カテゴリ: 昭和の頃の京阪バス


最近、京阪バス一般路線用の初期冷房車について、少し気になっています。

京阪バス一般路線の冷房サービス開始は、路線・観光兼用のBタイプについては1975年ごろから始まったかと思われます。私が今も印象に残っているのは、1976~77年式の三菱ふそうMR470・三菱自工(名古屋)車体で、車体中央側に太い柱のあるサブエンジン式冷房、観光兼用ながら通常の一般路線と同じ2段サッシ窓をしていて、大阪・京都・滋賀地区各営業所に最低1台は配置されていました。日野車の独壇場だった香里団地営業所にも1台(社番B-1344、大阪22あ2277)配置され、快速【1】号経路・<枚方市駅~新香里>などでの運用を見かけたように記憶しています。交野営業所にも同タイプのものが1台、平日昼間の釈尊寺団地線【10】号経路でよく見かけました。また、枚方営業所管内では末期は樟葉・牧野循環系統に入ることが多かったようです。京都・滋賀地区は観光路線も多いため、Bタイプ車は多めに配備され、特に大津営業所(B-136X・滋22か628、ほか)では【46】【47】・京津国道線や【10】・宇治川ライン線など広範囲の運用をこなしていたようです。当時、各営業所に配置されたBタイプ車は、団体・貸切や京都競馬場シャトルのほか、休日には京都定期観光に結集していたそうです。

一般路線Aタイプの冷房化は1977年試験導入、翌年1978年より本格導入が始まり、1985年2月までに冷房化100%を達成します。

まず、確か1977年ごろ香里団地営業所に冷房付き日野RE120?が1台配置されました。1978年以降の直結式冷房付きRE121と同様、車体後部にクーラーユニットはあるが、試験的要素が強く、細かい部分で違いが見られ、77年式のほうが古っぽく見えました。

同時期の三菱Aタイプ車については、三菱自工車体でサブエンジン式冷房を試験的に採用、当時人気のBタイプと同じ外観だったが、観光兼用のBタイプとちがって後扉の幅は広かったです。1978年以降、車体はいわば「ブルドック」なる斬新な車体デザイン、形式もMP117となります。三菱自工と並行して導入された呉羽(富山)車体については、1977年式は知らないが(たぶん非冷房車ばかりだったかな)、1978~79年には車体は旧来のMRタイプながら「ブルドック」と同じ新形式MP117となって冷房も搭載されます。冷房付き呉羽Aタイプ・Bタイプとも外観スタイルは1976~77年式三菱自工Bタイプと似ているが、丸みの濃い呉羽ボディよりも三菱自工のほうが新しくて重厚な印象があります。ちなみに、呉羽車体は1980年以降、「ブルドック」を導入して三菱自工と図面デザインを共通化、外観上の区別が困難となりました(→1984年のエアロスター以降、再びそれぞれ異なるデザインとなるが、のちに「三菱ふそうバス」に一本化)。

あと、富士重3Eも忘れてはなりませんね。
京阪バスでは富士重3Eの日野・三菱も購入していました。
富士重3Eは日野・金産車体のイメージに近いスタイルなのに、三菱ふそう車のエンジン音のする車両もあって不思議に思っていました。1978年より富士重3Eの冷房車も登場。富士重についてはクーラーユニットが車体中央に搭載される直結冷房ながら、車体中央に太い柱があり、特徴的なスタイルで、また1979年の前面方向幕大型化以降のものは、方向幕周りが特注でカマボコ形となり、西工42MC(いわゆる「カマボコ」)をイメージするスタイルでした。

1986年以降、京阪の初期冷房車(方向幕大型化前のもの)は長野県・川中島バスや山陰の日の丸自動車などに移籍。川中島へ嫁いだのは、三菱車が多かったが、少しだけ日野車も転入。MR470・BタイプやMP117(三菱自、呉羽)のほか、特徴的な富士重3E・MP117や日野RE120試作冷房車などが川中島で第二の活躍を続けました。日の丸自動車へは日野車が大量に移籍、富士重3Eや非冷房車も一部含まれていました。

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枚方市駅南口おりばに停車中の日野RE121冷房車
香里団地または交野営業所の所属、1980年代前半ごろと思われる
枚方近鉄や三和銀行も懐かしい




京阪バスの思い出の車両について一つレポートしたいと思います。

今回は三菱ふそうK-MP118M(富士重3E)の1台、社番A-1548について。

この車両は1982年の納車当初、大津営業所の配属だったが、1984年夏交野営業所管内に突如姿を現し、サプライズだった思い出があります。

富士重3EのMP118は大津と枚方に数台ずつ配備されたようです。
枚方市駅南口では津田・長尾・穂谷方面行き(枚方尊延寺線)で見かけることも多かったです。

交野営業所における富士重3Eといえば、日野RE121およびK-RE121のイメージが強く、三菱+富士重は異色の存在でした。なぜか交野に1台だけ転入してきて、1991年の除籍まで終生交野管内で過ごしました。車体側面には「京阪スポーツセンター郡津」の広告看板が掲載されていたと記憶しています。主に釈尊寺団地線や香里園、寝屋川団地、三井団地方面で主力の日野大型車に混じって活躍していました。もともと優先的に三菱車を充当していた田原線【18】号経路などには入らなかったようです(→日野中型車RJに置き換えられる)。除籍後は長野県の諏訪バスに移籍したものと思われます。


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諏訪バスに移籍したK-MP118・富士重3Eボディ
(「バス三昧」さまの画像を拝借)


