カテゴリ:国鉄・JRグループなど > JR西日本(北近畿地区)/ 京都丹後鉄道


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山陰本線園部-綾部(福知山)間電化開業間近の頃です。福知山行き普通列車(キハ47ほか)が停車中。ホーム左に停車中の電車(113系)は折り返し京都行きです。京都-園部間電化以前は、客車列車(12系、50系ほか)が多く走っていました。

園部駅(京都府南丹市園部町)にはJRバス2路線が発着していました。園福線(丹波運動公園・兎原方面福知山行き)と園篠線(丹波篠山方面)。園福線は、JRと大きく離れる国道9号線沿線(旧・丹波町、瑞穂町、三和町)を小まめに結んでいますが、2024年春に廃止の予定です(廃止後、沿線各市町が代行バスを運行する予定)。園篠線は、京阪京都交通【44】系統に受け継がれ、現在も福住まで運行されています。

園部駅といえば、知る人ぞ知る幻の駅弁・「栗めし」が人気。地元・丹波産の栗が味わえます。駅構内での販売はなくなり、今も駅近くのお店で弁当の予約販売があるそうですが(かつては鮎姿すしや松茸めしもあったが)。


1996年は但馬路(兵庫県北部)の鉄道がかなり大きく変わった年でした。JR山陰本線京都口(京都-福知山)の完全電化に伴い、気動車特急【あさしお】および急行【丹後】【但馬】は廃止、485系から改造の183系電車特急に生まれ変わりました。183系も287・289系に置き換えられ、もはや過去のものに。

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廃止直前のキハ181系【あさしお】 豊岡にて
【あさしお】廃止後、キハ181系はほぼ【はまかぜ】の独壇場となる

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豊岡で113系と117系が並ぶ 右側は豊岡車両基地

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城崎に停車中のキハ47浜坂行き 隣の117系もはるばる福知山線から城崎まで乗り入れていた

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城崎(城崎温泉)駅前 賑やかな温泉街の佇まいだ

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登場したばかりの183系特急【きのさき】 和田山にて
右側には急行【丹後】廃止で廃車待ちのキハ58系が留置

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鎧駅に停車中のキハ58系普通列車

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鎧駅ホームから海を望む

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浜坂にて

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東浜駅(鳥取県)でのキハ58系・キハ47のツーショット

 


天空の竹田城跡で有名な播但線・竹田駅(兵庫県朝来市)から、京都市の竹田駅までのノーラッチ乗車ルートを考えてみました。

結論から言うと可能です。ただ、意外な「落とし穴」が一つあります。それを避けるために、播但線の竹田駅から出発するとき、条件が付きます。実際、以下2つの例が可能な乗車ルートです。

【ルート1】
竹田      ~ 和田山      (JR播但線)
和田山     ~ 福知山      (JR山陰本線)
福知山     ~ 大阪       (JR福知山線)

大阪      ~ 天王寺      (JR大阪環状線)
天王寺     ~ 柏原       (JR関西本線)
(または)
大阪      ~ 久宝寺      (JRおおさか東線)
久宝寺     ~ 柏原       (JR関西本線)

柏原      ~ 道明寺      (近鉄道明寺線)
道明寺     ~ 橿原神宮前    (近鉄南大阪線)
橿原神宮前   ~ 竹田       (近鉄橿原・京都線)


【ルート2】
竹田      ~ 大阪       (特急【はまかぜ】:
                    播但線・山陽・東海道本線)


大阪      ~ 天王寺      (JR大阪環状線)
天王寺     ~ 柏原       (JR関西本線)
(または)
大阪      ~ 久宝寺      (JRおおさか東線)
久宝寺     ~ 柏原       (JR関西本線)

柏原      ~ 道明寺      (近鉄道明寺線)
道明寺     ~ 橿原神宮前    (近鉄南大阪線)
橿原神宮前   ~ 竹田       (近鉄橿原・京都線)


【ルート1】と【ルート2】では、播但線竹田駅からの進む方向が逆であることに注意しましょう。播但線上り(寺前・姫路経由)で行く場合、姫路駅に中間改札という「関所」があります。上り姫路方面へ向かうとき、姫路の中間改札を避ける唯一の方法は、特急【はまかぜ】大阪行きに乗ること。このとき注意すべきことは、【はまかぜ】から新快速などに乗り換えるのは、加古川以東の停車駅のみ可(【はまかぜ】大阪行きは姫路駅の播但線ホームに停車。逆に【はまかぜ】香住・鳥取方面行きは、姫路駅7番のりばに停車するため、姫路駅で山陽本線→播但線に中間改札を通らないで乗り換え可能な唯一の方法)

したがって特急列車を使わない場合は、必然的に逆方向(和田山経由)へ回ることになります。本当にややこしいですね。

【ルート1】では、興味深いことに、福知山線の「丹波竹田」駅を通り(播但線竹田駅とともに同じ兵庫県にある)、さらに2つの「古市」駅(JR,近鉄)を通過します。本来、京都駅で乗り換えて近鉄京都線または地下鉄烏丸線で竹田駅に行くルートが最短経路で実用的ですが、これだとノーラッチの旅が成立しません。少なくとも大阪府・奈良県を経由する必要があります(もちろん、三重県まで遠回りも可能です)。

大回りで三重県を回るなら、せっかくだから、次のルートが面白いでしょう。

【ルート3】
竹田      ~ 和田山      (JR播但線)
和田山     ~ 福知山      (JR山陰本線)
福知山     ~ 東舞鶴      (JR山陰本線・舞鶴線)
東舞鶴     ~ 敦賀       (JR小浜線)
敦賀      ~ 米原       (JR北陸本線)
米原      ~ 名古屋      (JR東海道本線)

名古屋     ~ 津        (快速【みえ】または特急【南紀】)
津       ~ 大和八木     (近鉄特急アーバンライナー)
(または)
名古屋     ~ 松阪       (
快速【みえ】または特急【南紀】)
松阪      ~ 大和八木     (近鉄山田線・大阪線)

大和八木    ~ 竹田       (近鉄橿原・京都線)


【ルート3】で特に注意すべき点は、新幹線の利用は不可ということ(ノーラッチの条件があるため)。敦賀~米原~名古屋間で先を急ぎたいなら、特急【しらさぎ】に課金するのもありでしょう。


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山陰本線園部-綾部間のある駅でした(胡麻あたりだったかな)。福知山行きワンマン普通列車(キハ58系)が行き違い停車中、窓を開けて通過中の京都行き【丹後】(キハ58系)を撮りました。【丹後】は廃止まで国鉄急行色を保ち、グリーン車(キロ)が連結され、国鉄時代の急行全盛期の面影をとどめていました。

下手な写真仕上がりになってしまったが、当時の記録を伝える意味では貴重だと思います。電車運転に向けたホーム嵩上げ工事中の風景も、電化直前ならではでしょう。

 


国鉄時代、全国各地を網の目のように走った急行列車。 国鉄の優等列車(特急・急行)は基本的に大都市または県庁所在地を拠点に、各地方を結ぶ速達列車でした。ここでは、「県庁所在地を通らない」急行列車(北海道を除く)について、挙げてみたいと思います。

まず、紀勢本線・参宮線の【はまゆう】が挙げられます。【はまゆう】の運転区間は、紀伊勝浦-鳥羽間(伊勢市-鳥羽間普通列車になるものもあり)。三重県・和歌山県を走り、伊勢志摩と南紀の2観光地を結ぶ列車でした。設定本数は最大で下り(紀伊勝浦行き)1本、上り(鳥羽行き)2本。下りが1本だけなのは、鳥羽発天王寺行きのロングラン【きのくに】があったため。鳥羽・伊勢市~大阪市内へは近鉄特急が最短最速ですが、【きのくに】は紀勢本線を大回り。いずれも気動車(キハ58系)での運用でした。このほか、紀勢本線紀伊田辺→新宮のみの【きのくに】(新宮電化前は名古屋行き【紀州】だった)が設定された時期もあります。

次に日田彦山線~久大本線の【日田】(直方-由布院)、【あさぎり】(門司港-天ヶ瀬・由布院)、【はんだ】(門司港-由布院、筑豊本線・伊田線経由)、【あきよし】(江津・浜田-天ヶ瀬)。いずれも福岡県北九州市と大分県の有名観光地・湯布院を結んでいました。【あきよし】は山陰本線からの直通で、島根・山口・福岡・大分4県跨いで300km以上のロングランながら、県庁所在地は一つも通らずでした。片道(上り)のみ【ひこさん】(由布院→博多、小倉経由)もありました。やはりいずれも気動車での運用だったが、北九州・筑豊地区のみに投入されたキハ66系(2ドア・転換クロスシート)も使用されたことがあります。日田彦山線は2017年7月豪雨に伴い、現在添田-夜明間はバス代行輸送に転換されています。

