カテゴリ: 国鉄・JRグループなど


JR山陰本線出雲市-益田間の普通列車運用について気になること。

出雲市-益田間は2022年3月まで、島根県による高速化事業の一環として、キハ126系・快速【アクアライナー】(米子-益田間)が走っていました。キハ126系は比較的長距離の快速運用を前提としているため、旧・急行型キハ58系のイメージを引き継いだオールボックスシート車で2001年登場。キハ120に比べ、車体は大きく乗り心地は快適です。2001年7月以来、およそ21年間にわたり、【アクアライナー】が好評運行を続けてきました。

しかし、沿線の過疎化や山陰自動車道の延伸開通などに伴い、利用客の減少は著しいようで、快速【アクアライナー】は廃止(普通列車に格下げ)。同時にキハ126系の出雲市以西運用は大幅減となり、普通列車の大半はキハ120(浜田鉄道部所属)の1両運用に置き換えられました。

そして2024年3月ダイヤ改正では、キハ126系は浜田-益田間への運用が廃止されるとともに、出雲市-浜田間では1往復(下りは米子始発)に減らされ、他は全てキハ120となっているようです。さらに、普通列車の浜田乗り換えも増えています。出雲市-益田間を高速快適に行き来するなら、特急【スーパーまつかぜ】【スーパーおき】(キハ187系)を利用するしかないでしょう。


JR東海の近郊型電車311系。

311系は1989年金山総合駅開業と東海道本線新快速・快速増発に合わせて登場。外観デザインは国鉄型211・213系の図面を引き継ぎつつ、3ドア転換クロスシート・側面2連窓という仕様で、4両×15編成の合計60両を製造。同期同仕様のJR西日本221系やJR九州811系に比べ、地味な印象を受けます。

しかし、JR東海初の3ドア転換クロスシートであり、後に登場する快速【みえ】のキハ75系に影響を及ぼしたのは周知の通り。また、311系と類似デザインでJR四国の6000系電車も登場しました。311系は東海道本線名古屋近郊区間の新快速・快速を中心に、中央本線や飯田線の臨時列車(ナイスホリデー号)にもしばしば抜擢され、またJR西日本・北陸本線長浜まで直通する臨時列車でも使用されたようです(1991年9月北陸本線米原-長浜間が直流化)。

311系には車内にカード式公衆電話が付いていたのが、何気に良かったと思います(料金不要列車車内での公衆電話といえば、京阪旧3000系、阪急6300系特急車などが挙げられる)。ただ、携帯電話の普及などに伴い、のちに撤去されました。

1999年以降313系の量産が開始すると、311系は東海道本線名古屋近郊の普通を中心とする運用をこなすようになります。早朝・深夜の静岡-岐阜間というロングランの普通にも充当され、乗り得感のある長距離鈍行でした。

315系の登場により、いよいよ311系の廃車が始まりました。同期の221系は大和路線や奈良線などでまだまだ活躍を続けているのに対して、JR東海は車両の代替が早いですね。ちなみに221系はJR東海管内の大垣-米原間に定期列車(姫路・網干発着)で乗り入れた実績があります。



225系の追加投入に伴い、東海道・山陽本線(琵琶湖線、JR京都線、JR神戸線)から221系が撤退した模様です。

同線(本線)に221系が登場したのは1989年。221系は新生・JR西日本の近郊型電車スタイルを確立したパイオニアです。軽快なスピード感と柔らかさを両立させた丸みのある白色の車体デザイン、3ドア転換クロスシートの快適な車内空間というスペックで製造され、国鉄以来の113系などとは一線を画するインパクトが強烈で、私鉄王国関西の勢力図を塗り替える存在でした。当初、「アメニティライナー」という名前が付けられたが、定着しなったようです。

本線では当初、快速(普通)用113系を置き換える計画だったようですが、221系はたちまち好評を博し、1990~91年までに新快速は国鉄型117系(2ドア転換クロスシート)を置き換え、以降およそ10年間にわたり京阪神の花形列車・新快速を中心に活躍。新快速の221系への置き換えに合わせ、最高速度120km/hに引き上げるともに、高槻・芦屋に停車するようになりました。快速もおよそ3~4割程度、221系で運用されるようになりました。221系は1990年、ローレル賞を受賞しました。

阪神淡路大震災の1995年以降、後継223系の登場、そして新快速の最高速度130km/hへの引き上げに伴い、221系は早くも新快速運用から撤退。その後も本線ではおよそ25年にわたり引き続き快速で活躍。しかし、223系そして225系の大量増備が続き、221系は順次他線区(大和路線・奈良線・おおさか東線・嵯峨野線・湖西線・草津線)に転属し、2024年3月ついに本線から引退となったようです。221系は一時期、福知山線や阪和線などにも活躍の場を広げましたが、223・225系に置き換えられました。

なお、草津-山科ー京都間では草津線または湖西線直通列車に限り、221系が残ります。

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更新工事前の姿 草津にて

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高架工事完成後の姫路にて

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山崎にて

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網干車庫を出庫する未更新編成

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更新後の姿 普通・米原行き 山崎のサントリーカーブにて

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同じく山崎にて 下り普通



東武鉄道日光線・新古河(しんこが)駅。 

新古河駅は埼玉県加須市(かぞし)にあります。「古河」という地名は、渡良瀬川を挟んだ対岸の茨城県にあり、市の名前になっています。隣県の市名を名乗る駅名が地味に気になりました。古河市にはJR東北本線(宇都宮線)・東北新幹線が通っており、東北本線・古河駅は同市内唯一の鉄道駅。また、古河駅は東北本線の駅で唯一茨城県にあります。

新古河駅とJR古河駅の直線距離はおよそ2km。かつて、両駅間を結ぶ東武鉄道バスがあったが、今はなくなったようです。また、古河市役所はなぜか市街地から離れた場所にあり、JR古河駅から南東約5km。

新古河駅は、実は埼玉・茨城・栃木3県境に最も近い駅。ちなみに日光方の隣駅・柳生駅は、埼玉・栃木・群馬3県境の最寄り駅であります。埼玉県加須市は茨城・栃木・群馬3県に隣接しています。なお、東武鉄道は茨城県は通っていないが、柳生駅の隣(日光方)の板倉東洋大前駅は群馬県板倉町、その次からは栃木県です。

東武日光線にはJR新宿方面から東北本線経由で特急【日光】【(スペーシア)きぬがわ】が乗り入れており、栗橋駅(埼玉県久喜市)構内に東北本線と東武日光線との渡り線が設けられています。日光・鬼怒川温泉への観光アクセスは、長年東武と国鉄・JRは競合関係だったが、2006年に直通運転を開始し、協調路線に変わってきているようです。


国鉄201系通勤型電車の全廃へ、いよいよカウントダウンの時を迎えました。

JR東日本から201系が引退して13年経過し、JR西日本でも廃車が相当進み、残りが大和路線(関西本線)で最後の活躍をしています。ここでは、JR西日本所属の201系のみについて書くことにします。

JR西日本管内では、国鉄時代末期の1983~84年にかけて東海道・山陽線(JR京都線・神戸線、草津-京都-西明石-加古川間)普通用に投入。車体塗装色はスカイブルー(青22号)、7両編成(4M3T)×32編成で合計224両が納車されました。所属は国鉄最後の1986年末までに明石電車区に集約。これら224両は全てJR西日本に継承され、1987年から2006年ごろまでまでにかけて、引き続き東海道・山陽線普通で活躍。JR東西線開通(1997年)以降、JR京都・神戸線普通の列車運行体系が大きく変わり、JR京都線~福知山線(JR宝塚線)直通が誕生したため、一時期福知山線新三田・篠山口まで足を伸ばすようになりました。また、朝ラッシュ時のみ湖西線堅田まで乗り入れる運用も存在しました。

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JR京都線・神戸線時代

321系通勤型電車登場(2005~08年)により、JR西日本の201系に転機を迎えました。まず大阪環状線(森ノ宮区)に転属することとなり、関西で初めてオレンジ色の201系が登場。環状線は8両編成で、転属の過渡期に4両編成×2本という変則編成も出現するが、最終的に8両貫通編成(4M4T)に落ち着きました。

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大阪環状線に転属直後の頃

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大阪環状線転属から10年後

ほどなくして、関西本線(大和路線)(奈良区)にも転属することになり、国鉄時代を含めこれまで幻の存在でしかなかったウグイス色(黄緑6号)の201系が初めてデビューしました。大和路線用は6両編成(4M2T)。大和路線に加え、2008年第一期開業のおおさか東線(久宝寺-放出)にも投入。そして朝ラッシュ時間帯に限り桜井線・和歌山線(奈良-高田-王寺)の運用も設定。

201系は環状線・大和路線転属までに、全車N40改造を施工済みです。

その後数年間、行先表示器LED化以外に大きな動きもなく経過するが、大阪環状線に新型車両323系の投入が決まり、2016年以降順次103・201系を置き換え、2019年までに環状線から消滅。

一方、奈良区のほうでは、おおさか東線新大阪延伸開業(2019年)に伴い、201系の運用本数が増加し、環状線から一部転属。最終的に201系は奈良に結集するが、東海道・山陽本線への225系大量追加計画が明らかになって、余命宣告を受けることに。2022年春、おおさか東線では221系に置き換えられる形で撤退。新大阪直通の201系はわずか3年で終了しました。残る201系も東海道・山陽本線への225系投入→221系転属という形で、2024年までに引退が決まっています。

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おおさか東線・新大阪で283系オーシャンアローと並ぶ

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関西本線 王寺-三郷にて




JR四国がハイブリッド式新型車両の導入を明らかにしました。これにより、キハ40・47など国鉄型気動車を置き換える方針です。

今回導入する新型車両は、ディーゼルエンジンで発電した電力と、蓄電池からの電力によりモーター駆動して走行するハイブリッド式。低騒音、低燃費、CO2削減に寄与し、駅停車時にアイドリングストップを実施し静粛性を向上させるほか、気動車特有のギアチェンジをなくすことで、乗り心地を向上させる、としています。

車体はステンレス製の片側3ドア車。2両で1編成とし、最高速度100km/h。近畿車輛が製造を手がけます。量産先行車(2両×2編成)は2025年12月に完成し、性能確認試験を実施したのち営業運転を開始する予定。2027年度から量産車を順次導入する計画です。

キハ40・47のほか、国鉄末期に導入されたキハ32・54そしてキハ185系なども置き換え対象となりそうです。車内の座席も気になるところですね。

JR四国の新型車両あきらかに 青基調デザインのハイブリッド式(乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/130990



以前、大阪府最南端の駅(南海孝子駅)~同最北端の駅(能勢電妙見口駅)間のノーラッチでの乗車ルートについて投稿しました。

http://katanogawara.blog.jp/archives/43325288.html

それは、改札を出ることなく南海~JR~近鉄~阪神~神戸高速~阪急~能勢電の順に行き来可能という事実を利用したものです。これを実行する際には、精算等で面倒なトラブルを回避するために、事前にフリーチケットを買い揃え、旅行当日の朝一番に改札機に通すという、「下準備」をするほうが望ましいでしょう。

同様の企画として、大阪府最東端のJR片町線(学研都市線)長尾駅(枚方市)から妙見口駅までだと、どのようなルートが可能なのかを考えてみました。JR~近鉄~阪神~阪急~能勢電の順は同じですが、必要な乗車券購入等の下準備に工夫が必要です。

さっそく、乗車ルート例を以下4つ挙げます。

【ルート1】(木津・奈良・吉野口経由)
長尾      ~ 木津      【JR片町線】

木津      ~ 奈良      【JR関西本線 または 奈良線】
奈良      ~ 高田      【JR桜井線】
高田      ~ 吉野口     【JR和歌山線】

(または)

木津      ~ 王寺      【JR関西本線(大和路快速ほか)】
王寺      ~ 吉野口     【JR和歌山線】

吉野口     ~ 橿原神宮前   【近鉄吉野線】
橿原神宮前   ~ 大和八木    【近鉄橿原線】
大和八木    ~ 鶴橋      【近鉄大阪線】
鶴橋      ~ 尼崎      【近鉄奈良線・阪神なんば線】
尼崎      ~ 高速神戸    【阪神本線】
高速神戸    ~ 十三      【阪急神戸線】
十三      ~ 川西能勢口   【阪急宝塚線】
川西能勢口   ~ 妙見口     【能勢電鉄】

