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JR四国がハイブリッド式新型車両の導入を明らかにしました。これにより、キハ40・47など国鉄型気動車を置き換える方針です。

今回導入する新型車両は、ディーゼルエンジンで発電した電力と、蓄電池からの電力によりモーター駆動して走行するハイブリッド式。低騒音、低燃費、CO2削減に寄与し、駅停車時にアイドリングストップを実施し静粛性を向上させるほか、気動車特有のギアチェンジをなくすことで、乗り心地を向上させる、としています。

車体はステンレス製の片側3ドア車。2両で1編成とし、最高速度100km/h。近畿車輛が製造を手がけます。量産先行車(2両×2編成)は2025年12月に完成し、性能確認試験を実施したのち営業運転を開始する予定。2027年度から量産車を順次導入する計画です。

キハ40・47のほか、国鉄末期に導入されたキハ32・54そしてキハ185系なども置き換え対象となりそうです。車内の座席も気になるところですね。

JR四国の新型車両あきらかに 青基調デザインのハイブリッド式(乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/130990



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土讃線・新改(しんがい)駅にて(高知県香美市)。

新改駅の見どころはスイッチバックでしょう。

新改駅の高知方隣駅は土佐山田駅で、ちょうど四国山地から高知平野に降下する場所にあたり、両駅の標高差は230m(新改駅の標高は274m)。それだけの急峻な地形であり、新改駅構内はスイッチバック構造となっているわけです。

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新改駅ホーム 引込み線構造のため行き止まり式に

ただ、新改駅を通過する特急列車などは、スイッチバックせず、そのまま本線を通過していきます。新改駅に停車する列車は普通列車数本のみ、JR四国の駅では最も発着本数が少なく、乗降客数も「ゼロ」だそうです。これぞ The 秘境駅 ですね。

ではなぜ、こんな人里離れた場所に駅が設置されたのでしょうか?

もともと、新改駅は信号所でした。1930年(昭和5年)、新改信号所を設置。当時、「新改」は「しんかい」と読んでいました。蒸気機関車(SL)の山越えの際、石炭を常にくべ続けなければ急峻な山越えができず、乗務員の一酸化炭素中毒という危険も生まれるため、新改信号所が設置されることになったとのことです。

終戦直前、新改信号所周辺が軍事要塞化され、軍事施設も新改に疎開し、図らずも一時的に「高知県の中心地」と化したようです。その経緯からか、戦後の1947年(昭和22年)に新改信号所は旅客駅に格上げされました。

しかし、駅周辺にはもともと集落もほぼ皆無で、1970年(昭和45年)には早々と無人駅化。

高知県香美市は平成の大合併で2006年誕生。同市は高知県で唯一海に面していない市です。「香美」という市町村名としては、兵庫県北部にも「香美町」が存在します。


【参考資料】
新改駅(スイッチバック駅)(ニッポン旅マガジン)

https://tabi-mag.jp/ko0274/

Wikipedia 新改駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%94%B9%E9%A7%85

 


国鉄一般型気動車キハ35・45系。関西本線を中心とする近畿南部をはじめ、東北~九州の各地に分布していました。四国にもキハ35・45系が配置されました。

四国に配置されたキハ35・45系のリストを作ってみました。時期は国鉄時代末期以降のみに絞ります。

【徳島運転所(四トク) 1986年4月1日現在】
(キハ30)64 65
(キハ35)198 199
(キハ45)7 13 17 26 27 42 43 44 45 46 47 48 49 50
     51 52 53 63 64 65 66 67 68 69


3形式とも徳島に集中配置されていたようです。特にキハ45が24両も徳島に集結していたのは驚きです(キハ45のうち、番号の若い7・13・17・26・27は奈良・伊勢など天鉄局での活躍歴が長く、1985年海を渡って徳島に加わった)。運用線区は高徳本線・鳴門線・徳島本線・牟岐線・小松島線(廃止 ※1)。キハ35については、上記2両のほか、119~123の5両が徳島に新製配置されるが、前出のキハ45とは逆に早いうちに天鉄局管内(奈良・亀山)に流出、198・199のみが徳島生え抜きで残りました。

上記リストのキハ35・45系たちは、1両の廃車もなくJR四国に継承されました。ただ、キハ35系(キハ30・35形)はロングシート車かつ少数派ということもあってか淘汰は早く、1990年までに全廃。キハ45も大半は1989年までに廃車されるが、松山に転属して1年ほど生き延びた仲間もいました。1990年1月以降もJR四国に残ったキハ45は、以下の13両です。

26(松山:1990.3.31廃車)
27(松山:1990.3.31廃車)
42(松山:1991.3.31廃車)
43(松山:1991.3.31廃車)
45(徳島:1990.12.31廃車)
46(徳島:1990.12.31廃車)
48(徳島:1990.3.31廃車)
63(徳島:1990.3.31廃車)
65~69(徳島:1990.12.31廃車)


キハ45の代替車両は1000形気動車ですが、側面窓の形状がなぜかキハ45をイメージするものになっています。

なお、四国にキハ45系の両運転台車、キハ23・53形が配置された経歴はありません。

四国のキハ45について、私個人的に気になっていること。それは天鉄局からの転属組で、どうも天鉄独自の方向幕が入ったまま四国に渡ったようです。実際、白地「普通」幕表示(この書体がどうも天鉄タイプって感じ)の写真が各所でアップされていますが、もしかしたら幕回し中に天鉄書体の行先表示(「奈良-京都」「亀山-奈良」「木津-長尾」など)を見れた可能性もあります。

