カテゴリ:京阪バスグループ > 京阪宇治交通懐古


京阪バス・京阪宇治交通の三菱ふそう一般路線車初の本格的冷房車MP117。

三菱ふそうMP117は1978年に登場し、1980年初頭まで納車されました。 6D20型エンジンのサウンドが新鮮で、以降今日まで40年以上にわたって続く大型車エアロスターの原型でした。車体は3メーカー、三菱自工(名古屋)・呉羽・富士重がありました。京阪宇治交通は呉羽のみだったが、京阪バスは3メーカー車体の車両を納入し、同じMP117ながら顔ぶれがバラエティに富んでいたのが面白かったです(ちなみに、阪急バスのMP117には西工42MC・同53MC・呉羽がいて、非冷房車もあったりと、やはりバラエティに富む形式だった)。

特に三菱自工の車体は従来のMR系(G4ボディというそうです)とは異なる斬新なデザイン(B35)で、「ブルドック」という名前で親しまれました。一方、呉羽のMP117はMR系と同じ車体をそのまま載せたもので、同年代の三菱自工「ブルドック」に比べ古い印象でした。ただ、1979年式のAタイプでは、後ろに直結式クーラーを搭載する関係で、後面のスタイルだけが近代的なものに進化。しかし、それも過渡的なものにとどまり、翌1980年以降、形式はK-MP118に更新と同時に、呉羽の車体も三菱自工「ブルドック」と全く同じデザインになりました(これは京阪バス・京阪宇治交通とも共通)。また、富士重は従来の3Eを架装したものでした。

京阪宇治交通では冷房化と同時に方向幕(前)大型化が採られたが、京阪バスは1年遅れて1979年より大型化。さらに京阪バスでは一般路線車Aタイプと観光兼用Bタイプ(比叡山線用もあり)があって、MP117たちは短いスパンにもかかわらず、車体スタイルの多彩さを放っていました。

MP117シリーズの各営業所ごとの分布状況は以下の通りだったと記憶しています。

【京阪バス】
枚方        三菱自工、呉羽(Aタイプのみ、1979年式は三菱自工のみ)
高槻        三菱自工、呉羽、富士重(Aタイプのみ、富士重は1979年式のみ)
山科・大津     三菱自工、呉羽、富士重(比叡山線用のBタイプもあり)
交野・寝屋川・門真 三菱自工が少数(Aタイプのみ)
香里団地      無し
洛南        無し?

【京阪宇治交通】
男山        呉羽
宇治        呉羽(どちらかといえば少数)

※高槻・山科・大津・男山は三菱ふそう車で統一されていた



U-3236

京阪バスU-3236(京阪宇治交通引継車、旧・ N2005、京都200か309)が先日、除籍になったと報告されました。

U-3236は日野ブルーリボンシティ・ノンステップ車・2002年(平成14年)式。京阪宇治交通(現・京阪バス)男山営業所に納車されました。2002年の納車当時、京阪宇治交通男山営業所では三菱ふそう・エアロスターMばかりでしたが、数年ぶりに迎え入れた新車は日野といすゞのノンステップ車で、合わせて塗装も緑系基調の新しいものにチェンジ。この新塗装は、京都京阪バスに継承されています。

その後、毎年男山営業所にノンステップの新車が加わるが、2006年4月京阪バスに合併。京阪バスに変わった後も、京阪宇治交通引継車の塗装はそのままでした。ただ、以降に納入される新車には京阪バスカラーが採用され、合わせて既存の京阪バス各営業所からの転入車も加わります(男山・京田辺のエアロスターMは大阪府排ガス規制の関係で、2008年までに一掃)。

男山営業所のノンステップ引継車は、しばらくの間安泰で京阪宇治交通時代の面影を伺うにも十分だったが、ここ数年の間、LV・KV290の相次ぐ投入に伴い、徐々に数を減らしていました。そして、件のU-3236も、いつの間にか洛南に転属していました。洛南では教習車として使用されていたそうです。U-3236は京阪バスに在籍する最後の宇治交引継車だったようです。


大阪~京都間の少し昔のバス乗り継ぎルート(淀川左岸)を、思いつくままにリストアップしてみました。大阪市内の起点は京阪京橋、京都市内の目的地(起点)は京都駅前または三条京阪とします。条件は、「淀川右岸に跨がないこと」とします。

【ルート1】(1986~1995年)
京阪京橋      ~ 寝屋川市駅    (京阪バス【1】)
寝屋川市駅     ~ 枚方市駅     (京阪バス【16】)
枚方市駅      ~ 樟葉駅      (京阪バス【28】→現【39】)
樟葉駅       ~ 中書島      (京阪バス【52】)
中書島       ~ 京都駅前     (京都市バス【81】ほか)

【ルート2】(1983~2005年)
京阪京橋      ~ 寝屋川市駅    (京阪バス【1】)
寝屋川市駅     ~ 京阪香里園    (京阪バス【22】)
京阪香里園     ~ 枚方市駅     (京阪バス【1】【9A】)
(以下【ルート1】に同じ)

【ルート3】(~1983年:樟葉中書島線開通前)
京阪京橋      ~ 枚方市駅     (【ルート1・2】に同じ)

枚方市駅      ~ 京阪牧野駅    (京阪バス【36】ほか)
京阪牧野駅     ~ 樟葉駅      (京阪バス【30】ほか)

(または)

枚方市駅      ~ 藤阪ハイツ    (京阪バス【22】→現【18】)
藤阪ハイツ     ~ 樟葉駅      (京阪バス【35】→現【95】)

樟葉駅       ~ 近鉄大久保    (京阪宇治交通【17】)
大久保       ~ 京都駅前     (近鉄バス、奈良交通、京阪バス)

【ルート3’】(~1983年:樟葉中書島線開通前)
京阪京橋      ~ 枚方市駅     (【ルート1・2】に同じ)

枚方市駅      ~ 京阪牧野駅    (京阪バス【36】ほか)
京阪牧野駅     ~ 樟葉駅      (京阪バス【30】ほか)

(または)

枚方市駅      ~ 藤阪ハイツ    (京阪バス【22】→現【18】)
藤阪ハイツ     ~ 樟葉駅      (京阪バス【35】→現【95】)

樟葉駅       ~ 京阪宇治     (京阪宇治交通【17】)
京阪宇治      ~ 京阪六地蔵    (京阪宇治交通)
京阪六地蔵     ~ 三条京阪     (京阪バス【12】ほか)

【ルート4】(~2006年)
京橋        ~ 産業大学前    (近鉄バス)
産業大学前     ~ 四条畷      (近鉄バス【40】)
四条畷駅      ~ 枚方市駅     (京阪バス【43】【43A】)
(以下【ルート1・2・3】に同じ)

【ルート5】(~1995年)
京橋        ~ 近鉄奈良駅    (近鉄バス阪奈線)
近鉄奈良駅     ~ 京都駅前     (近鉄バス、奈良交通、京阪バス)

【ルート6】(~1997年)
京橋~枚方市駅(【ルート1~4】に同じ)
枚方市駅      ~ 穂谷       (京阪バス【12】→現【72】ほか)
穂谷        ~ 近鉄新田辺    (京阪バス【16】→現【89】ほか)
近鉄新田辺     ~ 維中前      (京阪宇治交通【62】ほか)
維中前       ~ 石山駅      (京阪宇治交通【96】ほか)
石山駅       ~ 浜大津      (京阪バス、近江鉄道)
浜大津       ~ 三条京阪     (京阪バス【46】)




京都府宇治市周辺の昭和~平成初期の頃のバスについて、思いつくままに書いてみました。

当時、宇治市内を主にカバーしていたバス事業者といえば、京阪宇治交通。宇治エリアの同社路線は、「京阪宇治バス」への分社化などを経て、京都京阪バスに受け継がれています。京阪宇治駅の近くに京阪宇治交通宇治営業所・車庫が置かれ、主に宇治・城陽・淀・宇治田原方面の路線運用を担っていました。京阪宇治駅から石山駅(滋賀県大津市)や京都駅、そして樟葉駅(大阪府枚方市)までのロングラン路線もありました。宇治車庫は数年前廃止され、(京都京阪バス)八幡営業所に移転しました。 

昭和~平成初期まで、京阪バスも淀宇治線や宇治川ライン、久御山団地~太陽ヶ丘系統、京都奈良線が宇治市内を走行していました(このほか、京阪六地蔵から醍醐・山科・京都市中心部方面の京阪バス路線もわずかながら宇治市を掠っている)。

また、向島や大久保などを中心に近鉄バス・奈良交通も通り、京都~奈良(さらに大和八木まで)のロングラン路線などがありました。現在も京都市伏見区向島に近鉄バス京都営業所、宇治市填島町に奈良交通京都営業所が設置されています。近鉄バスの京都エリア一般路線は現在、ほぼ向島ニュータウン輸送のみの寂しいものです。奈良交通京都営業所は主に京田辺市内路線を担っているが、宇治市内においても向島駅~大川原(京都営業所前)系統の免許維持路線(毎月第二日曜日運行)が設定されています。


実際、乗車したことのある路線系統をいくつか挙げてみました。

【1、京阪・JR宇治~天ヶ瀬ダム方面(宇治川線)】
天ヶ瀬ダムへの遠足・ハイキングの時に2回ほど乗車しました。天ヶ瀬ダムから先、宇治田原、さらに大津市の石山まで行く路線もありました。石山までのロングラン系統には、宇治田原経由と宇治川ラインの2ルートが存在しました。