【ルート2】(おおさか東線・柏原・道明寺経由)
長尾      ~ 放出      【JR片町線】
放出      ~ 久宝寺     【JRおおさか東線】
久宝寺     ~ 柏原      【JR関西本線(普通)】
柏原      ~ 道明寺     【近鉄道明寺線】
道明寺     ~ 橿原神宮前   【近鉄南大阪線】
橿原神宮前   ~ 大和八木    【近鉄橿原線】
大和八木    ~ 鶴橋      【近鉄大阪線】
鶴橋      ~ 尼崎      【近鉄奈良線・阪神なんば線】
尼崎      ~ 高速神戸    【阪神本線】
高速神戸    ~ 十三      【阪急神戸線】
十三      ~ 川西能勢口   【阪急宝塚線】
川西能勢口   ~ 妙見口     【能勢電鉄】

【ルート3】(一筆書きで2つの「尼崎」駅を経由)
長尾      ~ 尼崎      【JR片町線・JR東西線】
尼崎      ~ 大阪      【JR東海道本線】
大阪      ~ 天王寺     【JR大阪環状線(内回り)】
天王寺     ~ 柏原      【JR関西本線(普通)】
柏原      ~ 道明寺     【近鉄道明寺線】
道明寺     ~ 橿原神宮前   【近鉄南大阪線】
橿原神宮前   ~ 大和八木    【近鉄橿原線】
大和八木    ~ 鶴橋      【近鉄大阪線】
鶴橋      ~ 尼崎      【近鉄奈良線・阪神なんば線】
尼崎      ~ 高速神戸    【阪神本線】
高速神戸    ~ 十三      【阪急神戸線】
十三      ~ 川西能勢口   【阪急宝塚線】
川西能勢口   ~ 妙見口     【能勢電鉄】

【ルート3】の2つの「尼崎」とはJRと阪神の両・尼崎駅のこと。JRと阪神の尼崎駅は1kmほど離れています。これら2つを一筆書きで通るようにプランを考えるのも一興だと思いました。同じ駅を重複通過しないなら、例の「近郊区間大回り乗車」を楽しむことも可能ですね。せっかくなので、次のように滋賀・三重に足を伸ばす大規模プランも良いでしょう(JRの運賃は【ルート3】と同じです!)。

【ルート3a】
長尾      ~ 尼崎      【JR片町線・JR東西線】
尼崎      ~ 草津      【JR東海道本線】
草津      ~ 柘植      【JR草津線】
柘植      ~ 加茂      【JR関西本線】
加茂      ~ 柏原      【JR関西本線】
柏原      ~ 道明寺     【近鉄道明寺線】
道明寺     ~ 橿原神宮前   【近鉄南大阪線】
橿原神宮前   ~ 大和八木    【近鉄橿原線】
大和八木    ~ 鶴橋      【近鉄大阪線】
鶴橋      ~ 尼崎      【近鉄奈良線・阪神なんば線】
尼崎      ~ 高速神戸    【阪神本線】
高速神戸    ~ 十三      【阪急神戸線】
十三      ~ 川西能勢口   【阪急宝塚線】
川西能勢口   ~ 妙見口     【能勢電鉄】


三重県のJR東海管内から近鉄に入るルートも可能です。

【ルート4】(亀山・津・松阪経由)
長尾      ~ 木津      【JR片町線】
木津      ~ 加茂      【JR関西本線】
加茂      ~ 亀山      【JR関西本線】
亀山      ~ 松阪      【JR紀勢本線】
松阪      ~ 鶴橋      【近鉄山田線・大阪線】

(または)

亀山      ~ 伊勢市     【JR紀勢本線・参宮線】
伊勢市     ~ 鶴橋      【近鉄山田線・大阪線】

鶴橋      ~ 尼崎      【近鉄奈良線・阪神なんば線】
尼崎      ~ 高速神戸    【阪神本線】
高速神戸    ~ 十三      【阪急神戸線】
十三      ~ 川西能勢口   【阪急宝塚線】
川西能勢口   ~ 妙見口     【能勢電鉄】


【ルート4】の亀山・津・松阪・伊勢市回りは大阪近郊区間からはみ出すことになるので、当然ながら近郊区間の特例を利用した「大回り乗車」は不可。「青春18きっぷ」ほかを使うほうが得でしょう。

さて、問題は旅行開始までの下準備。南海孝子駅発着の企画だと、大阪難波駅で近鉄と阪急阪神両方のフリーチケットを改札機に通せて楽ですが、JR長尾駅発着の場合はその点、少し手間がかかります。例えば枚方・交野など京阪沿線から出発する場合、次のようにすればよいかもしれません。

1)阪急阪神1Dayチケット → 阪急高槻市駅で購入・入札
(高槻市~【阪急京都線】~烏丸 / 四条~【地下鉄烏丸線】~竹田)
2)近鉄週末フリーチケットほか → 竹田駅で初回改札
(竹田~【近鉄京都線】~新田辺~【徒歩】~京田辺~【JR片町線】~長尾)


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山陰本線園部-綾部(福知山)間電化開業間近の頃です。福知山行き普通列車(キハ47ほか)が停車中。ホーム左に停車中の電車(113系)は折り返し京都行きです。京都-園部間電化以前は、客車列車(12系、50系ほか)が多く走っていました。

園部駅(京都府南丹市園部町)にはJRバス2路線が発着していました。園福線(丹波運動公園・兎原方面福知山行き)と園篠線(丹波篠山方面)。園福線は、JRと大きく離れる国道9号線沿線(旧・丹波町、瑞穂町、三和町)を小まめに結んでいますが、2024年春に廃止の予定です(廃止後、沿線各市町が代行バスを運行する予定)。園篠線は、京阪京都交通【44】系統に受け継がれ、現在も福住まで運行されています。

園部駅といえば、知る人ぞ知る幻の駅弁・「栗めし」が人気。地元・丹波産の栗が味わえます。駅構内での販売はなくなり、今も駅近くのお店で弁当の予約販売があるそうですが(かつては鮎姿すしや松茸めしもあったが)。


JRと名古屋市営地下鉄がノーラッチ(改札内)で往来可能かどうか、という問題を考えました。

結論を言うと、それは可能です。カギは以下の2点です。

1)JRと名鉄は豊橋・弥富2駅がノーラッチ
2)名古屋市営地下鉄鶴舞線・上飯田線が名鉄と相互乗り入れ


JRから名古屋市営地下鉄にノーラッチで入る可能なルートの例として、次が挙げられます。

(ルート1)
豊橋(JR東海道本線・飯田線)~(名鉄名古屋本線)~知立~(名鉄三河北線)~豊田市~(名鉄豊田線・地下鉄鶴舞線)~

(ルート2)
弥富(JR関西本線)~(名鉄津島線)~須ヶ口~(名鉄名古屋本線)~西枇杷島~(名鉄犬山線)~上小田井~(地下鉄鶴舞線)~

(ルート3)
弥富(JR関西本線)~(名鉄津島線)~須ヶ口~(名鉄名古屋本線)~西枇杷島~(名鉄犬山線)~犬山~(名鉄小牧線・地下鉄上飯田線)~平安通ほか


名古屋市営地下鉄と東京メトロ、大阪メトロ、京都市営地下鉄、そして福岡市営地下鉄との間をノーラッチで行き来することは、JRほかを介して理論上可能です。大阪・京都の地下鉄はJRとは直接つながっていないので、他の私鉄も利用することになります。



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平成初期の頃の関西本線(大和路線)木津-奈良間を走行した車両について、書いてみました。

同区間は関西本線(大和路線)のほか、奈良線そして片町線(学研都市線)の列車が乗り入れ、列車密度はかなり高いほうと言えます。JR発足から間もない昭和末期~平成初期の頃、関西本線加茂-木津間電化、そして片町線全線電化が完成し、それまでの気動車王国(キハ35系ほか)から一変、顔ぶれ多彩な通勤・近郊型電車が行き交うようになりました。また、奈良線(京都-奈良)には快速電車が設定され、117系が使用されました。

1991~92年の木津-奈良間を走行した定期列車の顔ぶれを以下にリストアップしました。

【1991~92年 木津-奈良間を走る車両(定期列車のみ)】
(関西本線:加茂-天王寺-湊町・大阪環状線直通)
221系(奈良区)、103系・黄緑色(奈良区)、103系・オレンジ色(森ノ宮区)、
381系「やまとじライナー」(日根野区)

(関西本線:亀山方面-加茂-奈良)
キハ28・58普通列車(亀山区)、キハ58・65急行【かすが】(名古屋区)

(奈良線:京都-奈良)
105系(奈良区)、113系春日色(奈良区)、117系(宮原区)

(片町線:早朝・深夜のみ)
103系・オレンジ色(淀川区)


当時、「大和路快速」を中心に活躍する最新型221系がスター的存在で輝かしかったです。また、大阪環状線用のオレンジ色103系が木津・加茂まで乗り入れるとは夢にも思いませんでした。なお、奈良と森ノ宮の103系編成向きは逆でした(その理由は、かつて関西本線用の電車が阪和線・日根野電車区配置だったことに由来)。

奈良線は1984年電化以来105系と113系が使用されてきたが、快速運転開始に伴い117系が加わりました。

片町線の103系は1992年、早くも207系に置き換えられました(ただし松井山手以東直通列車のみ)。クモハ103-48から改造のクモハ103-5001は有名で、片町線から広島に転属する際、元の番号に復帰しました。片町線から追い出された103系高運転台車が奈良区に転属し、関西で初めて黄緑色の高運転台車が登場しました。

唯一、急行【かすが】用キハのみJR東海所属(他はJR西日本所属)の車両で、異彩を放っていました。同時期に、快速【みえ】カラー=JR東海カラーに塗装変更されました。

2年ほど経過し1994年。木津-奈良間を走る車両ラインナップにかなり変化がありました。

【1994~1999年】
(関西本線:加茂-天王寺-湊町・大阪環状線直通)
221系(奈良区)、103系・黄緑色(奈良区)、103系・オレンジ色(森ノ宮区)、
381系「やまとじライナー」(日根野区)

(関西本線:亀山方面-加茂-奈良)
キハ120普通列車(亀山区)、キハ58・65急行【かすが】(名古屋区)

(奈良線:京都-奈良)
103系・黄緑色(奈良区)、117系(宮原区)

(片町線:早朝・深夜のみ)
207系(淀川区→明石区)


奈良線から105・113系は撤退し、103系黄緑色に置き換えられました。113系春日色の定期営業運用もなくなり、105系は桜井・和歌山線そして紀勢本線用に和歌山(新在家)区へ移動しました。

奈良区・黄緑色103系は、1990~96年ごろ前面「帯なし」の単色だったが、その後白の警戒帯が入り、かなり印象が変わりました。

関西本線亀山-加茂間普通列車はキハ120に置き換えられたが、1往復だけ奈良直通が残りました。奈良直通は3両編成での運用でした。なお、1999年12月より、急行【かすが】はキハ75系で運用(→【かすが】は2006年廃止されました)。

1997年JR東西線開通に伴い、片町線と福知山線、東海道・山陽緩行線の列車運行体系は一体化し、新三田・宝塚~奈良直通列車が誕生しました。片町線の列車は奈良線とちがって基本的に木津駅折り返しですが、1日2往復だけ奈良まで直通しているのは夜間の奈良電滞泊が目的です。

毎月26日には天理臨で全国各地から奈良線・桜井線経由で天理まで乗り入れ、JR西日本・東海・東日本・北海道各社のさまざまな顔(183・189系あずさ色幕張車、165系神領車ほか、24系客車青森車、50系ドラえもん列車、キハ65系エーデル、・・・)が賑やかに行き交いました。