(※1)小松島線は1985年3月限りで廃止。よって、それ以降に転入組のキハ45は小松島線での運用歴無し。

(出典)
きはゆに資料室 気動車館

http://kihayuni.jp/DC/k-r_top.html


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JR土讃線坪尻駅(徳島県三好市池田町)。

四国に2つしかないスイッチバック駅の一つです。徳島県と香川県の県境にある猪ノ鼻峠付近、標高272m。駅構造の関係上、普通列車の一部も通過します。あまつさえ、車で接近することすら不可能で、駅への到達手段は「徒歩のみ」という、「屈指の秘境駅」として知られます。2019年度の1日平均乗降人員はわずか2人。特急列車が頻繁に通過する分、備後落合に比べたら賑わっていると言えますが・・・。

秘境駅ゆえに、メディアで話題になることもしばしば。近年だとバラエティ番組『世界の何だコレ!?ミステリー』で取り上げられたそうですね。


ついにJR四国からキハ40系(キハ40・47)の余命宣告が出されました。

2025年より次世代気動車(電気式)を導入することが発表されました。2025年に量産先行車を2両、2027~30年にかけて50~80両を導入するとのこと。キハ40系などを置き換えるとしています。

四国のキハ40系も大幅に数を減らしてきているが、今も徳島地区に20両が残っています。四国のキハ40系は原型をよくとどめているため、鉄道ファンに人気があります。

しかし、長くて2030年までキハ40系が残るということは、意外にも感じました。全国に800両近くいたキハ40系もかなり廃車が進んでおり(JR東海・東日本ではほぼ全て引退済み)、四国でもわずか20両だけ残ってていつ引退しても不思議ではないのに、あと最大7年残るということになります。 キハ40系は1970年代末~1980年代初頭にかけて大量に製造された一般型気動車で、国鉄型車両としては新しいほうになるが、それでも登場から既に40年以上経過しており、置き換えの時期を迎えています。仮に2030年まで残るとなれば、50年近い長寿ということになります。

徳島の国鉄型キハ40、47形が廃止へ 次世代ディーゼル車は電気式(朝日新聞)
https://news.yahoo.co.jp/articles/8931611d5502edb8cc1e5091aa3eed3ff57ea91b


JR四国では、来春運賃と一部の特急料金値上げを予定しています。これにより年間20億円程度の増収を見込んでおり、多度津工場の近代化とキハ40系に代わる一般型気動車の開発・新製、8000系特急型電車の大幅リニュアルなどを図るとしています。

いよいよ正式に、四国のキハ40系(キハ40・47)にも余命宣告が出されたようですね。

さっそくですが、JR四国(旧・国鉄四国総局)に継承されたキハ40系の車両一覧表を作ってみました。

【1987年4月現在】
(キハ40) 2107 2108 2109 2110 2142 2143 2144 2145 2146 2147 2148(11両)
(キハ47) 111 112 113 114 115 116 117 118 144 145 171 172 173 
      174 175 176 177 178 1085 1086 1087 1088 1089 1090 
      1117 1118 1119 1120 1121 1122 1132
      501 502 503 504 505 1501 1502 1503 1504 1505(41両)

(出典:きはゆに資料館


例によって、1982年までに基本的に暖地用のキハ40-2000番台、キハ47-0番台、1000番台が配置されました。その後、1984年には寒冷地用のキハ47-500・1500番台が新潟から一部転入してきています。キハ47-1000・1500番台はトイレなしです。四国外への転出入は、キハ47-500・1500番台の合計10両のみで、他は四国生え抜きです。

もともと全線非電化の四国各線で活躍していましたが、予讃線の電化区間拡大や新型気動車(1000形、1500形)導入に伴い、少しずつ運用範囲が縮小されてきました。現在、キハ40系が徳島または松山に集約されるとともに、廃車も既に相当数発生しています。

国鉄からJR四国に継承された一般型気動車は、キハ40系やキハ32・54のほか、旧式のキハ35系、キハ45、キハ20があります。ワンマン運転や新型気動車の導入などに伴い、キハ35系、キハ45、キハ20はJR発足から数年後に姿を消しました。ちなみに、急行型の珍車キハ57形や特急型キハ181系もJR四国にいましたが、これらもやはり早々と全廃されました。

JR四国が2023年春に運賃改定…工場や車両の更新などを図る 1996年以来(レスポンス)
https://news.yahoo.co.jp/articles/fc596bf94e08bd3b7840b4bd71e91a3d7e5494ea



#駅名はちがうが簡単に徒歩連絡できる駅 四国版を作ってみました。

【香川県】
高松(JR予讃線・高徳線)  ~ 高松築港(琴電)
栗林(JR高徳線)      ~ 栗林公園(琴電琴平線)
               ~ 花園(琴電長尾線)
古高松(JR高徳線)     ~ 八栗(琴電志度線)
八栗口(JR高徳線)     ~ 大町(琴電志度線)

【愛媛県】
松山(JR予讃線)      ~ JR松山駅前、宮田町、
                 古町、大手町、本町一丁目(伊予鉄)
伊予市(JR予讃線)     ~ 郡中港(伊予鉄郡中線)

