しません。

春日市の観光スポットとして、春日神社(→市名の由来とされる)、福岡県営春日公園、奴国の丘歴史公園・資料館、白水(しろうず)大池公園、ほか多くの古墳・史跡が点在し、古代史のロマンをめぐる旅を楽しめます。

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久大本線と由布院の写真(2003年撮影)を数点アップしました。

久大本線は令和2年(2020年)7月豪雨で被災し、一部不通となりました。

令和2年も含めここ数年間の豪雨災害で被災した肥薩線や日田彦山線などの惨状を鑑み、不通区間の廃止も心配されましたが、全線復旧に漕ぎ着け、2022年3月1日より運行再開しています。



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久大本線のクイーン・ゆふいんの森


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ローカル列車で使用された黄色いキハ125

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トロッコQ

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トロッコQを牽引するキハ65形

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由布院駅前通り

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由布院への観光客を迎える馬車
 


JR九州・香椎線。

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香椎線は西戸崎(福岡市東区)~宇美(福岡県糟屋郡宇美町)間25.4kmのローカル線。全線福岡県内で、途中の香椎駅で鹿児島本線、長者原駅で篠栗線(福北ゆたか線)と接続するが、起点・終点とも他の鉄道路線との接続がなく、珍しい形のローカル線(支線)です。 ただし、終点・宇美駅では、1985年まで国鉄勝田線(吉塚~筑前勝田)と接続していました。

香椎線は、もともと宇美駅付近に広がる糟屋炭田の石炭を西戸崎港に運ぶことを目的に建設された路線。筑豊地区の炭田が衰退した現在、香椎線は福岡近郊の通勤通学路線、そして海の中道~志賀島方面への観光アクセスとしての役目を担っています。

現在、列車系統は香椎駅を境に基本的に分割されており(1日数本、全線通しの列車は設定されているほか、西戸崎発鹿児島本線直通博多行き列車もある)、異なる路線のように見えます。西戸崎~香椎間は「海の中道」という砂州を通っているため、「海の中道線」という愛称が付いています。海の中道から「金印」で有名な志賀島へ、道路でつながっています。香椎~宇美間については、酒殿付近で国鉄志免炭鉱の遺産である「ボタ山」が望めます。

運用車両は全線非電化のため、「蓄電池電車」BEC819系300・5300番台を使用。香椎駅の充電設備で充電します。2019年まではキハ40・47形気動車が使用されていました。BEC819系は2023年7現在、全編成が直方車両センターの所属。ただし、香椎線用300・5300番台は、南福岡車両区竹下車両派出に常駐です。


福岡県 粕屋町
https://amanogalaxy.livedoor.blog/archives/22044190.html



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JR九州の特急【ゆふいんの森】。

博多駅と大分県の由布院・別府駅を久大本線経由で結ぶ観光列車で、1989年に運行開始。久大本線沿線には、日田・湯布院・九重・別府温泉などの観光地に恵まれ、JR九州発足以来、早くから観光列車が運行されてきました。

【ゆふいんの森】にはキハ71系という気動車が使用され、デザインは1930年代のヨーロッパの流線型気動車を髣髴とさせるものと言われます。車体構造はハイデッカーで展望を売りに大型側面窓が採用され、バブル時代そして黎明期のJR九州観光特急を象徴する車両です。キハ71系は1989年の「グッドデザイン商品」に選定されています。

さて、キハ71系は、実は「キハ58系の生き残り」なのです。とはいっても、車体は完全新造であり、台車・エンジンのみキハ58・65形から流用されたもので、「改造」扱いになっているようです。改造元の車両は、下記の通りです。

キハ71-1(1号車) 元:キハ65-51
キハ70-1(2号車) 元:キハ58-490
キハ70-2(3号車) 元:キハ58-436
キハ71-2(4号車) 元:キハ65-19


キハ70-2のみ1990年に追加増備のほかは、1989年に落成。

キハ71系には当初、キハ58・65の原型エンジンが搭載されていましたが、2003年の更新工事に合わせてコマツ製SA6D125H-1・SA6D125H-1Aに交換され、高出力化されました。

したがって、現在運用中のキハ71系は、台車を除いて「キハ58系の面影」を完全に失いました。

来年、久大本線に新観光列車を投入すると発表されました。キハ71系【ゆふいんの森】を置き換えるものと考えられています。

キハ71系と似たような経歴の車両として、JR西日本の「エーデル」シリーズなどが挙げられます。「エーデル」はキハ65形(一部キハ58形)を大改造し、先頭部が前面展望式の特急用に生まれ変わった車両。ただし、形式・エンジン・台車は原型のまま。車体も先頭部を除いてそのまま活かされ、スタイルは丸みのある柔らかい印象に変わったものの、原型時代の面影が垣間見られるものでした。


かつて博多-長崎間を筑肥線・松浦線・大村線経由で結んでいた気動車急行【平戸】。 全長247.7kmに及ぶかなりなロングランを走っていました。博多-長崎間といえば、長崎本線経由がメインルートで、特急【みどり】などが多く運行されているが、松浦半島に沿った複数のローカル線をつなぎ合わせたルートでも気動車急行が1往復だけ細々と運転されていましたね(所要時間およそ5時間半)。

急行【平戸】の走行した路線・区間の大半は、第三セクター化されたり、線路が付け替えられ、国鉄・JRの路線としては「過去のもの」となっています。

特に筑肥線は、福岡市営地下鉄(空港線)開通(1983年)を機に、大きく姿を変えてしまいました。博多-姪浜間は地下鉄に(相互乗り入れする形で)代替、(博多ー)姪浜ー東唐津間直流電化、東唐津-山本(唐津線)間付近の経路変更、唐津線以西区間の分断など、複雑な変遷をたどりました。そのあたりの詳細については、あまりにも複雑なので割愛させていただきます。伊万里から先に続く松浦線は1988年に第三セクター化(松浦鉄道)されました。

1983年福岡市営地下鉄開通と同時に、急行【平戸】は博多-唐津間廃止され、福岡市内への直通を失い、ローカル色が濃厚に。そして、1988年松浦線第三セクター化と同時に廃止されました。