JR阪和線の「快速」と名乗る種別には、2024年1月現在

関空快速・紀州路快速、快速、直通快速、区間快速

が設定されています。特に関空快速・紀州路快速は阪和線・関西空港線を代表する列車の一つで、大阪環状線~関西空港・和歌山間を運行しており、関空快速と紀州路快速は大阪環状線~日根野間で併結運転(すなわち関西空港発着と和歌山発着の2層建て列車)が基本的です。日根野以南では関空快速と紀州路快速がそれぞれ分かれます。この先、紀州路快速は一部を除き、終点まで各駅停車となります。もともと紀州路快速(さらに昔の快速)は和歌山まで通過運転を行っていましたが、普通電車の日根野以南の減便により、今や日根野~和歌山間では特急【くろしお】以外の列車は基本的に各駅停車です。

さて、今や阪和線ではレアな種別となった無名の「快速」。次の列車が該当します。

1)天王寺-和歌山間 かつ関空快速との併結なし
2)大阪環状線~鳳・東岸和田・日根野


1)と2)は同じ無名「快速」ながら、列車の性格が大きく異なります。1)と2)の共通点は天王寺-日根野間の停車駅。2)は大阪環状線発着・紀州路快速の実質区間便と言えます。

一方、1)は天王寺駅阪和線専用ホームの発着かつ、日根野以南も通過運転を行うのが特色です(「日根野以南通過運転する紀州路快速」も停車駅は同じ)。阪和線内停車駅数でいえば、無名「快速」1)が特急以外の最上位種別ということになります。紀州路快速と無名「快速」が和泉砂川で緩急連絡を取り、無名「快速」が先発という、立場逆転だろうと言える例も存在します(例:【和歌山行き平日】 20:25快速 20:27紀州路快速、【天王寺・大阪方面行き平日】08:03快速・天王寺、08:05紀州路快速・大阪)。

阪和線・関西空港線の特急を除く一般列車には、快速系統・普通(羽衣線含む)ともに223・225系3列シート車が共通で使用されています。

かつて、阪和線には「B快速」なる種別もありました。さらに国鉄時代の昔、天王寺-和歌山間に「新快速」が運行された時期もあって(運用車両は113系)、途中の停車駅は鳳のみ(末期には熊取・和泉砂川も追加)、現在の紀州路快速はおろか、特急【くろしお】よりも早かったのは皮肉でしょうか?


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しなの鉄道の115系が2028年までに順次引退すると発表されました。引退に伴い、「プロジェクト115」を立ち上げ、完全引退までの4年間でさまざまな企画を実施するとのこと。

しなの鉄道は、北陸新幹線長野開業(1997年)に合わせ、並行在来線となる信越本線軽井沢-篠ノ井間をJRから経営分離させるために発足。JR東日本からしなの鉄道に115系が譲渡され、2024年現在もまだまだ活躍中。

かつて首都圏・信越から山陽までの広範囲で活躍していた115系近郊型電車も、全国的に数を減らしています。115系がまだ多く残っているJR西日本岡山地区でも、227系への置き換えが始まり、先日227系の運用拡大が行われたばかり。115系終焉へのカウントダウンが始まりました。


"プロジェクト115”の始動について(しなの鉄道)
https://www.shinanorailway.co.jp/news/project_115.pdf



飯田線の旧型国電を置き換える目的で、1983年に登場した国鉄近郊型電車119系。

105系と同様、電化ローカル線用の新性能車で、1M1T方式を採用。駅間距離が短く、カーブや勾配が連続し、200km近くにも及ぶ飯田線に合わせた仕様とされ、3ドア・セミクロスシート車。総数57両を投入。登場時の塗装は飯田線に寄り添う天竜川にちなんで、水色(青22号)に灰色の帯を配したデザインでした。配置は豊橋機関区(静トタ)。119系は新潟地区の越後線・弥彦線電化用にも投入する計画だったようです(結局国鉄財政難により、115系で賄われました。奈良・和歌山線電化開業用にも105系が新造される予定だったが、同様の事情で103系1000番台からの改造で対応)。

119系は全車両JR東海の所属となり、主に飯田線で2013年まで活躍。引退した119系の一部はえちぜん鉄道に譲渡され、MC7000形に改造されました。

国鉄最末期~JR発足初期にかけての一時期、119系の一部が東海道本線に栄転し、「するがシャトル」用に抜擢された時期もありました。国鉄末期の頃、広島をはじめ各地の地方都市圏で利用しやすい「国電型ダイヤ」が導入され、静岡エリアの東海道本線では国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正で「するがシャトル」大増発が行われました。「するがシャトル」は1984年から113系で運用されていたが、増発用に119系2両編成×8本が引き抜かれ、静岡運転所(静シス)に転属。改造対象となる車両には、白と赤の「するがシャトル」新塗装に塗り替えられ、合わせて冷房改造(AU75形)なども行われました。「するがシャトル」に持って行かれた分は、余剰となった165系で補われました。冷房未改造の119系も、JR東海独自仕様のC-AU711D-G3形クーラーが搭載されました。

「するがシャトル」用の119系は、当初興津-島田間を中心とする運用に就いていたが、しばらくして御殿場線にも運用を拡大し、東海道本線内では2両編成×4本の8両編成運用も登場。ただ、119系は加速重視の特性があり、さらに冷房搭載による自重増加も加わって最高速度が90km/hに抑えられるゆえ、駅間距離が長く運転速度の高い東海道本線では運行に多くの支障をきたし問題になっていました。結局2年余で「するがシャトル」は113・115系および新製211系5000番台に置き換えられ、119系は飯田線に里帰りしました。

ちょうど同時期、119系の東海カラーへの塗り替えが始まり、過渡期には飯田線でオリジナル飯田色・するがシャトル色・東海色をつないだ3色3編成の列車も出現しました。



国鉄時代には名古屋を起点とする個性豊かな急行列車が多数存在しました。特に、【赤倉】(名古屋-新潟、中央本線・篠ノ井線・信越本線経由)、【紀州】(名古屋-天王寺、紀勢本線経由)、【大社】(名古屋-出雲市、北陸・小浜・宮津・山陰本線経由)は400~500kmを超えるロングラン気動車急行のキング御三家として有名です。

他にも名古屋始発のロングラン気動車急行がありました。それは名古屋と奥能登を高山本線・北陸本線経由で結ぶ【のりくら】。該当列車は名古屋発夜行便で、定期列車としての行き先は金沢行きですが、臨時で金沢から七尾線~輪島線に入り、珠洲までに達するロングランでした。

当時、能登半島の奥のほうに七尾線(津幡~七尾~穴水~輪島)と輪島線(穴水~珠洲~蛸島)が通っていましたが、七尾線穴水以南を残して全廃。七尾線も津幡~和倉温泉間はJRの電化路線、和倉温泉~穴水間はのと鉄道の非電化路線に分断されています。能登半島は意外に長距離で、金沢市内から奥まで150km近い距離(所要時間3~4時間)のため、かつて金沢駅から能登半島各地を結ぶ気動車急行【能登路】がL特急顔負けの本数で設定されていました。

件の夜行【のりくら】珠洲行きは、走行営業距離472.1km、地味ながら前出の”3 kings of DC Expresse”に匹敵する距離となります。このことからも、能登半島の遠さを実感されることでしょう。美濃太田区所属車で全区間通してグリーン車連結。夜行【のりくら】は高山本線沿線への新聞輸送が主な任務でした。珠洲までの延長運転が行われた理由は、観光需要はもちろん、名古屋から能登半島への出稼ぎ帰省客需要への対応という側面もあったようです。輪島線内は定期普通列車として運転されました。途中、岐阜・富山・金沢で都合3回スイッチバック。津幡-金沢間は重複運転でした。

夜行【のりくら】は1984年2月ダイヤ改正で廃止されました。翌年のダイヤ改正で【のりくら】の富山-金沢直通も廃止。そして1990年、【のりくら】はキハ85系の特急【ひだ】に置き換えられました。

新年早々の能登大地震で輪島市や羽咋市の被害は甚大で、1000年以上の歴史を誇る輪島の「朝市通り」は壊滅的のようです。仮に今まで奥能登への鉄路が存続したとしても、この地震の被災を機に廃止という可能性も考えられます。


1996年は但馬路(兵庫県北部)の鉄道がかなり大きく変わった年でした。JR山陰本線京都口(京都-福知山)の完全電化に伴い、気動車特急【あさしお】および急行【丹後】【但馬】は廃止、485系から改造の183系電車特急に生まれ変わりました。183系も287・289系に置き換えられ、もはや過去のものに。

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廃止直前のキハ181系【あさしお】 豊岡にて
【あさしお】廃止後、キハ181系はほぼ【はまかぜ】の独壇場となる

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豊岡で113系と117系が並ぶ 右側は豊岡車両基地

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城崎に停車中のキハ47浜坂行き 隣の117系もはるばる福知山線から城崎まで乗り入れていた

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城崎(城崎温泉)駅前 賑やかな温泉街の佇まいだ

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登場したばかりの183系特急【きのさき】 和田山にて
右側には急行【丹後】廃止で廃車待ちのキハ58系が留置

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鎧駅に停車中のキハ58系普通列車

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鎧駅ホームから海を望む

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浜坂にて

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東浜駅(鳥取県)でのキハ58系・キハ47のツーショット

 


もし北陸本線が全線直流電化だったら、北陸本線と周辺路線はどうなったのでしょうか? 思いつくままに挙げてみました。

◎電車特急は大阪-青森間の【白鳥】を除いて直流型183・189系を大量投入、485・489系の製造両数は史実より少なかった(【白鳥】は廃止までJR東日本所属車両を使用)

◎寝台電車581・583系(「月光型」電車)の製造両数がどうなったのかは微妙。ただ、史実の通り、南福岡所属車が間合いで【雷鳥】【しらさぎ】に入った可能性はある

◎電車急行【くずりゅう】【立山】【ゆのくに】に153・165系を投入、東海道・山陽系統の電車急行と共通運用

◎普通列車電車化のペースは早く115系を投入、165系なども一部使用

◎湖西線の113系は敦賀まで直通運転

◎糸魚川~直江津間には信越本線長岡方面と直通する普通電車を運行、金沢・新潟鉄道管理局境は糸魚川付近だった可能性

◎米原口普通列車の気動車運用は早期廃止(東海道本線京都・大阪方面からの直通電車を設定)

◎583系から改造の419系「食パン電車」、そして413系電車は登場しなかっただろう(普通電車の増発は113・115系の改造で対応しただろう)

◎高山本線は全線直流電化、【ひだ】に381系投入(名鉄から直通の【北アルプス】は早期に廃止の可能性)

◎大糸線全線電化、新宿~金沢間に中央本線・大糸線経由の特急電車を運転、大糸線は全線JR東日本管内の可能性も

◎後年電化された七尾線にも113・115系を投入

◎高山本線に続き太多線も電化(→JR東海管内の非電化路線は紀勢本線・名松線・参宮線のみに)

◎急行【しらゆき】(金沢-青森)は史実と同様、気動車のままだっただろう

◎急行【きたぐに】(大阪-新潟)は廃止まで【銀河】と共通の24系客車で運用?

