カテゴリ:国鉄・JRグループ > JR西日本(北近畿地区)


播但線経由で大阪・神戸と兵庫県北部(但馬)を結んでいた急行【但馬】。

非電化区間を通るため、定期列車はもちろんのこと気動車(キハ58系)使用でした。

運転区間は、大阪・姫路~豊岡・城崎・浜坂・鳥取間で、多いときで4往復(季節臨含む)設定されていました。特急【はまかぜ】とともに、播但線を代表する優等列車。【はまかぜ】は播但線内ノンストップなのに対して、【但馬】は寺前や生野などの主要駅に停車。

【但馬】のうち、大阪発着列車にはグリーン車(キロ28)連結ですが、姫路発着は普通車のみの身軽な編成でローカル急行の印象が強かったようでした。大阪発着列車には、東海道・山陽本線内で姫新線直通の【みささ】【みまさか】に連結されるものもありました(1985年3月まで)。

車両の所属区について、国鉄時代末期までは福知山・豊岡(福知山局)と西鳥取(米子局)の3区が受け持ち。福知山区所属は福知山線の【丹波】と共通運用で、福知山~大阪~(宮原)~浜坂~大阪~(宮原)~福知山という運用ルートでした。西鳥取区編成にはキハ65形も連結され、北近畿では珍しい存在でした。

国鉄からJRに変わり、1989年3月ダイヤ改正で、【みささ】【みまさか】廃止と合わせ、【但馬】の大阪直通は臨時列車のみに。定期列車は播但線・山陰本線内折り返しとなります。同時にグリーン車連結も廃止され、2往復に縮小。末期は福知山運転所と鳥取鉄道部の2区が担当するが、1996年3月で廃止。一部は【はまかぜ】に格上げとなります。

播但線は、1992年まで客車普通列車が多数設定されていたが、七尾線や小浜線ほかJR西日本各地から余剰となったキハ58系を転用とともにロングシート化改造を受け(キハ28・58 5500番台)、客車列車を置き換え、姫路口のラッシュ運用に対応。5500番台は姫路鉄道部所属で、オリジナルカラーに塗装変更。ほかに【但馬】間合いの運用もあって、国鉄急行色かつクロスシートの原形スタイルでした。福知山の国鉄急行色と姫路色のキハ(40系、58系5500番台)との連結運用もありました。

1995年阪神・淡路大震災で東海道・山陽本線が寸断され、大阪~姫路間の迂回ルートとなる播但線に臨時列車を増発する際、車両不足を補うためにJR東日本の秋田や盛岡からもキハ58系を福知山区に借り入れ、【但馬】編成などにも増結されました。

国鉄~JR初期の頃まで、【但馬】の臨時便といえる、海水浴臨の急行【○○ビーチ】【マリン○○】も設定され、客車が使用されました。大阪~姫路間はEF58形に牽引され、往年の山陽筋の客車急行を彷彿とさせる姿だったようですね。


現在、JR西日本のキハ40系は、国鉄時代と同じ「タラコ色」に統一されているが、10年ほど前までは、地域ごとにいろんなバリエーションが楽しめました。


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加古川線電化とともに消えたカラー
加古川線を追われた後、しばらく姫新線姫路口の運用に入ってた

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広島色のまま津山線の急行【つやま】で活躍したキハ48

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鮮やかなワインレッドの「豊岡色」
播但線北部と山陰本線豊岡-浜坂間で運用


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旧・広島色キハ40・47

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鳥取・米子地区のキハ40系は「タラコ色」のままだったが
ユニークなラッピング車も見られた

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単色化前の岡山地区は、N40改造の113系をイメージする「カフェオーレ」色
津山線の快速【ことぶき】や吉備線などで活躍

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初代福知山色のキハ47
塗装変更されたとはいえ、国鉄の面影が濃厚だった

残念ながら、手持ちの写真は、大体これぐらいです。
北陸地区(氷見線、城端線)および姫路色(播但線電化前および姫新線)の写真は撮らずじまいです・・・


1996年秋、「西日本 鉄道の日 一日きっぷ」を使って、北近畿・山陰の旅に出ました。

さっそく、大阪駅から朝一番の福知山線普通・福知山行きに乗車。確か117系だったと思います。117系は当時の福知山線(JR宝塚線)快速の主力車両だったが、普通電車の運用に入ることもありました。福知山で城崎行き(113系?)に乗り換え。城崎で気動車に乗り継ぎ、浜坂を経て鳥取まで。 

鳥取からの帰路は、かなりな大回りルートとなってしまいました。因美線・津山線・姫新線経由などの選択ももちろん可能だが、今回は山陰海岸の景色を堪能したいということもあり、あえて往路と同じ山陰本線経由にしました。鳥取発豊岡行き普通列車はキハ58系(鳥取鉄道部所属)だったように記憶しています。鳥取・米子地区のキハ58系は、快速列車中心の運用ということもあって、車内は座席モケットが交換されるもののボックスシートのままであり、外観は国鉄急行色でした。山陰海岸は少し荒れていて、山陰路の冬の訪れを感じました。