小浜線・舞鶴線の【わかさ】【はしだて】。【わかさ】【はしだて】はもともと福井から敦賀まで北陸本線に乗り入れ、福井県庁と県西部の若狭地方を結ぶ県内速達が主な使命で、京都府北部の東舞鶴または西舞鶴まで乗り入れていました。【わかさ】の片道1本は、西舞鶴から【丹後】に化けて山陰本線経由京都駅まで走行。【はしだて】は、その名称の通り、西舞鶴から宮津線(→北近畿タンゴ鉄道→京都丹後鉄道)に直通し天橋立まで足を伸ばしていました。ただ、のちに北陸本線福井直通が廃止(あるいは北陸本線内普通列車に格下げ)されたため、京都行き【わかさ】1本を除き、県庁を通らない急行列車に。そして【わかさ】末期は、小浜線内完結(敦賀-東舞鶴)のローカル急行に成り下がりました。


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福知山線~山陰本線城崎電化時に登場した113系800番台。国鉄末期~JR初期の頃でした。

113系初期車(0番台)からの改造で、塗装は黄色ベースに青帯という、なかなか派手でした。所属は福知山電車区(福フチ)。写真の編成は、短い2両(クモハ-クモハ?)でした。右側に写っているのは、岡山から転属してきた湘南色115系ですね。

福知山線113系について詳細は割愛しますが、この塗装が見られたのも、わずか4~5年ほどでした。電化からしばらく経って福知山線に快速が新設され、117系が福知山線の快速に転用投入されるのに合わせ、フチ113系の塗装も再び変更されました。同じタイミングで、一部は七尾線電化用に415系800番台に改造されました。


福知山線快速用117系です。白地に緑の帯を配した塗装デザインで、JR東日本185系【踊り子】を髣髴とさせる印象でした。1990~2007年ごろまで存在しました。

一時期、山陰本線福知山-城崎温泉間の運用にも入り、早朝の大阪発城崎温泉行き普通電車に使用されていた記憶があります。また、福知山色が奈良線の運用に入ることもありました。

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JR東海から譲渡されたキハ85系(右)と、タンゴエクスプローラー(左)のツーショットです。

キハ85系の綺麗な姿とは対照的に、タンゴエクスプローラーは車体の錆が目立ち、痛々しい姿でした。
 


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JR西日本小浜線用125系(金沢総合車両所敦賀支所所属)が、今月のダイヤ改正より舞鶴線経由福知山駅までの定期運用が復活しました。

125系は2003年小浜線電化開業に合わせて新製。今年で小浜線電化20年目の節目を迎えました。電化当初、125系は福知山電車区の所属で、福知山~(山陰本線・舞鶴線)~西舞鶴~(舞鶴線)~東舞鶴~(小浜線)~敦賀間にて運用されていました。当時、敦賀駅構内では北陸本線は交流電化、小浜線は直流電化のため、小浜線用の(直流)電車は舞鶴線・山陰本線ほかと共通で福知山の所属でした。125系のほか、113系体質改善工事施工車(7700番台)の4連×4本(W41・42・43・46)が小浜線用として、独特の塗装を配して福知山に配属。

しかし、3年後の2006年北陸本線敦賀以南直流化&新快速敦賀直通運転開始に伴うダイヤ改正で、小浜線用125系は敦賀区の所属に。125系の西舞鶴以西の運用はなくなりました。一方、北陸本線用の新車521系交直流電車が、一部小浜線で使用されます。

2010年以降、小浜線の電車は125系に統一。113系は京都所に出戻り、古巣の湖西線・草津線で最後の活躍を務めることに。

今月のダイヤ改正で、125系の福知山乗り入れは17年ぶりとなります。来年の北陸新幹線敦賀延伸開業で、小浜線用の車両の扱いはどうなるのか、気になるところ。北陸本線敦賀以北がJRの路線でなくなるため、小浜線用の車両は福知山区に再移管されることも考えられます。福知山地区に残る113系の処遇ともども、注目材料でしょう。

なお、125系は2004年加古川線電化時に、加古川線にも投入されています。


かねがね噂されていましたが、JR東海の特急型気動車キハ85系が京都丹後鉄道に譲渡されました。

該当車両はキハ85-3+キハ85-12の2両。先月下旬から京都鉄道博物館に後継のHC85系と並んで展示されていました。展示終了後、宮原からそのまま西舞鶴まで、まさかの自力回送というサプライズ劇を展開。回送経路は、福知山線(JR宝塚線)~山陰本線~舞鶴線。深夜時間帯の運行ではあるが、福知山線へのキハ85系入線は「最初で最後だろう」ということで注目の的でした。Youtubeで回送シーンの動画がいっぱい上がっていますね。

2023年度中にキハ85系がさらに2両、京都丹後鉄道に譲渡される予定です。

代替対象車両は「タンゴエクスプローラー」KTR001形(3両編成×2本)。製造時期はキハ85系とほぼ同じ(今回送られた2両はKTR001形よりも少し古いです)。KTR001形は以前、JR西日本に乗り入れ、京都や新大阪に足を伸ばしていたが、バリアフリー基準を満たしていないなどの理由で、10年前に定期運用を失いました。その後、予備車として運用されるものの年々稼働率が下がり、痛々しい姿で西舞鶴運転区に留置されています。

譲渡後も外観・内装には手を加えずに運用するらしいが、実際どの列車に使用されるのか気になるところ。これから乗務員訓練・試運転などを経て、2023年度中に営業運転を開始する見込みです。


既にご存知の方も多いと思いますが、 京都丹後鉄道(旧・北近畿タンゴ鉄道)のハイデッカー気動車・「タンゴエクスプローラー」KTR001形の1編成が解体されてしまいました。

KTR001型は1990年JR宮津線の北近畿タンゴ鉄道への転換に合わせ、同社の看板車両としてデビュー。1992年までに3両編成×2本が揃います。眺望を重視したハイデッカーの豪華仕様であり、特急列車でJRに乗り入れ、京都・新大阪・大阪駅まで足を伸ばしていました。私は実際に乗車したことはないが、バブル経済絶頂期のデザインであり、JR西日本の既存の特急型車両をはるかに上回る魅力的存在で、今流行の観光特急の嚆矢というべき存在だったと思います。

しかし、ハイデッカー構造が仇となってバリアフリーに非対応なこと、その他の理由により、2013年以降定期運用に入ることがなくなり、西舞鶴車庫で長期休車状態に。雨風に晒され塗装は剥げ落ち、ボロボロの惨めな姿に成り果てました。リニュアルにも手の施しようがなく、年々稼働率は下がる一方。第1編成は既に部品取り用と化し、2022年9月にいよいよ解体される運びとなりました。

後継車両として、引退予定のJR東海キハ85系との噂もあるが、どうなることでしょうか?



JR西日本福知山電車区に唯一残存していた115系R1編成が廃車回送されました。

当編成は1999年舞鶴線電化時にワンマンを含めて改造を施された編成。組成は

【クモハ114-6123】(元・モハ114-1123)-【クモハ115-6510】(元・クモハ115-1510)

クモハ114-6123は中間車モハからの改造ゆえ、運転台の顔は切妻型こと通称「食パン」顔が特徴です。

舞鶴線電化時に115系R1~R5の2連×5両=10両が福知山に投入されました。このうちR2~R5は2008~09年に223系5500番台に置き換えられ、下関へ転属。なぜかR1だけが12年近く福知山で生き延びましたが、ついに廃車されることになりました。近年の減便傾向ゆえ、後継車両はないようです。

下の写真はカフェオー色時代のR1編成のイメージです(2009年撮影、もしかしたら113系かもしれない)。
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【情報ソース】
115系R1編成吹田総合車両所入場(廃車)回送(2nd-train)
https://2nd-train.net/topics/article/40736/



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和田山駅に留置中のキハ58系(1996年)。

急行【丹後】廃止で役目を終えた車両が疎開中のようでした。キロ28の原型窓姿が美しいですね(^-^)


国鉄時代末期~JR初期頃の山陰本線京都口(主に嵯峨野線)の写真を並べてみました。

JR発足から2年後(1989年)、保津峡区間が新線に切り替わり、その翌年京都-園部間が電化されました。電化前は気動車・客車列車が行き交うローカル線でした。

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早朝の京都駅に停車中のキハ47普通列車

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京都駅に並ぶキハ47たち

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キハ181系【あさしお】

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和知駅に停車中の12系客車列車京都行き

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キハ58系普通列車
キハ58系は急行【丹後】のほか、電化直前の頃は普通列車にも多く使用された

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(おまけ)京都駅での急行【丹後】と113系普通電車(園部行き)のツーショット
園部-綾部(福知山)間電化開業(1996年)に伴い、【あさしお】【丹後】は廃止



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キハ181系特急型気動車の最後の活躍について書いてみました。

キハ181系の定期列車が【はまかぜ】のみとなった、2005年~2010年の5年間に絞ります。

当時、キハ181系はJR西日本・京都総合車両所のみの配置となり、「JR西日本カラー」に塗り替えられていました。

【はまかぜ】は、大阪-香住・浜坂・鳥取を播但線経由で結んでいます。特に東海道・山陽本線区間(大阪-姫路)にて、DML30HSC型エンジンをフル回転させて、新快速(223系)から逃げ切るべく全力疾走で翔け、そして播但線の難所・生野峠に挑む姿は、圧巻だったでしょう。【はまかぜ】にはグリーン車(キロ180)が連結され(最長7両編成)、列車番号も1D~6Dを名乗り、往年の国鉄特別急行を彷彿とさせる勇姿でしたね。
 