◎485系が【くろしお】【北近畿】に転用されなかった可能性が大きい



(その1)
http://katanogawara.blog.jp/archives/43689582.html
の続きです。

JR西日本のキハ35系で注目すべき動きは、和田岬線(正式には山陽本線和田岬支線)への転用でしょう。

和田岬線は神戸市街地の兵庫-和田岬間1駅だけを結ぶローカル線(全長2.7km)。JR発足後も、旧型客車(牽引機はDE10)が営業列車として走っていた唯一の路線です。和田岬線の旅客輸送は港湾エリアの工場通勤客専用と化しており、列車は朝夕通勤時間帯のみに運行されるため、JR西日本有数の黒字路線のようです(このほか、鉄道車両工場からの車両搬出輸送などにも活用されている)。和田岬線用の旧型客車は、短い所要時間で大勢の通勤客を輸送することを目的に、ロングシート化、あるいは座席を撤去した特別仕様でした。

しかし、和田岬線にも運用効率化の波が押し寄せ、1990年10月よりキハ35形気動車に置き換えられることになりました。和田岬線の輸送実態に合わせ、8両をキハ35形300番台に改造。主な改造内容は、

1)客用扉を片側のみとする
2)2両ワンペアとし、片側はエンジン無しの付随車「キクハ」とする


和田岬線の停車駅は、兵庫・和田岬の2駅で、いずれも西側にホームがあるため、東側の扉は非常用の1枚を除いて鉄板で塞がれました。また、和田岬線は距離の短い平坦路線ゆえ、いくらDMH17型の旧式エンジンでも、全車両エンジン付きはさすがにスペック過剰という判断だったようで、2両ワンペアで片側はエンジン無しとし、燃費ほか経費節約が図られました。冷房改造は無し。改造車と対応する種車は以下の通りです。

キハ35 301(元 キハ35 123)
キハ35 302(元 キハ35 137)
キハ35 303(元 キハ35 189)
キハ35 304(元 キハ35 207)

キクハ35 301(元 キハ35 156)
キクハ35 302(元 キハ35 157)
キクハ35 303(元 キハ35 181)
キクハ35 304(元 キハ35 194)


実際の運用は、キハ35+キクハ35を3本つないだ6両編成でした。所属は鷹取区→網干区。キハ35系の長編成運用は、関西本線奈良電化前の頃を彷彿とさせるものでした。

21世紀に入り、2001年7月、和田岬線もついに電化されることになりました。JRグループでのキハ35系も既に風前の灯で、和田岬線が全国で最後の営業運転した。電化後、和田岬線では103系スカイブルー6両編成を使用。キハ35・キクハ35-300番台は2002~04年にかけて廃車されました。電化から22年経過した2023年、103系は引退し207系に置き換えられました。和田岬線の103系は原形に近い姿での最後の活躍でした。


2024年3月JRグループダイヤ改正関連で、JR東日本・中央線快速の大月発着の増便が一つの注目ポイントになっています。

東京近郊区間の中央線(正式路線名は中央本線)快速は基本的に東京~高尾間での運行ですが、一部時間帯において山梨県の大月まで延長運転されています。今度の改正では、昼間時間帯に大月発着の快速が8往復増便されます。1本を除き、全て「中央特快」での運行となります。

今回、大月発着が増便される理由の一つに、インバウンド増加などに対応した、富士山へのアクセス強化が挙げられます。大月駅は富士急行との接続駅で、富士山への玄関口になっています。中央線快速(E233系)では、グリーン車の導入準備が着々と進行中で、着席通勤はもとより、高尾山や富士山への観光客の需要も見込まれます。今度の大月発着増便は、中央線快速でのグリーン車運用開始後を視野に入れた準備とも言えそうです。

合わせて、中央本線(中央東線)列車系統見直しへの布石と見ることもできます。中央本線高尾以西(甲府・小淵沢・松本方面)の普通列車には現在長野区211系が充当されているが、経年に伴い車両代替(E129系またはE131系?)が予想されます。新車導入のタイミングで、現在中央線快速とは基本的に高尾(ごく一部に立川)乗り継ぎであるところ、山岳地帯に入り大月での乗り継ぎパターンが増えるのではないかとも言われています。

中央線「大月行き」 昼間に大増発へ 「富士山の玄関口」(乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/129954



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なんとなく撮っていた31年前のJR環状線。大阪駅のようです。急行【きたぐに】で東北へ旅立つ日でした。

103系高運転台が懐かしいです。関空が開業する前のことで、環状線といえばこのオレンジ色103系ばかり、たまに白い221系の大和路快速がやって来る、といった感じでした。

大阪駅の環状線ホームは、当時「環状1」「環状2」という番号で、隣の福知山線のりばから1・2番と北へ順に続いていました(現在は1・2番ホーム)。案内サインなどもまだまだ国鉄テイストが濃厚でしたね。

現在、環状線内回り用の1番ホームは、環状線内をぐるぐる回る電車(各駅停車)だけでなく、【関空・紀州路快速】、【大和路快速】、そしてUSJ方面桜島行きの電車も発着する華やかさです。行先がバラエティに富んで、乗り間違えると遠心力で関西空港・和歌山や奈良へ飛ばされる初見殺しのホームとして、話題になっています。 

 


2024年3月JRグループダイヤ改正では、JR東海・中央本線(名古屋-中津川間)がかなり大きく変わります。

同区間を走る快速・普通列車は315系に統一され、最高時速130km/hにスピードアップします。JR東海における特急以外の在来線列車で130km/h運転は、中央西線快速【セントラルライナー】以来とのこと。

合わせて昼間時間帯の「快速」は、停車駅に新守山・神領を加えた「区間快速」に変わります。新たに登場する「区間快速」の通過駅は定光寺・古虎渓の2駅のみとなります。昼間時間帯のダイヤパターンは、名古屋駅を起点に

区間快速・瑞浪行き1本/h、区間快速・中津川行き2本/h、
普通・高蔵寺行き1本/h、普通・多治見行き 2本/h


となります。

中央西線は名古屋エリア屈指の混雑率の高い路線であって、かつ東海道本線のように私鉄との激しい競合路線ではなく、昼間時間帯の快速電車に停車駅を追加して区間快速に変更するというパターンは、京阪神エリア(JR西日本)の学研都市線・JR東西線・JR宝塚線に共通していると言えます。ロングシート車に統一されているのも、JR東西線・学研都市線との共通点ですね。


JR各社から2024年3月ダイヤ改正の概要が発表されました。

JR西日本では北陸新幹線敦賀延伸開業に伴い、北陸方面特急列車の運行体系が大きく変わります(全列車敦賀折り返し)。近畿圏(京阪神エリア)でも通勤特急の増発、【はるか】全列車定期運転化&9両編成をはじめ、大和路線・おおさか東線有料座席列車(うれしート、2023年10月よりサービス開始)増便、嵯峨野線増発などが行われる予定です。特に目新しいのは、大和路線に通勤特急新設。

大和路線(関西本線)の通勤特急は、【らくラクやまと】。運行区間は奈良~新大阪間で、天王寺・大阪経由。停車駅は、

奈良~王寺間各駅、久宝寺、天王寺、大阪(地下ホーム)、新大阪

運行ダイヤは、

奈良 7:16発 → 大阪 8:13着 → 新大阪 8:19着
新大阪 19:43発 → 大阪 19:49発 → 奈良 20:46着


の1往復で、平日のみの運転です。287系での運用と思われます。

大和路線内(奈良~天王寺間)の停車駅は快速・大和路快速と全く一緒ですが、着席通勤需要に応えることがこの列車の主な目的で、今後が期待されます。

今度の【らくラクやまと】は、気動車特急【あすか】(名古屋-東和歌山、阪和貨物線経由)以来、50数年ぶりの奈良県における国鉄・JR定期特急列車ということになります。奈良県内の臨時特急列車は、近年【まほろば】(大阪-新大阪-奈良、おおさか東線経由)が観光シーズンの土休日に運行されています。【らくラクやまと】は運行区間こそ【まほろば】と同じだが、天王寺経由であること、および列車の利用客層が【まほろば】と大きく異なります。しかし、2024年度以降も【まほろば】が運転されるとなれば、奈良県にほぼ毎日JRの特急列車が走ることになります。

また、2024年秋を目処に名古屋-奈良間直通(関西本線経由)の臨時列車が実験的に運行される方向に動いており、長年近鉄に対して劣勢に甘んじていた関西本線および奈良県のJRは今後が楽しみと言えるかもしれません。


24年春のダイヤ改正について(JR西日本、京阪神・和歌山・南紀・北近畿エリア)
https://www.westjr.co.jp/press/article/items/231215_00_press_daiyakaisei_kinto.pdf



関西本線亀山-加茂間の活性化事業の一環として、2024年秋を目処に同線名古屋~奈良間を直通する列車を実験的に運行することを目指す取り組みが、三重県・伊賀市とJR西日本を中心に進んでいるようです。さっそくSNSなどでホットなニュースとして盛り上がっています。名古屋~奈良直通列車といえば、2006年まで運行していた急行【かすが】を思い出すことでしょう。実現すれば(JR東海との調整が必要)、【かすが】廃止以来18年ぶりの直通列車ということになります。

詳細は割愛しますが、主に廃止直前の頃の画像で【かすが】在りし日を偲びたいと思います。

急行かすが
地上時代の奈良駅にて 発車を待つキハ75系名古屋行き202D

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夕方に柘植に停車中の202D名古屋行き

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名古屋行き202D 月ヶ瀬口-大河原間

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廃止前日の202D名古屋行き
「お別れ乗車」に対応するためか、4両編成での運行だった

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キハ75系サイドビューと行先表示幕

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kasuga1987-1
国鉄末期(1987年3月) 奈良駅で16時30分の発車を待つ
キハ28・58・65の5両編成で運行だった
なぜか亀山-奈良間のみの増結車が設定されていた

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快速みえ色のキハ58系が使用されていた頃
右側の103系帯なし(区間快速・JR難波行き)も懐かしい


JR九州の近郊型電車813系が全車両 (82編成、計246両)をロングシート化すると発表されました。2023年12月より運用開始します。全車両のロングシート化改造は2028年度までに完了予定とのこと。

813系は1990年代以降に導入され、福岡・北九州地区の鹿児島本線・日豊本線をはじめ、新規電化開業の筑豊本線・篠栗線(2001年)にも投入。813系の座席は転換クロスシートを採用されていたが、近年混雑緩和を目的に一部座席を撤去する車両も発生しています。

今後、813系全車両をロングシートにリニュアルする予定です。ロングシート化によって混雑率緩和が期待されており、1編成(3両)あたり定員90名増加するといいます。改造後の座席内訳は、1編成(3両)あたりロングシート120席、ボックスシート(クロスシート)28席とのこと。車端部のクロスシートは残ります。

813系の運用区間は、鹿児島本線(門司港-荒尾)、長崎本線(鳥栖~江北)、日豊本線(小倉~佐伯)、筑豊本線・篠栗線(直方~博多)です。

813系電車ロングシート化します(JR九州)
https://www.jrkyushu.co.jp/news/__icsFiles/afieldfile/2023/11/30/231130_813_long-seat.pdf



JR西日本山陽地区を走る黄色い国鉄型電車。「瀬戸内の太陽」をイメージする色とされています。既に広島地区では227系に置き換えられて撤退しましたが、岡山・山口地区ではまだまだ活躍中です。ただ、岡山地区でも227系500番台「Urara」への置き換えが始まり、2024年1月に運用拡大が発表され、新たに姫路や新見まで乗り入れる予定です。

黄色の電車たちは、単色化という名の経費削減によるネガティブイメージからなのか、「末期色」などと揶揄されたりします。しかし、「幸せの黄色いハンカチ」という言葉もあるように、もっとポジティブに評価されるべきだろうと思いました。「幸せの黄色い電車」とでも呼びましょうか?

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岡山に停車中の115系

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岡山の117系は運用終了

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尾道にて

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この平べったい顔の115系も

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糸崎にて 227系と115系のツーショット

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糸崎にて

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三原に停車中の呉線105系

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播州赤穂にて 223系姫路行きと連絡



福知山線(JR宝塚線)で活躍していた103系。 

福知山線の103系は1981年尼崎-宝塚間電化開業時に登場しました(電化を前に同区間の複線化も完成)。大阪初のカナリアイエロー色で6両編成×6本(4M2T)を宮原電車区(大ミハ)に配置。全て新製の高運転台車で、編成単位としては103系の最終増備車でした(福岡市営地下鉄直通用1500番台を除く)。103系は大阪-宝塚間折り返しの普通電車で運用。宝塚以遠に直通する(旧型)客車や気動車(主にキハ47、一部急行間合いのキハ58系あり)スジの間を埋めるような運行スタイルでした。大阪都市圏にありながら電化が遅れローカル線同然だった福知山線であって、並行する阪急宝塚線とは競争相手にならず、せっかく電化されたのに利用客は伸び悩んだようです。

さっそく1984年2月ダイヤ改正で、福知山線用103系は6両から4両に短縮。捻出されたモハユニットは、首都圏の常磐線・山手線に転用する計画だったようです。実際、宮原から下記モハユニット2両×2本

モハ103-776 + モハ102-2033 (→池袋)
モハ103-778 + モハ102-2035 (→松戸)


へ転属しました。

残り4ユニットは、同じ大鉄局管内の片町線(学研都市線)(淀川電車区)に転属。本来6ユニット全て首都圏に渡っても不思議ではないところ、上記2ユニット以外は片町線からの転属で賄われました(すなわち、ミハからの転属による玉突き)。なぜこんな回りくどい転属を行ったのでしょうか?

