カテゴリ:国鉄・JRグループ > JR西日本(大阪近郊区間大回り)


(その1)
http://katanogawara.blog.jp/archives/35637842.html

長尾から乗車した気動車はキハ53+キハ47の2両編成。当時、片町線の非電化区間にはキハ58系(キハ28・58)が多かったが(主にキハ35・キハ47との混結)、今回乗り合わせた列車にはキハ28・58が連結されていないのは残念でした。キハ58形に代わりに、同じDMH17H型2エンジンのキハ53が組まれることもありました。しかし、キハ53形は少数派の国鉄気動車形式(キハ23形の2エンジン版)で、今となっては貴重なので、しっかり乗っておけばよかったです。

片町線を走る気動車は、当時亀山機関区(→亀山鉄道部)の管轄で、関西本線非電化区間(亀山-加茂・奈良)と共通運用でした。2年前までの国鉄時代は、三重県下の紀勢本線(亀山-新宮間)や参宮線などの運用もあったが、亀山駅でJR東海とJR西日本に分割されたため、運用範囲は大幅に縮小され寂しくなったものです。

長尾を発車した気動車は、さっそく新しく付け替えられた(合わせて複線化)線路を徐行。大阪・京都府県境にあった片町線唯一の山岳トンネルは明治期建造の貴重な鉄道遺産だったが、新線切り替えで消失しました。

県境を越えて間もなく、建設中の松井山手駅を通過。松井山手駅は電化と同時に開業。京阪電鉄の新しい街づくり事業(京阪東ローズタウン)を展開することから、建設費は京阪の負担で賄われました。かつては雑木林の中ののどかな里山だった一帯も、街開きで大きく変貌を遂げ、将来ここに北陸新幹線が通る計画です。また第二京阪・新名神の全面開通を前に、高速道の要衝(八幡京田辺JCT)として新たな開発が進行中です。松井山手から先、単線区間となります。

車掌さんが車内検札が来てドキッとしました。片町駅から120円区間の乗車券を提示。案の定、不審がられたようだが、「大回りで大阪城公園まで乗ります」と一言説明してやりすごしました。これも、近郊区間大回り乗車など、あまり一般に理解されていなかった当時ならではのエピソードと言えます。それに、今時のローカル線ではワンマン運転が当たり前で、車掌さんが検札・集札すること自体、貴重な光景ですね。

田辺駅(→京田辺駅)は当時木造駅舎だったが、現代的な郊外駅に生まれ変わり、駅前にはアルプラザ(平和堂)も開業。木津行きのりばホームにはC11 324号機が静態保存されていました。京田辺市の観光名所として、一休和尚の「とんち」で知られる一休寺があります。また、京田辺は高級茶・玉露の産地としても有名ですね。

同志社前駅は同志社大学京田辺キャンパス開校に合わせ、2年前に開業。電化後、ここで折り返す列車が新設されるため、折り返し用ホームの増設工事中でした(そのホームは撤去され、今は棒線一面に戻った)。振り返れば、同志社前駅開業は、片町線全線電化を予感させるニュースだったように思います。

進行方向左側に並行する近鉄京都線も、どちらかといえばローカルな雰囲気が色濃かったけど、けいはんな学術文化研究都市開発などを控え、この年に京都市営地下鉄烏丸線と直通運転(北大路-竹田-新田辺間)が始まり、また1990年代にかけて編成増強や高架化工事、新駅開業なども進みました。

近鉄に比べて列車本数の少ない片町線も、今では7両編成の207・321系4ドア電車が全線を走るようになりました。非電化時代とあまり変わらない雰囲気の無人駅に7両編成の電車が止まる光景は、ミスマッチと言えるでしょう。車両のバラエティに関しては、伊勢志摩ライナー、しまかぜ、汎用特急車、京都市交10系ほかが賑やかに行き交う近鉄のほうが楽しいでしょう。

祝園を発車してしばらくすると、近鉄の下を潜り抜けて分かれ、終着駅・木津に到着。

* * * *

関西本線(大和路線)に乗り換え、奈良を経て天王寺に向かいます。奈良までは、おそらく奈良線から直通の電車(105系)だったと思います。木津駅4番ホームには2両編成の気動車(キハ58+キハ47?)が止まっていました。夕方の片町線運用の待機でしょうか。

奈良駅構内の売店で、中華まんじゅうを買って小腹を満たし、快速電車大阪行きに乗り換え。大和路線の快速電車には主に113系赤帯が使用されるが、翌年夏までに早々と221系に置き換えるという快挙を成しました。