臨時・団体列車では、毎年カニシーズンお約束の【かにカニはまかぜ】(大阪-浜坂)、そして姫路から奈良・伊勢志摩方面への修学旅行団体列車も忘れられません。

修学旅行臨の運転経路は、

(1日目) 姫路~京都~(奈良線)~奈良~亀山~伊勢市・鳥羽
(2日目) 鳥羽・伊勢市~亀山~柘植~(草津線)~草津~姫路

が一般的でした(2005年以前は阪和線から阪和貨物線経由の列車も設定されていた)。奈良線・関西本線・草津線、そしてJR東海の紀勢本線・参宮線にも半ば定期的に乗り入れていました。加太越えに挑むキハ181系も見どころだったでしょう。

そして、2009年紀勢本線全通50周年記念イベントで、キハ181系が抜擢されました。なんと、JR東海区間の新宮→亀山を臨時急行として走行。多気以北は修学旅行臨で通い慣れた道ですが、新宮-多気間に入線するのは最初で最後でした。

キハ181系の定期運転は2010年晩秋で終了。【はまかぜ】はキハ189系に置き換えられました(グリーン車連結は廃止)。修学旅行臨も伊勢志摩方面は2010年度を最後に廃止、以降キハ189系使用で姫路~奈良間のみに縮小され、奈良線にも時折キハ189系が姿を見せるようになります。その修学旅行臨も数年後には自然消滅に。交通手段もバスにかわり、姫路地区小学校の伝統だった伊勢も断念、京都・奈良に変わったようです。


平成の一時期、東海道・山陽本線(琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線)快速で113系に混じって活躍したことのある115系。 

もともと関西(京阪神)エリアにおいて、115系は基本的に姫路以西の山陽本線・赤穂線でしか見られず、馴染みの薄い車両形式でした(1往復だけ姫路を跨いで西明石発着もあったが)。国鉄時代最末期の1987年(昭和62年)、福知山線(福知山区)に115系が登場するが(全線電化開業に伴う利用客急増で車両不足を補うため、岡山から115系を転属。113系800番台と同じ福知山色に塗装変更される)、関西でマイナーな車両形式だったことには変わりません。

ただ、その数年後、1992年(平成4年)に新快速の221系化に伴う余剰117系モハユニット(宮原)が岡山地区用115系3500番台に転用改造されることになり、トレードで115系の一部が岡山から網干に転属、京阪神地区の快速電車で使用開始しました。113系と同じ湘南色でした(岡山の115系も湘南色)。

そもそも基本的に2~4両編成単位のJR西日本管内にはサハ115が在籍せず(サハ111-2000→7000番台から改造のサハ115-7000番台が少数だけ登場するが、数年で廃車)、編成の長い京阪神地区ではどんな組成内容だったのか興味津々で調べてみました。

大前提として網干の113・115系は共通運用であること。実際、113系との混結も含め、以下の組成がありました。

←大垣・米原                        →姫路・網干
             (基本K編成)
クモハ115-モハ114-モハ115-モハ114-モハ115-モハ114-クハ115
クモハ115-モハ114-サハ111-サハ111-モハ113-モハ112-クハ115

             (付属F編成)
クハ115-モハ115-モハ114-クハ115
クモハ115-モハ114-サハ111-クハ115


網干の115系組成は非常にユニークなものでしたね。

基本K編成(7両)は、米原(東京)方先頭車がクモハの6M1Tという強力編成があるかと思えば、同じく米原方はクモハ+モハの115系ユニット、中間は113系のサハ111×2両とモハユニット(2両)を挟んで、姫路(下関)方先頭車はクハ115の4M3Tも存在しました。その後、一部の115系は岡山などに里帰り、4M3T編成は1995年ごろに解消しました。

付属F編成(4両)は、先頭車は両方ともクハ115の標準的な編成と、クモハ+モハのユニットとクハ115の間にサハ111を挟んだ混結編成があり、いずれも2M2T。

網干の113・115系には110km/h運転対応改造が施され、原車番+5000に改番されています。

1999年舞鶴線電化に合わせ、クモハ115を含むモハユニットが福知山に転属改造(クモハ115+クモハ114、ワンマン対応)されました。クモハ114の顔は、JR西日本お得意の「食パン」ですね。網干に残されたモハユニット(モハ115-モハ114)は113系のクハとサハを組み込み、

クハ111-モハ115-モハ114-サハ111-モハ115-モハ114-クハ111

という、113系基本編成と同様の組成が登場しました。網干の115系先頭車はこの時点で消滅したことになります。

京阪神快速での113・115系は、2004年(平成16年)に引退しました。網干の113・115系は、JR東海管内の大垣まで定期列車で乗り入れていました。

なお、阪神淡路大震災(1995年)特別輸送に伴う車両需給の関係で、山陰本線京都口(嵯峨野線)に115系(瀬戸内色)が広島から一時的に貸し出されたこともあります(瀬戸内色4両+赤帯113系4両という異色の8両編成もあったとか)。その後、嵯峨野線では福知山から前述の舞鶴線用2両ワンマンが113系4両編成と連結運用で、京都まで乗り入れています。


(参考資料)
神戸鉄道資料館 113系・115系

https://www.rail.ac/jr/car/113/index.html


国鉄115系電車(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84115%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A



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福知山線で活躍していた117系です。

もともと新快速で活躍していましたが、221系登場に伴い福知山線の快速用に転用され、独自の新カラー(緑帯)が配されました。福知山線では1990年から2005年まで活躍していました。福知山線のほか、山陰本線福知山-城崎間ローカルにも間合いで使用されていました。1986年の電化開業当初、初期型113系を改造した800番台が投入されるが、113系よりも117系のほうが断然快適でした。

117系は福知山線のほか、奈良線の快速用(原色のまま)にも転用されるが、所属は同じ宮原総合車両所でした。


JR誕生(1987年)から2000年ごろまで福知山地区で使用されていた、キハ47・福知山色の画像をアップしました。

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城崎(現・城崎温泉)に停車中の浜坂方面行き
117系福知山線色も一時期城崎まで乗り入れていた

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園部駅に停車中の福知山行き普通列車
園部-綾部間電化開業直前の頃(1996年)

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ワンマン改造前の姿 国鉄時代の面影が色濃く残っていた頃(1988年)
 


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気動車特急【あさしお】。

急行【丹後】ともども、非電化時代の山陰本線京都口(主に京都-福知山間)を代表する優等列車でした。

【あさしお】【丹後】とも、列車ごとに行き先はバラバラで、【あさしお】は城崎・倉吉・米子・東舞鶴行きがあり、城崎行きについては舞鶴・宮津線(→京都丹後鉄道)経由もありと、運転系統も複雑でした。

さっそく宮津線経由の【あさしお】について紹介したいと思います。

この宮津線回りで京都-城崎を結ぶ【あさしお】は、綾部・西舞鶴・豊岡で合計3回のスイッチバック運転でした。気動車急行のスイッチバックは珍しくないが(同じく宮津線を走行した名古屋-出雲市間の【大社】も3回のスイッチバック)、特急列車のスイッチバックはそれほど多くないと思います。

スイッチバック運転の特急といえば、【はまかぜ】【ひだ】【しらさぎ】などがあるが、せいぜい1回か多くて2回ぐらいでしょう。3回以上スイッチバックする特急列車は、なかなか珍しいと思います。スイッチバックが多いと、それだけ停車時間を要し、また座席の向きを頻繁に変えないといけないので、乗務員・利用客双方にデメリットが多いですね。

宮津線経由の【あさしお】は、北近畿の2大観光地、天橋立と城崎温泉を直結する列車でした。京都駅から乗車するときに、進行方向右側の座席を確保すれば、座席の向きを変えることなく(舞鶴線内と豊岡-城崎間は進行方向と逆向き)車窓から若狭湾や天橋立の景色を望むことができました。

宮津線は1990年、第三セクターに転換(北近畿タンゴ鉄道→京都丹後鉄道)するが、山陰本線園部-綾部・福知山間電化開業の1996年3月まで運転されました。

【あさしお】をはじめ北近畿を走る特急型気動車(キハ80系、キハ181系)は、向日町・米子の2区の所属でした。1986年11月福知山線電化で【まつかぜ】廃止、1996年に【あさしお】廃止後も、播但線経由の【はまかぜ】が残っています。【はまかぜ】は最後のキハ181系定期列車で、キハ189系に置き換えられました。


JR福知山線(JR宝塚線)の駅名について、ネタと思ったことを挙げてみました。

1)「広野」「草野」は福島県の同じJR常磐線にも存在
2)「古市」「柏原」は大阪府内の近鉄にも存在
3)「寺」のつく駅名が複数ある(「猪名寺」「中山寺」)


1)「広野」「草野」(それぞれ兵庫県三田市、丹波篠山市)について、両駅間の距離は9.8km、その間は2駅です。常磐線のほうは、「広野」「草野」(福島県広野町、いわき市)の位置関係が福知山線と逆ですが、両駅間は17.6km、途中3駅で、距離・駅数ともに驚くほど近接しています。