ちなみに、大鉄局管内(東海道・山陽線、大阪環状線、桜島線、片町線、福知山線)の103系電動方向幕は、共通のコマ内容でした。なぜか電化未開業区間の「広野」も入っていたようですね。

(参考資料)
通勤電車シリーズ 103系 30 福知山線(B767-281のブログ)
http://b767-281.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/103-8515.html


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JR木次線の観光トロッコ列車「奥出雲おろち」号が2023年11月23日の運行をもって終了しました。

「奥出雲おろち」号は1998年より木次線で運行開始。利用客減少が著しい木次線の活性化を目指し、12系客車をトロッコ風に改造して投入。DE10形の牽引で運行してきました。毎年およそ15000人の乗客を木次線に呼び込み、沿線住民に愛される観光列車に育ちました。しかし、運行開始から25年目の節目を迎え、車両老朽化等を理由に、2023年秋の運行をもって引退することが決まりました。

「おろち」号に代わる観光列車として、2024年度より「あめつち」(キハ47)が木次線で運行される予定です。ただ、運行日数は年間の3分の1ほどに減り、運行区間も宍道-出雲横田間に短縮。木次線のハイライトである出雲坂根まで行かないのは残念です。出雲横田から先はキハ120に乗り継ぐしかなさそうですね。

JR木次線の観光トロッコ列車「奥出雲おろち号」 運行終了(NHKニュース)
https://www3.nhk.or.jp/lnews/matsue/20231123/4030017692.html


JR西日本に継承されたキハ35系の動きについて調べてみました。

1987年4月JR発足の時点でのキハ35系の配置状況は以下の通りでした。

(1)1987年4月1日現在
【姫路運転区加古川支区(近ヒメ)】
(キハ30)63 69 70 71 72 73
(キハ35)123 137 156 157 167 
 
【亀山運転区(近カメ)】
(キハ35)181 189 194 206 207

【富山運転区(金トヤ)】
(キハ30)27 
(キハ35)116 117 147 175 195 196 202 204

【小郡運転区(広コリ)】
(キハ30)82 83 84


(出典:きはゆに資料室)

まず、この時点で加古川(1987年時点では姫路の支所扱い)と富山にキハ35系がまとまった数だけ在籍していたのは驚きです。加古川線および鍛冶屋線(廃止)はキハ35系が比較的多かったが、支線区の第三セクター化などに伴い、国鉄末期までに相当数廃車されています。加古川線・鍛冶屋線ではキハ20・23・40・47との混結で使用されていました。さっそく加古川のキハたちは、エメラルドグリーンを基調とする地域カラーに順次塗装変更されました。加古川のキハ35系は鍛冶屋線廃止および加古川線ワンマン運転開始(1990年)の時点で、運用離脱(キハ20・23も同時期に撤退)。加古川線ワンマン列車はキハ40・47に統一されました。

雪国の富山にキハ35系がいたのは意外と思われるかもしれません。富山のキハ30系は、主に平坦線区の氷見線・城端線で運用されていました。富山には国鉄末期に名古屋から転入した車両(キハ35-175号)もいました。ちなみに名古屋所属のキハ35系は、武豊線で運用されていたが、国鉄末期までに一掃。

亀山所属車は主に関西本線(亀山-奈良)と片町線(木津ー長尾)において、キハ58系などとの混結で運用(JR東海の紀勢本線亀山-多気間にも乗り入れていた)。関西本線といえばキハ35系発祥の地として有名だが、国鉄時代の最盛期に比べて大幅に数を減らし、JR西日本に継承されたのはわずか5両のみでした。片町線全線電化(1989年)を経て関西本線亀山-加茂間ワンマン運転開始(1990年)までに、関西本線からキハ35系が引退しました(一時的に加古川線色のキハ35が転属したこともある)。ワンマン列車はキハ28・58に統一されるが、早くも3年後にはキハ120に置き換えられました。

小郡区のキハ30は、主に山陰本線仙崎支線と美祢線大嶺支線で使用。


2023年11月5日、JR貨物が八戸~大阪間に貨物列車「全農号」を運行開始しました。

「全農業」は「米専用列車」として、東北と北陸のお米を一大消費地である東海~西日本方面へ届けることが目的。運送業界「2024年問題」でトラック運転手が不足することを見据えて、米の安定供給を図ったものです。3度の試験運行を経て、定期便となる予定です。一列車あたりの輸送量は、約500トン、貨物コンテナ100基分に相当します。

運行ルートは

八戸貨物駅~東青森駅~秋田貨物駅~新潟~金沢~大阪(百済貨物ターミナル)

大阪側の終点が百済貨物ターミナルということは、おおさか東線を走行するということで正しいでしょうか?

今回の米専用列車運行の効果が、広域交通輸送網としての鉄道の価値が再評価され、特に函館本線山線区間廃止を見直す契機になれば良いですね。


JR「米専用列車」爆誕!? 八戸~大阪で約1000km走破
「全農号」運行開始で"安定供給ルート"めざす(乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/129067

コメ専用貨物列車の全農号が運行 トラック運転手不足に対応(東京新聞)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/288381



国鉄直流急行型電車165系のクハ1両、「クハ165-169」。

とあることから、気になった車両の一つです。

まず、クハ165-169号は、京阪神の新快速で活躍した経歴があります。すなわち、「ブルーライナー」塗装になった時期があります。 同車は1968年川崎車両にて竣工、大垣電車区(名カキ)に新製配属されました。そのおよそ半年後宮原(大ミハ)に転属し 、大阪を拠点とする東海道・山陽本線の急行列車(【比叡】【鷲羽】【山陽】【はやとも】など)で活躍しました。

1972年山陽新幹線岡山開業に伴い、山陽本線の急行列車縮小により153・165系は余剰となり、京阪神地区(東海道・山陽本線草津-姫路間ほか)の新快速電車にて第二の活躍をすることになります。灰白色の車体に青帯を配した「ブルーライナー」という塗装に改め、新快速デビューを果たしました。「ブルーライナー」塗装は、阪和線用113系にも採用され、阪和線でも新快速を運転開始(阪和線の新快速はわずか6年の短命に終わりました)。新快速色の車両は、時折急行【比叡】【鷲羽】にも使用されたようです。

153・165系の新快速での活躍は長くありませんでした。私鉄王国関西にあって、急行型のボックスシートでは、特別料金なしとはいえ、ライバルの私鉄特急を凌駕することは難しかったようです。新快速用車両には私鉄の無料特急レベルのクオリティが求められるようになります。そこで、1979~80年に大阪鉄道管理局の意地をかけて設計・開発を手がけた新型近郊型電車117系を投入。153・165系は順次新快速運用から撤退し、大垣ほかに転属しました。クハ165-169も1980年2月、生まれ故郷の大垣に転属。

大垣所属時代は、名古屋地区の快速を中心に、東海道本線東京口の急行【東海】、大垣夜行(普通列車)、身延線の【富士川】、飯田線の【伊那】、さらに大阪口の【比叡】で広範囲に活躍(【比叡】は1980年10月改正にて宮原から大垣に移管)。この体制が数年続くが、その間名古屋地区快速に117系投入、【伊那】【比叡】廃止に伴い、165系にも余剰が発生。

1985年年初、クハ165-169に転機が訪れました。なんと郡山工場で交直流455系に改造されたのです。間近に迫った1985年3月ダイヤ改正では東北地方の福島・仙台都市圏において客車列車を電車に置き換えることが決まるが、国鉄の厳しい財務状況のもと新型電車を製造する余裕がなく、急行列車廃止で余剰となる455・457系などが活用されました。「待たずに乗れる」都市型(国電型)ダイヤに脱皮すべく、運用本数増加が必要になるが、何しろ先頭車が不足。そこで、苦肉の策として165系クハを種車として455系クハへの改造が行われました。結果、クハ165-169はクハ455-312に形式・番号変更。外観スタイルには目立った変化はないが、客用扉には交直流用に合わせステップを新設。

かつて、京阪神の新快速で颯爽と飛ばしていた車両が、遠く東北の地でローカル運用で余生を過ごすことになるとは、感無量ですね。クハ455-312は仙台所属となってJR東日本に継承され、2008年まで生きながらえました。2008年の時点で、既に165系ほか直流急行型電車はJR各社において形式消滅しており、クハ455-312号は「165系の生き残り」、さらに「新快速2代目の生き残り」として注目の的でした。末期は独自の派手な塗装になって磐越西線で活躍していました。


【クハ165-169に新快速色が配されたことを確証する資料】
大垣電車区急行型電車のこと(その18)
(Railway Photo Collections since 70s)
http://blog.livedoor.jp/railway_fun/archives/23755598.html




かつて名古屋-新潟間を中央本線・篠ノ井線・信越本線経由で結んだロングラン急行列車【赤倉】。

【赤倉】といえば、全区間直流電化なのに、ずっと気動車(キハ58系)で運用されていたことで有名ですね。その【赤倉】も、1982年11月ダイヤ改正でようやく165系電車に置き換えられるが、1985年3月ダイヤ改正で長野-新潟間の運転に短縮とともに、【南越後】に改称されました(名古屋-長野間は特急【しなの】に格上げ)。

【南越後】は引き続き165系での運用ですが、前の【赤倉】時代とちがって、グリーン車の連結もなくなり、普通車6両ぐらいの短い編成で、ローカル色が濃くなりました。それでも、信越本線(高崎-軽井沢-長野-直江津-新潟)のおよそ3分の2(210km)をひたすら走破していたことは、驚きです(さらにいえば、長野以南へ普通列車として松本または上田まで直通していた)。JR発足後、全運行区間JR東日本管内(長野支社、新潟支社)となります。一方、【赤倉】は名古屋-妙高高原間の臨時列車となりました。

3年後の1988年ダイヤ改正で、信越本線を走る電車急行【南越後】【とがくし】は【赤倉】という名前に統合されました。定期列車の急行として3年ぶりに【赤倉】の名前が復活したことになります。【赤倉】は3~4往復ほどの運行体制となりました。急行激減時代にあって、3往復以上の本数を持つ急行列車は貴重でした。首都圏や関西から北陸方面の特急電車、そして日本海縦貫の寝台列車などが盛んに行き交う本線において、165系の急行数本が地味ながら健闘していたのも、すごいですね。なお、1988年のGWに限り、名古屋-妙高高原間の臨時急行は【赤倉81・82号】として運転され、新潟発着の【赤倉】と名前が被ったようです(次シーズンより【信越高原】号に改称)。

以降の【赤倉】には、「ムーンライトえちご」用の改造車も入る一方、原型姿を保つ国鉄色も使用され、トップナンバーのクハ165-1の最後の勇姿としても知られます。【赤倉】には新潟支社(上沼垂)所属の165系を使用。長野県内において、信州色の165・169系、そしてJR東海所属の国鉄色が多い中、新潟色の165系は違和感のある存在だったことでしょう。

1997年北陸新幹線長野開業と同時に、【赤倉】は廃止され、特急【みのり】に変わりました。ただ、【みのり】の特急時代は長くなく、2002年快速【くびき野】に格下げ(運転区間も新井-新潟間に短縮)。2015年北陸新幹線金沢延伸開業と同時に、【くびき野】は特急【しらゆき】(E653系使用)に生まれ変わりました。




久しぶりに国鉄時代のユニークな急行列車を取り上げたいと思います。

今回は九州の気動車急行【西九州】。温泉郷・別府と西九州の港町である佐世保・長崎を久大本線・長崎本線経由で結んだ九州横断急行です。 大分県を代表する温泉郷、別府・湯布院から佐世保や長崎まで直通する列車で、九州観光にも重宝されたことでしょう。別府港は大阪・神戸からのフェリーが発着する九州の東のターミナルで、関西方面フェリーとの連絡も意識されていたようです。1964年~1980年の16年間にわたって運行されていました(1964~66年は準急、以降急行)。

走行路線は、日豊本線・久大本線・鹿児島本線・長崎本線・佐世保線。鳥栖-佐世保間は博多発着の【出島】と併結運転。【西九州】の佐世保編成と長崎編成は肥前山口で分割併合でした。気動車ならではの典型的な多層建て急行でした。

