カテゴリ: 京阪宇治交通懐古


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京阪バスに続き、京阪宇治交通についても、懐かしの車両リスト(主に社番3桁の1987年以前)を拙稿にて随時書き込んでいきたいと思います。

(三菱)
845 京22か 838 MR470(三菱自工) 1973年式 宇治 <ツーマン対応>
954 京22か 895 MR470(呉羽)    1974年式 宇治
065 京22か1238   MR470(呉羽)    1975年式 宇治 <ツーマン対応>
166 京22か1400 MR470(富士重3E)  1976年式 男山
275 京22か1585 MR470(呉羽)    1977年式 男山→宇治
276 京22か1586 MR470(呉羽)    1977年式 男山→宇治
277 京22か1587   MR470(呉羽)    1977年式 宇治
280 京22か1705   MR470(呉羽)    1977年式 宇治
281 京22か1703   MR470(呉羽)    1977年式 宇治
282 京22か1911   MR470(呉羽)    1977年式 宇治
283 京22か1912 MR470(呉羽)    1977年式 宇治
385 京22か1935 MR470(呉羽)    1978年式 宇治
387 京22か2043 MP117M(呉羽)  1978年式 男山 <サブエンジン式冷房>
388 京22か2041 MP117M(呉羽)  1978年式 男山 <サブエンジン式冷房>
38? 京22か2044 MP117N(呉羽)  1978年式 男山 <サブエンジン式冷房、長尺車・均一車>
496 京22か2266 MP117M(呉羽)  1979年式 男山
497 京22か2267 MP117M(呉羽)  1979年式 男山
403 京22か2435 MP117M(呉羽)   1979年式 宇治
404 京22か2436 MP117M(呉羽)   1979年式 宇治
513 京22か2711 K-MK116H(呉羽)   1980年式 男山
620 京22か2740 K-MP118M(呉羽)  1981年式 宇治
623 京22か2935 K-MK116H(呉羽)   1981年式 宇治
627 京22か2983 K-MK116H(呉羽)   1982年式 宇治
737 京22か3167 K-MP118N(呉羽)  1982年式 男山 <長尺車・均一車>
738 京22か3168 K-MP118M(呉羽)     1982年式 男山
840 京22か3221 K-MP118M(呉羽)   1983年式 男山
953 京22か3441 K-MP118M(呉羽)   1984年式 男山
178 京22か3969 P-MP618M(三菱自工) 1986年式 男山

(日産ディーゼル)
495  京22か2266 U30L(富士重3E)             1979年式 宇治
509 京22か2510 K-UL31L(富士重3E)      1980年式 宇治
733 京22か3052 K-UL31L(富士重3E)      1982年式 宇治
734 京22か3053 K-UL31L(富士重3E)      1982年式 宇治
843   京22か3219 K-UL31L(富士重5E)  1983年式 宇治
844   京22か3219 K-UL31L(富士重5E)  1983年式 宇治
845   京22か3309 K-UL31L(富士重5E)  1983年式 宇治
180   京22か3971 P-UA32L(富士重5E)  1986年式 宇治 <貸切兼用車>
298 京都22か4513 P-UA32L(富士重5E) 1988年式 宇治


※男山の「均一車」はくずは地区限定車。長尺車が該当。対して全線使用可能車両は「全線車」と称されていたようです。もちろん、宇治・田辺営業所にはこの区別はありません。
※1977年式までは非冷房車、1978年式の社番387?以降は冷房車
※非冷房車は1987年に全廃、末期は宇治営業所に集結
※田辺営業所(→現・京阪バス京田辺営業所)は1989年京田辺市草内に開設

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元・京阪宇治交通のエアロミディ小型車(社番U1149)です。
新製当初は田辺営業所に投入、松井山手循環路線で運用されていたかと思いますが、男山営業所に転属し【4A】号・市民の森線で活躍していました。
現在もまだ残っているのでしょうか?