昭和末期の頃、天ヶ瀬ダム近くにアスレチックハウスがあり、一家で楽しんだことがあります。残念ながらアスレチックは閉鎖。その後地ビールブームの流れで1997年、京阪宇治交通系列のビールレストランがオープンしました。京阪・JR宇治、松井山手、樟葉など各方面からシャトルバスを出すも、客足は伸び悩み、わずか5年で閉店。天ヶ瀬ダムを通るバス路線すら消えてしまいました。

バスルート(主要地方道3号線)の対岸には、かつて京阪宇治駅と天ヶ瀬ダムを結ぶ「おとぎ電車」という観光鉄道もありました。

【2、京阪宇治~樟葉駅(くずは)】
宇治車庫と大阪府枚方市の樟葉駅を結ぶロングラン路線(京阪宇治交通【17】号経路)でした。男山営業所の管轄で、主に樟葉駅・男山団地(八幡市)から久御山町の工場への通勤を意識したものと思われるが、枚方市の本社と宇治営業所の間の書類搬送という社内連絡も兼ねていたようです。2007年まで細々と残りました。宇治・大久保からの寄り道に何度か乗車しました。

【3、京阪宇治~京阪淀駅(近鉄大久保経由)】
淀宇治線ですね。京阪宇治交通・京阪バス(→京阪シティバス)の共同運行でした。現在、京都京阪バス【21】号経路として運行されています。京阪バスは枚方営業所(大阪ナンバー)が担当していた時期もありました。かつて、六地蔵~京阪宇治~京阪淀駅とか、京阪宇治~京阪淀駅~国鉄山崎といったロングランもあったようです。

淀と宇治を結ぶ路線としては、このほか市田・小倉地区を経由する便もあったが、軒並み廃止されました。比較的遅くまでツーマン運行が残っていたようです。



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かつて、大阪府枚方市に本社を構えるバス会社が存在しました。

それは、京阪宇治交通株式会社。

京阪宇治交通は宇治田原自動車商会として、京都府宇治田原町にて1922年創業。その後、宇治田原自動車株式会社を経て、京阪グループの傘下に入り京阪宇治交通株式会社に社名変更、宇治市に本社と営業所を構えることになります。

京阪宇治交通は宇治・城陽・久御山・宇治田原エリアを拠点とする路線バス事業を展開してきました。1970年以降、枚方市くずは地区&八幡市の大規模住宅地・団地開発に伴い、くずは・八幡・京田辺地区への進出を果たし、八幡市内に男山営業所を開設。従来の観光輸送中心から団地輸送を基幹とする都市型バス事業者への変貌を遂げます。

そして、京阪宇治交通創業60周年を目前に控え、本社を枚方市くずは地区に移転(1980年)。既にくずは・男山地区が京阪宇治交通の輸送主力エリアになっていた事情を反映したものと言えます。わが地元民として、枚方市にバス事業者の本社があることを誇らしげに思っていました。

京阪宇治交通は1990年代以降、グループ子会社新設と再編を経て、本体そのものは京阪バスに吸収合併(2006年)。男山・京田辺営業所※1)は京阪バスに移管されました。「京阪宇治交通」という社名は消滅しましたが、子会社の「京阪宇治バス」※2)が京阪宇治交通の存続会社となり、現在京都京阪バスがそれを継承しています。

ちなみに、京都京阪バスの本社・営業所は八幡市上奈良にあります(宇治営業所は閉鎖)。


※1)1989年田辺営業所を京田辺市(当時田辺町)草内にて開設。京阪バスへの移管後、2008年に同市茂ヶ谷への移転と合わせ、「京田辺営業所」に名称変更。

※2)「京阪宇治バス」の前身は「京阪宇治交サービス」。宇治営業所は京阪宇治バスが管轄していた。


旧・京阪宇治バス(→京都京阪バス)の廃止路線を一つ紹介したいと思います。

【102】号経路・<JR黄檗~東御蔵山>。

この路線系統には地味に興味深いものがあります。それは京都府宇治市の黄檗と御蔵山地区を結ぶ唯一の路線系統であり、JR・京阪宇治~黄檗~御蔵山~六地蔵・醍醐地区を最後まで首の皮一枚でつなぐ貴重な路線でした。

運行経路・主な停留所は、

JR黄檗~病院前~木幡~木幡小学校~金草原~東宇治高校~東御蔵山中央~東御蔵山

JR黄檗~木幡間は京都府道7号線【京都宇治線】を北へ直進、JR奈良線・京阪宇治線と並行します。木幡正中交差点を左折、山麓の住宅地(平尾台、東御蔵山)を巡ります。終点・東御蔵山は京都市伏見区(日野)との境界ギリギリのところにあたります。

廃止時期は2007年以降。

かつて、府道7号を走行して京都駅と宇治方面(天ヶ瀬ダム)を結ぶ路線がありました。また、六地蔵~木幡~宇治~大久保~淀を通しての長距離系統も運行されていました。いずれも京阪宇治交通※1)の運行。しかし、府道7号線の慢性的な渋滞や、鉄道と完全並行していることから、利用客の減少で軒並み廃止。JR黄檗~木幡間はバス空白地帯となってしまいました。

ちなみに、府道沿いの宇治市菟道大垣内には京阪宇治交通※1)の宇治車庫&本社があったが、京都京阪バス八幡営業所に移転(跡地はフレンドマートなどに)。

「木幡」の読み方は、京阪とJRで異なります。JRは「こはた」、京阪は「こわた」。神戸電鉄にも同じ「木幡」駅(神戸市西区)が存在するが、読み方は「こばた」。

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※1) 京阪宇治交通→京阪宇治交サービス(1999~2003)
    →京阪宇治バス(2003~2014)→京都京阪バス(2014~)

    京阪宇治交通㈱の本社は1980年に大阪府枚方市へ移転
    京阪宇治交サービス・京阪宇治バスは京阪宇治交通の子会社、
    宇治車庫・営業所を所有
    京阪宇治交通本体(男山・田辺営業所)は京阪バス㈱に吸収合併(2006)


京都京阪バスが昭和の「京阪宇治交通」復刻カラーの運用開始、および宇治川ラインの路線を2021年10月16日(土)から復活させると発表されました。

今回復活する「京阪宇治交通カラー」は、1967~82年の新車に採用されたカラーで、1987年に消滅。 対象車両は現行の一般路線車1台(形式:いすゞQDG-LV290N1、社番7388)。

合わせて、宇治市と宇治田原町を結ぶ周遊路線バス「お茶の京都 宇治やんたんライナー」を運行再開(2021年12月12日までの土休日)。上記復刻カラー車が当路線で優先的に運用され、走行経路も宇治川ライン(天ヶ瀬ダム)経由で、昔の京阪宇治交通を懐かしめるものとなっています。運行経路・主な停留所は、

【188】号経路 JR・京阪宇治駅~黄檗公園(万福寺前)~平等院~郷之口~維中前~宇治田原郵便局前~湯屋谷(やんたん前)

運行本数は1日6便(土休日のみ)

宇治川ラインに沿って走るバスは、2005年を最後に休止。16年ぶりに「宇治やんたんライナー」で復活することになります。

復刻カラー車は平日、京都京阪バスの一般路線で運用される予定です。


旧塗装復刻バスの運行について(京都京阪バス)
http://www.kyotokeihanbus.jp/00news/topics2021/1013kyutosohukkoku.pdf

『お茶の京都 宇治やんたんライナー』運行(京都京阪バス)
http://www.kyotokeihanbus.jp/01rosen/uyt/uyt-annai2021a.pdf



富士重工のバス部品供給が2022年に終了と発表されました。

この機会に、京阪バスグループに在籍していた富士重たちの画像を集めてみました。

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一昔前の京都バスの主力だった富士重(6E・社番103)

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京阪宇治交通宇治・京田辺地区の主力だった7E(社番4082)
2006年合併時一時的に京阪バス(田辺営業所)に継承された1台 晩年は京阪宇治バスに

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京阪宇治交通くずは・男山コミュニティバスで運用された8Eショート(社番712M)
同ロット車は1997年に合計8台納車され、712Mを除いて京阪宇治バスに継承

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京阪バスに1台だけ投入された中型8E(社番W-5003)寝屋川営業所所属
晩年は京都京阪バスに譲渡

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北大路通を走行中の京都バス【32】広河原行き
2020年まで生き延びた2段窓車7Eショート(社番73)

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京阪宇治交通→京阪宇治バスに在籍していた7E(社番5108)

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はるばる枚方市樟葉(くずは)に姿を現した京阪宇治バス貸切兼用車(社番3076)
かつて樟葉には京阪宇治交通株式会社の本社があった

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末期(2006~2008年)は京阪バス京田辺営業所所属となった3077
【31】【67】号経路で樟葉駅にも顔を出していた


(注1)「京阪宇治交通」のうち男山・田辺営業所は2006年4月より京阪バスと合併。田辺営業所は2008年移転と合わせ「京田辺営業所」に改称。

(注2)「京阪宇治バス」は京阪宇治交通の存続会社。京阪宇治交通宇治営業所→京阪宇治交サービス→京阪宇治バスの変遷をたどり、2014年4月より「京阪シティバス」(京阪バスの子会社)と合併の上、「京都京阪バス」に改称。


ほんのわずかですが、1977年ごろの京阪宇治交通の写真をアップしました。

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京阪樟葉駅前にて ホームセンター「ウッドペーカー」が懐かしい