京阪バス仕様富士重3Eの日野車と三菱車との見分け方(例:1982年式RC301とMP118を比較)は、

1)後面スタイル(ウィンカーの高さ位置、ルーバーの形状、ほか)
2)側面窓の数(三菱車のほうが窓の数が多い)

などに注目です。

京阪バス1983年以降の新車では富士重車体の採用は基本的に中止、1999~2000年に中・小型車8E(日産ディーゼル)が3台(S-5001・5002、W-5003)が納入されるにとどまりました。


久しぶりに昭和の頃の京阪バスについて書いてみたくなった。

今回は、香里団地管内の快速【1】号経路<枚方市駅~新香里>について。

運行経路は、

枚方市駅~(途中ノンストップ)~香里橋~藤田川~新香里

で、1982年頃まで運転されていた。

「京阪時刻表1982」の枚方市駅発バス時刻表によると、昼間時間帯に45分間隔で運行されていた。

実は私も香里団地の快速バスを見た記憶はあり、三菱ふそうBタイプ車(MR470、社番B-13??)で運用されることが多かったようだ。同じ香里団地エリアにおいて、交野管轄【10】号経路・釈尊寺団地線でも平日昼間に三菱Bタイプ車を見る機会が多かった(休日は京都定期観光に出張することが多かったらしい)。

快速便廃止後、香里団地のBタイプ車は主に貸切・波動用に使用されることが多くなる。
1986年には日野ブルーリボンP-HU235BA(B-3485)に置き換えられる。
Bタイプ車はかつて京都定期観光に使用することも前提としていて、1986年のB-3485あたりはメトロ窓・暖色の座席モケットなど路線・観光兼用車にふさわしく豪華仕様だった。その後、Bタイプ車が定期観光に入ることはなくなり、一般Aタイプと外観上は同じとなって車内グレードもダウンする。


関西のバスで富士重ボディ採用率の高い地域は京都・滋賀、採用率の低いところは兵庫県と奈良県であり、特に兵庫県では西工ボディの採用率が高い一方、奈良県においては奈良交通のほぼ独壇場ゆえ西工はゼロで、しかも国鉄バスを除いて三菱車は皆無、という分布状況だった。

さて、大阪府についてはどうか?

まず、大阪市営バスで比較的多く富士重ボディを採用していた。
1970年代までは富士重(3E)+日野も購入していたが、南部の住吉・長原営業所で富士重+日産ディーゼルが多く、1990年代半ばの富士重7Eの世代まで続いた。末期にはなぜか北部の福島区方面で活躍していた。

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晩年は北部方面へ転じた大阪市営・富士重7E(U-UA440系)

一方、大阪市営バスでは他の公営と同様、西工車体も多く導入しており、爆音車で有名な日野RTにモノコック西工53MCを架装するといった特色ある車両も多かったようだ。西工架装の日産ディーゼルも納入していた。


大阪市営バスのほか、京阪バスでも1982年まで富士重3E架装の日野・三菱を導入していた。日野車については、冷房車導入以降のRE121系は香里団地・交野営業所、RC301系は枚方・門真営業所に分布していたものと記憶している。三菱車は、非冷房のMR470は枚方・門真営業所、冷房車のMP118は枚方営業所に集中配置されたほか、高槻にもMP117が1台ほど配置されていた。

1983年の5E以降は京阪バスでは導入されなかったが(京阪宇治交通からの編入を除く)、2000年に中型8E(日産ディーゼル)が寝屋川営業所(社番W-5003)に1台だけ配備された。晩年は男山に転属し、特定専用に従事していた。

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京阪バス寝屋川に1台だけ配置された富士重中型車W-5003


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京阪宇治交通から京阪バスに譲渡された富士重7E
もともとくずは・男山地区ではあまり馴染みのない車両だが
晩年は新田辺から【31】【67D】で樟葉駅に乗り入れることも多かった


このほか、貝塚市の水間鉄道でも富士重を納入していた。


このほど、「枚方つーしん」さまのブログ記事に、昭和36年の枚方公園駅前の古写真がアップされました。
記事は、
http://www.hira2.jp/photo/hirakatakouen-20161226.html
です。

私個人的に、一番下の1985年の写真が気になりました。
バックに京阪バス(後面)が映っているのですが、ナンバープレートと社番は、

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社番 A-3470

と解読できることから、モノコックの日野K-RC301最終増備車(1984年式)と判定できます。
「京阪バス情報局」さまの「車両台帳」で確認できるので、興味のある方はぜひ調べてみてください。

A-3470は香里団地営業所生え抜きでしたが、確か日野モノコック最終納入車という意味で記念すべき車両と言えます。その直後に、さっそくスケルトンの中型車が納車され、冷房化の遅れていた【43】号・星田線系統(交野営業所)などに充当されるようになったと記憶しています。

なお、バスコレ第12弾のモデルとなった京阪K-RC301は、交野所属のA-3465(大阪22あ5001)で、A-3470と同時納車されたものです。




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名神ハイウェイで知られる名阪近鉄バス。
名古屋市に本社を持ち、ハイウェイバスとともに、岐阜県大垣市を拠点として一般路線バスも運行している。

大垣といえば、東京からの「ムーンライトながら」(旧・大垣夜行)でお馴染みだろう。青春18シーズンになると、「大垣ダッシュ」という言葉もあるように、凄まじい乗り継ぎダッシュの光景が終日見られる。JR東海の管内であり、駅西側に大垣車両区もあるが、本年3月まで、網干・姫路方面からの電車(JR西日本223・225系)も2往復だけ乗り入れていた。特に下り「ムーンライト」は網干行きに接続するダイヤ体系ゆえ、東海道・山陽筋の青春18での移動において人気の乗り継ぎプランだったが(JR東日本185系とJR西日本223・225系とのツーショットの実現する唯一のスポット)、米原以東への直通は全廃された。