豊岡から福知山までは113系だったはずだが、福知山から先、舞鶴線・小浜線を寄り道してしまいました。福知山発東舞鶴行きのキハ58系ワンマン列車に乗り継ぎます。山陰本線園部-綾部・福知山間が電化され急行【丹後】も廃止されてしまったが、舞鶴線は非電化のままだったため、キハ58系の普通列車に乗れるチャンスはまだありました(3年後の1999年、舞鶴線電化)。

東舞鶴乗り継ぎの小浜線敦賀行きもキハ58系(小浜色、ワンマン)。そのまま敦賀まで乗り通したいという思いもあったが、敦賀から先の連絡が不安なので、上中で降りてJRバス若江線で近江今津へ抜けることにしました。そして、湖西線京都行きの113系で旅の締めくくりです。

京都駅からは近鉄・京阪で枚方市に戻りました。


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1996年廃止直前の<あさしお>です。たぶん豊岡にて。
末期は絵入りヘッドマークの盗難が相次いでいたようで、文字だけのものとなっていました。 


新快速運転区間に有料座席車を設定するとのニュースで話題になっているところ、221系使用の臨時急行のことをふと思い出しました。

1991~92年の海水浴シーズンに運転された<マリンしらはま221>(京都-白浜)と<マリン城崎221>(大阪-城崎)です。

当時、221系近郊型電車は増備中の過程にあり、221系車両の広域的セールスも兼ねてのことか、近畿圏を中心に西日本各地(JR四国・東海エリアにも足を伸ばす)への行楽臨時列車に起用されることも多かったです。

本来、新快速・快速を中心に使用される車両ですが、特別料金を要する急行列車に使用されたこともあり、いわゆる「遜色急行」の部類に含まれます。しかも全座席指定だったかと思います。当時の最新型車両で転換クロスシートである分、旧来の急行型車両(165系、475系、キハ58系)に比べてはるかに快適で内装・外観デザインや走行性能も優秀と言えるが、3ドア・デッキ無しで車内広告があるがため優等列車にふさわしくない(中央扉は締め切り扱いしていたが)、また通常は料金不要で乗車できる車両なのに全座席指定とは何事か、といった厳しい意見も多かったようです。

結局、2年ほどしか続かず、以降は旧来の165系が使用されるようになりました。

その後も、221系臨時快速列車は花盛りですが、223系増備などの影響もあり、徐々に減ってゆきます。

ちなみに、3ドア転換クロスシート車使用の定期急行列車として、キハ75系の<かすが>が有名です。キハ75系は主に快速<みえ>で使用中、指定席も設定されています。



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よく考えたら、北近畿地区のJR線(JR西日本福知山支社)と房総各線(JR東日本千葉支社)は意外な類似点がかなりあるように思われます。

国鉄時代はともかく、近年の北近畿地区のJRは電車特急が幅を利かせていて運転系統がやや複雑で種類も多く(<こうのとり><きのさき><まいづる>)、その割に高々150km程度の短距離という点で、房総各線の優等列車との類似点が見いだせます。しかも最近まで(国鉄特急色)183系を使用していた点でも共通しています。ただし、福知山の183系は485系を直流化改造したものであり、東日本地区の純正183系とは異なります。かつては北近畿といえば京都・大阪と山陰を結ぶ長距離気動車特急<まつかぜ>、急行<だいせん>、東京からの寝台特急<出雲>や長距離客車鈍行の表舞台だったところですが、電化区間延伸と引き換えに長距離列車は廃止、短距離特急ばかりとなって面白くなくなりました。

このほか、113系が近年まで残っていたことでも北近畿と房総地区は共通していると言えます。ただし、北近畿地区の113系はワンマン・短編成改造を受けたものがほとんど。


豊岡・城崎温泉の駅弁販売業者、たで川さんが撤退して6年ほど経過。

北近畿エリアの駅弁は相次いで撤退しており、牛肉系弁当で有名な和田山駅が残るだけとなっていました。

しかし、この夏より、城崎温泉駅に神戸・淡路屋さんの駅弁が販売されるようになった模様。

近年、淡路屋さんは神戸ばかりか大阪や京都にも進出しており、近鉄難波駅などでも販売されています。「しまかぜ」車内で販売の「しまかぜ弁当」も、大阪・京都発は淡路屋の製造です。

そして、カニと温泉の奥座敷・城崎にも進出。

今や淡路屋さんは関西一円の駅弁業者となりましたね。

いっそのこと、奈良の駅弁も手がけたらどうでしょうか(笑)



今ふと気づいたんだが、兵庫県但馬地方(豊岡、城崎ほか)と京阪神を直通する列車は、同じ県内の神戸市よりも、大阪市および京都市発着列車のほうが多い。

豊岡・城崎温泉からは大阪・新大阪へ福知山線経由の特急<こうのとり>、京都へは山陰本線経由<きのさき>がそれぞれ発着している。<こうのとり>は7往復、<きのさき>は4往復で、287・289系電車で運転されている。

神戸市(神戸、三ノ宮)へは、<はまかぜ>が播但線経由大阪行きが1日3往復発着している。播但線の一部は非電化のためキハ189系使用だが、気動車の利点を生かし山陰本線城崎温泉以西の非電化区間へ進んで香住・浜坂そして鳥取まで乗り入れる。