天王寺駅で環状線内回りに乗り換え、大阪城公園で下車。公園内を抜けて確か天満橋(もしくはOBPから京阪京橋駅だったかも)まで歩いたと思います。



1988年11月某日の午後、暇ができたので、全線電化直前の片町線(学研都市線)の小旅行をしました。

出発駅は今はなき片町駅から。120円の片道切符を買い、自動改札機を通過(当時、関西の国鉄・JRの自動改札機は片町線片町-長尾間各駅のみに設置)。片町駅は片町線の終点であり、 京橋から大阪都心部へ一歩進んだ(0.5kmほどの)場所にありました。京阪電車天満橋-京橋間の中間地点にあり、かつて京阪にも片町駅がありましたね。

片町駅は市内中心部、特に天満橋の官庁街や大阪城に近いのに、京橋とは対照的に昼間は閑散としたターミナルでした。片町駅は地下線のJR東西線(京橋-尼崎)開通(1997年)と同時に廃止されました。片町駅の機能はJR東西線の大阪城北詰駅に代わりました。

片町駅からは長尾行きの普通電車(たぶん103系)に乗車しました。

京橋駅は大阪環状線および京阪電車との乗換駅で大阪市東部のターミナルとして賑わいを見せています。駅前ではダイエー京橋店(→イオン→閉店)や京阪モールなどのショッピングセンターを核に、周辺の商店街と連なって繁華街を形成。さらに2年後の1990年には、鶴見緑地で開催される花博開幕に合わせて地下鉄長堀鶴見緑地線(7号線)の部分開通と合わせ、吹き抜けの地下飲食店街「コムズ・ガーデン」がオープン、ターミナルとしての求心力が高まりました。

京橋を発車後、放出を過ぎたあたりで大阪市から抜け出ます。近畿車輛のある徳庵、江戸時代の河内平野一帯の新田開発の歴史を刻んだ鴻池新田を経て、高架工事完成前後の住道駅、そして「野崎まいり」で有名な野崎を通り、四条畷に。

四条畷までの区間は関西の国鉄で最も早く戦前に電化され、下町を走る私鉄のような雰囲気が感じられます(この先、長尾まで戦後1950年に電化)。1977年ごろまで走っていた旧型国電は、この沿線風景に見事溶け込んでいたようですね。また、1970年代初頭までは蒸気機関車C11に牽引された貨物列車も片町線を走り、旧型国電と並ぶ渋い光景も楽しめたことでしょう。

1970年代末から片町線の新性能化(101・103系投入)、四条畷-長尾間複線化と同時に片町-長尾間各駅への自動改札機の実験的導入、合わせて編成増強と冷房化が国鉄末期の数年間で一気呵成に進められ、前進飛躍を遂げました。今度の長尾-木津間電化、および片町線と福知山線を結ぶ計画に始まったJR東西線の開通も、その成長路線の軌道に乗ったものと言えるでしょう。

四条畷駅前といえば、パチンコ屋さんの賑やかな音が聞こえてきて香里園や瓢箪山と何となく雰囲気が似ているが、気のせいでしょうか?(実際、ここと瓢箪山を結ぶ近鉄バスがあった)。駅の北西側は商店街(楠公通り)で賑わいを見せます。

四条畷-長尾間は1979年に複線化工事が完成したため、線路や駅ホームは新しく(東寝屋川→寝屋川公園と藤阪の2駅も同時開業)、また一部は高架線に付け替えられたこともあり、特急【雷鳥】が高速で翔る湖西線と雰囲気は似ています。そういえば、長尾付近から京都山科への連絡線を作って湖西線と接続させ、片町線に北陸筋の特急を走らせる構想もあったみたいで、これが北陸新幹線の京都~松井山手~新大阪ルートとして現実のものになろうとは偶然でしょうか?

電化区間の終点・長尾駅に到着。長尾駅は大阪府最東端(枚方市)の鉄道駅で、ここから先は京都府内の非電化区間でした。地下道を通って気動車用ホームに移ります。



JRの大阪近郊区間ですが、在来線に並行する新幹線も一部含まれています。

該当区間は、

米原~京都~新大阪間(東海道新幹線)
西明石~姫路間(山陽新幹線)