大垣駅には養老鉄道(桑名-大垣-揖斐間)も発着している。もともと近鉄養老線であり、近鉄電車は岐阜県にも路線を有していた。名阪近鉄バスは、大垣自動車に始まり(1930年創立)、現在の養老線が大阪電気軌道・参宮急行電鉄(→現在の近鉄)の子会社下に入ると同時に、大垣自動車は近鉄グループの傘下となる。その後、幾度かの合併を経て、名古屋近鉄バス→日本高速自動車→名阪近鉄高速バス→名阪近鉄バス(1994年)と社名の変遷をたどる。

さて、名阪近鉄バスの一般路線において、一時期京阪バスの中古車が大量に移籍したことがある。
まず、1991年には1980~81年式の日野K-RC301が移籍してきた。80~81年式のRC301は、前面窓の大きさが標準タイプで、枚方・寝屋川・門真営業所に多く分布していた記憶がある。なぜか前側にクーラーユニットを積んだ異端車も3台ほど転入してきた(このタイプは全部枚方営業所所属だった、名阪近鉄のほか関東鉄道にも移籍した)。

モノコックのRC301は1997年までに引退し、第二弾として1987年式ブルーリボンP-HT235(逆T字大型窓)が加わった。2004年ごろまで活躍していたようだが、その後京阪バスからの移籍車はない。


※本記事の写真は全ていただきものです。


今では免許維持路線となった京阪バス門真【3】号経路。
京阪門真市駅から発着するバスは、平日ダイヤのこの【3】号経路1便のみとなっている。
【3】号経路は、門真市駅を出ると、R163を少し東へ進んで、一番(試験場入口交差点、門真郵便局前)から免許試験場、三島を経て地下鉄門真南に至る。大阪モノレールと接続しているのだから、北摂方面(将来的には東大阪方面も)からの免許試験場利用者のためにもっと本数増発してもいいはずだ、とかねがね思ってきた。実際30年ほど前はこの【3】号経路の本数はもっと多かった。

現在、免許試験場前へのバスは、京都方面へ一つ隣の古川橋駅から【5】号経路が発着している。かつては門真市駅からの【3】号経路が多数運行されていたが、1984年の古川橋駅南口ロータリー整備の完成に合わせ、この【5】号経路が運行されるようになる。ちなみに、古川橋駅~試験場前間は1km前後の距離であり、途中のバス停は「一番」だけで、駅から徒歩でも十分可能だ。

当時は大阪モノレールが開通していなかったので、古川橋駅発着で十分だった。しかし、モノレールの門真市開業後、やはり北摂方面からの試験場利用者を考慮して、門真市駅からのバスも欲しいところ。ただし、【3】号経路の単純な増発ではなく、【5】号経路を古川橋駅からタイガー魔法瓶工場・門真小学校前を通って門真市駅まで延長するのは、距離も短いので容易いだろう。

1997年以前の【3】号経路は、門真団地発着だったようだ。

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1981~82年当時の門真市駅バス時刻表(「京阪時刻表1982」より)




かつて、枚方市駅から新田辺まで直通する長距離のバス(枚方尊延寺線【12】号経路)があった。
運行経路は、

枚方市駅南口~池之宮~四辻~津田(現・津田西町)~津田病院前~杉~尊延寺~穂谷口~穂谷~穂谷口~天王~馬廻~河内峠~茂ヶ谷~田辺本町~新田辺

で、国道307号をほぼひたすら走行(現在、バイパス開通で国道指定から外れた区間も多い)、1日3往復だったが1992年廃止された。途中、穂谷と天王には必ず立ち寄り、加えて津田駅を経由する便もあった。枚方市駅~新田辺の全区間を通して乗車する客はもちろん少なかったが、1984年穂谷に関西外大キャンパスが開校して以来、新田辺~穂谷外大間の学生利用客が増え、新田辺からの直行バスを運行開始する。1992年の枚方新田辺系統廃止後、新たに【16】号・<穂谷~新田辺>(現【79】【80】【81】)が毎時1本運行されるようになる。本数は増えたものの長距離直通系統がなくなったのはやはり不便だ。

枚方市駅~津田間のバスは、国道307号ではなく、並行するもう1本の道路を走行する。R307号は、かつて戦時中に片町線津田駅から中宮にある禁野火薬庫へ延びていた引込み線の跡である。戦後、二度と戦争の過ちを犯さない誓いを込めて、火薬庫跡に公団中宮住宅を建設、また中宮本町~中宮西之町までの軍用鉄道跡の一部を「中宮平和ロード」として整備される。一部の便は津田駅にも立ち寄る。津田中学校前から国道307号を走行する。杉を通ると山あいの風景に変わる。尊延寺から先、対キロ運賃区間に入るので、整理券番号が大幅に増えるようになる。穂谷口から穂谷に立ち寄る。枚方市駅から40分程度だ。その後一旦京田辺市に越境して、隠れ里の天王にも寄る。R307に戻り、馬廻(うままわり)は枚方市最東端のバス停で、ちょうどこのあたりが大阪府の最東端でもある。ちなみに、大阪府の最北端は能勢町の天王峠であるが、今ここで書くと先ほど通った京田辺市の「天王」と間違いやすいかもしれない。府県境を越えたところにある河内峠は、かつて京阪宇治交通も新田辺から乗り入れていた。この付近に甘南備山(221.0m)がある。「神南備」「神無火」などとも呼ばれる。この山を南の基点として、北の船岡山と結ぶ直線を中心軸にして、平安京が建設されたと言われている。