すなわち、大阪へは福知山線経由と播但線経由の2ルートが存在、播但線経由のほうが距離が長い。ただし、和田山以西~大阪間を乗り通すとき、特急券の料金は距離の短い福知山線経由で計算することになっている。

福知山線経由<こうのとり>のほうが早いのに播但線経由の<はまかぜ>が存在する理由は、姫路や神戸への利便性確保のためで、兵庫県内優等列車としての使命を担っている。実際、<はまかぜ>は大阪駅発着の時点では空気輸送のことが多く、三ノ宮・神戸から客の出入りが見られる。<はまかぜ>の新大阪発着は無く、代わりに<こうのとり>が全て新大阪まで乗り入れている。

<はまかぜ>の魅力の一つは車窓から海の景色を楽しめることだろう。JR神戸線須磨-明石間付近で明石海峡と淡路島、城崎温泉以西の山陰本線では山陰海岸(日本海)の絶景が堪能できる。

福知山線経由の<こうのとり>も、実は少しだけ神戸市を掠る(道場駅付近)が、神戸市街地とは遠く離れた山あいのところにある。神戸市内へは三田で神戸電鉄、宝塚で阪急今津線・神戸線、もしくは尼崎でJR神戸線に乗り換える必要がある。尼崎は昔、基本的に各駅停車しか止まらなかったが、JR東西線開通後、新快速や<こうのとり>なども停車し、各方面への乗り換えの利便を図っている(<はまかぜ>は尼崎通過)。

このほか、豊岡-京都間には宮津線(京都丹後鉄道)経由の特急列車(豊岡-久美浜間各駅停車)も2往復運転されている。宮津線経由だと大半の区間が京都府内であり、丹後地域~京都市内を直通する役目を担っている。



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昭和の急行全盛期をもたらし、幹線からローカル線の末端部分まで隅々に急行列車網を築いた気動車急行。

キハ58系に代表される急行型気動車は、東京・大阪の国電区間および電化ローカル線など一部例外を除き、電化・非電化を問わず北海道から九州まで全国各地の国鉄線をほぼ隈なく駆け巡り、「レールさえあればどこでも行ける」万能選手の象徴、各地のふるさとの風景にも見事にマッチしていた。

かつては、山陽本線経由九州直通や、「しらゆき」「大社」「赤倉」など長距離・長編成(10両以上)のユニークな気動車急行も多かったが、1970年代以降、特急列車の大衆化と優等列車の特急一本化の方針が確立、加えて道路整備に伴って自家用車の普及や高速バス台頭の波に飲まれて、足が遅く旧態依然の気動車急行は徐々に数を減らしてゆくことになる。幹線系統の電化進展とともに気動車急行の活躍舞台は専ら非電化のローカル線中心に移行、2~3両の短い編成が多くなる。


さて、ここでは、1980年代以降の気動車急行グリーン車(キロ28ほか)の動きについて解説レポートしてみたい。

全国的に気動車急行を軒並み減らしたのは、東北・上越新幹線大宮開業の1982年11月15日ダイヤ改正だったと言える。

それに先立って、1982年5月南近畿地区では関西本線<かすが>(名古屋-奈良)の2往復への減便とともにキロ連結は廃止、7月伯備線電化で細々と残っていた伯備線内<伯耆>が全廃となる。

11月15日大改正では、東北地方(常磐線系統を除く)の気動車急行が軒並みリストラされる(在来線優等列車全体的に大幅削減)。

新幹線利用への誘導を図るべく、東北の気動車急行は名物の多層建て運転やグリーン車連結が無くなり、東北本線経由上野直通(<おが><出羽><ざおう><いいで>)は全廃、基本的に支線区中心の短編成に様変わり、ローカル色が濃くなる。特に日本海縦貫ロングラン<しらゆき>(金沢-青森)の廃止はかなり象徴的だったと言えよう(併結相手の大糸線直通<白馬>も廃止。<しらゆき>は福井-青森間の電車特急<白鳥2・3号>に変わる。ちなみに大阪と青森を結ぶロングラン客車急行<きたぐに>も新潟以北廃止される)。
東京都内に乗り入れる気動車急行は常磐線の<ひたち><奥久慈>のみとなる(キロ連結はそのまま→東日本唯一のグリーン車連結気動車急行に)。

名古屋-新潟間を中央・篠ノ井・信越本線経由で結ぶ<赤倉>は全区間直流電化下にもかかわらず気動車のままだったが、この改正で165系電車に代替、<佐渡>と共通運用となった(2年半後の1985年3月で廃止)。
同じく名古屋から北陸本線・小浜・宮津線経由山陰の出雲市を結ぶロングラン<大社>も廃止(先立って7月伯備線電化の時点で天橋立折り返しに短縮。福井編成のみ<はしだて>に改めて残存)。
名古屋から高山本線富山経由七尾線に乗り入れる急行もなくなり、共通運用を組んでいた<能登路>のグリーン車連結は廃止。