【平戸】はもともと竹下気動車区担当だったが、末期の博多直通廃止以降、長崎区に移管されました。観光色豊かなところを走るのに、グリーン車連結はなく、終始普通車自由席のみだったようです。


JR九州の車両で座席撤去が相次いでいます。

同社の車両の一部座席撤去は2021年から始まりました。対象車両は813系近郊型電車。長崎本線・鹿児島本線・日豊本線など九州内電化各線に広く投入された転換クロスシート車。保有数は最大勢力の汎用車両です。JR西日本の223系、JR東海の313系に相当しますね。

今回の座席撤去は1編成で計48席、1車両あたり16席を目安にしているとのこと。813系ではもともと1両40~50座席の仕様となっており、多いケースでは1車両で「4割削減」にもなるといいます。

撤去理由は、「特に通勤、通学時間帯で、乗降ドア付近の混雑緩和とスムーズな乗降が目的」とJR九州は説明。一方、新型コロナに伴い旅客収入は大幅減収。座席撤去は1車両あたりの「乗車可能な人数」が2割程度増える効果があることから、輸送能力を一定程度維持しながら、保有車両を減らすことも期待できるといいます。

しかし、一般利用者には必ずしも納得のいく話ではないでしょう。「遠距離通勤で1時間以上立ちっぱなし」「高齢者や妊婦などが座れていない」などの苦情も相次いでいます。

完全な座席撤去ではなく、一部ロングシート化とはいかなかったのでしょうか。

JR九州の座席撤去に困惑
  ・・・1車両で最大4割「通勤1時間以上、立ちっぱなしに」(西日本新聞)

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/891052/



福岡・北九州近郊エリアの #駅名はちがうが簡単に徒歩連絡できる駅 リストを作ってみました。

両駅間の距離は概ね400m前後以下を目安とします。

箱崎(JR鹿児島本線)   ~ 箱崎九大前、箱崎宮前(地下鉄箱崎線)
吉塚(JR鹿児島本線、篠栗線) ~ 馬出九大病院前(地下鉄箱崎線)
祇園(地下鉄空港線)    ~ 呉服町(地下鉄箱崎線)
薬院(西鉄天神大牟田線)  ~ 渡辺通、薬院大通(地下鉄七隈線)
春日(JR鹿児島本線)   ~ 春日原(西鉄天神大牟田線)
大野城(JR鹿児島本線)  ~ 白木原(西鉄天神大牟田線)
二日市(JR鹿児島本線)  ~ 紫(西鉄天神大牟田線)
天拝山(JR鹿児島本線)  ~ 朝倉街道(西鉄天神大牟田線)
企救丘(北九州モノレール) ~ 志井公園(JR日田彦山線)
西鉄小郡(西鉄天神大牟田線) ~ 大板井(甘木鉄道)
試験場前(西鉄天神大牟田線) ~ 久留米高校前(JR久大本線)



「白木原」「春日原」は、それぞれ「しらきばる」「かすがばる」と読みます。九州では「原」を「はる」と読むようで、「筑前前原」(ちくぜんまえばる)、「原田」(はるだ)などが好例ですね。

「馬出九大病院前」は「まいだしきゅうだいびょういんまえ」と読み、これも難読駅名でしょう。

「天拝山」(てんぱいざん)は、福岡県筑紫野市にある標高257mの山で、大宰府の菅原道真公が幾度も上ったことでも知られます。


国鉄時代の九州を走った気動車特急について書いてみました。

山陽新幹線博多開通前は、関西から山陽または山陰経由で九州各地を結ぶ気動車特急が多く運転されていました。 以下の列車がありました。

【かもめ】      京都・新大阪~長崎・佐世保(山陽本線経由)
【いそがぜ】→【日向】京都・新大阪~宮崎(山陽本線経由)
【なは】       京都・新大阪~西鹿児島(山陽本線・鹿児島本線経由)
【まつかぜ】     新大阪~博多(福知山線・山陰本線経由)
(向日町運転所 キハ80系)


これとは別に九州内の気動車特急も多く設定されていました。

【有明】       門司港~西鹿児島(鹿児島本線経由)
【にちりん】     博多~宮崎・西鹿児島(日豊本線経由)
【おおよど】     博多~宮崎(鹿児島本線・肥薩線・吉都線経由)
(鹿児島運転所 キハ80系)


特に関西発着の向日町区キハ80系特急は、最盛期には北は青森(日本海縦貫)から南は九州までの広範囲をカバーし、食堂車(キシ80)・グリーン車連結の長編成で、花形的存在でした。山陽・山陰経由とも共通の編成だったようです。

鹿児島区編成のほうも向日町に負けじと、キシが組み込まれていました。

ただ、九州内主要幹線の電化拡大、および山陽新幹線博多開通(1975年)に伴い、九州から特急型気動車が徐々に撤退。新幹線博多開業後、山陽本線経由の気動車特急は全廃、関西~九州系統は山陰経由の【まつかぜ】1往復を残すのみとなりました。

九州内列車も、【にちりん】の一部と【おおよど】を除いて電車化。日豊本線は宮崎以南非電化で残っていましたが、1979年に全線電化。

1980年10月ダイヤ改正で【おおよど】廃止、【にちりん】は全列車電車化され、鹿児島区からキハ80は引退しました(一部は名古屋区へ転属、【ひだ】【南紀】に転用)。

その後、山陰からの【まつかぜ】が九州唯一の気動車特急に。新幹線博多開通以来、気動車特急として営業距離トップの座を維持、グリーン車・食堂車連結という最盛期の姿を保つが、1985年3月ダイヤ改正で博多【まつかぜ】は廃止。代替として、【いそかぜ】(2代目)が米子-博多間に新設されると同時に、キハ181系4両普通車のみの身軽な姿に様変わり、ローカル色が濃厚になりました。

この改正で向日町区のキハ80系は全廃に。【まつかぜ】は大阪-米子間に2往復、キハ181系に統一されるが、運転区間短縮や食堂車廃止など末期感を強め、翌年1986年福知山線電化に伴い廃止。

キハ80系の定期運用は1986年ダイヤ改正以降、名古屋区の【ひだ】【南紀】のみとなり、JR東海に継承されました。

九州内ではJR発足当初、キハ181系【いそかぜ】(JR西日本米子区所属)が唯一の気動車特急として異彩を放っていました。その後、久大本線や豊肥本線に残る気動車急行も相次いで特急化され、JR四国から譲渡されたキハ185系などに置き換えられました。