1970年代ごろまでは、八幡田辺線も京阪バス枚方営業所が担当、枚方尊延寺線と共通運用だったようだ(新田辺で八幡行きに変わる)。八幡田辺線はその後、京阪宇治交通に譲渡されるが、2006年の京阪バスとの合併で再び京阪バスの路線となる(ただし京田辺・男山営業所が担当)。



かなり昔の京阪バス路線について、一つレポートする。

今回は寝屋川営業所管内の旧・【12】号経路についてだが、これがなかなか特徴的で面白い。
実際、乗車したことはなく詳しいことは知らないが、香里園のダイエースーパーに乗り入れる一つの路線系統だった。運行経路詳細は、

寝屋川市駅→寝屋川車庫→菅原神社前→摂南大学→太間公園→木屋町→ダイエースーパー→田井→寝屋川警察署前→寝屋川市駅

で、1990年ごろまで運行されていたようだ。寝屋川市北西部の木屋地区をカバーする路線で、【12】号経路廃止後、バス空白地帯となるが、現在この地区を小型バスの「タウンくる」が通っている。

ダイエースーパー関係の路線といえば、私個人的には香里団地からの【28】号経路(成田山不動尊、田井経由)のほうが馴染みがある。【28】号経路は毎時2本程度運転されていたが、寝屋川市駅からの【12】号経路は2時間に1本ぐらいだったようだ。【28】号経路も1995年に廃止、ダイエースーパーへのバス路線は消滅する(香里団地からダイエーへは京阪香里園から徒歩でも可能だった)。

ダイエー香里店は1968年に開店、日本初の郊外型ショッピングセンターだったと言われる。
私が小学校の頃、よくバスに乗って連れて行ってもらった。昼食は店頭のスナックコーナーでお好み焼きとか、あるいはドムドムのハンバーガー、ミスタードーナツとかを買ってもらって味わった記憶がある。枚方市駅前の三越・近鉄百貨店とともに楽しい思い出の一こまだった。

しかし、1990年代半ばごろより、大型ショッピングセンターの進出競争激化の影響(大店法改正)を受け、旧来からのダイエーは陳腐化した印象が強まって低迷するようになり、香里店は2005年に閉店。その後、建物は取り壊され、マンションが立つ。ダイエーはいよいよイオンの軍門に下り、高度経済成長のシンボルだった「ダイエー」ブランドは消滅しつつある。

ダイエーから少し離れたところにグリーンシティ(ジャスコ→イオンモール)もあったが、近くにアルプラザ(平和堂)香里園が進出してから、ダイエー・ジャスコとも低迷傾向が目立つようになる。グリーンシティは今年8月末に一旦閉店した。アルプラザが一番流行っているようだが、開店からさすがに20年近く経過してくたびれた感じもする。



かつて、大津市石山から宇治川(瀬田川)に沿って宇治までを結ぶ路線バスがあった。

石山駅から京阪石山寺、南郷洗堰、曽束、天ヶ瀬ダムを経て京阪宇治に至る、宇治川渓谷の観光ドライブのための路線だった。かつて石山~宇治間に宇治川汽船の遊覧船があったが、天ヶ瀬ダム完成および道路の整備に伴い、風景も大きく変わって利用客は減少、1977年ごろに廃止され、路線バスに転換される。京阪宇治交通と京阪バス(大津営業所)との共同運行。系統番号は京阪宇治交通担当便は【90】号系統、京阪バスは【10】号経路(快速)だった。宇治川ライン線についての詳しい歴史などは、「青いバス停」ブログに興味深い記事が沢山掲載されている。

http://contrapunctus.blog103.fc2.com/blog-category-16.html


私は実際に宇治川ライン線を全区間乗り通したわけでもないのでよくわからないが、1984年のGWに家族で天ヶ瀬ダムへ遠足に行ったときに京阪宇治~天ヶ瀬ダム間だけ乗車したことがある。当時天ヶ瀬ダムにアスレチック公園があり、そこで遊んだ。帰りはなんと石山からやってきた【90】号系統で、行楽客で混雑していたように記憶している。

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天ヶ瀬ダム

しかし、1980年代後半より、宇治~石山直通系統は太陽ヶ丘・宇治田原・小田原経由に変更され(京阪宇治交通のみ)、天ヶ瀬ダムから宇治川ラインを経由する便は年々減らされるようになる。京阪バス【10】号経路も、1980年代前半まではBタイプ大型車(三菱MR470)が使用されていたようだが、需要低下により中型車(三菱P-MK116J)で運用されるようになる。そして、1993年6月の大津営業所移転に伴うダイヤ改正で、【10】号経路は廃止。その後も京阪宇治交通担当便は残るが、確か冬季を除く休日のみの運転となり、1998年ごろまでに消滅する。

一方、1997年には、京阪宇治交通グループが天ヶ瀬ダムに地ビール「ガーデンズ天ヶ瀬」をオープン、樟葉駅・松井山手など宇治交通エリア各所からガーデンズ天ヶ瀬までの直通バスを運行する。しかし、利用客は伸び悩み、2005年ごろまでに閉鎖されてしまった。

現在、天ヶ瀬ダムへの路線バスさえもなくなってしまった。


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「京阪時刻表1982」より 宇治川ライン遊覧バスの時刻表と路線イラスト