1984年2月ダイヤ改正では、広島発着芸備・木次線経由陰陽連絡<ちどり>のグリーン車連結が廃止。
<ちどり>はかつて夜行便もあり利用客は多かったそうだが、バス路線整備により利用客は激減、1980年10月改正で夜行便廃止、以降凋落の一途となる。1985年改正では1往復に減便、その後1990年には木次線直通も廃止され、2002年広島口の<みよし>に吸収される形で消滅(→2007年、芸備線の急行は全廃)。


同年10月の奈良・和歌山線電化で、唯一の優等列車、急行<紀ノ川>(京都-和歌山)が廃止。
<紀ノ川>はローカル色の濃い列車で閑散としているにもかかわらず、同じ京都発着草津線経由の<志摩>と共通運用を組んでいることもあって5連・キロ込みの贅沢な編成だった。<紀ノ川>は京都と南紀を結ぶ観光急行<しらはま>の成れの果てだった。


1985年3月のダイヤ改正では、全国的に急行の特急一本化への動きが凄まじい勢いで進み、グリーン車連結の気動車急行は軒並み減らす。
紀勢本線の<きのくに><紀州><はまゆう>は全廃、<志摩>は2往復に増強されるものの(実際には<平安>の運転区間変更)グリーン車連結は無くなる(→翌年11月改正で廃止)。
常磐線の急行列車は特急<ひたち>に一本化され、東日本からグリーン車連結の気動車急行は消滅する。
北海道や九州でも急行のグリーン車連結は廃止、山陰本線西部の<さんべ>なども本数削減とともにグリーン車連結廃止、いずれもローカル色の濃い姿となる。

キロ連結が残る急行列車は、高山本線系統<のりくら><たかやま>、山陰本線京都口<丹後><白兎>、福知山線<丹波><だいせん>、播但線<但馬>、姫新線・因美線<みささ>、津山線・因美線<砂丘>のみで、主に名古屋・関西発着列車に限られる。

なお、<砂丘>のグリーン車はJR発足前後に半室普通車化され、形式も改めてキロハ28となる。


国鉄解体・分割民営化を前に実施された1986年11月ダイヤ改正では、福知山線電化で気動車<まつかぜ><丹波><だいせん>は全て電車特急<北近畿>(485系→183系化)に生まれ変わる。ほかに<白兎>(京都-米子)は特急<あさしお>に格上げとなる。


JR発足から2年目の1989年3月ダイヤ改正では、JR神戸線(東海道・山陽本線)新快速増発と引き換えに姫新線直通<みささ><みまさか>は廃止、同じく大阪から播但線経由<但馬>も姫路発着に短縮、合わせてキロ連結は廃止される。

1990年3月改正で高山本線の<のりくら>は、JR東海自慢のキハ85系特急<ひだ>に置き換えられる。
高山本線の急行は大阪発着<たかやま>1往復のみとなるが、観光需要が高いためグリーン車は残り、翌年には専用編成のリニュアル改装(塗装変更、普通車のリクライニング座席化ほか)を受けグレードアップが図られる。

1996年3月、山陰本線京都口電化で、往年の気動車急行の姿形をとどめていた<丹後>が廃止され、485系改造の183系特急に全て置き換えられる。
奇しくも同日、電車急行最盛期の面影を伝える名門の165系<東海>(東京-静岡)も373系特急に代わり、急行列車の終焉を象徴するダイヤ改正となった。

その後も細々と残った<たかやま><砂丘>はグリーン車連結が維持されるものの、1997年11月には<砂丘>は智頭急行経由の特急<スーパーいなば>に代わる。本来なら津山・因美線の急行は全廃されるところ、津山市の商工会関係の反対が強かったらしく、名称を<つやま>に改め、津山線内(岡山-津山)に辛うじて1往復だけ残った。<つやま>には<砂丘>編成がそのまま使用され、キロハ28連結も残る。

2年後の1999年12月には、<たかやま>はキハ85系<ひだ>の一員に生まれ変わる。
大阪<ひだ>は現在、関西から東海地方へ直通するJR在来線唯一の昼間列車となっている。

最後のグリーン車連結の昼間急行となった<つやま>も、2003年にはキハ48×2連に置き換えられるが、もともと一般型ゆえ一部ロングシートがあり、なおかつ同じ津山線の快速<ことぶき>と所要時間・停車駅もほとんど変わらず、「ぼったくり急行」で不評を買うことになる。鉄道ファンには興味深い対象であっても、一般利用客の不満の声は絶えず、2009年に廃止される。この結果、JRの昼間急行は消滅する。


気動車王国・四国島内の急行列車は、1980年10月改正の時点でグリーン車を普通車指定席扱いとし、キロ28からキハ28 5000番台に形式変更する(座席はそのままなので乗り得だったと言える)。その後、四国の急行列車は徐々に減らしながらもJR発足後まで辛うじて存続するが、やはり総特急化の流れの中、1999年の<よしの川>を最後に消滅する。



兵庫県は近畿で一番面積が広く、瀬戸内海・日本海両方に跨っているため、本州を縦断するためには必ず通らなければならない県だ。

兵庫県内の鉄道電化率は、実は近畿で一番低い。
神戸市街地および阪神間の都市間鉄道(JR、阪急、阪神)、地下鉄などは当然電化されているが、県の西部および北部のローカル線は大半が非電化のままだ。過疎化の進む奈良県や和歌山県で100%に近い電化率だが(奈良県南部の山間部は鉄道空白地帯ということもある)、兵庫県においても西部の中国山地や北部の日本海側(但馬)で過疎化が進んでいる。