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樟葉駅にて

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住宅地開発が始まる頃の男山北地区



樟葉駅と八幡市中心部を結ぶ京阪バス【32】号経路。

運行経路は、

樟葉駅~あさひ~公園前~中央センター前~大芝・松花堂前~久保田~広門~八幡市役所前~八幡小学校前~石清水八幡宮駅(旧・京阪八幡)

樟葉駅から男山団地中央地区(男山泉・石城・八望など)および八幡市中心部を結び、また男山団地中央~八幡市役所(文化ホール前)への住民利用があるほか、樟葉駅・石清水八幡宮駅から松花堂庭園・美術館へのアクセスとしての役割も担っています。

もとは京阪バス(枚方営業所)と京阪宇治交通との共同運行形態で、京阪宇治交通担当便は【71】号経路を名乗っていました。京阪宇治交通との合併後、系統番号は【32】号経路に統一され、2007年より男山営業所管轄に一元化。

1983年までは現在と一部経路が異なっていました。それは公園前~大芝・松花堂前間で、八幡第二小学校(現・くすの木小学校)~弓岡~京都八幡高校を迂回(【8】号経路・中ノ山循環と同ルート)。石清水八幡宮駅前広場整備のタイミングで現在の経路に変更されたようです。合わせて、樟葉駅と石清水八幡宮駅を結ぶ【70】号経路(船橋・長谷・弓岡・久保田経由)が新設され(京阪宇治交通)、男山南地区と市役所への利便を確保。【70】号経路は2007年ダイヤ改正で一部経路変更が行われ(男山車庫・八幡郵便局経由)、【41】号経路として運行中です。

運賃は2019年3月まで樟葉男山地区特区と八幡特区に跨る整理券路線だったが(全線240円)、運賃体系の見直しにより全線均一運賃(230円)に変更されました。

京阪「八幡市駅」は2019年10月、「石清水八幡宮」に変更。男山ケーブルの駅も「ケーブル八幡宮口」「ケーブル八幡宮山上」に改称されました。旧・八幡市駅から八幡市役所までは1kmほど距離があり、バス(【32】【33】号経路ほか)に乗るほうが便利でしょう。


京阪石清水八幡宮駅(旧・八幡市駅)発着路線の系統番号について。

現行路線としては、

【32】樟葉駅行き(久保田・中央センター経由)
【33】西戸津行き(八幡郵便局前経由)
【41】樟葉駅行き(男山車庫・弓岡・中の池公園経由)

【73】【73A】【73C】内里・岩田北循環
【74】【74A】【74B】【79】新田辺方面(内里・松井経由)
【75C】【76】【76B】岩田経由 新田辺方面

【77】男山車庫行き(久保田経由)
【78B】男山車庫発(八幡郵便局前経由)


があります。

大きな法則性としては、

京阪バス純正路線   30番台
京阪宇治交通継承路線 70番台


が見られます。

もともと、石清水八幡宮駅前発着路線は京阪宇治交通(男山・田辺営業所)と京阪バス枚方営業所が管轄していましたが、京阪バスへの統合合併後、大半の路線系統が男山営業所管轄に整理されました(枚方営業所は正月臨時便【八幡山崎線】を除いて撤退。八幡田辺線は一時期京田辺管轄便が多かったが、現在は男山営業所が主に管轄)。

石清水八幡宮駅発着系統のうち、京阪宇治交通の路線は70番台が付与されていました。京阪バス【32】号経路(樟葉駅行き)と同じ経路を走る京阪宇治交通の便は【71】を名乗るが、京阪バス合併時に【32】に統一。

同じく京阪宇治交通の京田辺地区路線については60番台を基本とするが、八幡田辺線は石清水八幡宮駅を拠点とすることから70番台(73~76・79)です。

【41】号経路は2007年に新設されました。【41】号経路は、京阪宇治交通【70】号経路を経路変更の上で継承したもの。【70】号経路は、久保田・大芝までは【32】号経路、以降は現【41】号経路と同じルートを取り、両者の合いの子のような路線系統でした。

男山車庫への入出庫系統【77】【78B】も、もちろん京阪宇治交通以来の路線系統ですが、現状では【32】【33】【41】号経路の区間・派生系統であり、30・40番台に統一するほうが適切かもしれませんね。



くずはモール(旧・モール街)改装工事が始まり、京阪宇治交通に緑のノンステップ車が登場して間もない頃でした。

宇治交(男山営業所)は三菱ふそう・エアロスターMが主力で、6年ほど新車の納入も途絶えていたが、久しぶりの新車は塗装変更と合わせていすゞ・日野車が納車され、インパクトは相当なものでしたね。

京阪バス枚方営業所では、出屋敷・招提地区大規模ダイヤ改正と管内系統番号変更が実施されました。方向幕の書体も刷新され、京阪バスのヤル気を感じましたね。

宇治・くずは・枚方市からUSJへの直行バスも運行されていました。

2年後の2004年には松坂屋閉店、翌年2005年の新しいくずはモール誕生に向けて大詰めを迎えました。

そして、2006年には京阪宇治交通は京阪バスに合併しました。緑のバスは合併後も残るが、徐々に赤いバスに置き換えられ、残り少なくなりました。

くずは

USJゆき


ふと、高校の芸術鑑賞の日のことについて書きたくなりました。

私の出身高校では、毎年6月ごろ、芸術鑑賞の日が設定されていました。通常の授業は休みでした。

私個人的には、芸術の内容や中身よりも、むしろ会場までの交通手段のほうに興味があります。

まず、高1の芸術鑑賞は、確か大阪のザ・シンフォニーホール?でクラシック音楽鑑賞。JR環状線福島駅下車、 北へ徒歩15分ほどのところです。自分的には、クラシック音楽が一番楽しかったと思います。演奏された音楽は覚えていません。

高2は、枚方市民会館大ホールだったかな、落語会でした。お恥ずかしいが、落語は私には難しかったです。

高3は、八幡市文化センターでミュージカル観劇だったと思います。京阪石清水八幡宮駅(当時は「八幡市」駅)から徒歩20分のところで、バスに乗らないと不便なロケーションにあります(「八幡市役所前」下車)。

実は、少し時間の余裕があったので、私は樟葉駅から京阪宇治交通の【70】号経路で寄り道しました。樟葉駅と京阪八幡を結ぶバスは、当時京阪宇治交通【70】【71】号経路と京阪バス【32】号経路が存在、【32】と【71】は同じ中央センター前・大芝経由の経路、すなわち両社の共同運行という形でした(→京阪バスへの合併後、【32】に系統番号を統一)。【70】号経路は、船橋・企業団地(→中の池公園)から男山南地区(長谷・しで原)を回り、大芝を経由して京阪八幡に行く路線でした。

乗車した車両は、古参の仲間となったブルドック(K-MP118)。エアロスターMが増殖する中、貴重なモノコック車でした。京阪バスとは異なり、後扉が折り戸で(降車ボタンも「チーン♪」と鳴るタイプだったかな)、ローカル風情が残っていましたね。最新鋭のエアロスターMは、垢抜けて都会的なインパクトある印象で(京阪バスのエアロスターKよりもスタイリッシュだったと思う)、京阪宇治交通の躍進を感じさせる姿でした。


京阪バス大津営業所管内、大津市大石地区ゾーン線の一系統、【4G】号経路

【4G】号経路は、元は京阪宇治交通(→京阪宇治バス)の石山駅~維中前(宇治田原)~京阪宇治系統でした。 運行経路・主な停留所は、

大石小学校前~大石中~奥出~小田原口~小田原

で、滋賀県道783号【宇治田原大石東線】をそのまま辿ります。民家の少ない、なだらかな山間部にあたります。r783は大阪北河内および京都府南山城地域と琵琶湖を短絡する快適な抜け道ルートとして重宝されます。

【4G】号経路は、2008年10月に京阪宇治バス【96】号経路<維中前~猿丸神社~大石小学校~石山駅>を代替する形で新設。すなわち、府県境区間の維中前~猿丸神社~小田原間を廃止、残る大津市内区間を京阪バス大石ゾーン線に編入する形となります。ただし、大石小学校~奥出~寿長生の郷間には、過去に石山駅から京阪バス【4A】号経路が乗り入れ、石山駅発着で大石小学校を越える数少ない路線系統でした(廃止時期は不明)。

運行ダイヤは、平日5往復、土休日3往復です。

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小田原バス停と回転場



京阪宇治交通(→京阪バス)の気になる過去路線を一つ。

【77D】号経路<京阪八幡~松井山手駅>

【77】号経路<京阪八幡~男山車庫>(大芝・松花堂前経由)の派生系統として、1992年9月に新設されました。運行経路・主な停留所は、

京阪八幡~八幡市役所前~広門~久保田~御幸谷~南八幡高校(現・京都八幡高校南学舎)~美濃山口~きんめい台西~山手中央~松井山手駅

で、御幸谷~松井山手駅間は【67B】号経路のルートそのものでした。

八幡田辺線【74】号経路などとは経路が異なり、京都r735・r251で八幡市街地と美濃山・松井地区を短絡。走行区間の大半は八幡市域(松井山手駅周辺のみ京田辺市)であり、美濃山・きんめい台地区住民の八幡市役所への用務利用、および松井山手駅から南八幡高校への通学利用を意識したものと考えられます。