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天ヶ瀬ダムへの路線バス廃止後、貸切バスが来ていた(2010年5月)



かつて、毎年夏休みに枚方市駅・樟葉駅から藤阪にある王仁(わに)公園プールへの臨時バスが運行されていた。

最寄のバス停は「藤阪」であり、【63】【64】号経路・<枚方市駅南口~長尾駅>系統の通るところだ。
ただし、枚方市駅からの便は北口からの発車で、須山町・出屋敷・長尾口経由(当時運行されていた大循環系統【20】・<枚方市駅北口~長尾駅~枚方市駅南口>とほぼ似ている)だった。私も一度だけこの臨時便に乗車したことがある。

また、樟葉駅発着便についてはよく知らないが、運行経路は企業団地(現・中の池公園)・招提大谷・既製服団地・長尾口だった。運行経路が樟葉長尾線とほぼ同じでしかも「藤阪」行きゆえに、定期運行の【35】(現【95】)・藤阪ハイツ行きと乗り間違える客もおられたそうだ。「藤阪ハイツ」と「藤阪」バス停はかなり離れていて(両者間の徒歩も不可能ではないが)、名前が名前だけに紛らわしいので、「藤阪」バス停は「王仁公園前」などと改称したほうがよいだろう。「藤阪」の所在地は藤阪元町、「藤阪ハイツ」は藤阪西町である。

王仁公園プールは2001年ごろまでは入場料は3時間まで300円という良心的な安さだったが、リニュアル工事後900円前後に値上げされたようだ。私は小学校~高校時代の頃まで時々王仁プールへ泳ぎに行ったりしたが(中学時代までは親に連れて行ってもらった)、リニュアル工事後全然行ったことがない。ただ、一人で行くときは自転車だった。

「王仁」という名の由来は、5世紀初頭に朝鮮半島の百済から渡来し、論語と千字文(=漢字?)を枚方・長尾界隈の地にもたらしたとされる王仁博士による。
https://www.city.hirakata.osaka.jp/uploaded/attachment/6062.pdf

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8月31日限りで寝屋川市緑町にある「グリーンシティ」(イオンモール寝屋川、旧・ジャスコ)が一旦閉店する予定です(その後、建替え)。

グリーンシティは1978年にオープン。私が子供の頃は時々車で連れて行ってもらいました。ただ、京阪電車の寝屋川市駅と香里園駅のちょうど中間地点にあるがゆえ、交通の便はあまり良くありません(一度だけ自宅からタクシーで連れて行ってもらったこともある)。

これを補完すべく、寝屋川団地方面から京阪バスが運行されていましたが、利用客があまり多くなかったのか、廃止されました。その後、「タウンくる」の寝屋川市駅―香里園駅西口系統が運行されるようになり、グリーンシティへのアクセスは改善されました。しかし、すでにアルプラザ香里園が開店していて、グリーンシティ(そしてダイエー香里店)の衰退ぶりが目立つようになります。昨年のイオンモール四條畷オープンにより、閉店はいよいよ決定的となりました。

先日、久しぶりにグリーンシティを訪れてみました。店内展示の写真コーナーに、なんと京阪バス車両の「グリーンシティ」広告の写真が掲載されています。1990年代前半まで交野・寝屋川営業所の車両に掲示されていましたが、いつの間にか見なくなりました。

今日は京阪バス過去路線についてレポートを書く。
今回は、寝屋川営業所管内の【16】号経路・<枚方市駅~寝屋川市駅>で行く。

【16】号経路・<枚方市駅~寝屋川市駅>は、かつての京阪国道線の名残。もともと<天満橋~三条京阪>間だったのが1970年代に入り<天満橋~枚方市駅>に短縮、その後も分割・短縮を繰り返して、1975年ごろ、当該【16】号経路が誕生する。分割後の<大阪市内~寝屋川>に相当する路線系統は、【1】号経路<京阪京橋~寝屋川市駅>と思われる(京橋乗り入れは2008年廃止。現在も【1】・<京阪守口市駅~寝屋川市駅>は運行中)。

【16】号経路の運行経路は、

枚方市駅北口~枚方公園口~伊加賀~(国道170号・府道京都守口線経由)~菅原神社前~池田本町~寝屋川車庫~寝屋川市駅

で、主に工場・事業所の並ぶ国道・幹線道路を走行するゆえ、道路渋滞が多発しやすいこともあって利用客は少なかったと思われる。1970年代後半の一時期だけ枚方営業所が担当していたこともあったようだが、その後1995年6月の廃止まで寝屋川営業所が担当していた(枚方営業所の車両でこの【16】号経路の方向幕が入っているのを見たような記憶がある)。運行本数は1987年当時、平日10往復、休日5往復だった(「京阪時刻表1987」巻末のバス時刻表より)。

私は、枚方市駅で【16】寝屋川市駅行きにBタイプ(路線・観光兼用車)のK-RC301P(社番B-3461)が入っているのを何度か見た記憶がある。1980年代後半~90年代初頭のことだった。一度乗ってみたかったが、結局乗ることもなく、気がついたら廃止されてしまっていた。