東海道本線に比べて山陽本線西明石以西の電化は遅れていて、1960年までに兵庫県内区間の電化が完成する。県内の国鉄では山陽本線の次に赤穂線が電化される。そして1972年に山陽新幹線新大阪-岡山間が開通。

山陽本線・新幹線と赤穂線以外の県内国鉄線は1970年代まで全て非電化だった。

1980年代に入って少しずつ電化区間が拡大してゆく。その皮切りは、1981年4月の福知山線尼崎-宝塚間。阪神間の都市部にありながら、列車本数は非常に少なく、客車列車や気動車がのんびり行き交うローカル線で、阪急平野と呼ばれる地域ではミスマッチな光景だっただろう。電化後、関西で初めての黄色103系が投入されるが、阪急とは勝負にならず利用客は伸び悩んだ。その代わり、福知山線は大阪と北近畿・山陰を結ぶ陰陽連絡幹線としての役割を担っていた。

5年後の1986年11月、福知山線宝塚以北および山陰本線福知山-城崎間が一気に電化され、福知山線の客車普通列車は廃止される。大阪と鳥取・米子方面を結ぶ長距離列車は夜行「だいせん」を残して全廃され、大阪-城崎間の485系「北近畿」(のちに183系化改造を受ける)に生まれ変わる。普通電車は113系800番台が投入されるが、初期車からの改造で非冷房車も多くて老朽化が目立ち、しかも4両とか2両編成の短編成ゆえ積み残しが発生しやすく、不評だった。また、宝塚電化当初から活躍してきた103系は新三田まで運用されるようになる。JR発足後、西宮名塩や三田の住宅地開発が進み、福知山線の利用客が少しずつ増えて列車本数の大幅増、快速電車運転(117系を転用)、さらに207系通勤型電車を投入するなど、旅客サービスも徐々に改善されてゆく。1995年の阪神大震災以降、JR神戸線(東海道・山陽本線)とともに阪急からJRへの旅客移転が顕著化する。さらに1997年のJR東西線開通後、大阪北東部の片町線から福知山線宝塚・三田方面へ直通電車が終日運転され、福知山線(篠山口以南)は都市鉄道に大きく脱皮する。

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福知山線快速で活躍する223系6000番台

1998年には播但線の姫路-寺前間が電化。寺前-和田山間はトンネルの高さの都合から電化工事が困難ゆえ、非電化のままで残される。播但線の電化区間には103系3500番台が投入される。国鉄時代末期の105系などとはちがってN40改造を受けるなど、気合いの入った車両改造だった。寺前電化後も、気動車特急「はまかぜ」は残り、姫路・神戸と但馬地方(香住・浜坂・鳥取)を結ぶ県内優等列車として重宝されている。普段は閑散としているが、かにシーズンの時は混雑しやすく、近年は竹田城への観光客も結構乗っているようだ。

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播但線の103系

京阪神と鳥取を高速で結ぶことを目的に国鉄時代から建設され未成線となりかけた智頭線(上郡-佐用-智頭間)は、1994年に智頭急行として開通する。非電化だが高規格の地上設備を有し、特急「スーパーはくと」が好評だ。これに引き換え、京都から山陰本線経由鳥取・米子方面直通の優等列車は、1996年3月の電化を機に、東京からの寝台特急「出雲」(2往復、内1往復は1998年「サンライズ」となって伯備線経由に変更、残りの1往復は2006年廃止)を残して全廃される。

阪神大震災で不通となったJR神戸線の迂回ルートとして俄かに賑わった加古川線(加古川-谷川)も電化されることになる。かつては加古川線から三木線や北条線、鍛冶屋線、そして高砂線が枝分かれしていたが、第三セクター化あるいは廃止され、北条鉄道(旧・北条線)のみが残っている。2004年12月に加古川線の電化が完成し、103系3500番台と125系が投入される。ただし、加古川線北部の西脇市-谷川間は列車本数の非常に少ない閑散区間だ(加古川線西脇市以北よりは廃止された鍛冶屋線のほうが西脇市街地を通るため利用客は多かった)。谷川駅での福知山線との直通運転や接続改善も望まれるが・・・。

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加古川線の125系と103系

このほか、神戸市街地のローカル線、山陽本線和田岬支線(兵庫-和田岬)も2001年に電化。和田岬支線は、港湾地区の工場通勤者専用の路線となっていて、旅客列車は朝夕のみの運転。1990年まで旧型客車が残っていたが、合理化を目的に気動車に置き換えられる(キハ35をラッシュ輸送向けに改造)。しかし、キハ35も老朽化が進み、さらなる合理化を図って電化が決まり、103系6連(青色)で運用されることになった。地下鉄湾岸線の開通と引き換えに和田岬線廃止も取り沙汰されたが、JR西日本有数の黒字路線(通勤時間帯のみしか旅客列車が運転されないため)ということもあって、急ピッチで電化工事して生き残った。