京阪宇治交通(→京阪宇治バス→京都京阪バス)は何気に富士重ボディの車両が多くいました。

1978年以前の京阪宇治交通では三菱ふそう+呉羽車体が大多数を占めていましたが、冷房車導入の1979年以降、宇治営業所(廃止)に富士重+日産ディーゼルも配備されるようになりました。1995年の7Eになるまで宇治と田辺(→京阪バス京田辺営業所)に富士重+日産ディーゼルの投入が続きます。

京阪バスに継承されたくずは・男山地区(男山営業所)においては、ほぼ三菱ふそうの独壇場であり、富士重はなじみの薄い車両でした。

しかし、男山営業所に富士重3E+三菱MR470が配置されたこともあります。
1976年式で社番166、登録ナンバーは京22か1400だったかと思います。
当時、樟葉近辺に住んでいて、この車両によく当たったように記憶しています。
同じ三菱ふそう車であっても主力の呉羽車体とはちがって全体的に丸みがあり特徴的な印象でした。

166号は1986年に引退した模様です。
ちなみに京阪宇治交通の車両冷房化100%達成は、京阪バスに1年遅れて1986年のことでした。


今度3月18日のダイヤ改正で大幅減便される京阪バス(旧・京阪宇治交通)八幡田辺線【75C】号経路。

運行経路は

京阪八幡~八幡小学校前~小西~川口~下奈良~上奈良~上津屋流れ橋~岩田南~池嶋~大住浜~中島橋(田辺北IC)~三野~健康村~一休寺道~田辺本町~JR京田辺~近鉄新田辺

で、木津川に沿う形で京都府道22号線をほぼひたすら走行し、川口の梨農園や上津屋の流れ橋へは便利だ。また、八幡市と京田辺市の境界にあたる岩田南~大住浜(田辺北IC)付近には四国乳業や明治乳業の工場が立地しており、工場通勤者の足としての役割を担っている。

今度のダイヤ改正では朝と夕方のみに大幅減便され、昼間時間帯は【76】・<八幡~岩田南>に短縮される。これにより、池嶋・大住浜・中島橋のバス停に発着する便は激減し、昼間時間帯の発着はゼロに。合わせて、岩田・内里循環【73A】【73C】も朝と夜のみの運転に大減便。

八幡と新田辺方面を直通する系統については、基本的に内里・大住経由の【74A】【74B】号経路を利用することになる。【75C】を減便する代わりに【74A】【74B】号経路は現行80分間隔のところを60分間隔に増便される。

八幡市岩田は「岩田帯」で知られる。
岩田帯は安産を願って妊婦がお腹に巻く布のこと。
昔、岩田は綿の産地であり、急に産気づいたお姫様が岩田の綿を敷き詰めて寝かせ、無事に元気な赤ちゃんが生まれた逸話に由来するそうだ。


旧・京阪宇治交通(→現・京都京阪バス)から受け継いだ京阪バス男山営業所。

男山営業所は1974年(昭和49年)、八幡市男山団地内に設置される。

当時、大阪市内側からみて鬼門とされていたため、発展の遅れていた京阪沿線(特に寝屋川・枚方市)の人口が急増、これまで寒村だったくずは(漢字表記は樟葉または楠葉)・男山地区(枚方市と八幡市にまたがる大阪・京都府県境付近)において、京阪電鉄および住宅公団などによる大規模宅地・団地造成(くずはローズタウン、男山団地、ほか)と新しい街づくりの官民プロジェクトが成し遂げられる(千里や泉北NTほどの規模ではないが)。京阪樟葉駅はその表玄関として大規模改築がなされ、急行停車駅となり(→現在は特急が停車)、バスターミナルおよびショッピングセンター(くずはモール)を併設、一つの大きな街に生まれ変わる。

従来、京都府南部の宇治市~宇治田原方面地域輸送を担ってきた京阪宇治交通バスはローカル色が強かったが、新たにドル箱路線が見込まれる枚方市くずは地区への進出を果たす。くずは~男山団地~八幡市内および八幡田辺線輸送の拠点として、男山営業所が設置される(くずは地区路線設定の当初、宇治営業所が担当)。その後、宇治市にあった京阪宇治交通本社は枚方市楠葉朝日に移転する(1980年)。

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京阪宇治交通男山営業所に配置された初期冷房車(画像は拝借)