2)近鉄の「古市」駅は南大阪線・長野線との分岐駅、「柏原」は道明寺線の終点でJR関西本線(大和路線)と接続です。さらに道明寺線が「古市」の隣「道明寺」から分岐する支線であることは、何かの不思議な由縁を感じさせます。

「柏原」の読み方は福知山線は「かいばら」、近鉄・関西本線は「かしわら」であり、後者は市の名前にもなっています。福知山線の「柏原」は旧・氷上郡柏原町の名前そのものだったが、平成の市町村合併に伴い丹波市に変わりました。

福知山線の柏原駅といえば、大阪・花博会場で使用された「山の駅」駅舎で有名で、レストランもあり、駅弁「豚めし」が販売されています。

3)「寺」のつく駅といえば、JRでは古代史の舞台(奈良・大阪南東部)を走る関西本線などに多く、特に大和路快速の停車駅は「寺」のつく駅名が連続することでかなり有名ですが、兵庫県の福知山線にも何気に2つ存在するのは意外です。

中山寺(兵庫県宝塚市)といえば、聖武天皇が建立した日本最初の観音霊場とされており、西国三十三箇所観音霊場第24番札所です。並走する阪急宝塚線に「中山観音」駅があります。なお、猪名寺(尼崎市)は廃寺跡のみが残っています。

* * * *

福知山線は尼崎と福知山を縦に結ぶ全長106.5kmの路線で、大半は兵庫県を通るが終点・福知山駅のみ京都府です。その事情もあってか、福知山市が兵庫県と誤解されやすいようですね。なお、尼崎-篠山口間は大阪近郊の通勤路線という位置づけのため、「JR宝塚線」という愛称が付いています。



113系の日に因んで・・・

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113系といえば、やはりこのカラーでしょう

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カフェオーレ色も過去のものに(草津線・柘植にて)

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近畿圏では、この「抹茶色」に統一されましたね(草津線)

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「忍」トレインラッピング編成です 草津線・湖西線で運用中

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福知山には3800番台こと「サンパチ君」と呼ばれるゲテモノが有名ですね

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福知山には湘南色の5300番台もいました



JR西日本の先頭車化改造車たちの顔を並べてみました。

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加古川線 103系3500番台

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福知山の113系3800番台 こと サンパチくん
旧型国電風のスタイルが傑作

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岡山地区にはこんなのもいます

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マリンライナーからローカル用に転用された213系クハ212(元サハ213)

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北陸には国鉄時代末期に登場した寝台電車583系改造の419系が
「食パン」と呼ばれていますね

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和歌山線の105系も先頭車化改造車

ほかにも、103系・113・115系の先頭車化改造(顔は原型クハから移植)やキハ41形(キハ47の両運転台化)、485系の切妻顔、キハ53 1000番台(キハ58の両運転台化)なんかも生まれましたね。


JR西日本では、この秋、「関西近郊 休日ぶらり旅きっぷ」を発売中です。

発売期間は2020年9月18日~2020年12月19日、利用期間は2020年9月19日~12月20日。土休日の1日または連続する2日間です。利用前日までに購入する必要があります(2日間用は12月19日利用開始分までなので12月18日まで発売)。発売価格は

1日用 2,600円(おとな)1,300円(こども)
2日用 4,500円(おとな)2,300円(こども)

自由周遊区間は、「大阪近郊区間」のほぼ全範囲(加古川線を除く)に加え、敦賀・福知山・和田岬までの利用が可能となっています。福知山や敦賀まで回れるのがこの商品の最大のポイントと言えるでしょう。利用可能な列車は自由周遊区間内の普通列車普通車自由席(新快速・快速を含む)。なお、特急・新幹線には乗車できません(したがって「青春18きっぷ」と同じ効力)。

このきっぷの呈示でレンタサイクルが1日何回も利用可能です。また4,000円で駅レンタカーも利用できます。

発売・受取エリアは意外に限られており、滋賀県内および西明石以西などでは不可です。詳しくは公式パンフレット等を参照。

いくつかの制限やクセはあるものの、京阪神都市部および周辺を起点に71kmの往復で利用すればお得でしょう(滋賀県や姫路、福知山から京阪神へのお出かけには使いにくいですが)。


(JR西日本公式リリース)
https://www.westjr.co.jp/press/article/items/200914_00_tabikippu.pdf

「関西近郊 休日ぶらり旅きっぷ」の研究。おトクだけれど、クセがある(タビリス)
https://tabiris.com/archives/kyujitsuburari/



播但線経由で大阪・神戸と兵庫県北部(但馬)を結んでいた急行【但馬】。

非電化区間を通るため、定期列車はもちろんのこと気動車(キハ58系)使用でした。

運転区間は、大阪・姫路~豊岡・城崎・浜坂・鳥取間で、多いときで4往復(季節臨含む)設定されていました。特急【はまかぜ】とともに、播但線を代表する優等列車。【はまかぜ】は播但線内ノンストップなのに対して、【但馬】は寺前や生野などの主要駅に停車。

【但馬】のうち、大阪発着列車にはグリーン車(キロ28)連結ですが、姫路発着は普通車のみの身軽な編成でローカル急行の印象が強かったようでした。大阪発着列車には、東海道・山陽本線内で姫新線直通の【みささ】【みまさか】に連結されるものもありました(1985年3月まで)。

車両の所属区について、国鉄時代末期までは福知山・豊岡(福知山局)と西鳥取(米子局)の3区が受け持ち。福知山区所属は福知山線の【丹波】と共通運用で、福知山~大阪~(宮原)~浜坂~大阪~(宮原)~福知山という運用ルートでした。西鳥取区編成にはキハ65形も連結され、北近畿では珍しい存在でした。

国鉄からJRに変わり、1989年3月ダイヤ改正で、【みささ】【みまさか】廃止と合わせ、【但馬】の大阪直通は臨時列車のみに。定期列車は播但線・山陰本線内折り返しとなります。同時にグリーン車連結も廃止され、2往復に縮小。末期は福知山運転所と鳥取鉄道部の2区が担当するが、1996年3月で廃止。一部は【はまかぜ】に格上げとなります。

播但線は、1992年まで客車普通列車が多数設定されていたが、七尾線や小浜線ほかJR西日本各地から余剰となったキハ58系を転用とともにロングシート化改造を受け(キハ28・58 5500番台)、客車列車を置き換え、姫路口のラッシュ運用に対応。5500番台は姫路鉄道部所属で、オリジナルカラーに塗装変更。ほかに【但馬】間合いの運用もあって、国鉄急行色かつクロスシートの原形スタイルでした。福知山の国鉄急行色と姫路色のキハ(40系、58系5500番台)との連結運用もありました。

1995年阪神・淡路大震災で東海道・山陽本線が寸断され、大阪~姫路間の迂回ルートとなる播但線に臨時列車を増発する際、車両不足を補うためにJR東日本の秋田や盛岡からもキハ58系を福知山区に借り入れ、【但馬】編成などにも増結されました。

国鉄~JR初期の頃まで、【但馬】の臨時便といえる、海水浴臨の急行【○○ビーチ】【マリン○○】も設定され、客車が使用されました。大阪~姫路間はEF58形に牽引され、往年の山陽筋の客車急行を彷彿とさせる姿だったようですね。


現在、JR西日本のキハ40系は、国鉄時代と同じ「タラコ色」に統一されているが、10年ほど前までは、地域ごとにいろんなバリエーションが楽しめました。


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加古川線電化とともに消えたカラー
加古川線を追われた後、しばらく姫新線姫路口の運用に入ってた

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広島色のまま津山線の急行【つやま】で活躍したキハ48

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鮮やかなワインレッドの「豊岡色」
播但線北部と山陰本線豊岡-浜坂間で運用


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旧・広島色キハ40・47

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鳥取・米子地区のキハ40系は「タラコ色」のままだったが
ユニークなラッピング車も見られた

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単色化前の岡山地区は、N40改造の113系をイメージする「カフェオーレ」色
津山線の快速【ことぶき】や吉備線などで活躍

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初代福知山色のキハ47
塗装変更されたとはいえ、国鉄の面影が濃厚だった

残念ながら、手持ちの写真は、大体これぐらいです。
北陸地区(氷見線、城端線)および姫路色(播但線電化前および姫新線)の写真は撮らずじまいです・・・


1996年秋、「西日本 鉄道の日 一日きっぷ」を使って、北近畿・山陰の旅に出ました。

さっそく、大阪駅から朝一番の福知山線普通・福知山行きに乗車。確か117系だったと思います。117系は当時の福知山線(JR宝塚線)快速の主力車両だったが、普通電車の運用に入ることもありました。福知山で城崎行き(113系?)に乗り換え。城崎で気動車に乗り継ぎ、浜坂を経て鳥取まで。 