運行本数は少なかったものと思われます。2007年11月に廃止されました。

その後、2008~09年の半年間、上記【77D】号とは異なる経路で、「八幡市南北線」として、京阪八幡~松井山手駅間の試験運行が実施されました。【67D】号と同じ本郷経由でした。これも利用状況が低かったようで、本格運行に至らずに廃止。



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京田辺市の「草内(くさうち)」バス停。

草内バス停には、京阪バス【61】号経路・<近鉄新田辺~草内>が1日4本だけ発着しています。

バス停周辺は田畑の広がるのどかな場所であり、東側には南山城の山並みをバックに、木津川河川敷が通っています。R307・山城大橋西詰の交差点から南へ延びる市道に入り、数100メートルのところに、草内バス停と回転場があります。

なぜ、ここまでバスが乗り入れているのかといえば、かつて京阪宇治交通の田辺営業所が設置されていたためです。バス停の標柱も京阪宇治交通時代のものがそのまま使われています。田辺営業所が開設されたのは1989年とさほど古くはないが、草内へのバス乗り入れはそれ以前から行われており、茂ヶ谷や八幡行きのバスも発着していました。

2006年に京阪宇治交通が京阪バスに合併後、田辺営業所は京阪バス管轄となるが、2008年に茂ヶ谷のR307サイドに移転すると同時に、「京田辺営業所」に改称。現在、京都京阪バスが運営している新田辺宇治田原線も、2006~07年の一時期だけ、京阪バス田辺営業所が担当していたが、以降、京阪宇治バス(京阪宇治交通の存続会社)→京都京阪バスが運営することになりました。移転後の京田辺営業所は当初、京阪バスと京阪宇治バスとの共同管轄だったが、京都京阪バスが八幡営業所に統合されることにより、現在は京阪バス単独の営業所となっています。


京阪宇治交通の乗っておきたかった路線を挙げてみました。

(注意)
※「くずは」バス停=樟葉駅、「八幡」バス停=京阪八幡
※京阪宇治交通の系統番号は「○○系統」と呼ばれていたが、本記事では京阪バスでの呼び方に合わせて「○○号経路」と表記します。

【18】<くずは~新田辺>
樟葉駅(くずは)と新田辺を結ぶ路線といえば、【67D】【31】号経路(京阪バス)などがあるが、最初に設定されたのは【18】号経路だったと思います。設定時期は1983年ごろ。運行経路は、

くずは~中央センター前~大芝~水珀~美濃山口~南八幡高校~大住~三野~田辺本町~新田辺

という、わかりやすいルートでした。 本系統の目的は南八幡高校(→京都八幡高校南学舎)への通学利用だったようです。後年、南八幡高校~新田辺間に短縮されました。廃止時期は不明です(2006年以降、京阪バスに継承されたのでしょうか?)。

【19】<くずは~水珀~くずは>(高野道経由)
八幡市の国道1号線(枚方バイパス)東に面する水珀・南山・幸水地区へのバスが開通したのは1981年ごろでした。水珀への路線系統は当初、

くずは→中央センター→久保田→御幸谷→水珀→<洞ヶ峠>→高野道→企業団地(現・中の池公園)→船橋→樟葉駅

という循環ルートとして運行されました。国道1号の京都・大阪府境、洞ヶ峠を走行する路線としてユニークな存在だったが、1983年大芝~吉井~水珀ルートの開通により、洞ヶ峠を通過する路線は廃止されました。

【72】<八幡~宇治車庫>
京阪八幡市駅と久御山町・宇治市を結ぶ長距離路線でした。運行経路は、当初

八幡~下奈良~<R1・木津川大橋>~田井~工業団地~久御山団地~緑ヶ原~名木~近鉄小倉~宇治郵便局~京阪宇治~宇治車庫

で、【17】<くずは~宇治車庫>とは異なり、大久保地区は通りませんでした。1997年以降、緑ヶ原以東は廃止、八幡~近鉄大久保間に経路変更されます。【17】号経路と同様、2006年以降京阪バスに継承されるが、翌年2007年廃止。路線名は八幡田辺線でした。

【39?】<JR京都~天ヶ瀬ダム>
京阪宇治交通は宇治方面から京都駅前に乗り入れていました。京都市内のルートは、京阪・近鉄バス(京都奈良線)の稲荷大社・藤ノ森経由とは異なり、国道24号線(勧進橋、竹田久保町)経由だったところが面白いです。観月橋からは京阪宇治線に沿うルート(京都府道7号)で宇治に向かっていたようです。京都駅前のバス停呼称は、京阪宇治交通では独自に「国鉄京都」「JR京都」だったそうです。行楽客を意識してなのか、冬季を除く日曜・祝日のみの運行だったと思います。京都駅乗り入れは1997年ごろ廃止された模様。京都駅前での京阪宇治交通の存在感は薄かったです。

【56】<近鉄大久保~緑苑坂>ほか
近鉄大久保と宇治田原町を城陽市役所・城陽高校経由(京都府道69・70号ほか)で結ぶ路線でした。運行経路は、

近鉄大久保~久津川~寺田~城陽高校~城陽市役所~富野荘~長池~青谷~多賀口~国立病院~維中前~緑苑坂

で、かなり乗り応えはありそうです。現在、近鉄大久保・城陽市街地と宇治田を結ぶバスはありません。京阪バス合併直後の2006~07年のごく一時期のみ、大久保~城陽市方面および新田辺~宇治田原の路線系統は京阪バス(田辺営業所)が管轄していたが、京阪宇治バス(→京都京阪バス)に移管。

【86】【86B】<京阪宇治~石山駅>
宇治と大津市石山を宇治田原町および小田原経由で結ぶ路線の一つですが、くつわ池ではなく「天ヶ瀬ダム経由」が特徴的でした。運行経路は、

京阪宇治~平等院~天ヶ瀬ダム~宵待橋~郷之口~維中前~猿丸神社~小田原~大石小学校~南郷洗堰~石山駅

で、部分的「宇治川ライン」と言えるものでした。上記ルートでの京阪宇治~石山直通は1998年廃止、その後2005年には天ヶ瀬ダムを通るバスも全廃されました。その後も宇治田原町と石山を結ぶバスは残るが、2008年には府県境の猿丸神社~小田原間を廃止、大津市側は京阪バス・大石ゾーン線に代替されます。京阪宇治交通(→京阪宇治バス)の滋賀県乗り入れも過去の話です。



かつて宇治市・天ヶ瀬ダムの近くにあった地ビールレストラン「ガーデンズ天ヶ瀬」。

京阪宇治交通グループによる経営で、1997年に開園しました。ガーデンズ天ヶ瀬へは、京阪・JR宇治からシャトルバス【G3】系統をおよそ20分間隔で運行することに加え、専用のラッピング車を用意し、くずは・松井山手から貸切バスを出すなど、相当な気合いの入れようだったようです。【G3】とは別に、天ヶ瀬ダム経由宇治田原方面への路線系統も数本設定されていました。

実際にガーデンズ天ヶ瀬に行ったことはないので詳しいことはよくわからないが、5年後の2002年に閉鎖されました。もちろん、関連するシャトルバスは全廃。わずかに残った宇治田原方面へのバスも2005年には廃止されました。以降、天ヶ瀬ダムへの路線バスはありません。

ガーデンズ天ヶ瀬跡の建物も2012年に取り壊されてしまいました。


京阪宇治交通の過去の路線を一つレポートさせていただきます。

【15】系統・<くずは~岩田南>

この【15】系統は、京阪宇治交通路線の中では、本数も少なくマイナーな存在だったように思います。 【15】系統は、樟葉駅と八幡市南東部の岩田地区を結ぶ路線で、

樟葉駅(くずは)~中央センター前~大芝~水珀~国道戸津~蜻蛉尻~浜上津屋~岩田~岩田南

という経路だったようです。1980年代前半の「水珀」開通前は、

~大芝~久保田~御幸谷~国道戸津~

という経路だったことは確実です(松井ヶ丘方面へ向かう【16】系統も同様)。

【15】系統は、樟葉駅・男山団地から岩田地区の工場への通勤を意識したものと推測できます。1996年4月に廃止された模様です。

私個人的に、浜上津屋の流れ橋への観光客を見込んで、この【15】系統を何らかの形で復活できないものかと思いました。流れ橋へは、京阪八幡から【76】号経路・岩田南行きが毎時2本ですが、樟葉駅からのアクセスも欲しいところです。さらに、松井山手からのバスも望みたいですね(松井山手方面からは、京都京阪バス【17】【17A】の経路変更で対応は容易だろう)。

岩田といえば岩田帯で有名です。岩田呉服店(昔、京阪バスの広告看板でよく見かけた)は、八幡の岩田が由来しています八幡の岩田のことかと思いきや、創業者の名字が直接の由来だそうです(もっとも名字の「岩田」自体、八幡の岩田と結びついている可能性は考えられますが)。ちなみに、「八幡巻」という料理は、収穫の盛んな八幡の牛蒡をウナギやドジョウなどに巻いてタレ付けで焼いた一品で、おせち料理ではお馴染みのもの、京都府八幡市が発祥だそうです(八幡付近では天然のウナギも獲れたそうです)。八幡巻の派生(デリベーション)といえる料理に、野菜やチーズを牛肉に巻いてタレを付けて焼いたものとか、さらには今流行の肉巻きおにぎりなどがあります。