米原~新大阪間と西明石~姫路間は、それぞれ東海道本線・山陽本線の「別線」と見なされ、これはわかりやすいと思います。

ここで一つ注意ですが、新大阪~西明石間は含まれていません

なぜ、こんなややこしいルールなのかといえば、新大阪~西明石間に新幹線単独の「新神戸」駅が存在するため、だと考えられます。

すなわち、新神戸駅は大阪近郊区間内の駅とは見なされない、ということ。

例えば、大阪駅から加古川線~福知山線を大回りして塚口まで乗車するとき、山陽新幹線の新大阪~西明石間を利用すると「大回り乗車」が成立しなくなります。

もう一つ注意しないといけないのは、琵琶湖一周する場合。京都駅から東海道新幹線→北陸本線→湖西線経由の乗車ルートを取るとき、山科まで乗ってしまうと「大回り乗車」が不成立になるので注意です。山科駅は東海道本線京都~米原間の駅であり、東海道新幹線で通過していると見なされるので。

これの逆回りのとき、すなわち京都→山科→湖西線→北陸本線回りのとき、米原駅で新幹線に乗車した時点で、「大回り乗車」は不成立になりますね。



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1989年5月下旬、大阪近郊区間大回りの旅について書いてみようと思いました。

この年の3月に実施されたダイヤ改正では、JR西日本・大阪近郊エリアでは片町線(学研都市線)全線電化と221系近郊型電車のデビューが、大きな目玉でした。221系は国鉄型のイメージを破る颯爽としたデザイン、3ドア・転換クロスシートの快適な車両であり、従来の113系などを置き換えることを目的に製造。東海道・山陽本線(琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線)の快速・新快速電車のほか、関西本線(大和路線)の快速電車にも投入され、JR西日本のヤル気を感じたものです。 

今回の旅の主な目的は、大和路線に投入中の221系を追いかけること。

さっそく、河内磐船もしくは星田から学研都市線の下り電車で京橋まで乗車。当時の学研都市線といえば103系(オレンジ色)ですが、101系も2~3本残っていました。しかし101系は、間もなく桜島線に転用ののち、2年後1991年の大阪環状線全通30周年記念イベントを最後に引退。

京橋から、環状線内回り(103系)で大阪駅まで乗車ののち、大和路線奈良方面行き直通の快速電車(大和路快速)を待ちます。もちろん221系狙いですが、「次の快速奈良行きは新型車両です」との駅案内放送が耳に入った瞬間、歓喜! 大和路線で初めて乗車する221系でした。

東海道・山陽系統は長距離ゆえ、なかなか221系には命中しないが、距離の短い大和路線ではそれに当たる確率が高く、同年7月までに113系春日色を全て置き換えるという快挙でしたね。やはり113系とは比べ物にならないほどの乗り心地で、中古車(113系、103系)が多く今一つ冴えない印象の大和路線に新車とは、感動的でした(私個人的に、距離の長い阪和線~紀勢本線にこそ、221系を入れたらどうかと思っていたけど)。

小一時間ほどで奈良に到着。JRで奈良への旅が快適になったものです。奈良駅構内をぶらぶらして時間をつぶします。桜井線の非冷房113系や、名古屋行き急行【かすが】(JR東海キハ58系)などを見物した後、少なくなった奈良発着の気動車普通列車(キハ58+キハ35、伊賀上野行き)に木津まで乗車。この気動車は2・3ヶ月前まで学研都市線長尾-木津間でも走っていたやつなんですね。

木津で学研都市線103系(3連)快速片町行きに乗り換え。片町行きを待っている間、大和路線加茂方から103系8連ウグイス色の区間快速大阪行きが入線するが、これも3月改正の隠れたニューフェイスでした。「区間快速|大阪環状線」の方向幕というのも、インパクトは強烈でしたね。ほんの数年前まで木津駅には気動車が頻繁に出入りしていたのに、103系通勤型電車が多く来るようになるとは、想像もつかなかったですね。今も103系の生き残り(ウグイス色)が奈良線で活躍しており、木津駅で拝めます。

快速片町行きは長尾まで各駅停車です。電化と同時に開業したばかりの松井山手駅で下車してみました。街開きの始まる前で、駅前には何もなかったと記憶。


ひらつーさんの記事に、JR大回り乗車体験談の記事がアップされています。

JRの大回り乗車で長尾から三重・滋賀・和歌山・奈良へ120円で行ける!
http://www.hira2.jp/town/jr-20190914.html

JRの大都市近郊区間内(東京、大阪、福岡、ほか)での「大回り乗車」が、鉄道ファンばかりか一般の人にもかなり広く知られて久しく、メディアやネットでその豊富なノウハウが共有されていることとと、改めて感じました。

ひらつーさんの記事で紹介されている乗車ルートは、

長尾→木津→加茂→柘植→草津→(米原)→近江塩津→(京都)→大阪→和歌山→高田→王寺→久宝寺→放出→藤阪

で、長尾-藤阪間120円の乗車券で、距離にして500km以上、所要時間14時間も電車の中で過ごすというものです。ただし、以下の条件

○経路の重複不可、同じ駅を繰り返し通らない(つまり線路は一筆書き)
○途中下車不可(降りたら差額を支払う)
○大都市近郊区間外へは出られない
○きっぷを購入した当日のみ有効