【いそかぜ】は1993年小倉-博多間を【にちりん】に置き換える形で廃止、九州から事実上の追放という格好でした。


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中華料理の点心でおなじみのシュウマイ(焼売)。

シュウマイの駅弁といえば、横浜・崎陽軒の「シウマイ弁当」が超人気ですね。

シュウマイの駅弁は全国に幾つか存在するが、九州の鳥栖駅・中央軒「焼売弁当」も東の崎陽軒と並んでなかなか有名です。鳥栖の「焼売弁当」はシュウマイと九州名物の「かしわめし」とのコラボが特徴的。中央軒は大正2年(1913年)に日本初の鶏めし駅弁「かしわめし」を考案した駅弁屋さんなのです。

なぜ鳥栖でシュウマイなのでしょうか?

鳥栖は鹿児島本線と長崎本線の分岐する駅で、エキゾチックな港町・長崎の玄関口。長崎とのライバル意識から、シュウマイ弁当の商品化を考案したとの話です。

中央軒の焼売弁当でもう一つ特徴的なのは、「酢醤油」でいただくということ。九州北部は中華まんを「酢醤油」で食べる土地柄のようです。関西ではからし醤油で食べるところが多いみたいですね。九州と縁のない私の家では、なぜか昔から餃子や焼売を酢醤油で食べる習慣でした(最近はポン酢あるいはからし醤油で食べることが多い)。


JR日豊本線の「秘境駅」で有名となった宗太郎。

大分県佐伯市にあり、大分県と宮崎県との県境にあたります。 日豊本線の佐伯-延岡間は県境越えの山間部区間にあたるため、普通列車の本数は極端に少なく、「青春18きっぷ」の難所の一つとして知られます。この区間、特急列車は途中ノンストップ。特に宗太郎駅の発着本数は上下合わせて普通列車3本のみしか止まりません。宗太郎駅の時刻表は以下の通りです。

【上り】
06:39 佐伯行き
20:07 佐伯行き

【下り】
06:54 延岡行き


宗太郎駅に停車する普通列車は、2017年まで気動車(キハ200系)だったが、現在は特急車両787系電車が間合い的に使用されているそうです。

宗太郎駅を訪問する際の乗車プランとしては、

延岡  06:10 → 宗太郎 06:39
宗太郎 06:54 → 延岡  07:26
(宗太郎駅の滞在時間15分)

が最も効率的でしょう。


今更ながら、学生時代の旅行は以下のようにすればもっと楽しく利徳も大きかったのでは、と思っています。

学生時代は自由な時間が多い反面、金銭面では決して自由とは言えず、旅行などしようと思えばバイト等で稼ぐのが一般的でしょう。しかし、学生の本業は飽くまで学業であり、本来バイトは程ほどにすべきところでしょう。自由な時間の多い学生とはいえ、勉強も部活もバイトも旅行・レジャーもあれもこれもと欲張ると、何もかも中途半端になってしまいかねません。不器用な私はこの兼ね合いで失敗してしまったようで後悔しています。人生は難しいですね。

ここは「選択と集中」という発想で、「本当にやりたいと思うこと」に一点集中するほうが、満足な結果を残しやすいのではと思いました。

学生の旅行といえば、「青春18きっぷ」という選択肢がまず思い浮かぶでしょう。「青春18」での帰省や合宿・ゼミ旅行は、学生ならではの一つの有意義な使い方でしょう。「青春18」の使い方は人それぞれで、忙しい社会人の週末に日帰り旅行で使うということなどももちろん可能です。実を言うと、中学・高校時代から大学2回生の頃までにかけて、日帰り可能な近畿・東海・北陸エリアのJR線は「青春18」などで大方乗ってしまったため、燃え尽き症候群というか虚無感に襲われ「うつ」状態に嵌ったこともあります(これも自分の「青春18」の使い方というか「乗り鉄」の楽しみ方が下手だった由縁だろう)。

時間のある学生時代なら思い切って遠いところへ旅行する、そのためにバイトで集中的にガッツリ稼ぐんだ、という気概で活動するほど、旅行そのものを楽しめるばかりか学業や将来の人生にもプラスになるはずで利徳も大きいと、今頃になって気づきました。自分だったら、九州もしくは北海道へ旅行すべきでした。

* * * *

北海道については先日投稿したので、今回は九州へどんなルートで旅行するのか考えてみました。

関西から九州へは新幹線が一番早いが、他に高速バスやフェリー、航空機などの選択肢も可能です(ここで学割を使いましょう)。特にフェリーはゆっくり眠りにつきながら移動できるので快適で楽しそうですね。「青春18」で山陽または山陰本線を丸一日乗り通すのも良いが、時間がかかって疲れるのが難点でしょう(1990年代~2005年頃まで、京阪神と九州を結ぶ臨時夜行快速もあったが)。

九州内はJR九州のフリー乗車券を利用すればよい。なかなか行きづらい熊本・宮崎・鹿児島など南九州のローカル線を重点的に回る。熊本から船で島原半島へ渡り、島原鉄道に乗って長崎を回るルートも面白いでしょう。台風の被害で廃止された高千穂鉄道もぜひ乗っておくべきだったでしょう(高千穂からバスで南阿蘇鉄道高森線へ抜ける阿蘇岳横断ルートは最高の絶景でしょう)。

行動人数も、できれば一人旅にしたいところ。仲間とワイワイ盛り上がるのも結構なことですが、私にはゼミ合宿や卒業旅行ぐらいで十分ですね(卒業旅行もできれば一人旅で行きたいところ)。ただ、遠方の親戚や友人のところへは積極的に訪ねるようにしたいもの。特に叔父・叔母に顔を見せに行けば、家族も喜ぶでしょう(場合によっては航空料金片道分ぐらい親から援助してもらえるかもしれません)。


2021年3月ダイヤ改正で、九州の名門特急だった【有明】が廃止されることになりました。

特急【有明】は鹿児島本線を代表する花形列車で1967年登場。 1970年鹿児島本線全線電化後は485系で運転されるようになります。1975年山陽新幹線博多開通を機に大増発が行われ、JR九州発足後は看板列車としてさっそく783系「ハイパーサルーン」を投入。1991年改正時には最盛期を迎え32往復を誇りました。

