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JR初期の頃の山陽本線115系です。たぶん倉敷駅だったと思います。

国鉄時代の面影を十分留めていますね。前面方向幕は空白(あるいは「普通」だけを表示)、客用扉横上のサボ受けに行き先・運転区間を書いたサボを挿入する方式が当たり前でした。

かつて岡山を含め全国各地で見られたこの湘南色の塗装。

JR西日本では、かなり後になって経費削減の立場から究極の単色化が施され、岡山・広島エリアでは瀬戸内エリアを表す黄色こと「末期色」に(その前にはN30なりN40改造の車体更新を受けた車両を対象に、223系などと同イメージの「カフェオレ色」が配されたが)。今も岡山に1編成だけ、湘南色が残っているようです。


JR高徳線の特急【うずしお】。

【うずしお】は基本的に高松-徳島間の高徳線内運転ですが、2往復だけ本州の岡山から発車する便があります。

岡山【うずしお】の面白い見どころの一つは、岡山-高松間の走行ルート。岡山-高松間には快速【マリンライナー】が何往復も運転されているが、【うずしお】は【マリンライナー】と経路が異なるのが驚きです。

【マリンライナー】は瀬戸大橋を渡って四国に入り東側の短絡線を通って直接坂出駅に入線するが、【うずしお】は松山・高知方面への西側短絡線を走行して宇多津駅に入り、スイッチバック。宇多津は坂出から予讃線で西へ一つで、東西両短絡線と組み合わせて、伊勢中川と同様のデルタが形成されます。【うずしお】はこの三角形の2辺をたどるため、【マリンライナー】よりも実際の走行距離が延びます。

なぜ、わざわざ手間のかかるスイッチバックを行うのでしょうか? それは高知方面行きの【南風】と併結運転するため。宇多津駅で【南風】との分割併合作業が行われます。瀬戸大橋線の本州内(岡山-児島間)は単線と複線が混在しており、線路容量がいっぱいのためかもしれません。分かれた【南風】はそのままの向きで多度津から土讃線を南下していきます。

少し前まで、岡山と観音寺・琴平を結ぶ普通電車もあり、西側短絡線を通っていました。この普通電車にはJR西日本の115系も使用されていました。

【うずしお】は宇多津を出発すると、高松までノンストップ(したがって坂出には止まりません)。

なお、寝台電車【サンライズ瀬戸】(東京-高松)は【マリンライナー】と同じ最短経路を走ります。臨時で琴平まで延長運転する場合、高松で折り返し運転されます(坂出-高松間は重複ルート)。

【うずしお】は高松でもう一度スイッチバックしてから、高徳線に入ります。

岡山【うずしお】は宇多津・高松で合計2回のスイッチバック運転をしています。スイッチバックする特急列車といえば、【はまかぜ】などがあるが、2回以上のスイッチバックはなかなか珍しいでしょう(かつて、京都-城崎間を舞鶴・宮津線経由で結ぶ【あさしお】は3回のスイッチバックだった)。岡山-徳島間は全長146.3km、【うずしお】で2時間の所要時間です。


国鉄型気動車キハ47形の81号。

キハ47-81号は今地味に注目の1両です。

1979年11月新潟鉄工で落成後、天王寺鉄道管理局管内の亀山機関区(天カメ)に納車。配属先は、

亀山(~1988.9)→福知山(~1989年度)→鳥取(~2003年度)→山口(~2010年度)→下関

の順に移り変わり、国鉄時代は亀山生え抜きでそのままJR西日本に継承されました。

亀山配属時代は主に関西本線(名古屋-奈良)・紀勢本線(亀山-新宮)・参宮線の普通列車の運用をこなし、キハ35やキハ58などと混結編成を組むことことが日常的でした。納車から草津線電化までの3ヶ月ほど、草津線の運用にも入っていました。1982年5月の関西本線名古屋-亀山間電化まで名古屋駅に顔を出しており、名古屋鉄道管理局管内以東では珍しいキハ47でした。名古屋-亀山間には美濃太田(名ミオ)の寒冷地タイプ・キハ48も加わり、キハ40・47・48の3形式が営業列車として走る貴重な区間でもありました(同区間の普通列車には奈良のキハ35・45系、旧型客車、急行【紀州】間合い編成もあり、バラエティに富んでいた)。

亀山電化後、キハ47の名古屋乗り入れは撤退(名古屋でのキハ47は、JR東海発足後数年経過して伊勢区から武豊線用に5両転属される→美濃太田へ転属。もとは福知山局の所属だったが、国鉄末期の1985~86年、亀山に加わって81号たちの同僚仲間として過ごしたのち、別れて伊勢へ)。

実は1984年10月奈良線電化開業直前の頃、亀山のキハ47は奈良線の運用にも入り、該当車両はキハ47-81号だったと以下のブログ記事で報告されています。

http://terapro-blog.com/article/185054327.html

亀山区の気動車は奈良線の運用は持っていなかったはずだが、電化開業前の数日間、なぜか奈良線にも入線していたようですね。京都駅でのキハ47といえば山陰本線(嵯峨野線)(福知山・向日町所属)を連想しますが、奈良線経由で京都まで顔を出していたとは驚きです。キハ47の方向幕には奈良線用のコマ(「奈良-京都」)など入っておらず、白幕で対応していたようです(せめて「普通」幕を出せばよかったのに)。

1985年3月ダイヤ改正より、片町線(長尾-木津間)にもキハ47が入線するようになり、当キハ47-81号はその1両です。片町線では2エンジン車のキハ58またはキハ53とペアを組んでの2両が基本的な姿でした。

1987年JR西日本発足後も1年半ほど亀山を拠点に活躍を続けます。紀勢本線・参宮線がJR東海の管轄となったため、紀勢本線方面の運用は基本的に撤退(ただし、奈良発多気行きと折り返しの亀山行きが亀山区の担当としてしばらく残存)。

1988年9月亀山を離れ、キハ47の大所帯である福知山(福フチ)に転属。JR西日本各地で余剰となったキハ58系ともども、山陰本線保津峡新線切り替えに伴う列車増発、および京都-福知山間客車列車の気動車化に充てられました。奈良線・山陰本線京都口そして片町線の非電化時代を経験した1両であり、舞鶴線・宮津線も含め京都府下全域を巡った経歴を有することは、当車の地味に興味深い点と言えます。

しかし福知山での活躍も長くなく、1990年京都-園部間電化開業後、さっそく鳥取鉄道部(米トリ)に転属。鳥取では山陰本線(豊岡-鳥取-米子)と因美線を中心に活躍。

鳥取で13年ほど過ごしたのち、広島支社管内に転属し現在に至ります。現在、山口線・芸備線等で活躍中です。一時期、山口から芸備線への送り込みを兼ねて、山陽本線広島~新山口間?にロングランの気動車列車が設定されていましたが、キハ47-81号も当列車で働いたことでしょう(現在は非営業の回送列車扱いとなっている)。

キハ47-81号はクモハ103-48(一時期クモハ103-5001)とともに片町線・関西本線に縁のある車両で、なおかつ広島支社を終生の棲家する点で一致しているのは偶然でしょうか?


【キハ47 81の営業列車走行路線の足跡】
(亀山)
関西本線(名古屋-奈良)、紀勢本線(亀山-新宮)、参宮線、名松線、草津線、奈良線、片町線(長尾ー木津)

(福知山)
山陰本線(京都-福知山)、舞鶴線、宮津線、小浜線

(鳥取)
山陰本線(豊岡-米子)、因美線

(下関)
山陰本線(益田-下関)、山口線、岩徳線、芸備線(広島-三次)、山陽本線(広島-下関?)


