カテゴリ:京阪バスグループ > 昭和~平成初期の頃の京阪バス


京阪バス「1Dayチケット」の前身と言える「枚方市内一日乗車券」。 

自由利用範囲は、「枚方市内の京阪バス路線」だが、もう少し詳しく言えば、

<京阪香里園~京阪交野市駅~津田駅>以北、<枚方市駅~枚方公園口>以東、穂谷口・宗谷以西、<樟葉駅~あさひ>以南

で、少しだけ寝屋川市・交野市にも跨っていました。主に香里団地営業所管内路線と枚方営業所管内の大部分(新田辺・天王・八幡方面、その他京都府内路線を除く)で利用可能でした。高槻・茨木・寝屋川・門真方面や、京阪宇治交通などの他社線ではもちろん不可能。

価格は確か800円で、現行「1Dayチケット」(大阪・京都・滋賀地区のほぼ全路線で利用可能)の650円よりも高かったが、1980~90年代当時においては枚方市近辺を自由に周遊できる貴重なチケットでした。発売箇所は枚方市駅案内所・枚方営業所・香里団地営業所に限られていたこともあり、あまり一般的には知られていなかったようです。今更ながら、これをもっと有効に使って充実した休日を過ごせたはずだと後悔しています。

例えば、高校の夏休みとかに、「一日乗車券」を使って枚方市内の図書館をハシゴしたり、王仁公園プールで泳ぎ、そのついでに面白い路線で寄り道することもできた。「雨ばかりで自転車で遠出できない」と腐っていては、実にもったいない話ですね。バス車内では読書や受験勉強等で時間を有効に使うこともできるし(ただし、勉強は英単語などの暗記物に絞るほうがよいだろう)。


続編です。

(快速)【1】<枚方市駅南口~新香里>(香里団地営業所)
1982年ごろまで香里団地線の快速便が運行されていました。快速【1】号経路には、Bタイプ車が使用されることが多く、香里団地営業所唯一の三菱ふそう車(B-1344)ということもあって特徴的でした。乗る機会は多かったにもかかわらず、なぜか一度も乗らないまま、気が付いたら廃止。

【9B】<枚方市駅南口~高田・東香里循環>(交野営業所)
運行経路は、

枚方市駅→藤田川→高田→東香里→香里ヶ丘10丁目→新香里→藤田川→枚方市駅

香里団地地区には循環路線系統が幾つか存在し、【9B】はその一つ。【9B】は交野営業所管轄でした。実は一度だけ、桑ヶ谷→高田→新香里→枚方市駅まで乗車したことあります(乗車した車両はAタイプK-RCだった)。ちなみに1990年の一時期、交野に三菱エアロスターKが配置された時には、この【9B】の運用に入っているのを見かけたこともあるが、残念ながらうまく捕まえらずでした(結局交野のエアロスターKには一度も乗れず)。

【28】<ダイエースーパー~香里団地循環>(香里団地営業所)
香里団地および成田・三井地区からダイエー香里店への買い物客を意識して設定された路線。運行経路は、

ダイエースーパー→田井→成田山不動尊→末広町→香里ヶ丘9→五本松→香里橋→新香里→末広町→成田山不動尊→田井→ダイエースーパー

で、経路もさることながら、香里団地管内唯一の2桁系統番号であることも面白かったです。香里団地~ダイエースーパー間の区間乗車は何度かあるが、全運行区間乗車するのも面白いですね。ダイエー香里店ともども、過去のものとなってしまいました。

【41】<寝屋川市駅~四条畷駅>(交野営業所)
星田線【43】<枚方市駅~四条畷駅>とともに、r20旧道・笠松~正縁寺間の狭隘区間に対応するため、短尺車または中型車限定で運用されていました。1984年以降は中型車に統一、しかも日野レインボーばかりで車両趣味的にはあまり面白くないが、秦北口~秦公民館前~三井秦団地はr18旧道(市道)、そして前述のr20旧道(東高野街道)狭隘路を走行するという点で乗りごたえがあって面白い路線でした。【43】号経路を枚方市駅から四条畷駅まで何度か乗車したことはあるが、四条畷駅まで直通していたときの【41】号経路も乗っておきたかったです。現在、【41】にかわって【41B】・<寝屋川市駅~東寝屋川駅・梅が丘>が運行中です。

【30】【30A】【30B】【40】【40A】【40B】<樟葉駅~牧野・招提循環>(枚方営業所)
樟葉駅を拠点に牧野・招提地区を循環する路線。長距離路線というわけではないが、この路線系統には、Bタイプ車が充当されることも多く、車両そのものを楽しむには面白い路線でした。牧野・招提循環も路線再編&大幅縮小を受け、今では小型車で運用、寂しくなったものです。

【32】<樟葉駅~京阪八幡>(旧ルート)(枚方営業所)
京阪宇治交通【71】号経路と共通経路ですが、京阪バスへの統合後は【32】号に統一、男山営業所管轄となっています。もともと、

樟葉駅~公園前~八幡第二小学校(現・くすの木小学校)~弓岡~大芝~京阪八幡

という、少々迂回的な経路でした。1983年より、公園前~大芝間は「中央センター経由」に変更。京阪バス担当便は大型車と中型車(三菱エアロミディ)が混用され、Bタイプ車が入ることもあったようです。当時、八幡市内の運賃は大阪地区とは異なるため、整理券対応でした。

【臨時】<京阪八幡~円福寺>(枚方営業所)
毎月4月20日と10月20日の万人講には京阪八幡から円福寺への臨時バスが運行されていました。現在は樟葉駅からの運行(男山営業所担当)となっているようです。


1980年代に乗っておきたかった京阪バスの路線(大阪地区)を挙げてみたいと思います。

【12】<枚方市駅南口~新田辺>(枚方営業所)
枚方市駅発着の数少ない長距離路線。枚方市駅~新田辺間は1日3往復の運行でした。途中、穂谷・天王を経由(一部は津田駅も)。所要時間1時間程度で、十分乗りごたえはあったと思います。 運用車両は三菱ふそう大型車が多く、特にエアロスターKの新田辺行きを見たらテンションが上がったものです。1992年ダイヤ改正で枚方尊延寺線路線再編が行われ、枚方市駅から新田辺直通便は廃止(穂谷で系統分割)。

【14】<枚方市駅南口~津田・村野浄水場循環>(枚方営業所)
現在、バス空白地帯となっている枚方市村野高見台~交野市幾野地区を通っていました。枚方営業所管内で交野市内に乗り入れるユニークな路線系統でした。運行経路は、

枚方市駅-四辻-津田駅-倉治-西倉治-出鼻橋-村野浄水場-四辻-枚方市駅

でした。残念ながら一度も乗れずでした。

【20】<枚方市駅北口~長尾駅~津田~枚方市駅南口>(枚方営業所)
出屋敷線と枚方尊延寺線をくっつけた大循環路線系統でした。当時の系統番号でいえば、【21】と【11】を一本化したものです。全区間乗り通すとかなりな所要時間となり、乗りごたえはあったと思います。朝夕のみの運行でした。

【22】(快速)<枚方市駅北口~藤阪ハイツ>(枚方営業所)
比較的遅くまで枚方市駅~藤阪ハイツの快速便がありました。長距離路線というわけではないが、運用車両が面白く、特に1980年代初頭まではBタイプ車(三菱MR470)で運用されることも多かったようです。

【26】<枚方市駅北口~国道田ノ口~家具団地>(枚方営業所)
出屋敷線の1系統ですが、国道田ノ口からひたすら枚方バイパスを疾走するというものでした。長尾高校の通学専用だったゆえ同高校の生徒・職員以外の乗車は不可能だったそうです。枚方市駅と家具団地を結ぶ路線系統としては、招提線【36】号経路もありました。

【16】<枚方市駅北口~寝屋川市駅>(寝屋川営業所)
これは特に乗っておきたかったと思います。かつての京阪国道線の残滓です。運行経路は、

枚方市駅-枚方公園口-伊加賀-木屋-菅原神社前-寝屋川車庫-寝屋川市駅

でした。運用車両はBタイプが多く(1980年代前半はB-1508・1509、以降B-3460に)、中型車(レインボー)なども入っていました。1995年に廃止されるが、2001年枚方出口線として【16】号経路が復活しました(高槻営業所管轄)。

【13】<寝屋川市駅~古川橋駅>(寝屋川営業所)
これもかなりな長距離路線でした。運行経路も複雑で、

寝屋川市駅~寝屋川車庫~菅原神社前~摂南大学~(R1バイパス)~点野~仁和寺~大久保~古川橋駅

乗りごたえは十分なように思います。

【51】<JR吹田~近鉄八戸ノ里駅前>(門真営業所)
吹田八尾線の1系統。1984年以前は国鉄八尾駅まで運行していました。大阪地区では有数の長距離路線でした。吹田八尾線は京阪・阪急・近鉄・国鉄4社の共同運行体制が取られていたが、JR発足直前に国鉄バスが撤退、その後も路線縮小が続き、1997年大阪モノレール門真市開業と同時期に跡形も無く全廃。京阪バスの八戸ノ里直通は1996年廃止。


京阪バス山科営業所管内のユニークな過去路線について、レポートしたいと思います。

【31】号経路・<阪急東向日~小栗栖団地~京阪六地蔵>。

運行経路は、

阪急東向日駅~JR向日町~下久世~【R171】~東寺南門~七条大宮~五条大宮~【五条通(R9~R1)】~東野~小野~醍醐高畑町~醍醐折戸町~小栗栖団地~大受団地南~石田団地~町並~京阪六地蔵

で、乗り応えのある長距離路線でした。1982年当時は京阪六地蔵発着だったが、のちに小栗栖団地発着に変更、1997年地下鉄東西線開業までに廃止されたようです。

向日市への京阪バス乗り入れは過去のものとなりました。現在、同じ京阪バスグループの京阪京都交通が向日市内を通っています。かつては向日町競輪場へのシャトルバスも運用しており、京阪バス各営業所(大阪地区を含む)の方向幕コマに入っていたが、これもいつしか消えてしまいましたね。

この【31】号経路は、阪急京都線の祖先である新京阪の歴史と興味深い関係があるように思います。

阪急東向日駅の大阪(梅田)方の隣、西向日駅付近の不自然なカーブが、それを物語っています。昭和初期の時代、新京阪は西向日駅から東へ分岐させ、現在の名神に沿うルートで山科・大津を経て、さらに鈴鹿山脈をぶち抜き名古屋までの路線(新京阪山科線)を開業させる、壮大な計画を持っていました。国から建設免許はおりたが、世界大恐慌の影響で名古屋への夢は頓挫。名阪間を結ぶ私鉄は、奈良・三重を経由する近畿日本鉄道(旧・参宮急行電鉄ほか)で実現することに。京阪宇治線の六地蔵駅と新京阪山科線を連絡することを目的に、京阪六地蔵線の計画もあがり、京阪バス山科営業所のある地点で六地蔵線と山科線が接続する予定だったようです。すなわち、山科営業所は、京阪「山科」駅の予定地だったということであり、山科・醍醐地区の京阪バスも新京阪さまさまということになりますね。

【31】号経路の走行ルートそのものも、新京阪山科線を彷彿とさせます。計画ルートとはかなり北に寄って、京都市中心部(五条通ほか)を通っていますが。というより、山科線と六地蔵線を両方まとめたような感じの路線とも言えますね。新京阪山科線のルートに忠実に沿う路線系統としては、京都市バス【南2】系統・<JR長岡京東口~竹田駅西口>、京阪バス【2】号経路・<竹田駅東口~醍醐バスターミナル>が挙げられます。

東寺南門~七条大宮間には、京阪バス桂淀線【22】号経路(洛南営業所→枚方営業所→廃止)も通っていました。


京阪六地蔵線(夢幻鉄道を歩く)
https://www.kyoto-np.co.jp/info/sightseeing/mugen/20160825_6.html

新京阪鉄道山科線(同上)
https://www.kyoto-np.co.jp/info/sightseeing/mugen/20160804_10.html



京阪バス交野営業所開設(1978年)前の路線管轄について。

コメントや他ブログの情報等からの情報を総合すると、以下のようになります。

(津田香里線)
【9A】<枚方市駅~高田~京阪香里園>
【9B】<枚方市駅~高田~東香里~新香里~枚方市駅>
(以上、香里団地営業所)

【9】<京阪香里園~京阪交野><京阪香里園~津田駅>
(枚方営業所?)

(交野南部線)
【17】<京阪交野~藤が尾団地>
【19】<京阪香里園~京阪交野~藤が尾団地>
(以上、枚方営業所?)

(釈尊寺団地線)
【10】<枚方市駅~釈尊寺団地> 香里団地営業所

(星田線)
【41】<寝屋川市駅~星田~四条畷駅>
【43】<枚方市駅~四条畷駅>
(以上、枚方営業所)

(寝屋川団地線)
【21】<寝屋川市駅~寝屋川団地> 枚方営業所

(田原線)
<京阪私市~一ノ坪 八の坪>
一ノ坪 八の坪~京阪大和田駅前>
(以上、枚方営業所)

(寝屋川北部線)
【22】<寝屋川市駅~京阪香里園~仁和寺>
【25】<寝屋川市駅~三井団地>
(以上、寝屋川営業所)

(高宮四条畷線)
【31】<寝屋川市駅~太秦住宅>
【32】<寝屋川市駅~巣本~四条畷駅>
【33】<寝屋川市駅~砂~四条畷駅>
(以上、寝屋川営業所?)