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B-3461(K-RC301P) 他サイトさまより拝借

【16】号経路・枚方寝屋川線廃止後、枚方市南西部においてはバス路線空白地帯となる。しかし、淀川河川敷に近い伊加賀・出口地区は住宅地やマンションの開発が進んでいて、同地区へのバス路線があっても不思議ではなかった。そこで、伊加賀・出口地区から枚方市駅・枚方市中心部へのバス利用客需要を見込んで、2001年夏、同じ【16】号経路として、枚方出口線が誕生する。運用担当は高槻営業所。ただし、国道へのアクセスが便利ゆえもともとマイカー利用の多い地域であり、近年の枚方市駅周辺の商業・集客施設の衰退などもあり(今年5月、枚方近鉄跡にT-SITEがオープンしたが)、出口線の利用状況からして、高槻の大型車では輸送力過剰なようなので、枚方営業所に移管して中型車で招提線【38】号経路と共通運用を組んだほうが効率的だと思われる。

参考までに、枚方営業所担当時代の【16】号経路関連の運用についても興味がある。当時は交野営業所開設前で、星田線【41】号<寝屋川市駅~四条畷駅>、【43】号<枚方市駅南口~四条畷駅>なども枚方営業所管轄だった。ゆえに【16】号経路は寝屋川市駅からの星田線への送り込み運用もあった可能性はありそうだ。ただし、笠松-正縁寺間の狭隘区間対応のため、星田線には専用の短尺車が使用されていたので、実際はどうだったかはわからない。


京阪バス「1Dayチケット」の前身と言うべき「枚方市内一日乗車券」。

1980年代半ばごろから発売されていたようで、廃止直前の2005年当時は800円だったと記憶している。発売箇所は枚方市駅案内所、枚方営業所、香里団地営業所ぐらいで、車内での販売はなく、この切符の存在自体あまり知られていなかったようだ。利用可能範囲は、京阪香里園~交野~津田駅系統以北の枚方市内路線(京阪宇治交通など他社路線では使えなかった)で、一部交野市内にも跨っていた。ただし券面の利用可能範囲図では、売れ行きが悪かったのか1980年代半ば当時のままのものの使い回しで、後年開設された枚方カントリー、大阪国際大学、ポエムノール北山、家具町2丁目南、幾野四丁目などが明記されていなかったように記憶している。

何度かこの乗車券を使用したことがあるが、はっきりいって使い勝手が良かったとは言えない。今のカード式「1Dayチケット」のように車内で購入することはできず、この乗車券の存在を知っている乗務員は少なかったようだ。確か案内所などで利用当日の日付スタンプを押してもらい、1回目のバス降車時に券面の端を切り離して運賃箱に入れる、というものだった。もちろんのこと、この乗車券で高槻・寝屋川市駅・星田・八幡・新田辺方面へ足を伸ばすことは不可能だった(ダイエースーパー行きは使えたのかな?)。

京阪バス掲示板(シーホークのページ)
http://102.teacup.com/seahawk/bbs
で、1978年交野営業所開設以前の星田線【43】号経路(枚方市駅~四条畷駅)の興味深い書き込みがありました。

狭隘路線ゆえ短尺車限定運用だった星田線【41】【43】号経路は、交野(営)開設以前はどこの営業所が担当していたのか興味があったが、上の掲示板の記述から、枚方営業所が担当していたことがほぼ確証されたと言って良いでしょう。

「バスグラフィック」(Vol.6、81ページ)に、1975年当時の四条畷駅停車中の寝屋川市駅行き【41】号経路の写真が載っていて、コメントに枚方 営業所担当だったことが記されています。しかし、そのコメントだけでは、実際に枚方(営)担当だったかどうかは判断できず、より詳しく知りたいと思ってい ました。

ただ、2ちゃんねるでは、当時の星田線が枚方営業所担当でMR410などで運用されていたとの書き込みを見た記憶があります。ということを、私が掲示板で 投稿したら、みどり太郎さまから、枚方(営)に該当する車両が5台配置されたいたとのコメントをいただきました。それは、

A-1005(MR410)、A-3001~3004(RE100)

という内容です。交野担当になってから1984年までの間、星田線用のMR410を1台だけ見たことはあります。それはたぶんA-1005でしょう。

ちなみに、当時の香里団地界隈路線系統について、1977年の釈尊寺団地造成に合わせて新設された【10】号経路(枚方市駅~釈尊寺団地)は香里団地(営)担当でしたが、交野営業所開設とともに同営業所に移管され、現在に至ります。
津田香里線の【9】号経路(京阪香里園~交野・津田駅)や、交野南部線【17】【19】号経路(京阪香里園・交野~藤が尾団地)はどこの営業所担当だった のでしょうか?香里団地担当だったとの説が有力なようですが、整理券系統ということもあって、枚方または寝屋川営業所の可能性も考えられそうです。

http://naohiko.exblog.jp/23474135/

今春、京都京阪バス発足を前に廃止された、旧・京阪シティバス【6】号経路(久御山団地~太陽ヶ丘)。

この【6】号経路は、1982年、宇治市に京都府立山城総合運動公園(通称・「太陽ヶ丘」)が開園したことに合わせて、京阪バスの一般路線として新設されました。運行経路は、

久御山団地~日産車体~近鉄大久保~城南荘~宇治市役所~宇治文化センター~太陽ヶ丘ゲート前~太陽ヶ丘

で、京阪宇治交通(→京阪宇治バス→京都京阪バス)【47】号系統と共同運行の形でスタートしました。

運用担当は当初洛南営業所で、宇治淀線とともに宇治市~久御山町内では、地味ながらも京阪バス一般路線網を形成していました。

当初、太陽ヶ丘へは、京阪宇治交通のみの乗り入れが想定されていたが、京都府企業局は京阪バスにも運行を要請、京阪バスも路線免許を取得し、路線新設に至ったという経緯のようです。