男山営業所の運用範囲も、1980年代までは樟葉を中心とする枚方市北部(くずは・船橋・家具団地)および男山団地・八幡市・京田辺市のほか、山城大橋以東の城陽市や宇治田原方面をもカバーしていた。特徴的な路線系統として、【17】・<くずは~宇治車庫>などがあり、久御山町・宇治市への長距離路線だった。【17】号はもともと宇治営業所からくずは地区路線への送り込みを兼ねて設定されたものと思われるが(ほかにくずは・男山団地から久御山町の工場通勤利用なども見込まれた)、のちにくずはの本社から宇治営業所に社内書類等を送り込むための便として活用されるようになる(京阪バスへの合併の翌年、2007年に廃止)。

田辺営業所(現・京阪バス京田辺営業所)設置(1989年)以前、近鉄新田辺を拠点とする京田辺方面の路線系統の大半は男山営業所が受け持っていた。新田辺から東へ山城大橋を渡って城陽市および宇治田原方面、国道307号西方向へ枚方市(尊延寺→大阪府最東端にあたる)との府県境手前の河内峠、さらに近鉄大久保(宇治市)から城陽・宇治田原方面路線などの運用もこなす。

1980年代後半から90年代以降になって、京田辺市北西部の松井地区に大規模住宅開発(京阪東ローズタウン)・街開きプロジェクトが進行する。1989年春、JR学研都市線(片町線)全線電化と松井山手駅が開業する(松井山手駅の設置費用は京阪が全額負担)。これに合わせ、京田辺市内のバス路線再編を見越し、さらに老舗の宇治営業所(2015年廃止→京都京阪バス八幡営業所に移転)が手狭になったこともあって、京田辺市草内(山城大橋手前)に前述の田辺営業所が開設される。営業所開設以前から、草内はバス転回場として活用されていたようだ。

その後、松井山手の街開きに合わせてメインストリート・「山手幹線」が部分開通する(将来的に八幡市橋本・男山と精華町の学研都市を一本で結ぶ計画で、半分以上完成しているが・・・)。1992年9月、山手幹線の部分開通などを機に路線再編とダイヤ改正が実施され、【67D】号・<くずは~松井山手駅~新田辺>系統などを新設すると同時に、新田辺・大久保~城陽・宇治田原方面路線は田辺営業所に移管された(現在、京都京阪バスが運用担当)。同改正で、京阪バスも出屋敷線の枚方市駅北口~長尾駅~松井山手系統を新設(枚方営業所)、初めて松井山手への進出を果たす(→現在、松井山手からのバスは全て京阪バス)。


香川県のコトデンバスに移籍した京阪宇治交通の三菱ブルドック(K-MP118N)。

1998年、高松市内で見かけた記憶がある。後の窓と方向幕の部分が特徴的(京阪バスも同様)で、後の扉が折戸であることから、これは京阪宇治交通から移籍したものと判別できた。
宇治交に在籍していたブルドックは、長尺(MP118N)と標準尺(MP118M)があり、長尺は男山営業所の単区間車(くずは・男山地区均一運賃専用)として使用されていた。宇治交ブルドックはコトデンバスのほか、長野県の川中島バスにも移籍した。コトデンに移籍した分は確か2003年ごろまで現役だったような・・・。

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(「バスフォトコレクション」さまより画像拝借)


ちなみに、同じ香川県内の琴参バスには京阪バスの三菱MP-117(呉羽車体)が移籍してきたようだ。琴参バスは確か近鉄資本のつながりが強く、日野車というイメージが強いが、なぜか京阪中古の三菱ふそうが転入。






京阪バス寝屋川営業所管内のダイヤ改正に関する記事で盛り上がっていたが、久しぶりにくずは・男山地区の路線についてレポートする。さっそく、山手線【16】号経路について書いてみる。

樟葉駅から松井山手方面へは【31】【67D】号経路が主幹系統扱いとなっているが、かつては【16】号経路(および派生の【16A】~【16C】)のほうが多かった。この【16】号経路の運行経路が少し面白く、

樟葉駅~中央センター~大芝~水柏~金右衛門口~美濃山口~松井~大住~大住ヶ丘北~大住ヶ丘~虚空蔵谷(ごくぞうだに)~松井山手駅

で、松井山手駅へは【31】【67D】よりも遠回りの経路となっている。松井山手駅から【16】号経路くずは行きに乗車するとき、【31】【67D】とのりばが異なるので注意(全く方向のちがう新田辺行きと同じのりばなので、乗り間違いが起こりやすい)。松井山手からきんめい台・本郷を回って(【67D】号と同じ経路で)樟葉駅へ戻る循環【16B】、および逆回りの【16C】もあるので、ややこしい。なお、【16A】は樟葉駅~松井山手間の運転だが、【16】とは異なって本郷経由なので(すなわち【67D】の区間系統)、これまた注意が必要だ。