【21】寝屋川団地線が枚方営業所担当だったことは驚きです。寝屋川団地へは、枚方車庫からr18<枚方交野寝屋川線>経由で回送していたものと推測できます。星田線【41】【43】は笠松~正縁寺間の狭隘区間対応に短尺車(A-1005、A-3001~3004)限定だったが、間合いで【21】号に入った可能性はありそうです。また、1970年代後半の一時期、枚方寝屋川線【16】号経路も枚方営業所が担当、やはり星田線・寝屋川団地線の送り込みを兼ねていた可能性があります。

【10】釈尊寺団地線は1977年に開設。当初、香里団地営業所の担当、経由地が現在と異なり、東香里新町・高田を経てr18を北上するという(茄子作住宅の道路は未開通だった)、迂回ルートでした。

津田香里線の香里園~交野方面路線は、枚方営業所または香里団地営業所の管内だったと思われます。

寝屋川管轄だった【22】【25】については、長距離路線【15】<京阪香里園~仁和寺~京阪守口市駅>で送り込みも兼ねていたようです。

交野営業所開設当初、寝屋川市駅からの【2】【4】号経路が同営業所担当だったとの情報もありますが、如何に。これが事実だとすれば、交野営業所は守口市駅・土居まで足を伸ばしていたことになりますね。


京阪バス寝屋川営業所管内の過去の路線について、一つレポートさせていただきます。

【15】号経路<仁和寺~京阪守口市駅>。

運行経路がこれまた面白く、大阪府道15号<八尾茨木線>経由で古川橋駅(旧【13】号経路と同じルート)を通るのかと思いきや、

仁和寺~大久保~大庭住宅前~梶南口~門真北小学校~門真市役所西詰~門真市駅~西三荘~京阪守口市駅

で、今ではバス空白地帯となった大庭住宅前~梶南口~門真市役所西詰~京阪守口市駅をカバーしていました。

2008年10月廃止。京阪守口市駅から古川橋・大和田駅経由四條畷・清滝団地方面の門真【23】【24】号経路(門真市駅まで【15】号と同じルート)とともに消えました。松下電器(パナソニック)工場通勤者をも意識した路線系統と言えるが、四條畷方面の路線と同時に廃止になるとは、電機産業のまち・守口門真の衰退を示唆するようでした(ちょうど同じ時期に松下電器からパナソニックに社名変更。さらに、守口に本社を持つ三洋電機はパナソニックの子会社化)。

【15】号経路は、かつて京阪香里園~土居までの長距離路線だったようです。香里園~仁和寺間は、おそらく交野【22】号経路と同ルートだったと思われます(香里園からの【22】号経路も仁和寺直通は廃止)。ちなみに、交野営業所開設(1978年)当初、寝屋川市駅からの【2】【4】号経路も交野営業所が担当していたそうですが、実際のところはどうなのでしょうか?  当時、寝屋川市駅から寝屋川団地・星田・太秦・四條畷方面の交野管轄路線系統も、西口から発着していました(東口ロータリーは1986年併用開始)。交野営業所開設前は、星田線・寝屋川団地線は枚方営業所が担当していました(ほかに【16】<寝屋川市駅~枚方市駅>も一時期枚方管轄だった)。


平成1桁台、1996年(平成8年)前後の京阪バスについて、思いつくままに挙げてみました。

私個人的に、1996年以降の京阪バスについては、モノコック車両は既に姿を消し、さほど昔の話ではないように感じますが、もう20年以上経過しているんですね。

1996年前後といえば、

◎【22】号経路<京阪淀~阪急桂駅>廃止(1995年12月、枚方営業所管轄)

◎京都奈良線【2】号経路全廃(1996年3月)

◎淀宇治線・京都南部線を枚方営業所から洛南営業所に移管(1996年2月)

◎交野・寝屋川・門真営業所管内の車内運賃表示機デジタル化 & 合成音声放送対応

◎寝屋川営業所に三菱ふそうエアロミディ中型車が続々転入

◎枚方市長尾家具町の「摂南大学薬学部」(→摂南大学枚方キャンパス)に乗り入れ開始

ぐらいでしょうか・・・。

翌年1997年、大阪モノレール門真市開通、大阪地下鉄長堀鶴見緑地線門真南延伸、京都市営地下鉄東西線開通を受け、大規模な路線改変が行われます。京都市バス醍醐車庫廃止に伴い、山科区と伏見区醍醐地区は京阪バスに一元化(山科営業所)および路線全面再編。地下鉄東西線開通と引き換えに、三条京阪から三条通を経て山科方面へのバスは大幅減便となりました。モノレールと長堀鶴見緑地線延伸開業に伴い、門真営業所管内も大幅な路線変更を実施。吹田八尾線(京阪・阪急・近鉄共管)は全廃されました。交野管轄の長距離路線【18】<京阪交野市駅~京阪大和田駅>も交野~田原台に短縮。


再び、枚方・交野近辺の昭和についての思い出話などを。

今回は、1982年(昭和57年)ごろのことを思いつくままに挙げてみたいと思います。

○ 京阪電車では架線電圧1500V昇圧を前に新1800系登場。前年に続き、夏には交野線に冷房車(2600・2200系)が入る。

○京阪交野市駅前にニチイ(→現・イズミヤ)が開業。

○枚方市立杉中学校開校。

○枚方市立楠葉公民館・図書館新設。

○京阪バス・京阪宇治交通には冷房車が続々投入。香里団地に深夜のおりば専用「けやき1番」「けやき2番」開設。

○TSUTAYA1号店が枚方市駅前に開店。

○8月初旬、台風10号の影響で近畿・東海地方に被害をもたらす。


京阪電車では、翌年1983年12月の架線電圧1500V昇圧を前に、旧型の吊り掛け車(600・1300・1700系)が最後の活躍を続ける一方、600系の車体を活用して2代目1800系が登場(1代目1800系は、1700系と同じ車体でありながら日本初の新性能車)。1700系と600系の混結編成も初めて出現、ファンの目が離せませんでした。1300系ほか吊り掛け車のたまり場だった交野線にも、夏場には冷房車2600系(そして2200系4連口)が入り、好評を博しました(翌年以降は2600系が当たり前になる)。翌年春、新型車両6000系がデビュー、従来の京阪スタイルを刷新する颯爽たる姿で衝撃的、1984年にはローレル賞を受賞しました。

交野市内には次々と新しい大型集客施設がオープン。1981年、郡津駅前に「京阪スポーツセンター郡津」(スイミング・テニス・体操)がオープン、いよいよ最盛期を迎えます(2003年ごろ閉鎖)。交野市駅前にはニチイを核店舗とするショッピングセンター「Jumbo」が開業。当初はドムドムやミスドもあって、香里園のダイエーやイズミヤ枚方店などに負けないぐらい楽しいところでした。ニチイはのちにSATYに店名を改め、2003年に閉店するが、後釜にイズミヤが入り今日に至ります。

枚方市東部(津田・藤阪・長尾・尊延寺・穂谷ほか)の住宅地開発が進み、杉中学校が開校。杉中学校の通学区域は菅原東・氷室小学校区のほか、近年藤阪小学校の校区も加わって(おそらく藤阪~田口南のバイパス開通による道路状況の変化によるものだろう)、とにかく広範囲。氷室台・尊延寺・穂谷方面からはバス通学も認められているそうです。また、1984年に穂谷に関西外大キャンパス(→2018年閉校・移転)、そして1988年ごろには杉に大阪国際大学キャンパスがそれぞれ開校しました。加えて、府立枚方津田高校も1986年に開校。

国鉄片町線(→JR学研都市線)は長尾-木津間非電化。電化区間の片町-長尾間も非冷房の101系が多かったが、1983年より東海道・山陽緩行線から103系が続々転入、冷房化率が大幅アップするとともに、1986年には7連に増強、そして1989年には全線電化が完成しました。非電化区間では1982年当時、キハ35系やキハ40が主力となり、キハ20は姿を消しました。

京阪バスには冷房車が続々投入、非冷房車は数を減らしつつありました。しかし、まだ非冷房車に当たる確率も小さくはなく、夏場にこれが来たときはがっかりでした(しかし、引退寸前の日野・金産車体はバス窓時代の面影を感じるもので、なかなか面白かった)。この頃の新車である日野K-RC301は、従来のRE系と違ってエンジン音は強力化、モノコックながらスタイル(特にフロント)が京阪特注でかなり洗練された印象があります(以前の日野車体のバスは野暮ったい印象が強かったので)。香里団地の快速系統廃止、および深夜のおりば専用停留所新設も、この頃に実施されました。

京阪宇治交通についても、同様に冷房車を続々納車。樟葉・男山地区の車両は、三菱ふそう・呉羽車体でほぼ統一されていたはずだが、三菱自工のみのものと思っていた「ブルドック」(K-MP118)が、いつの間にか宇治交にも登場していて、軽く驚きました(京阪バス・宇治交とも、末期の「ブルドック」は呉羽車体製)。古参のバス窓車(MR470)も残っていて、松井ヶ丘方面の長距離系統を中心に運用されていた記憶があります。翌年1983年以降、宇治交60周年を記念して、塗装変更が順次行われました。

1982年の夏は天候不順でした。梅雨の前半は雨が少なく空梅雨気味だったものの、7月中旬より梅雨空が続き、長崎で記録的豪雨、梅雨明けは大幅に遅れました。また、8月初頭に台風10号が近畿・東海地方を直撃、その後も雨の多い不安定な夏でした。


1978~80年ごろの枚方市駅南口について。

1975年に開店した枚方丸物は、三越とともに枚方市駅南口のランドマークでした。丸物は1977年、近鉄百貨店に商号を改めました(→2012年閉店→跡地にT-SITE)。

バスのりばの雰囲気自体は大きく変わっていないと思いますが、まず【10】号・釈尊寺団地線は香里団地線(枚方公園、京阪香里園方面ほか)と同じ南2番のりばからの発車だったと記憶しています。ちょうど交野営業所が開設(1978年4月)されて間もない頃で、それまで【10】号経路は香里団地営業所が担当していました。【10】号経路は1977年の開設当初、高田経由だったそうです。南3番のりばは、【9A】【9B】号の高田・東香里方面と【43】号・四条畷駅行きが発車していたように思います。 【43】号経路・星田線は交野営業所開設前は枚方営業所が管轄していました。

1979年ごろに、南口のりばの路線がほぼ現在と同様のものに変更となりました。すなわち、【9A】【9B】は2番のりば、【10】は3番のりばからの発車です。

また、1979~80年ごろ、山之上~桑ヶ谷間に「宮ノ前橋」バス停を開設、当初はなぜか【10】号経路しか停車しなかったそうですが、1982年ごろより香里団地線も含め全系統停車するようになりました。

南1番のりばから発車する枚方尊延寺線(枚方営業所管轄)については、長距離路線の【12】号・新田辺行きとか、【14】号(村野浄水場・倉治・津田循環)、そして【20】号(長尾駅~出屋敷~枚方市駅北口行き)といった特徴ある路線系統も多かったです。

南4番のりばは、1978年当時はなかったと思いますが、1980年代前半ごろ、枚方尊延寺線の星ヶ丘病院行き(【13】→【61】号)、および関西外大穂谷キャンパス(閉校)直行バス用に設置されました。

なお、1982年頃まで、快速【1】号経路・新香里行きもあり、主に香里団地営業所唯一の三菱Bタイプ車(B-1344)で運用されていました。

このほか、高槻から香里団地に直通する【2】号経路もありました。香里団地(新香里)行きは南口2番のりばから発車、折り返して高槻行きのりばは府道139号(京阪踏切前)に設置されていました。


今年のセンター試験も終わりました。
センター試験は2020年より「新テスト」となり、大学入試全体的に大きく変わりそうですが、どうなることでしょうか?

ふと、私がセンター試験を受けた当日の寄り道について思い出しました。
平成初期の頃で、試験会場は京都大学。

テスト2日目が終わって一息つき、バスで寄り道することにしました。
百万遍バス停で京阪バス比叡平線【56】号経路にうまい具合に間に合い、
三条京阪までこれに乗車。
どこの営業所が担当しているのか気になっていたが、山科営業所の担当だとわかりました。 
東山通~三条通経由で、競合する京都市バス【206】系統などに比べて空いており、
Bタイプ車(三菱P-MP218)運用とあって、少し優雅な旅行気分でした。

三条京阪でもう1本京阪バスに乗り継ぎました。
ここからは【12】号経路・京阪六地蔵行き。
【12】号経路は、三条京阪発車時点で混雑していたように記憶しています。
本数が多く、地下鉄東西線開通前の山科営業所における
ドル箱路線だったことを示唆していると言えます。
三条通~外環状線~醍醐三宝院経由で、
現在の地下鉄東西線のルートにほぼ従う経路でした。
御陵の京阪京津線踏切手前で渋滞にはまり、スピードダウンを強いられました。
京津線の併用軌道区間(三条-御陵間)が地下鉄東西線に代替されることにより、
三条通の渋滞はかなり解消されましたが、バスの本数まで大幅に減らされたのは
問題だと思います。


昭和の頃の京阪バスの歴史を伝える物件写真(路線図、時刻表、掲示物、サインほか)をアップしてみました。


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枚方市駅南口の路線案内図(2006年)
2014年枚方尊延寺線ダイヤ改正に全面更新された


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京阪香里園 路線案内図(2008年)

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上の拡大(1)
「大谷橋」が懐かしい!

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上の拡大(2)
「天王・新田辺」の文字まで入ってる!


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京阪守口市駅 3番のりば案内サイン(2008年)
「京阪京橋」は過去のものに

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同 発車時刻表
京阪京橋行き2008年廃止直前は平日3本


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四条畷駅 バス停柱の路線図(2006年)
【43】号・枚方市駅行きもあり、【8】穂谷にも注目!


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西大津駅(現・大津京駅)のりば行先案内サイン(2007年)
山科駅行きのバス(【47】号経路)は廃止された
さらに昔、三条京阪・四条大宮行きがここから発着していた

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新田辺のバス路線図(京阪バス、旧・京阪宇治バス、奈良交通)(2011年)



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この度は、サブブログを開設しました。

昨年末、諸般の事情により、京阪バス過去車両データの記事を非公開にしておりましたが、新しいサブブログ「交野が原道草+α」 に移転の上、再公開させていただきました。今後、過去車両に関する情報はサブブログのほうで随時更新をさせていただきます。

今後ともご愛顧のほど宜しくお願い致します。



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京阪バス・京阪宇治交通過去の車両データの記事につきまして、諸般の事情により暫く非公開とさせていただくことにしました。場合によっては、このまま削除破棄をさせていただくこともあります。

せっかく皆様から貴重な情報提供を頂いたにもかかわらず、管理人の至らぬところも多々ございまして、またデータ(車両番号、登録番号、形式、所属ほか)の記載等に軽率さがあったことは認めざるを得ません。誠に遺憾ですが、一旦取り下げたほうが良いと判断いたしました。心より感謝とともに深くお詫び申し上げます。

近日中に、皆様から当ブログにご投稿いただいたコメント文のみを、別の記事にまとめて復元公表したいと考えております(当方の判断で一部割愛させていただく部分もあるかもしれません)。今後とも、どうか宜しくお願い申し上げます。

2018年12月16日


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かつて京阪バス交野営業所管内にて運行されていた【20A】号経路・<三井団地~緑町>

この路線系統は、寝屋川市北東部の三井団地・三井秦団地と、緑町に存在していたショッピングセンター・「グリーンシティ」(ジャスコ寝屋川店→イオン寝屋川店→閉店)を結ぶユニークなものでした。運行経路は、大阪r18<枚方交野寝屋川線>とR170<外環状線>経由、