その後、西鹿児島(現・鹿児島中央)発着の列車が【つばめ】として独立。【有明】は熊本以北の列車に与えられます。【つばめ】と一部の【有明】には787系が投入され、ビュッフェも連結するなど、九州新幹線開業前の花形列車として君臨することに。

なお、JR発足直前の頃より、【有明】の一部は熊本駅から豊肥本線熊本市内区間の水前寺・肥後大津まで直通運転を開始しました(豊肥本線は非電化のため、DE10が485系および783系を牽引する形だった。その後一旦直通運転は中断するものの、1999年には熊本-肥後大津間電化により、豊肥本線内での自力走行も可能となる)。

【有明】の大転機は2011年九州新幹線(鹿児島ルート)全通時に訪れました。新幹線と完全並行となる鹿児島本線の特急列車は大幅整理され、【つばめ】は廃止、【有明】も大幅減便に。【有明】はその後もダイヤ改正ごとに本数が減らされ、2018年3月、上り1便(大牟田→博多)平日朝のみの運行に。もはや今流行の短距離通勤特急であり、かつての名門特急としての輝きは消え失せた印象です。そして、2021年3月、【有明】54年間の歴史にピリオドを打つことに。

【有明】の歴史からは、高嶺の花だった「特別急行」から特急大衆化時代の「L特急」、そして近年の着席通勤のニーズに応える「通勤特急」という、国鉄・JR特急の在り方の変遷を垣間見ることもできますね。

国鉄末期~JR初期の【有明】大増発時代の頃、一時485系の3両編成という超ミニ編成の特急が登場したこともあります。新幹線開通前夜の鉄道絶頂期における「特別急行」のイメージとかけ離れた姿ですが、これもバブル経済下での【有明】最盛期の立役者と言えるのかもしれません。あるいは、九州新幹線開通後の【有明】凋落時代への「予兆」だったのかもしれませんね。かなり古くから高速バスとの競合が激しいエリアのようであり、豊肥本線への直通運転も熊本市中心部への利便を図ることが目的で、高速バスを意識したものと言われます。


国鉄時代末期、九州向けに製造されたキハ31形気動車。

30番台の形式であることから、キハ35系と同じロングシート車と思われるかもしれませんが、キハ31形は転換クロスシート車です。都合23両が製造されました(国鉄時代の1987年までに20両揃ったのち、JR九州発足後に3両追加)。

九州に多く存在する急勾配区間での使用を考慮して軽量化を図り、車体は軽量ステンレスを採用。車体長は従来の20mから17mに短縮。乗降扉はバス用の折り畳み式で車両両端部に配置、ワンマン運転を視野に入れた設計とされました。顔は同時期に四国・北海道向けに製造されたキハ54形と同じものでした(四国向けのキハ54形は残念ながらロングシート)。

ハード面ではコストダウンが徹底化される一方、接客設備としては新幹線0系の転換クロスシートを転用(2+1の3列に配置)、観光路線での旅客サービスに配慮されています。JRローカル線用の気動車で、転換クロスシート車は多くないですね。

当初熊本運転所・唐津運転区(→実際は竹下気動車区に配置)・大分運転所に配置。JR発足翌年の1988年、さっそく香椎線・三角線でのワンマン運転開始され、唐津所属の車両は竹下・長崎に転出。合わせて3両が追加新造され、竹下に配置。

その後、キハ200系の登場および香椎線でのワンマン運転方式変更に伴い、1994年までに竹下・長崎から撤退、熊本と大分に集中投下されました。2001年には4両が鹿児島運転所に転属。2004年には1両がくま川鉄道に譲渡(→KT31形)されました。

キハ31形は2019年12月までに全廃された模様です。それよりも古いキハ40系やキハ66系がまだ残っているのに、勿体無いような感じもしますね。

引退の始まる2017年3月改正前は、直方車両センターに14両、熊本車両センターに6両配置されていました。直方車両センターでは直方運用(筑豊本線若松線)と日田彦山線運用(後藤寺線、日田彦山線、筑豊本線原田線)に分かれて使用されていたようです。熊本車両センター所属分は、主に三角線で運用されていたが、かつては豊肥本線・肥薩線での運用もありました(肥薩線運用は2016年3月消滅)。肥薩線の観光列車「九千坊号」に使用された時期もあります。



「桂川」駅は、廃止されたものも含め全国に3つ存在します。

○JR筑豊本線・篠栗線(福岡県嘉穂郡桂川町)

○JR東海道本線(京都市南区)

○ JR函館本線(北海道茅部郡森町) →廃止


読み方ですが、九州の「桂川」は「けいせん」、他2つは「かつらがわ」です。

函館本線の「桂川」駅は2017年廃止されました。もとは信号所として設置され、1979年より桂川仮乗降場となったのち、1987年JR北海道発足と同時に桂川駅に昇格しました。駅名の由来は、「かつてカツラの大木が密生していたための名称」とも言われています(太田幸夫)。正式駅「桂川」としての歴史は、JR発足からちょうど30年間の短命でした。

東海道本線(JR京都線)の「桂川」駅は2008年開業と新しいです。JR西日本の京阪神エリアにおける相次ぐ新駅開業攻勢のもとで設置されました。近隣の阪急京都線「洛西口」も2003年開業と比較的新しいですね。

一番歴史が古いのは、福岡県の「桂川」駅ということになりますね。もとは1901年に九州鉄道の「長尾駅」として開設されるが、1940年「桂川駅」に改称されます。その後、1968年には筑豊地区と福岡市内(博多)を短絡する篠栗線が全通し、桂川駅は篠栗線の正式起点となります。なお、町名の「桂川町」は「けいせんまち」と読みます。



(その1)
http://katanogawara.blog.jp/archives/35531227.html

山陽本線のラスト、新山口-下関間は、ほぼ内陸を走り単調な景色が続きます。ただ、宇部・小野田など工場地帯も多く、宇部線、小野田線、そして美祢線とユニークな支線に接続しており、意外に変化に富んだ区間と言えそうです。小野田線の長門本山支線には最近まで旧型国電クモハ42形が残っていたようですね。