#115系の日 なので。

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中央東線で活躍していた「山スカ色」 豊田電車区所属でした

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2代目長野色(松本にて)

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広島・山口地区で活躍していた旧・瀬戸内色 広島地区からは227系に置き換えられ引退しました

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同じく旧・瀬戸内色 クーラーの形状が珍しいですね 赤穂線で運用中でした

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新・瀬戸内色 岡山・広島地区にこのカラーが導入 「末期色」とも呼ばれます

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同じく新・瀬戸内色 糸崎にて カラー以外は原型を保っていますね

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岡山地区にはこんな先頭車化改造車もいます

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広島にはシティ電車の切り札として「117系もどき」(3000番台)も投入されました

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JR西日本には一時期、カフェオレ色もいましたね(岡山にて)


1963~84年の21年間にわたり、3,447両製造された国鉄103系通勤型電車。

103系は山手線・京浜東北線・大阪環状線をはじめ、首都圏・関西圏のいわゆる「国電」区間各線(一部は名古屋・仙台などにも)に大量投入され、昭和の「国電」の象徴でした。国鉄からJRに変わり、103系の大半はJR東日本またはJR西日本に継承されました。

さて、103系の1両である「クモハ103-48」。JR西日本の所属となりましたが、この1両は波乱に満ちた遍歴でした。

1966年(昭和41年)川崎重工で産声を上げ、浦和電車区に配属。京浜東北線で活躍開始しました。その後、横浜線の蒲田電車区を経て、1978年には首都圏を離れ、阪和線の鳳電車区(→日根野電車区)に転属。

以降、1988年までの10年間、阪和線で活躍を続け、そのままJR西日本に継承。国鉄時代は非冷房車のままで存置されました。その後、奈良に転じて関西本線(大和路線)の運用をこなすも、1年後には片町線(学研都市線)全線電化用に電気連結器取り付け&冷房化(WAU102形分散クーラー)の改造が施され、車番も「クモハ103-5001」に変更。淀川電車区に転属となり、青色からオレンジに塗装変更されました(京浜東北線~阪和線~大和路線時代まで一貫して青色だった。大和路線用は本来黄緑色だが、阪和線時代の塗装のまま存置)。

しかし、片町線での活躍も長くはなく、新型車両207系の投入に伴い、玉突きとなって1993年広島へ流転。電気連結器取り外しと同時に、車番も元の「クモハ103-48」に戻されました。

広島地区の山陽本線・呉線などでは1992年より学研都市線で余剰となった103系の運用開始となり、当地の115系と同じ「瀬戸内色」に変更。広島地区の103系は115系に混じって長距離列車に入ることも珍しくなかったが、やはりトイレ無し・ロングシートは不評のようでした。

末期は

[クハ103-86] ー[モハ102-145]ー[クモハ103-48]

の編成を組み、呉線快速のワンマン運転に対応してワンマン化改造が施されました。

その後、地域単色カラー化に伴い、2012年には新・「瀬戸内色」である黄色(「末期色」とも呼ばれる)に塗装変更(総武・中央線各駅停車や南武線を彷彿とさせる姿だが)。3年後の2015年、227系の登場により、ついに引退。49年間にわたる波瀾万丈の生涯を閉じました。

クモハ103-48は103系初期タイプにもかかわらず、側面窓がユニットサッシ化されており、異端づくめでしたね。本来の用途である首都圏・関西圏各線での活躍も意外に短く、一度改番を受けながら元の番号に戻され、最終の広島時代が一番長く、またWAU102形冷房車にしてかなり生きながらるなど、ネタ要素の詰まった興味深い車両と言えます。


ふと高校時代の年末年始のことを振り返ってみたくなりました。

さっそく高1の冬休みですが、スキー講習が一番楽しい思い出でした。 場所は信州栂池。講習は自由参加で、私は親の支持・推薦などもあって参加しました。スキーといえば、小学校の雪国見学のときに少し滑った程度で、果たして大丈夫なのか不安でしたが。しかし、現地では若手の体育の先生に親切丁寧にご指導いただき、ある程度滑れる自信がついたのは良かったです。

体育は私の不得意な科目で、高1時代のクラス担任は体育の先生で、私自身について「ちょっと困った奴」という印象だったようです。正直、体育の授業態度が悪く、先生を怒らせることもありました。今更ながら、苦手なりにもう少し一生懸命やっていたらと反省。しかし、幸い体育科には優しい先生が多く、スキー講習に参加して良かったと改めて感じています。

スキー講習から帰って、正月あたりに「青春18きっぷ」を使い、山陰本線鳥取方面へ回りたいと思っていました。しかし、なぜか父と一緒に行こうということになり、行き先も山陽本線岡山・倉敷に。やはり岡山は電車混みますわ。倉敷の美観地区・大原美術館を観てきました。もともと「乗り鉄」党だった私ですが、沿線の美術館巡りもなかなか楽しいものだということを学べたと思います(高校生だった当時、その楽しさはあまりわからんかったが、年齢とともに少しずつわかってきたと思う)。帰りは岡山の名物駅弁「桃太郎の祭ずし」を買い、赤穂線の電車の中で頬張りました。たまには親子水入らずで旅するのも良いものですよ。

それから、冬休み(特に終業式前の「試験休み」)の時こそ、自転車旅行しても良かったと思いました。夏休みは雨の多い天候不順だったり、GWに風邪で寝込んだり、ほか諸々の理由でサイクリングもろくに楽しめなかったからと不貞腐れていました。これも担任の先生に「困った奴」扱いされた一つの理由のようです。サイクリングは真夏の炎天下よりも冬の晴れた日のほうが動きやすく快適、ということを早く学習していれば、また違っていたでしょう(実際、高3のとき、真夏の酷暑の中、三重まで長距離走り回るが、熱射病寸前の地獄だった)。それと同時に、遠くへ旅するばかりでなく、身近な地元の中で楽しみを見つけるなり、課題を見つけて取り組むことも学べば良かったと反省。



JR西日本の先頭車化改造車たちの顔を並べてみました。

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加古川線 103系3500番台

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福知山の113系3800番台 こと サンパチくん
旧型国電風のスタイルが傑作

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岡山地区にはこんなのもいます

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マリンライナーからローカル用に転用された213系クハ212(元サハ213)

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北陸には国鉄時代末期に登場した寝台電車583系改造の419系が
「食パン」と呼ばれていますね

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和歌山線の105系も先頭車化改造車

ほかにも、103系・113・115系の先頭車化改造(顔は原型クハから移植)やキハ41形(キハ47の両運転台化)、485系の切妻顔、キハ53 1000番台(キハ58の両運転台化)なんかも生まれましたね。


中国山地の長大ローカル線・芸備線には、かつてさまざまな急行列車が運行されていました。その代表的なものといえば、広島と松江・米子方面を木次線経由で結ぶ陰陽連絡の【ちどり】でしょう。【ちどり】は夜行便まで運転されたこともあります。晩年は広島-三次間の短距離急行【みよし】に絞られ、キハ58系使用の最後の急行列車として注目を集めるが、2007年快速に格下げされました。 

ここでは、芸備線の急行列車でも地味だった【たいしゃく】【やまのゆ】について紹介したいと思います。

実は【たいしゃく】【やまのゆ】こそ、芸備線を全線(広島-新見間)走破する急行列車でした。【たいしゃく】の由来は広島県庄原市東城町の名勝・帝釈峡。現在では超閑散区間となった備後落合-新見間の沿線を代表する花形列車でした。【やまのゆ】は新見からさらに姫新線に乗り入れ、津山まで行きました。

【たいしゃく】【やまのゆ】は、【ちどり】とちがってグリーン車(キロ28)無しのローカル急行でした。【やまのゆ】はかなりの長距離を走るのに、グリーン車無しは勿体無いような気もしますね(もともと需要が少なくキハ2両で間に合うためでしょう)。【やまのゆ】が設定されたのは1972~80年の短命でした。【たいしゃく】もかつては新見から伯備線回りで岡山まで直通していたようですが、末期は備後落合以東普通列車として運転されました。

1984年2月ダイヤ改正より、芸備線の急行列車は全てグリーン車無しに。【ちどり】も木次線直通は1990年に廃止、備後落合止まりとなるが、なぜか名前だけそのまま残りました。そのうち、三次以東は普通列車となって、2002年以降は【みよし】に統合吸収。もちろん、【たいしゃく】の名称も消失しました。

現在、備後落合駅を越えて直通する列車は1本もありません。この駅は芸備線・木次線の結集する拠点駅。JR西日本岡山・広島・米子3支社境界が設置されており、芸備線三次方面・同新見方面・木次線の3方から色とりどりのキハ120が1日数本発着する程度の寂しいターミナルです。夜行【ちどり】がこの駅でスイッチバックして賑わっていた時代など、とうに昔の話。駅構内の「おでんうどん」も名物だったが、今も近くのドライブイン内で味わえるそうです。