三井団地~三井秦団地~観音橋~寝屋川警察署前~緑町

でした。1999年1月に廃止。「緑町」バス停はちょうどR170上にあって折り返しのための回転場がなく、どのようにして折り返していたのか気になります。かなり昔、

(循環)【20】三井団地→三井秦団地→漢音橋→緑町→石津元町→(大阪r13)→菅原神社前→市立総合センター前→八坂町→漢音橋→三井秦団地→三井団地

という面白い路線系統もあったようですが・・・。

緑町を通る路線系統には、他に【27】号・<寝屋川市駅~緑町~太間公園>もあったが、現在緑町周辺のバスは軒並み<タウンくる>に転換されています。



かつて京阪バスは、京阪守口市駅からエキスポランド(万博記念公園)までシャトルバスとして乗り入れていました。

京阪沿線から万博記念公園方面への需要に応じて設定されていましたが、モノレール門真市延伸(1997)間近の1995年ごろに廃止されたようです。似たような路線系統として京阪・阪急・近鉄バス共同運行の吹田八尾線もあったが、やはりモノレール門真市開通までに跡形もなく消滅しました。近鉄バスにとっては、本家の近鉄沿線である東大阪・八尾市エリアと、茨木・摂津市を管轄する鳥飼営業所管内をつなぐ路線として重要な意味も持っていましたが、鳥飼営業所管内は他の近鉄バスエリアと切り離されてしまいました。

なお、1970年大阪万博開催時には、国鉄茨木駅前から万博会場へ京阪バスもシャトルバスを出していました(京阪バス社史にその旨が記されている)。


京阪バスのモノコック車が姿を消したのは1994年のこと。

ある方からコメントをご投稿いただき、(主に大阪地区の)モノコック車の末期(1990~94年)について書いてみたいと思いました。

当時、京阪バスは車両の代替サイクルが7~10年と短く、1985年には一般路線車も含め冷房化率100%を達成。その翌年1986年より、さっそく初期の冷房車の廃車が発生し、1994年までにモノコック車が順次引退します。冷房化率アップに大きく貢献した末期モノコック(K-RC301、K-MP118ほか)までが引退するとは、まさに十年一昔という感じでした。


まず、寝屋川営業所ですが、1984年夏、中型車P-RJ172の運用開始に伴い、K-RC301後期型(1982年夏~84年初頭納車分)および三菱ふそう車(B-1508・1509、A-1515・1557・1558)が他の営業所へ流出。以降、しばらくK-RC301後期型については、枚方営業所から転属のB-3461を除いてあまり見かけることはなかったが、1990~91年ごろに前期型K-RC301(1981~82年初頭納車分)の引退後、交野営業所などから一時的に後期型K-RC301が転入しました。交野生え抜きのA-3435・3436が転入する一方、寝屋川から交野に転属したA-3439・3440はそのまま戻ることなく、交野営業所で余生を過ごしました。


寝屋川とともに前期型K-RC301の多かった枚方営業所(クーラーユニットが前側に付いてるA-3387~3391や、富士重3EのA-3409といった特徴ある車両も多かった)。枚方営業所には当初後期型K-RC301はB-3460・3461を除いて納車されることはなかったが、1985年ごろより洛南営業所(→京都南部地区路線の大半を枚方営業所へ移管)からA-3416・3417・3458、寝屋川・香里団地からはA-3422・3426・3430が転入。主に樟葉・牧野・招提循環および樟葉長尾線の運用に入っていたようです(前期型K-RCについては当初枚方尊延寺線に入ることも多かったが、86年ごろより後期型と同様、招提線・樟葉長尾線で活躍することが多くなる)。3422・3426は後に門真へ転属。元洛南のA-3458は1991年まで【11】号経路・<京阪淀駅~京阪宇治駅>などでも時々見ることができました。最後まで残ったのはB-3460で、三菱B-1596・1597(K-MP518)とともに1994年7月枚方北部地区ダイヤ改正まで主に招提線で活躍していました。枚方のBタイプ車は引退後、栃木県の東野交通に移籍しています。

三菱Aタイプ車K-MP118についても、前期型ブルドック(82年初頭までの納車分)が多く、富士重3Eも3台(A-1545・1546・1547)も配置されていました。三菱大型Aタイプ車については、もとから枚方尊延寺線に入ることが多かったようです(洛南からの転入車など一部は、方向幕コマ数等の関係からか中型車やBタイプ車と同様に、招提線・樟葉長尾線・八幡・京都南部地区で運用されることが多かったように見える)。


門真営業所については、1983年まで三菱大型車が相当数納入されていたこともあって、K-RC301前期型はA-3377(→交野)と富士重3E×4台(A-3406・3407・3408・3410)のほかは少なく、同後期型は交野・寝屋川・枚方からの転属も含め(ほかに短尺車K-RC381×2台、A-3463・3464)かなり多かったです。特に最末期のA-3466~3469は短尺RC381とともに最終的に門真に結集。1991年春、【5】試験場線で引退直前の富士重RCに乗車することができました。なお、門真の三菱ブルドック(K-MP118)たちは、1985~86年ごろ、枚方・高槻・山科・大津へ転出しています。


1984年(昭和59年)ごろの京阪バス車両の動きについて。

この年は京阪バスで初めて中型車を導入すると同時に、それまでのモノコック車体から角張ったスケルトン車体に代わり冷房化率を促進、翌年2月に冷房化率100%を達成するという、記念すべき一年だったと言えます。

まず、1984年春(3月ごろ)までは、旧来と同じモノコック車体の新車を導入。 

【三菱K-MP118M(呉羽ブルドック)】
A-1598(枚方)、
 1599(高槻)

【三菱K-MP518M(呉羽ブルドック)】
B-1596、1597(枚方)

【三菱P-MP118M(呉羽ブルドック)】
A-1600(高槻)、
 1601(大津)、
 1602(山科)

【日野K-RC301】
A-3459(寝屋川)、
 3465(交野)、
 3466、3467、3468、3469(門真)、
 3470(香里団地)

【日野K-RC381】
A-3462、3463、3464(交野)

【日野K-RC301P】
B-3460,3461(枚方)

という内容で、排ガス規制はKからPに切り替わる端境期でもありました。このときの特筆すべきこととしては、何よりも路線・観光兼用車のBタイプがメトロ窓の豪華仕様となってデビューしたことでしょう。こと日野のBタイプ車は初めてであり、当初は三菱・日野合わせて4台とも枚方営業所に配置されました(その後、B-3461が寝屋川へ転属)。さらに大型短尺のK-RC381も3台交野営業所に配置され、狭隘区間の星田線冷房化促進を図ったものと思われます。


1984年夏ごろまでに、スケルトンの中型車が高槻・香里団地を除く各営業所に登場。

【三菱K-MK116J】
A-1001(山科)、1002(交野)

【三菱P-MK116J】
A-1003、1004、1005(大津)、
 1006、1007、1008、1009(山科)、
 1010、1011、1012(大津)、
 1013(洛南)、
 1014、1015、1016、1017(枚方)、
 1018、1019(大津)

【日野P-RJ172BA】
A-3003、3004、3005、3006、3007、3008(交野)、
 3009、3010、3011、3012、3013、3014、3015(寝屋川)、
 3016、3017、3018(門真)、
 3019、3020(洛南)、
 3021、3022、3023、3024、3025(寝屋川)

で、三菱MKの初めの2台(A-1001、1002)のみ排ガス規制Kとなっています。


中型車の大量導入により、夏に大規模な車両異動が発生しました。

まず、交野の短尺K-RC381のうちA-3463は大津、3464は山科?にそれぞれ転出。当時の大津・山科営業所管内では貴重な日野車ということになります(A-3464はほどなく大津へ。そして1年後には2台とも門真へ再転属)。以降、星田線(正縁寺-笠松間対応)には中型車が充当されることになります。同期に交野営業所へ三菱ふそう車が2台

A-1548(K-MP118M、富士重3E) 大津→交野
A-1579(K-MP118M、呉羽ブルドック) 山科→交野

転入した理由が今まで謎だったが、これはK-RC381とのトレードだったものと思われます。

加えて三菱中型車のトップバッターA-1001も山科から交野へ転属。清滝地区急勾配対応ゆえ従来三菱MP117M(A-1439?、1459、1466)が専属的に充当されていた田原線【18】号経路は、中型車A-1001・1002へ代替(田原線もおよそ1年後には日野RJに統一、MKは枚方営業所へ転出)。

寝屋川営業所においては、新しめのK-RC301、および数少ない三菱ふそう車(Bタイプ除く)が他の営業所へ転出。A-3459(ほかにA-3438も?)は香里団地、A-3456・3457は門真、A-1557・1558ほか三菱Aタイプ車は高槻へそれぞれ転属となった模様です。


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1984年(昭和59年)当時の枚方・交野・寝屋川をはじめ北河内周辺について、思いつくままに書いてみたいと思いました。私個人的には、

○前年1983年12月京阪電車(大津線除く)の架線電圧1500Vに昇圧、6000系車両晴れ晴れデビュー & ローレル賞受賞、吊り掛け車全廃

○関西外大穂谷キャンパス開校、京阪バス「穂谷外大」乗り入れ開始

○国鉄片町線(→JR学研都市線)に103系冷房車続々転入

○京阪バスに中型スケルトン車両登場

といったところでしょうか?


京阪電車の架線電圧1500V化に合わせ、旧型吊り掛け車600・1300・1700系は全廃。1300系の天下だった交野線は2600系が主役となってしまい、冷房車に当たる確率は大幅に上がった反面、車両趣味的には面白みが半減しました。非冷房車1900系や1800系(2代目)も時々交野線の運用に入っていましたが、やはり600・1300・1700系が主役だった頃に比べたら・・・。しかし、今から思えば、非冷房時代の1900系や1800系ももっと味わって乗っておいたほうが良かったです。

ニューフェイスの6000系は京阪沿線住民に大きなインパクトを与えるほどの画期的スタイルでした。6000系は昇圧前1983年12月まで暫定的に4両編成として営業運用を行い、交野線にも入っていました。1500V化完了後、7連に組み直され、本線の急行・準急から普通、そして正月の臨時特急にも堂々たる姿で活躍、まさに京阪の新時代を迎えたと言えます。そして、その斬新的なスタイルから1984年夏にローレル賞を受賞しました。

2200系の車体更新工事も始まり、正面種別・行先幕が設置され、イメージはかなり変わりました。

枚方市駅高架化工事も進みつつあり、翌年1985年4月より樟葉急行の8連運用が始まりました。


枚方市東部の山間部、穂谷地区には関西外大穂谷キャンパスが開校。京阪バスが穂谷外大に乗り入れを開始、枚方尊延寺線の発展期を迎えます。数年後に杉山手・大阪国際大学への路線も新設されたり、新田辺-穂谷間の便数も増発するなど、かなり賑やかにはなるが、2018年4月の閉校(→御殿山キャンパスへ移転)後、路線・本数とも大幅に整理され、1984年以前に戻ったような感じです。

当時の京阪バスといえば、狭隘路線向けに中型車を始めて導入。直前まで投入していたモノコック車体(三菱ブルドック、日野RE・RC)に代わり、この時から角張ったスケルトン車となりました。また、1984年初頭にはモノコックの路線・観光兼用車(Bタイプ)がメトロ窓の豪華仕様となって枚方営業所に登場。翌年1985年2月には一般路線車の冷房化率100%を達成しました。

旧・京阪宇治交通も前年1983年に創業60周年を記念して、紫系のストライプ新塗装を導入。従前の緑系塗色から順次塗り替えられます。現在の京都京阪バスの一部車両にこの塗装が継承されており、本年秋までに消滅予定です。


国鉄片町線も、103系冷房車が京阪神緩行線から続々転属し非冷房101系を置き換え、冷房化率は大幅アップ。転属の過程で青色の103系も見られました。その後、1986年までに6両から7両に増強。非電化で残っていた長尾-木津間についても、同志社大学京田辺キャンパス開校に合わせ同志社前駅開業(1986年)、1989年に電化。快速電車の運転も本格的に始まり、長尾-大住間に松井山手駅(京田辺市)を開業、京阪電鉄グループの住宅地開発が始まり、今日に至ります。


久しぶりに京阪バス懐かしいネタを。

Twitterでミッシェルさまが日野RE121・富士重3E(1980年式、A-3343)の画像をアップされました:
https://twitter.com/fuso_ms615/status/1023159463400730625

A-3343の登録番号は「大阪22あ3613」、交野営業所所属でした。

このA-3343ですが、廃車時期は1990年ごろで、引退後も数年間ほど交野車庫の隅に置かれ、私も時々この姿を見たことがあります。

当時、京阪バスは8~10年ほどで廃車することになってて車両の代替サイクルが早く、地方のバス事業者にて第二の活躍をするものも多かったが、このA-3343は現役を退いた後、嫁ぎ先がないまま車庫に置かれ、倉庫もしくは休憩所として使われていたようです。

1990年代初頭の頃の交野車庫といえば、日野ブルーリボン(P-HT235BA、U-HT2MMAA)、同レインボー(P-RJ172)が主力を占め、同じく主力だったモノコックのK-RC301は徐々に引退が始まり、REは全廃、三菱ふそうの呉羽ブルドックおよび富士重3E(K-MP118M)が各1台ずつ残存(A-1548、1579)、という陣容でした。もう少し以前だと、三菱ふそう車も数台所属していて面白かったんだが・・・。



昨年秋以降、京阪バス過去の車両についてのデータ
http://katanogawara.blog.jp/archives/21003704.html
を随時更新しています。皆様からのコメントへの情報提供により、大阪地区の車両についてかなりのことが明らかになりました。京滋地区については「青いバス停」さまおよび他の方々の多くの写真を参考にさせていただいております。

さて、このデータ収集で一つ気になったのは、1979年前後の三菱ふそう車(社番1400番台)。

まず、高槻営業所に配置されていたMP117・呉羽車体(大阪22あ3287~3291の5台)の社番。方向幕大型化前の車両でA-1440番台あたりだと推測していましたが、もう少し前へずれているような気もしています。同グループの車両として山科のA-1444(京22か2221)があり、ほかに富士重3E架装のA-1446(京22か2234)もいました。MP117で呉羽・小型方向幕車は枚方営業所にも配置されていたと記憶しています。ちなみにB-1450(滋22か735)以降の車両は方向幕大型化されています。

高槻営業所には方向幕大型の呉羽のMP117(大阪22あ3628)および富士重3EのMP117が2台(大阪22あ3538・3539)配置されたとのご報告をいただき、私も実際に乗車した記憶があります。惜しいことに、こちらも社番は不明です。同期の車両として呉羽車体のA-1473(山科、京22か2313)、A-1480(大津、滋22か777)、A-1482(山科、京22か2504)があります。

このほか、1978年に納車されたブルドック(三菱自工)について、大阪地区および山科営業所に配置された分の社番も定かではありません。同じグループで大津営業所のA-1413・1414(滋22か681、682)は確定で、山科営業所にBタイプのブルドックB-1407(京22か1969)があったとは驚きです。