鳥取からの帰路は、かなりな大回りルートとなってしまいました。因美線・津山線・姫新線経由などの選択ももちろん可能だが、今回は山陰海岸の景色を堪能したいということもあり、あえて往路と同じ山陰本線経由にしました。鳥取発豊岡行き普通列車はキハ58系(鳥取鉄道部所属)だったように記憶しています。鳥取・米子地区のキハ58系は、快速列車中心の運用ということもあって、車内は座席モケットが交換されるもののボックスシートのままであり、外観は国鉄急行色でした。山陰海岸は少し荒れていて、山陰路の冬の訪れを感じました。

豊岡から福知山までは113系だったはずだが、福知山から先、舞鶴線・小浜線を寄り道してしまいました。福知山発東舞鶴行きのキハ58系ワンマン列車に乗り継ぎます。山陰本線園部-綾部・福知山間が電化され急行【丹後】も廃止されてしまったが、舞鶴線は非電化のままだったため、キハ58系の普通列車に乗れるチャンスはまだありました(3年後の1999年、舞鶴線電化)。

東舞鶴乗り継ぎの小浜線敦賀行きもキハ58系(小浜色、ワンマン)。そのまま敦賀まで乗り通したいという思いもあったが、敦賀から先の連絡が不安なので、上中で降りてJRバス若江線で近江今津へ抜けることにしました。そして、湖西線京都行きの113系で旅の締めくくりです。

京都駅からは近鉄・京阪で枚方市に戻りました。


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北近畿タンゴ鉄道(現・京都丹後鉄道)時代のタンゴエクスプローラーです。
塗装イメージは、283系オーシャンアローに似ていますね。京都駅にはタンゴエクスプローラーとオーシャンアローが両方乗り入れていたので、なおさら間違いそうです。
 


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1996年廃止直前の<あさしお>です。たぶん豊岡にて。
末期は絵入りヘッドマークの盗難が相次いでいたようで、文字だけのものとなっていました。 


新快速運転区間に有料座席車を設定するとのニュースで話題になっているところ、221系使用の臨時急行のことをふと思い出しました。

1991~92年の海水浴シーズンに運転された<マリンしらはま221>(京都-白浜)と<マリン城崎221>(大阪-城崎)です。

当時、221系近郊型電車は増備中の過程にあり、221系車両の広域的セールスも兼ねてのことか、近畿圏を中心に西日本各地(JR四国・東海エリアにも足を伸ばす)への行楽臨時列車に起用されることも多かったです。

本来、新快速・快速を中心に使用される車両ですが、特別料金を要する急行列車に使用されたこともあり、いわゆる「遜色急行」の部類に含まれます。しかも全座席指定だったかと思います。当時の最新型車両で転換クロスシートである分、旧来の急行型車両(165系、475系、キハ58系)に比べてはるかに快適で内装・外観デザインや走行性能も優秀と言えるが、3ドア・デッキ無しで車内広告があるがため優等列車にふさわしくない(中央扉は締め切り扱いしていたが)、また通常は料金不要で乗車できる車両なのに全座席指定とは何事か、といった厳しい意見も多かったようです。

結局、2年ほどしか続かず、以降は旧来の165系が使用されるようになりました。

その後も、221系臨時快速列車は花盛りですが、223系増備などの影響もあり、徐々に減ってゆきます。

ちなみに、3ドア転換クロスシート車使用の定期急行列車として、キハ75系の<かすが>が有名です。キハ75系は主に快速<みえ>で使用中、指定席も設定されています。



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よく考えたら、北近畿地区のJR線(JR西日本福知山支社)と房総各線(JR東日本千葉支社)は意外な類似点がかなりあるように思われます。

国鉄時代はともかく、近年の北近畿地区のJRは電車特急が幅を利かせていて運転系統がやや複雑で種類も多く(<こうのとり><きのさき><まいづる>)、その割に高々150km程度の短距離という点で、房総各線の優等列車との類似点が見いだせます。しかも最近まで(国鉄特急色)183系を使用していた点でも共通しています。ただし、福知山の183系は485系を直流化改造したものであり、東日本地区の純正183系とは異なります。かつては北近畿といえば京都・大阪と山陰を結ぶ長距離気動車特急<まつかぜ>、急行<だいせん>、東京からの寝台特急<出雲>や長距離客車鈍行の表舞台だったところですが、電化区間延伸と引き換えに長距離列車は廃止、短距離特急ばかりとなって面白くなくなりました。

このほか、113系が近年まで残っていたことでも北近畿と房総地区は共通していると言えます。ただし、北近畿地区の113系はワンマン・短編成改造を受けたものがほとんど。


豊岡・城崎温泉の駅弁販売業者、たで川さんが撤退して6年ほど経過。

北近畿エリアの駅弁は相次いで撤退しており、牛肉系弁当で有名な和田山駅が残るだけとなっていました。

しかし、この夏より、城崎温泉駅に神戸・淡路屋さんの駅弁が販売されるようになった模様。

近年、淡路屋さんは神戸ばかりか大阪や京都にも進出しており、近鉄難波駅などでも販売されています。「しまかぜ」車内で販売の「しまかぜ弁当」も、大阪・京都発は淡路屋の製造です。

そして、カニと温泉の奥座敷・城崎にも進出。

今や淡路屋さんは関西一円の駅弁業者となりましたね。

いっそのこと、奈良の駅弁も手がけたらどうでしょうか(笑)



今ふと気づいたんだが、兵庫県但馬地方(豊岡、城崎ほか)と京阪神を直通する列車は、同じ県内の神戸市よりも、大阪市および京都市発着列車のほうが多い。

豊岡・城崎温泉からは大阪・新大阪へ福知山線経由の特急<こうのとり>、京都へは山陰本線経由<きのさき>がそれぞれ発着している。<こうのとり>は7往復、<きのさき>は4往復で、287・289系電車で運転されている。

神戸市(神戸、三ノ宮)へは、<はまかぜ>が播但線経由大阪行きが1日3往復発着している。播但線の一部は非電化のためキハ189系使用だが、気動車の利点を生かし山陰本線城崎温泉以西の非電化区間へ進んで香住・浜坂そして鳥取まで乗り入れる。

すなわち、大阪へは福知山線経由と播但線経由の2ルートが存在、播但線経由のほうが距離が長い。ただし、和田山以西~大阪間を乗り通すとき、特急券の料金は距離の短い福知山線経由で計算することになっている。

福知山線経由<こうのとり>のほうが早いのに播但線経由の<はまかぜ>が存在する理由は、姫路や神戸への利便性確保のためで、兵庫県内優等列車としての使命を担っている。実際、<はまかぜ>は大阪駅発着の時点では空気輸送のことが多く、三ノ宮・神戸から客の出入りが見られる。<はまかぜ>の新大阪発着は無く、代わりに<こうのとり>が全て新大阪まで乗り入れている。

<はまかぜ>の魅力の一つは車窓から海の景色を楽しめることだろう。JR神戸線須磨-明石間付近で明石海峡と淡路島、城崎温泉以西の山陰本線では山陰海岸(日本海)の絶景が堪能できる。

福知山線経由の<こうのとり>も、実は少しだけ神戸市を掠る(道場駅付近)が、神戸市街地とは遠く離れた山あいのところにある。神戸市内へは三田で神戸電鉄、宝塚で阪急今津線・神戸線、もしくは尼崎でJR神戸線に乗り換える必要がある。尼崎は昔、基本的に各駅停車しか止まらなかったが、JR東西線開通後、新快速や<こうのとり>なども停車し、各方面への乗り換えの利便を図っている(<はまかぜ>は尼崎通過)。

このほか、豊岡-京都間には宮津線(京都丹後鉄道)経由の特急列車(豊岡-久美浜間各駅停車)も2往復運転されている。宮津線経由だと大半の区間が京都府内であり、丹後地域~京都市内を直通する役目を担っている。



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昭和の急行全盛期をもたらし、幹線からローカル線の末端部分まで隅々に急行列車網を築いた気動車急行。

キハ58系に代表される急行型気動車は、東京・大阪の国電区間および電化ローカル線など一部例外を除き、電化・非電化を問わず北海道から九州まで全国各地の国鉄線をほぼ隈なく駆け巡り、「レールさえあればどこでも行ける」万能選手の象徴、各地のふるさとの風景にも見事にマッチしていた。

かつては、山陽本線経由九州直通や、「しらゆき」「大社」「赤倉」など長距離・長編成(10両以上)のユニークな気動車急行も多かったが、1970年代以降、特急列車の大衆化と優等列車の特急一本化の方針が確立、加えて道路整備に伴って自家用車の普及や高速バス台頭の波に飲まれて、足が遅く旧態依然の気動車急行は徐々に数を減らしてゆくことになる。幹線系統の電化進展とともに気動車急行の活躍舞台は専ら非電化のローカル線中心に移行、2~3両の短い編成が多くなる。


さて、ここでは、1980年代以降の気動車急行グリーン車(キロ28ほか)の動きについて解説レポートしてみたい。

全国的に気動車急行を軒並み減らしたのは、東北・上越新幹線大宮開業の1982年11月15日ダイヤ改正だったと言える。

それに先立って、1982年5月南近畿地区では関西本線<かすが>(名古屋-奈良)の2往復への減便とともにキロ連結は廃止、7月伯備線電化で細々と残っていた伯備線内<伯耆>が全廃となる。