1985年12月に、京阪バス淀・宇治地区路線再編に伴い、【6】号経路は宇治淀線【4】【11】号経路などととともに、枚方営業所に移管。以降、大阪ナ ンバーの京阪バスが宇治市・久御山町にて営業運用をすることになるわけですが、1996年2月には洛南営業所担当に復帰。その後、1999年より子会社の 「京阪シティバス」が担当。

やはり利用客が少なかったのか、2012年11月の大久保駅前ロータリー完成に合わせたダイヤ改正で、土曜・休日ダイヤのみの運行となりました。
また、運動公園閉園時は、太陽ヶ丘ゲート前で折り返し。

残念ながら一度も乗ることなく、2014年3月31日、「京阪シティバス」「京阪宇治バス」を統合して「京都京阪バス」発足の前日に、廃止されました。

京阪バス【6】号経路のほか、近鉄大久保からは京阪宇治交通(→京阪宇治バス)がいろんな路線系統を持っていたが、現在は大久保駅前からの直通系統とし て、京都京阪バス【240】【240A】【250】【250A】が宇治友が丘(立命館宇治高校)経由で運行されています(ただし、「太陽ヶ丘ゲート西」下 車。「太陽ヶ丘」への直接の乗り入れなし)。

http://naohiko.exblog.jp/22205658/

かなり以前に、ダイエースーパーに乗り入れる香里団地【28】号経路についてレポートしました。
http://naohiko.exblog.jp/10938242/

先日、この古い記事への興味深いコメントをいただきました。その内容も踏まえ、【28】号経路について改めてレポートすることにしました。

香里団地【28】号経路は、香里団地から今はなきダイエー香里店(寝屋川市香里南之町。日本初の郊外型大型商業施設として1968年開業。2005年閉店)を直結する路線系統。

運行経路は、

ダイエースーパー→(旧国道170号)→田井→三井→成田山不動尊→末広町→香里ヶ丘九丁目→(公孫樹通)→香里ヶ丘七丁目→五本松→開成小学校前→香里橋→藤田川→新香里→香里ヶ丘九丁目→末広町→成田山不動尊→三井→田井→ダイエースーパー

という面白い循環系統でした。全区間1区運賃。1995年6月に廃止。香里団地営業所担当だったが、同営業所として唯一の2桁系統番号だったこともユニークでした。
運行本数は毎時2本(30分間隔)。

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ダイエースーパーを起点に三井までは比較的乗っているが、以降香里団地内への直通客は少なかったようです。香里団地方面からダイエー香里店へは、【1】 【9A】号経路で京阪香里園まで出て、そこから商店街を歩いて行くことも可能(むしろそちらのほうが一般的)ですが、第一「開かずの踏切」を渡る手間が煩 わしく、その分ダイエーまで直通する【28】号経路のほうが便利だったと言えます。ただ、【28】号経路は、末広町から南へ迂回していることもあるのか、 遠回りというイメージがなかったわけでもなく、本数の少なさもあって、ダイエーの買い物客にはあまり認知されていなかったように見えます。

近くの寝屋川市緑町、京阪電車線路のすぐ傍、寝屋川市駅と香里園駅のちょうど中間地点に、グリーンシティ(ジャスコ→イオン)というショッピングセンター があり、そちらのほうが集客力が高いようなので、むしろ緑町へ直通するバス路線が欲しいぐらいでした。実際、寝屋川団地方面から【20】号経路として緑町 への路線系統もあったが、1999年に廃止されました。

【28】号経路が廃止されて、15年後の2010年秋に、これと彷彿とさせる新しい系統、京阪香里園を起点とする循環【7】号経路が設定されました。運行経路は、

京阪香里園→新香里→五本松→開成小学校前→香里橋→藤田川→新香里→京阪香里園

ですが、なぜか全便交野営業所の担当です(津田香里線【9】【9C】と共通運用)。

ダイエースーパーへは、このほか寝屋川市駅から循環【12】号経路(寝屋川営業所担当)が2時間に1本の間隔で運行されていましたが、【12】号経路のほうは利用客が非常に少なかったようで、1980年代に廃止されました。

http://naohiko.exblog.jp/22113613/

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1981年末~82年現在の京阪六地蔵バス発車時刻表の写真です(京阪時刻表 1982より)。

京阪バスと京阪宇治交通(現・京阪宇治バス)が発着。

京阪バスは山科営業所担当(1982年当時は「京都営業所」)で、山科・三条京阪方面へのバスが発着。
特に[12]系統・醍醐三宝院・三条通経由三条京阪行きは15分間隔の運行で、地下鉄東西線開業前の山科営業所管内では収益性の高い路線系統だったようです。

また、[31]系統・阪急東向日駅行き(五条通経由)が六地蔵発着だったことは驚きです。
確か1995~96年ごろに廃止されましたが、廃止直前は小栗栖団地折り返しでした。

現在、六地蔵から四条河原町・三条京阪へは五条通経由のみです。


京阪宇治交通は、御蔵山方面だけでなく宇治車庫・京阪宇治から近鉄大久保方面などへの路線がありました。
現在、六地蔵~御蔵山系統の京阪宇治バスは、同社の他の路線網から完全に切り離され「陸の孤島」と化しています。
回送の経済性なども考えて、京阪バス山科営業所に移管した上で、[8]系統・日野誕生院線などと共に路線再編・見直しをしたほうがよいかもしれません(宇治車庫からの出庫だと府道7号線が渋滞しやすいので)。