排ガスK-規制車は1980年式C-1483(京22か2534)以降の車両となります。


京阪バス寝屋川・高槻営業所に配置されている車両について、興味深い事実を一つ。

それは大阪ナンバー4200番台の車両が配置されていること。

まず、寝屋川営業所にN-6260・6261・6262(いすゞLV290)の3台が配属、登録ナンバーは

N-6260 大阪200か4206
N-6261 大阪200か4209
N-6262 大阪200か4214

京阪バスで大阪ナンバー4200番台の車両はこの3台のほか、京田辺から高槻に転属したブルーリボンIIも数台あります。

面白いことに、過去の「大阪22あ」の時代も、4200番台は三菱ふそうブルドックの

A-1557 大阪22あ4277
A-1558 大阪22あ4278

の2台だけであり、最初は寝屋川営業所に配置されたのち高槻に転属となりました。

なぜか、大阪ナンバー4200番台の車両は寝屋川と高槻に集中するという習性があるようです(笑)


今から20年ほど昔、路線バスで大阪~奈良~京都を回ることが可能でした。
そのルートは、

梅田~<近鉄バス阪奈生駒線>~近鉄奈良駅~<近鉄バス、奈良交通、京阪バス>~京都駅前


で、バス2本を乗り継いで三都を回ることができたのです。

梅田~奈良間の近鉄バス阪奈生駒線は国道1号~大阪府道8号~阪奈道路経由のわかりやすいルートで、梅田からの大半の便は産業大学・生駒山上まで、近鉄奈良へ直通するバスは確か1日1~2便ぐらいだったかと思います。確か1995年頃まで運行されていたようです。奈良市と大阪梅田を結ぶ交通といえば、JRの大和路快速が有名だが、関西本線電化以前は近鉄バス阪奈生駒線がおそらく唯一の手段だったのでしょう。阪奈生駒線は2016年末に廃止、大阪駅・梅田への近鉄バス乗り入れはなくなりました。

奈良~京都間は近鉄バス・京阪バス・奈良交通の3社体制で本数調整して運行(近鉄バスの比重が最も大きかった)。国道24号線(旧道の府道69号を含む)~府県道753754号経由で近鉄・JR奈良駅に乗り入れ、近鉄京都線・JR奈良線と並行しているにもかかわらず、最盛期には毎時1本程度の本数が確保されていました。しかし、長距離路線ゆえ慢性的な道路渋滞に悩まされる上に鉄道に比べて運賃が高く、利用客激減で年々本数は減少、1998年に全廃されました。奈良交通は京都~大和八木間の1往復のみ、末期の1993年ごろ大和八木直通は廃止、1996年京阪バスと同時に運行終了。最後まで残った近鉄バスも1998年に全廃と同時に奈良営業所は閉鎖。奈良での京阪バス・近鉄バスは異色の存在でした。また、京都市内区間(観月橋以北)では京都市交通局との協定で近鉄・奈良交通はクローズドドア制度を採っていたことも痛かったようです。運用車両は近鉄・奈良交通は日野車(RE、RC、RJなど)、京阪は末期は三菱ふそうエアロミディ(山科営業所担当)で、やはり京阪のふそうは異色の存在でした。


「青いバス停」さまの最新記事で、京阪バス山科営業所所属A-1578(K-MP118M、1983年式、京22か3260)が樟葉中書島線【52】号経路の運用に入っていた写真がアップされていてびっくりしました。

樟葉中書島線は1983年開通、2005年に廃止された長距離路線で終始枚方営業所管轄のはずですが、まさか山科営業所所属のままのナンバーで樟葉駅まで乗り入れていたとは・・・。

撮影時期は、A-1578のフロントが「京阪」マークではなく「FUSO」ロゴで新車ピカピカの艶があり、隣の京阪宇治交通ブルドックが緑の旧塗装などから、1983年のものと推定できます。

その下のモノクロ写真は同じくA-1578ですが、方向幕は「35・藤阪ハイツ」であり、これは樟葉中書島線開通直後の車両需給の関係からか暫定的に枚方営業所に貸し出していたものと思われます(方向幕は枚方営業所仕様に差し替えられていたと見られる)。少し後、枚方営業所にA-1592(大阪22あ4786)が納車されており、その時点で本来の山科営業所に戻ったものと考えられそうです。

ちなみに、同じく山科配置のA-1579(京22か3261)は1984年夏、交野営業所に転属しています(大阪22あ5094)。


久しぶりの京阪バス過去の路線系統レポート。

今回は交野営業所管内【19】号経路・<京阪香里園~藤が尾団地>について。

香里園から京阪交野市駅経由、交野市南部の藤が尾団地・妙見坂地区を結ぶ路線で、運行経路は、

京阪香里園~末広町~東香里~高田~逢合橋~京阪交野市駅~さくら丘住宅~天野が原~私市四丁目~藤が尾団地

香里園~交野市駅間は津田香里線【9】号経路の補完も兼ねており、大型車で運行されていましたが、1994年12月のダイヤ改正で交野市駅~南星台~星田駅系統(【17】号経路ほか)開通と引き換えに廃止。南星台地区は住宅密集地とはいえ、生駒山系中腹のかなり高いところにあり急坂・急カーブ・狭隘路が続くため、中・小型車での限定運用となっています。

1994年12月改正に合わせて京阪交野市駅ビル&バスロータリーが整備完了、現在に至ります。それ以前の京阪交野市駅前バスのりばは、駅から少し離れたところ(イズミヤ前交差点南東角)にあり、バス停の正式名称も「京阪交野」でした。

妙見坂・南星台界隈は某大手企業労組の影響力が強いと見られ、旧・民主党系衆議院議員のお膝元として知られる地域です(今年10月の衆院選で共産党は小選挙区の立候補を見送り支援に回られた)。

1978年の交野営業所開設前、香里園~交野方面系統についてどこの営業所が担当していたのかが気になります。星田線・田原線は枚方営業所、【10】釈尊寺団地線および【9A】枚方市駅~香里園は香里団地、香里園~三井団地~寝屋川市駅および寝屋川団地線は寝屋川営業所がそれぞれ受け持っていましたが、・・・。




一昔前(1990年代以前)の京阪バス門真営業所といえば日野車のイメージが強いが、実は1980年代前半ごろまで意外にも三菱ふそう車がかなりの数だけ所属していたことが判明してびっくりです。その理由は、四條畷市清滝地区の生駒山系山麓の急勾配対応(守口・大和田~清滝団地系統ほか)だと思われます。すなわち、大阪地区(高槻営業所管内を除く)の主力だった日野RE系だと急勾配路線向けでないとされていたらしく、例外的措置として三菱ふそう車を充当、ということだったようです(京滋地区の主力が三菱車だった理由も同様。特に比叡山線には専用の三菱Bタイプ車が用意されていた)。

1978~83年にかけて門真に配置された三菱車は、

A-1431 大阪22あ3171
A-1432 大阪22あ3172
A-1436 大阪22あ3176
A-1437 大阪22あ3177
A-1443? 大阪22あ3223
(以上MP117M、三菱車体ブルドック)

A-1563 大阪22あ4390(→枚方)
A-1564 大阪22あ4391(→枚方)
A-1565 大阪22あ4392(→大津)
A-1571 大阪22あ4540(→高槻)
A-1572 大阪22あ4541(→高槻)
A-1573 大阪22あ4542(→山科)
A-1593 大阪22あ4787(→山科→大津)

(以上K-MP118M、呉羽車体ブルドック)

です。A-1431~1443は1978年式・小型方向幕、A-1563~は1982・83年式です。

1978年式・初期のブルドックについては最後どうなったかは知りませんが、A-1563以降の車両は1985~86年ごろ枚方・高槻・山科・大津営業所へ転出となった模様です。というのも、清滝団地関係の系統にも日野K-RC301および中型P-RJ172が進出するようになり特に問題なしとされたためだと思われます。同じ時期、交野管轄の田原線【18】号経路も日野中型車P-RJ172の独壇場となり、同系統で使用していたA-1466は大津へ転属(滋22か1170)となりました。


香里団地営業所に続き、旧・京阪宇治交通も含め他の営業所の懐かしい広告看板も記憶している限りで挙げてみたいと思います。比較的近年のものも一部含んでいます。

<左右部(大)>
香里自動車教習所(枚方・香里団地・交野)
寝屋川自動車教習所(香里団地・交野ほか)
守口自動車教習所(交野・寝屋川・門真)
枚方自動車教習所(枚方・男山・交野)
門真自動車教習所(門真)
清酒 月桂冠(枚方・香里団地・交野・寝屋川ほか)
白鶴(枚方・香里団地・寝屋川・門真ほか)
三島コーポレーション?住まいの情報ターミナル(枚方・高槻)
枚方家具団地(枚方・男山)
前田組(枚方・香里団地・交野ほか)
丸信住宅(枚方・交野・門真)
長村病院(枚方・男山)
大阪病院(交野)
寝屋川グリーンシティ(交野・寝屋川)
高槻銘菓 冬篭(高槻)
和光証券枚方支店(枚方・香里団地・交野ほか)
関西記念病院(枚方・香里団地・交野)
ひらかたパーク(枚方・交野・寝屋川ほか)
京阪スポーツセンター郡津(枚方・交野)
枚方ビオルネ(枚方・交野)
関西医大枚方病院(枚方・高槻)
京阪牛乳(寝屋川)
くずは松坂屋(男山)
くずはウッドペーカー(男山)
せのお内科(男山)
若葉マークの水晶米(男山)
南京都信用金庫(男山・宇治・田辺)
田辺中央病院(男山・田辺・宇治)
写真のサイトー(宇治)
みのり幼稚園(宇治)
まごころ米(洛南ほか)
イノダコーヒー(山科)
京つけもの 打田(山科・大津)
醍醐 渡辺病院(山科)
西村証券(山科)
ひっこし 学生運送(山科)
びわこボート(山科・大津)
西武大津(大津)
祇園 平八 八幡山荘(山科・大津・宇治)
京都駅前デパート(定期観光車・貸切ほか)
京都駅前 萩乃家(山科・定期観光車ほか)

<左右部(小)>
枚方三越(枚方・交野ほか)
すし勝(男山)

<後部>
(小型長方形)
香里園 岩田呉服店(香里団地・交野)
泉屋(香里団地・交野)
びわこタワー(枚方・交野・寝屋川ほか)
日光苑・森本興産(交野)
小島建設(枚方・香里団地・寝屋川ほか)
幸福米(枚方・香里団地・交野)
恩地うどん(交野・寝屋川)
新田整形外科(交野)
奈村工務店(枚方・香里団地・交野)
香里自動車教習所(枚方・高槻・交野ほか)
寝屋川グリーンシティ(交野・寝屋川)
焼肉 安さん(寝屋川・門真)
田辺中央病院(男山・田辺)
すし勝(男山)
ALGO(男山)
お茶のかんばやし(宇治)
滋賀容器(大津)
観光料理旅館 金波(大津)
高島屋質舗(大津)

(大型正方形)
奈村工務店(枚方・香里団地・交野)
寝屋川グリーンシティ(交野・寝屋川)
焼肉 安さん(寝屋川・門真)
京阪奈病院(枚方・男山)
枚方公済病院(枚方・男山・京田辺)
文具 クワウチ(高槻)
枚方SATY(枚方)


DSCF0023
短命に終わった「枚方SATY」広告
(枚方時代のN-3117)

※後部看板は京阪バス(山科以外)は1988年以降、山科営業所は1991年ごろの車両より大型正方形サイズとなる。京阪宇治交通は末期の2004~05年より大型正方形サイズ。


エアポーターneoさまから京阪バス香里団地営業所の懐かしい広告看板について情報をいただきましたので、ここで少しレポートにまとめてみたいと思います。

昭和50~60年代の香里団地管内の広告看板は大体以下のようなものでした。

<左右部(大)>
清酒 月桂冠
寝屋川自動車教習所
香里自動車教習所
前田組
白鶴 サケパック
洋菓子 ハイデ
関西記念病院

<左右部(小)>
枚方三越
カンダダイヤモンド

<後部>
香里園 岩田呉服店
仏壇・仏具の泉屋
小島建設
洋菓子のバーゼル
幸福米

一つ気になったのは、なぜか「ひらかたパーク」など京阪グループのレジャー施設の広告看板が香里団地営業所の車両では見られなかったこと。枚方・交野営業所の車両では「ひらかたパーク」「びわこタワー」「京阪スポーツセンター郡津」などの看板をよく見かけたものですが・・・。それから、1990年にオープンした「枚方ビオルネ」の看板も枚方・交野車には掲示されるにもかかわらず、こちらもやはり香里団地車では見られませんでした。なお、1990年ごろより、「京阪高速バス」の看板も新たに加わりました。

あと、後部広告のサイズが1988年式の車両より大型化していますね。泉屋・小島建設・幸福米などの大型化後部看板は見た記憶がありません。私個人的には、「小島建設」「バーセル」のK-RC301、「泉屋」の非冷房車(金産)あたりが一番印象に残っています。

さらに、前部「ワンマン」パネルの裏側に広告シール(車内広告)が貼付されていたことも付け加えたいと思います。1977年ごろまでの車両(香里団地管内)には「カメラのひかり」(枚方近鉄1F)、「ヤマト」(楽器屋さん?)が貼られていたと記憶しています。1978~79年以降の冷房車には確か貼付されていなかったと思うが、1987年ごろには「京都定期観光バス」の広告が登場しました。ただし、「ワンマン」パネルは1988年式以降の車両では省略されるようになります。


京阪バス交野営業所管轄随一の長距離路線、田原線【18】号経路<京阪交野市駅~田原地区~京阪大和田駅>で運用されていた車両について、

京阪バス 懐かしの車両リスト
http://katanogawara.blog.jp/archives/21003704.html#comments

において、皆様からお寄せいただいた情報から判明したことに基づいて、簡単レポートをまとめたいと思います。

まず、この路線は1970年代前半まで、<京阪私市~八ノ坪(田原地区)>と<八ノ坪~京阪大和田駅>の2系統に分かれていて、ボンネットバスで運用されていました。交野営業所開設(1978年)前で枚方営業所が担当していました。2系統の連続運転だったとのことです。1976年ごろに京阪私市~田原地区~京阪大和田駅系統に一本化ののち、1978~79年の時点で京阪交野市駅まで延伸されました。

交野営業所移管当初、三菱ふそう・バス窓で半分ロングシートの車両(呉羽車体、社番A-1200台)が田原線【18】号経路に使用されました。おそらく枚方営業所あたりからの転属かと思われます。田原線の間合いで【10】号・釈尊寺団地線ほかの運用にも入っていました。当時、ロングシートの日野REが多かった中、この車両に当たると遠足気分を味わえて得した気分でした。