京都府内の鉄道電化は近畿の他府県に比べて遅れていたほうだ。
大動脈・東海道本線は1950年代までに全線電化完成するが、他の国鉄線はどこも非電化路線ばかりだった。それでも1970年代から少しずつ電化路線が広がる。

まず、1964年の東海道新幹線が開業(新幹線は別か?)。
10年後の1974年には、関西と北陸・日本海縦貫の短絡線として湖西線(山科-近江塩津)が開通。湖西線はその名の通り、琵琶湖湖岸に西側に伸びて大半が滋賀県だが、起点・山科駅からわずかな区間だけが京都府(京都市山科区)だ。同じ滋賀県内の東海道本線や草津線沿線の湖東・湖南方面から湖西線沿線へJRのみで移動する場合、一旦トンネルを抜けて京都市に越境することになる。同様に、滋賀県西部から新幹線で東京方面へ向かう場合、京都駅に出向いて乗り換える人が多い(県内に米原駅があるが、停車本数が少なく不便なので)。

京都府内で電化路線が本格的に広がるのは1980年代半ば以降だ。

既に1970年代後半から山陰本線京都-園部間の電化工事が始まり、1980年代前半に完成する予定だったが、保津峡付近の複線化と新線付け替え工事が遅れていたため、電化開業はずれ込んだようだ。

山陰本線よりも先に、府南部の奈良線(京都-木津)が1984年10月に電化された。合わせて関西本線木津-奈良間も電化される。JR奈良線の正式区間は京都府内の京都-木津間で奈良県に至っていないことで有名だ(ただし電車は全て奈良駅まで乗り入れる)。

その後、1988年3月には関西本線加茂-木津間、翌年1989年には片町線木津-長尾間(→全線)が電化され、府南部の電化が進捗する。ただ、その後も関西本線加茂以東は非電化のままだ。

1984年奈良線電化の時点で奈良県、1989年片町線全線電化で大阪府内の鉄道電化率100%をそれぞれ達成する(大阪府内については旅客線のみ)。

電化の遅れていた府北部(日本海側)も、1980年代後半以降、少しずつ電化工事が進む。まず1986年11月の福知山線~山陰本線(宝塚-福知山-城崎間)が電化される。京都-園部間よりも福知山以西の電化が先だったのは意外だ。なお、福知山線は大部分が兵庫県内で福知山駅の手前付近のみ京都府だ。

その後、1990年3月にようやく山陰本線京都-園部間電化が完成する。前年の1989年に保津峡付近の新線に切り替わり同区間のみ複線化となるが、京都-園部間複線化を達成するのは20年後の2010年。この電化により、山陰本線京都口から客車普通列車が姿を消す。

1990年代になって府北部の電化も進捗する。
まず、1995年4月に山陰本線綾部-福知山間。園部-綾部間は電化工事中だったが、複線区間の綾部-福知山間の電化を先行開業させた。翌年1996年3月に園部-綾部間が電化され、山陰本線の京都-城崎(現・城崎温泉)間は電化区間で一本につながる。合わせて、北近畿タンゴ鉄道(→京都丹後鉄道)の福知山から宮福線経由天橋立まで電化され、大阪・京都駅から特急電車が乗り入れるようになる。
この電化により、急行「丹後」(キハ58系)と特急「あさしお」(キハ181系)がファンに惜しまれながら廃止される。

その後、京都府北部を代表する都市、舞鶴市が非電化のままでは、ということで、舞鶴線電化の要望が高まる。実際、園部-福知山間電化後、京都駅と舞鶴市を直通する定期列車が廃止され、舞鶴市の求心力低下が心配された。3年後の1999年、舞鶴線がようやく電化され、京都駅から特急「まいづる」が終日運転されるようになる。

そして小浜線(敦賀-東舞鶴)も2003年に電化。
これにより、京都府内のJRは関西本線加茂以東を除いて電化されたことになる。
なお、北近畿タンゴ鉄道→京都丹後鉄道に転換された宮津線は宮津-天橋立間を除いて非電化のままだ。

昭和の頃に比べて鉄道の電化区間は大きく広がったが、鉄道全体往時に比べて華がなく、むしろ非電化時代のほうが賑やかだったようだ。


先日、京阪沿線から新幹線東京方面行きを利用するとき、京都駅または新大阪駅のどちらから乗るか、ということについて記事をエントリーした。
http://katanogawara.blog.jp/archives/11636260.html

今回は、京阪沿線からJRで北近畿・山陰方面へ旅行するときの経路について、考察を加えてみたい。
この場合も、京都駅・大阪駅両方からのスタートが可能だが、実用的な目的(「青春18きっぷ」での鉄道旅行とかではなく)での場合についてのみを検討する。

実用的な場合、すなわちビジネス・出張・その他用務、あるいはグループ・団体での旅行の場合、もちろん特急利用中心のプランを立てることになるだろう。その場合、次の経路が現実的に可能だ。

(1)福知山・舞鶴・丹後半島・豊岡・城崎方面
A)京都駅から山陰本線「きのさき」「まいづる」「はしだて」
B)大阪・尼崎駅から福知山線経由「こうのとり」
C)大阪駅から播但線経由「はまかぜ」