が付きます。上記ルートを正規運賃で旅すると、合計9,400円(120円の78倍!)にもなるとのこと。



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初めて227系1000番台の姿を拝むことができました。桜井線・畝傍にて。
ただし、227系1000番台にはまだ乗車していません。乗車したのは105系で少しがっかりでした。105系の冷房は簡易的なバス用クーラー使用のため、 車内は蒸し暑かったです。105系も今秋に引退予定なので、今のうちに国鉄型車両を味わうのも悪くないと思って、久しぶりに105系で桜井線を大回り乗車してみました。


JR大阪近郊区間大回りの「関所」は3つあります。

1)加古川駅中間改札(加古川線乗り換え口)

2)和歌山駅中間改札(和歌山線ホーム)

3)柘植駅(関西本線から草津線に乗り換えるとき)

120円とか160円のきっぷで大回り乗車するとき、以前は車内検札が一つの「関所」だったと思います。15年ほど前だったかな、学研都市線の木津駅停車中に車内検札がやってきたときは、ビビりました。「大回り乗車です」と説明して、それで済みましたが。

しかし、近年、ICカード対応やワンマン運転拡大などに伴い、車内検札も稀な存在となりました。
 
「大回り乗車」そのものも、ネットやメディア等を通じて、鉄道ファンばかりか一般の人にも広く知られ、市民権を得られるようになりました。そのこともあって、JRの職員に「大回り乗車です」と言えば、そのまま通してもらえることも多いです。

ただ、それでも、中間改札を通るときなど、やはり敷居を感じるもの。「大回り乗車です」の一言で通過できますが。

中間改札ではないが、柘植で関西本線から草津線に乗り換えるときも、「関所」と言えます。関西本線(亀山-加茂)はワンマン運転であり、亀山・伊賀上野・加茂駅を除いて、降車時は一番前(運転席後側)のドアを通る必要があります(降車時運賃箱に乗車券・運賃を投入)。草津線との乗り換え駅・柘植も同じです。このとき、運転士に「大回り乗車です」と申告すればOK。

草津線からの乗り換えの場合は、加茂行き普通列車先頭車後のドアからに乗ります(反対側の亀山行きは、近郊区間外へ離脱するので、「大回り乗車」は不可)。


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JR西日本の大阪近郊区間における駅弁事情について考えてみました。

まず、駅改札内・ホーム上で駅弁の購入できる駅は、

新大阪、 京都、米原、姫路

ぐらいでしょうか。駅弁を売っている駅は、上に加えて、

三ノ宮、神戸、西明石、草津、吉野口、和歌山、園部

もあるが、改札を一度出ないと購入できないはずなので、近郊区間大回り乗車の時には不自由すると思います。特に吉野口駅では、駅構内での販売はなくなり、近くの店舗まで買いに走らなければなりません。また、園部駅(淡路屋)では、「栗めし」「鮎すし」が有名ですが、前日までの予約が必要。

駅弁そのものは駅構内・売店のほかに、阪神百貨店梅田本店、そごう神戸店などのデパ地下で購入することも可能です。もちろん百貨店やスーパーの催事で購入するのもありでしょう。このほか、私鉄の駅でも、近鉄大阪難波駅や京都駅の売店、京阪三条・出町柳駅のアンスリーで買うことも可能です(三条・出町柳のアンスリーでは、かつての京都駅弁「萩乃家」の幕の内弁当が買える!)。


駅弁を楽しめる列車・車両についても考察する必要があります。

まず、混雑しやすい新快速電車(223・225系)では駅弁を広げられる雰囲気ではありません。かつての153系や117系の時代は長距離列車の雰囲気もあって、ゆったり弁当を広げることもできたんだが。大和路快速、関空・紀州路快速、みやこ路快速、嵯峨野線の電車なども同様ですね。

ただ、新快速も京阪神の都市部から離れた末端区間などでは空いているので、その辺りで弁当を広げるのはありだと思います。

東海道・山陽本線快速(221・223・225系)、
湖西線・草津線(113・117系ほか)、
嵯峨野線・山陰本線(亀岡以北、221・223系)
丹波路快速・福知山線(新三田以北、223・225系)
大和路線高田快速(221系)、
阪和線普通(223・225系)、
関西本線(亀山-加茂、キハ120クロスシート)、
加古川線(125系)