一般路線バスの冷房化が本格的に進む1979年ごろより、田原線に三菱ブルドック(MP117M)が3台用意されます。社番A-1439?(大阪22あ3219)、A-1459(大阪22あ3454)、A-1466(大阪22あ3470)で、A-1439は1978年式・小型方向幕、A-1459・1466は1979年式・大型方向幕でした。いずれも交野営業所では少数派グループの車両でした。当時、田原線で三菱ふそう車が優先的に使用された理由は、既に他の記事で何度か述べているように、四條畷市・清滝界隈の急勾配区間対応と思われます。実際、同じ清滝地区路線を担当している門真営業所には三菱ふそう車がかなり数だけ配置されていました。交野営業所管内は香里ヶ丘・香里園・交野・寝屋川東部地域の団地・住宅地輸送が主力のため、平坦路線向けの日野REが多数配備されていましたが、閑散路線かつ山岳路線向けの田原線向けには少数の三菱ふそう車、星田線狭隘区間用に短尺車(日野RE101、三菱MR410)も在籍していました。

1984年より京阪バスではスケルトン化と同時に閑散路線向けに中型車が配備されます。交野営業所にはまず、三菱エアロミディK-MK116Jが2台登場(社番は2代目A-1001・1002)。同年夏ごろより閑散路線の田原線にこの2台が充当されます。ただ、ほどなくして日野レインボーP-RJ172BAが田原線にも進出、エアロミディは枚方営業所へ転属してしまいました。門真担当の清滝団地方面路線についても日野K-RC301やP-RJ172、そしてP-HT235などが使用されるようになり、三菱車は枚方・高槻営業所および京滋地区へ転出となりました。

その後、1990年代前半まで田原線はP-RJ172BAの独壇場、1994年よりU-RJ172BAに置き換えられます。同時に、多区間・対キロ制運賃の田原線用車両にデジタル運賃表示機(小田原製)を先行的に採用、3段24コマ表示となり、「次のバス停」も大きな文字で表示されて見やすくなったものです(交野営業所全車両がデジタル表示機化されたのは2年後の1996年、平坦路線向けの大型車は基本的に2段12コマ表示)。

1997年8月末、地下鉄門真南駅開業に合わせたダイヤ改正で、田原線は田原台一丁目で系統分割、【18】号経路は<京阪交野市駅~田原台一丁目>に短縮されると同時に、本数も1日4往復だったのが3往復に減便されました。


京阪バス枚方営業所に所属していた日野大型車、K-RC301シリーズについて。

枚方営業所には前期型1981~82年初頭製造のグループが集中的に納車されました。該当する車両の社番は、

A-3378、3387、3388、3389、3390、3391、3392、3401、3402、3403、3404、3405、3409、3410

です。このうち、A-3387~91の5台はクーラーユニットが車両中央部に試験的に搭載されたグループ(日野車体)、A3409・3410は富士重3E、他は日野車体標準的モデルでした。

K-RC301について1982年初頭までのグループはフロントガラスが標準サイズのもので、富士重3E架装のものもありました。1982年夏~84年初頭に納車されたグループ(後期型)は、日野車体に一本化、かつフロントガラスは拡大サイズ、および前扉横に小窓、という京阪バス特注仕様となり、以前のグループに比べてスタイリッシュな印象に仕上がっていました(似たような仕様として京王帝都のRCがある)。K-RC301の後期型は路線・観光兼用のB-3460・3461を除いて枚方営業所には納車されず(1982~86年までの間、枚方営業所への日野大型車Aタイプの新製配置はごくわずかだけ)、香里団地・交野・寝屋川・門真・洛南の各営業所に配置されました。

ただ、K-RC301後期型も後年、枚方営業所へ何台か転入しました。
きっかけは、1985年12月の洛南営業所管内一般路線の枚方営業所への移管。A-3416・3417・3458の3台が洛南から転属しました。その後、1986~87年の招提線路線再編(【28】<枚方市駅~樟葉駅>系統新設、樟葉長尾線枚方カントリー乗り入れ、ほか)絡みで、寝屋川・香里団地・門真などからも転入。該当する車両は、

A-3422、3426、3430

の3台だったようです。A-3422・3426については、のちに門真営業所へ戻ったようです。したがって、最後まで枚方営業所に残った後期型RC301シリーズは、

A-3416、3417、3430、3458、B-3460

の5台ということになります。

さて、枚方に在籍していた後期型RC301シリーズについて、その運用路線がどうだったのか気になります。洛南からの転入組(A-3416・3417・3458)は、引き続き淀宇治線を中心に洛南地区路線の運用にも入っていました。洛南地区路線運用に入る車両は、招提線・樟葉長尾線・八幡地区・中書島線の運用もこなす一方、枚方尊延寺線(枚方市駅南口~津田・長尾・穂谷・新田辺方面)の運用に入ることはなかったようです(理由は方向幕・幕式運賃表のコマ数の都合と思われる)。大阪地区内転入組のA-3422・3426・3430も招提線や樟葉長尾線などに入ることが多かったようで(旧【28】号経路のイメージが強い)、末期は出屋敷線で見かけることが多かったと記憶しています。路線・観光兼用のB-3460・3461も招提線などで見かけることが多く(B-3461は寝屋川営業所へ転属)、最後まで残ったB-3460は1994年7月枚方北部地区ダイヤ改正まで招提線の運用を全うしていました。

これらいずれの車両も枚方尊延寺線の運用に入っているのを見た記憶がないのが気になるところ。尊延寺線については1986年ごろまで前期型のRC301(富士重3Eを含む)をしばしば見かけたと思うが・・・。その後は招提線・樟葉長尾線に活躍舞台が移ったようです。


京阪バス寝屋川営業所についてはあまりよく知らないが、同営業所に所属したことのある面白い車両について思いつくままに挙げてみたいと思います。

◎B-1508・1509(大阪22あ3832→、大阪22あ3833→)
三菱ふそうブルドックK-MP118MのBタイプ車(路線・定期観光兼用)。1980年式で通常の路線車Aタイプと同様の2段窓ながら、サブエンジン冷房のため側面窓中央部の太い柱が特徴でした。枚方・交野ではあまり見慣れない車両で、時折【16】号経路・<枚方市駅~寝屋川市駅>などで見かけたような記憶があります。1986年ごろ、日野のB-3461、3488の2台に置き換わり、京滋地区へ転出。

◎A-1515(大阪22あ3862)
寝屋川営業所に配置された数少ないブルドックK-MP118M・Aタイプ。1981年初頭に納車と思われます。寝屋川管内でのブルドックについてあまりはっきりした記憶はなく、上記Bタイプぐらいしか印象に残っていません。後年、他の営業所へ転出したものと思われます。

A-1557・1558(大阪22あ4277、4278)
三菱ふそうブルドックK-MP118M(呉羽)。1982年式(フロント窓標準タイプ)で寝屋川に2台だけ納車されました。寝屋川エリアで三菱ふそう車はあまり見かけることなく、この2台ものちに高槻営業所へ転出しました。フロントガラス標準サイズ&クーラーユニット薄型化のブルドックはこの2台のみ、寝屋川・高槻にしか存在しないタイプでした。同年納車A-1559(洛南→枚方)以降のブルドックは、フロントガラスの左半分拡大&前扉横の補助窓付きの京阪特注仕様となります。

◎A-3430(大阪22あ4393)
寝屋川営業所の主力だった日野K-RC301の1台。1982年式で京阪特注のフロントガラス大型化およびセーフティウィンドウ付き。新製時は香里団地営業所に配置され、のちに寝屋川、枚方の順に転属しました。枚方営業所のK-RC301は1982年初頭以前のフロントガラス標準サイズが集中していたが、1985年の洛南地区移管以降、同営業所には1982~83年式のRC301が数台転入しました。

◎B-3461(大阪22あ4990)
京阪バス初の日野Bタイプ車、K-RC301P(1984年式)。モノコック最終の車両で、メトロ窓となり、路線・観光兼用らしい颯爽たるスタイルで、車内の座席もエンジ色のハイバックシートなる豪華なものでした。当初B-3460とともに枚方営業所所属だったが、B-3488の納車と同じ時期にB-3461は寝屋川に転属、ブルドックBタイプを置き換える形となりました。時折【16】号経路・枚方寝屋川線で見かけることもありました。

◎A-1032・1037・1038・1039・1040・1041・1042・1050・1057・1060

三菱ふそう中型・エアロミディU-MK218J。1993~95年にかけて大津・山科・枚方営業所に配置されたが、1995年ごろより京都奈良線(山科営業所担当)廃止等で余剰となった車両がかなりの数だけ寝屋川に転入し、準主力の車両グループとなりました。1980年代後半~90年代前半、寝屋川営業所には三菱ふそう車は在籍していなかったと思うが、このエアロミディを皮切りに再び三菱車が増殖。ナンバー登録替も多く、A-1038のように山科→寝屋川→山科→大津→京田辺→・・・と配置と登録ナンバーが目まぐるしく変わるものもいました。2007~08年までに寝屋川営業所から引退しました。

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◎W-5003(大阪200か400→京都200か2572)
京阪バスでオンリーワンの日産ディーゼル(富士重8E)中型車、KK-RM252GSN(2000年式)。京阪バスで富士重車体が導入されたのは1983年の定期観光車C-3451以降のこと。16年ぶりに小型車S-5001・5002が山科営業所に納車、そしてこのW-5003も導入するが、富士重工のバス車体製造から撤退する動きもあり、その後は続きませんでした。晩年、男山営業所に転属し特定輸送専用して活躍。除籍後、京都京阪バスに移籍しました。

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◎W-3792(大阪200か376→滋賀200か695)
日野ブルーリボン・ワンステップ車・KC-HU2MMCA(2000年式)。ブルーリボンシティになる前のグループで、主に枚方・交野・香里団地に配置され、寝屋川にも1台だけ在籍。既に中型車が主力の時代とあって下記W-3800と同様、影が薄く後年大津営業所へ転属。

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◎W-3800(大阪200か475→滋賀200か1055)
京阪バス初のブルーリボンシティ・ワンステップ車、KL-HU2PMEA(2000年式)。交野のW-3801と同期で2016年まで交野営業所生え抜きで活躍を続けるのに対して、W-3800は寝屋川管内で使いづらかったのか影が薄かったようです。かつて、寝屋川営業所は日野大型車が多く配置されていたが、管内の需要低下により中型車の比重が高まり、大型車は三菱ふそうエアロスターが2004年に交野営業所より転入、どちらかといえば三菱ふそうのイメージが強くなったようです。このW-3800は運用に入ることも少なくなり、2015年大津営業所へ転出。高槻(営)からのレインボー・ロングN-3146に代替しました。

◎W-1975・1978・1979・1980・1981・1985・1986・1990
三菱エアロスター・ワンステップ車、KL-MP35JM。2001~02年に交野営業所に納車されたが2004年4月ダイヤ改正時に寝屋川営業所へ転属。以降、寝屋川の大型車といえば、このエアロスターが主役となります。W-1975・1978は同年夏、枚方営業所へ再転属。後年、1985は高槻、1979~81は大津営業所へぞれぞれ転属しました。

P2120027


◎N-3187・3188・3189・3190・3191
レインボー中型車ノンステップ(形式PB-HR7JHAE、2007年式)。
同時期に大量納入されたエルガミオ車体(J-BUS)のレインボー(PA-KR234J1)と異なり、純正?のHR車体が特徴です2005年まで大阪地区と大津営業所に納車された中型ロング(10.5m)・ノンステップのショート版、寝屋川営業所のみに投下(もっとわかりやすくいえば、後年寝屋川に転入したN-3146のショート版)。その直後に寝屋川営業所に納車されたN-3192・3195はエルガミオ車体に戻っています(形式PDG-KR234J2)。

◎N-6260・6261・6262
2017年冬に登場したいすゞエルガ大型車、LV290。前年夏より交野・高槻・香里団地・門真に納車され、年が明けて2017年寝屋川にも3台配備されました。寝屋川営業所では久しぶりの大型車(かつ初のノンステ)で、上記幕エアロスター(W-197x・8x)の一部を置き換えました。ただ、このグループの車両は高槻営業所管内では使いづらかったようで、京田辺・交野に転属、代わりに古いブルーリボンIIが高槻へ続々転入しています。N-6260~62は高槻営業所と共同管轄している寝屋川茨木線でも運用されているが、高槻営業所においては特に終日混雑しやすい枚方高槻線の運用で問題があったようです。このグループは2017年秋、男山・枚方・大津営業所にも登場しています。



京阪バス門真営業所管内の過去路線についてレポートしてみたいと思います。

今回は【12】号経路・<京阪守口市駅~茨田大宮住宅方面>

守口市駅と門真市南部地域を結ぶ一系統で、運行経路は、

京阪守口市駅~市民球状前~松下町~寺方~寺方東~東郷通~桑才~南三島~茨田大宮住宅

で、大阪府道161号線を東西に往来します。1997年の地下鉄門真南開業後、門真南駅まで延長されるが、1999年に路線廃止。京阪守口市駅と地下鉄門真南を結ぶ貴重な路線だっただけに残念です。

かつてはこの守口市南部~門真市南部地域のバス路線もかなり賑やかだったようだが、路線の大半は撤退しており、現在守口南部線【19】【29】【30】号経路<守口市駅~東郷通~鶴見緑地方面>のみにコンパクト化されています。門真営業所も以前は守口市駅および吹田方面まで運用範囲に入っていたが、現在は京阪門真市駅(近畿自動車道)以東に縮小されています。


京阪バス洛南営業所(京都市南区)は現在、主に観光・貸切車が配置されているが、かつては一般路線も担当していました。

1985年以前は、淀・宇治・山崎・伏見区・桂方面および京都奈良線を担当していたが、京都奈良線は山科営業所、他は枚方営業所にそれぞれ移管。京都奈良線は1996年3月に廃止。淀・宇治・山崎方面の路線は同年2月、洛南営業所が再び担当するが、1999年より子会社「京阪シティバス」に運営移管ののち、2014年には淀~久御山団地~大久保~宇治方面の路線は京都京阪バス(旧・京阪宇治交通→京阪宇治バス)に一本化、淀山崎線・京都南部線(中書島・竹田・京都駅八条口方面)は京阪バスに復帰しました。京阪バス移管後は京田辺営業所が担当ののち、本年3月より男山営業所が担当しています。

現在、洛南営業所担当の一般路線は、京都けいはんな線(奈良交通と共同運行)です。

さて、1985年12月の運用移管時の洛南営業所の車両の動きについて書いてみたいと思いました。

現在、皆様の情報提供にもとに随時更新中の京阪バス過去車両リスト(主に1982年以前)
http://katanogawara.blog.jp/archives/21003704.html
などから、当時洛南営業所に在籍していた一般路線車を挙げると、