なお、京阪六地蔵の手前では、京都駅前から府道7号線を経て宇治へ向かう長距離路線もありました。
ただ、京都駅からの京阪宇治交通は、京阪バス・近鉄などの京都奈良線(稲荷、藤ノ森経由)とは異なり、国道24号(竹田街道)経由でした。

http://naohiko.exblog.jp/20313614/

昔懐かしい路線系統を一つ紹介。

それは、出屋敷線旧[26]号系統(枚方市駅~家具団地)。
運行経路は、

枚方市駅北口~市民病院前~須山町~国道田ノ口~(国道1号枚方バイパス)~大谷橋~家具町1丁目~家具団地

で、田ノ口~家具町1丁目間はひたすら枚方バイパスを疾走するというものでした。

枚方市駅から家具団地・北山方面へは、現在
[27][29]<枚方市駅北口~(長尾駅経由)~摂南大学枚方キャンパス>
[38]<枚方市駅北口~(牧野・招提口経由)~摂南大学枚方キャンパス>
があるが、国道1号線を疾走するとは懐かしいですね。

同じく1号線枚方バイパスを疾走する系統として、招提線旧[38]号系統<枚方市駅~(牧野・招提口経由)~枚方車庫>がありました。

この[26]号系統は、2002年3月ダイヤ改正まで運行、廃止は意外と遅かったです。
ただし、1995~96年ごろに、田ノ口から枚方バイパス経由は従前と変わらないものの、末端区間だけ
~国道招提~ポエムノール北山~家具団地~峠~摂南大学薬学部(現・枚方キャンパス)
に行先・経路変更が実施されました。

いずれにせよ、本数自体少なかったので、乗車する機会もありませんでした。

http://naohiko.exblog.jp/20258631/

京阪時刻表1982をオークションで入手しました。
さっそく、巻末のバス時刻表で枚方市駅の分をスキャンしてみました。

hirakatashi1982jikoku1

hirakatashi1982jikoku2



この時刻表を見て気づいた点を挙げてみると、

<北口>
◎[21]系統・出屋敷経由長尾駅行き(現[20])は30分間隔の運行で少ない
◎[22]系統・藤阪ハイツゆきのうち毎時最低1本は田ノ口までノンストップ
◎招提線(牧野方面行き)が昼間時間帯も15分間隔、全体的に現在よりも本数が多い(現在は30~40分間隔)
◎茨木行きが昼間時間帯30分間隔と少ない(全便国鉄茨木行き)

<南口>
◎[11]系統・長尾駅行き(津田経由)は20分間隔の運行、出屋敷経由よりも多い
◎香里団地方面へは[1](ノンストップ)新香里行きが昼間時間帯に45分間隔で運行(□太字
◎枚方公園行きの[8]系統がない、休日ダイヤの枚方公園行きは昼間時間帯毎時合計6本と多い
◎高田・東香里方面([9A][9B])への本数が30分間隔で少ない、特に休日ダイヤの夕方以降は運行なし
◎[10]系統・釈尊寺団地行きの夜の時間帯は今よりも本数が少ない

というところでしょうか。

1980年代初めごろまで、[快速]<枚方市駅~新香里>がBタイプ車の三菱MR470で運行されているのはよく見かけたような記憶があります。ただ、香里橋までノンストップだったためか、利用客は多くなかったようで、いつの間にか消えました。

出屋敷線の藤阪ハイツ行き(現[18]号系統)がほぼ終日にわたってノンストップ便も運行、今では考えられないダイヤでしたね。

牧野方面へ向かう招提線の本数が昼間も15分間隔だったということは驚きました。
「大谷橋」「企業団地」「枚方車庫」、いずれも過去の名称になりましたね(「大谷橋」は廃止、「枚方車庫」は現在高速バスのみ発着、「企業団地」は「中の池公園」に改称)。
今では[38]号系統摂南大学枚方キャンパス行きが30~40分ごとに発着、運用車両も中型ロング車レインボー(通称「もやし」or「うなぎ」)もしくは中型車エアロミディのみとなっています。

茨木線は本数は少なかったが、阪急茨木の時刻表を見ると、当時でも本数は多かったことがわかり、びっくりです。ただ、枚方市駅行きは30分間隔、大半は玉川橋団地・白川3丁目・竹ノ内町折り返しでした。

あと、北口から[16]寝屋川市駅行きもあったが、スペースのためか発車時刻は表記されていませんでした(利用客もほとんどいないため省略してもよしとしたのだろう)。

http://naohiko.exblog.jp/20258329/

1987年当時の枚方市駅北口バスのりばの写真が出てきたので、UPします。

hirakatashi1987

時季は確かGWの頃で、高槻北部の山(ポンポン山)へハイキングに行くときだったと思います。

 直○ 国鉄高槻

が懐かしいですね。ちょうど国鉄からJRに変わって1ヶ月過ぎたばかりで、さすがにバスの方向幕交換までは間に合わなかったのでしょう(ただ、1年以内にJR高槻、JR茨木などに対応したものと交換されたはず)。

車両は当時の主力だった三菱エアロスターK、ことK-MP218M。京阪バスでは1987年より窓は逆T字型の大きいものを採用。大きい窓のバスに乗った のは、確かこのときが初めてだったようです。いきなりこれを見て、「これホンマに路線バスかいな? なんかまるで観光バスみたいや」と、カルチャーショックみたいなものを受けましたね。それだけ、この新車のインパクトは強烈だったはずです。

それから、写真の左奥には「ブルドック」が止まっていますね。当時、出屋敷・長尾方面行きバスのりばだったので、枚方営業所所属の車両とわかります。

http://naohiko.exblog.jp/20159763/

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