などで、何とか駅弁を食べれそうです。

駅弁を食べるのなら、特急列車の中のほうが相応しいですね。近郊区間大回りで特急を利用することは可能なので、特急に乗ることも一つの選択肢でしょう。


今から28年前の1989年3月11日、片町線(学研都市線)長尾-木津間の電化が完成する。

前日まで大阪府最東端の長尾駅(枚方市)で気動車に乗り換えなければならなかったが、全線電化により片町(廃止)・京橋から同志社前・木津への直通電車が終日運転されるようになった。電化開業当初、オレンジ色の103系が使用された。非電化だった京都府内区間は気動車(キハ35、58・28、47など)2両編成だったため、一気にホーム編成長を7両まで拡大することは難しく、103系の改造で間に合わせて3両編成(大阪口は超満員だったため翌年1990年以降は4両に増強)で運用することになった。電化と同時に長尾-大住間に新駅・松井山手駅が開業、合わせて長尾-松井山手間の新線付け替えと複線化も行われた。

さっそく、当日、近郊区間大回りの小旅行に出た。

河内磐船駅から快速|木津行き(103系3両編成)に乗る。快速は長尾から先、各駅停車だ。長尾の次の松井山手駅では、たまたまこの電車の発着に合わせて電化開業記念式典が盛大に行われる。その後関係者たちが一斉に乗り込み、同志社前で下車(→おそらく田辺町の職員の方々だったと思われる)。地元の電化に対する期待は大きかったことだと思う。

同志社大学京田辺キャンパスの開校は全線電化へのきっかけだったと言える。既に3年前の1986年、田辺-上田辺(現・JR三山木)間に同志社前駅が開業しており、全線電化への動きを予感させるものだった。

電化開業後、今度はJR東西線(片福連絡線)開業(1997年)に合わせて、先行的に207系電車が投入され、片町線と沿線のイメージチェンジを図る。少し前まで気動車がのんびり行き交っていた時代から大きな変化を遂げることになるが、それでも沿線のローカルムードは色濃く残っている。東西線開通後は、神戸・明石・宝塚・三田各方面から東西線経由片町線へ直通する電車が終日運転されるようになり、阪神間から同志社大学への通学も便利になった。

しかし、2005年4月福知山線尼崎脱線事故の大惨事で、片町線および沿線の発展が天井を打ったように思われる。同志社大学の京都市内回帰(主に文系学部)などの動きも、福知山線事故と無関係とは言えないだろう(実際、この事故で亡くなられた同志社大学学生もいる)。片町線の電車も2010年には木津までの全区間にわたって7両編成で運用されるようになるものの、その後列車本数は減少傾向、昼間時間帯は宝塚・三田方面直通を間引いたり(尼崎・塚口折り返し)、さらに四条畷以東は各駅停車(区間快速)が発着するのみとなっている。

さて木津から先、奈良線の105系で京都へ向かう。
奈良線も電化されてから年月は浅く、当時は105系または113系の普通電車のみでローカル線の雰囲気が濃かった。
しかし、快速電車運転開始と利用客大幅増加、新駅設置および一部区間複線化が行われ(近い将来、複線区間がさらに拡大する予定)、奈良線は都市間連絡鉄道に脱皮しつつある。さらに近年、外国人観光客の姿も目立つようだ。

京都駅でJR京都線(東海道本線)大阪方面行きに乗り換える。
すると、このダイヤ改正の目玉、新車221系の快速電車がやってきた(^-^) 大阪へは新快速が先着だが、この快速(高槻まで各駅停車)に乗って快適な221系を堪能する。
221系は3ドア・転換クロスシートで、やはり従来の113系などとは比較にならないほどすばらしいデザインスタイルと乗り心地、そのインパクトは強烈だった。221系が関西私鉄に与えた影響は大きく、私鉄からJRへの旅客奪還を果たすことになる(→1995年阪神大震災後は、いち早くJRが復旧を果たし、新快速に223系を大量投入、ますますJRの一人勝ちを強める)。

221系電車は前年にデビューした近鉄5200系のデザインをモデルとし、系列の近畿車輛がJR西日本に売り込んだと言われている。

221系は東海道・山陽本線のほか、関西本線(大和路線)~大阪環状線快速にも投入され、同年夏までに赤帯113系を置き換えた。その後も東海道・山陽の113系はまだまだ残り、221系は新快速に優先的に使用されるようになる。それまで新快速で使用してきた117系は福知山線および奈良線の快速電車で運用されるようになる。さらに1995年以降の223系投入により、2000年までに221系は新快速運用から撤退し、福知山線、阪和線、奈良線の快速に転用される。


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