(2)鳥取・倉吉周辺
D)京都・大阪駅から智頭急行経由「はくと」

(3)米子・松江・出雲
E)新幹線~(岡山)~伯備線経由「やくも」

舞鶴市を訪れる場合、京都駅から山陰本線経由のほうが早い。福知山線経由だと、福知山駅で普通列車に乗り換える必要があり、やや不便だろう(かつては大阪-舞鶴直通の優等列車もあったが)。高槻・茨木方面からの場合、また大阪市内からJRに乗車する場合も、JR京都線に乗って京都駅経由山陰本線に入るほうが、距離が短く、早くて安い。

天橋立および丹後半島の峰山・網野・久美浜方面(京都丹後鉄道)へも、どちらかといえば京都駅から直通の「はしだて」に乗るほうが便利だろう(福知山線経由の場合も、福知山駅でうまく接続するダイヤとなっているが)。

京阪電車各駅から山陰本線京都口へは、三条京阪・地下鉄東西線経由二条で乗り換えることも可能だが、三条京阪での地下鉄への乗り換えの手間は煩わしい。(丹波橋または東福寺乗り換えで)始発の京都駅から乗るほうが無難だろう。

JR学研都市線沿線から北近畿へは、JR東西線経由尼崎で福知山線に乗り換えるルートが一般的だろう。尼崎には「こうのとり」など福知山線の特急列車が全て停車する。直Q京都号+(京都駅)+山陰本線経由も可能で、特に舞鶴方面へは京都駅経由のほうが早い。

神戸・姫路から播但線経由の「はまかぜ」は、本数が少ない上に所要時間もかかるが(尼崎は通過)、ちょっと寄り道してみたいときにはおススメだ。気動車で運転のため、城崎から先、香住・浜坂そして鳥取まで足を伸ばす。普段は閑散としているようだが、カニシーズンやGW・お盆・正月のときなどは混みやすい。最近では、竹田城への観光利用も目立つようだ。学研都市線方面から「はまかぜ」を利用する場合、三ノ宮から乗車すればよい(三ノ宮へは普通電車1本で到達可能だが、尼崎で快速・新快速に乗り換えるほうが早い)。

鳥取・倉吉方面へは、かつては京都駅から山陰本線、大阪駅から福知山線または播但線経由の優等列車が多く運転されていたが、智頭急行開通後、京阪神と鳥取が高速で結ばれるようになり、智頭急行経由「はくと」利用が一般的だ。「青春18きっぷ」使用の場合も、智頭急行をワープに重宝することが多い。


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大阪環状線・阪和線の103系の動きに注目が集まっているが、関西ではすっかり影の薄くなった113系のことも思い出していただければと思って、今まで撮った113系の写真を探してみた。意外にも近畿圏での113系の写真は少ないんだなぁ・・・。できるだけ原型に近い姿をということで、山陰本線豊岡で撮った湘南色の写真をアップする。ワンマン2連口に改造された5300番台だが、山陰本線京都口(嵯峨野線)に乗り入れていたため、福知山支社オリジナルではなく、国鉄時代からお馴染みの原色・湘南色を装った。

福知山電車区に223系5500番台が投入されて8年経過した今も、113系が抹茶色(→「青ガエル」)1本だけ残っているようだ。


とあることから、兵庫県北部の但馬地方の郵便番号について興味深いことを知った。

兵庫県内の郵便番号は、上3桁が

650台 神戸市・芦屋市、淡路島
660台 阪神
670台 姫路・播磨地域

と大別できるが、日本海側の但馬地方は、姫路ナンバーの地域にもかかわらず、意外にも大半の市町村が南東部の阪神と同じ660台(667、668、669)なのだ。例外は、播但線沿線の朝来市の旧生野町・朝来町。

ついでに丹波地方も調べてみたら、篠山市・丹波市も669であり、三田市などと同じだ。

660台は大阪市に隣接する尼崎の地域区分局を表しており、尼崎市を拠点にJR福知山線および山陰本線に沿った地域全体をカバーしていることになる。但馬地方から県都・神戸市への交通はとにかく不便であり(むしろ大阪市や京都市へ行くほうがまだ便利)、それをカバーする目的も兼ねて播但線経由の特急「はまかぜ」(キハ189系)が現在も運行中である。また、浜坂・新温泉町方面から神戸三宮への長距離バス(全但バス)も1日数本運行されている。

なお、JR福知山線は終点・福知山駅だけ京都府であるが、福知山市の位置が大阪・京都よりもかなり西へ寄ってるだけに兵庫県と思われやすい。大阪・尼崎方面から但馬へは、JR福知山線経由だと福知山付近で一旦京都府に踏み入れるも、山陰本線を西へ進んで再び兵庫県に入る経路をたどることになる。

ちなみに、衆議院小選挙区の兵庫5区について、但馬・丹波地域全体に加えて、大阪のベッドタウンである三田市・猪名川町まで広範囲に及ぶことに、違和感や不満を持つ住民も多いだろう。せいぜい三田市・猪名川町・篠山市・丹波市だけで一つの選挙区を作り、但馬地域は独立した一つの選挙区にするのが自然だろう。あるいは、尼崎・伊丹・川西・猪名川の4市町は大阪府に編入するほうが、より合理的だと思われる(実際、市外局番は大阪府扱いなので)。