【西九州】は1980年10月1日ダイヤ改正をもって廃止されました。その後、別府~博多間の【由布】に置き換えられる格好でした。

廃止直前のダイヤ(1980年4月)は、

(西行き)
2612D 別府 8:10 → 長崎 13:53 / 佐世保 13:19 
           (グリーン車は佐世保行きに連結)
           (鳥栖-佐世保間【出島3号】と連結)
(東行き)
2611D 長崎 15:18 / 佐世保 15:49 → 別府 21:01
           (グリーン車は佐世保発に連結、大分-別府間普通列車)
           (佐世保-鳥栖間【出島10号】と連結)

でした。

同ダイヤ改正で九州の急行列車は大幅に整理縮小。関西~九州直通の夜行急行は一斉に全廃、九州内の電車急行(457・475系)は大半が特急に格上げされました(1982年11月改正の時点で九州の急行型電車は全てローカル運用に)。山陰(鳥取)から熊本までのロングラン【さんべ】は、九州内は快速に格下げとなり博多発着に短縮。筑豊地区のホープで次世代(近郊型)気動車キハ66系も、登場からわずか5年で急行運用がなくなりました。

「西九州」という類の、わかりやすい反面芸のない列車名は、のちに登場した福知山線の電車特急【北近畿】や、信越本線の急行【南越後】などの例がありますね(【南越後】はルーツがかの有名なロングラン【赤倉】で、ほどなくもとの【赤倉】に変わった。一方【北近畿】は2011年、【こうのとり】に改称)。



JR東日本鶴見線・国道駅について。

国道駅は横浜市鶴見区にある駅。起点・鶴見駅から一つ目の駅です。

国道駅の開業は1930年。鶴見臨海鉄道の駅として開業しました。その後、第二次世界大戦中の1943年、鶴見臨海鉄道は国有化され、国鉄鶴見線に。 京浜国道こと国道15号線と交差することから、「国道」という駅名が付いたそうです。

1日平均乗車人員1,500人前後(2008年度まで)の無人駅です。

国道駅にはレトロでディープな雰囲気が魅力とのことで、機会があれば途中下車してみたいところ。『野良犬』(黒澤明監督)や『幻の光』(是枝裕和監督)、『華麗なる一族』最終話など、映画・ドラマのロケ地として使用されることも多いです。

国道駅付近には、京急本線の花月総持寺駅(西200m)があります。この駅はかつて花月園競輪場という駅名だったが、2020年現駅名に改称されました。花月園競輪場は2010年に閉鎖(競輪場の場所にはかつて花月園遊園地があったが、終戦直後に閉園)。競輪場の跡地は鶴見花月園公園として整備されています。

「国道」の付いた鉄道駅名は、ほかに阪急今津線・阪神国道駅(兵庫県西宮市)があります。

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2023年鉄道の日を記念して、JR西日本山口エリアで115系瀬戸内色が復活。

クリーム色の車体に青い帯を巻いた塗装デザインです。このカラーは国鉄末期1982年に「広島シティ電車」として登場したもので、フラッグシップの新車115系3000番台に採用されました。以降、広島・山口エリアの115系、またのちに転入してきた103系もこのカラーに変わり、山陽本線・呉線を中心に活躍。「瀬戸内色」として2015年までの33年間にわたり親しまれました。

広島地区は全て227系に置き換えられました。残りの115系(そして117・105系ほか)も、2009年より黄色単色の「瀬戸内カラー」に順次変更されました(「末期色」と揶揄されていますね)。今回、山口エリアに残る115系の1編成(下関N-04編成)が、復刻・瀬戸内色に塗り替えられました。


国鉄キハ40形2000番台の2両、2028号と2032号。

この2両はとても奇遇な人生を歩んできました。

まず、2両とも新潟鉄工製で1979年11月同日付けで、亀山機関区(天カメ)に納車。さっそく、関西本線・紀勢本線・参宮線などで活躍開始。翌年1980年3月まで3ヶ月余りの間だけ、電化前の草津線での運用歴もあります。しばらく亀山で同僚仲間として共に過ごし、のちに伊勢線(→伊勢鉄道)や片町線(木津-長尾)にも活躍の場を広げるも、国鉄分割民営化前年の1986年3月以降、彼らは運命の分かれ道を歩むことになります。

2028号は岡山(岡オカ)、2032号は伊勢(天イセ)(※1)にそれぞれ転属しました。2028号はそのままJR西日本(岡山支社)に継承。2032号は同じ天王寺鉄道管理局管内(※2)での移動だったものの、JR東海の所属となり、三重県下の紀勢本線・名松線・参宮線で引き続き活躍。

2028・2032号とも、JRになってから改番・改造を受けています。2028号は30年前の1993年にロングシート化改造を受け、3000番台3003号に改番されました。2023年現在に至るまで、2028→3003号は岡山エリアを離れることなく、津山線・吉備線などで活躍中です。

一方、2032号は1990年にエンジン換装(カミンズ製C-DMF14HZに交換)&冷房化改造を受け、5000番台5032(原番号+3000)に改番。 その後も伊勢所属で紀勢本線・参宮線で活躍を続けました。さらに10年後の2000年には、再び改番を受け、3000番台の3003号となります。2032→5032→3003号は2016年までに廃車されました。

2028号と2032号は、所属会社こそ違うが、最終の番号はなんと、同じ3003号を名乗っているのです! JR発足後、同じ国鉄型車両で異なる会社間で車両番号の一致する例は、少ないながらも存在しており、キハ40-3003号はその好例と言えます。すなわち、生まれは同じ新潟鐵工所→亀山機関区、最終番号は同じ3003号で一致という、なんとも奇遇ですね。2000~2016年までの間、この世に「キハ40 3003号」が2両共存していました。


(※1)(※2)天王寺鉄道管理局管内は、亀山・新宮駅を境に東側はJR東海、西側はJR西日本に受け継がれた。亀山機関区はJR西日本に継承され、2023年現在吹田総合車両所京都支所かめやま運転区に改組。伊勢運転区はJR東海伊勢車両区となったが、2016年廃止(→名古屋車両区に統合)。


身延線を走る特急【ふじかわ】。

静岡・富士~甲府間を東海道本線・身延線経由で1日7往復運行中です。使用車両は373系3両編成(普通車のみ)。身延線沿線には、日本三大急流の一つである富士川が北から南に流れており、列車名の「ふじかわ」は富士川に由来するものです。身延線は静岡県と山梨県を直接連絡する唯一の鉄道路線とともに、山梨県内唯一のJR東海管轄路線です。沿線の身延山(標高1153m)には日蓮総本山の久遠寺があり、しだれ桜の名所として知られます。

373系【ふじかわ】のデビューは1995年。従前身延線を走行していた急行【富士川】の165系を置き換えることを目的に373系が製造され、同時に特急列車に格上げされました。

特急【ふじかわ】は、身延線の線形の悪さと停車駅の多さゆえに、「遅い特急」として知られています。身延線内の表定速度は50km/h以下の箇所も多く、身延線全線(富士~甲府)88kmを走破するのに2時間近くかかります。

【ふじかわ】の利用客の流れは、大きく次の3つに分けることができます。

1)静岡駅での東海道新幹線(名古屋・大阪方面)からの連絡
2)富士駅での東海道本線(静岡県東部および京浜地区)からの連絡
3)甲府駅での中央本線【あずさ】【かいじ】(新宿方面)からの連絡


【ふじかわ】の利用状況は、東海道新幹線からの乗り継ぎ客に大きく支えられていると言えます。というのも、新幹線からの乗り継ぎ割引(在来線特急料金が半額)が適用されるため。また、身延線内の特急料金は安く設定されていることから、線内区間利用も意外に多いようです。

373系の登場から30年近く経過し、また中部横断自動車道の全面開通と高速バス新設、さらに2024年春の新幹線乗継割引廃止によって【ふじかわ】の利用客減少が予想され、【ふじかわ】には後継車両もなく廃止されるのでは、との心配もあります。


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JR東海・中央本線から211系5000番台の完全引退も近い模様です。これに伴い、名古屋-中津川間の普通・快速電車は315系8両編成に統一されることになります。なお、中津川-塩尻間ではJR東日本長野区の211系1000・3000番台が引き続き運用中です。

一方、急遽211系5000番台が関西本線へピンチヒッターで入ることになりました。近鉄の運賃大幅値上げの影響で関西本線の利用客が急増しているようです。関西本線といえば、2022年春まで国鉄型211系0番台が最後の活躍をしていたことで知られています。

(訂正)2023年10月5日現在、神領K1・K5・K17・K18の4編成のみがまだ残っているとの情報がありました。不正確な情報を出してしまい、お詫び申し上げます。ソースは↓
https://twitter.com/Matsu_toki1315C/status/1709549821793796280
誤解を招かぬよう、表題を含め訂正しました。

【JR東海】関西線に211系投入へ、10月から(鉄道プレス)
https://207hd.com/post-34017/



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1991年当時の東京駅横須賀・総武線ホーム(地下)にて。

まだまだ113系(スカ色)の天下でした。その後、E217系がデビューするが、現在E235系への置き換えが進んでいます。

横須賀・総武線用の113系は、地下区間(錦糸町-東京-品川間)乗り入れ対応に1000番台とし、難燃性・不燃性対策が施されたほか、普通電車として初めて循環式トイレが導入されました(従来の国鉄電車のトイレは垂れ流し方式。そのため、大阪圏の住宅密集地で使用される113系では、トイレ完全使用停止だった路線もある)。


天空の竹田城跡で有名な播但線・竹田駅(兵庫県朝来市)から、京都市の竹田駅までのノーラッチ乗車ルートを考えてみました。

結論から言うと可能です。ただ、意外な「落とし穴」が一つあります。それを避けるために、播但線の竹田駅から出発するとき、条件が付きます。実際、以下2つの例が可能な乗車ルートです。

【ルート1】
竹田      ~ 和田山      (JR播但線)
和田山     ~ 福知山      (JR山陰本線)
福知山     ~ 大阪       (JR福知山線)

大阪      ~ 天王寺      (JR大阪環状線)
天王寺     ~ 柏原       (JR関西本線)
(または)
大阪      ~ 久宝寺      (JRおおさか東線)
久宝寺     ~ 柏原       (JR関西本線)

柏原      ~ 道明寺      (近鉄道明寺線)
道明寺     ~ 橿原神宮前    (近鉄南大阪線)
橿原神宮前   ~ 竹田       (近鉄橿原・京都線)


【ルート2】
竹田      ~ 大阪       (特急【はまかぜ】:
                    播但線・山陽・東海道本線)


大阪      ~ 天王寺      (JR大阪環状線)
天王寺     ~ 柏原       (JR関西本線)
(または)
大阪      ~ 久宝寺      (JRおおさか東線)
久宝寺     ~ 柏原       (JR関西本線)

柏原      ~ 道明寺      (近鉄道明寺線)
道明寺     ~ 橿原神宮前    (近鉄南大阪線)
橿原神宮前   ~ 竹田       (近鉄橿原・京都線)


【ルート1】と【ルート2】では、播但線竹田駅からの進む方向が逆であることに注意しましょう。播但線上り(寺前・姫路経由)で行く場合、姫路駅に中間改札という「関所」があります。上り姫路方面へ向かうとき、姫路の中間改札を避ける唯一の方法は、特急【はまかぜ】大阪行きに乗ること。このとき注意すべきことは、【はまかぜ】から新快速などに乗り換えるのは、加古川以東の停車駅のみ可(【はまかぜ】大阪行きは姫路駅の播但線ホームに停車。逆に【はまかぜ】香住・鳥取方面行きは、姫路駅7番のりばに停車するため、姫路駅で山陽本線→播但線に中間改札を通らないで乗り換え可能な唯一の方法)

したがって特急列車を使わない場合は、必然的に逆方向(和田山経由)へ回ることになります。本当にややこしいですね。

【ルート1】では、興味深いことに、福知山線の「丹波竹田」駅を通り(播但線竹田駅とともに同じ兵庫県にある)、さらに2つの「古市」駅(JR,近鉄)を通過します。本来、京都駅で乗り換えて近鉄京都線または地下鉄烏丸線で竹田駅に行くルートが最短経路で実用的ですが、これだとノーラッチの旅が成立しません。少なくとも大阪府・奈良県を経由する必要があります(もちろん、三重県まで遠回りも可能です)。