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これも何気に懐かしいですね。
 


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京阪バス・京阪宇治交通過去の車両データの記事につきまして、諸般の事情により暫く非公開とさせていただくことにしました。場合によっては、このまま削除破棄をさせていただくこともあります。

せっかく皆様から貴重な情報提供を頂いたにもかかわらず、管理人の至らぬところも多々ございまして、またデータ(車両番号、登録番号、形式、所属ほか)の記載等に軽率さがあったことは認めざるを得ません。誠に遺憾ですが、一旦取り下げたほうが良いと判断いたしました。心より感謝とともに深くお詫び申し上げます。

近日中に、皆様から当ブログにご投稿いただいたコメント文のみを、別の記事にまとめて復元公表したいと考えております(当方の判断で一部割愛させていただく部分もあるかもしれません)。今後とも、どうか宜しくお願い申し上げます。

2018年12月16日



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67Bくずは行き

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京都京阪バスB3076が引退しました。

B3076号は、最後の旧・京阪宇治交通塗装の富士重7Eで注目を浴びていました。1993年初頭に貸切兼用仕様で納車されて以来、およそ26年間にわたって活躍を続けてきました。
全国的に数を減らしている富士重ボディ。近畿圏で富士重が残っているのは、近江鉄道系と和歌山県内のバス事業者ぐらいの模様です。

京阪宇治交通(京阪宇治バス→京都京阪バス、京阪バス京田辺営業所時代を含む)の富士重7Eの画像をいくつかアップしてみました。


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京都京阪バスに残る旧・宇治交色(クリーム色に紫色のラインのカラーデザイン)も本年秋に引退する模様です。

この宇治交色が登場したのは1983年。
京阪宇治交通(株)の創業60周年を記念したものであり、既存の車両も順次この新しいカラーに変更され、以降2000年までに導入された車両がこのカラーとなりました。

京阪宇治交通は2006年に解散、樟葉・男山・京田辺地区は京阪バス(男山、京田辺営業所)、宇治地区は京阪宇治バス(宇治営業所)→京都京阪バス(八幡営業所)にそれぞれ継承されます(正式に言うと、京阪宇治バスは京阪宇治交通の子会社として設立。親会社の「京阪宇治交通」運行エリアが京阪バスに吸収され、京阪宇治バスが京阪宇治交通の事実上の後継会社となった)。京阪宇治交通の創業地・宇治田原方面に路線を持つ京都京阪バスが、宇治交の伝統を受け継いでいます。

京都京阪バスには年式の古い一部車両に旧・宇治交色が残っていたが、最近は京阪バスからそのままの色で移籍するものもあったりして、少々複雑になっています。一方、京阪宇治バス時代に京阪バスから移籍した古い車両たちは旧・宇治交色に塗装変更されたが、大半は既に引退したものの、日野ブルーリボン1台(社番2314)だけが本年夏まで現役でした。2314は1992年式(社番1桁目の「2」が年式を示している)で、およそ26年間にわたって活躍していたことになります。


かつて京阪宇治交通が信楽まで乗り入れていた件について、コメントでご質問をいただいたので、もう少し詳しくレポートを。

京阪宇治交通が信楽まで乗り入れたのは、1963~68年のわずか5年のみでした。

もともと宇治田原町東部の茶屋村まで路線が延びていたが、隣接する信楽町(現・甲賀市)の府県境付近・朝宮地域は宇治田原や和束と並んでお茶の生産が盛んで、宇治田原から信楽への公共交通が望まれていたとのこと。京阪宇治交通として信楽までの乗り入れをめざし、まず1963年には茶屋村から府県境を越えて石倉橋まで延伸。信楽へは石倉橋で国鉄バス近城線乗り換えという形が取られました。そして1965年には待望の信楽まで開通。

しかし、実際に信楽まで通す利用客は少なかったみたいで、わずか3年後の1968年には信楽町から撤退、茶屋村以東が廃止されました。

その後、1990年代末ごろ、宇治田原町東部から京阪宇治交通が撤退、奥山田・茶屋村方面へは町営バスに代替されます。

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茶屋村バス停 京阪宇治交通時代のバス停標識は残っていた(2012年)


【参考資料】
『京阪宇治交通~地域愛をのせて~』 三浦 理司(1993年)


香里団地営業所に続き、旧・京阪宇治交通も含め他の営業所の懐かしい広告看板も記憶している限りで挙げてみたいと思います。比較的近年のものも一部含んでいます。

<左右部(大)>
香里自動車教習所(枚方・香里団地・交野)
寝屋川自動車教習所(香里団地・交野ほか)
守口自動車教習所(交野・寝屋川・門真)
枚方自動車教習所(枚方・男山・交野)
門真自動車教習所(門真)
清酒 月桂冠(枚方・香里団地・交野・寝屋川ほか)
白鶴(枚方・香里団地・寝屋川・門真ほか)
三島コーポレーション?住まいの情報ターミナル(枚方・高槻)
枚方家具団地(枚方・男山)
前田組(枚方・香里団地・交野ほか)
丸信住宅(枚方・交野・門真)
長村病院(枚方・男山)
大阪病院(交野)
寝屋川グリーンシティ(交野・寝屋川)
高槻銘菓 冬篭(高槻)
和光証券枚方支店(枚方・香里団地・交野ほか)
関西記念病院(枚方・香里団地・交野)
ひらかたパーク(枚方・交野・寝屋川ほか)
京阪スポーツセンター郡津(枚方・交野)
枚方ビオルネ(枚方・交野)
関西医大枚方病院(枚方・高槻)
京阪牛乳(寝屋川)
くずは松坂屋(男山)
くずはウッドペーカー(男山)
せのお内科(男山)
若葉マークの水晶米(男山)
南京都信用金庫(男山・宇治・田辺)
田辺中央病院(男山・田辺・宇治)
写真のサイトー(宇治)
みのり幼稚園(宇治)
まごころ米(洛南ほか)
イノダコーヒー(山科)
京つけもの 打田(山科・大津)
醍醐 渡辺病院(山科)
西村証券(山科)
ひっこし 学生運送(山科)
びわこボート(山科・大津)
西武大津(大津)
祇園 平八 八幡山荘(山科・大津・宇治)
京都駅前デパート(定期観光車・貸切ほか)
京都駅前 萩乃家(山科・定期観光車ほか)

<左右部(小)>
枚方三越(枚方・交野ほか)
すし勝(男山)

<後部>
(小型長方形)
香里園 岩田呉服店(香里団地・交野)
泉屋(香里団地・交野)
びわこタワー(枚方・交野・寝屋川ほか)
日光苑・森本興産(交野)
小島建設(枚方・香里団地・寝屋川ほか)
幸福米(枚方・香里団地・交野)
恩地うどん(交野・寝屋川)
新田整形外科(交野)
奈村工務店(枚方・香里団地・交野)
香里自動車教習所(枚方・高槻・交野ほか)
寝屋川グリーンシティ(交野・寝屋川)
焼肉 安さん(寝屋川・門真)
田辺中央病院(男山・田辺)
すし勝(男山)
ALGO(男山)
お茶のかんばやし(宇治)
滋賀容器(大津)
観光料理旅館 金波(大津)
高島屋質舗(大津)

(大型正方形)
奈村工務店(枚方・香里団地・交野)
寝屋川グリーンシティ(交野・寝屋川)
焼肉 安さん(寝屋川・門真)
京阪奈病院(枚方・男山)
枚方公済病院(枚方・男山・京田辺)
文具 クワウチ(高槻)
枚方SATY(枚方)


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短命に終わった「枚方SATY」広告
(枚方時代のN-3117)

※後部看板は京阪バス(山科以外)は1988年以降、山科営業所は1991年ごろの車両より大型正方形サイズとなる。京阪宇治交通は末期の2004~05年より大型正方形サイズ。

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元・京阪宇治交通のエアロミディ小型車(社番U1149)です。
新製当初は田辺営業所に投入、松井山手循環路線で運用されていたかと思いますが、男山営業所に転属し【4A】号・市民の森線で活躍していました。
現在もまだ残っているのでしょうか?


京阪宇治交通(→京阪宇治バス→京都京阪バス)は何気に富士重ボディの車両が多くいました。

1978年以前の京阪宇治交通では三菱ふそう+呉羽車体が大多数を占めていましたが、冷房車導入の1979年以降、宇治営業所(廃止)に富士重+日産ディーゼルも配備されるようになりました。1995年の7Eになるまで宇治と田辺(→京阪バス京田辺営業所)に富士重+日産ディーゼルの投入が続きます。

京阪バスに継承されたくずは・男山地区(男山営業所)においては、ほぼ三菱ふそうの独壇場であり、富士重はなじみの薄い車両でした。

しかし、男山営業所に富士重3E+三菱MR470が配置されたこともあります。
1976年式で社番166、登録ナンバーは京22か1400だったかと思います。
当時、樟葉近辺に住んでいて、この車両によく当たったように記憶しています。
同じ三菱ふそう車であっても主力の呉羽車体とはちがって全体的に丸みがあり特徴的な印象でした。

166号は1986年に引退した模様です。
ちなみに京阪宇治交通の車両冷房化100%達成は、京阪バスに1年遅れて1986年のことでした。


今度3月18日のダイヤ改正で大幅減便される京阪バス(旧・京阪宇治交通)八幡田辺線【75C】号経路。

運行経路は

京阪八幡~八幡小学校前~小西~川口~下奈良~上奈良~上津屋流れ橋~岩田南~池嶋~大住浜~中島橋(田辺北IC)~三野~健康村~一休寺道~田辺本町~JR京田辺~近鉄新田辺