(その1)
http://katanogawara.blog.jp/archives/35531227.html

山陽本線のラスト、新山口-下関間は、ほぼ内陸を走り単調な景色が続きます。ただ、宇部・小野田など工場地帯も多く、宇部線、小野田線、そして美祢線とユニークな支線に接続しており、意外に変化に富んだ区間と言えそうです。小野田線の長門本山支線には最近まで旧型国電クモハ42形が残っていたようですね。

埴生あたりから再び周防灘の海岸寄りを走るが、長府付近で再び内陸に入り、新下関駅で山陽新幹線と交差ののち、進行方向右側に山陰本線が寄り添い合流すると幡生。これまで進行方向左側が海寄りだったのが、幡生-下関間は右側が海寄りに変わり、日本海側・山陰の一部でもあることを物語ります。国道9号線(山陰道)は、面白いことに下関市内の単独区間で2号線(山陽道)と位置関係が逆転、瀬戸内海(周防灘)の海岸線を走り、かの有名な壇ノ浦を通って、下関駅前が終点となります(2号線は北寄りのルートを取りつつ、壇ノ浦付近からトンネルで関門海峡を渡り九州に入る)。

下関に着く頃には大雨が降ってきました。この年の夏は天候不順で梅雨明けが遅く、お盆明けまで雨の多い冷夏でした(その後は一転、9月中旬まで猛暑が続く)。

山陽新幹線は下関駅には乗り入れません。新下関駅から長いトンネルで関門海峡をぶち抜いて小倉駅へ回ります。

下関といえば、ふぐを忘れてはいけませんね。もしかしたら、下関の名物駅弁「ふくめし」を買って食べたのかもしれません。そういえば、この頃、下関のふぐを味わう観光客のために、広島~下関間のキハ181系ロングラン臨時快速が運転されていましたね。ちなみに下関に乗り入れる最後のキハ181系は、山陰本線の特急【いそかぜ】でした(関門海峡を通って小倉まで直通、2005年廃止)。

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宇部線から下関へ乗り入れる105系

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下関に停車中の415系
JR西日本115系旧・瀬戸内色と塗装がよく似ている

下関から先、JR九州エリアに入ります。さっそく小倉行き415系に乗り換え。九州のJR電化路線は筑肥線を除いて交流方式で、下関駅が交直セクションに当たるため、関門区間には国鉄型の交直流両用車両415系が現在も使用中です。JR九州の新型電車は、筑肥線用を除いて交流専用(700~800番台形式)で統一されています。国鉄末期~JR初期頃、下関発着の日豊本線485系特急【にちりん】もありましたね。

関門トンネル抜け、門司の次が小倉です。山陽本線の終点は門司で、ここから鹿児島本線に入ります。かつて山陽本線ばかりか山陰本線の列車も関門海峡を渡り九州まで旺盛に直通していたが、下関で列車系統が分断され、寂しくなったものです。鹿児島本線の起点は門司港で、もともとここが九州の玄関ターミナルして賑わったそうで、鉄道文化遺産の町として活性化が図られています。

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小倉駅にて 右の列車は日豊本線の特急【ソニック】

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883系特急【ソニック】

小倉からいよいよ九州本番。鹿児島本線の快速に乗ってしまえば博多まであっという間だけど、ゆっくり座りたいこともあってあえて普通電車に乗りました。門司港へ寄ってみてもよかったけど、時間がなかったので・・・。

福岡県といえば温暖な気候のイメージがあるが、関門海峡~対馬海峡沿岸は地形的に日本海側、山陰地方の延長であり、冬は北西の季節風の影響で雲が広がりやすく、雪が降ることも珍しくないようです(ただし、気候型としては準・瀬戸内型で雨量は少なく温暖)。

小倉から博多までの間、日豊本線、筑豊本線、香椎線、篠栗線などが分岐。筑豊本線~篠栗線は2年前に電化されたばかりで、電化まで50系客車が残っていました。筑豊本線に接続する折尾駅の駅弁「かしわめし」は有名ですね。沿線は八幡製鉄所に代表される北九州工業地帯をバックに大学などが多く、福岡・北九州都市圏に入ったことが実感されます(「○○大前」の駅名が3つもある)。

およそ90分ほどで博多に到着。夜の8時ぐらいだったかな。いゃ~、広島からの「青春18きっぷ」の旅は本当に長かったです。ただ、列車はさほど混んでいなかったのが救いだったかな。私個人的に経験値の低いエリアで、単調な景色という印象のある山陽本線の旅だけに、単純な乗り鉄記録に終わると思いきや、ネットや地図で沿線の見どころや駅弁その他面白い情報を調べながら振り返ると、なかなか濃密な旅行を脳内で再現することに(笑)

翌日以降の九州での行動については、また別の機会ということにしましょう。


活発化する梅雨前線の停滞で局地的豪雨が続き、九州地方では広範囲で「数十年に一度」の甚大な被害を受けました。また、京都府や岐阜県・長野県などでも河川の増水氾濫やがけ崩れなどが発生、山間部は交通寸断で孤立状態になるなど、全国的に影響が広がっています。コロナ感染との複合災害が心配です。今後少なくとも一週間、日本付近に梅雨前線が停滞する予報なので、気をつけましょう。

* * * *

さて、久しぶりに「青春18きっぷ」の旅の回顧録を書いてみようと思います。

2003年夏、九州へ旅行したときのこと。往復とも新幹線と「青春18きっぷ」を併用しました。

往路は、新大阪~広島間は新幹線、広島から先は「青春18きっぷ」で山陽本線の普通列車を乗り継いで関門海峡を渡りました。

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広島までは新幹線 「新幹線の原型」0系は健在だった

広島まで新幹線に乗車した理由の一つは、姫路・相生-岡山間のラッシュを避けるためだったと思います。仮に大阪駅から「青春18きっぷ」だったら、 もっと疲れていたことでしょう。東海道新幹線に比べ山陽新幹線はトンネルが多いです。新大阪~西明石間は六甲山を長いトンネルでぶち抜き、西明石からは海岸寄りのルートなのは面白いですね(もっとも海が見えるのはごくわずかだが)。

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広島駅に停車中の可部線105系
国鉄型車両ばかりだった広島も今は227系ばかり

広島駅あたりで駅弁を買ったかは覚えていません。さっそく広島から115系電車を何本か乗り継ぎます。広島市街地を抜け、宮内串戸あたりからしばらくの間、瀬戸内海と宮島の景色を楽しむことができます。宮島口までは広島電鉄と並行。宮島口といえば名物駅弁「穴子めし」も忘れてはなりません。大竹を過ぎると山口県に入り、岩国で乗り継ぎ。この先、山口県区間が非常に長~いです。

岩国と徳山を山中を短絡するローカル線、岩徳線が分かれます。単線非電化ではあるが山陽本線の旧線であることから、駅やホームなどに本線時代の栄華を伝える遺構が残っているようで、岩徳線を訪ねる価値はありそうです。海岸沿いに現在の山陽本線が敷設されたのは、トンネルや坂道が苦手なSL時代の名残もさることながら、海岸沿いのほうが沿線人口が多いことも理由のようですね。岩国といえば、日本三名橋の一つ、名勝・錦帯橋(きんたいきょう)はぜひ訪れるべきでしょう。

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山陽本線を走る旧・広島色115系

山陽本線は周防半島の海岸沿いを回ります。それゆえ、引き続き車窓から瀬戸内海を楽しめるが、柳井港から柳井・田布施を経て光まで少し内陸側を通ります。そして、この先、海岸に寄ったり離れたりで、特に防府以西は海から離れた内陸部が続くせいか、山口県が長く感じられる「難所」かもしれません。

新山口(旧・小郡)で下関行きに乗り換えました。新山口は山陽新幹線と山口線、そして宇部線が接続する鉄道の要衝です。山口県の県庁所在地(山口市)へは、山口線の気動車に乗り換えます。新山口駅のある旧・小郡町も平成の大合併で山口市に編入されましたが・・・。