大回りで三重県を回るなら、せっかくだから、次のルートが面白いでしょう。

【ルート3】
竹田      ~ 和田山      (JR播但線)
和田山     ~ 福知山      (JR山陰本線)
福知山     ~ 東舞鶴      (JR山陰本線・舞鶴線)
東舞鶴     ~ 敦賀       (JR小浜線)
敦賀      ~ 米原       (JR北陸本線)
米原      ~ 名古屋      (JR東海道本線)

名古屋     ~ 津        (快速【みえ】または特急【南紀】)
津       ~ 大和八木     (近鉄特急アーバンライナー)
(または)
名古屋     ~ 松阪       (
快速【みえ】または特急【南紀】)
松阪      ~ 大和八木     (近鉄山田線・大阪線)

大和八木    ~ 竹田       (近鉄橿原・京都線)


【ルート3】で特に注意すべき点は、新幹線の利用は不可ということ(ノーラッチの条件があるため)。敦賀~米原~名古屋間で先を急ぎたいなら、特急【しらさぎ】に課金するのもありでしょう。


高山本線北部(高山-猪谷-富山)を走った、面白い臨時列車を挙げてみたいと思います。

高山本線は猪谷駅がJR東海とJR西日本の会社境界になっています。岐阜県と富山県との境目でもあり、猪谷駅はJR西日本の所属で、所在地は富山県富山市。かつて、猪谷駅から岐阜県神岡(飛騨市)を結ぶローカル線・神岡鉄道(旧・国鉄神岡線)が分岐していました。 

高山本線の優等列車といえば、特急【ひだ】。名古屋・大阪と高山本線を結ぶことが使命で、高山駅以南は本数が多いが、高山-富山間は本数がグッと減り、閑散とした印象を受けます。

しかし、かつて高山本線北部でも、越中八尾のおわら祭りをはじめ、以下のようなユニークな臨時列車が運転されていました。

特急【ユートピア高山】ほか(大阪~高山、北陸本線経由) キハ65系エーデル・ユートピア
特急【おわら】ほか (大阪~越中八尾、北陸本線) キハ181系ほか
急行【高山まつり】(上野~高山、高崎・上越・信越・北陸本線経由) 14系客車


このうち上2つの列車群は、JR発足以降のもの。【おわら】ほか、京阪神エリアと越中八尾を結ぶ臨時列車は、毎年9月・おわら祭りの日に運転、2003~04年ごろまで設定されていました。昼間の北陸本線を走るキハ181系ということで、大糸線直通のシュプール号ともども、ファンに注目の列車でした。

これとは別に、JR発足から数年間、大阪駅と高山を北陸本線経由で結ぶ臨時特急もありました。大阪-富山間は、【ユートピア和倉】と同様、485系電車【雷鳥】との協調運転でした。大阪-高山間には古くから岐阜経由の急行【たかやま】(定期列車)があり、2023年現在なお特急【ひだ】(大阪ひだ)として運行中です。岐阜・富山両経由とも、JR西日本・東海の境界を跨ぐことで共通しています。富山経由は走行距離の大半がJR西日本で京阪神中心のダイヤ設定がしやすい半面、如何せん遠回りで実用的な走行ルートとは言いがたく、わずか数年で自然消滅。

上野発の急行【高山まつり】は、国鉄末期1986年10月のみの運転でした。高崎・上越・信越・北陸・高山本線を走行する列車など、今では考えられません。片道(高山行き)のみの運行だったようです。方向転換(スイッチバック)は長岡駅の1回だけというのも、少し驚きです。14系客車はおそらく尾久客貨車区(北オク)所属と思われるが、返却回送ルートが気になります。


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土讃線・新改(しんがい)駅にて(高知県香美市)。

新改駅の見どころはスイッチバックでしょう。

新改駅の高知方隣駅は土佐山田駅で、ちょうど四国山地から高知平野に降下する場所にあたり、両駅の標高差は230m(新改駅の標高は274m)。それだけの急峻な地形であり、新改駅構内はスイッチバック構造となっているわけです。

DSCN3654
新改駅ホーム 引込み線構造のため行き止まり式に

ただ、新改駅を通過する特急列車などは、スイッチバックせず、そのまま本線を通過していきます。新改駅に停車する列車は普通列車数本のみ、JR四国の駅では最も発着本数が少なく、乗降客数も「ゼロ」だそうです。これぞ The 秘境駅 ですね。

ではなぜ、こんな人里離れた場所に駅が設置されたのでしょうか?

もともと、新改駅は信号所でした。1930年(昭和5年)、新改信号所を設置。当時、「新改」は「しんかい」と読んでいました。蒸気機関車(SL)の山越えの際、石炭を常にくべ続けなければ急峻な山越えができず、乗務員の一酸化炭素中毒という危険も生まれるため、新改信号所が設置されることになったとのことです。

終戦直前、新改信号所周辺が軍事要塞化され、軍事施設も新改に疎開し、図らずも一時的に「高知県の中心地」と化したようです。その経緯からか、戦後の1947年(昭和22年)に新改信号所は旅客駅に格上げされました。

しかし、駅周辺にはもともと集落もほぼ皆無で、1970年(昭和45年)には早々と無人駅化。

高知県香美市は平成の大合併で2006年誕生。同市は高知県で唯一海に面していない市です。「香美」という市町村名としては、兵庫県北部にも「香美町」が存在します。


【参考資料】
新改駅(スイッチバック駅)(ニッポン旅マガジン)

https://tabi-mag.jp/ko0274/

Wikipedia 新改駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%94%B9%E9%A7%85

 


6年前の投稿記事
http://katanogawara.blog.jp/archives/18287564.html
に改訂を加えました。


国鉄時代の関西本線名古屋口の急行列車といえば、気動車の【かすが】【紀州】などを連想されることでしょう。ほかに東京直通の寝台急行【大和】【紀伊】【伊勢】もあって賑やかな時期もありました。

しかし、1985年3月ダイヤ改正以降、関西本線名古屋口の優等列車は、【かすが】(名古屋-奈良)1往復を除いて特急【南紀】に一本化され、寂しいものとなりました。【かすが】はその後も細々と往年の気動車急行の面影を伝えながら21世紀初頭まで活躍を続け、キハ75系に置き換えられて将来への期待を滲ませたものの、2006年に廃止されました。これをもって、奈良県を走るJR優等列車とともに、気動車列車消滅となりました。

さて、1980年代前半の一時期、関西本線名古屋口に現われた10両編成の気動車急行について書いてみたいと思います。

1982年5月、名古屋-亀山間の電化に合わせて南近畿地区のダイヤ改正が行われました。これにより、紀伊半島の急行列車はかなり整理縮小され、関西本線名古屋口においては、【かすが】(名古屋-奈良)2往復、【紀州】(名古屋-紀伊勝浦)2往復、【平安】(名古屋-京都、草津線経由)1往復だけとなりました。しかも名古屋-亀山間では【かすが】【紀州】【平安】の併結運転が行われるため、急行の実質的な本数は2往復でした。

ただ、併結運転ゆえ、名古屋-亀山間では、紀勢本線新宮電化前、はるばる紀伊半島を一周して天王寺までのロングラン、殿様【紀州】を思い起こさせる10両編成という長編成の急行が登場しました。

該当する列車は、

朝の下り【かすが1号】・【平安】・【紀州1号】
夕方の上り【かすが4号】・【平安】・【紀州4号】

編成の内容は、【かすが】【平安】はキハ58・28のモノクラス3両編成(天ナラ)、【紀州】はキロ28込みの4両編成(名ナコ)。【紀州】についてはキハ65とかキハ57も連結され、気動車急行のオーソドックスな編成とはやや風変わりな形式組成で、管理局ごとに編成の組み方が異なる見本でもありました。

間合いで武豊線の朝ラッシュ輸送をこなしたあと、急行運用に入って奈良・京都・紀伊勝浦の各方面へ向かいました。途中、亀山と柘植で分割併合作業が行われました。亀山でスイッチバックして紀勢本線に入った【紀州1号】は、多気から先、参宮線(鳥羽)から来る【はまゆう】と併結。【はまゆう】は【きのくに】と同じ和歌山(天ワカ)所属でした。

【紀州】を切り離した亀山-奈良間の【かすが】(【平安】併結の1往復のみ)には、なぜか車両増結が行われるようになりました。名古屋-亀山間が都合10両運転でホーム有効長限界のためなのかもしれません。実際、改正前の同スジの【かすが】では、【平安】と併結であっても、名古屋-奈良間通して増結編成が連結されていました。

もともと同じ時間帯を走る【かすが】【平安】連結列車と【紀州】は別個のスジで設定され、改正前の【紀州】は伊勢線(→伊勢鉄道)経由でした。伊勢線経由の【紀州】には、1982年改正前は奈良(天ナラ)のキロ28込み6両が充当されていました(ちなみに並行する【かすが】【平安】は名古屋(名ナコ)担当だった)。伊勢線経由の【紀州】、特に下り1号(※1)は、天王寺までロングランの名門スジを引き継いだもので、天王寺直通時代は一時期美濃太田(名ミオ)の車両を充当、キハ57やキロ58込みの変わった編成として注目の列車でもありました。天王寺で白浜行き【きのくに】として折り返し、翌日紀伊田辺発の【紀州】で名古屋に帰る運用でした。1978年新宮電化以降、【紀州】は紀伊勝浦折り返しに短縮と同時に、伊勢線経由の1・6号は天ワカが担当(【きのくに】と共通運用)。その後、1980年3月ダイヤ改正で天ナラに移管されました(※2)。

もし、1982年5月の時点で伊勢線経由の【紀州】を特急【南紀】に格上げしていたら、【かすが】の亀山-奈良間増結という、謎な運用も発生しなかったでしょう。しかし、地域限定ダイヤ改正ゆえ、【南紀】増発用のキハ80系は供出できなかったようです(同年7月伯備線電化で山陰方面のキハ80系に余剰が発生するが、1985年3月博多直通【まつかぜ】の廃止まで待たなければならなかったようだ)。

1982年当時、名古屋発着の長編成気動車急行は、中央本線・篠ノ井線経由ロングラン【赤倉】(名古屋-新潟)が最大両数だったと思うが、11月ダイヤ改正で165系電車に置き換えられました。高山本線の【のりくら】が一番本数が多く編成もバラエティに富んでいたが、さすがに10両編成まではなかったようです。11月改正で廃止となった山陰へのロングラン【大社】も4~5両の短い編成でした。したがって、関西本線の【かすが】【平安】【紀州】の3層建て10両は、当時の名古屋における気動車急行の編成長として、【赤倉】電車化後は最大規模を誇っていたことになります。

1984年10月奈良線電化に伴い、天ナラの気動車配置がなくなり、【かすが】【平安】の担当区が亀山(天カメ)に変更。亀山の急行担当は、これがほぼ初めてでした。

1985年3月ダイヤ改正で【紀州】【平安】は廃止(【紀州】のうち1往復は伊勢線経由の特急【南紀】に格上げ)、【かすが】は前記の通り1往復に減便されました。残った【かすが】は、改正前の1・4号のスジを継承。その後も、なぜか【かすが】の亀山増解結体制が続きました(※3)。【平安】は【志摩】を1往復増発する形で伊勢市-京都間に行き先変更し、亀山-柘植間で【かすが】と併結運転するが、翌1986年11月ダイヤ改正で【志摩】は廃止。

(※1)列車の号数は1978年10月改正以降、下りは奇数、上りは偶数に変更。したがって、同改正以降の【紀州1号】は下り・紀伊勝浦行きのみとなる。

(※2)桜井・和歌山線(王寺-五条)電化に伴い、和歌山線五条-和歌山間用のキハ35系は天ワカの所属に変わる。玉突きで、名古屋発着の【紀州】【かすが】は、キハ35系の大量転出で余裕が生まれ、かつ距離的に近い天ナラに移管、関西本線湊町電化以来およそ7年ぶりに急行型気動車を擁することなった。