で、木津川に沿う形で京都府道22号線をほぼひたすら走行し、川口の梨農園や上津屋の流れ橋へは便利だ。また、八幡市と京田辺市の境界にあたる岩田南~大住浜(田辺北IC)付近には四国乳業や明治乳業の工場が立地しており、工場通勤者の足としての役割を担っている。

今度のダイヤ改正では朝と夕方のみに大幅減便され、昼間時間帯は【76】・<八幡~岩田南>に短縮される。これにより、池嶋・大住浜・中島橋のバス停に発着する便は激減し、昼間時間帯の発着はゼロに。合わせて、岩田・内里循環【73A】【73C】も朝と夜のみの運転に大減便。

八幡と新田辺方面を直通する系統については、基本的に内里・大住経由の【74A】【74B】号経路を利用することになる。【75C】を減便する代わりに【74A】【74B】号経路は現行80分間隔のところを60分間隔に増便される。

八幡市岩田は「岩田帯」で知られる。
岩田帯は安産を願って妊婦がお腹に巻く布のこと。
昔、岩田は綿の産地であり、急に産気づいたお姫様が岩田の綿を敷き詰めて寝かせ、無事に元気な赤ちゃんが生まれた逸話に由来するそうだ。


旧・京阪宇治交通(→現・京都京阪バス)から受け継いだ京阪バス男山営業所。

男山営業所は1974年(昭和49年)、八幡市男山団地内に設置される。

当時、大阪市内側からみて鬼門とされていたため、発展の遅れていた京阪沿線(特に寝屋川・枚方市)の人口が急増、これまで寒村だったくずは(漢字表記は樟葉または楠葉)・男山地区(枚方市と八幡市にまたがる大阪・京都府県境付近)において、京阪電鉄および住宅公団などによる大規模宅地・団地造成(くずはローズタウン、男山団地、ほか)と新しい街づくりの官民プロジェクトが成し遂げられる(千里や泉北NTほどの規模ではないが)。京阪樟葉駅はその表玄関として大規模改築がなされ、急行停車駅となり(→現在は特急が停車)、バスターミナルおよびショッピングセンター(くずはモール)を併設、一つの大きな街に生まれ変わる。

従来、京都府南部の宇治市~宇治田原方面地域輸送を担ってきた京阪宇治交通バスはローカル色が強かったが、新たにドル箱路線が見込まれる枚方市くずは地区への進出を果たす。くずは~男山団地~八幡市内および八幡田辺線輸送の拠点として、男山営業所が設置される(くずは地区路線設定の当初、宇治営業所が担当)。その後、宇治市にあった京阪宇治交通本社は枚方市楠葉朝日に移転する(1980年)。

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京阪宇治交通男山営業所に配置された初期冷房車(画像は拝借)

男山営業所の運用範囲も、1980年代までは樟葉を中心とする枚方市北部(くずは・船橋・家具団地)および男山団地・八幡市・京田辺市のほか、山城大橋以東の城陽市や宇治田原方面をもカバーしていた。特徴的な路線系統として、【17】・<くずは~宇治車庫>などがあり、久御山町・宇治市への長距離路線だった。【17】号はもともと宇治営業所からくずは地区路線への送り込みを兼ねて設定されたものと思われるが(ほかにくずは・男山団地から久御山町の工場通勤利用なども見込まれた)、のちにくずはの本社から宇治営業所に社内書類等を送り込むための便として活用されるようになる(京阪バスへの合併の翌年、2007年に廃止)。

田辺営業所(現・京阪バス京田辺営業所)設置(1989年)以前、近鉄新田辺を拠点とする京田辺方面の路線系統の大半は男山営業所が受け持っていた。新田辺から東へ山城大橋を渡って城陽市および宇治田原方面、国道307号西方向へ枚方市(尊延寺→大阪府最東端にあたる)との府県境手前の河内峠、さらに近鉄大久保(宇治市)から城陽・宇治田原方面路線などの運用もこなす。

1980年代後半から90年代以降になって、京田辺市北西部の松井地区に大規模住宅開発(京阪東ローズタウン)・街開きプロジェクトが進行する。1989年春、JR学研都市線(片町線)全線電化と松井山手駅が開業する(松井山手駅の設置費用は京阪が全額負担)。これに合わせ、京田辺市内のバス路線再編を見越し、さらに老舗の宇治営業所(2015年廃止→京都京阪バス八幡営業所に移転)が手狭になったこともあって、京田辺市草内(山城大橋手前)に前述の田辺営業所が開設される。営業所開設以前から、草内はバス転回場として活用されていたようだ。

その後、松井山手の街開きに合わせてメインストリート・「山手幹線」が部分開通する(将来的に八幡市橋本・男山と精華町の学研都市を一本で結ぶ計画で、半分以上完成しているが・・・)。1992年9月、山手幹線の部分開通などを機に路線再編とダイヤ改正が実施され、【67D】号・<くずは~松井山手駅~新田辺>系統などを新設すると同時に、新田辺・大久保~城陽・宇治田原方面路線は田辺営業所に移管された(現在、京都京阪バスが運用担当)。同改正で、京阪バスも出屋敷線の枚方市駅北口~長尾駅~松井山手系統を新設(枚方営業所)、初めて松井山手への進出を果たす(→現在、松井山手からのバスは全て京阪バス)。

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香川県のコトデンバスに移籍した京阪宇治交通の三菱ブルドック(K-MP118N)。

1998年、高松市内で見かけた記憶がある。後の窓と方向幕の部分が特徴的(京阪バスも同様)で、後の扉が折戸であることから、これは京阪宇治交通から移籍したものと判別できた。
宇治交に在籍していたブルドックは、長尺(MP118N)と標準尺(MP118M)があり、長尺は男山営業所の単区間車(くずは・男山地区均一運賃専用)として使用されていた。宇治交ブルドックはコトデンバスのほか、長野県の川中島バスにも移籍した。コトデンに移籍した分は確か2003年ごろまで現役だったような・・・。

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(「バスフォトコレクション」さまより画像拝借)


ちなみに、同じ香川県内の琴参バスには京阪バスの三菱MP-117(呉羽車体)が移籍してきたようだ。琴参バスは確か近鉄資本のつながりが強く、日野車というイメージが強いが、なぜか京阪中古の三菱ふそうが転入。






京阪バス寝屋川営業所管内のダイヤ改正に関する記事で盛り上がっていたが、久しぶりにくずは・男山地区の路線についてレポートする。さっそく、山手線【16】号経路について書いてみる。

樟葉駅から松井山手方面へは【31】【67D】号経路が主幹系統扱いとなっているが、かつては【16】号経路(および派生の【16A】~【16C】)のほうが多かった。この【16】号経路の運行経路が少し面白く、

樟葉駅~中央センター~大芝~水柏~金右衛門口~美濃山口~松井~大住~大住ヶ丘北~大住ヶ丘~虚空蔵谷(ごくぞうだに)~松井山手駅

で、松井山手駅へは【31】【67D】よりも遠回りの経路となっている。松井山手駅から【16】号経路くずは行きに乗車するとき、【31】【67D】とのりばが異なるので注意(全く方向のちがう新田辺行きと同じのりばなので、乗り間違いが起こりやすい)。松井山手からきんめい台・本郷を回って(【67D】号と同じ経路で)樟葉駅へ戻る循環【16B】、および逆回りの【16C】もあるので、ややこしい。なお、【16A】は樟葉駅~松井山手間の運転だが、【16】とは異なって本郷経由なので(すなわち【67D】の区間系統)、これまた注意が必要だ。

運行ダイヤは昼間時間帯は2時間に1本の運転であり、朝と夕方など一部の時間帯では循環【16B】【16C】も運転される。対キロ区間運賃にまたがるため、整理券番号はどんどん膨れ上がり、循環系統では終点・樟葉駅までに券番号20を超える(車内の運賃表示機でその様子を観察してみるのも面白い)。

主に男山営業所の担当だが、一部の便は京田辺営業所も担当している。



京阪バス男山営業所に配置されている緑色ブルーリボンシティ(旧・京阪宇治交通から編入)が、ここのところの新車投入で少しずつ数を減らしています。ここで、今まで撮影した緑ブルーリボンシティたちの写真をアップしてみることにしました。


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U3239(元U-2010) KL-HU2PMEE 除籍済

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U3238(元U-2009) KL-HU2PMEE 除籍済

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U3243(元U-5028) KL-HU2PMEE

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U3240(元U-2011) KL-HU2PMEE

()内の旧社番U-yxxx表記ですが、京阪宇治交通グループ時代に付与されたもので、上1桁yは年式(例・2なら2002年式)を表しています。メーカー・サイズによる区別はなく、単純に納車順に付与されていたようです。

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大津市南部にある京阪バス「大石小学校」バス停。
瀬田川の流れに従って南へ進み、南郷洗堰・立木観音を通って、宇治川ライン(県道3号)と信楽・伊賀方面への国道422号の交差するところから鹿跳橋を渡ったところにある。

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鹿跳橋

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鹿跳橋から下流側(宇治川ラインへ)

石山駅から大石小学校まで【4】または【54】号経路が毎時4本運行されている。
大石小学校から、外畑・内畑・曽束・小田原・桜公園各方面へのフィーダー路線(【4B】~【4H】)が発着している。かつては石山駅から山間部の奥まで乗り入れていたが、大石小学校で系統分割されている。
バスの行先表示機では「大石」の2文字だけ表示される。

なお、2008年までは、石山駅から大石小学校・小田原を経て宇治田原までの路線もあった(京阪宇治交通→京阪宇治バス、昔はさらに京阪宇治まで乗り入れていた)。現在、大石小学校~小田原間は京阪バス【4G】号経路として運行されている。

また、石山駅から南郷・R422経由信楽(甲賀市)までの国鉄・JRバスもあった。JRバス撤退後、公営バスに転換して同じ区間の運行を継続するが、今はどうなっているんだろうか?