<三菱ふそう>
(大型)
A-1559、A-1580、A-1581
(中型)
A-1013

<日野>
(大型)
A-3346(富士重)、A-3347?、A-3354、A-3416、A-3417、A-3458
(中型)
A-3019、A-3020

ぐらいだったようです。

当時の京滋地区一般路線といえば三菱ふそうというイメージが強いが、洛南営業所には日野車も配置されていました。

路線移管時の動きですが、ふそう中型A-1013(京22か3609)は山科に転属、京都奈良線で引き続き使用されました。日野レインボーも2台(A-3019、3020)配置されていたとは意外で、2台とも交野へ転属。ふそう大型車A-1559・1580・1581はいずれもブルドックK-MP118(呉羽)で、1559・1580は枚方、1581は高槻へそれぞれ転属。日野大型車のうちA-3346は富士重(RE121)、他は日野純正車体。A-3416・3417・3458はK-RC301でいずれも京阪特注の拡大フロントガラス。日野大型車は全て枚方へ転属しました。

洛南から枚方へ転属した車両たちは、引き続き淀宇治線・京都市南部地区路線(「洛南地区」と表記する)で運用することも多かったかと思います。K-RC301系の拡大フロントガラス車が枚方に配置されたのもこのときが初めてでした(観光兼用のB-3460・3461を除いて)。その後、【28】号・<枚方市駅~樟葉駅>(現・【39】号)の新設も絡んで、香里団地や寝屋川などから拡大窓RCが転入。

枚方営業所における洛南地区路線運用車両は、方向幕および幕式運賃表のコマ数の関係などにより限定されていたようです(それだけ管轄範囲が広かったということ)。該当する車両は洛南からの転入組と、大型Bタイプ車(B-1596・1597・3460・3461)、中型車(エアロミディ)、その後に納車された大型車の一部(エアロスターKとブルーリボン)だったようです。実際、淀宇治線【11】号経路でエアロスターKに乗車したこともあります。車内には枚方営業所管内路線図・運賃とは別に、樟葉以北八幡・中書島・洛南地区の路線図、そして淀宇治線ほか洛南地区路線の運賃表も掲示されていました。主に招提線・樟葉長尾線・八幡地区・樟葉中書島線と洛南地区路線に限定(ごく稀に出屋敷線も?)、枚方尊延寺線などに入ることはなかったかと思います(ただし三菱ふそう大型車については尊延寺線から洛南地区路線まで広範囲の運用をこなす車両があったような?)。洛南地区運用に入らない車両については、尊延寺線・出屋敷線を中心に八幡地区および樟葉中書島線まで(すなわち元の枚方営業所管内全体)をカバーしていました。1994年よりLED式運賃表に取替えられ、多区間・対キロ区間制運賃の洛南地区運用車両には3段24コマ表示(および熱転写式整理券発行機)、それ以外は基本的に大阪地区標準の2段12コマ表示が取り付けられました。

なお、桂方面への路線(【22】・<京阪淀~阪急桂駅前>)は洛南営業所に復帰することも無く、1995年12月に廃止されました。

一つ気になったのは、旧式の小型方向幕車。1978年以前の車両で1987年までに引退したかと思いますが、仮に枚方営業所へ転属して洛南地区路線で使用するとなると、どんな行先表示を用意したのか気になるところです。




1980年代ごろの京阪バス交野営業所の車両について、私個人的に印象に残っているものを思いつくまま書いてみたいと思います。

P7160011

P7160016
昭和の交野営業所といえば、「グリーンシティ」の看板も忘れられない

◎B-13??
三菱ふそうの路線・観光兼用車でした。形式はMR470、1977年式。2段窓でしたが冷房付き、座席モケットは赤色で補助席もあって豪華仕様でした。サブエンジン冷房のため、冷房稼動の音はすごかったです。1960年代以降生産の続いたMR系末期、ヒューンという静かな音に変わりMP系の登場を予感させるものだったように記憶しています。納車当時、交野営業所開設(1978年)前なので、どこから転入してきたのか気になります。平日昼間の【10】号・釈尊寺団地線でよく見かけました。貸切運用に使用されることも多く、また休日は京都定期観光の応援等に出張していたようです。このタイプの車両は京阪バス各営業所に最低1台は在籍していました。

◎B-13??
1982年秋~83年春の一時期、なぜか枚方(営)から転入。上記B-13??とともに【10】号・釈尊寺団地線で見かけることが多かったと記憶しています(1983年正月の休日ダイヤでも運用に入っていました!)。交野では一時的にBタイプ車2台体制となりました。形式は例によって同じMR470ですが、こちらのほうが1976年式で少し古く、走行音はものすごかったです。このタイプの車両は枚方・山科・香里団地などに配置されていました。

◎A-12??
バス窓の三菱ふそう・呉羽ボディ車、形式はMR470でした。左側2人掛けシート、右側ロングという特徴的な座席配置だったかと思います。【18】号・田原線<京阪交野市駅~私市~田原地区~清滝団地~京阪大和田駅前>で使用されることも多く、もちろん非冷房車ですが、ロングシート車もまだ多く残っていた当時、この車両に当たると得した気になり遠足気分が味わえました。交野(営)開設前の配置は不明。1981年ごろまで活躍していました。

◎A-3224?(大阪22あ1798?)

日野RE120、1973~74年式、金産車体でした。窓は確か2段サッシ(「バス窓」時代の名残か、下段窓が大きかった)だったがロングシート。1982年まで活躍していました。これよりもう少し古いものになると「バス窓」で、1981年までには引退したかと思われます。

◎A-1005(大阪22あ2356)、
A-3001~3004(大阪22あ2357、2358、2359、2360)
A-1005は三菱ふそう・呉羽ボディ短尺車MR410(1976年式)。日野短尺車RE101の4台(A-3001~3004)とともに、笠松-正縁寺間の狭隘区間を走行する星田線【41】【43】号経路対応に投入。交野営業所開設前は枚方(営)の担当、交野(営)の開設とともにそのまま転属しました。A-1005には確か「ピザハット」の看板が付いていたようです。これらのグループは交野転入後も枚方(営)時代と同じ看板(「枚方自動車教習所」「(株)ヤツカ」「ひらかたパーク」・・・)だったようですね。1984年まで活躍ののち、日野レインボー中型車に置き換えられ、遅れていた冷房化も完了。

◎A-14??(大阪22あ3219)
初期の三菱ブルドック(三菱自工製)。前面方向幕小型の1978年式(MP117M)でした。もともと交野(営)は他の営業所と比較して三菱ふそう車は少なく、これはその貴重な1台でした。【18】号・田原線での運用を目的に配備されました。当時、田原線は三菱車限定でしたが、その理由は四條畷市清滝地区の急勾配対応だと思われます(当時の主力・日野RE系は平坦路線向けだったようだが)。門真(営)に三菱ふそう車がかなり多く配置されたのも同じ理由と考えられます。

◎A-1466(大阪22あ3470→滋22か1170)、1459(大阪22あ3454)
三菱ブルドックで前面方向幕大型化。1979年式、形式はMP117Mでした。翌年1980年以降のK-MP118系とは後面の窓形状が異なっていました。上記A-14??と同様、【18】号・田原線運用向けでした。1台の側面看板は「守口自動車教習所」、もう1台のほうは「香里自動車教習所」だったと記憶しています。田原線【18】号経路は閑散路線ということで1984年より中型レインボーに置き換えられ(ごく短期間だけふそうエアロミディA-1001が入ったが)、三菱ブルドックは撤退。1986年ごろ、A-1466は大津営業所へ転出。

◎A-1501(大阪22あ3750)
交野に1台だけ配置された三菱K-MP118Mです(MP118系はその後、2台転入)。同じブルドックでありながら上記3台とは異なり、こちらは田原線運用に入らず、他の一般路線で汎用的に運用をこなしていました。後面の広告看板は「グリーンシティ」だったと記憶しています。

◎A-3372(大阪22あ3780)、3373(大阪22あ3781)
汎用の日野K-RE121(1980年式)です。K-RE121は京阪バスではREとK-RC301シリーズの間の過渡的な位置づけの形式で、1980年のみ主に大阪地区(特に寝屋川・門真)へ集中投下。後面ルーバー(排気孔)は廃止され、エンジン音もK-排ガス規制以前のREとはかなり異なり、カリカリという音が特徴的でした。A-3372・3373は交野(営)に配置された日野車体純正で、意外に少数派でした。その代わりK-RE121の富士重3Eが4台ほど配置され、交野のK-RE121といえばどちらかといえば富士重というイメージがあります。

◎A-3393(大阪22あ4121)、3397(大阪22あ4136)
汎用主力の日野K-RC301ですが、交野(営)では意外に少なかった前面窓標準サイズの前期タイプ(1981年式)です。なぜかこの2台は印象に残っています。基本スタイルこそ旧来のRE系と同じだが、このあたりの車両よりエンジン音が大きく変わり、日野のイメージを刷新(RE系に比べてRC系は力強く高音域のうなりが特徴だった)。内1台の側面看板は「月桂冠」と星田にある「大阪病院」、もう1台の後方看板は1982年当初は「幸福米」だった記憶が今も残っています。

◎A-3377(大阪22あ3864)
上記A-3393・3397より少し古いK-RC301(1981年初頭あたり納車)で、スタイルは同じです。後面看板の枠の取り付け方が旧来のREと同じでした(A-3393ほか1981年後半期以降、RC系の後看板枠は車体密着型となり、排気孔も廃止されスッキリした後スタイルに!)。元々門真(営)の配置で後年交野に転入。1980年代後半~91年初頭まで時々見かけりするが、残念ながらこれに乗ったことはありません。側面広告は「守口自動車教習所」だったかと思います。

◎A-1548(滋22か909→大阪22あ5093)
三菱(K-MP118M)+富士重3E(1982年式)。交野管内では見慣れない車両で、1984年夏、突如大津から転入。交野での富士重といえば、日野RE120・121の印象が強く、三菱ふそう車はこれ1台だけでした。側面看板は「京阪スポーツセンター郡津」だったと記憶しています(ちなみに後方看板は「ステーキの赤とんぼ」だったとのこと)。

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諏訪バスに移籍した富士3E・K-MP118M


◎A-3436(大阪22あ4529)ほか
1983年初頭に納車されたK-RC301たちです。前面窓視野拡大化・セーフティ窓付きの後期タイプで、スタイリッシュな印象となり、1982年夏以降に納入されたグループと合わせ主力勢力群でした。1983年初頭のグループについては、後年寝屋川(営)との入れ替わりもかなりあったようですが、中でも香里団地けやき通りの写真(枚方市発行)に映りこんでいるA-3436、および側面看板が「月桂冠」「大阪病院」だった1台(A-3440あたりか)は今も印象に残っています。

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◎A-1579(大阪22あ5094)
A-1548と同時に交野に転入した三菱ブルドック(K-MP118M、呉羽、1983年式)。前配置は山科営業所。交野管内では貴重な呉羽製ブルドックでした(1982年以降、京阪三菱ふそう車のボディは呉羽製に一本化)。側面看板に「大阪病院」が付きましたが、交野・寝屋川エリアではあまり見慣れない車両だけに違和感がありました。末期は【43A】号経路・<枚方市駅~交野車庫>などの運用に入っているのを見かけたことがあります。

◎A-3465(大阪22あ5001)
1984年初頭に納車されたK-RC301。上記1982~83年式と基本スタイル・仕様は同じ(座席背面が大理石模様入りとなるなど細部の仕様変更が見られた)、モノコック車最末期であり、バスコレ第12弾のモデルにもなりました。その後、同グループのA-3466(大阪22あ5002)も門真から転入、最終のA-3470(大阪22あ5006)は香里団地配置でした。A-3465と同時期にスケルトンの中型P-RJ172BA(2代目A-3003・3004)も交野に納車、登録ナンバーはA-3465の手前の「あ4999・5000」で、モノコックからスケルトンへの移行期であることを示しています。

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◎2代目A-1001・1002(大阪22あ5250、4995)

京阪初の三菱ふそう中型車(呉羽車体)、K-MK116J、通称・エアロミディ。A-1002は交野に直接納車、A-1001は山科営業所から転入しました。京阪バス初めてのスケルトン車ですが、このA-1001・1002のみ排ガス規制はK代で、ともに交野営業所に配属したことになります。ただ、ほどなくして枚方営業所へ転出、交野管内には1年あまりしかいませんでした。星田線用1代目A-1005およびA-3001~3004の置き換えで、星田線の冷房化促進に貢献しました。星田線のほか田原線【18】号経路の運用に入ったこともあります。その20年後、交野営業所にはエアロミディ長尺(10.5m)ノンステップ車と中型車ワンステップ・ノンステップを大量導入して現在活躍中です。まさかエアロミディ系が交野管内の一大勢力になるとは思いもよりませんでした。

◎A-1025、1026(大阪22あ5199、5200)
上記2代目A-1001・1002と同じ三菱ふそう中型車、1985年式エアロミディ。形式はP-MK116Jで新排ガス規制に対応したものです。このグループは大津・山科・枚方に多かったが、交野にも2台配置されました。星田線などの運用で見かけた記憶があります。ただ、A-1001・1002と同様、交野に在籍していた時期は短く、ほどなくして枚方営業所へ転属。

◎A-3019、3020(大阪22あ5346、5331)
日野中型車P-RJ172BA(1984年式)。このグループは1984~86年にかけて交野営業所に多く配置されたが、A-3019・3020の2台は京都・洛南営業所から転入したため、登録ナンバーが少し離れています。洛南時代は京都奈良線や淀山崎桂線などで活躍していたものと思われます。

◎B-3486(大阪22あ5392)
日野ブルーリボン1986年式Bタイプ車、形式P-HU235BA。モノコック三菱B-13xxの代替。納入当初、京都定期観光使用も前提で路線・観光兼用にふさわしく、メトロ窓、座席モケット暖色と豪華仕様でした。Bタイプ車は1980年代半ばの頃のものが最高のグレードでした。ただし、通常の交野営業所管内一般路線では専ら釈尊寺団地線【10】号経路で限定運用されていた印象が強かったです。サブエンジン冷房のため、冷房稼動時の音はかなりすごかったです。

◎A-1757(大阪22あ6205→京都22か5185)、1765(大阪22あ6251→京都22か5186)
1990年、久しぶりに交野に納車された三菱ふそう車。形式はP-MP218M、新呉羽車体で通称「エアロスターK」。当時の主力・ブルーリボンHTとともに汎用でしたが、およそ半年後、山科営業所へ転属。津田香里線、釈尊寺団地線、寝屋川北部線ほかで見かけることも多く、一度乗ってみたかったが叶わず、交野を去りました。ちなみに、京阪のP代エアロスターKはバスコレ第19弾のモデルになりました。