【高知県】
後免町(ごめん・なはり線)  ~ 後免東町(とさでん後免線)
後免中町(とさでん後免線)  ~ 後免(JR土讃線)
土佐大津(JR土讃線)    ~ 一条橋(とさでん後免線)
旭(JR土讃線)       ~ 旭駅前通(とさでん伊野線)
高知商業前(JR土讃線)   ~ 錦川橋(とさでん伊野線)


徳島県を除き、都市近郊区間においてJRと並行する私鉄と絡み合い、なかなかの数だと思いました。やはり私鉄はJRとちがって駅数が多く、都心の繁華街を通っているのは、全国的に共通していると言えます。


国鉄時代末期1986~87年、分割民営化を前提に四国向けに納入されたキハ185系特急型気動車。

キハ185系は老朽化したキハ58系を置き換え(急行を特急に「格上げ」)、新生JR四国の看板車両を飾り、予讃線の【しおかぜ】などで活躍。キハ185系は、特急型車両でありながら、一部トイレなしの車両形式(キハ185 1000番台)も設定されるなど、コストダウンの徹底化が図られました。

JR発足からしばらくして、新型振り子式2000系気動車がデビューし、キハ185系は脇役に追いやられた印象を受けます。一部余剰も発生し、JR九州に譲渡された仲間もいます。

キハ185系は短編成での運用が可能なキハ58系の設計思想を受け継いでおり、2000系登場後は徳島線の【剣山】など編成の短い特急を中心に運用される一方、トロッコ列車(キクハ32)の控車として使用されたり、挙句の果てに普通列車用に改造(3000・3100番台)されるものも現れました。

近年では観光列車「四国まんなか千年ものがたり」に改造されるものも登場しています。編成は、

キロ185 1001(キハ185 14)-キロ186 1002(キロ186 4)-キロ185 1003(キハ185 3102)

で、ローカル転用されたキハ185 3102(元キハ185 1002)が観光用キロに再改造されているのも興味深いです。

昨年2000系が定期運用から引退しましたが、キハ185系はその後も細々と生き残っています。

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多度津留置線に国鉄色2連と四国色2連が縦列

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観光列車「四国まんなか千年ものがたり」


私個人的に、例えばこんな「青春18きっぷ」の使い方をしてみれば面白いと思っています。

1)京阪神各地~(航空機)~新千歳空港~北海道周遊
この使い方はなかなかメジャーでしょう。京阪神各地を起点に、関西空港あるいは神戸空港までJR西日本ほかを利用、航空機で一気に北海道へ飛び、新千歳空港駅改札で関西の駅スタンプの入った「青春18」を呈示するというものです。

自分もこのルートで札幌を訪れたことは何度かあるが、次の機会には「青春18」を使って道内各地をもっと広く回ってみたいです。

北海道の鉄道の大部分の存続が危ぶまれる状況であり、北海道新幹線札幌開通後、並行在来線の函館本線なども先行き不透明ですね。

帰りは逆に、記念に北海道の駅スタンプを入れてもらって、同日関西空港や三ノ宮の改札でそのきっぷを呈示して223・225系などに乗車するとき、特別の感慨深いものがありそうです。

2)松阪駅から東紀州へ
近鉄で松阪までワープし、松阪から「青春18」で紀勢本線を南へ進んで尾鷲・熊野市方面へ日帰り旅行。京阪神エリアからJRの普通列車だけで三重県東紀州への日帰りは、かなりハードなスケジュールになりそうなので、片道だけでも早くて便利な近鉄と組み合わせるのが賢明。関西エリアばかりでなく、松阪や津など三重県の駅のスタンプも入ると面白いでしょう。

3)高速バスと組み合わせて四国日帰り
京阪神エリアから香川県(うどん県)や徳島県への「青春18」日帰りは可能ですが、岡山・瀬戸大橋経由しか選択肢がなく、しかも距離的に遠回りなので結構時間がかかります(特にネックは相生~岡山間)。

そこで、片道だけ高速バスで京阪神~四国を(鳴門大橋経由で)ワープ。本数も多く運賃はリーズナブルです。ここで往路は高速バスを利用し、四国の駅で「青春18」にスタンプを押してもらうのも面白いと思いました。私個人的に、ぜひ金比羅山で有名な琴平駅でスタンプを押してもらう経験をしたいと思っています(高松市内から琴電(ことでん)に揺られて琴平へ向かう)。

数年前まで枚方・寝屋川~徳島間の高速バスがありましたが・・・。

4)「奈良・斑鳩1Dayチケット」(山陽全線版)と組み合わせて鳥取日帰り
「青春18」と私鉄との組み合わせ旅行も面白いと思いました。実は以前、「スルッとKANSAI 3Dayチケット」と組み合わせて、鳥取日帰り旅行をしたことがあります。

山陽全線版の「奈良・斑鳩1Dayチケット」(2,900円)は山陽電鉄全線・神戸高速線・阪神全線と京阪奈エリアの近鉄(奈良・京都線など)が自由に乗り降り可能。事前購入が前提ですが、枚方市から出発の場合、近鉄丹波橋の改札機にこれを通して京都駅へ赴き、山陰本線で一路鳥取を目指します(途中、園部・福知山・豊岡・浜坂などで乗り換え)。