運行ダイヤは昼間時間帯は2時間に1本の運転であり、朝と夕方など一部の時間帯では循環【16B】【16C】も運転される。対キロ区間運賃にまたがるため、整理券番号はどんどん膨れ上がり、循環系統では終点・樟葉駅までに券番号20を超える(車内の運賃表示機でその様子を観察してみるのも面白い)。

主に男山営業所の担当だが、一部の便は京田辺営業所も担当している。



京阪バス男山営業所に配置されている緑色ブルーリボンシティ(旧・京阪宇治交通から編入)が、ここのところの新車投入で少しずつ数を減らしています。ここで、今まで撮影した緑ブルーリボンシティたちの写真をアップしてみることにしました。


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U3239(元U-2010) KL-HU2PMEE 除籍済

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U3238(元U-2009) KL-HU2PMEE 除籍済

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U3243(元U-5028) KL-HU2PMEE

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U3240(元U-2011) KL-HU2PMEE

()内の旧社番U-yxxx表記ですが、京阪宇治交通グループ時代に付与されたもので、上1桁yは年式(例・2なら2002年式)を表しています。メーカー・サイズによる区別はなく、単純に納車順に付与されていたようです。

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大津市南部にある京阪バス「大石小学校」バス停。
瀬田川の流れに従って南へ進み、南郷洗堰・立木観音を通って、宇治川ライン(県道3号)と信楽・伊賀方面への国道422号の交差するところから鹿跳橋を渡ったところにある。

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鹿跳橋

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鹿跳橋から下流側(宇治川ラインへ)

石山駅から大石小学校まで【4】または【54】号経路が毎時4本運行されている。
大石小学校から、外畑・内畑・曽束・小田原・桜公園各方面へのフィーダー路線(【4B】~【4H】)が発着している。かつては石山駅から山間部の奥まで乗り入れていたが、大石小学校で系統分割されている。
バスの行先表示機では「大石」の2文字だけ表示される。

なお、2008年までは、石山駅から大石小学校・小田原を経て宇治田原までの路線もあった(京阪宇治交通→京阪宇治バス、昔はさらに京阪宇治まで乗り入れていた)。現在、大石小学校~小田原間は京阪バス【4G】号経路として運行されている。

また、石山駅から南郷・R422経由信楽(甲賀市)までの国鉄・JRバスもあった。JRバス撤退後、公営バスに転換して同じ区間の運行を継続するが、今はどうなっているんだろうか?

樟葉駅と近鉄新田辺を結ぶ路線系統が設定されたのは、それほど古い時代ではない。

現在、本郷・山手幹線経由の【31】【67D】号経路が合わせて毎時4本運転されているが、初めて設定されたのは、

【18】 樟葉駅(くずは)~中央センター~水珀~南八幡高校(現・京都八幡高校南学舎)~美濃山口~大住~三野~田辺本町~新田辺

だった。1980年代前半ごろの運行開始、京阪宇治交通男山営業所の担当で、主に京都府立南八幡高校(現・京都八幡高校南キャンパス)通学生のために設定されたようだ。1996年4月のダイヤ改正で、樟葉駅~南八幡高校間は廃止、南八幡高校~新田辺間のみが残るが、主に近鉄京都線を利用する通学生のために残ったものだと考えられる。しかし、京都府公立高校の統廃合が進めらた影響もあって、2007年11月改正で廃止。京阪バスへの合併後も1年少しだけ運行されていたことになる。

1989年の学研都市線電化および松井山手駅開業に合わせて、今度は

【67B】 樟葉駅~中央センター~水珀~南八幡高校~美濃山口~松井山手駅~JR大住駅~田辺本町~新田辺

が新たに設定される。こちらも上記【18】号経路と半分以上は共通していて、やはり南八幡高校通学生を意識したものとなっている。現在も1往復だけ運行されているが、朝の樟葉駅行きは京田辺営業所、午後の新田辺行きは男山営業所がそれぞれ担当。特に府道736号線・交野久御山線の美濃山口~きんめい台西間を通るバスはこの【67B】号経路1往復だけだ。京阪宇治交通田辺営業所(現・京阪バス京田辺営業所)が設置されたのは1989年のことであり、【67B】号経路は当初から田辺営業所が担当していた(2007年11月より片道のみ男山営業所が担当)。