山口線といえば、「SLやまぐち号」が1979年から40年以上にわたって復活運転が続いており、ファンや観光客に人気です。最近では戦前型旧型客車を特別に復刻製造したもの(35系4000番台)が投入され、「やまぐち号」はSL時代当時に近い姿に生まれ変わりました。

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山口線のキハ40系 旧・広島色


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JR西日本に在籍したキハ33形。

JR発足当初、余剰となった50系客車を気動車化改造して登場した珍車です。2両(キハ33 1001、1002)のみの少数派です。

米子運転所に配置され、主に境線で活躍しました。

登場当初はオリジナル塗装だったが、末期は鳥取・米子地区のキハ40系と同じ首都圏色、ことタラコ色に塗り替えられました。2010年廃車。

キハ33 1001号は津山まなびの鉄道館にて静態保存されています。
 
50系客車を改造した気動車といえば、JR北海道のキハ141系もあるが、JR西日本のキハ33と異なり、44両製造され、2012年ごろまで現役でした。


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佐用駅はもともと姫新線の駅だったが、1994年智頭急行が開通。これに合わせ、駅舎は綺麗に整備されました。

何気にキハ181系が映っているが、智頭急行経由の【はくと】でしょう。智頭急行(上郡~智頭間)は、京阪神と鳥取を高速で結ぶことを目的に、国鉄時代から建設。未成線になりかけるが、JR発足後も工事が続き、開業に漕ぎつけました。智頭急行はHOT7000特急型気動車を導入し、【スーパーはくと】の運行を開始。利用状況は好調だったため、JR西日本のキハ181系を使用しての増発まで行われたようです。

智頭急行を走るキハ181系も、貴重な光景となりましたね。


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JR木次線の観光列車「奥出雲おろち号」が4月4日から運行開始する、と報道されました。

新型コロナ肺炎によるパンデミック状態を受け、臨時列車や観光列車を軒並み運休する中、 島根県の「奥出雲おろち号」運行が決まったのは、ひとまず朗報です。

新型コロナ感染予防のため、車内の消毒を徹底するほか、検札を省略し、ボランティア観光ガイドの乗車も無しにするのこと。運行初日のセレモニーも取り止めます。また、初日の座席は40席が予約済みと言います。

今後の流行状況次第で、運行取り止めの可能性も十分考えられ、予断は許せないが、外出自粛を強いられ観光業の景気が急激に悪化する中、感染対策を念入りに講じた上で運行が決まったことは、希望のあるニュースと言えます。

奥出雲おろち号は1998年より運行開始。DE15またはDE10と12系客車2両(スハフ12 801+スハフ13 801)が連結された3両編成で、スハフ13 801はトロッコ車両で、窓のないオープンな構造となっています。トロッコ車両は密閉空間ではないので、通常の旅客列車に比べて車内感染のリスクが低いということも、運行に踏み切れた理由かもしれませんね。


奥出雲おろち号、コロナ対策施し4日から運行(朝日新聞)
https://www.asahi.com/articles/ASN416V8QN30PTIB00T.html


(2020.4.8 追記)
緊急事態宣言発令により、「奥出雲おろち号」は運行取り止めとなります。



中国山地の長大ローカル線の一つ、姫新線。

姫新線は姫路を起点に、兵庫県西播地区の本竜野・播磨新宮・佐用などを経て、岡山県の山間部に入り、津山から中国勝山を通って、終点・新見に至る全長150km余りの路線。佐用駅では智頭急行(上郡~智頭)と接続。智頭急行は京阪神・岡山と鳥取方面を高速で結ぶことを目的に、1994年開業の高規格なローカル線で、特急【スーパーはくと】などが高速で往来します。津山は岡山県北部の主要都市・城下町であり、岡山からの津山線、そして鳥取からの因美線と合流する要衝です(因美線は正式には東津山から姫新線と分岐)。そして、終点・新見では伯備線と芸備線に接続します。

姫新線はかつて、京阪神と中国山地や山陰を結ぶ優等列車が多く運行され賑わっていたそうですが、中国自動車道開通後、高速バスに旅客移転し、鉄道のシェアは急激に低下。現在、姫新線を全線直通する列車はなく、兵庫・岡山県境付近の佐用または上月で系統分断されています。

姫新線の優等列車ですが、国鉄末期~JR初期には気動車急行【みまさか】【みささ】を運行。ともに大阪駅発着で、大阪~姫路~津山間は【みまさか】【みささ】の併結運転。津山で両者は分かれ、【みまさか】はそのまま姫新線を西へ進んで中国勝山や新見まで直通、【みささ】は岡山からの【砂丘】と連結、スイッチバックして北東に進路を取り、因美線経由で鳥取をめざしていました。1985年ダイヤ改正以前は数往復設定され、一部の便には大阪~姫路間は播但線直通の【但馬】とも併結運転が行われていました。

1985年3月改正で【みまさか】【みささ】は1往復のみに激減ののち、国鉄の終焉を迎えます。【みまさか】【みささ】は国鉄末期~JR初期当時、数少ないグリーン車(キロ28)連結の急行列車でした。

1989年3月ダイヤ改正で、東海道・山陽本線の新快速電車増発および221系近郊型電車登場と引き換えに、【みまさか】【みささ】は廃止されました。同時に【但馬】の大阪直通も廃止(【但馬】は播但線・山陰本線内のみの運転に→1996年特急【はまかぜ】に格上げ)。【みまさか】【みささ】廃止の代替として、姫路~津山間の快速列車を1往復新設。急行時代のスジをそのまま転用する形だったが、列車番号は臨時扱いの8000番台であり、いつ廃止されても不思議ではない状況でした。運用車両もキハ47形の2両。私自身、「青春18きっぷ」でこの快速に何度か乗車したことがあります。下り・津山行きは午前中の運行で、青春18シーズンのためか行楽客で混雑、終点まで座れなかったかと思います。津山快速は1998年ごろまでは運行されていたと記憶しているが、1999年のダイヤ改正で姫新線に大鉈が振るわれた時(佐用または上月で系統分割)に消えたものと思います。


現在、JR西日本のキハ40系は、国鉄時代と同じ「タラコ色」に統一されているが、10年ほど前までは、地域ごとにいろんなバリエーションが楽しめました。


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加古川線電化とともに消えたカラー
加古川線を追われた後、しばらく姫新線姫路口の運用に入ってた

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広島色のまま津山線の急行【つやま】で活躍したキハ48

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鮮やかなワインレッドの「豊岡色」
播但線北部と山陰本線豊岡-浜坂間で運用


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旧・広島色キハ40・47

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鳥取・米子地区のキハ40系は「タラコ色」のままだったが
ユニークなラッピング車も見られた

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単色化前の岡山地区は、N40改造の113系をイメージする「カフェオーレ」色
津山線の快速【ことぶき】や吉備線などで活躍

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初代福知山色のキハ47
塗装変更されたとはいえ、国鉄の面影が濃厚だった

残念ながら、手持ちの写真は、大体これぐらいです。
北陸地区(氷見線、城端線)および姫路色(播但線電化前および姫新線)の写真は撮らずじまいです・・・


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新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。


さっそくですが、過去の正月旅の思い出を書きたいと思います。

1998年正月、「青春18きっぷ」で広島まで日帰りの旅をしました。 

実は、当日またして紀伊半島一周で165系 & キハ58系を追いかけようと計画したものの、紀伊半島ばかりではという後ろめたさもあって、京橋駅到着時に突如行先を山陽方面に変更しました。岡山あたりまでは結構「青春18きっぷ」で行き来してるが、広島まで足を伸ばすのは初めてだったと思います。

大阪駅から乗ったのは、たぶん快速・姫路行きだったと思います。姫路で岡山方面行きの電車(115系?)に乗り継ぐが、広島まで何度乗り継いだのかは覚えていません。山陽本線は海と離れたところを通ることが多く、海岸風景を楽しめるのは須磨-明石間と尾道-三原間ぐらい。

広島駅で降りて、路面電車の広島電鉄(広電)に乗り、原爆ドームあたりを見に行ったように記憶しています。広電には元・京都市電の車両も多く活躍しており、感激しましたね。あと、広電バスはモノコック車(日野RCなど)が大量に残っていました。