11月15日大改正では、東北地方(常磐線系統を除く)の気動車急行が軒並みリストラされる(在来線優等列車全体的に大幅削減)。

新幹線利用への誘導を図るべく、東北の気動車急行は名物の多層建て運転やグリーン車連結が無くなり、東北本線経由上野直通(<おが><出羽><ざおう><いいで>)は全廃、基本的に支線区中心の短編成に様変わり、ローカル色が濃くなる。特に日本海縦貫ロングラン<しらゆき>(金沢-青森)の廃止はかなり象徴的だったと言えよう(併結相手の大糸線直通<白馬>も廃止。<しらゆき>は福井-青森間の電車特急<白鳥2・3号>に変わる。ちなみに大阪と青森を結ぶロングラン客車急行<きたぐに>も新潟以北廃止される)。
東京都内に乗り入れる気動車急行は常磐線の<ひたち><奥久慈>のみとなる(キロ連結はそのまま→東日本唯一のグリーン車連結気動車急行に)。

名古屋-新潟間を中央・篠ノ井・信越本線経由で結ぶ<赤倉>は全区間直流電化下にもかかわらず気動車のままだったが、この改正で165系電車に代替、<佐渡>と共通運用となった(2年半後の1985年3月で廃止)。
同じく名古屋から北陸本線・小浜・宮津線経由山陰の出雲市を結ぶロングラン<大社>も廃止(先立って7月伯備線電化の時点で天橋立折り返しに短縮。福井編成のみ<はしだて>に改めて残存)。
名古屋から高山本線富山経由七尾線に乗り入れる急行もなくなり、共通運用を組んでいた<能登路>のグリーン車連結は廃止。


1984年2月ダイヤ改正では、広島発着芸備・木次線経由陰陽連絡<ちどり>のグリーン車連結が廃止。
<ちどり>はかつて夜行便もあり利用客は多かったそうだが、バス路線整備により利用客は激減、1980年10月改正で夜行便廃止、以降凋落の一途となる。1985年改正では1往復に減便、その後1990年には木次線直通も廃止され、2002年広島口の<みよし>に吸収される形で消滅(→2007年、芸備線の急行は全廃)。


同年10月の奈良・和歌山線電化で、唯一の優等列車、急行<紀ノ川>(京都-和歌山)が廃止。
<紀ノ川>はローカル色の濃い列車で閑散としているにもかかわらず、同じ京都発着草津線経由の<志摩>と共通運用を組んでいることもあって5連・キロ込みの贅沢な編成だった。<紀ノ川>は京都と南紀を結ぶ観光急行<しらはま>の成れの果てだった。


1985年3月のダイヤ改正では、全国的に急行の特急一本化への動きが凄まじい勢いで進み、グリーン車連結の気動車急行は軒並み減らす。
紀勢本線の<きのくに><紀州><はまゆう>は全廃、<志摩>は2往復に増強されるものの(実際には<平安>の運転区間変更)グリーン車連結は無くなる(→翌年11月改正で廃止)。
常磐線の急行列車は特急<ひたち>に一本化され、東日本からグリーン車連結の気動車急行は消滅する。
北海道や九州でも急行のグリーン車連結は廃止、山陰本線西部の<さんべ>なども本数削減とともにグリーン車連結廃止、いずれもローカル色の濃い姿となる。

キロ連結が残る急行列車は、高山本線系統<のりくら><たかやま>、山陰本線京都口<丹後><白兎>、福知山線<丹波><だいせん>、播但線<但馬>、姫新線・因美線<みささ>、津山線・因美線<砂丘>のみで、主に名古屋・関西発着列車に限られる。

なお、<砂丘>のグリーン車はJR発足前後に半室普通車化され、形式も改めてキロハ28となる。


国鉄解体・分割民営化を前に実施された1986年11月ダイヤ改正では、福知山線電化で気動車<まつかぜ><丹波><だいせん>は全て電車特急<北近畿>(485系→183系化)に生まれ変わる。ほかに<白兎>(京都-米子)は特急<あさしお>に格上げとなる。


JR発足から2年目の1989年3月ダイヤ改正では、JR神戸線(東海道・山陽本線)新快速増発と引き換えに姫新線直通<みささ><みまさか>は廃止、同じく大阪から播但線経由<但馬>も姫路発着に短縮、合わせてキロ連結は廃止される。

1990年3月改正で高山本線の<のりくら>は、JR東海自慢のキハ85系特急<ひだ>に置き換えられる。
高山本線の急行は大阪発着<たかやま>1往復のみとなるが、観光需要が高いためグリーン車は残り、翌年には専用編成のリニュアル改装(塗装変更、普通車のリクライニング座席化ほか)を受けグレードアップが図られる。

1996年3月、山陰本線京都口電化で、往年の気動車急行の姿形をとどめていた<丹後>が廃止され、485系改造の183系特急に全て置き換えられる。
奇しくも同日、電車急行最盛期の面影を伝える名門の165系<東海>(東京-静岡)も373系特急に代わり、急行列車の終焉を象徴するダイヤ改正となった。

その後も細々と残った<たかやま><砂丘>はグリーン車連結が維持されるものの、1997年11月には<砂丘>は智頭急行経由の特急<スーパーいなば>に代わる。本来なら津山・因美線の急行は全廃されるところ、津山市の商工会関係の反対が強かったらしく、名称を<つやま>に改め、津山線内(岡山-津山)に辛うじて1往復だけ残った。<つやま>には<砂丘>編成がそのまま使用され、キロハ28連結も残る。

2年後の1999年12月には、<たかやま>はキハ85系<ひだ>の一員に生まれ変わる。
大阪<ひだ>は現在、関西から東海地方へ直通するJR在来線唯一の昼間列車となっている。

最後のグリーン車連結の昼間急行となった<つやま>も、2003年にはキハ48×2連に置き換えられるが、もともと一般型ゆえ一部ロングシートがあり、なおかつ同じ津山線の快速<ことぶき>と所要時間・停車駅もほとんど変わらず、「ぼったくり急行」で不評を買うことになる。鉄道ファンには興味深い対象であっても、一般利用客の不満の声は絶えず、2009年に廃止される。この結果、JRの昼間急行は消滅する。


気動車王国・四国島内の急行列車は、1980年10月改正の時点でグリーン車を普通車指定席扱いとし、キロ28からキハ28 5000番台に形式変更する(座席はそのままなので乗り得だったと言える)。その後、四国の急行列車は徐々に減らしながらもJR発足後まで辛うじて存続するが、やはり総特急化の流れの中、1999年の<よしの川>を最後に消滅する。



兵庫県は近畿で一番面積が広く、瀬戸内海・日本海両方に跨っているため、本州を縦断するためには必ず通らなければならない県だ。

兵庫県内の鉄道電化率は、実は近畿で一番低い。
神戸市街地および阪神間の都市間鉄道(JR、阪急、阪神)、地下鉄などは当然電化されているが、県の西部および北部のローカル線は大半が非電化のままだ。過疎化の進む奈良県や和歌山県で100%に近い電化率だが(奈良県南部の山間部は鉄道空白地帯ということもある)、兵庫県においても西部の中国山地や北部の日本海側(但馬)で過疎化が進んでいる。

東海道本線に比べて山陽本線西明石以西の電化は遅れていて、1960年までに兵庫県内区間の電化が完成する。県内の国鉄では山陽本線の次に赤穂線が電化される。そして1972年に山陽新幹線新大阪-岡山間が開通。

山陽本線・新幹線と赤穂線以外の県内国鉄線は1970年代まで全て非電化だった。

1980年代に入って少しずつ電化区間が拡大してゆく。その皮切りは、1981年4月の福知山線尼崎-宝塚間。阪神間の都市部にありながら、列車本数は非常に少なく、客車列車や気動車がのんびり行き交うローカル線で、阪急平野と呼ばれる地域ではミスマッチな光景だっただろう。電化後、関西で初めての黄色103系が投入されるが、阪急とは勝負にならず利用客は伸び悩んだ。その代わり、福知山線は大阪と北近畿・山陰を結ぶ陰陽連絡幹線としての役割を担っていた。

5年後の1986年11月、福知山線宝塚以北および山陰本線福知山-城崎間が一気に電化され、福知山線の客車普通列車は廃止される。大阪と鳥取・米子方面を結ぶ長距離列車は夜行「だいせん」を残して全廃され、大阪-城崎間の485系「北近畿」(のちに183系化改造を受ける)に生まれ変わる。普通電車は113系800番台が投入されるが、初期車からの改造で非冷房車も多くて老朽化が目立ち、しかも4両とか2両編成の短編成ゆえ積み残しが発生しやすく、不評だった。また、宝塚電化当初から活躍してきた103系は新三田まで運用されるようになる。JR発足後、西宮名塩や三田の住宅地開発が進み、福知山線の利用客が少しずつ増えて列車本数の大幅増、快速電車運転(117系を転用)、さらに207系通勤型電車を投入するなど、旅客サービスも徐々に改善されてゆく。1995年の阪神大震災以降、JR神戸線(東海道・山陽本線)とともに阪急からJRへの旅客移転が顕著化する。さらに1997年のJR東西線開通後、大阪北東部の片町線から福知山線宝塚・三田方面へ直通電車が終日運転され、福知山線(篠山口以南)は都市鉄道に大きく脱皮する。