67Bくずは行き


1990年代以降、松井山手周辺(京阪東ローズタウン)の街開き・開発に合わせ、八幡市と学研都市を結ぶ「山手幹線」の整備が始まる。1992年9月11日ダイヤ改正では、「山手幹線」の部分開通に合わせた路線再編が行われ、上記【67D】号経路が新たに設定された。大部分は【67B】号経路と共通しているが、旧集落地帯を通る【67B】とは異なり、【67D】号はくずはと松井山手方面を山手幹線経由で短絡することを目的に設定されたものだろう。このダイヤ改正では、京阪バス出屋敷線旧・【21】号(現【26】)の松井山手乗り入れも始まり、枚方市駅方面とも結ばれることになる。一方、山城大橋より東、宇治田原方面への路線をも受け持っていた男山営業所は、1992年9月のダイヤ改正以降田辺営業所に移管。


かつて、大津市石山から宇治川(瀬田川)に沿って宇治までを結ぶ路線バスがあった。

石山駅から京阪石山寺、南郷洗堰、曽束、天ヶ瀬ダムを経て京阪宇治に至る、宇治川渓谷の観光ドライブのための路線だった。かつて石山~宇治間に宇治川汽船の遊覧船があったが、天ヶ瀬ダム完成および道路の整備に伴い、風景も大きく変わって利用客は減少、1977年ごろに廃止され、路線バスに転換される。京阪宇治交通と京阪バス(大津営業所)との共同運行。系統番号は京阪宇治交通担当便は【90】号系統、京阪バスは【10】号経路(快速)だった。宇治川ライン線についての詳しい歴史などは、「青いバス停」ブログに興味深い記事が沢山掲載されている。

http://contrapunctus.blog103.fc2.com/blog-category-16.html


私は実際に宇治川ライン線を全区間乗り通したわけでもないのでよくわからないが、1984年のGWに家族で天ヶ瀬ダムへ遠足に行ったときに京阪宇治~天ヶ瀬ダム間だけ乗車したことがある。当時天ヶ瀬ダムにアスレチック公園があり、そこで遊んだ。帰りはなんと石山からやってきた【90】号系統で、行楽客で混雑していたように記憶している。

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天ヶ瀬ダム

しかし、1980年代後半より、宇治~石山直通系統は太陽ヶ丘・宇治田原・小田原経由に変更され(京阪宇治交通のみ)、天ヶ瀬ダムから宇治川ラインを経由する便は年々減らされるようになる。京阪バス【10】号経路も、1980年代前半まではBタイプ大型車(三菱MR470)が使用されていたようだが、需要低下により中型車(三菱P-MK116J)で運用されるようになる。そして、1993年6月の大津営業所移転に伴うダイヤ改正で、【10】号経路は廃止。その後も京阪宇治交通担当便は残るが、確か冬季を除く休日のみの運転となり、1998年ごろまでに消滅する。

一方、1997年には、京阪宇治交通グループが天ヶ瀬ダムに地ビール「ガーデンズ天ヶ瀬」をオープン、樟葉駅・松井山手など宇治交通エリア各所からガーデンズ天ヶ瀬までの直通バスを運行する。しかし、利用客は伸び悩み、2005年ごろまでに閉鎖されてしまった。

現在、天ヶ瀬ダムへの路線バスさえもなくなってしまった。


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「京阪時刻表1982」より 宇治川ライン遊覧バスの時刻表と路線イラスト


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天ヶ瀬ダムへの路線バス廃止後、貸切バスが来ていた(2010年5月)



かつて京田辺市大住にあった宿泊施設・中心山荘。

最寄り駅はJR学研都市線(片町線)の大住駅(徒歩)、バス停でいえば「松井ヶ丘」。
当時、片町線は長尾から先、非電化のローカル線で松井山手駅も開業しておらず、京阪沿線からほんのすぐのところにありながら、のどかな里山の中の旅館だった。とはいえ、大住ヶ丘・松井ヶ丘界隈は1970年代ごろから宅地開発も既に進んでいて、やがて片町線の全線電化、そして松井山手周辺に大規模な街開きの波が押し寄せる。