◎W-3801(大阪200か476)
ブルーリボンシティ・ワンステップ車、KL-HU2PMEA、2000年式。2016年までの16年間、一貫して交野に所属。それまでのブルーリボンとは顔の印象が変わり(以前のブルーリボンのほうがイケメンだったように思う)、「キーン」というエンジン音に。このグループは2001~05年にかけて交野・香里団地・枚方営業所を中心にかなりの台数を投下、2003年のW-3831・3832以降はLED行先表示機となりました。その後、ブルーリボンIIなどが続々投入される中、いつ消えても不思議ではなかったが、2016年秋ごろまでしぶとく活躍を続けます。

◎N-3104(大阪200か966→京都200か2332→大阪200か3715)
日野レインボー中型長尺(10.5m)車(KL-HR1 JNEE)です。2002年夏、枚方営業所に投入、京阪バス初のノンステップ車でLED行先表示機が採用されました。2010年、樟葉長尾線の京田辺(営)移管に合わせ、京田辺へ転属。2014年秋、交野営業所へ転入しました。このタイプの車両は相当数交野営業所に配置されているが、N-3104は初期タイプ(前面「ノンステップバス」の字が青色)で登録ナンバーの数も後へ離れており、独特の遍歴をたどったことを物語っています。N-3104は現在も交野に在籍しているが、新型ブルーリボン・エルガに置き換えられるのも時間の問題でしょう。

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◎W-3831(大阪200か1290→京都200か2864→大阪200か4027)
2000年代前半の交野管内の主力、日野ブルーリボンシティ(ブルシチ)・ワンステップ車。2003年末に納車。ブルシチ・WタイプのLED行先表示機はこのW-3831・3832が初めてでした。2台とも交野に配置されたが、内1台W-3831は2014年、京田辺(営)に転属。京田辺唯一のブルシチでありながら、枚方尊延寺線、八幡田辺線、樟葉長尾線、淀長岡京線など満遍なく幅広い運用をこなしていたが、結局枚方(営)に転属、大阪ナンバーに再登録されました。しかし、枚方転属後のW-3831はすっかり影の薄い存在。なお、相方のW-3832は除籍された模様です。

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京田辺在籍時代のW-3831

◎W-1204(大阪200か1359→京都200か2206)
2004年初頭にデビューした三菱エアロスター・ワンステップ車。2001~04年にかけて、交野(営)にはエアロスター車がかなりの数が配備されたが、この1台だけ行先表示機がLEDでした。ただ、エアロスターが交野に在籍していた時期は短く、寝屋川および枚方営業所に全て転属。このW-1204が交野にいたのはわずか半年間、枚方(営)→京田辺(営)の順に転属しています。W-1204は交野・枚方・京田辺配属時代のいずれも津田駅に顔を見せており、興味深いです。また、2013~14年の一時期、津田サイエンス線関係で河内磐船駅や京阪交野市駅に乗り入れたこともあり、まるで交野に里帰りしたかのようでした。

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枚方時代のW-1204



以前、岐阜県大垣市の名阪近鉄バスに移籍した京阪バス中古車についての記事を投稿しました。
http://katanogawara.blog.jp/archives/10752714.html

名阪近鉄に在籍していた京阪バス中古車の全容と写真について、「名阪近鉄バス情報室」(にしみの鉄道情報局分室さま)に掲載されています。モノコックのK-RC301(1981年式)が、1991年に10台転入。内、3台は直結クーラーユニットが前側という特徴的なスタイルで、枚方営業所のみの配置でした(全部で5台、京阪バス時代の社番はA-3387~3391と思われる、残り2台は関東鉄道へ)。他の7台は標準スタイルで、京阪時代の社番はA-3381~3386あたりかと思われます。これより少し古いRC(A-3376~3378が該当すると思われる)は1990~91年前半の時点で和歌山県の明光バスへ移籍しています。

なお、RCシリーズは1998年ごろ、87~88年式の同じ京阪中古P-HT系に置き換えられました。HT系も2003年までに引退、以降京阪からの中古はありません。




昭和~平成初期の頃の京阪バス車内放送(テープ放送)で使われていた曲です。
終点バス停のアナウンスの後にオルゴールで流れていました。
枚方市駅や京阪香里園、阪急・JR高槻など主要ターミナルの場合は、後年京都定期観光のCMに変わったものと記憶しています(平成7年ごろには英語アナウンスも追加)。

平成6~8年(1994~96年)に、各営業所単位で順次合成音声に機器更新、案内放送が一新されました。
合わせて車内運賃表示機も幕式からLEDデジタル式に取り替えられました。
ただし、全線均一運賃の香里団地営業所管内では、いち早く合成音声化されたものの、運賃表示機器は無く(アクリル板に固定表示)、平成12年(2000年)のスルッとKANSAI対応時にLEDデジタル機(12コマ表示)が取り付けられました。


かつて枚方市招提田近の枚方企業団地南側、国道1号線の脇すぐのところにあった、京阪バス「大谷橋」バス停。

「大谷橋」バス停は現在の佐川急便枚方営業所前にありました。



大谷橋には主に枚方市駅北口から京阪牧野駅経由の招提線・旧【36】【37】号経路が発着、大半の便はここで折り返していました。一部の便は大谷橋から先、家具団地や企業団地(現・中の池公園)まで行きました。

大谷橋バス停が廃止されたのは、2002年3月、枚方北部地区ダイヤ改正の時。

8年前の1994年7月改正で、枚方市駅からのバスは一部便(新【36】【37A】号)を除いて大谷橋を経由せず、国道招提を東へ直進してポエムノール北山方面行きを新設(新【37】→現【38】号経路)。枚方市駅~企業団地系統(旧【37】号経路)は廃止。代わりに循環【50A】【50B】号経路・<大谷橋~招提北町~牧野高校~京阪牧野駅~招提口~大谷橋>を新設。

大谷橋バス停廃止と同時に【50A】【50B】は廃止、わずか8年の短命に終わりました。
枚方市駅~牧野駅~招提方面系統については、現在の【38】号経路にほぼ一本化され、現在に至ります。

傍を通る樟葉長尾線は大谷橋を経由せず(代わりに「国道田近」バス停で乗降扱い)。
また、枚方バイパスを経由する旧【26】号・<枚方市駅~国道田ノ口~家具団地>なども、長尾高校生専用のためなのか大谷橋は素通りでした。




以前、昭和の頃に運転されていた京阪バス香里団地管内の快速バスについてレポートを書きました。
http://katanogawara.blog.jp/archives/19199594.html

当時、枚方営業所管内でも快速バスが結構運転されていましたが、中でも出屋敷線の快速【22】号経路・<枚方市駅~藤阪ハイツ>が平成14年(2002年)ダイヤ改正まで運行されていたことは特筆に価します。

運行経路は、

枚方市駅北口~(ノンストップ)~田ノ口~出屋敷~長尾谷町~藤阪ハイツ

で、香里団地の快速【1】号と同様に昭和57年(1982年)ごろ廃止されたのかと思いきや、平成の時代に入っても朝ラッシュ時のみならず昼間時間帯や夕方にも運行されていたようです。『京阪時刻表1995』などで確認できます。

1990年代当時の出屋敷線全体の大きな変更といえば、枚方市駅高架化事業完了に伴う禁野口→枚方市駅間の経路変更(1994年7月)などが挙げられます。経路変更に伴い、枚方市駅のおりばは南口と北口を結ぶ京阪高架下に移設されました。南北連絡道路は、のちに高槻【2】号・<香里団地→阪急高槻>(廃止)の北口乗り入れや、香里団地【1A】号・関西医大枚方病院行き(そして南口から医大病院への回送)にも活用されます。

2002年3月ダイヤ改正での快速便廃止と同時に、枚方市駅北口~藤阪ハイツ系統は【18】号経路に変更されました。


最近、京阪バス一般路線用の初期冷房車について、少し気になっています。

京阪バス一般路線の冷房サービス開始は、路線・観光兼用のBタイプについては1975年ごろから始まったかと思われます。私が今も印象に残っているのは、1976~77年式の三菱ふそうMR470・三菱自工(名古屋)車体で、車体中央側に太い柱のあるサブエンジン式冷房、観光兼用ながら通常の一般路線と同じ2段サッシ窓をしていて、大阪・京都・滋賀地区各営業所に最低1台は配置されていました。日野車の独壇場だった香里団地営業所にも1台(社番B-1344、大阪22あ2277)配置され、快速【1】号経路・<枚方市駅~新香里>などでの運用を見かけたように記憶しています。交野営業所にも同タイプのものが1台、平日昼間の釈尊寺団地線【10】号経路でよく見かけました。また、枚方営業所管内では末期は樟葉・牧野循環系統に入ることが多かったようです。京都・滋賀地区は観光路線も多いため、Bタイプ車は多めに配備され、特に大津営業所(B-136X・滋22か628、ほか)では【46】【47】・京津国道線や【10】・宇治川ライン線など広範囲の運用をこなしていたようです。当時、各営業所に配置されたBタイプ車は、団体・貸切や京都競馬場シャトルのほか、休日には京都定期観光に結集していたそうです。

一般路線Aタイプの冷房化は1977年試験導入、翌年1978年より本格導入が始まり、1985年2月までに冷房化100%を達成します。

まず、確か1977年ごろ香里団地営業所に冷房付き日野RE120?が1台配置されました。1978年以降の直結式冷房付きRE121と同様、車体後部にクーラーユニットはあるが、試験的要素が強く、細かい部分で違いが見られ、77年式のほうが古っぽく見えました。

同時期の三菱Aタイプ車については、三菱自工車体でサブエンジン式冷房を試験的に採用、当時人気のBタイプと同じ外観だったが、観光兼用のBタイプとちがって後扉の幅は広かったです。1978年以降、車体はいわば「ブルドック」なる斬新な車体デザイン、形式もMP117となります。三菱自工と並行して導入された呉羽(富山)車体については、1977年式は知らないが(たぶん非冷房車ばかりだったかな)、1978~79年には車体は旧来のMRタイプながら「ブルドック」と同じ新形式MP117となって冷房も搭載されます。冷房付き呉羽Aタイプ・Bタイプとも外観スタイルは1976~77年式三菱自工Bタイプと似ているが、丸みの濃い呉羽ボディよりも三菱自工のほうが新しくて重厚な印象があります。ちなみに、呉羽車体は1980年以降、「ブルドック」を導入して三菱自工と図面デザインを共通化、外観上の区別が困難となりました(→1984年のエアロスター以降、再びそれぞれ異なるデザインとなるが、のちに「三菱ふそうバス」に一本化)。

あと、富士重3Eも忘れてはなりませんね。
京阪バスでは富士重3Eの日野・三菱も購入していました。
富士重3Eは日野・金産車体のイメージに近いスタイルなのに、三菱ふそう車のエンジン音のする車両もあって不思議に思っていました。1978年より富士重3Eの冷房車も登場。富士重についてはクーラーユニットが車体中央に搭載される直結冷房ながら、車体中央に太い柱があり、特徴的なスタイルで、また1979年の前面方向幕大型化以降のものは、方向幕周りが特注でカマボコ形となり、西工42MC(いわゆる「カマボコ」)をイメージするスタイルでした。

1986年以降、京阪の初期冷房車(方向幕大型化前のもの)は長野県・川中島バスや山陰の日の丸自動車などに移籍。川中島へ嫁いだのは、三菱車が多かったが、少しだけ日野車も転入。MR470・BタイプやMP117(三菱自、呉羽)のほか、特徴的な富士重3E・MP117や日野RE120試作冷房車などが川中島で第二の活躍を続けました。日の丸自動車へは日野車が大量に移籍、富士重3Eや非冷房車も一部含まれていました。

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枚方市駅南口おりばに停車中の日野RE121冷房車
香里団地または交野営業所の所属、1980年代前半ごろと思われる
枚方近鉄や三和銀行も懐かしい




京阪バスの思い出の車両について一つレポートしたいと思います。

今回は三菱ふそうK-MP118M(富士重3E)の1台、社番A-1548について。

この車両は1982年の納車当初、大津営業所の配属だったが、1984年夏交野営業所管内に突如姿を現し、サプライズだった思い出があります。

富士重3EのMP118は大津と枚方に数台ずつ配備されたようです。
枚方市駅南口では津田・長尾・穂谷方面行き(枚方尊延寺線)で見かけることも多かったです。

交野営業所における富士重3Eといえば、日野RE121およびK-RE121のイメージが強く、三菱+富士重は異色の存在でした。なぜか交野に1台だけ転入してきて、1991年の除籍まで終生交野管内で過ごしました。車体側面には「京阪スポーツセンター郡津」の広告看板が掲載されていたと記憶しています。主に釈尊寺団地線や香里園、寝屋川団地、三井団地方面で主力の日野大型車に混じって活躍していました。もともと優先的に三菱車を充当していた田原線【18】号経路などには入らなかったようです(→日野中型車RJに置き換えられる)。除籍後は長野県の諏訪バスに移籍したものと思われます。


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諏訪バスに移籍したK-MP118・富士重3Eボディ
(「バス三昧」さまの画像を拝借)


京阪バス仕様富士重3Eの日野車と三菱車との見分け方(例:1982年式RC301とMP118を比較)は、

1)後面スタイル(ウィンカーの高さ位置、ルーバーの形状、ほか)
2)側面窓の数(三菱車のほうが窓の数が多い)

などに注目です。

京阪バス1983年以降の新車では富士重車体の採用は基本的に中止、1999~2000年に中・小型車8E(日産ディーゼル)が3台(S-5001・5002、W-5003)が納入されるにとどまりました。


久しぶりに昭和の頃の京阪バスについて書いてみたくなった。

今回は、香里団地管内の快速【1】号経路<枚方市駅~新香里>について。

運行経路は、

枚方市駅~(途中ノンストップ)~香里橋~藤田川~新香里

で、1982年頃まで運転されていた。

「京阪時刻表1982」の枚方市駅発バス時刻表によると、昼間時間帯に45分間隔で運行されていた。

実は私も香里団地の快速バスを見た記憶はあり、三菱ふそうBタイプ車(MR470、社番B-13??)で運用されることが多かったようだ。同じ香里団地エリアにおいて、交野管轄【10】号経路・釈尊寺団地線でも平日昼間に三菱Bタイプ車を見る機会が多かった(休日は京都定期観光に出張することが多かったらしい)。

快速便廃止後、香里団地のBタイプ車は主に貸切・波動用に使用されることが多くなる。
1986年には日野ブルーリボンP-HU235BA(B-3485)に置き換えられる。
Bタイプ車はかつて京都定期観光に使用することも前提としていて、1986年のB-3485あたりはメトロ窓・暖色の座席モケットなど路線・観光兼用車にふさわしく豪華仕様だった。その後、Bタイプ車が定期観光に入ることはなくなり、一般Aタイプと外観上は同じとなって車内グレードもダウンする。


関西のバスで富士重ボディ採用率の高い地域は京都・滋賀、採用率の低いところは兵庫県と奈良県であり、特に兵庫県では西工ボディの採用率が高い一方、奈良県においては奈良交通のほぼ独壇場ゆえ西工はゼロで、しかも国鉄バスを除いて三菱車は皆無、という分布状況だった。

さて、大阪府についてはどうか?