鳥取からの帰りは智頭急行で佐用または上郡までワープするほうが早く、姫路から先「奈良・斑鳩1Dayチケット」を本格的に使いこなします。直通特急+快速急行で一気に近鉄奈良まで乗り通し、奈良を少し楽しんだあと、再び近鉄に乗って新田辺でJR学研都市線に乗り換えるマニアックなルートで枚方に帰ります。当日、京都・兵庫・鳥取・岡山・大阪・奈良の6府県を巡ることになりますね。



JR四国の7000系近郊型電車。

1990年の松山地区電化に合わせて登場しました。JRの近郊型電車では初めてのVVVFインターバー制御です。

両運転台のMC7000形と片運転台の7100形があります。

車体スタイル等は1000形気動車を踏襲しており、乗降扉は片側3ドア(両端は片開き、中央は両開き)。ワンマン運転に対応しています。車内はクロスシートとロングシートが点対称に配置。トイレの設置はありません。

1992年の予讃線観音寺-新居浜および今治-伊予北条間電化開業時に追加新造され、予讃線観音寺以西の普通列車を中心に、JR四国の電化路線(瀬戸大橋線を除く)で運用中です。予讃線の高松-松山間を通すロングランにも使用されるが、トイレ非設置のため「修行の旅」を強いられることになりそうです。


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今春引退のJR四国2000系振り子式特急型気動車。

カーブの多い土讃線の高速化を目的に開発され、1989年より量産。土讃線の【南風】をはじめ四国各線の特急列車に導入され、高速道路網整備に対抗すべく、平成時代のJR四国のホープでした。

人気のアンパンマンラッピング編成の画像をアップします。

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JR高徳線の特急【うずしお】。

【うずしお】は基本的に高松-徳島間の高徳線内運転ですが、2往復だけ本州の岡山から発車する便があります。

岡山【うずしお】の面白い見どころの一つは、岡山-高松間の走行ルート。岡山-高松間には快速【マリンライナー】が何往復も運転されているが、【うずしお】は【マリンライナー】と経路が異なるのが驚きです。

【マリンライナー】は瀬戸大橋を渡って四国に入り東側の短絡線を通って直接坂出駅に入線するが、【うずしお】は松山・高知方面への西側短絡線を走行して宇多津駅に入り、スイッチバック。宇多津は坂出から予讃線で西へ一つで、東西両短絡線と組み合わせて、伊勢中川と同様のデルタが形成されます。【うずしお】はこの三角形の2辺をたどるため、【マリンライナー】よりも実際の走行距離が延びます。

なぜ、わざわざ手間のかかるスイッチバックを行うのでしょうか? それは高知方面行きの【南風】と併結運転するため。宇多津駅で【南風】との分割併合作業が行われます。瀬戸大橋線の本州内(岡山-児島間)は単線と複線が混在しており、線路容量がいっぱいのためかもしれません。分かれた【南風】はそのままの向きで多度津から土讃線を南下していきます。

少し前まで、岡山と観音寺・琴平を結ぶ普通電車もあり、西側短絡線を通っていました。この普通電車にはJR西日本の115系も使用されていました。

【うずしお】は宇多津を出発すると、高松までノンストップ(したがって坂出には止まりません)。

なお、寝台電車【サンライズ瀬戸】(東京-高松)は【マリンライナー】と同じ最短経路を走ります。臨時で琴平まで延長運転する場合、高松で折り返し運転されます(坂出-高松間は重複ルート)。

【うずしお】は高松でもう一度スイッチバックしてから、高徳線に入ります。

岡山【うずしお】は宇多津・高松で合計2回のスイッチバック運転をしています。スイッチバックする特急列車といえば、【はまかぜ】などがあるが、2回以上のスイッチバックはなかなか珍しいでしょう(かつて、京都-城崎間を舞鶴・宮津線経由で結ぶ【あさしお】は3回のスイッチバックだった)。岡山-徳島間は全長146.3km、【うずしお】で2時間の所要時間です。


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知る人ぞ知る多度津駅の構内食堂。

多度津駅は予讃線と土讃線とのジャンクションであって、四国鉄道発祥の地として知られます。駅構内には多度津車両工場・留置線・車両基地が併設されるなど、四国の鉄道の要衝にふさわしい光景が広がり、かつてDF50の最後の活躍などでも有名でした。

多度津駅の構内食堂ですが、駅舎の隣にあり、JR四国の乗務員や駅員らのためのいわゆる「社員食堂」です。一般の人も利用可能であり、地域住民や鉄道ファンにも人気のあるスポットのようです。店内は昔ながらの大衆食堂の雰囲気のようで、兼業農家の乗務員が野菜や米などを差し入れることもあると言います。食堂の建物はJR四国保有の倉庫を活用して営業中で、現在地には15年ほど前に移転されたそうです。建物の老朽化を理由に、2021年3月末で惜しまれながら閉店することになりました。

閉店後の動きはわかりませんが、またどこかで移転再開してほしいですね。


JR四国の駅構内食堂が閉店へ ファンも愛する社員食堂(朝日新聞)
https://www.asahi.com/articles/ASP243HRWP22PTLC02J.html



JR四国の振り子式特急型気動車2000系。

カーブの多い土讃線でのスピードアップを目的にJR四国と鉄道総研が共同で開発され、1989年より量産。国鉄時代以来の「キハ」を使用せず、民鉄と同様の「2000系」という形式とされるが、西暦2000年を目前に開発されたことによるものだそうです。