私も小学校の時、夏休みに家族連れで中心山荘に宿泊したことがある。
樟葉駅から旅館の無料送迎バスに乗った。路線バスなら京阪宇治交通(当時)の【16】・松井ヶ丘行きに乗ることになるが、私個人的には京阪宇治交通バスのほうが面白かった。京阪宇治交通(そして京阪バス)に冷房車が大量に投入される過渡期の頃だが、松井ヶ丘方面へのバスには未だ非冷房・バス窓の古い車両が使われていたように記憶している。ちなみに、中心山荘の送迎バスは富士重3Eの非冷房車だった。

中心山荘には温泉や川の流れる食事処のほか、テニスコートやプールなどのレクリエーション施設が充実していたが、小学生の私にとっては、枚方市からあまりに近すぎることもあって遠出したような気分になれなかったこともあって、物足りなさを感じた。翌日、午前中にチェックアウトが終わって送迎バスで樟葉駅へ、お昼ごろまでに家に帰り着いてしまった(笑)。

なお、送迎バスは樟葉駅のほか、長尾駅からも運行されていたようだ。最寄り駅は長尾の次の大住だが、長尾から先、非電化のため乗り換えないといけなかったし、列車本数も少なくてあまりに不便なので・・・。せっかくなので、近鉄新田辺駅からも送迎バスがあってもよさそうだったが(新田辺からは宇治交【65】・松井ヶ丘行きに乗車)・・・

中心山荘のことはその後、すっかり忘れていたが、2002年ごろに倒産したようだ。

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「京阪時刻表1982」に掲示されていた中心山荘のCM
5桁の市外局番と送迎バスがのどかな時代を表しているようだ




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2006年の京阪宇治交通と京阪バスとの合併時に、田辺営業所から京阪バスに移籍譲渡した富士重7E(日産ディーゼル)。

京阪バスにおいて富士重ボディは希少な存在であり、旧・宇治交カラーの車両だとなお物珍しい。
しかも樟葉地区ではもともと男山営業所の車両が主力であり、田辺営業所が樟葉駅まで運用する機会は少なかった。しかし、2003年の【31】・<樟葉駅~新田辺>系統(松里経由)新設後、田辺営業所の樟葉駅への運用が大幅に増える。ゆえに田辺営業所に配属されている富士重7Eも樟葉界隈で見かける機会も多くなる。

ただ、2009年からの大阪府流入規制を前に、京阪バス京田辺営業所に在籍していた旧・宇治交カラーの7Eは除籍される(7Eの一部は2007年11月の路線再編時に京阪宇治バスへ移籍、宇治田原方面の路線で活躍を続ける)。


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京都京阪バス(旧・京阪宇治バス)維中前バス停(宇治田原町)と周りの風景写真をアップしてみました。
バス回転場と待合室が完備していて小さなバスターミナルのような感じになっています。
ここから京阪宇治、近鉄新田辺、宇治田原工業団地、緑苑坂各方面へのバスが発着します。
かつては宇治田原町のかなり奥のほうの茶屋村とか、府県境を越えて大石小学校~石山駅へのバスもあったが、廃止されてしまいました。なお、茶屋村へは町営バスの運行となっており、町営バスもここ維中前バス停から発着しています。

旧・京阪宇治交通の長距離路線の一つだった【17】号経路・<樟葉駅~宇治車庫>。
この路線系統は、京阪宇治交通(株)の歴史を象徴する路線と言えるだろう。

まず、【17】号経路の運行経路は、

樟葉駅(くずは)~中央センター~久保田~御幸谷~<国道1号>~新あらみ~久御山団地~日産車体前~近鉄大久保~城南高校~京阪宇治~宇治車庫

で、1972年3月に新設される。廃止は京阪バス合併後の2007年11月。全区間の運賃は廃止直前当時560円。

京阪宇治交通はもともと宇治市・城陽市・宇治田原町などを中心とするローカルなバス事業者だった。しかし、1970年代までに枚方市樟葉~八幡市男山丘陵一帯にくずはローズタウンや男山団地などの大規模住宅地が造成されて人口急増、これにより大きな輸送需要が見込まれる樟葉・男山地区へ京阪宇治交通が進出する。従来、京阪宇治交通の車庫は本社のある宇治車庫のみだったが、樟葉・男山地区の新しい路線の拠点として、1971年樟葉駅付近に仮設の車庫が設置される。男山団地の造成・入居がかなり進んだ1974年に男山営業所が開設される運びとなる。