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元・京都市電 1904号(2005年撮影)

広島でどんな駅弁を買ったのかも覚えていません。せっかく広島を訪れたことなので、広島焼を味わうべきだったと後悔・・・。

帰りは呉線を回りました。呉線は海沿いを通り、景色はなかなか良かったと思うが、乗車した車両はロングシートの105系。まるで現在の紀勢本線紀伊田辺-新宮間さながらですね。現在、呉線は227系(転換クロスシート)で統一されているはずです。


1996年秋、「西日本 鉄道の日 一日きっぷ」を使って、北近畿・山陰の旅に出ました。

さっそく、大阪駅から朝一番の福知山線普通・福知山行きに乗車。確か117系だったと思います。117系は当時の福知山線(JR宝塚線)快速の主力車両だったが、普通電車の運用に入ることもありました。福知山で城崎行き(113系?)に乗り換え。城崎で気動車に乗り継ぎ、浜坂を経て鳥取まで。 

鳥取からの帰路は、かなりな大回りルートとなってしまいました。因美線・津山線・姫新線経由などの選択ももちろん可能だが、今回は山陰海岸の景色を堪能したいということもあり、あえて往路と同じ山陰本線経由にしました。鳥取発豊岡行き普通列車はキハ58系(鳥取鉄道部所属)だったように記憶しています。鳥取・米子地区のキハ58系は、快速列車中心の運用ということもあって、車内は座席モケットが交換されるもののボックスシートのままであり、外観は国鉄急行色でした。山陰海岸は少し荒れていて、山陰路の冬の訪れを感じました。

豊岡から福知山までは113系だったはずだが、福知山から先、舞鶴線・小浜線を寄り道してしまいました。福知山発東舞鶴行きのキハ58系ワンマン列車に乗り継ぎます。山陰本線園部-綾部・福知山間が電化され急行【丹後】も廃止されてしまったが、舞鶴線は非電化のままだったため、キハ58系の普通列車に乗れるチャンスはまだありました(3年後の1999年、舞鶴線電化)。

東舞鶴乗り継ぎの小浜線敦賀行きもキハ58系(小浜色、ワンマン)。そのまま敦賀まで乗り通したいという思いもあったが、敦賀から先の連絡が不安なので、上中で降りてJRバス若江線で近江今津へ抜けることにしました。そして、湖西線京都行きの113系で旅の締めくくりです。

京都駅からは近鉄・京阪で枚方市に戻りました。


福山と塩町(三次市)を結ぶ中国山地(広島県東部)のローカル線、福塩線。

福塩線は、福山市の山陽本線と三次市の芸備線を最短距離で結ぶ路線形態をしています。営業キロは78.0kmで、ローカル線としてはかなりな距離と言えるでしょう。このうち、南側の福山-府中間23.6kmは昭和初期に電化され、かつて旧型国電の巣窟で、阪和線を追われた70系などが最後の活躍をしていましたが、1981年以降105系が運用され現在に至ります(ちなみに、阪和線には「和泉府中」駅がありますね)。府中以北は非電化区間で列車本数は激減、キハ120が往来します。

さて、福塩線の優等列車ですが、国鉄時代を含め、一度も設定されたことはないようです。福塩線は三江線(廃止)あるいは木次線と組んで陰陽連絡ルートを形成、福山-浜田間または福山-松江・米子間の特急・急行列車があっても不思議ではないが、国鉄当局は路線規格の低い福塩線を半ば放置していたように見えます。広島・三原~米子・松江方面を福山経由で結ぶ優等列車(準急【皆生】ほか)も設定されたことはあるが、福塩線には入らず、倉敷から伯備線回りでしたしね。

ただ、福塩線電化・非電化区間を跨いで全線直通する列車は、国鉄時代に設定されていました。福山-三次間を通す普通列車(気動車)がありました。その一部は芸備線経由広島まで乗り入れていたと思います。このほか、木次線三井野原へのスキー臨時列車が、福山発着で1991年ごろまで毎年運転されていました。

福塩線に投入された105系(3ドア)は、新製当時は中間車モハ・サハもあったが、短編成化の流れで3年あまりで先頭車に改造され、形式消滅しています。

国鉄時代の福塩線は、芸備線三次-備中神代間とともに、全線岡山鉄道管理局管内だったが、現在福山-府中間は(JR西日本)岡山支社、非電化区間は芸備線備後落合以西ともども広島支社の管轄です。


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何気にカフェオレ色115系も、まだ居りましたね。
広島地区では227系に統一され、国鉄型電車(113・115・117系)は見られなくなったが、岡山ではまだまだお目にかかることができます。 117系は単色よりも、やはり登場時の新快速色が一番似合いますね。瀬戸内色(黄色)の117系も、意外にイケると思いますが。



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可部線の運用に入る105系です。「末期色」になる前の姿です。
可部線・呉線用の105系は和歌山線用と同様、103系からの改造車が多かったようですね。
広島地区では227系に統一され、113・115・105系は過去のものとなりました。
 


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213系の画像をアップしました。
瀬戸大橋線の快速<マリンライナー>から、伯備線等などのローカル用に改造転用を受け、活躍中です。


1995年正月、「青春18きっぷ」で中国山地のローカル線、福塩線・芸備線の旅に出ました。

阪神淡路大震災の2週間ほど前でしたね。

例によって朝一番のJR神戸線大阪発快速電車に乗り、姫路・岡山と山陽本線を乗り継いで福山に。

ここから福塩線に乗り換えます。府中までは福山近郊の電化区間で、1980年までは旧型国電の巣窟だったことで有名。阪和線から追われた70系なども福塩線で最後の活躍をしていたそうです。そういえば阪和線に「和泉府中」駅があり、福塩線とは何気に縁がありそうですね(笑) その後、105系に置き換えられ、現在に至ります。府中から先の非電化区間は列車本数が非常に少なく、福塩線完乗を目指すなら時刻表を調べてうまくプランを練る必要があります。府中で乗り継いだ気動車はキハ23のワンマンカー。福塩線の沿線風景については、爆睡していたこともあって、残念ながらあまり印象に残っていません。塩町で芸備線下り(広島行き)に合流、広島県北部の中心・三次駅まで直通です。意外に思われるかもしれませんが、三次市や庄原市など広島県北部は中央分水嶺の北側(江の川水系の流域)にあたります。

三次駅で途中下車し、確かKIOSKで駅弁を購入しました。値段は500円ぐらいで安く、ごく普通の幕の内弁当(コンビニ風だったような気が)だったと思います。

三次からは芸備線上り列車で備後落合・新見方面へ。備後落合行きもキハ23だったと記憶しています。木次線と接続する備後落合で新見行きに乗り換え。備後落合は鉄道の要衝にもかかわらず、並行する中国道ハイウェイバスなどには完敗、列車本数が非常に少なく、信じられないほどの凋落ぶりです。備後落合といえば、おでんうどんが名物だそうで、かつて乗換駅として賑わっていた頃は駅構内のスタンドで販売していたそうですが、今も近くのドライブインのレストランで味わえるとか。

備後落合で乗り継いだ列車は新見行きのキハ40。姫新線や因美線などと同じ岡山支社の独自カラー(紺色に白い帯を配する渋いカラーだった!)でした。かつては備後落合を跨いで芸備線全線および木次線へ直通する急行列車なども運転されていたが、今はいずれも乗り換えが必要です。しかも備後落合-東城間は岡山・広島県境区間にあたり、1日3往復のみの超閑散区間となってしまいました。普段は閑散としていても、「青春18きっぷ」シーズンになると1両の気動車(キハ120)では超満員となるようだが、当時は列車本数がもう少し多かったこともあって、まだのんびりしていたように思います。

備中神代で伯備線と合流。終点・新見までの間、布原駅があるが、一日の乗車人数は1桁と非常に少ないため、芸備線からの列車しか停車しない秘境駅となっています。


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JR各社から2019年3月ダイヤ改正の概要が発表されました。

JR西日本の岡山・広島地区について、注目すべき点を取り上げてみたいと思います。

 https://www.westjr.co.jp/press/article/2018/12/page_13525.html

広島近郊区間(山陽本線・呉線・可部線)の電車が227系に統一されることにより、山陽本線の列車系統は糸崎で分割されることになります。すなわち、岡山115系の山陽本線糸崎・三原以西への直通は廃止ということで、長距離普通列車の多い山陽本線にもメスが入る形となります。

糸崎-広島-岩国間の電車は227系に統一されるが、岩国以西への電車がどうなるのかも気になります。大半は岩国で系統分割となりそうな感じですが、広島方面から新山口・下関方面への直通列車はどうなるものでしょうか?