2000系は土讃線を中心に予讃線など四国各線に導入。四国の高速道路網整備に対抗すべく、平成時代の四国特急のシンボルを飾るが、登場から30年前後が経過し、後継の2600系および2700系への置き換えが進んでいます。2021年3月ダイヤ改正では、2000系は高知以北での定期運用を終了する予定で、したがって高松や岡山への定期列車での乗り入れはなくなるということですね。引退も時間の問題でしょう。

岡山駅で撮影した2000系を。

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後方に同じJR四国の113系(JR東日本譲渡車からの改造)が映っていますね。
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キハ57形は国鉄急行型気動車キハ58系グループの1形式。

もともと信越本線横川-軽井沢間(碓氷峠)のアプト式区間を通過することを目的に1961~62年に製造。台車に空気ばねとディスクブレーキを採用する仕様で、「キハ58系グループの特殊仕様」という位置づけですが、キハ57形は標準量産仕様のキハ28・58形に先んじて登場しています。ただ、キハ28・58形の量産とは対照的に、わずか36両の少数にとどまりました(ほかに「キハ57形のグリーン車」としてキロ27が7両製造)。

キハ57形の性能がフル発揮できたのは碓氷峠区間アプト式廃止までのわずか2年ほど。合わせて信越本線軽井沢-長野間が電化され、信越本線の急行は大半が電車化。その後、中央西線や飯山線・小海線系統の急行列車(【きそ】【ちくま】【すわ】【のべやま】ほか)に転用されるが、本来の用途を失いつつあったキハ57形は1974~78年にかけて各地に散らばります。

その一つが四国(高松運転所)。なぜ遠く離れた四国に転属されたのかといえば、空気ばね台車で乗り心地の良いことが買われ、四国の急行指定席車として活用するため。

しかし、それも長く続かず、1980年10月ダイヤ改正よりキロ28を普通車自由席に格下げ(キハ28 5000番台)て転用することに。その後も四国に転入したキハ57は細々と残り、一部はJRの時代まで生き延びます(他地区のキハ57形は国鉄時代末期までに全廃)。最後まで残ったのは、キハ57 19と22の2両(いずれも高松区)で、1990年土讃線特急に2000系が投入されるまで急行【土佐】で最後のエースを務めるが、余剰となり1992年に廃車されました。


JR四国に2008年まで残ったキハ65形(キハ65 34)・国鉄急行リバイバル色です。

高松駅に停車中の阿波池田行き普通列車でした。

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JR四国の観光列車「四国まんなか千年ものがたり」。

キハ185系3両を改造。土讃線の多度津~琴平~阿波池田~大歩危間で毎週金・土・日曜と祝日に運行中です。吉野川渓谷の絶景をまったり眺めながら、地元食材にこだわった料理や地酒を楽しむのがコンセプトで、列車は全車グリーン車指定席の扱いとなっています。

現在、コロナウイルス肺炎の影響により、残念ながら運行停止中です。一日も早くコロナ災禍が収束し、平穏な日々に戻ることを祈るばかりです。
 


JR四国のローカル線、予土線。

予土線は、 愛媛県と高知県を結ぶ唯一の鉄道で、土佐くろしお鉄道中村線の若井駅と予讃線北宇和島駅を連絡。「日本最後の清流」で知られる四万十川の上流部に沿って走ることから、「しまんとグリーンライン」の愛称が付いています。

実際に予土線沿線を訪問したことはないが、予土線といえば、面白いネタの詰まった路線だということを知りました。具体的に、

◎「土佐大正」「土佐昭和」駅と元号の付く駅名が2つ連続

◎「半家」(はげ)駅を見て、「サザエさん」の磯野波平がショックを受けた

◎国鉄・JRとして最初のトロッコ列車が運行される

◎列車は窪川-若井間だけ土佐くろしお鉄道に乗り入れ、窪川で土讃線と接続、「青春18きっぷ」の「関所」にもなっている

◎単線非電化のローカル線なのに新幹線が走っている


などが挙げられます。

「半家」(高知県四万十市西土佐半家)の由来ですが、この地に住み着いた平家の落人が源氏方の追討を逃れるために「平」の横線を移動させて「半」にしたためと言われています。「半家」の反対を表す駅名に、「増毛」(留萌本線)(廃止)や「上大井」(御殿場線)が存在します。

予土線を走る新幹線は、「鉄道ホビートレイン」ことキハ32を0系新幹線に模した外観に改造したもの。トロッコ列車とともに、予土線の集客を図って好評運行中です。本物の新幹線とは異なり、乗車券のみで乗車できます。

予土線の全通は1974年と意外に遅く(三江線全通の1年前)、優等列車の運行実績はないようです。ただし、急行【あしずり】の1往復が予土線内快速列車として、高松-窪川-宇和島間の直通が設定されたことはあります。


JR四国が2020年正月3が日限定で、破格のお得なきっぷを販売中です。

「お正月四国堪能きっぷ」で値段は2,020円

きっぷの内容は、

○利用期間 2020年1月1日~1月3日
○有効期間は1日
○JR四国全線の特急列車及び普通列車の普通車自由席が乗り降り自由
○特急列車の指定席・グリーン車利用の場合、追加料金のみで可能