(※3)【かすが】の亀山ー奈良間増結は、JR発足2年後まで続いた。【かすが】用の車両はJR東海の所属になるが、亀山増結分はJR西日本亀山区持ちだった。


福岡市の南郊外に位置する福岡県春日市。

春日市は福岡市街地からおよそ10kmの距離にあって、面積14平方キロメートルの小さい市ですが、同市内を通過する鉄道には興味深いものがあります。

春日市を通過する鉄道は、東の端に西鉄天神大牟田線とJR鹿児島本線、西の端に九州新幹線とJR博多南線。

春日市役所は市の東側にあって、JR鹿児島本線・春日駅が最寄り駅。春日駅から東およそ500mのところに西鉄春日原(かすがばる)駅があり、大野城市との境界に囲まれています。春日原駅には急行が停車します。近隣のJR南福岡駅(福岡市博多区)と大野城駅(大野城市)でも、春日市民の利用は多いです。博多へはJR、天神へは西鉄という使い分けができます。

南福岡駅構内の西側(春日市との境界手前)には、JR九州・南福岡車両区があり、近郊型・特急型電車合わせて500両以上が在籍。国鉄時代からの名門電車区で、かつて山陽新幹線博多開業まで583系寝台電車が所属し、九州・西日本を中心に大阪・名古屋、そして間合いで北陸本線特急まで広域運用をこなしていました。

一方、博多南線はJR西日本管轄路線ですが、山陽新幹線の博多車両基地と隣接していて、博多駅から車庫まで南に伸びる回送線を旅客線化したもの(したがって、線路規格は新幹線そのまま)。九州新幹線は博多南線と並走します。博多南線は「青春18きっぷ」で乗車することは不可能。

なお、春日市を通過する一般国道は存在しません。

春日市の観光スポットとして、春日神社(→市名の由来とされる)、福岡県営春日公園、奴国の丘歴史公園・資料館、白水(しろうず)大池公園、ほか多くの古墳・史跡が点在し、古代史のロマンをめぐる旅を楽しめます。

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JR札幌駅前の商業ビル、ESTAが2023年8月31日をもって閉館となりました。

ESTAは1978年、札幌駅前国鉄バスターミナルの跡地に「札幌ターミナルビル」(札幌駅バスターミナル)として開業。そごう百貨店の北海道1号店、「札幌そごう」が核店舗として入居しました。札幌そごうは2000年閉店。その後、ESTAにはビッグカメラを核として、ニトリ・ユニクロ・ロフト他が続々入居。1階にはバスターミナルも入っていました。

しかし、建物の老朽化、および北海道新幹線札幌延伸開通に合わせ、ESTAとバスターミナルを一体的に建て替えられることが決まり、2023年8月をもって閉館。旧・ESTAは解体される予定です。


久大本線と由布院の写真(2003年撮影)を数点アップしました。

久大本線は令和2年(2020年)7月豪雨で被災し、一部不通となりました。

令和2年も含めここ数年間の豪雨災害で被災した肥薩線や日田彦山線などの惨状を鑑み、不通区間の廃止も心配されましたが、全線復旧に漕ぎ着け、2022年3月1日より運行再開しています。



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久大本線のクイーン・ゆふいんの森


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ローカル列車で使用された黄色いキハ125

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トロッコQ

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トロッコQを牽引するキハ65形

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由布院駅前通り

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由布院への観光客を迎える馬車
 


国鉄一般型気動車キハ35・45系。関西本線を中心とする近畿南部をはじめ、東北~九州の各地に分布していました。四国にもキハ35・45系が配置されました。

四国に配置されたキハ35・45系のリストを作ってみました。時期は国鉄時代末期以降のみに絞ります。

【徳島運転所(四トク) 1986年4月1日現在】
(キハ30)64 65
(キハ35)198 199
(キハ45)7 13 17 26 27 42 43 44 45 46 47 48 49 50
     51 52 53 63 64 65 66 67 68 69


3形式とも徳島に集中配置されていたようです。特にキハ45が24両も徳島に集結していたのは驚きです(キハ45のうち、番号の若い7・13・17・26・27は奈良・伊勢など天鉄局での活躍歴が長く、1985年海を渡って徳島に加わった)。運用線区は高徳本線・鳴門線・徳島本線・牟岐線・小松島線(廃止 ※1)。キハ35については、上記2両のほか、119~123の5両が徳島に新製配置されるが、前出のキハ45とは逆に早いうちに天鉄局管内(奈良・亀山)に流出、198・199のみが徳島生え抜きで残りました。

上記リストのキハ35・45系たちは、1両の廃車もなくJR四国に継承されました。ただ、キハ35系(キハ30・35形)はロングシート車かつ少数派ということもあってか淘汰は早く、1990年までに全廃。キハ45も大半は1989年までに廃車されるが、松山に転属して1年ほど生き延びた仲間もいました。1990年1月以降もJR四国に残ったキハ45は、以下の13両です。

26(松山:1990.3.31廃車)
27(松山:1990.3.31廃車)
42(松山:1991.3.31廃車)
43(松山:1991.3.31廃車)
45(徳島:1990.12.31廃車)
46(徳島:1990.12.31廃車)
48(徳島:1990.3.31廃車)
63(徳島:1990.3.31廃車)
65~69(徳島:1990.12.31廃車)


キハ45の代替車両は1000形気動車ですが、側面窓の形状がなぜかキハ45をイメージするものになっています。

なお、四国にキハ45系の両運転台車、キハ23・53形が配置された経歴はありません。

四国のキハ45について、私個人的に気になっていること。それは天鉄局からの転属組で、どうも天鉄独自の方向幕が入ったまま四国に渡ったようです。実際、白地「普通」幕表示(この書体がどうも天鉄タイプって感じ)の写真が各所でアップされていますが、もしかしたら幕回し中に天鉄書体の行先表示(「奈良-京都」「亀山-奈良」「木津-長尾」など)を見れた可能性もあります。

(※1)小松島線は1985年3月限りで廃止。よって、それ以降に転入組のキハ45は小松島線での運用歴無し。

(出典)
きはゆに資料室 気動車館

http://kihayuni.jp/DC/k-r_top.html


takayama-kiha58

高山本線富山口で運用されていたキハ58系(もしかしたら、両運転台化改造されたキハ53-1000番台?)。JR西日本高山カラーに加え、JR東海の国鉄カラーがともに富山まで顔を出していました。北陸新幹線開業で富山駅の雰囲気もかなり変わっているようですね。

富山の駅弁といえば『ますのすし』がベストセラーですが、 他に安くて美味しい駅弁も多く揃っていますね。
 


dc58tsuruga1987

国鉄時代末期のキハ28 2327号の写真を発掘しました。

敦賀駅に停車中の小浜線普通列車のようです。

キハ28 2327(旧327)は1963年新製当初から和歌山機関区(天ワカ)に配置され、紀勢本線の急行【きのくに】【紀州】【はまゆう】で活躍。1985年3月【きのくに】廃止まで、和歌山生え抜きでした。

【きのくに】廃止後、敦賀(金ツル)に転属、小浜線・舞鶴線の普通列車を中心に、急行【わかさ】【はしだて】そして【丹後】敦賀編成で活躍。ただ、敦賀での急行列車としての活躍も意外に長くはなく、JR発足後の1987年度にさっそく近郊化改造を受け、小浜線・舞鶴線ローカル専用に。その後、小浜線色への塗装変更を経て、しばらく小浜線を中心に活躍を続けるが、1992年播但線・姫新線姫路口に転用と同時にロングシート化改造が施され、キハ28 5514に改番。姫路鉄道部(神ヒメ)所属となりました。

しかし、播但線寺前電化(1998年)により、キハ28・58-5000番台は余剰となり、当車両キハ28 5514は1999年に廃車されました。


東京23区内~大阪市内間を、新幹線を使わない、かつ特急縛りの乗り継ぎルート(2023年8月現在可能なもの)を挙げてみたいと思います。

まず、次が一番容易でしょう。

【ルート1】
新宿   ~ 塩尻  【あずさ】
塩尻    ~ 名古屋 【しなの】
名古屋  ~ 大阪難波 近鉄特急【ひのとり】、ほか


東京~名古屋間では、中央本線【あずさ】【しなの】は外せないでしょう。名阪間での近鉄特急利用は、かなり王道でしょう。2016年以前なら、塩尻~大阪間【しなの】に乗り通すことも可能でした。

【ルート2】
新宿   ~ 塩尻  【あずさ】
塩尻    ~ 名古屋 【しなの】
名古屋  ~ 新宮 または 紀伊勝浦 【南紀】
新宮   ~ 大阪 または 新大阪 【くろしお】


余裕があれば、紀伊半島大回りルートで風光明媚な旅も良いでしょう。

【ルート3】
新宿   ~ 塩尻  【あずさ】
塩尻    ~ 名古屋 【しなの】
名古屋  ~ 岐阜   【ひだ】
岐阜   ~ 大阪   【ひだ】


名古屋から東海道本線経由の特急乗り継ぎも、やろうと思えば可能です。ちなみに、北陸新幹線金沢開業(2015年)前は、名古屋→【ひだ】→富山→【サンダーバード】→大阪という北陸回りも可能でした。

【ルート4】(東行きのみ)
大阪   → 東京   【サンライズ出雲・瀬戸】


東海道本線唯一の夜行列車【サンライズ出雲・瀬戸】を利用する手もあります。ただし、東行きのみが可能(西行きは浜松~姫路間ノンストップ)。西行きは、せっかくだから、例えば次のような大回りにしてもよいかもしれません。

【ルート4a】(西行き)
東京   → 姫路   【サンライズ出雲・瀬戸】
姫路   → 和田山  【はまかぜ】
和田山  → 大阪   【こうのとり】

【ルート4b】(西行き)
東京   → 米子   【サンライズ出雲】
米子   → 鳥取   【スーパーまつかぜ】
鳥取   → 大阪   【スーパーはくと】 または 【はまかぜ】

【ルート4c】(西行き)
東京   → 高松   【サンライズ瀬戸】
高松   → 徳島   【うずしお】
徳島   → 大阪市内 (高速バス)


やや「反則」技ですが、四国に寄って、高速バスで大阪に入るルートも面白いでしょう。



tango1996-1

山陰本線園部-綾部間のある駅でした(胡麻あたりだったかな)。福知山行きワンマン普通列車(キハ58系)が行き違い停車中、窓を開けて通過中の京都行き【丹後】(キハ58系)を撮りました。【丹後】は廃止まで国鉄急行色を保ち、グリーン車(キロ)が連結され、国鉄時代の急行全盛期の面影をとどめていました。

下手な写真仕上がりになってしまったが、当時の記録を伝える意味では貴重だと思います。電車運転に向けたホーム嵩上げ工事中の風景も、電化直前ならではでしょう。

 


JR九州・香椎線。

kashiisen

香椎線は西戸崎(福岡市東区)~宇美(福岡県糟屋郡宇美町)間25.4kmのローカル線。全線福岡県内で、途中の香椎駅で鹿児島本線、長者原駅で篠栗線(福北ゆたか線)と接続するが、起点・終点とも他の鉄道路線との接続がなく、珍しい形のローカル線(支線)です。 ただし、終点・宇美駅では、1985年まで国鉄勝田線(吉塚~筑前勝田)と接続していました。

香椎線は、もともと宇美駅付近に広がる糟屋炭田の石炭を西戸崎港に運ぶことを目的に建設された路線。筑豊地区の炭田が衰退した現在、香椎線は福岡近郊の通勤通学路線、そして海の中道~志賀島方面への観光アクセスとしての役目を担っています。

現在、列車系統は香椎駅を境に基本的に分割されており(1日数本、全線通しの列車は設定されているほか、西戸崎発鹿児島本線直通博多行き列車もある)、異なる路線のように見えます。西戸崎~香椎間は「海の中道」という砂州を通っているため、「海の中道線」という愛称が付いています。海の中道から「金印」で有名な志賀島へ、道路でつながっています。香椎~宇美間については、酒殿付近で国鉄志免炭鉱の遺産である「ボタ山」が望めます。

運用車両は全線非電化のため、「蓄電池電車」BEC819系300・5300番台を使用。香椎駅の充電設備で充電します。2019年まではキハ40・47形気動車が使用されていました。BEC819系は2023年7現在、全編成が直方車両センターの所属。ただし、香椎線用300・5300番台は、南福岡車両区竹下車両派出に常駐です。


福岡県 粕屋町
https://amanogalaxy.livedoor.blog/archives/22044190.html


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