瀬戸大橋線の普通列車にも大きな変更点があります。岡山から瀬戸大橋を渡って四国(観音寺・琴平)へ直通する普通電車は、本州内の児島打ち切りとなる予定です。したがって、瀬戸大橋を渡る普通・快速列車は、<マリンライナー>のみとなります。


(2018.12.17 訂正)
瀬戸大橋を渡る普通列車が廃止なのかどうかは、現時点では不明です(JR四国のプレスリリースにはそのようなコメントは記されていない)。ご指摘いただいたように、児島で系統分割という形の可能性もありえます。


気がついたら、広島県は在来線優等列車(特急・急行)ゼロの県になっています。

まず、広島県の大動脈といえば山陽本線ですが、山陽筋の優等列車は山陽新幹線が担っているため、岡山県倉敷以西の優等列車はゼロ。10年ほど前まで東京・京阪神と九州方面を結ぶ寝台特急(ブルートレイン)があったが、2009年の<さくら><富士>を最後に消滅。現在、山陽本線を全線通しで運転する定期旅客列車は1本もありません。

山陽本線のバイパス線で瀬戸内海に沿う呉線では、軍事・造船における重要拠点・呉港を抱えていることもあって、歴史的に山陽筋の優等列車の一部は呉線経由で運転されたこともあります。

広島市と県北・中国山地中央部の三次・庄原方面を結ぶ芸備線では、かつて備後落合から分岐する木次線などと合わせて陰陽連絡の急行列車が運転されていました。その代表は<ちどり>で、かつては夜行便も運転されるほどの盛況ぶりだったようですが、道路整備が進み路線バスや高速バスに多くの客を奪われ、凋落の一途。最終的には広島-三次間という短距離の<みよし>が4往復、最後のキハ58系定期運転の急行列車として注目を集めたが、これも2007年に全廃。

三次と浜田を江の川に沿って結んでいた三江線(廃止)でも、陰陽連絡急行列車があっても良さそうに思えるが、全通が1975年と遅く、その当時は既に急行列車減少時代に入っていたこともあり、定期の優等列車が運転されることはありませんでした。ただし、臨時で広島発着三次までは芸備線の定期急行列車に連結、三江線内は快速または普通という列車が運転されたことはあります(したがって三江線内での急行運転の実績はゼロ)。

また、福山と塩町・三次を結ぶ福塩線で過去に優等列車が運転された事実は知りません。


活発な梅雨前線の影響で、5日から西日本を中心に歴史的な大雨が続いています。
死者50人、不明50人超で、先月の大阪北部地震を大きく上回る規模の被害が各地に広がっており、目を覆うばかりの凄まじい状況です。
広範囲にわたる土砂災害等により、JR山陽本線や山陽自動車道、国道2号線などの大動脈を含め、鉄道・道路などの交通網が寸断され、社会インフラがマヒ状態となっています。

簡単ですが、この大雨被害で被災された皆様に、謹んでお見舞いを申し上げるとともに、一日も早い復旧をお祈り申し上げます。



九州と本州を結ぶ在来線列車は、山陽新幹線博多開通(1975年)前は東京・名古屋・大阪方面および山陰本線から特急・急行列車が旺盛に運転されていました。しかし、博多開通後、昼間の本州~九州直通列車は大幅に削減、東海道・山陽寝台列車は残るものの、これも2009年までに全廃。

現在、本州と九州を結ぶ、すなわち関門海峡を渡る在来線列車は普通列車のみとなっています。

少し以前までは、九州から415系などが山陽本線~宇部線宇部新川まで直通していたし、山陰本線から関門海峡を渡って小倉まで直通する列車もありました。JR発足当初は米子から博多までの特急<いそかぜ>(ロングラン・大阪<まつかぜ>の残滓、キハ181系)が1往復あったが、運転区間は徐々に短縮、九州内では小倉以西が打ち切られるほか、最終的には益田-小倉間のみの運転となり、かつての長編成<まつかぜ>の見る影もない惨めな状態で2005年に廃止(→山陰本線益田-下関間は優等列車のないローカル線に転落)。

ほかに、国鉄末期~JR発足初期のころ、485系<にちりん>の下関直通もあり、485系の本州乗り入れは山陽新幹線博多開通以来の復活となるが、1992年ごろに廃止。

関門海峡を通る415系の今後も気になります。
交直流境界区間にあたるため、JR九州の交流専用電車で運用することは不可能。かといって短編成の気動車では北九州都市圏だけあって輸送力不足な感じも・・・。


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四国各線が全国とレールがつながったのは、1988年瀬戸大橋開通の時。今年は開通から30周年を迎えます。

四国内の優等列車(特急)は四国島内で完結するものもあるが、新幹線連絡なども兼ねて本州へ渡り岡山発着が多くなっています。また、海を挟んだ岡山・高松都市間連絡の快速<マリンライナー>も多くの本数があり、人々の行き来は活発です。 瀬戸大橋を渡る特急列車は全てJR四国所有、<マリンライナー>もかつてはJR西日本213系を使用していたが、海を渡る瀬戸大橋という特殊条件ゆえ老朽化が早く、JR四国5000系に持ち替わりとなりました(5000系の普通車はJR西日本223系と全く同じスタイル、グリーン車のみハイデッッカーとなった)。岡山から瀬戸大橋を渡って観音寺・琴平へ直通する普通列車も運転されており、JR西日本115系もしくはJR四国6000系が充当されます。

瀬戸大橋開通ブームで賑わう頃は、特急<やくも>が高松に乗り入れたり、また瀬戸大橋を渡って高松
への臨時列車も多く運転されていました(117系、165・167系、221系などを使用)。

四国と東京を結ぶ寝台列車<サンライズ瀬戸>【東京-高松】(285系)もあります。全国的に寝台特急が廃止される中、直流電化区間のみで完結する<出雲><瀬戸>を電車化して生き残りを図り、<サンライズ瀬戸><サンライズ出雲>に生まれ変わります(<出雲>は京都から山陰本線経由だったが、伯備線経由に変更、<サンライズ出雲>となる)。専用の285系電車はJR西日本の設計ですが、車両はJR西日本とJR東海が所有しています。近年、金比羅山が心霊スポットとして人気を集め、<サンライズ瀬戸>は琴平まで延長運転されるようになっています。

このほか、「青春18きっぷ」シーズンには京都-高知間の夜行快速(14系客車)も運転されていました。


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JR東日本新潟支社所属485系の<雷鳥>です。それもボンネット型です!

JR東日本新潟の485系はかつてはるばる大阪まで運用をこなしていました。また、JR琵琶湖線・京都線の<ホームライナーびわこ>号も間合いで入り、関西では異色の存在でした。



 


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JR西日本岡山気動車区所属のキハ120は運用範囲がかなり広い。

運用路線は

津山線(岡山-津山)
姫新線(佐用-津山-新見)
因美線(東津山-智頭)
芸備線(備中神代-備後落合)
伯備線(新見-伯耆大山-米子)

であり、岡山県北部山間部のローカル線を中心に東は兵庫県佐用町、北は鳥取県智頭町・米子市、西は広島県庄原市に及んでいます。木次線と接続する備後落合駅では、岡山色に加え芸備線三次方面(三次色)および木次線用と三色のキハ120を見ることができます。伯備線は電化区間で381系<やくも>と普通列車に115系電車が活躍しているが、2014年より閑散区間の新見以北ローカルにキハ120も運用されるようになっています。したがって米子駅では浜田鉄道部色のキハ120と顔を合わすことになります。なお、新見-備中神代間には以前から芸備線列車としてキハ120が乗り入れており、途中の布原駅は伯備線列車は普通列車も含め全て通過、わずかな本数の芸備線直通列車だけが停車するという秘境駅で知られます。