埴生あたりから再び周防灘の海岸寄りを走るが、長府付近で再び内陸に入り、新下関駅で山陽新幹線と交差ののち、進行方向右側に山陰本線が寄り添い合流すると幡生。これまで進行方向左側が海寄りだったのが、幡生-下関間は右側が海寄りに変わり、日本海側・山陰の一部でもあることを物語ります。国道9号線(山陰道)は、面白いことに下関市内の単独区間で2号線(山陽道)と位置関係が逆転、瀬戸内海(周防灘)の海岸線を走り、かの有名な壇ノ浦を通って、下関駅前が終点となります(2号線は北寄りのルートを取りつつ、壇ノ浦付近からトンネルで関門海峡を渡り九州に入る)。

下関に着く頃には大雨が降ってきました。この年の夏は天候不順で梅雨明けが遅く、お盆明けまで雨の多い冷夏でした(その後は一転、9月中旬まで猛暑が続く)。

山陽新幹線は下関駅には乗り入れません。新下関駅から長いトンネルで関門海峡をぶち抜いて小倉駅へ回ります。

下関といえば、ふぐを忘れてはいけませんね。もしかしたら、下関の名物駅弁「ふくめし」を買って食べたのかもしれません。そういえば、この頃、下関のふぐを味わう観光客のために、広島~下関間のキハ181系ロングラン臨時快速が運転されていましたね。ちなみに下関に乗り入れる最後のキハ181系は、山陰本線の特急【いそかぜ】でした(関門海峡を通って小倉まで直通、2005年廃止)。

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宇部線から下関へ乗り入れる105系

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下関に停車中の415系
JR西日本115系旧・瀬戸内色と塗装がよく似ている

下関から先、JR九州エリアに入ります。さっそく小倉行き415系に乗り換え。九州のJR電化路線は筑肥線を除いて交流方式で、下関駅が交直セクションに当たるため、関門区間には国鉄型の交直流両用車両415系が現在も使用中です。JR九州の新型電車は、筑肥線用を除いて交流専用(700~800番台形式)で統一されています。国鉄末期~JR初期頃、下関発着の日豊本線485系特急【にちりん】もありましたね。

関門トンネル抜け、門司の次が小倉です。山陽本線の終点は門司で、ここから鹿児島本線に入ります。かつて山陽本線ばかりか山陰本線の列車も関門海峡を渡り九州まで旺盛に直通していたが、下関で列車系統が分断され、寂しくなったものです。鹿児島本線の起点は門司港で、もともとここが九州の玄関ターミナルして賑わったそうで、鉄道文化遺産の町として活性化が図られています。

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小倉駅にて 右の列車は日豊本線の特急【ソニック】

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883系特急【ソニック】

小倉からいよいよ九州本番。鹿児島本線の快速に乗ってしまえば博多まであっという間だけど、ゆっくり座りたいこともあってあえて普通電車に乗りました。門司港へ寄ってみてもよかったけど、時間がなかったので・・・。

福岡県といえば温暖な気候のイメージがあるが、関門海峡~対馬海峡沿岸は地形的に日本海側、山陰地方の延長であり、冬は北西の季節風の影響で雲が広がりやすく、雪が降ることも珍しくないようです(ただし、気候型としては準・瀬戸内型で雨量は少なく温暖)。

小倉から博多までの間、日豊本線、筑豊本線、香椎線、篠栗線などが分岐。筑豊本線~篠栗線は2年前に電化されたばかりで、電化まで50系客車が残っていました。筑豊本線に接続する折尾駅の駅弁「かしわめし」は有名ですね。沿線は八幡製鉄所に代表される北九州工業地帯をバックに大学などが多く、福岡・北九州都市圏に入ったことが実感されます(「○○大前」の駅名が3つもある)。

およそ90分ほどで博多に到着。夜の8時ぐらいだったかな。いゃ~、広島からの「青春18きっぷ」の旅は本当に長かったです。ただ、列車はさほど混んでいなかったのが救いだったかな。私個人的に経験値の低いエリアで、単調な景色という印象のある山陽本線の旅だけに、単純な乗り鉄記録に終わると思いきや、ネットや地図で沿線の見どころや駅弁その他面白い情報を調べながら振り返ると、なかなか濃密な旅行を脳内で再現することに(笑)

翌日以降の九州での行動については、また別の機会ということにしましょう。


JR九州で一つ気になった車両。

それは、717系900番台。

717系は交流専用の地方向け近郊型電車。2ドア(ステップ付き)・セミクロスシートの仕様で、外観・内装ともキハ47形とよく似ています。国鉄時代末期、仙台地区に0・100番台を投入(→JR東日本へ)。車体は新造されるが、台車・足回りは余剰となった急行型電車455・457系などを再利用したもの。九州向けには200番台を製造、JR九州に継承されました。同時期に登場した北陸用の413系(交直流両用)も、717系と同様のコンセプトです。

JR九州では、その後、717系900番台という異端車が1995年に登場します。それは、種車の457系の車体もそのまま再利用、中央に両開き客用扉を増設したもの。すなわち、前後の2扉は片開き、中央は両開きという変則スタイルで、京阪1700・1800系の特急格下げ車両などと似ていると言えます。正直言って、不細工だけど、面白い存在です。そういえば、サロを先頭車化したクハ455 600番台も九州にいましたな(座席はグリーン車時代の回転シートをそのまま利用したもので、「乗り得」車両だったことでしょう)。900番台は2両1編成(クモハ717-901 + クモハ716-901)のみで、種車はモハ456-14、クモハ457-14。元モハ側には、クハ455-601(あのサロ改造車ではないですか!)の運転台から流用したものを接合。

717系900番台が作られた理由は、日豊本線鹿児島地区の列車遅延改善のためとされています。事実、急行型のままの2ドアでは、通勤・通学時間帯には乗降が不便ゆえ、遅延の一因になっていますからね。「900番台」という区分も、試作車という意味ではないとされているが・・・。当初は鹿児島地区で運用をこなすが、2004~07年にかけて熊本車両センターに転属、鹿児島本線熊本-八代間のワンマン運転にも充当されます。2009年12月に廃車されました。