宇治と樟葉を結ぶ【17】号経路は1972年に開設され、当初は仮設のくずは車庫が運用担当していたが、1974年より男山営業所の担当となる。もっとも、樟葉・宇治間は京阪電車(中書島乗り換え)のほうが早くて安く、全区間通しの旅客需要を見込んだわけではなかっただろうが(距離的にはバスのほうが短絡しているが)、京阪宇治交通本社のある宇治市から樟葉駅や男山車庫への書類搬送を主な目的として設定されたものと言われる。1980年の枚方市楠葉朝日への本社移転後は、本社から宇治営業所への書類搬送のための便として活用される。ほかに、樟葉・男山団地方面から久御山町の工業団地への通勤客なども意識したものとも考えられるが、もともと本数はごくわずかで大半はマイカー通勤、バス利用は少なかっただろう。

京阪宇治交通は1999年より分社化され、宇治営業所は子会社の京阪宇治交サービスの管轄となる。その後2003年には「京阪宇治バス」と社名を変更。京阪宇治交通直属だった男山・田辺営業所は、2006年4月、京阪バスに吸収合併され、「京阪宇治交通」という社名は消失する。一方、京阪宇治バスは2014年春、宇治営業所・車庫閉鎖とともに「京都京阪バス」に社名を改め、八幡市上奈良に八幡営業所を開設(京阪バス管轄となった八幡田辺線の経路上に所在)。

京阪バスへの合併後、【17】号経路は京阪バス男山営業所が担当することになるが、合併後初の2007年11月大幅ダイヤ改正では案の定、この不採算路線が廃止される。末期は登場したばかりの京阪バスカラーのブルーリボンIIなども【17】号経路の運用に入り、京阪宇治・宇治車庫まで足を伸ばしていたが、これもすぐ過去のものとなる。当時、この男山【17】号経路が京阪宇治および宇治車庫に乗り入れる唯一の京阪バス担当路線だった。かつては、京阪バス洛南営業所担当(一時期、枚方営業所に移管)だった淀宇治線【11】号経路(京阪宇治交通と共同運行、現在京都京阪バス【21】系統に統一。洛南営業所は子会社の「京阪シティバス」となるが、2014年解散)や大津営業所担当の宇治川ライン【10】号経路などが京阪宇治まで乗り入れ、宇治車庫まで回送して折り返していた。男山【17】号経路は、京阪バス路線として、唯一の宇治車庫発着だった路線という点でも面白い。


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1990年代~末期の京阪宇治交通男山のシンボルだったエアロスターM
【17】号経路にもこのスタイルの車両がほぼ必ず入っていた

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2002年以降にカラー刷新で登場した緑のブルーリボンシティ・ノンステップ車
これが【17】号経路に入る機会も多かった


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末期にはこのブルーリボンIIも【17】宇治行きに入ることがあった
写真は2007年当時のN-3874(現・京田辺営業所所属)

私自身、2・3回ほど宇治から樟葉まで【17】号経路で寄り道乗車したことがある。
近鉄大久保、久御山団地あたりまではそれなりに乗っていたが、国道1号線(枚方バイパス)を疾走して久保田・大芝まではほぼ空気輸送だったと記憶している。ごく稀に久御山工業団地方面から男山団地・樟葉へ向かう旅客もいただろう。樟葉駅到着後は家具団地・ポエムノール北山方面系統として折り返していたように思う。

今も男山の方向幕(W-1987、1988)には【17】宇治行きのコマが残っているので、幕回しの時に見る機会はあるだろう。


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大津市大石地区最南端集落にある京阪バス終点、小田原バス停。
宇治田原と大石地区を結ぶ府県道782号線なりにある。
この先徒歩30分~1時間程度で京都府宇治田原町にたどりつくことは可能だ。