伯備線運用の前後運用がどうなっているのか前から気になっています。


JR四国に在籍する近郊型電車6000系。

6000系は3ドア・転換クロスシートで1996年に登場、岡山-観音寺間普通列車で使用されていた111系を置き換えます。外観スタイルは顔が211・213系と同じスタイル、側面は2連窓主体の窓配置でJR東海311系と似ており、JR西日本221・223系などよりも古めかしい国鉄末期テイストな印象を受けます。実際、6000系は日本車輌製造であり、JR東海311系の図面を流用したものと言われてます。編成はMc6000-T6200-Tc6100の3両編成、編成両端部の客用扉のみ片開きで他は両開き、そして中間T車(6200形)には車掌コーナーも設けられる(1両を締め切って2両のみのドア開閉が可能なように切り替えスイッチを装備)という、無人駅の多いJR四国の利用実態に合わせた特徴的なレイアウトとなっています。

現在の運用路線は、

瀬戸大橋線、予讃線(高松-伊予西条)、土讃線(多度津-琴平)

であり、2000年にJR東日本から113系を譲渡した後、一旦瀬戸大橋線での運用はなくなるが、2016年3月より同線での本州入り運用が復活しました。

私・管理人も何度かこの電車に乗車したことがあります。もちろん普通列車ですが、同じ瀬戸大橋線の快速<マリンライナー>213系よりもむしろ快適でさえあると感じました。ただ、3両×2編成の6両のみにとどまったのはもったいないような気がします。ちなみに扉開閉時のチャイムは京浜東北線209系などと同じメロディで、首都圏のJRに乗っているような感じにもなりました。


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このたびの九州北部の集中豪雨により被災・避難された皆様にお見舞い申し上げます。

久大本線の橋梁が流出し、昨年の熊本地震で寸断されている豊肥本線とともに、九州内陸部を横断する交通網が麻痺状態です。一日も早い復旧そして復興をお祈り申し上げます。


さて、JR九州の415系について簡単にレポートしてみたいと思いました。

九州島内JR線の電化区間は、福岡市営地下鉄と直通している筑肥線を除いて、交流電化です。

かつて山陽新幹線開通前は、関門トンネルを潜り抜けて本州の山陽本線への直通運転が活発で、交直流両用の457系や485系、583系などが行き来していましたが、新幹線博多開通後、九州の優等列車は夜行・寝台および(主に山陰方面への)気動車を除いて、本州乗り入れがなくなったため、基本的に交流専用の電車で用が足りるようになりました。実際、485系は交直流切り替えスイッチを使用停止にし、実質的に交流専用として使用されるようになりましたが、国鉄末期~JR初期の一時期、「にちりん」の下関乗り入れが設定され、久しぶりに直流区間乗り入れを果たしたこともありました(運転開始当初、交直流切り替えスイッチをめぐってハプニングが起こったエピソードがある)。

福岡・北九州・熊本・大分などの都市圏近郊輸送向けには交直両用の近郊型電車421系や415系などが使用されてきました。彼らも10年ほど前まで、関門トンネルを抜けて下関から山陽本線新山口まで直通していました。

しかし、JR会社境界をまたぐ在来線列車が年々減らされ、九州と本州をまたぐ列車も例外ではありません。東京・大阪方面からの寝台特急は2009年全廃となりました。

JR九州の新型電車は既に700もしくは800代の形式を名乗り、九州島内の交流電化区間専用を前提としています。485系や475系は老朽化で引退しており、交直流両用の電車は415系のみが残っています。近年、JR東日本の常磐線にE531系の大量投入で玉突きとなった415系が新たに加わりました。

しかし、415系も製造から40年以上経過しており、今後の予断は許せません。
415系は現在、日豊本線および交直流切り替えの関門トンネル区間などで運用中ですが、気になるのは関門区間の今後。
415系の老朽化による引退後、関門区間に充てる車両としては気動車もしくは蓄電池電車あたりが考えられそうです。コストの高い交直両用電車を新規で製造することはちょっと考えにくいですね。



1989年夏、「青春18きっぷ」で少し無理して徳島までの日帰り旅行に出た。
私が初めて四国に踏み入れたのもこのときで、瀬戸大橋開通から1年経過したばかり。
第一の目的は、高徳線と徳島線を完乗すること。

乗車行程は、

大阪→姫路→岡山→高松→徳島→阿波池田→琴平→坂出→岡山→姫路→大阪

だが、実は四国内の一部区間にて特急列車でワープする。

確か早朝6時ごろだったかな、大阪発網干行き快速電車に乗った。
姫路までおよそ1時間30分、岡山行きの電車にすぐの接続だった。
姫路での乗り換えダッシュのとき、災難に遭う。
人にぶつかってホームで転倒する。
幸い腕のケガ程度で済み、何とか岡山行きに乗り込む。
ただ、夏場で半袖を着ているゆえ、腕の傷が目立ち、傷が露出したままの無様な格好で旅を続けることになる。
それはともかく、無事に乗り継ぎできたのだから良しとする。
しかし、このハードスケジュールゆえに起こったアクシデントであり、もう少し余裕のあるプランを練るほうがよいだろうと反省。何しろ岡山行きの列車編成が短いので、そのことを考慮に入れて行動すべきだった(熱海・大垣・敦賀での乗り継ぎも同様)。

岡山から「マリンライナー」で瀬戸大橋を渡って、初めての四国入りにワクワク。
瀬戸大橋および明石・鳴門海峡大橋の開通で、関西から四国への日帰り旅行も容易になった。
讃岐うどんのブームが全国に広まったのも、本州・四国連絡橋の恩恵だろう。

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高松からの高徳線(旧・高徳本線)だが、香川・徳島県境付近(三本松-阿波川端あたり)で特急ワープを使う。
高松・徳島間の距離は70kmほどでさほど遠いわけではないが、県境を跨いで直通する普通列車は多くなく、途中で特急を待避するため所要時間はかなりかかる。
池谷で鳴門線、佐古で徳島線と合流し、徳島に到着。

徳島県の鉄道は電化率ゼロだ。
もともと四国内の国鉄線は全て非電化だった。JR化後、四国内の電化区間は瀬戸内海側の予讃線を中心に愛媛県まで拡大する。愛媛県には伊予鉄道もある。高知県もJR線は非電化だが路面電車の土佐電鉄がある。
しかし、徳島県に至っては地方私鉄もなく、非電化のJR線および第三セクター線のみで県内鉄道ネットワークを構築しているわけだ。

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徳島で駅弁を購入。
確か幕の内弁当を買ったと思うが、徳島の幕の内といえば、大きいエビフライがご飯の部分にまではみ出してデーンと目立つことで有名だろう。

徳島県の特産品には、すだち、半田そうめん、鳴門金時いも、阿波和三盆(砂糖菓子)などがある。

徳島線はキハ58・65の快速だったかと思う。
徳島線は吉野川に沿って四国山地に分け入り、土讃線の阿波池田に至る(正式には一つ手前の佃まで)。
国鉄時代は「徳島本線」が正式名称だった(JR発足後、四国内の本線は全て「本線」でなくなる)。
徳島市の南東、小松島港に和歌山からの南海フェリーが発着していて、徳島線と合わせて関西から四国各地の一つの主要ルートを形成、かつて徳島線経由高知方面の優等列車が盛んに設定されていた(小松島港線は廃止)。しかし、瀬戸大橋や明石・鳴門海峡大橋の開通と高速道路延伸の影響で、徳島線経由の優等列車は大幅に減らされ、事実上県内ローカル線となる。一時期は急行「よしの川」1往復のみとなるが、現在徳島線内のみのミニ特急「剣山」が6往復設定され、優等列車の本数そのものは盛り返している。

阿波池田からの土讃線上りでは、琴平まで再び特急ワープを使う。
香川・徳島県境付近にあたり、やはり普通列車の本数は少ない。
しかも急峻な峠を通るため、スイッチバックがあり(坪尻駅)、鉄道ファンの一つの見所だ。
視界が開け、讃岐平野に入ったあたり、琴平からは高松近郊の電化区間だ。
土讃線を走る電車は琴平折り返しの普通列車のみだが、最近東京からの寝台電車・サンライズ瀬戸(285系)が臨時で琴平まで乗り入れる日もある。