樟葉駅と近鉄新田辺を結ぶ路線系統が設定されたのは、それほど古い時代ではない。

現在、本郷・山手幹線経由の【31】【67D】号経路が合わせて毎時4本運転されているが、初めて設定されたのは、

【18】 樟葉駅(くずは)~中央センター~水珀~南八幡高校(現・京都八幡高校南学舎)~美濃山口~大住~三野~田辺本町~新田辺

だった。1980年代前半ごろの運行開始、京阪宇治交通男山営業所の担当で、主に京都府立南八幡高校(現・京都八幡高校南キャンパス)通学生のために設定されたようだ。1996年4月のダイヤ改正で、樟葉駅~南八幡高校間は廃止、南八幡高校~新田辺間のみが残るが、主に近鉄京都線を利用する通学生のために残ったものだと考えられる。しかし、京都府公立高校の統廃合が進めらた影響もあって、2007年11月改正で廃止。京阪バスへの合併後も1年少しだけ運行されていたことになる。

1989年の学研都市線電化および松井山手駅開業に合わせて、今度は

【67B】 樟葉駅~中央センター~水珀~南八幡高校~美濃山口~松井山手駅~JR大住駅~田辺本町~新田辺

が新たに設定される。こちらも上記【18】号経路と半分以上は共通していて、やはり南八幡高校通学生を意識したものとなっている。現在も1往復だけ運行されているが、朝の樟葉駅行きは京田辺営業所、午後の新田辺行きは男山営業所がそれぞれ担当。特に府道736号線・交野久御山線の美濃山口~きんめい台西間を通るバスはこの【67B】号経路1往復だけだ。京阪宇治交通田辺営業所(現・京阪バス京田辺営業所)が設置されたのは1989年のことであり、【67B】号経路は当初から田辺営業所が担当していた(2007年11月より片道のみ男山営業所が担当)。

67Bくずは行き


1990年代以降、松井山手周辺(京阪東ローズタウン)の街開き・開発に合わせ、八幡市と学研都市を結ぶ「山手幹線」の整備が始まる。1992年9月11日ダイヤ改正では、「山手幹線」の部分開通に合わせた路線再編が行われ、上記【67D】号経路が新たに設定された。大部分は【67B】号経路と共通しているが、旧集落地帯を通る【67B】とは異なり、【67D】号はくずはと松井山手方面を山手幹線経由で短絡することを目的に設定されたものだろう。このダイヤ改正では、京阪バス出屋敷線旧・【21】号(現【26】)の松井山手乗り入れも始まり、枚方市駅方面とも結ばれることになる。一方、山城大橋より東、宇治田原方面への路線をも受け持っていた男山営業所は、1992年9月のダイヤ改正以降田辺営業所に移管。


かつて、大津市石山から宇治川(瀬田川)に沿って宇治までを結ぶ路線バスがあった。

石山駅から京阪石山寺、南郷洗堰、曽束、天ヶ瀬ダムを経て京阪宇治に至る、宇治川渓谷の観光ドライブのための路線だった。かつて石山~宇治間に宇治川汽船の遊覧船があったが、天ヶ瀬ダム完成および道路の整備に伴い、風景も大きく変わって利用客は減少、1977年ごろに廃止され、路線バスに転換される。京阪宇治交通と京阪バス(大津営業所)との共同運行。系統番号は京阪宇治交通担当便は【90】号系統、京阪バスは【10】号経路(快速)だった。宇治川ライン線についての詳しい歴史などは、「青いバス停」ブログに興味深い記事が沢山掲載されている。

http://contrapunctus.blog103.fc2.com/blog-category-16.html


私は実際に宇治川ライン線を全区間乗り通したわけでもないのでよくわからないが、1984年のGWに家族で天ヶ瀬ダムへ遠足に行ったときに京阪宇治~天ヶ瀬ダム間だけ乗車したことがある。当時天ヶ瀬ダムにアスレチック公園があり、そこで遊んだ。帰りはなんと石山からやってきた【90】号系統で、行楽客で混雑していたように記憶している。

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天ヶ瀬ダム

しかし、1980年代後半より、宇治~石山直通系統は太陽ヶ丘・宇治田原・小田原経由に変更され(京阪宇治交通のみ)、天ヶ瀬ダムから宇治川ラインを経由する便は年々減らされるようになる。京阪バス【10】号経路も、1980年代前半まではBタイプ大型車(三菱MR470)が使用されていたようだが、需要低下により中型車(三菱P-MK116J)で運用されるようになる。そして、1993年6月の大津営業所移転に伴うダイヤ改正で、【10】号経路は廃止。その後も京阪宇治交通担当便は残るが、確か冬季を除く休日のみの運転となり、1998年ごろまでに消滅する。

一方、1997年には、京阪宇治交通グループが天ヶ瀬ダムに地ビール「ガーデンズ天ヶ瀬」をオープン、樟葉駅・松井山手など宇治交通エリア各所からガーデンズ天ヶ瀬までの直通バスを運行する。しかし、利用客は伸び悩み、2005年ごろまでに閉鎖されてしまった。

現在、天ヶ瀬ダムへの路線バスさえもなくなってしまった。


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「京阪時刻表1982」より 宇治川ライン遊覧バスの時刻表と路線イラスト


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天ヶ瀬ダムへの路線バス廃止後、貸切バスが来ていた(2010年5月)



かつて京田辺市大住にあった宿泊施設・中心山荘。

最寄り駅はJR学研都市線(片町線)の大住駅(徒歩)、バス停でいえば「松井ヶ丘」。
当時、片町線は長尾から先、非電化のローカル線で松井山手駅も開業しておらず、京阪沿線からほんのすぐのところにありながら、のどかな里山の中の旅館だった。とはいえ、大住ヶ丘・松井ヶ丘界隈は1970年代ごろから宅地開発も既に進んでいて、やがて片町線の全線電化、そして松井山手周辺に大規模な街開きの波が押し寄せる。

私も小学校の時、夏休みに家族連れで中心山荘に宿泊したことがある。
樟葉駅から旅館の無料送迎バスに乗った。路線バスなら京阪宇治交通(当時)の【16】・松井ヶ丘行きに乗ることになるが、私個人的には京阪宇治交通バスのほうが面白かった。京阪宇治交通(そして京阪バス)に冷房車が大量に投入される過渡期の頃だが、松井ヶ丘方面へのバスには未だ非冷房・バス窓の古い車両が使われていたように記憶している。ちなみに、中心山荘の送迎バスは富士重3Eの非冷房車だった。

中心山荘には温泉や川の流れる食事処のほか、テニスコートやプールなどのレクリエーション施設が充実していたが、小学生の私にとっては、枚方市からあまりに近すぎることもあって遠出したような気分になれなかったこともあって、物足りなさを感じた。翌日、午前中にチェックアウトが終わって送迎バスで樟葉駅へ、お昼ごろまでに家に帰り着いてしまった(笑)。

なお、送迎バスは樟葉駅のほか、長尾駅からも運行されていたようだ。最寄り駅は長尾の次の大住だが、長尾から先、非電化のため乗り換えないといけなかったし、列車本数も少なくてあまりに不便なので・・・。せっかくなので、近鉄新田辺駅からも送迎バスがあってもよさそうだったが(新田辺からは宇治交【65】・松井ヶ丘行きに乗車)・・・

中心山荘のことはその後、すっかり忘れていたが、2002年ごろに倒産したようだ。

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「京阪時刻表1982」に掲示されていた中心山荘のCM
5桁の市外局番と送迎バスがのどかな時代を表しているようだ




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2006年の京阪宇治交通と京阪バスとの合併時に、田辺営業所から京阪バスに移籍譲渡した富士重7E(日産ディーゼル)。

京阪バスにおいて富士重ボディは希少な存在であり、旧・宇治交カラーの車両だとなお物珍しい。
しかも樟葉地区ではもともと男山営業所の車両が主力であり、田辺営業所が樟葉駅まで運用する機会は少なかった。しかし、2003年の【31】・<樟葉駅~新田辺>系統(松里経由)新設後、田辺営業所の樟葉駅への運用が大幅に増える。ゆえに田辺営業所に配属されている富士重7Eも樟葉界隈で見かける機会も多くなる。

ただ、2009年からの大阪府流入規制を前に、京阪バス京田辺営業所に在籍していた旧・宇治交カラーの7Eは除籍される(7Eの一部は2007年11月の路線再編時に京阪宇治バスへ移籍、宇治田原方面の路線で活躍を続ける)。


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京都京阪バス(旧・京阪宇治バス)維中前バス停(宇治田原町)と周りの風景写真をアップしてみました。
バス回転場と待合室が完備していて小さなバスターミナルのような感じになっています。
ここから京阪宇治、近鉄新田辺、宇治田原工業団地、緑苑坂各方面へのバスが発着します。
かつては宇治田原町のかなり奥のほうの茶屋村とか、府県境を越えて大石小学校~石山駅へのバスもあったが、廃止されてしまいました。なお、茶屋村へは町営バスの運行となっており、町営バスもここ維中前バス停から発着しています。