もともと、京阪宇治交通(→京阪宇治バス)の宇治・宇治田原~石山駅系統の途中にあったところだが、府県境を越えての利用客が少なく、宇治市街地への乗り入れを取りやめ、宇治田原(維中前)~石山駅間に短縮、そして2008年京阪宇治バス(当時)の滋賀県への乗り入れを撤退する。
その代替手段として、大石小学校~小田原間のみを京阪バス大津営業所(【4G】号経路)が新たに引き継ぐ。
ゆえに小田原の京阪バスのバス停としての歴史は浅い。

実は一度だけ、「3Dayチケット」を使って、大石小学校~宇治田原間のバスを乗車したことがある。この日、石山駅から樟葉までひたすらバス乗り継ぎの旅をした。乗車経路は、

石山駅~大石小学校~維中前~近鉄新田辺~樟葉駅

だった。もちろん今ではこのような乗り継ぎは不可能。

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2007年11月ダイヤ改正で京阪バス(旧・京阪宇治交通)男山営業所が長尾駅・藤阪ハイツまで運用範囲を拡大しました。この結果、長尾駅~藤阪ハイツ界隈で宇治交カラーの車両も見られるようになりました。しかし、写真のローズ色(2代目宇治交カラー)エアロスターMは、大阪府流入規制により2008年12月までに京阪バスカラーのブルーリボンII(ほかに山科営業所からニュー・エアロスターWタイプが2台転入)に急ピッチで置き換えられたため、わずか1年あまりしか見られなかった貴重な光景です。
もちろん、2002年以降に投入された緑のノンステップ車両(ブルーリボンシティ、エルガ)は、今もなお現役活躍中です。
また、2010年9月以降、樟葉長尾線[93][95][97]号経路などが京田辺営業所担当になったため、同営業所所属の緑のレインボー・ロングも、長尾駅や藤阪ハイツにほぼ毎日姿を見せるようになります。




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1981年末~82年現在の京阪六地蔵バス発車時刻表の写真です(京阪時刻表 1982より)。

京阪バスと京阪宇治交通(現・京阪宇治バス)が発着。

京阪バスは山科営業所担当(1982年当時は「京都営業所」)で、山科・三条京阪方面へのバスが発着。
特に[12]系統・醍醐三宝院・三条通経由三条京阪行きは15分間隔の運行で、地下鉄東西線開業前の山科営業所管内では収益性の高い路線系統だったようです。

また、[31]系統・阪急東向日駅行き(五条通経由)が六地蔵発着だったことは驚きです。
確か1995~96年ごろに廃止されましたが、廃止直前は小栗栖団地折り返しでした。

現在、六地蔵から四条河原町・三条京阪へは五条通経由のみです。


京阪宇治交通は、御蔵山方面だけでなく宇治車庫・京阪宇治から近鉄大久保方面などへの路線がありました。
現在、六地蔵~御蔵山系統の京阪宇治バスは、同社の他の路線網から完全に切り離され「陸の孤島」と化しています。
回送の経済性なども考えて、京阪バス山科営業所に移管した上で、[8]系統・日野誕生院線などと共に路線再編・見直しをしたほうがよいかもしれません(宇治車庫からの出庫だと府道7号線が渋滞しやすいので)。

なお、京阪六地蔵の手前では、京都駅前から府道7号線を経て宇治へ向かう長距離路線もありました。
ただ、京都駅からの京阪宇治交通は、京阪バス・近鉄などの京都奈良線(稲荷、藤ノ森経由)とは異なり、国道24号(竹田街道)経由でした。

http://naohiko.exblog.jp/20313614/


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2006年9月の「バスまつり」、京阪宇治バスの展示コーナーの資料から。
1970(昭和45)年の写真です。
2枚とも宇治車庫で、くずは・男山方面へ進出する前でした。

当時は、車掌が乗務する「ツーマン」運行も結構あったようですね。
京阪宇治交通では、1985年ごろと比較的遅くまでツーマン運行が残っていたようです。

京阪宇治交通は、2006年京阪バスに吸収合併され、会社自体がなくなりました(これにより、男山・京田辺営業所は京阪バスに継承。宇治営業所は2002年ごろより京阪宇治交通の子会社「京阪宇治バス」となり、現在は京阪バスの子会社となっている)。

http://naohiko.exblog.jp/13699610/

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