で、何よりも、「特急列車も乗り降り自由」が最大のお得なポイントでしょう。

ただし、制約条件があります。

●発売期間 2019年12月3日~12月20日
●発売箇所 Webサイト「JR四国ツアー」(駅などでの発売はありません)

http://www.jr-shikoku.co.jp/03_news/press/b0e39ed4d97b14f8af5e6b64735574f5a7aaa4d3.pdf

ネットのみでしか買えないきっぷといえば、2017年秋のJR西日本乗り放題きっぷのことを思い出します。JR西日本管内の新幹線・特急列車自由席も乗り降り自由という、とてもお得なもの(値段は10,000円?)だったが、ネット(5489)のみで購入可能、しかも1日あたりの発売枚数が限定というもの。私も買ってみようとしたが、すぐ売り切れてしまい、断念。ヤフオク等に転売して高値で取引されたりで、とても入手できるものではありませんでした。実に切歯扼腕でしたね。


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徳島自動車道の吉野川SAにて。高速バス休憩タイムです。
吉野川の眺望が最高です。ちょうど川向こうのJR徳島線に新型気動車1500形がやってきました。


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JR四国の7200系は121系近郊型電車をリニュアルして生まれ変わった車両です。

121系は国鉄終焉の間際、四国で初めての電化開業(予讃線高松-坂出間、多度津-観音寺間、土讃線多度津-琴平間)に合わせて製造。外観イメージとしては当時量産中だった205系通勤型電車に似ているが、ローカル線用3ドア・セミクロスシートという車内設備的には飯田線用119系を連想させるものがあります。

121系も製造から30年経過し、足回りや車内の大幅リニュアルを施行、形式名も7200系に変更となりました。制御方式は抵抗制御からVVVFに変更、車内は一部ボックス席を撤去、座席配置は他のJR四国一般型車両と同様、ロングとボックスの千鳥配置に変わっています。


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JR各社から2019年3月ダイヤ改正の概要が発表されました。

JR西日本の岡山・広島地区について、注目すべき点を取り上げてみたいと思います。

 https://www.westjr.co.jp/press/article/2018/12/page_13525.html

広島近郊区間(山陽本線・呉線・可部線)の電車が227系に統一されることにより、山陽本線の列車系統は糸崎で分割されることになります。すなわち、岡山115系の山陽本線糸崎・三原以西への直通は廃止ということで、長距離普通列車の多い山陽本線にもメスが入る形となります。

糸崎-広島-岩国間の電車は227系に統一されるが、岩国以西への電車がどうなるのかも気になります。大半は岩国で系統分割となりそうな感じですが、広島方面から新山口・下関方面への直通列車はどうなるものでしょうか?

瀬戸大橋線の普通列車にも大きな変更点があります。岡山から瀬戸大橋を渡って四国(観音寺・琴平)へ直通する普通電車は、本州内の児島打ち切りとなる予定です。したがって、瀬戸大橋を渡る普通・快速列車は、<マリンライナー>のみとなります。


(2018.12.17 訂正)
瀬戸大橋を渡る普通列車が廃止なのかどうかは、現時点では不明です(JR四国のプレスリリースにはそのようなコメントは記されていない)。ご指摘いただいたように、児島で系統分割という形の可能性もありえます。


今まで気づかなかったが、松山駅の駅弁業者(鈴木弁当店)が今年4月に撤退したとのことです。

愛媛県では今治でしか駅弁が買えなくなってしまい、危うく駅弁空白県になりかけています(宇和島にも駅弁があったはずだが、よくわからない)。

松山の名物駅弁の一つに「醤油めし」がありました。しかし、 今年8月に岡山の駅弁業者・三好野さんが鈴木弁当店さんからレシピを継承して復活させたそうで、「鈴木弁当店監修」として好評発売中とのこと。ひとまず、松山の駅弁販売の灯火が戻ってきたことは朗報です。

松山駅「醤油めし」(780円)~永遠に守りたい!! 名車・0系新幹線と松山の名駅弁!
http://www.1242.com/lf/articles/130803/?cat=gourmet,life&feat=ekiben




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JR四国の一般型気動車1000形。

この車両は非常に特徴あるスタイルをしています。

まず、客用扉3枚となっているが、運転席手前側の両端は片開き、中間は両開きであり、京阪1700・1800系などを連想するものです。

また、側面窓の形や並びが国鉄キハ45系と似た雰囲気となっています。

室内は一般型気動車ではオーソドックスなセミクロスシートだが、クロスとロングを点対称に配置するという独特のレイアウトであり、これと同じスタイルの7000系電車も同様です。また、登場時にはトイレは設置されていなかったが、一部の車両には洋式トイレ設置の改造が行われています。

車体の長さは21mあり、JR以降に製造された一般型気動車としては大ぶりです。

もともと徳島地区に集中配置されていたが、高知地区にも転用され、ロングシートのキハ54が多く使用されていた土讃線普通列車も1000形に置き換えられ、長距離利用客にとってはうれしいです。