旧・京阪宇治交通の長距離路線の一つだった【17】号経路・<樟葉駅~宇治車庫>。
この路線系統は、京阪宇治交通(株)の歴史を象徴する路線と言えるだろう。

まず、【17】号経路の運行経路は、

樟葉駅(くずは)~中央センター~久保田~御幸谷~<国道1号>~新あらみ~久御山団地~日産車体前~近鉄大久保~城南高校~京阪宇治~宇治車庫

で、1972年3月に新設される。廃止は京阪バス合併後の2007年11月。全区間の運賃は廃止直前当時560円。

京阪宇治交通はもともと宇治市・城陽市・宇治田原町などを中心とするローカルなバス事業者だった。しかし、1970年代までに枚方市樟葉~八幡市男山丘陵一帯にくずはローズタウンや男山団地などの大規模住宅地が造成されて人口急増、これにより大きな輸送需要が見込まれる樟葉・男山地区へ京阪宇治交通が進出する。従来、京阪宇治交通の車庫は本社のある宇治車庫のみだったが、樟葉・男山地区の新しい路線の拠点として、1971年樟葉駅付近に仮設の車庫が設置される。男山団地の造成・入居がかなり進んだ1974年に男山営業所が開設される運びとなる。

宇治と樟葉を結ぶ【17】号経路は1972年に開設され、当初は仮設のくずは車庫が運用担当していたが、1974年より男山営業所の担当となる。もっとも、樟葉・宇治間は京阪電車(中書島乗り換え)のほうが早くて安く、全区間通しの旅客需要を見込んだわけではなかっただろうが(距離的にはバスのほうが短絡しているが)、京阪宇治交通本社のある宇治市から樟葉駅や男山車庫への書類搬送を主な目的として設定されたものと言われる。1980年の枚方市楠葉朝日への本社移転後は、本社から宇治営業所への書類搬送のための便として活用される。ほかに、樟葉・男山団地方面から久御山町の工業団地への通勤客なども意識したものとも考えられるが、もともと本数はごくわずかで大半はマイカー通勤、バス利用は少なかっただろう。

京阪宇治交通は1999年より分社化され、宇治営業所は子会社の京阪宇治交サービスの管轄となる。その後2003年には「京阪宇治バス」と社名を変更。京阪宇治交通直属だった男山・田辺営業所は、2006年4月、京阪バスに吸収合併され、「京阪宇治交通」という社名は消失する。一方、京阪宇治バスは2014年春、宇治営業所・車庫閉鎖とともに「京都京阪バス」に社名を改め、八幡市上奈良に八幡営業所を開設(京阪バス管轄となった八幡田辺線の経路上に所在)。

京阪バスへの合併後、【17】号経路は京阪バス男山営業所が担当することになるが、合併後初の2007年11月大幅ダイヤ改正では案の定、この不採算路線が廃止される。末期は登場したばかりの京阪バスカラーのブルーリボンIIなども【17】号経路の運用に入り、京阪宇治・宇治車庫まで足を伸ばしていたが、これもすぐ過去のものとなる。当時、この男山【17】号経路が京阪宇治および宇治車庫に乗り入れる唯一の京阪バス担当路線だった。かつては、京阪バス洛南営業所担当(一時期、枚方営業所に移管)だった淀宇治線【11】号経路(京阪宇治交通と共同運行、現在京都京阪バス【21】系統に統一。洛南営業所は子会社の「京阪シティバス」となるが、2014年解散)や大津営業所担当の宇治川ライン【10】号経路などが京阪宇治まで乗り入れ、宇治車庫まで回送して折り返していた。男山【17】号経路は、京阪バス路線として、唯一の宇治車庫発着だった路線という点でも面白い。


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1990年代~末期の京阪宇治交通男山のシンボルだったエアロスターM
【17】号経路にもこのスタイルの車両がほぼ必ず入っていた

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2002年以降にカラー刷新で登場した緑のブルーリボンシティ・ノンステップ車
これが【17】号経路に入る機会も多かった


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末期にはこのブルーリボンIIも【17】宇治行きに入ることがあった
写真は2007年当時のN-3874(現・京田辺営業所所属)

私自身、2・3回ほど宇治から樟葉まで【17】号経路で寄り道乗車したことがある。
近鉄大久保、久御山団地あたりまではそれなりに乗っていたが、国道1号線(枚方バイパス)を疾走して久保田・大芝まではほぼ空気輸送だったと記憶している。ごく稀に久御山工業団地方面から男山団地・樟葉へ向かう旅客もいただろう。樟葉駅到着後は家具団地・ポエムノール北山方面系統として折り返していたように思う。

今も男山の方向幕(W-1987、1988)には【17】宇治行きのコマが残っているので、幕回しの時に見る機会はあるだろう。


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大津市大石地区最南端集落にある京阪バス終点、小田原バス停。
宇治田原と大石地区を結ぶ府県道782号線なりにある。
この先徒歩30分~1時間程度で京都府宇治田原町にたどりつくことは可能だ。

もともと、京阪宇治交通(→京阪宇治バス)の宇治・宇治田原~石山駅系統の途中にあったところだが、府県境を越えての利用客が少なく、宇治市街地への乗り入れを取りやめ、宇治田原(維中前)~石山駅間に短縮、そして2008年京阪宇治バス(当時)の滋賀県への乗り入れを撤退する。
その代替手段として、大石小学校~小田原間のみを京阪バス大津営業所(【4G】号経路)が新たに引き継ぐ。
ゆえに小田原の京阪バスのバス停としての歴史は浅い。

実は一度だけ、「3Dayチケット」を使って、大石小学校~宇治田原間のバスを乗車したことがある。この日、石山駅から樟葉までひたすらバス乗り継ぎの旅をした。乗車経路は、

石山駅~大石小学校~維中前~近鉄新田辺~樟葉駅

だった。もちろん今ではこのような乗り継ぎは不可能。

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2007年11月ダイヤ改正で京阪バス(旧・京阪宇治交通)男山営業所が長尾駅・藤阪ハイツまで運用範囲を拡大しました。この結果、長尾駅~藤阪ハイツ界隈で宇治交カラーの車両も見られるようになりました。しかし、写真のローズ色(2代目宇治交カラー)エアロスターMは、大阪府流入規制により2008年12月までに京阪バスカラーのブルーリボンII(ほかに山科営業所からニュー・エアロスターWタイプが2台転入)に急ピッチで置き換えられたため、わずか1年あまりしか見られなかった貴重な光景です。
もちろん、2002年以降に投入された緑のノンステップ車両(ブルーリボンシティ、エルガ)は、今もなお現役活躍中です。
また、2010年9月以降、樟葉長尾線[93][95][97]号経路などが京田辺営業所担当になったため、同営業所所属の緑のレインボー・ロングも、長尾駅や藤阪ハイツにほぼ毎日姿を見せるようになります。




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1981年末~82年現在の京阪六地蔵バス発車時刻表の写真です(京阪時刻表 1982より)。

京阪バスと京阪宇治交通(現・京阪宇治バス)が発着。

京阪バスは山科営業所担当(1982年当時は「京都営業所」)で、山科・三条京阪方面へのバスが発着。
特に[12]系統・醍醐三宝院・三条通経由三条京阪行きは15分間隔の運行で、地下鉄東西線開業前の山科営業所管内では収益性の高い路線系統だったようです。

また、[31]系統・阪急東向日駅行き(五条通経由)が六地蔵発着だったことは驚きです。
確か1995~96年ごろに廃止されましたが、廃止直前は小栗栖団地折り返しでした。

現在、六地蔵から四条河原町・三条京阪へは五条通経由のみです。


京阪宇治交通は、御蔵山方面だけでなく宇治車庫・京阪宇治から近鉄大久保方面などへの路線がありました。
現在、六地蔵~御蔵山系統の京阪宇治バスは、同社の他の路線網から完全に切り離され「陸の孤島」と化しています。
回送の経済性なども考えて、京阪バス山科営業所に移管した上で、[8]系統・日野誕生院線などと共に路線再編・見直しをしたほうがよいかもしれません(宇治車庫からの出庫だと府道7号線が渋滞しやすいので)。

なお、京阪六地蔵の手前では、京都駅前から府道7号線を経て宇治へ向かう長距離路線もありました。
ただ、京都駅からの京阪宇治交通は、京阪バス・近鉄などの京都奈良線(稲荷、藤ノ森経由)とは異なり、国道24号(竹田街道)経由でした。

http://naohiko.exblog.jp/20313614/


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2006年9月の「バスまつり」、京阪宇治バスの展示コーナーの資料から。
1970(昭和45)年の写真です。
2枚とも宇治車庫で、くずは・男山方面へ進出する前でした。

当時は、車掌が乗務する「ツーマン」運行も結構あったようですね。
京阪宇治交通では、1985年ごろと比較的遅くまでツーマン運行が残っていたようです。

京阪宇治交通は、2006年京阪バスに吸収合併され、会社自体がなくなりました(これにより、男山・京田辺営業所は京阪バスに継承。宇治営業所は2002年ごろより京阪宇治交通の子会社「京阪宇治バス」となり、現在は京阪バスの子会社となっている)。

http://naohiko.exblog.jp/13699610/

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