国鉄急行型気動車を代表するキハ58系。
キハ58系には使用線区・地方などによっていくつかの形式があるが、一番代表的なものは本州以南用で汎用的なキハ58・28形だ。キハ28・58のちがいは、エンジン搭載個数であり、キハ28形は1エンジン、キハ58形は2エンジンで、通常はキハ58とキハ28の混結で編成を組むことが多かったが、房総地区など平坦路線ではキハ28だけの編成で運用されていたようだ。また、キハ28に冷房電源装置が付けられたため、車両の冷房サービスにも欠かせなかった(キハ58だけでは冷房稼動は不可能)。
また、キハ58系の後継として、強力エンジンのキハ65も製造され、主に西日本地区に配置されるが、急行から特急への格上げが始まり、少数だけにとどまった。

各形式の細かいことはさておき、キハ58系の特徴といえば、前面の平窓だ(北海道用キハ56系も同様)。
同時期に作られた急行型電車および近郊型電車は「パノラミック」と呼ばれる窓で、153系準急「東海」のイメージから「東海型」とも呼ばれている。今も全国各地で活躍中のキハ40系も「東海型」の顔だ。パノラミック=東海型の顔は、国鉄のみならず私鉄の車両にも広く採用され、京阪旧3000系特急車や山陽電車3000系もパノラミック窓だ。

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「東海型」と呼ばれる顔の代表 153系と113系電車
(「時々 撮りバス」さまより拝借)

これに対してキハ58系急行型気動車だけはなぜかパノラミック窓ではなく平窓の顔となった。パノラミック窓に比べてやや古風な印象がある。

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キハ58系(最終増備車を除く)だけは平窓の顔となった

ただし、マイナーチェンジが行われた最終増備車だけは異なる。キハ58・1100番台、キハ28・1000番台(→冷房改造車には車両原番号+2000とした3000番台)が該当し、キハ58・1100番台は43両、キハ28・1000番台は24両製造された。従前に製造されたものとの大きな違いは顔であり、153・165系や113系電車などと同じ「東海型」、近代的なスタイルとなった。


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キハ58 1100番台
「東海型」の窓が特徴
キハ65もこの顔と同じスタイル

「東海型」の顔をしたキハ58・28だが、車両の需給関係のためか近畿地区に集中投下された。特に「きのくに」などを担当していた和歌山機関区(天ワカ)に大量配備される。また、キハ28・1000番台は福知山機関区(福フチ)にもまとまった数だけ配置された。

1985年3月ダイヤ改正で「きのくに」全廃後、亀山・福知山・豊岡など近畿地方各地へ散らばっていく。パノラミック型のキハ58・28はその多くがJR西日本に継承される。特に福知山地区ローカル用(ワンマン化)のキハ58・28はパノラミックばかりだったようだ。

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電化前の山陰本線園部-福知山間普通列車などで活躍するキハ58・28
福知山のワンマン改造車はパノラミック型が多かった


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183系(485系からの改造)はおろか381系も去年までに福知山から引退しました。もう福知山・北近畿地区で国鉄型特急車両を見ることはできません。

2012年12月、山崎で撮り鉄にチャレンジしていた時に、「こうのとり」送り込み中の183系が来たので、記録用にと撮影しました。



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嵯峨野線(山陰本線)で活躍していた湘南色113系です(京都駅にて 2009年)。
京都-園部間完全複線化完成の2010年に嵯峨野線から113系が引退、221系および223系5500番台に置き換えられました。


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嵯峨野線での183系(485系からの改造)も過去のものとなりました。
2010年に亀岡で撮影した「きのさき」です。
最近まで国鉄型車両が残っていた山陰本線・福知山界隈も、急ペースで223系5500番台、287系、289系に置き換えられてしまいました。

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福知山線篠山口~福知山間と山陰本線福知山~城崎温泉間のワンマン運転実施に向けて113系800番台からの改造を受けた3800番台。切妻形の先頭車が旧型電車のような野暮ったい顔で有名で、「サンパチ君」と呼ばれています。

2000年までに北近畿地区の各路線でワンマン運転が進む中、篠山口~福知山~豊岡間は3両編成以上の電車で運用されているためにワンマン化が遅れていました。2001年3月のワンマン運転に合わせて2連口が必要となったため、JR西日本お得意の113系中間車の先頭車化改造をすることになったわけですが、その顔があまりに不恰好でした。当時、JR西日本では比較的新しい国鉄型103・113・115・201系などへのN40体質改善が進んでいましたが、今回種車となった113系800番台は国鉄時代末期、福知山線電化に合わせて初期型からの改造を受けて登場したもので老朽化が目立ち、N40改造の対象外でした。先が短いと見込んでの改造だったのか、改造は最低限にとどめられ、いかにも手抜きな仕上がりでした(笑) 

あれから7年後の2008年夏、福知山地区ローカル用に223系5500番台が投入され、サンパチ君はお役御免となって吹田工場へ帰らぬ旅に出ました。


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