急行型電車の3ドア化といえば、北海道の711系の例もあります。711系は、扉両端がロングシートということもあって、「近郊型」扱いだったが(主電動機は113系などと同様の近郊型)、酷寒冷地対応の2ドア・デッキ付きとしたため、急行列車の運用もこなしていました。一部ロングシートはあるものの、札幌-旭川間の俊足急行【さちかぜ】(表定速度84.6km/hで気動車特急キハ80系をも凌ぐ)の伝説を残すほど、なかなかの好評だったようですね。


かつての鹿児島本線の名門列車、特急【有明】。

特急【有明】は1967年に登場。1970年鹿児島本線全線電化後は485系で運転されるようになり、山陽新幹線博多開通(1975年)以降、新幹線との連絡を考慮したダイヤで大増発が行われ、鹿児島本線を代表する優等列車として定着しました。1982年11月までに鹿児島本線の電車急行を【有明】に格上げし、最盛期には1日30往復を超える大世帯となりました。JR九州発足から1年後、783系(ハイパーサルーン)が投入され、早速JR九州の看板列車としててこ入れが行われます。

1992年7月ダイヤ改正で大きな転機が訪れます。【有明】のうち西鹿児島(現・鹿児島中央)発着列車を【つばめ】、熊本以北のみの列車を【有明】として系統分離が行われました。【つばめ】と一部の【有明】には787系が投入され、ビュッフェも連結するなど、九州新幹線全線開通までの花形列車として君臨。1994年ごろまでには、485系が【有明】から撤退し、【にちりん】【みどり】などに転用。

2011年九州新幹線全線開通後、【つばめ】は廃止、【有明】も大幅に減便。以降、ダイヤ改正ごとに【有明】は減便が続きます。2018年3月以降、平日片道1本のみ、運転区間も大牟田→博多のみの短距離となり、通勤特急の様相が濃厚に。かつての名門ロングラン特急が、ここまで凋落するとは信じられません。

なお、【有明】は国鉄末期~JR初期の頃、485系の3両編成という「ミニ特急」もありました。


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手持ち無沙汰で困っているJR九州ネタを。
博多に停車中のキハ71系「ゆふいんの森」です(2003年)。
JR九州は比較的早くから観光車両の投入に力を入れてきました。
今、この写真を観ると、「ゆふいんの森」はやはり特別感がありますね。
右側に写っている新幹線はレールスターでしょうか?


来年3月JRグループダイヤ改正について、JR九州関係を幾つか簡単に紹介。

まず、一番興味を感じたのは、香椎線への新型蓄電池電車819系「DENCHA」投入。キハ40系を全て置き換えるとのこと。819系は架線式バッテリー電車で、従来の気動車に比べCO2等の排出や騒音の低減が可能で、環境にやさしく省エネが自慢です。「DENCHA」は「"D"UAL "EN"ERGY "CHA"RGE TRAIN」の頭文字をとった愛称名。現在、筑豊本線若松-折尾-直方-桂川間および篠栗線で営業運用中。「DENCHA」使用で非電化区間の若松-折尾間(若松線)と電化区間の折尾-直方-桂川間および篠栗線を跨いで直通する列車も多く設定されています。JR東日本でも、九州の819系をベースにして造られたEV-E801系があり、秋田地域の奥羽本線・男鹿線で営業運転されています。

昨年のダイヤ改正(「改悪」と言うべき)では大幅減便が話題になったJR九州ですが、今度の改正では、日豊本線と吉都線で普通列車の増発が行われます。いずれも平日のみの運転、本数は各1本だけだが、減量ダイヤを印象付けた昨年の改正よりは幾分マシと言えます。

このほか、筑肥線の筑前前原-波多江間に「糸島高校前」駅が開業します。

http://www.jrkyushu.co.jp/news/__icsFiles/afieldfile/2018/12/14/181214Newsrelease01.pdf



2011年3月11日東日本大震災の翌日に実施されたJRグループダイヤ改正について、少し書いてみようと思います。

このダイヤ改正の目玉といえば、九州新幹線博多-鹿児島中央間の全面開通でしょう。同じ卯年の1975年山陽新幹線博多開通を連想させるものだったようにも思われます。
山陽新幹線新大阪から九州新幹線の直通運転開始と引き換えに、鹿児島本線特急列車の大幅削減など九州内在来線の列車体系はもちろん大きく変わりました。

このダイヤ改正で消えた2つの大きなもの。

一つは485系<雷鳥>。
関西と北陸を結ぶ特急列車は681・683系<サンダーバード>に一本化。
JR西日本管内における485系の営業運転は<北越>を除いて事実上終了となりました(北近畿地区で活躍する485系からの改造183系は健在だったが、381系に置き換えられた後、287・289系に)。

もう一つはキハ58系。
高山本線富山口のワンマン普通列車で最後の活躍をしていたが、これをもってキハ58系の営業運転も一つのピリオドを打ちました(その後、イベント用改造車が残るのみとなる)。

このダイヤ改正は4年後の北陸新幹線金沢開通を控えて、重大な段階を迎えたものだったようにも思います。485系やキハ58系のほか、大糸線のキハ52も引退、583系から近郊型改造を受けた419系もかなりの長寿を保っていたが521系に置き換えられるなど、北陸地区の国鉄型車両一掃が加速します。翌年2012年ダイヤ改正では583系急行<きたぐに>および寝台特急<日本海>の定期運転が終了、また一つ国鉄の遺産が消えます。


近畿圏では、大阪駅ビル開業を控え、大阪駅への集中が進み、大阪環状線・阪和線・大和路線を含め、京阪神地区主要各線で15分ヘッドダイヤが共通採用されます。ダイヤ改正に先行して前年2010年の年末に225系近郊型電車がJR京都・神戸線と阪和線に登場(翌年までにJR宝塚線にも投入)。JR東西線北新地駅ホームドア化のため、おおさか東線経由の直通快速を3ドア223系から4ドアロングシートの207・321系に置き換え。また、これに合わせた車両需給の関係上、阪和線からJR京都線普通電車に205系0番台がカムバック(車体帯は207・321系風のデザインに変更)。JR宝塚線大阪駅直通列車増発と引き換えに、学研都市線・JR東西線の昼間の快速はJR宝塚線塚口駅で折り返し。大和路線の381系<やまとじライナー>は廃止、北近畿地区特急に転用。大阪環状線では阪和線・大和路線からの快速電車停車駅を増やす代わりに、全体的に減便となり、大阪市内にもかかわらず、西半分の快速通過駅では15分に1本しか電車が来ないという問題も生まれました。