坂出から先、行きと同じルートで本州へ戻る。
できれば、違う経路で帰りたいところで、例えば高松や徳島から高速バスで鳴門海峡を渡って神戸・大阪方面へ抜けるのは、瀬戸大橋を回り岡山で乗り継ぐよりもはるかに早いだろう。
あるいは徳島からフェリーで和歌山へ抜けるのも所要時間はかかるが楽しそうだ。


平成初期の頃、JR東日本では、「夢空間」という、今流行りの豪華寝台車・クルージングトレインの走りというべき車両が作られた。

この「夢空間」を使用して、東北・北海道など東日本各地へ数多くの臨時寝台特急が運行される。北海道においては、トマム方面へのスキー客向けに石勝線・根室本線にも足を伸ばしたそうだ。

東日本だけでなく、(JR東海を避けて)日本海・北陸経由で関西や西日本へも運転されていたようだ。その一つに、1992年4月に運行された「夢空間TAP山陰路」(上野~出雲市間)がある。運行経路が非常に面白く、

上野-(高崎線、上越線)-長岡-(信越本線、北陸本線)-敦賀-(小浜線、舞鶴線)-福知山-(山陰本線)-出雲市

というルートだったという。当日、実際に乗車された方によるレポート記事があるので、ここで紹介する。

http://ameblo.jp/twilight-express80018002/entry-12073220431.html

「夢空間山陰路」の情報について、私は鉄道雑誌立ち読みで知ったように記憶している。時刻表1992年4月号あたりに、この列車の時刻が記載されているようなので、興味のある方は調べていただければ幸いだ。

これと似たようなルートで、かつて名古屋から出雲市まで気動車急行「大社」が運転されていた。宮津線(現・京都丹後鉄道)経由だったので、途中米原・敦賀・豊岡で3度もスイッチバックしていた。「夢空間山陰路」は長岡駅1回のみのスイッチバックで済ませている。

また、国鉄末期の1986年秋、日本三大美祭として知られる高山祭の臨時として、上野-高山間の寝台急行列車が上越・信越・北陸本線を経て、富山から高山本線に入るという、これまたユニークな経路で運行された。









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津山線唯一の急行「つやま」の末期はキハ48の2両編成が使われた。
確かにキハ48は出入り口に仕切りがあり、急行列車にふさわしい最低限の体裁は整っていると言える。
肝心なのは車内の座席だが、一般型気動車ゆえ一部ロングシートがあるし、また同じ津山線を走る料金不要の快速「ことぶき」と大差のない停車駅・所要時間ゆえ、「ぼったくり急行」と揶揄された。快速に両開き扉のキハ47を使用していることに比べたらマシとも言えなくはないが。
津山市の商工会の面子を立てるために1往復だけ津山市に乗り入れる急行列車を残したと言われるが、一般旅客の目線からすれば無意味であり、2009年廃止される。

JR西日本の少数派形式の車両といえば、

1)205系通勤型電車
2)キハ48
3)101系通勤型電車(廃車済)
4)キハ53(廃車済)

などが挙げられる。

1)205系通勤型電車

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JR西日本に在籍している205系は、国鉄時代末期にJR京都線・神戸線普通電車用に投入された0番台(7両×4本)と、JR発足1年後に阪和線用に作られた1000番台(4両×5本)の2タイプがある。現在、205系は全て阪和線にまとめられているが、225系5100番台に置き換えられる予定で、今後の動きが注目されている。上の写真はJR神戸線で活躍していたときのもの。下の写真は、阪和線用に作られた1000番台。0番台とはフロントの窓の形が異なっている。

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2)キハ48
高山本線および東北地方など寒冷地向けに作られたキハ40系の仲間で、出入り口デッキ(仕切り)付きが大きな特徴だ。JR西日本には5両のみが受け継がれた。敦賀機関区に投入されたもので、小浜線および交直セッションを控える北陸本線米原口・湖西線ローカルで活躍していた。

しかし、京阪神からの新快速の北陸本線長浜までの直通運転を可能にすべく長浜以南直流化工事完了後、敦賀のキハ48は、遠く離れた山陰本線西部のローカル運用に活躍場所を移す。そして、2003年より津山線内に1往復だけ残った急行「つやま」専用編成にも仕立てられる。急行列車にふさわしくデッキ付きではあるものの、所詮一般型気動車ゆえ車両の両端部はロングシートであり、しかも快速「ことぶき」と停車駅・スピードもほぼ同じ、これで急行料金が取られるのは納得いかないということで、2009年「つやま」が廃止される。キハ48に置き換えられる前は「砂丘」に使用していたキハ58系が使われ、グリーン車も付いていて、急行らしさがあった。


3)101系電車(廃車)
国鉄時代、大阪環状線で101系が活躍していたが、103系に置き換えられ、関西本線(大和路線)普通および片町線(学研都市線)、桜島線に転用される。しかし、101系は老朽化が進んでいて、国鉄時代末期までに大和路線から引退、学研都市線でもJR京都・神戸線普通で使用していた103系が大量転入してくるものの、冷房改造を受けた101系7両×2本(中間車1両だけが非冷房車もあった)だけが残ったまま、JR発足を迎える(首都圏でも101系は相当廃車が進み、中央・総武緩行線および南武・鶴見・武蔵野線に残っていた)。

大阪では貴重な存在となった101系だが、1989年の学研都市線全線電化後、6両化されて再び桜島線で活躍する(全線電化後もごく一時期だけ松井山手駅まで営業運転していた)。しかし、2年後の1991年、大阪環状線全通30周年記念で最後の華舞台を見せたあと、ファンに惜しまれて引退する。

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JR発足後も2年余り学研都市線で活躍を続けた101系
(「J鉄局の鉄道管理局さま」より拝借)

4)キハ53(廃車)
キハ53は一般型気動車キハ45系の一員であり、両運転台車キハ23を2エンジンにしたものだ。これとは別に、国鉄時代末期、北海道・東北で急行型キハ58またはキハ56を両運転台化したものとして「キハ53」を名乗るようになる(オリジナルのキハ53とは番台で区別)。JR発足後、JR西日本管内でも北陸地方ローカル用にキハ58を両運転台化した「キハ53」が登場する。

キハ45系はキハ20系とキハ40系の間の過渡期に製造されたものであり、大都市近郊のローカル線での使用を意識して113系近郊型電車などと類似のレイアウトとされたが、少数派にとどまった。両運転台のキハ23はそれなりの数が作られ、JR西日本管内でも結構見られたが、キハ53は全国的にも少数派であり、急勾配路線のローカル線向けに亀山・米子などに少しだけ配置されるにとどまる。亀山は主に信楽線、米子は木次線でそれぞれ運用されるが、JR発足から数年経過して、キハ53は小浜線や津山線・因美線などに活躍場所を移す。その後、ほどなくしてキハ120などに置き換えられた線区も多いが、小浜線のキハ53は2003年の電化まで奇跡的に生き残り、21世紀になっても残った貴重な「非冷房車」だった(キハ53よりも古いキハ52でさえ冷房化工事を受けた)。

JR発足当初、亀山のキハ53はキハ35・47などと連結して、学研都市線(長尾-木津間)でも使用された。

なお、国鉄時代末期、木次線のキハ53の1両が事故廃車となり、はるばる遠い東北からキハ52(キハ20系の仲間)のオリジナルツートンカラー、キハ52 128号がやってきて、1999年の廃車までツートンカラーの姿を保ったまま、米子地区で活躍を続けたことは有名だ。128号がツートンカラーで残った理由は、只見線直通の急行「いなわしろ」に使用するためだった(1982年11月改正で廃止)が、米子に転属した後も後藤工場のご好意なのか、ツートンカラーの姿がそのまま保たれた。

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21世紀まで活躍を続けた小浜線カラーのキハ53
キハ23と姿かたちは同じ
(ITRENI.NETさまより拝借)


上記のほか、JR西日本の少数派形式は

123系電車
167系急行型電車
キハ41(キハ47を両運転台に改造)
キハ33(50系客車を気動車に改造)
キハ37

などが挙げられる。

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