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福知山線快速で活躍する223系6000番台

1998年には播但線の姫路-寺前間が電化。寺前-和田山間はトンネルの高さの都合から電化工事が困難ゆえ、非電化のままで残される。播但線の電化区間には103系3500番台が投入される。国鉄時代末期の105系などとはちがってN40改造を受けるなど、気合いの入った車両改造だった。寺前電化後も、気動車特急「はまかぜ」は残り、姫路・神戸と但馬地方(香住・浜坂・鳥取)を結ぶ県内優等列車として重宝されている。普段は閑散としているが、かにシーズンの時は混雑しやすく、近年は竹田城への観光客も結構乗っているようだ。

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播但線の103系

京阪神と鳥取を高速で結ぶことを目的に国鉄時代から建設され未成線となりかけた智頭線(上郡-佐用-智頭間)は、1994年に智頭急行として開通する。非電化だが高規格の地上設備を有し、特急「スーパーはくと」が好評だ。これに引き換え、京都から山陰本線経由鳥取・米子方面直通の優等列車は、1996年3月の電化を機に、東京からの寝台特急「出雲」(2往復、内1往復は1998年「サンライズ」となって伯備線経由に変更、残りの1往復は2006年廃止)を残して全廃される。

阪神大震災で不通となったJR神戸線の迂回ルートとして俄かに賑わった加古川線(加古川-谷川)も電化されることになる。かつては加古川線から三木線や北条線、鍛冶屋線、そして高砂線が枝分かれしていたが、第三セクター化あるいは廃止され、北条鉄道(旧・北条線)のみが残っている。2004年12月に加古川線の電化が完成し、103系3500番台と125系が投入される。ただし、加古川線北部の西脇市-谷川間は列車本数の非常に少ない閑散区間だ(加古川線西脇市以北よりは廃止された鍛冶屋線のほうが西脇市街地を通るため利用客は多かった)。谷川駅での福知山線との直通運転や接続改善も望まれるが・・・。

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加古川線の125系と103系

このほか、神戸市街地のローカル線、山陽本線和田岬支線(兵庫-和田岬)も2001年に電化。和田岬支線は、港湾地区の工場通勤者専用の路線となっていて、旅客列車は朝夕のみの運転。1990年まで旧型客車が残っていたが、合理化を目的に気動車に置き換えられる(キハ35をラッシュ輸送向けに改造)。しかし、キハ35も老朽化が進み、さらなる合理化を図って電化が決まり、103系6連(青色)で運用されることになった。地下鉄湾岸線の開通と引き換えに和田岬線廃止も取り沙汰されたが、JR西日本有数の黒字路線(通勤時間帯のみしか旅客列車が運転されないため)ということもあって、急ピッチで電化工事して生き残った。


京都府内の鉄道電化は近畿の他府県に比べて遅れていたほうだ。
大動脈・東海道本線は1950年代までに全線電化完成するが、他の国鉄線はどこも非電化路線ばかりだった。それでも1970年代から少しずつ電化路線が広がる。

まず、1964年の東海道新幹線が開業(新幹線は別か?)。
10年後の1974年には、関西と北陸・日本海縦貫の短絡線として湖西線(山科-近江塩津)が開通。湖西線はその名の通り、琵琶湖湖岸に西側に伸びて大半が滋賀県だが、起点・山科駅からわずかな区間だけが京都府(京都市山科区)だ。同じ滋賀県内の東海道本線や草津線沿線の湖東・湖南方面から湖西線沿線へJRのみで移動する場合、一旦トンネルを抜けて京都市に越境することになる。同様に、滋賀県西部から新幹線で東京方面へ向かう場合、京都駅に出向いて乗り換える人が多い(県内に米原駅があるが、停車本数が少なく不便なので)。

京都府内で電化路線が本格的に広がるのは1980年代半ば以降だ。

既に1970年代後半から山陰本線京都-園部間の電化工事が始まり、1980年代前半に完成する予定だったが、保津峡付近の複線化と新線付け替え工事が遅れていたため、電化開業はずれ込んだようだ。

山陰本線よりも先に、府南部の奈良線(京都-木津)が1984年10月に電化された。合わせて関西本線木津-奈良間も電化される。JR奈良線の正式区間は京都府内の京都-木津間で奈良県に至っていないことで有名だ(ただし電車は全て奈良駅まで乗り入れる)。

その後、1988年3月には関西本線加茂-木津間、翌年1989年には片町線木津-長尾間(→全線)が電化され、府南部の電化が進捗する。ただ、その後も関西本線加茂以東は非電化のままだ。

1984年奈良線電化の時点で奈良県、1989年片町線全線電化で大阪府内の鉄道電化率100%をそれぞれ達成する(大阪府内については旅客線のみ)。

電化の遅れていた府北部(日本海側)も、1980年代後半以降、少しずつ電化工事が進む。まず1986年11月の福知山線~山陰本線(宝塚-福知山-城崎間)が電化される。京都-園部間よりも福知山以西の電化が先だったのは意外だ。なお、福知山線は大部分が兵庫県内で福知山駅の手前付近のみ京都府だ。

その後、1990年3月にようやく山陰本線京都-園部間電化が完成する。前年の1989年に保津峡付近の新線に切り替わり同区間のみ複線化となるが、京都-園部間複線化を達成するのは20年後の2010年。この電化により、山陰本線京都口から客車普通列車が姿を消す。

1990年代になって府北部の電化も進捗する。
まず、1995年4月に山陰本線綾部-福知山間。園部-綾部間は電化工事中だったが、複線区間の綾部-福知山間の電化を先行開業させた。翌年1996年3月に園部-綾部間が電化され、山陰本線の京都-城崎(現・城崎温泉)間は電化区間で一本につながる。合わせて、北近畿タンゴ鉄道(→京都丹後鉄道)の福知山から宮福線経由天橋立まで電化され、大阪・京都駅から特急電車が乗り入れるようになる。
この電化により、急行「丹後」(キハ58系)と特急「あさしお」(キハ181系)がファンに惜しまれながら廃止される。

その後、京都府北部を代表する都市、舞鶴市が非電化のままでは、ということで、舞鶴線電化の要望が高まる。実際、園部-福知山間電化後、京都駅と舞鶴市を直通する定期列車が廃止され、舞鶴市の求心力低下が心配された。3年後の1999年、舞鶴線がようやく電化され、京都駅から特急「まいづる」が終日運転されるようになる。

そして小浜線(敦賀-東舞鶴)も2003年に電化。
これにより、京都府内のJRは関西本線加茂以東を除いて電化されたことになる。
なお、北近畿タンゴ鉄道→京都丹後鉄道に転換された宮津線は宮津-天橋立間を除いて非電化のままだ。

昭和の頃に比べて鉄道の電化区間は大きく広がったが、鉄道全体往時に比べて華がなく、むしろ非電化時代のほうが賑やかだったようだ。


先日、京阪沿線から新幹線東京方面行きを利用するとき、京都駅または新大阪駅のどちらから乗るか、ということについて記事をエントリーした。
http://katanogawara.blog.jp/archives/11636260.html

今回は、京阪沿線からJRで北近畿・山陰方面へ旅行するときの経路について、考察を加えてみたい。
この場合も、京都駅・大阪駅両方からのスタートが可能だが、実用的な目的(「青春18きっぷ」での鉄道旅行とかではなく)での場合についてのみを検討する。

実用的な場合、すなわちビジネス・出張・その他用務、あるいはグループ・団体での旅行の場合、もちろん特急利用中心のプランを立てることになるだろう。その場合、次の経路が現実的に可能だ。

(1)福知山・舞鶴・丹後半島・豊岡・城崎方面
A)京都駅から山陰本線「きのさき」「まいづる」「はしだて」
B)大阪・尼崎駅から福知山線経由「こうのとり」
C)大阪駅から播但線経由「はまかぜ」

(2)鳥取・倉吉周辺
D)京都・大阪駅から智頭急行経由「はくと」

(3)米子・松江・出雲
E)新幹線~(岡山)~伯備線経由「やくも」

舞鶴市を訪れる場合、京都駅から山陰本線経由のほうが早い。福知山線経由だと、福知山駅で普通列車に乗り換える必要があり、やや不便だろう(かつては大阪-舞鶴直通の優等列車もあったが)。高槻・茨木方面からの場合、また大阪市内からJRに乗車する場合も、JR京都線に乗って京都駅経由山陰本線に入るほうが、距離が短く、早くて安い。

天橋立および丹後半島の峰山・網野・久美浜方面(京都丹後鉄道)へも、どちらかといえば京都駅から直通の「はしだて」に乗るほうが便利だろう(福知山線経由の場合も、福知山駅でうまく接続するダイヤとなっているが)。

京阪電車各駅から山陰本線京都口へは、三条京阪・地下鉄東西線経由二条で乗り換えることも可能だが、三条京阪での地下鉄への乗り換えの手間は煩わしい。(丹波橋または東福寺乗り換えで)始発の京都駅から乗るほうが無難だろう。