四国の急行列車について一つレポートしてみたいと思います。

徳島線を走行した気動車急行<よしの川>。

名称の由来は、徳島線(徳島-阿波池田)沿線を流れる吉野川であり、まさに徳島線を代表する花形列車だったと言えます。 

この列車は、廃止直前の頃は徳島線内のローカル急行だったが、本来小松島港で大阪・神戸・和歌山方面からのフェリー連絡の受け皿として、関西と琴平および高知県方面を結ぶことが使命でした。そのため、もともと6~7往復の本数が設定され、小松島港線(廃止)から一部は阿波池田から土讃線の高知まで直通していました。しかし、1980年10月改正で高知直通廃止、1985年3月ダイヤ改正で小松島線は廃止され、運行本数も6往復から2往復に急減、徳島線内のローカル急行に転落。

しかし、明石海峡大橋完成による神戸-徳島間の高速道開通(1998)を前に、徳島線が再び関西と四国各地を結ぶ一つのルートとして見直されるようになります。徳島線高速化工事完成を受け、1996年3月ダイヤ改正で徳島線の優等列車が再び増発されます。特急<剣山>が3往復登場、内1往復は高知直通となります。これと引き換えに、急行<よしの川>は1往復のみに、四国最後の急行列車となりました。

2年後の1998年、特急<剣山>は4往復に増強するとともに、徳島駅から牟岐線海部駅・阿佐海岸鉄道甲浦まで直通運転を実施。急行<よしの川>もキハ58・65から<剣山>と共通のキハ185系となります。そして翌年1999年3月改正で、<よしの川>は特急<剣山>に吸収、四国から急行列車が消滅しました。<剣山>は6往復、そのうち高知乗り入れは2往復となるが、2000年3月以降、高知直通は廃止、<剣山>は徳島線(および牟岐線)内の優等列車となりました。




 

瀬戸大橋開通直前に実施された1000t荷重試験列車の動画です。
電気機関車9重連の珍編成です。

列車が通るときレールのたわみが観測され、相当な重量があることがわかります。
そのため、瀬戸大橋のレールは中央が盛り上がって造られています。


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四国各線が全国とレールがつながったのは、1988年瀬戸大橋開通の時。今年は開通から30周年を迎えます。

四国内の優等列車(特急)は四国島内で完結するものもあるが、新幹線連絡なども兼ねて本州へ渡り岡山発着が多くなっています。また、海を挟んだ岡山・高松都市間連絡の快速<マリンライナー>も多くの本数があり、人々の行き来は活発です。 瀬戸大橋を渡る特急列車は全てJR四国所有、<マリンライナー>もかつてはJR西日本213系を使用していたが、海を渡る瀬戸大橋という特殊条件ゆえ老朽化が早く、JR四国5000系に持ち替わりとなりました(5000系の普通車はJR西日本223系と全く同じスタイル、グリーン車のみハイデッッカーとなった)。岡山から瀬戸大橋を渡って観音寺・琴平へ直通する普通列車も運転されており、JR西日本115系もしくはJR四国6000系が充当されます。

瀬戸大橋開通ブームで賑わう頃は、特急<やくも>が高松に乗り入れたり、また瀬戸大橋を渡って高松
への臨時列車も多く運転されていました(117系、165・167系、221系などを使用)。

四国と東京を結ぶ寝台列車<サンライズ瀬戸>【東京-高松】(285系)もあります。全国的に寝台特急が廃止される中、直流電化区間のみで完結する<出雲><瀬戸>を電車化して生き残りを図り、<サンライズ瀬戸><サンライズ出雲>に生まれ変わります(<出雲>は京都から山陰本線経由だったが、伯備線経由に変更、<サンライズ出雲>となる)。専用の285系電車はJR西日本の設計ですが、車両はJR西日本とJR東海が所有しています。近年、金比羅山が心霊スポットとして人気を集め、<サンライズ瀬戸>は琴平まで延長運転されるようになっています。

このほか、「青春18きっぷ」シーズンには京都-高知間の夜行快速(14系客車)も運転されていました。


JR四国に在籍する近郊型電車6000系。

6000系は3ドア・転換クロスシートで1996年に登場、岡山-観音寺間普通列車で使用されていた111系を置き換えます。外観スタイルは顔が211・213系と同じスタイル、側面は2連窓主体の窓配置でJR東海311系と似ており、JR西日本221・223系などよりも古めかしい国鉄末期テイストな印象を受けます。実際、6000系は日本車輌製造であり、JR東海311系の図面を流用したものと言われてます。編成はMc6000-T6200-Tc6100の3両編成、編成両端部の客用扉のみ片開きで他は両開き、そして中間T車(6200形)には車掌コーナーも設けられる(1両を締め切って2両のみのドア開閉が可能なように切り替えスイッチを装備)という、無人駅の多いJR四国の利用実態に合わせた特徴的なレイアウトとなっています。

現在の運用路線は、

瀬戸大橋線、予讃線(高松-伊予西条)、土讃線(多度津-琴平)

であり、2000年にJR東日本から113系を譲渡した後、一旦瀬戸大橋線での運用はなくなるが、2016年3月より同線での本州入り運用が復活しました。

私・管理人も何度かこの電車に乗車したことがあります。もちろん普通列車ですが、同じ瀬戸大橋線の快速<マリンライナー>213系よりもむしろ快適でさえあると感じました。ただ、3両×2編成の6両のみにとどまったのはもったいないような気がします。ちなみに扉開閉時のチャイムは京浜東北線209系などと同じメロディで、首都圏のJRに乗っているような感じにもなりました。



1989年夏、「青春18きっぷ」で少し無理して徳島までの日帰り旅行に出た。
私が初めて四国に踏み入れたのもこのときで、瀬戸大橋開通から1年経過したばかり。
第一の目的は、高徳線と徳島線を完乗すること。