国鉄キハ66系気動車は、思えば現在の近郊型車両の礎だったと言えます。

キハ66系は1975年に登場。「一般型気動車」に分類されるが、両開き2ドア、転換クロスシート(ドア付近はロングシート)、電動式行先表示器、そして当時の気動車では珍しく通勤・近郊型電車で採用されているAU75形集中型クーラーを搭載するなど、気動車としてはピカイチした。当時、国鉄で転換クロスシートを使用している例は新幹線0系ぐらいで、急行型車両を凌駕するものでした。

山陽新幹線博多開通に合わせ、筑豊地区の快速列車に投入。
2両編成(キハ66+キハ67)×15本の30両で、その後の地方都市への投入も期待されるが、製造コストが高価ということもあって量産に至りませんでした(→その後の一般型気動車は非冷房のキハ40系となる)。キハ66系は全車JR九州に継承、九州を離れることなく終生を迎えることになりそうです。

キハ66系の登場時のカラーは急行型気動車キハ58系と同じものとし、当初は急行列車にも使用されるが、1980年10月ダイヤ改正で急行運用は消失。転換クロスシートかつ高出力エンジンということもあって、乗り心地や居住性そして機能性はキハ58系に比べて大幅に改善されるが、一部ロングシートでデッキ無しという点で優等列車にふさわしいかという疑問が残り(車内の壁の色も一般型車両と同じ緑系)、いわば「遜色急行」として語られることも多いです。

結局、わずか30両のみの少数派にとどまったキハ66系ですが、これが後世の鉄道車両に伝えた功績は大きいでしょう。

キハ66系のレイアウトは、4~5年後に登場する関西の新快速用117系電車に継承されます。大手私鉄との競争の激しい関西にあって、料金不要・高速の新快速といえども老朽化の目立つ153系急行型電車では苦戦するばかり。阪急・京阪特急を凌駕する車両デザインが求められます。大阪鉄道管理局は新快速用後継車両の設計に取りかかり、それが117系となって両開き2ドア・転換クロスシートを取り入れたものとなりました。内装は阪急を意識してか落ち着いた木目調板張りとし、足回りは特急型車両並み、ハード・ソフト両面で旧来の急行型車両を上回るものとなり、優等列車並みの接客設備で料金不要の近郊型電車としては破格の出来で好評を博します。

117系はその後名古屋都市圏にも投入され、JR発足後の大都市圏(首都圏を除く)近郊型電車に大きな影響をもたらしました。

JR発足間もない頃、JR各社から3ドア転換クロスシートの新型近郊型電車が花盛り(JR西221系、東海311系、九州811系、北海道721系)。3ドア転換クロスシートといえば、実は近鉄5200系が初めてで、子会社の近畿車輛がJR西日本に5200系のデザインを売り込んで221系を製作したという噂もあります。221系の登場は私鉄王国関西の勢力図を大きく変える突破口となりました(阪急はJRに苦戦するばかりの一方、京阪特急は8000系登場→2階建て車連結→プレミアムカー連結という豪華路線が進化している)。

3ドア転換クロスシート車も一般的となり、それは気動車にも大きな影響を与えます。JR東海・快速<みえ>用のキハ75系は気動車で初めて3ドア転換クロスシートとなり、311系と似たデザインです。キハ75系はキハ66系以来のハイクオリティな快速用気動車と言えるでしょう。JR西日本でも223系のデザインに基づいて作られたキハ122・127系が姫新線姫路口に登場しました(ただし2ドア)。キハ120よりもキハ127系のほうが断然ハイクオリティです。

キハ66系の現況ですが、筑豊本線・篠栗線電化以降、生まれ故郷の筑豊地区を離れ、長崎地区で余生を過ごしています。登場から40年以上経過しており、いよいよ引退へカウントダウンといったところでしょう。



九州と本州を結ぶ在来線列車は、山陽新幹線博多開通(1975年)前は東京・名古屋・大阪方面および山陰本線から特急・急行列車が旺盛に運転されていました。しかし、博多開通後、昼間の本州~九州直通列車は大幅に削減、東海道・山陽寝台列車は残るものの、これも2009年までに全廃。

現在、本州と九州を結ぶ、すなわち関門海峡を渡る在来線列車は普通列車のみとなっています。

少し以前までは、九州から415系などが山陽本線~宇部線宇部新川まで直通していたし、山陰本線から関門海峡を渡って小倉まで直通する列車もありました。JR発足当初は米子から博多までの特急<いそかぜ>(ロングラン・大阪<まつかぜ>の残滓、キハ181系)が1往復あったが、運転区間は徐々に短縮、九州内では小倉以西が打ち切られるほか、最終的には益田-小倉間のみの運転となり、かつての長編成<まつかぜ>の見る影もない惨めな状態で2005年に廃止(→山陰本線益田-下関間は優等列車のないローカル線に転落)。

ほかに、国鉄末期~JR発足初期のころ、485系<にちりん>の下関直通もあり、485系の本州乗り入れは山陽新幹線博多開通以来の復活となるが、1992年ごろに廃止。

関門海峡を通る415系の今後も気になります。
交直流境界区間にあたるため、JR九州の交流専用電車で運用することは不可能。かといって短編成の気動車では北九州都市圏だけあって輸送力不足な感じも・・・。


名古屋と博多を東海道山陽経由で結んだ寝台特急<金星>。

<金星>は1968年10月改正(ヨンサントー)で登場しました。
使用車両は客車(ブルートレイン)ではなく、583系電車。
寝台電車581・583系はもともと配置区を絞り、超広域運用をこなしていたことは有名です。
西日本地区向けは当初、南福岡電車区にて一括管理、もちろんこの<金星>も担当していました。
<金星>の車掌乗務は名古屋車掌区の担当だったようです。
名古屋到着後、一旦神領電車区へ引き上げて折り返し運転をしていました。