まず、大阪市営バスで比較的多く富士重ボディを採用していた。
1970年代までは富士重(3E)+日野も購入していたが、南部の住吉・長原営業所で富士重+日産ディーゼルが多く、1990年代半ばの富士重7Eの世代まで続いた。末期にはなぜか北部の福島区方面で活躍していた。

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晩年は北部方面へ転じた大阪市営・富士重7E(U-UA440系)

一方、大阪市営バスでは他の公営と同様、西工車体も多く導入しており、爆音車で有名な日野RTにモノコック西工53MCを架装するといった特色ある車両も多かったようだ。西工架装の日産ディーゼルも納入していた。


大阪市営バスのほか、京阪バスでも1982年まで富士重3E架装の日野・三菱を導入していた。日野車については、冷房車導入以降のRE121系は香里団地・交野営業所、RC301系は枚方・門真営業所に分布していたものと記憶している。三菱車は、非冷房のMR470は枚方・門真営業所、冷房車のMP118は枚方営業所に集中配置されたほか、高槻にもMP117が1台ほど配置されていた。

1983年の5E以降は京阪バスでは導入されなかったが(京阪宇治交通からの編入を除く)、2000年に中型8E(日産ディーゼル)が寝屋川営業所(社番W-5003)に1台だけ配備された。晩年は男山に転属し、特定専用に従事していた。

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京阪バス寝屋川に1台だけ配置された富士重中型車W-5003


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京阪宇治交通から京阪バスに譲渡された富士重7E
もともとくずは・男山地区ではあまり馴染みのない車両だが
晩年は新田辺から【31】【67D】で樟葉駅に乗り入れることも多かった


このほか、貝塚市の水間鉄道でも富士重を納入していた。


このほど、「枚方つーしん」さまのブログ記事に、昭和36年の枚方公園駅前の古写真がアップされました。
記事は、
http://www.hira2.jp/photo/hirakatakouen-20161226.html
です。

私個人的に、一番下の1985年の写真が気になりました。
バックに京阪バス(後面)が映っているのですが、ナンバープレートと社番は、

大阪22あ 5006
社番 A-3470

と解読できることから、モノコックの日野K-RC301最終増備車(1984年式)と判定できます。
「京阪バス情報局」さまの「車両台帳」で確認できるので、興味のある方はぜひ調べてみてください。

A-3470は香里団地営業所生え抜きでしたが、確か日野モノコック最終納入車という意味で記念すべき車両と言えます。その直後に、さっそくスケルトンの中型車が納車され、冷房化の遅れていた【43】号・星田線系統(交野営業所)などに充当されるようになったと記憶しています。

なお、バスコレ第12弾のモデルとなった京阪K-RC301は、交野所属のA-3465(大阪22あ5001)で、A-3470と同時納車されたものです。




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名神ハイウェイで知られる名阪近鉄バス。
名古屋市に本社を持ち、ハイウェイバスとともに、岐阜県大垣市を拠点として一般路線バスも運行している。

大垣といえば、東京からの「ムーンライトながら」(旧・大垣夜行)でお馴染みだろう。青春18シーズンになると、「大垣ダッシュ」という言葉もあるように、凄まじい乗り継ぎダッシュの光景が終日見られる。JR東海の管内であり、駅西側に大垣車両区もあるが、本年3月まで、網干・姫路方面からの電車(JR西日本223・225系)も2往復だけ乗り入れていた。特に下り「ムーンライト」は網干行きに接続するダイヤ体系ゆえ、東海道・山陽筋の青春18での移動において人気の乗り継ぎプランだったが(JR東日本185系とJR西日本223・225系とのツーショットの実現する唯一のスポット)、米原以東への直通は全廃された。

大垣駅には養老鉄道(桑名-大垣-揖斐間)も発着している。もともと近鉄養老線であり、近鉄電車は岐阜県にも路線を有していた。名阪近鉄バスは、大垣自動車に始まり(1930年創立)、現在の養老線が大阪電気軌道・参宮急行電鉄(→現在の近鉄)の子会社下に入ると同時に、大垣自動車は近鉄グループの傘下となる。その後、幾度かの合併を経て、名古屋近鉄バス→日本高速自動車→名阪近鉄高速バス→名阪近鉄バス(1994年)と社名の変遷をたどる。

さて、名阪近鉄バスの一般路線において、一時期京阪バスの中古車が大量に移籍したことがある。
まず、1991年には1980~81年式の日野K-RC301が移籍してきた。80~81年式のRC301は、前面窓の大きさが標準タイプで、枚方・寝屋川・門真営業所に多く分布していた記憶がある。なぜか前側にクーラーユニットを積んだ異端車も3台ほど転入してきた(このタイプは全部枚方営業所所属だった、名阪近鉄のほか関東鉄道にも移籍した)。

モノコックのRC301は1997年までに引退し、第二弾として1987年式ブルーリボンP-HT235(逆T字大型窓)が加わった。2004年ごろまで活躍していたようだが、その後京阪バスからの移籍車はない。


※本記事の写真は全ていただきものです。


今では免許維持路線となった京阪バス門真【3】号経路。
京阪門真市駅から発着するバスは、平日ダイヤのこの【3】号経路1便のみとなっている。
【3】号経路は、門真市駅を出ると、R163を少し東へ進んで、一番(試験場入口交差点、門真郵便局前)から免許試験場、三島を経て地下鉄門真南に至る。大阪モノレールと接続しているのだから、北摂方面(将来的には東大阪方面も)からの免許試験場利用者のためにもっと本数増発してもいいはずだ、とかねがね思ってきた。実際30年ほど前はこの【3】号経路の本数はもっと多かった。

現在、免許試験場前へのバスは、京都方面へ一つ隣の古川橋駅から【5】号経路が発着している。かつては門真市駅からの【3】号経路が多数運行されていたが、1984年の古川橋駅南口ロータリー整備の完成に合わせ、この【5】号経路が運行されるようになる。ちなみに、古川橋駅~試験場前間は1km前後の距離であり、途中のバス停は「一番」だけで、駅から徒歩でも十分可能だ。

当時は大阪モノレールが開通していなかったので、古川橋駅発着で十分だった。しかし、モノレールの門真市開業後、やはり北摂方面からの試験場利用者を考慮して、門真市駅からのバスも欲しいところ。ただし、【3】号経路の単純な増発ではなく、【5】号経路を古川橋駅からタイガー魔法瓶工場・門真小学校前を通って門真市駅まで延長するのは、距離も短いので容易いだろう。

1997年以前の【3】号経路は、門真団地発着だったようだ。

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1981~82年当時の門真市駅バス時刻表(「京阪時刻表1982」より)




かつて、枚方市駅から新田辺まで直通する長距離のバス(枚方尊延寺線【12】号経路)があった。
運行経路は、

枚方市駅南口~池之宮~四辻~津田(現・津田西町)~津田病院前~杉~尊延寺~穂谷口~穂谷~穂谷口~天王~馬廻~河内峠~茂ヶ谷~田辺本町~新田辺

で、国道307号をほぼひたすら走行(現在、バイパス開通で国道指定から外れた区間も多い)、1日3往復だったが1992年廃止された。途中、穂谷と天王には必ず立ち寄り、加えて津田駅を経由する便もあった。枚方市駅~新田辺の全区間を通して乗車する客はもちろん少なかったが、1984年穂谷に関西外大キャンパスが開校して以来、新田辺~穂谷外大間の学生利用客が増え、新田辺からの直行バスを運行開始する。1992年の枚方新田辺系統廃止後、新たに【16】号・<穂谷~新田辺>(現【79】【80】【81】)が毎時1本運行されるようになる。本数は増えたものの長距離直通系統がなくなったのはやはり不便だ。

枚方市駅~津田間のバスは、国道307号ではなく、並行するもう1本の道路を走行する。R307号は、かつて戦時中に片町線津田駅から中宮にある禁野火薬庫へ延びていた引込み線の跡である。戦後、二度と戦争の過ちを犯さない誓いを込めて、火薬庫跡に公団中宮住宅を建設、また中宮本町~中宮西之町までの軍用鉄道跡の一部を「中宮平和ロード」として整備される。一部の便は津田駅にも立ち寄る。津田中学校前から国道307号を走行する。杉を通ると山あいの風景に変わる。尊延寺から先、対キロ運賃区間に入るので、整理券番号が大幅に増えるようになる。穂谷口から穂谷に立ち寄る。枚方市駅から40分程度だ。その後一旦京田辺市に越境して、隠れ里の天王にも寄る。R307に戻り、馬廻(うままわり)は枚方市最東端のバス停で、ちょうどこのあたりが大阪府の最東端でもある。ちなみに、大阪府の最北端は能勢町の天王峠であるが、今ここで書くと先ほど通った京田辺市の「天王」と間違いやすいかもしれない。府県境を越えたところにある河内峠は、かつて京阪宇治交通も新田辺から乗り入れていた。この付近に甘南備山(221.0m)がある。「神南備」「神無火」などとも呼ばれる。この山を南の基点として、北の船岡山と結ぶ直線を中心軸にして、平安京が建設されたと言われている。

1970年代ごろまでは、八幡田辺線も京阪バス枚方営業所が担当、枚方尊延寺線と共通運用だったようだ(新田辺で八幡行きに変わる)。八幡田辺線はその後、京阪宇治交通に譲渡されるが、2006年の京阪バスとの合併で再び京阪バスの路線となる(ただし京田辺・男山営業所が担当)。



かなり昔の京阪バス路線について、一つレポートする。

今回は寝屋川営業所管内の旧・【12】号経路についてだが、これがなかなか特徴的で面白い。
実際、乗車したことはなく詳しいことは知らないが、香里園のダイエースーパーに乗り入れる一つの路線系統だった。運行経路詳細は、

寝屋川市駅→寝屋川車庫→菅原神社前→摂南大学→太間公園→木屋町→ダイエースーパー→田井→寝屋川警察署前→寝屋川市駅

で、1990年ごろまで運行されていたようだ。寝屋川市北西部の木屋地区をカバーする路線で、【12】号経路廃止後、バス空白地帯となるが、現在この地区を小型バスの「タウンくる」が通っている。

ダイエースーパー関係の路線といえば、私個人的には香里団地からの【28】号経路(成田山不動尊、田井経由)のほうが馴染みがある。【28】号経路は毎時2本程度運転されていたが、寝屋川市駅からの【12】号経路は2時間に1本ぐらいだったようだ。【28】号経路も1995年に廃止、ダイエースーパーへのバス路線は消滅する(香里団地からダイエーへは京阪香里園から徒歩でも可能だった)。

ダイエー香里店は1968年に開店、日本初の郊外型ショッピングセンターだったと言われる。
私が小学校の頃、よくバスに乗って連れて行ってもらった。昼食は店頭のスナックコーナーでお好み焼きとか、あるいはドムドムのハンバーガー、ミスタードーナツとかを買ってもらって味わった記憶がある。枚方市駅前の三越・近鉄百貨店とともに楽しい思い出の一こまだった。

しかし、1990年代半ばごろより、大型ショッピングセンターの進出競争激化の影響(大店法改正)を受け、旧来からのダイエーは陳腐化した印象が強まって低迷するようになり、香里店は2005年に閉店。その後、建物は取り壊され、マンションが立つ。ダイエーはいよいよイオンの軍門に下り、高度経済成長のシンボルだった「ダイエー」ブランドは消滅しつつある。

ダイエーから少し離れたところにグリーンシティ(ジャスコ→イオンモール)もあったが、近くにアルプラザ(平和堂)香里園が進出してから、ダイエー・ジャスコとも低迷傾向が目立つようになる。グリーンシティは今年8月末に一旦閉店した。アルプラザが一番流行っているようだが、開店からさすがに20年近く経過してくたびれた感じもする。



かつて、大津市石山から宇治川(瀬田川)に沿って宇治までを結ぶ路線バスがあった。

石山駅から京阪石山寺、南郷洗堰、曽束、天ヶ瀬ダムを経て京阪宇治に至る、宇治川渓谷の観光ドライブのための路線だった。かつて石山~宇治間に宇治川汽船の遊覧船があったが、天ヶ瀬ダム完成および道路の整備に伴い、風景も大きく変わって利用客は減少、1977年ごろに廃止され、路線バスに転換される。京阪宇治交通と京阪バス(大津営業所)との共同運行。系統番号は京阪宇治交通担当便は【90】号系統、京阪バスは【10】号経路(快速)だった。宇治川ライン線についての詳しい歴史などは、「青いバス停」ブログに興味深い記事が沢山掲載されている。

http://contrapunctus.blog103.fc2.com/blog-category-16.html


私は実際に宇治川ライン線を全区間乗り通したわけでもないのでよくわからないが、1984年のGWに家族で天ヶ瀬ダムへ遠足に行ったときに京阪宇治~天ヶ瀬ダム間だけ乗車したことがある。当時天ヶ瀬ダムにアスレチック公園があり、そこで遊んだ。帰りはなんと石山からやってきた【90】号系統で、行楽客で混雑していたように記憶している。

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天ヶ瀬ダム

しかし、1980年代後半より、宇治~石山直通系統は太陽ヶ丘・宇治田原・小田原経由に変更され(京阪宇治交通のみ)、天ヶ瀬ダムから宇治川ラインを経由する便は年々減らされるようになる。京阪バス【10】号経路も、1980年代前半まではBタイプ大型車(三菱MR470)が使用されていたようだが、需要低下により中型車(三菱P-MK116J)で運用されるようになる。そして、1993年6月の大津営業所移転に伴うダイヤ改正で、【10】号経路は廃止。その後も京阪宇治交通担当便は残るが、確か冬季を除く休日のみの運転となり、1998年ごろまでに消滅する。

一方、1997年には、京阪宇治交通グループが天ヶ瀬ダムに地ビール「ガーデンズ天ヶ瀬」をオープン、樟葉駅・松井山手など宇治交通エリア各所からガーデンズ天ヶ瀬までの直通バスを運行する。しかし、利用客は伸び悩み、2005年ごろまでに閉鎖されてしまった。

現在、天ヶ瀬ダムへの路線バスさえもなくなってしまった。


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「京阪時刻表1982」より 宇治川ライン遊覧バスの時刻表と路線イラスト


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天ヶ瀬ダムへの路線バス廃止後、貸切バスが来ていた(2010年5月)



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