乗車行程は、

大阪→姫路→岡山→高松→徳島→阿波池田→琴平→坂出→岡山→姫路→大阪

だが、実は四国内の一部区間にて特急列車でワープする。

確か早朝6時ごろだったかな、大阪発網干行き快速電車に乗った。
姫路までおよそ1時間30分、岡山行きの電車にすぐの接続だった。
姫路での乗り換えダッシュのとき、災難に遭う。
人にぶつかってホームで転倒する。
幸い腕のケガ程度で済み、何とか岡山行きに乗り込む。
ただ、夏場で半袖を着ているゆえ、腕の傷が目立ち、傷が露出したままの無様な格好で旅を続けることになる。
それはともかく、無事に乗り継ぎできたのだから良しとする。
しかし、このハードスケジュールゆえに起こったアクシデントであり、もう少し余裕のあるプランを練るほうがよいだろうと反省。何しろ岡山行きの列車編成が短いので、そのことを考慮に入れて行動すべきだった(熱海・大垣・敦賀での乗り継ぎも同様)。

岡山から「マリンライナー」で瀬戸大橋を渡って、初めての四国入りにワクワク。
瀬戸大橋および明石・鳴門海峡大橋の開通で、関西から四国への日帰り旅行も容易になった。
讃岐うどんのブームが全国に広まったのも、本州・四国連絡橋の恩恵だろう。

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高松からの高徳線(旧・高徳本線)だが、香川・徳島県境付近(三本松-阿波川端あたり)で特急ワープを使う。
高松・徳島間の距離は70kmほどでさほど遠いわけではないが、県境を跨いで直通する普通列車は多くなく、途中で特急を待避するため所要時間はかなりかかる。
池谷で鳴門線、佐古で徳島線と合流し、徳島に到着。

徳島県の鉄道は電化率ゼロだ。
もともと四国内の国鉄線は全て非電化だった。JR化後、四国内の電化区間は瀬戸内海側の予讃線を中心に愛媛県まで拡大する。愛媛県には伊予鉄道もある。高知県もJR線は非電化だが路面電車の土佐電鉄がある。
しかし、徳島県に至っては地方私鉄もなく、非電化のJR線および第三セクター線のみで県内鉄道ネットワークを構築しているわけだ。

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徳島で駅弁を購入。
確か幕の内弁当を買ったと思うが、徳島の幕の内といえば、大きいエビフライがご飯の部分にまではみ出してデーンと目立つことで有名だろう。

徳島県の特産品には、すだち、半田そうめん、鳴門金時いも、阿波和三盆(砂糖菓子)などがある。

徳島線はキハ58・65の快速だったかと思う。
徳島線は吉野川に沿って四国山地に分け入り、土讃線の阿波池田に至る(正式には一つ手前の佃まで)。
国鉄時代は「徳島本線」が正式名称だった(JR発足後、四国内の本線は全て「本線」でなくなる)。
徳島市の南東、小松島港に和歌山からの南海フェリーが発着していて、徳島線と合わせて関西から四国各地の一つの主要ルートを形成、かつて徳島線経由高知方面の優等列車が盛んに設定されていた(小松島港線は廃止)。しかし、瀬戸大橋や明石・鳴門海峡大橋の開通と高速道路延伸の影響で、徳島線経由の優等列車は大幅に減らされ、事実上県内ローカル線となる。一時期は急行「よしの川」1往復のみとなるが、現在徳島線内のみのミニ特急「剣山」が6往復設定され、優等列車の本数そのものは盛り返している。

阿波池田からの土讃線上りでは、琴平まで再び特急ワープを使う。
香川・徳島県境付近にあたり、やはり普通列車の本数は少ない。
しかも急峻な峠を通るため、スイッチバックがあり(坪尻駅)、鉄道ファンの一つの見所だ。
視界が開け、讃岐平野に入ったあたり、琴平からは高松近郊の電化区間だ。
土讃線を走る電車は琴平折り返しの普通列車のみだが、最近東京からの寝台電車・サンライズ瀬戸(285系)が臨時で琴平まで乗り入れる日もある。

坂出から先、行きと同じルートで本州へ戻る。
できれば、違う経路で帰りたいところで、例えば高松や徳島から高速バスで鳴門海峡を渡って神戸・大阪方面へ抜けるのは、瀬戸大橋を回り岡山で乗り継ぐよりもはるかに早いだろう。
あるいは徳島からフェリーで和歌山へ抜けるのも所要時間はかかるが楽しそうだ。

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2005年に国鉄急行色に復元されたJR四国のキハ58・65。

わずか2両だけだが、この復元作業は塗装のみならず、窓周りの灰色ゴムなど細部にまで国鉄時代らしさが再現されており、各地のリバイバル塗装とは一味ちがう。さすがに車内まで国鉄時代の雰囲気を再現、というわけにはいかなかっただろう。普通列車専用となったゆえ一部ロングシート化されたままなのは仕方ない。

なお、方向幕もこの頃になって、全国各地で行先表示を入れるのが当たり前となってきたが、どうせなら、「普通」と表示して、行先表示は出入り口上部のサボ受けに表示板を差し込むようにすれば、いっそう引き立たったのではないか。

JR四国のキハ58系は2008年までに引退した。

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