設定当初、昼間の<つばめ>(名古屋-熊本)と共通運用が組まれていました。
1975年の山陽新幹線開通後、<金星>編成は間合いで北陸特急<しらさぎ>運用にも入ります。

上越新幹線暫定開通の1982年11月15日ダイヤ改正で廃止。

その後も、<金星>は臨時列車として残ります(ただし座席のみの14系客車で運転)。
あまり知られていないかもしれないが、JR発足後もしばらく<金星>は残り、JR東海・西日本・九州3社を跨ぐ貴重な列車でした。最終的に廃止されたのは1992年だったようです。


JR九州は来春ダイヤ改正で、特急<きりしま>の最大8割をワンマン運行とする方向のようです。特急列車のワンマン化について安全性が懸念されており、沿線住民の反発は強いです。

これと同時に、宮崎県内ローカル列車の大幅削減も行われる模様。
日豊本線佐伯-延岡間の普通列車を1.5往復に削減するほか、高鍋-宮崎間、都城-国分間、そして日南線などでも本数削減を計画。

また、鹿児島中央-霧島温泉郷を結ぶ観光列車<はやとの風>の定期運行も中止となる見込みです。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171212-00010000-qbiz-bus_all



来春のダイヤ改正でJR九州は宮崎県内の日豊本線(佐伯-延岡間)、吉都線、日南線で普通列車の減便および運行区間短縮を検討しているとのことです。かなりヤバイ内容のようです。

http://www.the-miyanichi.co.jp/kennai/_29528.html



JR九州の筑肥線。

筑肥線は福岡市の姪浜と佐賀県の伊万里駅を博多湾~玄界灘に沿って結ぶ路線です。

この路線は、JR(九州)路線の中ではいろんな意味で異色の存在です。

まず、筑肥線は唐津付近を境に東西で全く違う性格を持っています。
姪浜-唐津-西唐津間は福岡市営地下鉄空港線(福岡空港・博多方面)と相互乗り入れして関係上、九州内のJR在来線では唯一の直流電化区間となっています。姪浜-筑前前原間は福岡市近郊の通勤路線で複線区間、都市鉄道そのもの。筑前前原-唐津-西唐津間は電化はされているものの単線区間となり、ローカル色が濃くなります。博多湾の浜辺に沿い景色の良いところです。福岡市交車が乗り入れるのも筑前前原・筑前深江までで、それより先、JR九州の直流通勤型電車(103系1500番台、303系、305系)の独壇場です。なお、唐津-西唐津間は正式には唐津線(久保田-西唐津間)の一部であり、唐津線は唐津-西唐津間のみ直流電化、他は非電化となっています。

筑肥線の残る西側、山本-伊万里間は内陸山間部の単線非電化のローカル線。唐津-山本間は唐津線で結ばれていて、筑肥線は分断された状態です。なお、この区間の列車は唐津・西唐津から発着しており、福岡空港・博多方面からの電車との接続が考慮されています。

かつては、筑肥線は博多駅から伊万里まで一本の非電化路線として成り立っていたが、博多-姪浜間は福岡市営地下鉄開通に合わせ1983年廃止。廃止前の博多-姪浜間は地下鉄福岡空港線とは異なる迂回ルートでした。姪浜-唐津-西唐津間は地下鉄乗り入れを前提に電化され、ローカル線から都市近郊鉄道に生まれ変わりました。電化に合わせて103系1500番台を新製、車体構造は当時量産中の201・203系、顔は105系という、東京・大阪を中心に活躍中の103系とは違うものでした。

電化と引き換えに、国鉄線としての博多駅乗り入れはなくなり、筑肥線は福岡市内の他の国鉄・JR線とは接続しない形となります。すなわち、「離れ孤島」状態。そのため、福岡市内の筑肥線各駅は国鉄・JR指定の「福岡市内の駅」から除外されました。

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このたびの九州北部の集中豪雨により被災・避難された皆様にお見舞い申し上げます。

久大本線の橋梁が流出し、昨年の熊本地震で寸断されている豊肥本線とともに、九州内陸部を横断する交通網が麻痺状態です。一日も早い復旧そして復興をお祈り申し上げます。


さて、JR九州の415系について簡単にレポートしてみたいと思いました。

九州島内JR線の電化区間は、福岡市営地下鉄と直通している筑肥線を除いて、交流電化です。

かつて山陽新幹線開通前は、関門トンネルを潜り抜けて本州の山陽本線への直通運転が活発で、交直流両用の457系や485系、583系などが行き来していましたが、新幹線博多開通後、九州の優等列車は夜行・寝台および(主に山陰方面への)気動車を除いて、本州乗り入れがなくなったため、基本的に交流専用の電車で用が足りるようになりました。実際、485系は交直流切り替えスイッチを使用停止にし、実質的に交流専用として使用されるようになりましたが、国鉄末期~JR初期の一時期、「にちりん」の下関乗り入れが設定され、久しぶりに直流区間乗り入れを果たしたこともありました(運転開始当初、交直流切り替えスイッチをめぐってハプニングが起こったエピソードがある)。

福岡・北九州・熊本・大分などの都市圏近郊輸送向けには交直両用の近郊型電車421系や415系などが使用されてきました。彼らも10年ほど前まで、関門トンネルを抜けて下関から山陽本線新山口まで直通していました。

しかし、JR会社境界をまたぐ在来線列車が年々減らされ、九州と本州をまたぐ列車も例外ではありません。東京・大阪方面からの寝台特急は2009年全廃となりました。

JR九州の新型電車は既に700もしくは800代の形式を名乗り、九州島内の交流電化区間専用を前提としています。485系や475系は老朽化で引退しており、交直流両用の電車は415系のみが残っています。近年、JR東日本の常磐線にE531系の大量投入で玉突きとなった415系が新たに加わりました。

しかし、415系も製造から40年以上経過しており、今後の予断は許せません。
415系は現在、日豊本線および交直流切り替えの関門トンネル区間などで運用中ですが、気になるのは関門区間の今後。
415系の老朽化による引退後、関門区間に充てる車両としては気動車もしくは蓄電池電車あたりが考えられそうです。コストの高い交直両用電車を新規で製造することはちょっと考えにくいですね。


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