JR学研都市線沿線から北近畿へは、JR東西線経由尼崎で福知山線に乗り換えるルートが一般的だろう。尼崎には「こうのとり」など福知山線の特急列車が全て停車する。直Q京都号+(京都駅)+山陰本線経由も可能で、特に舞鶴方面へは京都駅経由のほうが早い。

神戸・姫路から播但線経由の「はまかぜ」は、本数が少ない上に所要時間もかかるが(尼崎は通過)、ちょっと寄り道してみたいときにはおススメだ。気動車で運転のため、城崎から先、香住・浜坂そして鳥取まで足を伸ばす。普段は閑散としているようだが、カニシーズンやGW・お盆・正月のときなどは混みやすい。最近では、竹田城への観光利用も目立つようだ。学研都市線方面から「はまかぜ」を利用する場合、三ノ宮から乗車すればよい(三ノ宮へは普通電車1本で到達可能だが、尼崎で快速・新快速に乗り換えるほうが早い)。

鳥取・倉吉方面へは、かつては京都駅から山陰本線、大阪駅から福知山線または播但線経由の優等列車が多く運転されていたが、智頭急行開通後、京阪神と鳥取が高速で結ばれるようになり、智頭急行経由「はくと」利用が一般的だ。「青春18きっぷ」使用の場合も、智頭急行をワープに重宝することが多い。


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大阪環状線・阪和線の103系の動きに注目が集まっているが、関西ではすっかり影の薄くなった113系のことも思い出していただければと思って、今まで撮った113系の写真を探してみた。意外にも近畿圏での113系の写真は少ないんだなぁ・・・。できるだけ原型に近い姿をということで、山陰本線豊岡で撮った湘南色の写真をアップする。ワンマン2連口に改造された5300番台だが、山陰本線京都口(嵯峨野線)に乗り入れていたため、福知山支社オリジナルではなく、国鉄時代からお馴染みの原色・湘南色を装った。

福知山電車区に223系5500番台が投入されて8年経過した今も、113系が抹茶色(→「青ガエル」)1本だけ残っているようだ。


とあることから、兵庫県北部の但馬地方の郵便番号について興味深いことを知った。

兵庫県内の郵便番号は、上3桁が

650台 神戸市・芦屋市、淡路島
660台 阪神
670台 姫路・播磨地域

と大別できるが、日本海側の但馬地方は、姫路ナンバーの地域にもかかわらず、意外にも大半の市町村が南東部の阪神と同じ660台(667、668、669)なのだ。例外は、播但線沿線の朝来市の旧生野町・朝来町。

ついでに丹波地方も調べてみたら、篠山市・丹波市も669であり、三田市などと同じだ。

660台は大阪市に隣接する尼崎の地域区分局を表しており、尼崎市を拠点にJR福知山線および山陰本線に沿った地域全体をカバーしていることになる。但馬地方から県都・神戸市への交通はとにかく不便であり(むしろ大阪市や京都市へ行くほうがまだ便利)、それをカバーする目的も兼ねて播但線経由の特急「はまかぜ」(キハ189系)が現在も運行中である。また、浜坂・新温泉町方面から神戸三宮への長距離バス(全但バス)も1日数本運行されている。

なお、JR福知山線は終点・福知山駅だけ京都府であるが、福知山市の位置が大阪・京都よりもかなり西へ寄ってるだけに兵庫県と思われやすい。大阪・尼崎方面から但馬へは、JR福知山線経由だと福知山付近で一旦京都府に踏み入れるも、山陰本線を西へ進んで再び兵庫県に入る経路をたどることになる。

ちなみに、衆議院小選挙区の兵庫5区について、但馬・丹波地域全体に加えて、大阪のベッドタウンである三田市・猪名川町まで広範囲に及ぶことに、違和感や不満を持つ住民も多いだろう。せいぜい三田市・猪名川町・篠山市・丹波市だけで一つの選挙区を作り、但馬地域は独立した一つの選挙区にするのが自然だろう。あるいは、尼崎・伊丹・川西・猪名川の4市町は大阪府に編入するほうが、より合理的だと思われる(実際、市外局番は大阪府扱いなので)。


国鉄急行型気動車を代表するキハ58系。
キハ58系には使用線区・地方などによっていくつかの形式があるが、一番代表的なものは本州以南用で汎用的なキハ58・28形だ。キハ28・58のちがいは、エンジン搭載個数であり、キハ28形は1エンジン、キハ58形は2エンジンで、通常はキハ58とキハ28の混結で編成を組むことが多かったが、房総地区など平坦路線ではキハ28だけの編成で運用されていたようだ。また、キハ28に冷房電源装置が付けられたため、車両の冷房サービスにも欠かせなかった(キハ58だけでは冷房稼動は不可能)。
また、キハ58系の後継として、強力エンジンのキハ65も製造され、主に西日本地区に配置されるが、急行から特急への格上げが始まり、少数だけにとどまった。

各形式の細かいことはさておき、キハ58系の特徴といえば、前面の平窓だ(北海道用キハ56系も同様)。
同時期に作られた急行型電車および近郊型電車は「パノラミック」と呼ばれる窓で、153系準急「東海」のイメージから「東海型」とも呼ばれている。今も全国各地で活躍中のキハ40系も「東海型」の顔だ。パノラミック=東海型の顔は、国鉄のみならず私鉄の車両にも広く採用され、京阪旧3000系特急車や山陽電車3000系もパノラミック窓だ。

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「東海型」と呼ばれる顔の代表 153系と113系電車
(「時々 撮りバス」さまより拝借)

これに対してキハ58系急行型気動車だけはなぜかパノラミック窓ではなく平窓の顔となった。パノラミック窓に比べてやや古風な印象がある。

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キハ58系(最終増備車を除く)だけは平窓の顔となった

ただし、マイナーチェンジが行われた最終増備車だけは異なる。キハ58・1100番台、キハ28・1000番台(→冷房改造車には車両原番号+2000とした3000番台)が該当し、キハ58・1100番台は43両、キハ28・1000番台は24両製造された。従前に製造されたものとの大きな違いは顔であり、153・165系や113系電車などと同じ「東海型」、近代的なスタイルとなった。


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キハ58 1100番台
「東海型」の窓が特徴
キハ65もこの顔と同じスタイル

「東海型」の顔をしたキハ58・28だが、車両の需給関係のためか近畿地区に集中投下された。特に「きのくに」などを担当していた和歌山機関区(天ワカ)に大量配備される。また、キハ28・1000番台は福知山機関区(福フチ)にもまとまった数だけ配置された。

1985年3月ダイヤ改正で「きのくに」全廃後、亀山・福知山・豊岡など近畿地方各地へ散らばっていく。パノラミック型のキハ58・28はその多くがJR西日本に継承される。特に福知山地区ローカル用(ワンマン化)のキハ58・28はパノラミックばかりだったようだ。

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電化前の山陰本線園部-福知山間普通列車などで活躍するキハ58・28
福知山のワンマン改造車はパノラミック型が多かった


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183系(485系からの改造)はおろか381系も去年までに福知山から引退しました。もう福知山・北近畿地区で国鉄型特急車両を見ることはできません。

2012年12月、山崎で撮り鉄にチャレンジしていた時に、「こうのとり」送り込み中の183系が来たので、記録用にと撮影しました。



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嵯峨野線(山陰本線)で活躍していた湘南色113系です(京都駅にて 2009年)。
京都-園部間完全複線化完成の2010年に嵯峨野線から113系が引退、221系および223系5500番台に置き換えられました。


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嵯峨野線での183系(485系からの改造)も過去のものとなりました。
2010年に亀岡で撮影した「きのさき」です。
最近まで国鉄型車両が残っていた山陰本線・福知山界隈も、急ペースで223系5500番台、287系、289系に置き換えられてしまいました。

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福知山線篠山口~福知山間と山陰本線福知山~城崎温泉間のワンマン運転実施に向けて113系800番台からの改造を受けた3800番台。切妻形の先頭車が旧型電車のような野暮ったい顔で有名で、「サンパチ君」と呼ばれています。

2000年までに北近畿地区の各路線でワンマン運転が進む中、篠山口~福知山~豊岡間は3両編成以上の電車で運用されているためにワンマン化が遅れていました。2001年3月のワンマン運転に合わせて2連口が必要となったため、JR西日本お得意の113系中間車の先頭車化改造をすることになったわけですが、その顔があまりに不恰好でした。当時、JR西日本では比較的新しい国鉄型103・113・115・201系などへのN40体質改善が進んでいましたが、今回種車となった113系800番台は国鉄時代末期、福知山線電化に合わせて初期型からの改造を受けて登場したもので老朽化が目立ち、N40改造の対象外でした。先が短いと見込んでの改造だったのか、改造は最低限にとどめられ、いかにも手抜きな仕上がりでした(笑) 

あれから7年後の2008年夏、福知山地区ローカル用に223系5500番台が投入され、サンパチ君はお役御免となって吹田工場へ帰らぬ旅に出ました。


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